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from: shantiさん
2010年11月30日 00時43分00秒
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本来のものを見極める目
皆さん、こんにちは。最近“伝統にとらわれず”とか“進化”とか言う言葉が踊っているようですが、ヨガはやはり、伝統のエネルギー中にあるものだと思います。そ
皆さん、こんにちは。
最近“伝統にとらわれず”とか“進化”とか言う言葉が踊っているようですが、ヨガはやはり、伝統のエネルギー中にあるものだと思います。
そういうことが何となく理解できる年齢になったのかもしれませんが^_^;
yuicさん、充実した時間が持てて良かったですね。
エネルギーのつながりが感じられたのなら嬉しいです。
そうですね、先生が偉大かどうかは実際に会って師事を受けて何年かしてからわかることかもしれませんね(*^_^*)
さて、この世の中のことをヨガでは「まやかしの世界」と言っています。
いろんな飾り物がぎらぎらしすぎていて、本来のものが見えなくなってしまっている時代。
そして、それらに振り回されて、常に不安を感じる自分がいたりします。
“マトリックス”と言う映画がありました。
日本で何度か1作目をテレビでやっていましたが、わけがわからなくて余り好きではありませんでした。
最終作でしょうか、偶然エンディングだけインドのテレビで見ました。 そのまま流し続けているとなんとインドのマントラが延々流れているではありませんか。
びっくりしました。
そして1作目を思い出しました。
主人公が本来の自分に目覚め、自分が過ごしていた町に連れて行ってもらっているとき、「この今の世界はまやかしだ。 皆楽しんでいるけれど、うその世界だ」みたいなせりふが確かありました。
ヨガの勉強をしていて、
「この世がまやかしの世界」と言う考え方がイマイチわからなかった私はなんだか、ゾクっとしました。
このお話をクヌールでして、帰国後マトリックスを全部見直した、と言う生徒さんもいらっしゃいました。
やはり以前は好きではなかったけれど、感じたものがあったようです。
私も機会があったら是非もう一度ちゃんと見たいと思っています。
写真はインドのジャノメチョウ。
鳥が蛇の目と間違えて食べられないようにするカモフラージュとか。
これも「まやかし」ですね。
shantiでした。 -
from: shantiさん
2010年11月25日 01時56分32秒
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「許す」ということ:ヨガへの第1ステップ(アシュタンガヨガ)
こんにちは、皆さん。実はヨガはポーズが出来たら達成した、ではないのです。ヨガのゴールに向かうための8つのステップについて“パタンジャリ”と言うインドの
こんにちは、皆さん。
実はヨガはポーズが出来たら達成した、ではないのです。
ヨガのゴールに向かうための8つのステップについて“パタンジャリ”と言うインドの人がまとめています。
「8」をサンスクリット語で「アシュタ」、「ステップ」「部門」のことをサンスクリット語で「アンガ」というそうです。
だからこの8ステップを踏んでいくヨガのことを「アシュタンガヨガ」と言います。
ごめんなさい。 今流行の動きを続ける新しいアシュタンガヨガとは違いますm(__)m
このヨガは数あるヨガの中でも王道のヨガと言われ、別名「ラージャヨガ」とも言われています。 「ラージャ」は「王」という意味です。
インドのヨガではポーズや瞑想をする以前にまず、心をきれいにするように言っています。
それには、何事も過度になり過ぎないように自分をコントロールすること。
五感の面でも、情緒の面でも。
実は以前もそれらについて書いたことがあるのですが、
それをサンスクリット語で「ヤマ」そして「ニヤマ」と言います。
なんかへんな単語のように思えますね。
8段階の1つ目に「ヤマ」と言うものを位置づけています。
「ヤマ」は“社会における自分”のコントロールです。
「ヤマ」の中には5つあります。
一つ目が「アヒンサ」と言います。
多くの本には「非暴力」と書かれてあるようです。
そして、それでおしまいのものが多いです。
力を振るう=相手に威圧感を与える、相手を不快にする。
これは何も“他人に手を出すな”、と言うだけではないのです。
「思い」「言葉」「行動」全てにおいて攻撃的な事、暴力的な事を慎もう、と言うのがアヒンサです。
実は「アヒンサ」の説明はこれで終わりではありません。
「アヒンサ」のもう一つの大きな意味。
それは、「許すこと」。
インドをイギリスからの独立に導いたマハトマ・ガンジーは「非暴力主義」で有名な人ですが、彼は「弱いものほど許すことが出来ない。」と言う言葉を残しているそうです。
反論の声も出そうです...。 憎んだ相手は立ち上がれなくなるまでボコボコにするべきだ、という考えもあるでしょう。 相手をボコボコニしたほうが強いのだ、と。
が、ガンジーはさらにこう言ったそうです。「許すと言うことは強さの証だ」。
この強さは勿論腕力や弁が立つ、という意味の強さではなく、“意志の強さ”です。
この「許す」と言う行為は他人に対してのみなされる行為ではないようです。
「ヨガ」はポーズを取るにしても、呼吸法をするにしても、実はそれらを通して“自分を見つめていく”という作業をしていくのです。
(これも「え?」っていう感じですよね^_^;)
そして、その過程で自分に対する暴力も発見していきます。 自分に対する暴力(暴飲暴食。乱れた生活習慣。自分をおとしめる考え方など)を無くすように努力します。
そして、自分を見つめていく中で自分の良くない部分を否定するのではなく、それも自分の一部だと認め、許していくのです。
悪い部分の無い人なんていないと思います。
自分のいやな部分を闇に葬り目をつぶっている限り、自分を高めることは出来ないんじゃないかな、と。
「アヒンサ」という一言はこんなに大きな広がりを持っているのです。
そして、「アヒンサ」は対象が人間だけではなく、この世に存在する全てのものが対象です。
「アヒンサ」を実践しようと心がけている人の出す「気」は当然柔らかく優しくなっていきます。
とげとげしさがなく、そういう人の側にいるだけでほっとします。 昔のヨギの絵などに動物がいっぱい集まっているのはそれの現われだそうです。
......ヨガの第1段階の一つ目の項目でもはやつまずいているshantiです^_^;。
でも、こけても又立ち上がって歩いていきますから!(^^♪from: shantiさん
2010年11月28日 14時50分50秒
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「初めまして」yuicさん、こんにちは。このサークル、今はニュースレター型が多い形式ですが、たまにコミュニティ型にします。メッセージ有難うございます。
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from: shantiさん
2010年11月11日 13時32分10秒
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「今の自分」への感謝・感動
皆さん、こんにちは。昨年末又今年に入って生徒さんたちに生まれたお子さんの写真が2枚続いて届きました(^^♪階段を登るようになった!3歩歩いた!小さな子
皆さん、こんにちは。
昨年末又今年に入って生徒さんたちに生まれたお子さんの写真が2枚続いて届きました(^^♪
階段を登るようになった!
3歩歩いた!
小さな子の成長は速く、モノが見えてる、首が据わった、歯が見えてきた....と感動の連続ですよね。
真っ暗で、でも温かい子宮から出てきてオギャアと泣いた瞬間から肺での呼吸が始まり...。
小さな感動を周りに広げながら赤ちゃんがどんどん成長していく...。
でも、大きく成長してしまうと
息が出来ること、足が使えること、歯で物が噛めることがあまりにも当たり前になってしまって、
自分に対してもわが子に対しても、そして他人に対しても大事な事を見失った状態で接してしまいます。
人として生まれ、人として生きることがどれだけ、大変で大事な事なのか。
あかちゃんが一歩歩いた時の感動がどんなに大きなものか、
何か新しいことが出来たのを見たときの大きな嬉しさを、
間近かに赤ちゃんを見たご経験のある方も、そうでない方も改めて考えられると良いな、と送られた写真を見て思いました。
自分も同じ道を歩んで今に至っています。
自分の身体・心、大事に大事に。
shantiでした。 -
from: shantiさん
2010年11月05日 14時52分15秒
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自分の“内なる光”に気づくインドの祭り;「ディワリ」
こんにちは、皆さん。インドでは「ディワリ」という「光の祭り」で賑やかです。ディワリ(Diwali)はディパヴァリ(Deepavali)とも言い、その意
こんにちは、皆さん。
インドでは「ディワリ」という「光の祭り」で賑やかです。
ディワリ(Diwali)はディパヴァリ(Deepavali)とも言い、その意味は「ランプの列」。
数年前にもディワリについて少し書かせて頂いたことがあります。
今は爆竹や花火を打ち鳴らし、すっかりお祭り騒ぎのうるさいフェスティバルになってしまいましたが、
本来はこの時期、油のランプを灯し、玄関口に置いたりするそうです。
また、家の中でもランプをつけます。
とても美しく静かなお祭りだったそうです。
光=命=良いエネルギー
灯りをともすことは善が悪に打ち勝つことも意味するそうです。
また、灯りをともすことで富と繁栄の神様「ラクシュミ」(日本では吉祥天)が迷わず来て頂ける様にする意味があるとか。
が、もっと大事なこのお祭りの意味は
「自分の内なる光に気づくこと」。
自分の中にある「善の部分」「良いエネルギー」「魂」を省みること。
日ごろ私達はファッションやお金、地位、仕事、人の目に振り回されています。
そして、たとえヨガの生徒は勿論、先生であっても
それらを無視できず、表面的なものに気を取られ、それを手に入れることで満足てしまうことも^_^;
どんな高価な服もそのうち、汚れ、流行おくれになり、
お金はいつまでも抱えて持っていられるわけではなく、
人の自分を見る目はころころ変わり、
今の地位や仕事にしがみついてもそれが永遠に続くわけでもなく.....。
インドのこのディワリフェスティバル、
外の世界ばかりに気がとられ、
自分の内を見つめることをおろそかにしている私達に与えられた良い機会と捉えるべきでしょうね。
このサークルを読んで頂いていらっしゃる方も
ディワリのことをご存じない方がほとんどと思います。
お月様の出ない今夜(ごめんなさい、新月は明晩!m(__)m)、
15分でも静かに座れる自分の時間を見つけてみましょうか。
瞑想なんて考えなくても、自分の心や身体に愛や感謝の気持ちをいっぱいあげて下さい。
身体や心はきっと応えてくれます。
ハッピーディワリ!
shantiでした。
from: yuicさん
2010年11月29日 10時15分58秒
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「Re:初めまして」ブラウンにアタックなんて勇敢ですね。素晴らしい場所なのでしょう。ハタヨーガティーチャーの授業を受けました。21時間の授業でしたが、