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from: shantiさん
2008年09月30日 23時45分12秒
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「Re:アーサナ(アーサン)」
皆さん、deeさん、こんにちは。
shantiです。
> アーサナを ピタッととめて…
> そのとき もう1mm もう1mm と 伸ばすよう
> テンションを 掛けるほうが いいのでしょうか
> 掛けないほうが いいのでしょうか
あくまでも「気持ちいい」が基本です。
テンションをかけると言う意味ですが、“もうちょっと、もうちょっと”とじりじり伸びる所まで伸ばすことで、身体が緊張してしまうのではいけないようです。
「痛いと感じる少し手前で止めるように」とよく言われます。
痛ければ、少し緩めます。
で、ポーズをとってじっとしていると、息を吐いたときにフッと身体が緩むのを感じることがあります。
そのとき身体の重みで自然に身体を伸ばしたり、沈めたりすると筋肉も緊張しないし、後で筋肉痛にもなりません。
「痛い」が先に来ると、じっとすることが苦痛にしかなりませんよね。 身体の内を観るどころじゃないです(*^_^*)
> 僕は 何とでも言えることを 信じるけにはいかない人なので
> 信仰そのものは 無理だと思います
人が言ったからと言って、本に書いてあるからと言って体験しないものを信じるわけには行かないですからね。
ウチの義母は医者だったので、実験とかで結果が出ないものは信じない人です。
が、自分の胸にある魂の光を実際に見たので、これは信じないわけには行かないと言っています。
> ヨガに 信仰は 不可欠ですか
「気」が確かにあると言うのは宇宙物理学者(確かそうだったと...)も認めているとか。
deeさんも、もしも“気配”とか感じることがあって、又“生命力”を感じることがあって、その存在が信じられるなら、それでいいのでは?
それを「信仰」と呼ぶ人に言わせたら、ヨガに「信仰」は必要だと言うことになるかも。
ヨガでは人の身体をただの物体とはみていないです。 魂が宿っているから「人」だと言う考え方ですよね。 魂があることを信じるのが「ヨガ」と....。
WHOですら、「健全な“魂”は健全な肉体に宿る」と言っている位ですから。 でも、WHOが宗教団体だと思う人はいないでしょう、きっと。 ....いるかな?
> インドでは レストランなどで 玄米を食べることが出来ますか
どうでしょう? お店では売ってはいるので、私達は食べていますが。 赤米もおいしいです。
> インドのヨギでも 煙草を吸う方もおられるのでしょうかね
インドのとても有名なヨギは確か、魚をよく食べたとか。 で、ある人が「何故、ベジでないのか?」と聞くと、その人は「身体があまりにもピュアすぎると魂が身体から離れたがらないから」と答えたそうな。
屁理屈と思うか、なるほどと思うかは個人の意識の持ちようとは思いますが。
10月ですね。
このところの気候はクヌールと同じです。
皆さん、お風邪など召されませぬよう。icon
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from: shantiさん
2008年09月29日 23時11分12秒
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「Re:へんな話」
皆さん、deeさん、こんにちは。
shantiです。
> 幽霊を 信じてる人は それが見えるのでしょう
> 幽霊を 信じてない人は 見えないのでしょう
>
> 僕は そう 思います
私もそう思います。
悪魔を信じていない人には悪魔は見えないでしょうね。 でも、地獄を信じている人には鬼は見えるかもしれません。
キリスト教徒の人はいいエネルギーに触れたとき、キリストさんや、マリヤさんや天使さんが見えるだろうし、仏教徒の他人にはお釈迦さんや観音さんなどが見えるでしょうね。
大好きなご先祖様がいらっしゃる場合には、亡くなったその人が見えてくるかもしれません。
何も信じていない方は、光そのものが見えるかもしれません。
エネルギーはその人が好きな(信じている)形を通して私達に接してくるのでしょうね。
幽霊がいるかどうかは、私にはわかりませんが、エネルギー(気)は私達の外にも中にも確かにあります。
“恐いもの”は、得てして人間が作り出している分もあるようですが。 信仰心を高めるためだとか、人を操るためだとか、の理由で。
エネルギーと触れる(感じる、見る)には、もともとの素直でピュアな私達に戻ればいいようです(「いいようです」って言っても前に書きましたように、それが難しいんですけれどね(^_^;)icon
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from: shantiさん
2008年09月29日 22時51分36秒
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「ヨガの考え方。」
deeさん、こんにちは。
> クヌール 寒そうですね(苦笑)
はい、少し寒いです。 夜は毛布は手放せません(~_~;)
> はい なかなか グルとまでよべる方は…
自分をよい方向に向かうお手伝いをしてくれるのがグルですが、以前にも書いたのですが、ヨガでは本当のグルは自分の中にいると言われています。 勿論、最初は人が導いてくれるのですが、最終的には自分のうちから導きの声が聞こえてくるのだそうです。
きっかけを与えてくれた“人”である「グル」には当然、感謝です。 が、そこにとどまっていてはいけないそうです。
ある特定の人物や神様(?)を絶対視しないといけないという考え方をする宗教などからすれば、非常に特異な、あり得ない考え方だそうです。
でも、それがヨガ、インドの昔からの考え方の良さだと義母は言っていました。
“自分の外のもの”にすがる必要がなくなるのです。
当然、そういうものを利用しようとする人も、出現しようがないです。
体と心を綺麗にしていったとき、正しい道を自分の内なる声が教えてくれるのだとか。
マレーシアでインド食を食べたい方はdeeさんに聞くといいですね!(^^)!
それにしても、やはり古来の日本食は本当に体にいいようです。 日本に住んでいる人たちの塩分の取りすぎに関しては昔から言われていますが、それでも、外国食に比べれば、ずっとヘルシーかと...。
でも、体に悪いものほど、美味しいというのはどうしてなんでしょうね?
shantiでした。icon
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from: shantiさん
2008年09月28日 23時49分23秒
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from: shantiさん
2008年09月28日 23時28分06秒
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「アーサナの本来の目的」
皆さん、deeさん、こんにちは。
> > じっと同じ格好で座っていること、それが「アーサナ(本当の発音はアーサン)」だそうです。
後で自分の書いたメッセージを読んでみて、ちょっと誤解を招く書き方だったかな、と反省。
アーサナは勿論体のポーズのことも言います。 確かに、流れるように次々とポーズを連続していくものもあるのですが、“ピタッと止まる”ことが重要なようです。
昔のハタヨガと呼ばれるものの文献には一つのアーサナは3時間以上静止できてやっと完成と言われる、と書かれてあるそうです(゜o゜)......
「動いてないと汗をかかないからいや」「何かゆっくりしてるとダルイ」と言う方がいらっしゃるのも事実であり、それはそれで速い動きのものの方が合っていらっしゃるのだと思います。
が、じっとしているのも、なかなかジワ〜っと汗が出てくるのですよ。 これには少し驚きました。 「動いてないのに何で?」と思いましたね。
以前、インドである番組を見たのですが、チベットの僧侶達が瞑想をしているとき、濡れタオルを全員の肌にかけ、数十分するとそれが体からの熱で完全に乾燥しているのです。 湯気がどんどんタオルから出ていました。
瞑想をすると体温が低くなる場合と、高くなる場合があるようです。
以前瞑想を生徒さん(70くらいのおばあさんでしたが)にガイドをして、瞑想が終わった時、「どうでしたか?」と聞くと、「ちゃんと瞑想できたかどうかはわからないけれど、なんか体がぽかぽかしてきていた」と答えられていました。
私は自分で瞑想をしていて、体がぽかぽかしたという体験はないです。
話がそれましたが、ヨガでは元々アーサナは体を柔らかくするためのものではなく、瞑想がよりよくできるよう、すなわち、じっと同じ格好で座っていられるようにするための一つの手段だったようです。 “体がじっとすると、心もじっとする”ということのようです。
> 僕は京都です! 今は バンコクですが(笑)
> なので いつになるか分かりませんが
> 時と場所が合えば 本来の本当のヨガを教えて頂きたく思います
私はサークルの方の出身地はわかりませんが、結構京都の方も多いようです。
でも、今バンコクにいらっしゃるのならそこから京都よりも、そこからクヌールのほうが近いかも(^^♪
インド本来のヨガ、別にクヌールで習われた方でなくても、日本で教えていらっしゃる方は沢山おられると思います。
どこにいらっしゃっても、“いい先生”にめぐり合えればいいですよね。
> 個人的に アーユルヴェーダの生活法 マクロビオテック 実践させて頂いてます
自分の体を大事に扱うということはとても大事なことだと思います。 そして、それを実行することが今の時代、本当に難しいんですよね。 まずは、強固な意志がいりますね。 日本で働いていたりすると特に。
そして、体を綺麗にすると共に、心も綺麗にすることも、これまた、大変な努力が要ります(少なくとも私は(~_~;)
“人のことをいやに思わない”“批判をしない”“文句を言わない”
...shantiでした。icon
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from: shantiさん
2008年09月27日 22時22分19秒
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「ヨギ-癌-本来のヨガの考え方」
deeさん、こんにちは。
「ありがとうございます」なんて、ホントにこちらの方が読んで頂いて有難うございます、です。 恐縮です。
> > 偉大なヨギは癌で亡くなった人が多いと聞きます。
> > 癌はインドでは聖人がなる病気とも言われたことがあるようです 。
>
>
> かなり ショックです!
私も、聞いたときは「え?なんで? ヨガやって癌?」って思ったのですが、そういう人たちはヨガ入り口の私なぞとは次元が違うようです。
曰く、昔は聖人と呼ばれる人の下には苦しみを背負った多くの人が助けを求めに行ったそうです。 聖人たちはそういう人たちを温かく迎え入れ、「全ての苦しみや悲しみを私の元に置いていきなさい」と言い、幸せな気持ちをあげたそうです。
そして多くの人の苦しみや悲しみを全て背負い、それが癌となってその人の体を蝕んでいったのだとか。 でも、彼らはそのことを全く恨みに思わず、快く受け入れていったそうです。
....と言うのが私が聞いた考え方です。 勿論、いつも但し書きをしているのですが、私が聞いた考えが唯一のものではありませんので、ご了承の程を。
> 禅僧は 坐禅ばかりして アーサナ・プラーナヤーマ 行じないから 「禅病」 多いですね
「禅」と言う言葉はインドの「ディヤーナ」が中国を経て日本に入り、「禅」となったそうです。 だから、禅はインドで言う「ディヤーナ(瞑想)」そのもののようです。
事実、インド人の書いた本にもZEN(禅)あるいはZAZEN(坐禅)と言う言葉が出てきて、「ディヤーナ」の最たる形とも書かれています。
私は坐禅をどういう風にされるのかは知らないので、何とも言えないのですが、瞑想のときは、気持ちがどうもひとつに定まらないときは、呼吸を見るように、と言われます。 それはプラナーヤマに繋がっていきます。
そして、じっと同じ格好で座っていること、それが「アーサナ(本当の発音はアーサン)」だそうです。 私はこれを聞いたとき、「へぇ〜!?」と思いました。 だって、アーサナって色々な格好をするポーズのことだと思ってましたから。
本来の意味とは間違って思い込んでいることって多いんだなって思いました。
> ただ この方の場合 ヨガを過信して 暴飲暴食だったとか
> しかし この方が若かった頃に書いた本を読むと
> 「ヨガは 万能ではない」と ハッキリと!!
この方は昔の文献に言わせたら、「ヨガ」をされていません。 ヨガは「身体は魂の乗り物」と言って身体をとても大事に扱います。 暴飲暴食なんてもってのほかです。 腹は八分目ではなく、五分目(!)です。 しかも、一日一食で十分と言います。
ヨガを生活と切り離して考えた場合、「ヨガは万能ではない」とはっきり言えるんじゃないかな、と私は思います。
ただ、ヨガだけが全てではない、という言い方はできると思います。
shantiでした。icon
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from: shantiさん
2008年09月27日 21時51分43秒
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「Re:Re:日本で!「インドのヨガ」.....(*^_^*)」
拓也さん、こんにちは。
> もう1週間になるのですね。
あっという間のような、でも、ず〜っと日本にいたような気も...。
クヌールから帰ると、暫く外に出る気になれなかったり、折角静まっていた心が又すぐにざわざわしたり、と生徒さん方が仰るのをチョコチョコ聞きます。
私は....全く変わらずです(*^_^*)
根が鈍感なのか、順応しやすいのか...。
今日、会いに来て下さった生徒さんも、私の側にいると、クヌールにいるときと全く変わらない感覚になるというようなことを仰っていらっしゃいました。 どこにいてもおんなじなのかも(*^_^*)
> どちらに滞在しておられるのでしょう。
> 近くなら、ヨガを体験しにいけますね。
近くですよ!
大阪ですから!
shantiicon
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from: 拓也pcさん
2008年09月27日 02時15分43秒
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from: shantiさん
2008年09月26日 23時07分57秒
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日本で!「インドのヨガ」.....(*^_^*)
みなさん、こんにちは。
shantiです。
拓也さん、来ましたよ!
先週の土曜日の夕方、日本に着きました。
スレッド[1504]の飛行機からの写真はシンガポールから日本までの上空から撮ったものです。 環礁のように輪になった雲が奇麗で思わず撮りました。
“インドより暑い!”が最初の感想....。
帰りの電車の中もクーラーがかかり、じっとしていても汗が流れて....。
家では久々にT-シャツ姿になりました(*^_^*)
1年分の郵便物やスーツケースの中のものを数日かかって何とか整理し、少し落ち着きました。
スーツケース、自分のものは勉強用具などほんのわずかで後は食材でいっぱい。 31キロでした(*^_^*)
クヌールに来られた生徒さんには9月末に来ることを報告しましたので、たくさんのメールや電話を頂き、有難く感じた次第です。
ところで、今回は師匠が一緒でないので、大々的にここでも書きませんでした。 当初は一緒に来る予定だったのですが、色々事情があって。
なので、以前は「ヨガ、一緒にやりましょう」とお声をかけさせて頂き、日本もほぼ縦断したのですが、今回は“無し”でした。
それでも、一緒にヨガをしたい、会いたいと、実際にすでにご遠方から来て頂いたり、またこちらに来る計画を立てて頂いたりして下さる方もいらして、本当に嬉しいです。
師匠はおりませんので、エネルギーレベル、魅力とも10分の1以下ですが、それでも希望する方には「インドのヨガ」を共有しなさいと師匠に言われました。
なので、もしも「インドのヨガ」を私と一緒に楽しんでみたい、経験してみたいと言う方がいらしたら、個人レターなどでご連絡下さい。
尚、私はスタジオなどと言う立派なものは持っておりません。
すみません。
まずは、報告まで。 -
from: shantiさん
2008年09月26日 22時45分13秒
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「Re:おたずねします」
deeさん、こんにちは。
わー、難しい質問がいっぱいですね!
私には大学の哲学の授業のような言葉がいっぱい並んでいて頭クラクラって感じですが。
多分、deeさんのご質問にはインド哲学などを専攻なさっていて、学問的にきちんと系統立てて勉強なさっている方だときちんと答えて下さるのでしょうね。
ヨガは「生き方」というか、もっと生活に密着しているもののようなので、学術的に分析するのはやっぱり違う視点から見られる方のお仕事なのかな、なんて思ったりします。
と言うことで、これらのご質問にお答えするには私には荷が重過ぎるようで....(*^_^*)
ただ、因果決定論かと問われると、そうなんだと思います。 人は生きている以上、絶対に考えたり、言ったり、行動するし、それによって生じる結果は当然ついてくるので、その結果はちゃんと見ないといけないようです。 やりっ放しは無し、みたいですね。 別の言い方をすると、自分で蒔いた種はちゃんと育てて、実を刈らないとダメ、と言うことだそうです。
自由意志は認めているようです。 選択肢があるとき、選択権は本人にあります。 「フリーウィル(自由意志)」と言う言葉はしばしば出てきます。
悲観主義、楽観主義、ん〜、どうでしょう?
そういう分け方ができるのかどうか自体、わかりません。
いいことが起こっても悪いことが起こっても、全て自分を成長させるために起こっているんだと言う考え方は、プラス思考だとは思いますが。
なんか、全然deeさんの質問のお答えにはなっていないですよね。
ごめんなさい。
ホントに哲学のご専門の先生にお聞きになった方がdeeさんの納得されるお答えが出てくるかと思います。
でも、ヨガは頭で分析するのではなく、体と心で是非感じて下さい。 そうすると、答えが返ってくるかもしれません。
なんて、生意気書いてしまいました。
shantiでした。icon