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  • from: とおるさん

    2019年05月25日 23時10分04秒

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    19年05月25日Saturday

    遠出したいフラグ発動。というわけで、5時半に起きて洗濯して、干して、出かける。朝早いバスで駅前へ、そこまで乗ってるわけでもない。まあ、土曜日だしな。
    駅前に到着、松屋で朝飯。食べ終えて、駅へ。駅舎の前のからくり時計、久々に作動している場面に出くわすが...あんなにがたがた言ってたか?機械音がすごい。老朽化なのかしら、ちょっと残念。みどりの窓口にて切符を購入し、新幹線改札を抜ける。下り、土曜日とはいえ通勤時間と出かける人とで、それなりに混んでいる。
    やってきた盛岡行やまびこ号。自由席、座れるか心配したが、なんとか相席で座れた。隣の席は...たぶん学生だな。プレゼンの資料をせっせと作っている。こういう時に視認性がいいディスプレイは困る、見ようとしなくても内容がよく見える...。仙台まで来たところで席が空いたので、チェンジ。しかしすぐに隣におっさんが、まあこんなもんだ。仙台を出て車窓からの景色を眺めていると...水を張った田んぼと、まだ張っていない田んぼがある。差があるなだな、隣県でも。どこまで行っても青空、素晴らしい。それでも、車内はどんどんすいていく。
    さてさて、いよいよやってきた一ノ関駅。ここで乗り換えるのだが、平泉に行った時以来である。とりあえず時間があるので、在来線ホームをぶらぶら。東北本線、小牛田行きは赤い、盛岡行は紫。一関が境目なのかしら。それよりも...そこかしこにピカチュウが描かれているのは何ゆえか。で、今回は本線ではなく、大船渡線に用がある。向こうに停まってるあれ...キハ100系。磐越東線は110系、微妙に違うんだな。ホームに入ってきた気仙沼行のワンマン列車に乗り込み...やっぱり違うな、まず短いし、ドアの位置とか座席の配置とか。同じようで違って、なんか落ち着かない。
    列車が走り出す、乗っている感覚は、まあ慣れたものである、車内放送の音声が違うくらいか。山間や住宅街の間を走っていく風景は、磐越東線とさほど変わらない。しばらく走ると「間もなく、猊鼻渓、猊鼻渓でございます...」ここが猊鼻渓か。しかし今日の計画ではない、気になりつつもここでは降りない。列車はまだまだ走る、木々の間を走っていく風景はなんら変わらないのだが、いつしか高い山は見えなくなってきた。だがしかし、一向に開けてくる気配はない。本当に海に向かってるのかしら。しかしよくよく考えると...そりゃ開けてなくて当然なのだ、その理由は後でわかる。
    ようやく目的地、気仙沼駅に到着した。列車を降りて...向こうのホームに停まっているのは、列車ではなくバスである。大船渡線も気仙沼線も...いわゆるBRTというやつである。そう、線路が津波で持っていかれた。それは開けていた地域の話である、さっきの区間は線路があって当然だったのだ。

    改札を抜けて...とりあえず、観光案内所へ。すみません、向洋高校旧校舎に行きたいのですが。案内所のおばちゃん「だったら、BRTの柳津行きですね」案内を受けつつ、それこそ震災のときの話もちょっと聞きつつ。
    案内所を出て、改札を抜ける。1番線も2番線も、線路ではない。アスファルトが舗装されている...走ってくるのは、バスである。なんだろうな、妙な感覚である。そういうわけで、気仙沼線を待つ。
    やってきたバスに乗り込む。出発してすぐは、線路のわきを走る...これが専用道路、ってやつか。しかしすぐ、一般道に合流。気仙沼の市街地は、いたって普通の日常である。今日も元気だな、うん。しかししばらく行くと、急に開けて、一気に平らな地域が広がる。そこに資材やら重機やらが...ここまで来たんだな、津波が。まだまだ復旧の途中なのだと、実感させられる。と、バスはまた道をそれて、専用レーンに入る。この線尿レーン、ずっと前からあったんじゃないかというような雰囲気。こんなぴったりなこと、ある?と、途中ではっとした。時折標識に十字路の表示があるのだが、そこの十字路にやれ遮断器だのなんだの...これ、線路じゃん、もともとの線路だよ、ここ。ああ、そうなんだ、そういうことなんだ。ニュースで聞いていたが、鉄道ではなくBRTなんだ。かつての線路の上を、バスが走っている...。そうなんだ、そうなんだよね。急に、涙が出そうになった。
    目的の駅?停留所?で降車。これ、駅だよな...陸前階上駅。かつてのホームは、バスの停車場へと姿を変えている。しかし敷地内に、封鎖された跨線橋が残っている。待合室として、駅舎も残っている。マジか...。
    そんな駅舎を出て、歩き出す。国道45号を南へ、もらった地図を頼りに。ここの酒屋さんを左折、あとはひたすら道なりに進めばいいんだな。住宅街の間を、ひたすら歩く。ここまでも来たのだろうか、津波は、外壁だけ新しかったり、塀がある一定の高さまで黒ずんでいるお宅も見受けられる。そんな住宅街を抜けると...またも資材と重機が見えてきた。震災なんて、終わっちゃいないんだ、まだまだ。

    そこに佇む、学校の校舎。旧宮城県立気仙沼向洋高校の校舎。今は気仙沼市の東日本大震災遺構伝承館である。今日の目的地はここである。震災から8年2か月余り、なんでこのタイミングなのかと問われると自分でもわからないが、8年前のあの日に何があったのか、確かめたくなった。
    まず敷地に足を踏み入れ、校舎が近づいてくるにつれ、津波のすさまじさを感じずにはいられない。大きく壊れた校舎、抜けてしまった壁、ひしゃげた窓枠...これが本当なのかと、目を疑いたくなる。校舎の前を通り過ぎ、伝承館のほうで受付を済ませる。
    最初に通されたのは、映像シアター。ここで、当時の映像を上映する。正直、今の今まで、こういった映像を直視することは避けてきた。しかしここは、自分の目で、改めて確かめたい。他何人かの来館者と一緒に、その映像を見る。震災前の気仙沼、そして震災当日の映像。地震の大きな揺れだけではない、押し寄せる津波を間近にとらえた映像、漏れ出した油による火災。どの映像も...インパクトがすごかった。というか、言葉にできない。すごすぎて...。あんなのを目の前で見たら、街に押し寄せたら...考えただけで、ぞっとする。いや、それが起きていたのだ。それを生き延びたのだから...被災地の皆さんは、強い。内陸で、大学構内で、あ~死ぬな、と思ったのとでは比じゃない。津波だけでなく、迫りくる火の手。まったく姿を変えてしまった街...。その気持ちは、想像すらできない。ただただ、言葉を失ってしまった。弱い。ただこうして、映像でもいいから、記憶に刻む必要はある。泣きそうになりつつ、最後まで見た。
    そこから、いざ展示・震災遺構の校舎へ。写真も並んでいる、先ほどの映像で見た光景と同じような。筆舌しがたい。展示スペースを抜けて、いざ校舎へ足を踏み入れる。まず壁から天井から、すべて流されたその校舎の姿たるや...これが本当なのか、いや、本当だ。かつてここでは、生徒の声がこだましていた。なのに、なのに。この光景が1階だけでなく、上層階にも広がっている。3階には、流れ着いた車が展示されている。ここまで車が押し流されたという、にわかには信じられない。だが、こうして残っている。さらには教室内に散乱した書籍が、被害の大きさを感じさせる。窓が抜け、雨風にさらされ、風化も見られる。それが時の流れを感じさせる。空間は2011年3月11日で歩みを止めているように見られるが、そういった物品の痛みから、確実に時間は流れていることを感じる。4階まで上がる、4階の高さまで津波が来た、跡が残っている。どんだけだよ、マジなのかよ。信じられないし、こういったときに感情を表す言葉が見つからないのよ。屋上まで出た、復旧工事の光景が見える、向こうには輝く大海原。こんなきれいな海が、あの日、一瞬にしてすべてを飲み込んだ。毎回思うが、本当に信じられない。なんで、なんで...。
    別の建物も見て回る、外観だけ見られる建物、中に入れる建物。流れ着いた車が、そのまま置かれているゾーンもあった。よくもまあ、こんな大きなものが...。これ、教室だよな。壁が抜けたのか?ここは残ったのか?傷んだ黒板、さび付いた非常ベルや分電盤、ひしゃげた流し台。どこか現実味がないのだが、目の前にこうしてある。本当なんだよな。校舎内を歩きながら、何度も涙が出そうになった。
    再び伝承館に帰ってくる。再度、当時の写真や、仮設での生活の姿。そして再び映像も流れていた。2011年の階上中学校の卒業式の映像。すごすぎる...。
    一通り展示を見終えて、最後にメッセージボードがある。私も一筆したためた。いったい、我々はあの震災から、何を学んで、何をつなげていかなければならないのか、考えさせられた。震災から8年以上、改めて地震と津波に対峙した。そして福島には、これだけでなくて原発もある。ね、まだまだ終わっちゃいないんだよ、まだまだだよ。どうかどうか、被災された皆様がいち早く心穏やかな生活を取り戻せますよう、そして亡くなられた多くの御霊が安らかに眠られますよう。見学中、何度となく自然に合掌した。

    さて、昼飯はどうするか考える。そういえば道沿いに、お店屋さんあったな。来た道を引き返し、目的の食堂へ。入店し、メニュー表に目をやる。一番いいのは海鮮丼だが、う~ん...。すいませ~ん、ホタテ丼ください。というわけで、出てきたホタテ丼。ホタテにマグロに、日替わりの魚。他の客さんが聞いていたが、今日はアイナメらしい。丼に、お新香、小鉢、ワカメとめかぶたっぷりの味噌汁。食べながら...ああ、海の恵みに感謝、本当に美味しい。海は我々に試練を与えるが、こうした恵もいただける。満足満足、ごちそうさまでした。
    次。本当なら、徳仙丈山のつつじがすごいらしいので見に行こうと思ったが、なんとも時刻が微妙である、こういうころに出る、毎度毎度の計画性のなさ。どうしようかさんざん考えて、途中まで来た道を引き返していたのだが、再び海のほうへ。このへん、ジオパークって言うんでしょ。見ておかなくちゃ、リアス式海岸。というわけで、歩き出す。海沿いで気温自体は低いのだが、なんせ日差しがえげつない。汗だくである。っていうか、こっちで合ってるのかしら。工事現場のわきを歩きながら、若干不安になる。
    やがて見えてきた、ここか。入口は若干迷ったが、たどり着いた岩井崎。かすんでるな~、入り組んだ海岸線をはっきり見渡すことはできないが、複雑なことはわかった。あれが気仙沼大島ってやつなのかな?そして何より、ここも当然津波をかぶった。そんな中、残った一本の松の木。その姿が津波に立ち向かう竜の姿に見えたことから、龍の松、と名付けられたそう。その松の木を見る。こちらの松の木も、あの奇跡の一本松童謡、保存処理をしているそうだ。そして芝生にどっかり腰を下ろして、高田三郎『水のいのち』を聞く。やはり、ぐっとくる。ちょっと降りられる部分があるので、波打ち際まで、カップルや家族連れが、笑顔ではしゃいでいる。こんな平和な日々が、いつまでも続けばいいのにな。灯台も見て、反対側へ...やっぱり入り組んでいる、リアス式。はあ、一服しよう。駐車場のところにあるお店に入り、店内でアイスコーヒーを。さっきまでのことを考えながら、ゆっくり飲むアイスコーヒー、贅沢な時間だ。

    さて、いよいよ戻るか。陸前階上駅を目指す、やっぱり日差しは暑い。途中のお寺で、観音様に手を合わせる。そんでもって汗をかきながら駅に戻ってきたら...待ち時間40分、やらかしたな。なので、タブレットを広げて、日記の文章を書き進めた(笑)。
    ようやくやってきた、気仙沼行BRTに乗る。行きは中途半端な席だったが、帰りは一番前の席に陣取り、風景を眺める。やっぱりここ線路だったんだよ、あっちこっちに装置が残っている。そしてそこかしこで復旧工事が、尽力されている皆様に頭が下がります。こうして時刻表通りにバスが走るのも、どれだけ尊いことか。一瞬専用レーンから市街地に入り、また専用レーンに戻って、気仙沼駅に到着した。2番線とはいえ、線路ではない...。やっぱり考えちゃう。
    さて、一ノ関行きの列車は...1時間待ちだ、やらかしたな、この短時間で(笑)。駅舎内にはテレビ、NHKの相撲中継を見つつ、再び記事を書いて時間をつぶすのだ(笑)。
    改札が開き、ホームへ。待っていると、折り返し一ノ関行きになるワンマン列車がやってきた。人もまばらな列車に乗り、車窓からの風景を眺めつつ、揺られている。やっぱり、どこかで見たような風景。でも見たことのない風景。地元の高校生の乗降もある、やっぱり欠かせない。どんどん暗くなる空と風景を見ながら、一ノ関に到着した。
    乗り換え7分、間に合うか?これを逃したら、1時間待ちだ。結果、余裕だった。自由席で大丈夫かとも思ったが、そこは土曜日。こちらも余裕で座れちゃった。とか言っていたら、ものの見事に仙台で席が埋まった、油断しすぎだった。

    そんなこんなで、無事に郡山に到着した。改札を抜けて、バス乗り場へ。そしたら、母校前経由のバスがやってきた。なんという絶妙なタイミング、乗ってしまう。そんでもってアパートの最寄りで下車して、そのままベニマルに食料品の買い出しに。閉店間際、急いで買い物をする。一瞬、値引きされまくった刺身に目が行ったが...三陸の美味い海鮮を食った後にこれを食べるとがっかりしそうだから、今回はやめておこう。
    というわけで、無事に帰宅した。なんだか、歩いた量と考えた量が、すさまじかった気がする。それだけの場所だったんだろうな、ね。

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