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from: shantiさん
2006年09月30日 13時04分40秒
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「Re:Re:「集中」と「瞑想」の違い」
皆さん、こんにちは。
瞑想も呼吸法も勿論、体のポーズもできるならばちゃんとした先生に付いた方がいいです。
お金とか、結構かかってしまう場合もあるのですが、一通り要領がわかったらもうスタジオに通わなくても自分で出来るようになるので、ずっと通い続ける必要なないのです(あ、スタジオを経営している方に怒られるかな? でも、自分ではどうしても、と仰る方は継続してこられると思うので(^_^;))
自分流でやるよりは、ちゃんとした先生の指導に付いた方がわかりやすいし、疑問点なんかもすぐに解決できると思いますから。
ただ、ポーズを教えるインストラクターは多いのですが、瞑想とか呼吸法をきちんと指導できるヨガの先生は日本人、外国人問わずそんなに多くいないという話は聞きました。
私はヨガの先生を数多く知っているわけではないので何とも言えませんが。
でも、いい先生に出会えたら、素敵ですよね!
初心者向けの瞑想法は幾つかあるようですが、以前も書きました“呼吸を使う”のはとてもいいですよ。icon
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from: mothertreeさん
2006年09月29日 10時08分22秒
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from: shantiさん
2006年09月29日 02時12分41秒
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「集中」と「瞑想」の違い
ようぐるさん、こんにちは。
> 今指導を受けている先生からは、瞑想の準備としてしっかりアーサナで体の感覚を意識する練習が大切よって言われ続けています。
体のポーズ(アーサナ)も呼吸法(プラナーヤマ)も全て瞑想に持っていくための手段のようですから。
アーサナは「ポーズでの瞑想」と言われるぐらですから。
> 一つのことに心を向けることと、集中することの違いがよくわかりません…
「集中」しないといけないときは、それ一本に心を強制的に持っていかないとダメです。
例えば、勉強に集中したいのに他の部屋からテレビの音が聞こえたり、姉妹の甲高い笑い声が聞こえたり、道路の車の音が聞こえたりすると、イライラしてしまいます。
それらにとらわれまいと、また心を無理やりに対象物に持っていかないといけないです。 で、余計にイライラしてきます。 そして、終わった後、「ふ〜」っとため息が出るくらい疲れてしまうのです。
それに対して瞑想に繋がる「心を一つのものに持っていく」というのは、他の思念や雑音も全て受け入れるそうです。
1点だけに目標を絞って他のものをシャットダウンするのと、全て受け入れるのと大きな違いがここにあります。
勿論、瞑想やヨガをするときは出来るだけ静かな所でやるにこしたことはないのですが、例え、テレビの音がしても、車の音がしても人の話し声がしてもそれにとらわれずそのまま流していくのです。
それらの音は自分のエネルギーの範囲内で起こっていると解釈するので、決してイライラすることはないです。
瞑想のときに湧き出てくる「考え(雑念と言った方がわかりやすいかな)」も一緒です。 集中すると余計な考えが出てきた時、イライラしますが、瞑想ではその湧き出てくる考えを排除しません。
そのままやり過ごします。 考えを排除しようとすると、心がその考えに対して「戦う」ことになり、イライラが募り、穏やかになんてなれないからです。
だから、「雑念を捨てなさい」という指導は少なくともヨガの瞑想ではされないそうです。 禅ではちょっとわかりませんが。
で、瞑想が終わった後は物凄く気持ちいいといいます。
実際、ここに来ていらっしゃった方達も初めて瞑想をしましたが、色々な体験をして、と〜っても気持ちよく、いつまでも続けていたいようでした。
「集中」は「心」が問題になるのですが、心のコントロール(矯正と言う意味ではなく)が出来た後、その次の段階に来る「瞑想」は「心」を超えるものだそうです。
瞑想のことについては次の第6ステップで少し書ける...かな?
わかりやすい例えがありますので。
多分ようぐるさんのヨガの先生だともっと上手く説明して下さると思います。
でも、これは体験していかないと口で言ってもなかなか...。
> たとえば、体位法の体の動く部分に集中するのではなく、心地いい感覚だけに心を向けるということでしょうか?
「体位法の動く部分に」と言うのが、ゴメンナサイ、私の理解力不足でちょっとわかっていないのですが、アーサナでは以前も書いたのですが、体をじ〜っと止めているとき、どこに何がどういう風に流れているのか、を見ようとします。
そしてその感覚はその日の体調や心の持ち方で変わってくるのです(多分ようぐるさんならわかっていらっしゃると思いますが)。
それが気持ちいいのですが、それがアーサナはポーズでの瞑想と言われる所以だそうです。
ポーズをしながら、「あ、今日の晩御飯は...」とかほかの事に気持ちが行くと効果はないです。
すみません。 むちゃくちゃ長くなりました。
わかりにくかったらまた言って下さい。
出直します。 -
from: shantiさん
2006年09月29日 01時32分06秒
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「インドの哲学(の一部)4」
皆さん、こんにちは。
この前、「奉仕」という言葉を書きました。
日本でもボランティアと言う言葉が完全に定着していますよね。
見返りを求めず、困っている人(もの)を助けたいという純粋な気持ちから出てくるものです。
で、インドにこういう言葉があります。
最初の奉仕は家族の中で。 その中で損得勘定なく、心からの奉仕が出来る人が初めて家の外に対しても奉仕ができると言うものです。
最終的にはインドの考え方では、家族も家族外も区別がないし、家族に対するものとそうでないものに対する気持ちなどは違うと言われればそれまでなのですが、私達にはわかりやすい例えかなと思います。
自分も家族も社会も地域も国も世界も宇宙も全部繋がっています。 大きなものに奉仕をするのも勿論素晴らしいことなのですが、足場がちゃんとしていないと、いくらいいことをしているつもりでも、それはタダの自己満足に過ぎないという事なのかもしれません。
“あの人たちが可愛そうだ”と言って現場に飛んで行く一方で、自分の親をないがしろにしていたらダメだよ、ということなんだと思います。
ただし、ボランティアで働いている人たちをどうこうと言う気持ちは一切ありませんので。
インドでは家族(特に親)というものをとても大切に考えます。 社会の核だからです。
昔のインドにはそういう考え方があったんだな、と言う程度に取って下さいね。icon
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from: shantiさん
2006年09月29日 01時13分52秒
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呼吸の大切さ
皆さんこんにちは。
> どこかで一生のうちの呼吸する回数は生まれながらに決まっているから、ヨガの穏やかな呼吸で生活を心がければ健康で長生きできるという話をきいて、その頃のことを考えたらホント寿命縮めてたって思いますね…
そうです。 それと全ての生き物の呼吸数はほぼ同じだそうです。
例えば、犬は呼吸がとても速いですよね。だから寿命も短いです。 蛇やバッファローはとても呼吸がゆっくりだそうです。 だからとても寿命が長いんだとか。
呼吸の大事さについては、もしもご興味がある方はご面倒ですが、過去のスレッドを1度ご覧になって下さい。
面白い発見があるかもしれません。
4月18日の[13][14]、4月25日の[54]、4月29日の[81]、5月11日の[149]、5月21日の[185]、5月26日の[205]、6月15日の[285]、6月20日の[308」など。
他にも幾つか書きましたが、きりがないので。
「吐くこと」大事にして下さいね。
お釈迦さんが悟りを開いた瞑想は「呼吸を見つめる」ことだったそうですから。
呼吸...なかなか侮れません。
shantiでした。 -
from: shantiさん
2006年09月29日 00時43分24秒
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「Re:Re:パタンジャリヨガ(アシュタンガヨガ)...第5ステップ」
> ほんとにいつも惜しみなく知識を分けてくださりありがとう御座います。日本にいながら学べるっていいですね〜
いえいえ、出し惜しみするほどの知識がないだけで...。
と言うか、ここでメッセージを出すことで自分の勉強にもなるので、自分のためにやっている部分もあると思います。
人に何か伝えようと思うと、まず自分の中できちんと整理しないといけないので。
それに以前のスレッドでも書かせて頂いたように、私が知ってすごいって思った知識は自分の中だけで閉じ込めておくのではなく、他の人にも知ってもらって、もしも何かの役に立てばいいかなと思って。icon
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from: ようぐるさん
2006年09月28日 22時30分11秒
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from: ようぐるさん
2006年09月28日 22時11分35秒
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「Re:パタンジャリヨガ(アシュタンガヨガ)..第4ステップ」
> ヨガのアーサナが出来ない方は呼吸法をしているだけで、その恩恵を受けることが出来ます。
私がヨガを習い初めて一番役立ったのが呼吸法でした。
すっごく恩恵うけましたよー!感謝感謝
病気療養中で寝たり起きたりの生活でしたし、喘息や可喚起発作をよく起こしていたからです。今は見違えるほど元気。(実際若く見られます)本当に助かりました。
どこかで一生のうちの呼吸する回数は生まれながらに決まっているから、ヨガの穏やかな呼吸で生活を心がければ健康で長生きできるという話をきいて、その頃のことを考えたらホント寿命縮めてたって思いますね…
お産後や入院中も呼吸法と手足首回し位はできますし、持病持ちでも自分のペースで続けれるからうれしいですね。icon
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from: mothertreeさん
2006年09月27日 20時09分21秒
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from: shantiさん
2006年09月27日 18時41分48秒
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パタンジャリヨガ(アシュタンガヨガ)...第5ステップ
皆さん、こんにちは。
日本も朝夕過ごしやすくなってきたと思います。
さて、アシュガンガ(ヨガの8つの部門)のいよいよ第5ステップです。
第5ステップはPrathyahara(プラティヤハラ)です。
私達が普段生活しているこの世の中では、私達の五感と言うのは全て外に向けられています。 家にいても外に出ても、色々な広告が目に付き、いろんな良い匂いがしてくるし、美味と言われるものは経験してみたいし、肌触りのいいカーペットや服は欲しくなるし、いろんな音も聞こえてきます。 その度にそれぞれに反応して心が休まることを知りません。
いいことだけじゃなくて、悪いことにも反応してしまいます。 特に自分に対する悪口や気に食わない人の言動、友達、彼氏彼女の反応...。 あらゆることに反応してしまっていったいいつ心はほっと出来るのでしょうか?
泣き、落胆し、怒り、喜び...。
それが人間の良さだ、と言ってしまえばそれまでなのですが、それに振り回されてしまって疲れたり、ストレスを抱えてしまっている人が多いのも事実だと思います。
パタンジャリは第5段階で、そういうあっちこっち外部のものに反応して休まることを知らない心を休めるべきだと言っています(ちょっと荒っぽい言い方でスミマセン)。
どうやって休めるのか。
何でもいいからひとつのことに心を向ける「練習」をすると良いと言うのです。
外に向いている気持ちを“内”に向ける。
この練習をすることによって次の段階の「瞑想」に繋がるそうです。
ただし、「集中」とここで言う「一つのものに心を向ける」ということは全然違うそうです。
「集中」した後は疲れるのですが、「一つのものに心を向ける」事が上手くできた場合は後がとてもリラックスして、気持ちよくなるものなのだそうです。
「コントロ-ル出来ない感覚は暴走した象のようだ」と言う例えがありました。
“象”と言うところがいかにもインドらしいですが。
何となく、わかりましたでしょうか?
ちょっと難しいかもしれませんね。
わかりにくかったらまた言って下さいね。
shantiでした。