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from: とおるさん
2006年06月25日 20時17分05秒
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06年06月25日Sunday
今日も図書館に行く。
行く途中で後輩に会った、しかも地元の(・д・!)
郡山市のど真ん中でですよ…こんなこともあるんだ。
やつらは遊びに行くらしい…ちくしょ〜、人が勉強してるわきで…(^_^;)
そしたら帰りの電車で、またその後輩たちに出くわす…あらぁ〜( ̄▽ ̄;)
「先輩、勉強してきたんすか?」「お前ら、遊んでたんだろ〜」「でも、楽しくなかったっす(・∀・*)ニヤ」その表情、絶対ウソだろ…。
さらに後輩「先輩、写メ撮らせてください」だって。はぁ?この俺をか?写真写りが悪い俺はパス。しかししぶとい後輩は断りナシに写真を撮る。お前ら、よっぽどヒマなんだな…。
コメント: 全3件
from: とおるさん
2006年06月25日 21時31分56秒
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「06年06月25日Sunday」
話が前後するけど…。
今朝郡山駅でこんな集団を見かけた。
黒いレンズのメガネ、片手には白い杖、点字ブロックの上を歩く…視覚障害者だ。今日は集まりでもあるのか、そんな人たちが数人集まっていた。付き添いの人もいて、行動には不自由していなかったみたい。
一瞬「あっ!」と思った。ただ思っただけで、その感情は形になりきらず、心の奥底に消えていった。思わず、その集団を凝視する俺…。しかしいつまでも見ていたら他から怪しまれるので、さっさとその場から移動。心の中では何かがうごめいていた…はっきりと形にならない何かが…。
やっぱり、見た瞬間に思ってしまった。「障害者だ」って。
昨日も書いたけど、こういう差別とか偏見とかの感情を持つべきではない。しかしどこかで差別している。このままでいいのかな?
自分だって、下手したら視覚障害者の部類に入りかねない。医者には「失明する可能性もある」なんて言われてる。今だって左目が見えない。でも普通に生活しているから、まだ健常者の部類になっている。そして、いざ自分が障害者になった時、周囲の目は?そして自分自身の気持は…?
おそらく、差別・偏見を持たれるのは間違いない―この時点で、それはすでにわかっているから。じゃぁ、そういう目を持たれたほうの気持は?―想像したこともなかった。そして想像できないだろう。なった本人しかわからない気がする。ただなんとなく分かるのは、恐らく健常者に対して、一種の差別をすると思う。
中学校時代、俺は「目」のことに関してイヤガラセを受けたことがあった。そのとき俺はイヤガラセしていた奴らに差別と嫌悪の心を抱いていた。だから、似たような感情が起こる…そんな気がする。自分を信じてくれている人にはそういう念を抱かないと思うけど、やっぱり表面でそういう目で見ている人にはそれ相当の気持を持ちますね…。
っていうか、ここでこうやって「障害者」とか「健常者」とか書いている時点で、すでに差別してる。ここにいくら綺麗事書いたところで、俺の差別と偏見の心は消えないだろうけど…。ただなんとなく、そういう気持を形にしなければ、また同じように―それ以上か?―偏見を持つに決まっている。だから少しでも、その気持を減らさないと。
だれにでも差別とかの目を持たなくなったら、それはすごいコトだと思う…。
from: とおるさん
2006年06月25日 20時24分03秒
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「06年06月25日Sunday」
今日の図書館は本当に混んでいた。学習コーナーはほぼ満席。すげ〜。
しまいには座れない人もいて、係の人が「ここの席、誰かいます?あ、いない。じゃぁ、これ荷物よけて…ここ座れますよ〜」
冷房による冷え&ドライアイと戦いながら勉強。と隣の人のケータイが着信。しかも着信音が「タ〜ラコ〜♪タ〜ラコ〜♪…」少なくとも周囲の人は笑ったに違いない。
図書館に7時間も居座ると、体が拒絶反応示すね。
最後のほうは何をやっても頭に入ってこない。集中力切れまくりですよ…。
明日のテスト、大丈夫なんだべか…?
from: とおるさん
2006年06月25日 21時32分53秒
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「06年06月25日Sunday」
家に帰り着くと、ちょうど「真相報道バンキシャ!」をやっていた。どうも、このワールドカップにおけるサッカー日本代表の反省、みたいな特集だった。
画面にはピッチに横たわる中田ヒデの映像が流れていた。
その映像を見てハッとした。なぜか自分の姿とかぶった。芝生の上で横たわり動かないヒデ、そこに、音楽室の隅で泣いている自分の姿が重なった。俺はあんなにレベルの高い人間じゃないけど。
しかしその映像を見ていた両親が「情けないなぁ」とか「負けたのが悔しいんでしょ。それであんな行動して…ただの迷惑だよ」「あんなことしたらダメだよね」なんて言葉を立て続けに言った。その時俺は自分のことを猛否定されたような気分になった。画面を見て固まっている俺に「どうしたの?」と言ってきた母。「いや、今のヒデの行動がさ…」そこで俺は言葉に詰まった。なんて言ったらいいのだろう?しかしそれより早く父が「今のヒデがかっこよく見えたのか?そんなんじゃダメだぞ」この言葉が心に追い討ちをかけた。「スポーツマンは負けは負けで認めなくちゃいけないの。なのにああやって、見ろ。いつまでたっても動かない。ああゆうのをワガママって言うんだ。負けたら素直にユニホーム交換して、さっさと戻るの。あんなことしてチームメイト待たせて。ただの迷惑」これで完全に抑えが効かなくなった。涙が出てきた。
部活の練習で納得がいかず、ひどい時にはカバンを蹴り飛ばし、音楽室で泣きじゃくる。それは他から言わせれば迷惑に当たるんだ…みんな仕方ないと思ってるのに、1人で文句を言って、そして泣いている。
父はこうも言った。こういうせいでチームの輪が崩れるとも。ヒデの行動が雰囲気を悪くしているのならば、自分が泣いていることだって同じだ。
価値観の違いを優先させてはいけない、そんなことするとスポーツは成り立たない―この父の言葉は、俺の部活に対する意識を揺さぶった。はたして、自分たちの部活に同じ価値観を持つ人はどれだけいるのか?
自分は高いものを望んでいる。しかし周囲がそれより低いもので満足していたら…?なんでもっと高い目標を持てないんだよ!?そう思う。それこそ今回のW杯はその表れかもしれない。ヒデは決勝リーグ進出、そして優勝を考えていたかもしれない。でも周囲はW杯に出られたことに満足している。部活も同じで「いい練習をしたい」と数人が思っても、残りのメンバーが「この程度の練習さえしてればいい」と思ったら、そこで価値観の差が生じる。部活の練習にも温度差が現れる。その温度差が克服できなければ、また同じことの繰り返し…。
もっといいサッカーがしたい―もっといい部活がしたい、もっと上へ行きたい―もっと上の大会に行きたい、もっと自分を高めたい―もっと自分を高めたい、チームに入っている以上責任がある―男子がは少ないからプレッシャーが大きい…すべてが部活に置き換えられる。そのための努力をするのに、その努力は結果として報われなかった。じゃぁ、今までの練習の意味は?費やした時間は?必要とした努力は?それを思うと、涙があふれてくる。ヒデが横になっていたのは、その涙を見られないようにするためみたいだ。自分はそんなにレベルが高い人じゃないから、人前で思い切り泣くけどさ…。
ヒデの気持が、少し分かったような気がした。
泣いている俺に、両親は「部活が大変みたいだな。泣きたいときは泣けばいい。まだ人生17年しか生きてないんだもの。プレッシャーも感じるでしょ?泣けばいいんだ。あんなに立派になったら別だけど、今は泣き場所なんて気にしなくていい」
言葉をかけてもらって、ようやく涙が止まってきた。
俺はヒデみたいに仲間を励まし助けることもなんてできないし、人前でだって弱音を吐く。でも、どこか同じものを持っている…そんな気がします。
鉄腕ダッシュを見た。なんとなく、気分がすっきりした。
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