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from: shantiさん
2006年07月22日 16時17分23秒
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頭立ちのポーズ
こんにちは。
おみゃーさん、メッセージ有難うございます。
示されたHPを見せて戴きましたが、綺麗なポーズは載っていましたが、そこでの教え方のポイントとかは載っていなかったように思うので(英語だから見過ごしたかもしれませんが(^_^;)、何処をどうとか言い辛いのですが。
> 頭立ちのポーズで、頭をつけずに前腕で身体をささえようとしても2〜3秒で崩れて頭が付いてしまいます。
頭はつけて戴いていいですよ。頭をずっと浮かしていることが出来たらそれこそ物凄いコントロールがいると思います。 頭はつけているのですが、体重がずしっと頭だけにかからないということです。 体重がかかると、仰っているように首の骨がぐっと上下から抑えられるような感じがします。 体重のほとんどは前腕で支えています。 肘の間隔が広がっていないか確認して下さい。 私はたまに肘の間隔を測っても、手を組んだときに多少広がっているような感じがするときがあるので、また組み直すことがよくあります。 肘が広がると辛いですね。 それと、頭の後ろだけを手で支えるだけでなく、“気持ち”頭を手に乗っけて頭を手で覆うようにするとちょっと楽になります。
取りあえず、質問だったので書いてしまいましたが、お一人でされるといくらおみゃーさんが頭立ちができると言ってもとても危険だと思います(頭や首のことなんで特に)。 私達が側にいられればいいのですが、そうでないので、おみゃーさんが習われた通りにされている方がいいかもしれません。 慣れているほうがいいでしょうし。
ただ、こういう考え方で、頭に体重を乗せるのはよくないと昔のヨガは言ってたんだな、という程度でも構いませんので。
それと、前にも書きましたが、昔の人は頭立ちで気の遠くなるような長い時間、しかも毎日されていたようですが、それは今の時代では止めた方がいいそうです。 せめてやって30秒。
確かにこのポーズは他にたくさんあるアーサナーの王と呼ばれているようで、呼吸法やスーリヤナマスカー(太陽礼拝)の次、すべてのアーサナーの最初にやる、とても効果のあるアーサナーらしいですが、すべての血液、体液が脳の方にさーっと上っていきます。
人の体やこの世のすべてのものは5つの要素から出来ていると昔のインドの考え方では言われていますが、その要素、大地や水や空気...今はすべて汚れている時代です。 そしてそんな中で生きている現代の私達の体も残念ながら汚れているのです。 綺麗でない血液や体液を脳に過度に送り込んでいくことにより、汚れたものが脳に溜まっていって何十年か後にはその影響が出てきてしまうというのです。
色々な本には確かに、最初は15秒ぐらいで徐々に時間を増やして5分とか10分とか書いてありますが、以上のような理由でそんなに長くやらないほうがいいらしいです。
また、これを読まれた方で、“頭立ち? そんなの雲の上、前屈もだめなのに”、と思っておられる方は、頭立ちができないとヨガじゃないと思われればそれは間違いなんで(確かに出来ると、カッコイイかもしれませんが)。 それは今までずっと書いてきた理由からです。 頭立ちができなくてもウサギのポーズで十分ですから。
長々と書いたわりに、満足のいくお答えになっていなかったらすみません。 また出直して考えますので、いつでもメッセージ下さいね。
コメント: 全2件
from: おみゃーさん
2006年07月22日 23時16分22秒
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「Re:頭立ちのポーズ」
shantiさん、こんにちは。
例のサイトの画像はアーサナの説明によく利用されているところなので私も使ってみただけです。(あんなにかっこよくできたらいいですね)
そこで見つけた画像にこんなのがあります。
http://de.ashtangayoga.info/asana-vinyasa/intermediate-series/19-Pincha-Mayurasana.html
http://de.ashtangayoga.info/asana-vinyasa/advanced-b-series/05-Vrischikasana-A.html
もう、ここまでできたら中国雑伎団です(笑)
私も初心者レベルなのでまだまだ練習が必要です。
私が教えてもらった方法は「何百回も転んで下さい」です(笑)
なので少しでも上手になるヒントがもらえるならと思って質問させてもらいました。
肘の間隔が広がると確かに辛いですね。
アシュタンガヨガではシルシアーサナで25カウント、その後、足を床と平行になるまで降ろして10カウントします。1カウントで1呼吸しますから確実に30秒以上になります。
そうそう、アシュタンガヨガではこのアーサナはフィニッシングなんですよ。
その理由は一連のアーサナが人生そのものを表しているからだそうです。
日の出とともに起き出して、日の入りで眠りにつく。
太陽礼拝で誕生を迎えて、シャバアーサナ(屍のポーズ)で死を迎える。
その死に向かうときに余分な汚れを残すことなく浄化して死に向かう。
最初に行うのかフィニッシングとして行うのかは考え方の違いですね。
浄化作用という目的は同じなのでどちらがいいかは教えてもらう先生に合わせるというくらい柔軟に考えた方がいいのかな。
あ、ちなみに私はウサギのポーズがどんなものかわかりません(^^;
またいろいろ教えて下さいね。
from: shantiさん
2006年07月23日 02時09分46秒
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「ヨガの心(?)」
おみゃーさん、こんにちは。
画像有難うございます。 すごいですね。 それと、よくあるおへそ丸出しのお姉さんがモデルじゃない所がいいです。 顔が真っ赤なのがちょと痛々しいですが。
> 浄化作用という目的は同じなのでどちらがいいかは教えてもらう先生に合わせるというくらい柔軟に考えた方がいいのかな。
私はそう思います。 同じアーサナーの名前なのに、本によってポーズが多少違っていたり、以前にも書いたのですが、スーリヤナマスカーも教える先生や習った学校によって多少違います。 また、おみゃーさんが習っていらっしゃるようにそれぞれの動きのカウント数を決めているのもあります。 体のポーズを何よりも重視し、呼吸法は体がきちっとコントロールできてからするものだという考えの下で、プラナーヤマ(呼吸法)は2,3年じっくりアーサナーをした後で初めてするというところもあります。
すべて元は同じで、パタンジャリさんのヨガの教科書が基本だそうです。 色々な先生がそれを実践される中で、それぞれ付け加えられたり、その一部分を特に重視したりしてきたようです。 インドで見る本ではどんなエライ人もパタンジャリさんのアシュタンガヨガの8つのステップについて触れています(日本ではあまり触れられていないんじゃないかと思うのですが)。
話はちょっとおみゃーさんの言われたこととは飛んじゃいますが、私としては、ここのヨガが正しくてあそこのヨガは間違っているという考え方はよくないと思っています。
勿論、ヨガの本質から外れたものや、明らかに体にとって危険な間違った教え方などは指摘されるべきだとは思いますが。
ヨガでは、「皆繋がっている(正確には宇宙エネルギーの一部だから皆同じという考え方ですが)」、という考え方、「いたわりの気持ち」が基本なのに、そのヨガをしている人たちが批判しあってはいけないと思います。
インドの考え方は到達点に行き着く道はひとつではない、という考え方です。 色々な道があってそれぞれが選択権を持っています。 でも、行き着く先は同じなのです。 同じ道を歩かない者は異端者だということはないのです。 大きな目標があるのに、小さなことで主張しあっても、ね、って感じです。
おみゃーさんの文脈からほんとに飛んじゃいましたね。 スミマセン。
> あ、ちなみに私はウサギのポーズがどんなものかわかりません
サンスクリット語では「シャシャカアーサナー」と言うそうです。 私も初めわかりませんでした。 リラックスする「チャイルドポーズ」と似ています。 アーサナーはホントにいっぱいあるので、別に知らない名前のアーサナーが出てきても気にすることはないと思いますよ。 バリエーションがいっぱいだし。
何よりも、アーサナーはヨガのほんの一部みたいですし。
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