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from: とおるさん
2020年11月13日 22時39分03秒
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20年11月13日Friday
13日の金曜日。
出勤して、業務。午前中はもっぱら、現地作業の手順書の手直しだ。これをある程度のクオリティにしておかないと、えらいことになる。
会社近くに、ベニマルがオープンした。そういうわけで昼休み。「行くか!?」「行くっすか?」数人のメンバーが、連れ立って出て行った。私はいつも通り仕出し弁当を事務所で食べているわけだが。しばらくして、帰ってきた。どうでしたか?「超混んでたからスルーしたよね」ですよね(笑)。
午後からはぼちぼち、先輩と一緒に現地作業のリハーサル。いざやってみると、手順書にはまだまだ粗がある、誤記もある。そういうのを潰しながらやっていくと、意外にも時間がかかる。なかなかなぁ。
残業を終えて、吉野家へ。牛丼大盛に、紅ショウガ大量投入。あ~、幸せ。これだけでこんないい気分になるんだもの、安いもんだ。
今週、強く思うことがあったので、書く。
ハンディキャップを言い訳にしたくない、それを改めて感じた。私自身、視覚障害者である。片目はほぼ見えないし、見えている方の目も、健常者と比べるとそこまで見えているわけではない。だからどうしても、いろいろなことに制約は付く。でもその制約の中で、極力やれることはやりたいと思う。だから、見えないことは言い訳にしない。ハンディキャップを言い訳にしない、たぶん小学校高学年くらいから考えている。そんな中、今週、とある場面で「見えなくてわからなかった」と言われた。それを言ったほうは健常者だった。正直、カチンときた。年単位で久々に、本気でキレるかと思ったが、そこはどうにかこうにか抑えた。しばらく虫の居所が悪くて、周りを不愉快にしてしまったのは申し訳なかった。見えないと言われたシチュエーション、わからなくもない。しかし私からすれば、ふざけるな、と言いたくなるような状態であった。なんでわざわざ見えにくい状況でやってるわけ?見えるようにしてよ?なめてるの?それくらいだった。こっちは見えないから、見えるような手立てを打っているのに。わざわざ見えない状況で、見えないって言われたら、さすがに我慢がならない。それを耐えられる、笑って、はいはい、くらいで受け流せればとも思うけれど、まだまだ未熟だな。そして、やっぱり自分のハンディキャップに障るようなことを言われると、嫌なんだな、と思った。自分の中にハンディキャップに抗う意思があるんだと、改めて感じた。
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