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from: とおるさん
2019年09月12日 22時02分06秒
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19年09月12日Thursday
ビジネスホテルであろうと、狭いユニットバスに湯を張って必ず浸かるのがモットーである。だいたい普段通りの時間に風呂に入って、そして零時には床に就く。これもだいたいいつも通り、歩き疲れたおかげか、わりとすぐに寝られる。
そして朝、目覚ましの音で目が覚める。結局普段と同じ時間に、アラームをかけちゃう。ラジオをつけて、身だしなみを整える。そしてレストランにて、きっちり朝食。ビュッフェ形式なので取りすぎるが、朝なので気にしない。
いったん部屋に戻って、落ち着く。今日はどうしようか、下調べ。ラジオは中国放送、普段聞いているTBS『日本全国8時です』をネットしてくれているのはありがたい。そのまま放送を聞いていたが…交通情報やニュースのタイミングはラジオ福島とあまり変わらないが、やっぱり違う。聞き比べも、たまにはいいものだ。
さあ、出かけよう。9時、ホテルを出て、路面電車で広島駅へ。今朝乗った車体は低床車両、もうまるで感覚がバスだ、うん。
広島駅到着、南口から北口へ抜けて、バス案内所で時間を確かめ、券売機で切符を買う。しばらく時間があるので、コンビニを探すも…なくない?あそこ、改札を抜けたセブくらいしかないのか?若干時間も迫ってきたので、急いで飲み物を買う。
そしてバス乗り場。石見交通、石見川本・大森経由大田行、最前列が空いていたので、陣取る。列を挟んで隣のおばちゃんが、冠婚葬祭の云々で、まあ乗り継ぎが上手くないだのなんだのかんだの、電話しまくり運転手さんに話聞きまくり…。
そんなこんなで10時、バスは出発、おばちゃんは何回か電話して、話が決着したっぽい。バスは広島駅を出て、バスセンターを経由し、市街地を抜ける。なんという道路なんだこれは?工業団地っぽいところを抜けて、高速道路に入った。これは…何自動車道?標識もよく見えないので、さっぱりわからん。やがてうとうとしているうちに、どこかのジャンクションを通過して、またどこかの道路に入った。東北道と磐越道しか知らないので、もうここはいったいどこだ。片側1車線だぞこの道路。
やがてバスは高速を降りて、一般道へ。メインで走る、国道261号…なかなかパンチがきいてるな、それなりに広いが、だんだん山奥に入るにつれてカーブが多くなり、大型バスには厳しい気が…。
途中、道の駅邑南田所で休憩。止まったと同時に、運転手さんばたばた。さっきのおばちゃんが差し出した切符が石見交通のじゃなくてJRのだとか、バスカードがなんだとかかんだとか。全員さばき終わって、思わず「疲れるわ~」大変ですね…。
休憩を終えて、バスは再び走り出す。やがて国道をそれて、県道を走る。やっぱり、バスが走る道じゃない、こんな山奥をよくもまあ。
そんな山奥にある目的地へ、13時前、たどり着いた。島根県大田市、世界遺産、石見銀山。正直、存じ上げなかった。何かないかと思って調べて、初めて知った。興味がわき、来てみようと思ったのだ。
まずは石見銀山世界遺産センターで、基本的な知識を。展示を見ながら…今から400年前に、日本に銀の採掘技術があったなんて。しかも当時の世界の流通量の1/3を占めたとか。あのザビエルも国外に紹介したらしい。全然知らなかった、うん。地形をジオラマで紹介したりしている、銀山だけあって、世界遺産の指定範囲広っ。
さて、展示を見終えて、職員の方に工程のアドバイスを受け、次へ。仁万駅行のバスに乗り、ちょっといったところで降りる。このへんが、実際に坑道を見られたりするらしい。移動には自転車、レンタサイクルへ。おっちゃん「電動と普通と、どっちにする?」普通で。「ず~っと上りやけど、ええの?」…電動で。というわけで電動自転車を借りて、いざ上のほうへ。
実際に見られる数少ない坑道、龍源寺間歩。向かおうとしたら、たまたま歩き始めたばかりのガイドさんに声をかけられ、他のお客さんとは一緒であるが、案内してもらえることに。歩いていくと、当時このあたりを管理していた人のお屋敷や、数々の間歩の跡地。これはガイドさんがいないと、なかなかわからない。
そしていざ、龍源寺間歩の中へ。この冷気、鍾乳洞を彷彿とさせる。ただ違うのは人工的に彫ったので、平らなのだ。壁のあちこちに、鉱脈が残されている、奥息があるものから、高さがあるものから。当時から、いろいろ工夫をして掘っていたらしい。はしごをかけたり、水を汲みだしたり…それが400年前って、考えられないな。もちろん、今のような安全技術もないわけで、まさに命懸け。公開されているのはほんのわずかだが、こんなのがこの山の中にごろごろしていると思うと…すごい。途中、ちょっとだけ実際の穴に近いサイズの部分に入れるところがあるのだが…しまったリュックを背負っていると回転できない、それくらいの幅か。身をもって体験すると、改めてすごい。
見学コースを出て、元来た道へ戻る折、ガイドさんからさらに説明。このあたり一帯が集落で、斜面にそって段々畑のように家が建っていたらしい。今は石垣しか残っていないが…鉱山都市だったんだな。
見学を終えて、自転車で下っていく。途中、別な間歩やお寺、精錬所の跡なども見られた。こうして土地一帯を保存していくのは大変だ。
さて、自転車を返却して、観光案内所でお土産を調達。その足で、道沿いにあったカフェで、昼。時刻は15時、いいんだ昼飯だ。落ち着いた雰囲気の中、ハヤシライスをいただく。牛筋が柔らかく煮込まれていて、あ~美味しい、幸せ。ごちそうさまでした。
そこから、景観が保存された街並みを歩く。昭和大正明治、はては江戸時代末期ごろまでタイムスリップしたような。懐かしい雰囲気がただよう、ある種原風景の一つだな。実際に中を見られるところもあり、お菓子屋さんでお菓子を購入。わりとテレビでも取り上げられているらしく、店内には所狭しとサインが。武家屋敷と商家も公開されている建物があり、武家屋敷はコンパクトに収まり、商家は大きく、部屋数も多い。当時の繁栄ぶりをうかがえる。途中びっくりした、趣がある建物…って、まさかの郵便局、違和感なさすぎる。これが街並みを整えるということか。最後に、代官所跡が資料館になっているので、そこを見る。銀を扱うだけあって、きっちり制度が整えられていたらしい、勉強になりました。
こうして、昔から日本が世界に誇れるものがあったんだな。この銀を使って、貨幣制度が整えられ、やがて世界のスタンダードに。それが認められ、そして独自の文化を踏まえて、世界遺産に。なるほど、でした。
さて、帰りのバス、バス停どこだ?これか?なに、広島行、道路の反対側…ポールないじゃん。これはあれか、来たら手を上げるやつだ。というわけで、ポールの向かいで待つこと数分、バスがやってきた。手を上げて、他のお客さんが降りるのを待って、乗車。朝と同じポジションが空いていたので、そこに座る。…朝と同じ運転手さん?んなばかな。とか思って乗っていたが、途中で別のお客さんが降りて、運転手さん「2人だけですな」車内を見ると…乗客は私以外確かにいない。「お客さんあれですね、バスセンター?」駅です。まさかの、同じ運転手さんだった。そこからしばらく話をする、けっこうぶっちゃけた話も合った。運転手さんがばりばりになまり全開で来る、ああ遠くに来た感じ。途中の道の駅邑南田所で他のお客さんが乗ってきたので、そこで会話は終わる。ここまでくれば山道もさほどではないが、やっぱり大型にはきつい箇所もあったりなかったり、すごいな。
バスはやがて高速へ、だから何道の何インターなんだここは、たぶん調べればすぐわかるけど。高速に乗っちゃえばあとは比較的スムーズ、帰宅時間帯で若干込み合ってはいるが、やがて広島市街地へ。混雑する市街とをどうにかこうにか抜けて、無事に広島駅まで戻ってきた。運転手さんに礼を言い、バスを降りた。
路面電車でホテルに帰り、さて晩飯。今日くらいまでは食うぞ、お好み焼き。ホテルの割と近くにお好み焼きの看板を見つけ、入店。客は私だけ、マスターに勧められるがままテーブルに座り、メニュー表を眺める。すいません、おまかせ焼きとウーロン茶で。マスターに話を振られ…あ、福島県から来ました。「あの原発の?」やっぱりそういうイメージなんだよな、福島県は。そんな話もしつつ、いろいろざっくばらんに。マスターのおすすめは、呉らしい。比較的時間もかからないようなので、行けたら行ってみよう。その間に、お好み焼きが出来上がった。おまかせ焼き、肉と野菜、そこにキノコとチーズ。麺はわりとふわっとした感じかな、トマトも付け合わせで。いろいろ入っていて楽しいし、美味しくいただけた。ここのお店はテイクアウトもやってるようで、途中で何人か注文に来た。おいしかったです、ごちそうさまでした。
そして部屋に戻ってきて、今にいたる。明日はどうしようかなぁ、場所は決めているが、けっこう時間もポイントになるぞ。
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