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from: けっちゃんさん
2006年10月18日 19時26分26秒
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人物画
1979年10月号の(月刊ボザール)の中の一節。「ヨーロッパ美術の伝統的な人物画の作画方法をみるならば、実際のモデルを終始目の前に置いて描くのではなく
1979年10月号の(月刊ボザール)の中の一節。
「ヨーロッパ美術の伝統的な人物画の作画方法をみるならば、実際のモデルを終始目の前に置いて描くのではなく、最初におびただしい数のエスキースを描き、対象を研究し、モデルをはなれ自己のイメージを投入して制作するのが理想的であったようだ。」
ボザールの表紙の人物(里見勝蔵)を描きました。
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from: jun_zoさん
2006年10月22日 19時11分22秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:人物画」
![](/_images/archive/d0009T7VOMUQ9CP70C73D4VM0TOACPJPHA1QE2G2VM1M3QU3C0PMTC2/large)
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> 下は川柳のサークルに投稿したものです
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洋ナシというと、エリック・サティを思い出しますね。
ダダ運動の中心的な役割を果たし、音楽だけではなく
その後の芸術活動に広範な影響を及ぼしたことで知られるサティ。その彼が作った曲に「梨の形をした3つの小曲(1903年作曲)」があります。
一説によれば、印象派のドビュッシーがサティの曲に対して、かたちがないというような趣旨の批判をし、それに反発して作った曲だとか・・。
「梨の形・・」というのだから、形はあるのだと。洋ナシというのは、頭が小さいので、間抜けといった隠喩もあるとの話。サティのユーモアが感じられますね。
この曲が作られた1903年といえば、日露戦争の前年。日本は富国強兵、和魂洋才の時代。日本では、浅井忠らに集約される初期洋画に代わって黒田清輝ら白馬会の勢力が台頭、さらにその外光派を押しのけるように形体追究、デッサン重視の中村不折などの欧州の歴史画的な作風が幅を利かせていた時代。
やがて、1910年に高村光太郎が「緑の太陽」を発表。反官展の芸術運動が在野に急拡大していった・・・といことのようです。
では、私たちの「いま」をどう考えるか・・。
どのように座標軸を据えればよいのか・・。
芸術、絵画表現は行き詰ってしまったのでしょうか・・。
非常に興味深く、かつ難しいテーマ。
みなさんは、どうお考えになるでしょうか。
・・すみません。長文になってしまいました。
下は、かぼちゃを水彩で描きました。これはまだ途中で、このあとまた描き足しています。
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