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from: jun_zoさん
2006年03月18日 23時25分34秒
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続き〜(3)
ヴァザーリは、芸術は発展と衰退を波のように繰り返すと考え、ミケランジェロをその時代のピークの芸術家だと考えた。そのミケランジェロの彫刻に、メジチ礼拝堂の「夜」があるのだが…。
さて、ここから、いよいよ「絵画で、なぜ女性が豊かな体形に表現されるのか」という最初の問題提起に対する具体的な回答を提示していくことにしたい。
が、その前に、もう一度これまでの流れを振り返りつつ、不足部分を加筆する。
まず、中世の女性に対する考え方だが、聖母マリアの対極に罪深いイヴがいる。この時代は女性蔑視の見方が強く、女性の裸体は絵画の主題には当然なりえない。
ルネサンス期になると、イタリアの諸都市で壁画が盛んに描かれるようになり、古代ギリシャ文学や古代ローマの彫刻の影響から、より人間らしい表現が生まれてくる。
古代ギリシャでは、男子の教育制度にギムナジウムがあった。裸で理想の体形に鍛え上げ、様々なスポーツを競ったわけだが、その裸体が彫刻にもなった。ルネサンス期では、そのリアルな人体表現が再評価され、さらに美術解剖により人体の構造がよりリアルに追究される。
絵画の主題も、聖書の物語だけではなく、戦争やギリシャ神話などが取り上げられるようになり、いわゆる「歴史画」が最も優れた絵画表現と考えられるようになる。
もっとも、古代ギリシャの哲学や多神教の神話とキリスト教の価値観をどう融合させるか、だいぶ腐心したはず・・。いずれにしても、それまでのキリスト教の価値観にはない、新しい表現として様々な女性の裸体が登場するようになる。メジチ礼拝堂の「夜」もそうした裸体表現の一つだと言っていい。
ここで、話を戻すことにする。実は、官能的な裸体画でお馴染みのティツィアーノが描いたダナエは、このミケランジェロの「夜」を意識したものだと考えられている。確かに、女性のポーズが良く似ている。ティツィアーノは豊かな色彩を使うことで、ミケランジェロの表現にはない新しい人体表現を目指したという。
ヴァザーリは、このティツィアーノの作品を老ミケランジェロとともに見て、色は良いがデッサンを学んでいないと酷評しているのだが…。
ミケランジェロの描く女性は、男性的と言ってよいほどのたくましさがある。逆に言えば、女性的なふくよかさにいささか欠ける。ティツィアーノの表現は、女性の男性にはない柔らかさを描き、官能的な表現に満ちている。
ダナエの物語。これは、父親に幽閉されたダナエのもとにユピテルが黄金の雨となって降り注ぎ、交わるという話だ。ダナエがユピテルの訪問を恐れていたのか、待ち焦がれていたのか…。描写に画家の解釈が入るところだ。
いずれにせよ、ルネサンス期以降、19世紀中ごろまで、ヨーロッパでは歴史画がもっとも優れた絵画表現とされ、その中で特に女性をどう描くかが重要な課題となる。時代の頂点をめざす野心的な画家にとって、女性をどう描くかは、技量と才能の見せ所となる。
「絵画で、なぜ女性が豊かな体形に表現されるのか」という疑問には、以上述べてきたような経緯がある。ルネサンス期以降の女性の裸体表現については、レンブラントについて後述したいが、その前にどうしても見逃せないもう一つの動きがある。
冒頭に述べたように、事情はそう簡単ではない。というのも、ルネサンス期からマニエリスム(技巧主義)の時代に入り、さらにバロック(ゆがんだ真珠)時代へと続くなかで、扇情的な官能的な女性表現ばかりが評価されたわけではないからだ。
キリスト教という宗教を軸とした絵画の展開において見逃せないのが、宗教改革だ。この宗教改革の大きなうねりの中で、カラヴァジョが登場する。
(以降、続く)-
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