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from: shantiさん
2009年04月10日 11時09分56秒
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「心」
こんにちは、皆さん。 shantiです。
今回は続けてサークルに来ることができました。
ヨガでは「心」のありようをとても大切にします。
嫌な事が起こっても落ち込まず、嬉しい事が起こっても舞い上がらず...。
でも、実際こんなに難しいことはありません。
心を鏡のように穏やかにするなんて。
様々な罵声、中傷を浴びせられても穏やかな表情を崩さず、じっとそれを受けていた仏陀。
十字架にかけられ、あちこちから血を流しながらも誰をも恨むことのなかったキリスト。
偉大な聖人たちはある意味素晴らしいヨギですよね。
心が乱れたとき、灯を見ていると落ち着くと言う人はたくさんいます。
自然を見ていると落ち着くと言う人はたくさんいます。
犬や猫などの動物と接していると落ち着くと言う人もたくさんいます。
仏像を見ていると落ち着くと言う人もたくさんいます。
人や物との関わりだけが心を騒がせます。
でも、私達は人や物のつながりの中で生活しています。
心のざわつきは体にまで変調をきたします。
今の時代、どんなに穏やかで、元気に見える人も、
心の中にざわつきがあります。
だからこそ、心を落ち着かせる訓練は今の時代、特に必要なのでしょうね。
ヨガはその道を示してくれます。
が、その道をしっかり歩んでいけるかどうかはその人次第ですよね。
私も行きつ戻りつしながらも、その道を進みたいと思っています。icon
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from: shantiさん
2009年04月09日 01時41分20秒
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「「江戸っ子」とヨガの考え方」
こんにちは、みなさん。
いつ、来れるかわからないので続けてもうひとつ。
過日「江戸っ子」についての記述を読んでこれまたインドの昔の考え方との一致点を見つけ、嬉しく思いました。
「江戸っ子」というのは時代劇の影響か「てやんでぇ、こちとら江戸っ子でぃ!」なんていう江戸に住むイキのいい人のことかと私は思っていたのですが...。
「江戸っ子」というのは「江戸しぐさ」がきちんと身についている人のことを言ったそうです。
で、「江戸しぐさ」とは江戸に住んでいた町人(商人)のおエライさん達が、皆がお互いに心地よく助け合って生活していくために出した知恵だったそうです。
後はNPO法人江戸しぐさ理事長の越川禮子さんからの文を参考にさせて頂いています。
本当の「江戸っ子」は
「どの人も仏の化身と思い、一時の出会いも大切にする(一期一会です!)」
「相手を肩書きで判断しない」
「相手の時間を尊重する(時泥棒をしない)」
これらは全てヨガで学んでいることです。
特に、「どの人も仏の化身と思い」というのは「全ての人の中に神様を見て神様に尽くす様に他のものに尽くす」と言う考え方と同じです。
みんな神様ですから、人による分け隔てはありません。
驚きました。
そして、興味深かったのは「時泥棒をしない」と言う部分です。
“借りたお金は返せても、奪った時間は返すことはできない”と言います。
「時は金なり」と言う言葉がありますが、今一瞬を大切にするということと通じますよね。
いえ、「時」はお金よりも貴重なものですね。
そして、「子供は親の言うとおりにはならない。 親のした通りになる」と言う言葉。
“子供は放っておいても育つから”と言う親御さんもいらっしゃいます。
が、子供さんは親御さんたちの背中を見ています。
夫婦喧嘩をしていてもテレビを見たりゲームをして、聞こえないふりをしたりしています。
これも以前書かせて頂いたことがあるのですが、
とても悪いことを続けて、死刑を言い渡された男が死刑直前に言い放った言葉。
「悪いことをした俺も悪いが、罰せられるべきはあそこで泣いている俺の母親だ。 あいつが俺が子供の頃に悪いことをしたときにちゃんと叱ってくれたら俺はこういう風にはなってなかった」
今、心が病んだ人が非常に多いと言います。
怒りや恨み、悲しみで心がいっぱいになっている人が
自分を制御できずに悲鳴を上げています。
人に精神的、肉体的な危害を与える人をそのままにしておくわけにはいきませんが、
その人たちだけを私達は責める事はできません。
社会が変わらない限り、同じような人たちは生まれ続けます。
そして、子供達が寺子屋で習う内容。
6歳の6月6日に入学するそうです。
中ではもっぱら「読み・書き・ソロバン」と思っていました。
ところがそうではなかったようです。
特にこの地球の中で生きているものは全て相互関係にあるという「草主人従」の精神を学ぶというのには驚きました。
今も理科の授業では「食物連鎖」や「植物の光合成」については習うとは思うのですが、かなり“テスト用”の知識にとどまってしまうのではないでしょうか?
他者に対する心遣いの中には、
今の忙しく自分本位になってしまった社会からは忘れられてしまったものもたくさんあります。
世界人として自分を主張する教育が声高に言われてきた日本ですが、
日本で特有の“他者に対するちょっとした気配り”はヨガの考え方と矛盾するものではないとの確信を得た感じがしました。
又、だらだら長くなってすみません。
読んで頂き、有難うございました。
shantiでした。icon
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from: shantiさん
2009年04月09日 00時25分44秒
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一期一会(いちごいちえ)
皆さん、こんにちは。
又長い間お休みしてしまいました。
先日、インドの昔の教えを読んでいたのですが、
まさにインド版一期一会(?)だと、感じ入ったものがありました。
「一期一会」は安土桃山時代の茶人、千利休の言葉。
“お互い、明日も無事でいられるかどうかはわからない。
だからこそ、今の出会い(おもてなし)を大切にし、これが最後かもしれないと言う覚悟で人に接しなさい”と言う意味だそうです。
以前にも書かせて頂いたことがあるのですが、
「過去は歴史に過ぎず、未来は不確かなもの、今この瞬間だけが現実。 だからこそ、今を大事に生きよう。」
インドの昔の教えとはこうです。
5000年は前のものと言われる「ギータ」の所で出てきたパンダヴァの5兄弟の長男(王)の所に1人の男が助け(お金)を求めてきます。
が、王は「今はちょっとダメだから、明日もう一度来い」と言います。
それで男は帰りますが、それを聞いた兄弟の1人が宮殿に人を集め、「明日は祝いの日だ。 盛大に祝うぞ!」と宣言します。
何の祝いかわからなかった王はその理由を聞きます。
「今日お願いに来た男をあなたは明日来いと言って帰した。 果たして明日、あなたが生きていると言う保証があるのか? そして男も。 もしも二人とも生きていたとしたら、そんな凄い事はないだろう? だから祝うのだ!」
すぐには意味を飲めこめなかった王もはっと気づき、部下に命じて男をすぐに呼び戻したそうです。
昔は治安が悪かったからじゃないか、とも言えるかもしれませんが、
今の時代も「行ってらっしゃい」と言って見送った家族が突然事故に遭ってしまったり、
「又そのうち会おうね」と言っていた友達が病に倒れたり、一秒先のことも予測不可能です。
勿論、自分も然りです。
人との出会いは偶然ではなく、必然だというのがインドの考え方です。
何かが必要だからその人に会うことになったのです。
その何かは今はわからず、将来わかるのかもしれません。
「類は友を呼ぶ」と言う言葉があります。
インドでもやはり同じようなエネルギーの人はなぜか集まると言います。
が、出会う人の中には一般にいう“いい人”とは限らず、悪い人もいるかもしれません。
それでも何か意味があるのです。
必ず自分を高めてくれる何かがあると信じる心が大事なのかもしれません。
嫌な気持ちや恨みを引きずって生きるよりも、
感謝や思いやりの気持ちで今を過ごした方がいいに決まっていますよね。
「よいことは先延ばしにするな。 今できることは今しなさい」というのが先のインドの昔の教えだそうです。
何気に空を見ると夕暮れ前の雲の上が七色に。
部屋に入られていた生徒さんを呼んで皆で感激していました。
以前、自然を、雲を眺めるのが好きだと仰っていたサークルのメンバーさんがいらっしゃいました。
絶対に同じ形がないからこそ、今見ているこの一瞬に感激し、大事に思うと。
shantiでした。