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from: あおいそらさん
2016/01/10 21:37:47
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from: あおいそらさん
2016/01/10 21:29:18
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from: スクレモンさん
2016/01/08 00:20:21
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私の母も言葉を話せなくなりました。
認知症も併発していましたが、CBDで左脳の方が大きく萎縮していたので、やはり言語障害が強く出たのだと思います。
初めは思ったことが言葉にできず、「もういいわ」と言って諦めてましたが、だんだん自分から話すことがなくなったので、家族の名前をクイズのようにして言葉を口から出してもらうようにしていました。そして、それもできなくなったら私が言った言葉を繰り返してマネして発話していましたが、最後はそれもできなくなりました。たまにこちらが「これ飲む?」と話しかけたときに「飲む」と返事がくることがあってビックリするほどでした。
言葉が思うように出せないことが、どんなにもどかしく不安な気持ちになっていたことかと思います。
うちは母の夫である父が短気で、まだ母の症状が軽かったのもあり、えーっとえーっと、となかなか話が伝えられない母に半ば苛立って遮ったりしていましたので、母も話す意欲が薄れたところもあったかなと思います。
お歌が好きなお母様が積極的でいらっしゃるのは素晴らしいですね。
デイサービスなどでもどかしい思いをしていらっしゃるのに前向きに努力を忘れないお姿を、あおいそら様と一緒に応援させてください。icon
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from: mikekoさん
2016/01/07 09:10:18
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お母様、楽しみだったお喋りが出来なくなってお辛いですね。
歌のリハビリ、前向きで素敵です。
父も失語症状が出ました。あ~う~と言った発語しか出来なくなり、CBDの症状だと当時の主治医に言われました。
父の場合は元々認知症を伴っていて、それ以前から喋る内容が会話にならなかったのですが、それでも言葉が出なくなるとより不便になり、寂しかったのを思い出します。
父は一時、文字盤を使っていました。あいうえお~の文字と簡単な用語(寒い・暑い・トイレ…等)が絵で描かれたものです。麻痺していない左手でゆっくり文字を指さしながら、発声の練習をしていましたが、気晴らしにもなり、最低限の事を伝えることも出来て良かったですよ。icon
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from: あおいそらさん
2016/01/06 22:59:56
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楽しみがまたひとつ減ってしまいます
夏の後半くらいから、会話がしにくくなってきた母ですが、近頃は、言葉も不明瞭で
聞き取りにくくなってきました。
一生懸命、話そうと、伝えようとしていても、家族ですらなかなかすぐに理解できにくい状態です。
先月、総合病院の耳鼻咽喉科で、のどの検査をしたのですが、結果は、悪いところはありません。ということでした。
やはり、この状態は、CBDの症状のひとつなのでしょうか?
薬の副作用でもないようです、と、お医者様はおっしやいましたが、それは、もうこのままです、ということなのでしょうね。
車椅子で座っている、もしくはベッドで寝ているだけの母の楽しみは、おしゃべりをすることでした。 デイサービスにいっても、周りの人とおしゃべりができない、職員の方に何かを要求しても、伝わらないと・・・・。
今は、古い歌?などがラジオから流れてくると、一生懸命声を出して、リハビリのつもりで一緒に歌っています。-
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from: スクレモンさん
2016/01/06 21:11:19
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from: イクさん
2016/01/06 21:03:57
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from: youさん
2016/01/06 12:05:12
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from: スクレモンさん
2016/01/06 00:39:33
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はじめまして。
私の母のときのことを書きます。
前々から父と相談し、万が一のときも胃瘻は断ろうと話していました。
その後、本当に病院から胃瘻の話を持ち出されるまで勉強不足で知らなかったのですが、胃瘻をしても好きなものを好きなように食べて良いと聞き、してもらおうと考えが変わりました。
必要な栄養を口から摂るのは、母にとって苦痛だろうということ。(お茶碗半分のごはんを3時間かけてやっと食べる毎日でした)そのくせ、好きなものはペロリと食べることもあったので、食事の楽しみが奪われる訳ではないのなら、という理由です。
結果としては、胃瘻手術直前に母は亡くなってしまったので、本当にして良かったと思えるかどうかはお伝えできなくて申し訳ありません。
ただ、後々聞くとやはり感染症のリスクはあるとのことです。
また、胃瘻してると受け入れてもらえなくなる施設もあります。
どちらにしたら良いかとは私からは申し上げられませんが、1ケースとしてもらえればと思います。icon
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from: jackさん
2016/01/05 09:36:00
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骨折した時点では小生は外出中でしたので詳細は不明ですが、二階の洗濯物を整理しようとして持ち運んだ際ハンガーにつるしてあった長めのタオルに足を踏んでしまって転倒してしまったようです。
その証拠に廊下の床に長めのタオルが敷いてるかのように残っていたことでの推測です。
本人に様子を尋ねてもそのお瞬間のことを鮮明には覚えていなかったようです。
その年の直前に海外旅行から帰国し、その当時は杖を突きながらもかなりの距離を歩いて
いて、そのお疲れが出てたのか、少しずつ進行していたのと重なったのかは不明ですが、
普通の人ならタオルを踏んでしまっても踏ん張れるものだと思いますが、この病の特徴はやはり
姿勢の保持が不安定になる(重心可動域検査でも証明されている)のでどうしても前後左右への動作が制約されていることが原因ではないでしょうか。
また骨折したのは大腿転子(腰骨がぐるぐると出っ張っているところです)から多分横転びをして
そこを強打したために、大腿骨けい部骨折に至ったものと思います。
医師は運が悪かった、とも言ってました。
ここを骨折すると人口骨頭置換術という手術を受けるので、再発すると脱臼したり再手術を
しなければなりませんので、さらなる注意がひつようになり(内転禁止、鋭角度屈曲禁止等)、今は、その大転子部分を保護するために両腰の大転子部分に馬のひずめがたをした保護パットが当てられるように内蔵された特殊なパンツを装着してます。icon