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from: shantiさん
2011年02月15日 04時30分38秒
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世話になるのは良くない事か?
こんにちは、みなさん。 お久しぶりです。
いきなりですが、ヨガでは「つながり」を大事にします。
つながり...人と人、人と自然、そして自分の内のつながり。
ところが、
今の社会を見ると
学校崩壊、いじめ、社会不適応、家庭崩壊、老人の孤立、自殺、自然破壊....
他人同士だけでなく、家族間のつながりさえちぎれ、自分の中でも心と言葉と体がばらばらになってしまっています。
物があふれ、ニューモデルの電子機器や家電製品が話題をさらう中で、どうして心が寂しい人が増え、社会が荒涼となってしまったのでしょう?
それは、私たちはこの世に生きている以上、「支え合っている」と言うことを忘れてしまっているからではないでしょうか?
「支え合う」ということは当たり前ですが、「支えるもの」と「支えられるもの」がいて初めて成り立ちます。
これが成り立たない理由の一つに、
生きているということは、
何かに「支えられている」「世話になっている」という意識を欠いていることがあるのではないかと思います。
子供のころよく「自分は誰の世話にもなっていない!」と叫ぶことがあります。
が、着る物も食べるものも、寝るところも、吸っている空気も浴びている太陽も....すべて何かの世話になっているからこそ今の自分があるのです。
それを忘れてしまっていることから、私たちは「感謝する心」を持てなくなっています。
もうひとつは「支えられたくない」=「干渉されたくない」という意識です。
“プライバシー"は大事ですが行き過ぎた結果、良い意味の個人主義ではなく“バラバラ感”だけが残っているような感じがします。
誰の世話にもなりたくない、と言って保護の手を蹴って孤独死されるご高齢の方もいらっしゃるでしょう。
しかしこれなどは、地域や家族が本当の意味で支え合い、世話をし、世話をされ、が当たり前だった時代にはほとんど問題にならなかったことではないでしょうか?
うれしいことも悲しいことも苦しいことも共有できる環境がそこにはあったのではないでしょうか?
今の時代、よその子を叱ればその親ににらまれる時代です.....。
「世話になる」ということを受け入れることはある意味、「エゴのない状態」ではないかと思うのです。
生活が豊かになるにつれて、私たちは自然と切り離され、他人とも切り離されつつあります。
こんなしんどい時代だからこそ、ヨガを通じて人と人とのつながり、人と自然とのつながりを大切に考え、
一人、とんがって生きるのではなく、そのつながりの中に身を委ねて楽になることも大切なんじゃないかな、と思った次第です。
shantiのまたまた長い独り言でした。
読んで下さって有難うございます。
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