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  • from: ブルームーンさん

    2007年11月25日 07時42分15秒

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    小樽から野口雨情「赤い靴」の女の子「きみちゃん」のお話し

    北海道新聞11・24の報道によると、所縁ある小樽において、野口雨情の「赤い靴」のブロンズ像と合唱団の歌の披露がありました。
    以下、同新聞記事からの『抜粋』です。

    『【小樽】野口雨情の童謡「赤い靴」の女の子のモデルとされる岩崎きみ(一九○二-一一年)を囲むブロンズ製の親子三人像が完成し、二十三日、小樽運河北端の運河公園で除幕式が行われた。
     高さ八十五センチの像がお目見えした。笑顔のきみを、母かよ、夫の鈴木志郎がやさしく見つめている。
     台座の説明板には、きみが米国に渡ることなく孤児院で病死したことや、かよらが小樽に住み、雨情と会って「赤い靴」が生まれた経緯などが記されている。』

    この記事をよんで、改めて「赤い靴」を思い返そうと、googleしました。
    そうして検索記事を読んで、朝から涙で目が潤んでしまったのです。
    当時、このように経済的事情から親元を旅立った子供たちは、おそらく沢山いたに違いありません。
    「今、私たちの幸せを心から喜び感謝しなければならないと思います。」の言葉に、生前の母親の、同じことを言っていた言葉が重なって、心に残る『小樽発』のお話しでした。
    赤い靴のgooleトップ記事⇒
    http://jin3.jp/kimi/kimi.html

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コメント: 全5件

from: hanikamiさん

2007年11月25日 22時25分16秒

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「Re:Re:Re:小樽から野口雨情「赤い靴」の女の子「きみちゃん」のお話し」

ブルームーンさん、こんばんは〜。

> 父君は、ご壮健ですか。
> 私の父は、帰国後、抑留生活の過酷な背活のため体調を壊しがちで、67歳で20年前になくなりました。

お父様、お気の毒でしたね・・・

私の方は幸い父も母も元気一杯とはいえませんが、何とか生きてくれています。うれしい事です。

父はこの12月で満87歳。来年の正月に皆で集まった時、ささやかではありますが米寿の祝いをしようと姉と計画しています。

房州は気候が温暖なせいか、長寿の人が多いんですよ〜。
(温暖な気候の中でのんびり育つから、房州人はアバラが1本少ないなんて事も言われますが・・・)

> このウランウデと、亡両親が過って住んでいた瀋陽(旧・奉天)を一度は訪れたいと思うのです。
>
> 旅する人の数だけ、旅する思いがあるのですね。

ご両親の思い出を辿る旅、実現できるといいですネ。

日本の過去の戦争を振り返りましても、今のイラク戦争や世界中で起こっている内戦の状況を考えましても、争いから真の平和は得られないと思うのです。
日本は二度と戦争という過ちを犯さないで欲しいと願うばかりです。

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from: ブルームーンさん

2007年11月25日 20時47分33秒

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「Re:Re:Re:小樽から野口雨情「赤い靴」の女の子「きみちゃん」のお話し」

旅する人の数だけ、旅する思いがあるのですね。

(続き)

写真は、亡父がシベリアから帰って来た時に着用していた外套です。

今では、貴重な資料となりました。

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from: ブルームーンさん

2007年11月25日 20時36分11秒

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「Re:Re:小樽から野口雨情「赤い靴」の女の子「きみちゃん」のお話し」

>
> 満州で終戦をむかえ、シベリアに抑留された父。
> 父は幸い港の労働だった為、火は使えないけれどこっそり魚などを食べれたらしいのですが、山中に連れて行かれた人達はそれは悲惨な生活を強いられたそうです。
> それでも私たちの想像を絶する暮らしだったのでしょう。
> 父の口からその時の話を聞いた事は一度もありません。話したくないのでしょう。
> この話は、亡くなった祖母から聞きました。
>

hanikamiさん、今晩は。
私の父も、バイカル湖の南東ウランウデ収容所で、昭和23年まで抑留生活をしていましたが、父君と同様、本人からは一言も当時のことを話すことはありませんでした。
すべて、亡母から聞いたのでした。

父君は、ご壮健ですか。
私の父は、帰国後、抑留生活の過酷な背活のため体調を壊しがちで、67歳で20年前になくなりました。

私は、厚生労働省がロシア政府から入手した、名前、出生年月日、身地、身長、病歴など、ロシア語で書かれた抑留者個人情報文書(ロシア語で15ページほど)を、昭和17年に交付申請し、交付を受けた後はロシア語の翻訳業者に翻訳文を作成してもらいました。

hanikamiさんも、父君の情報を望むのでしたら、厚生省社会・援護局へ交付申請されてはどうでしょうか。

援護局HP→http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/12/h1217-2.html

このウランウデと、亡両親が過って住んでいた瀋陽(旧・奉天)を一度は訪れたいと思うのです。

旅する人の数だけ、旅する思いがあるのですね。
 
(続く)

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from: hanikamiさん

2007年11月25日 19時52分00秒

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「Re:せっかくいただいた幸せですもの」
・・・とはいうものの、せっかく与えられた幸せですもの。
感謝しつつも多いに楽しまなくては!

やはり、色々な所を見てみたいです〜。

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from: hanikamiさん

2007年11月25日 13時14分50秒

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「Re:小樽から野口雨情「赤い靴」の女の子「きみちゃん」のお話し」
ブルームーンさん、こんにちは。

> 赤い靴のgooleトップ記事⇒
> http://jin3.jp/kimi/kimi.html

なんということでしょう・・・
悲しい歌だとは思っていました。
横浜の山下公園で「赤い靴はいてた女の子の像」も見た事があります。
でも、こんな悲しい現実があったなんて。

私は子供の頃の色々な事を忘れ、今の豊かさの上に胡座をかいて毎日を過ごしていたようです。

日本では生活できなくて、ブラジルに渡り蘭の栽培で成功し、50年経ってやっと日本に帰って来れるようになった遠い親戚の苦労話・・・

満州で終戦をむかえ、シベリアに抑留された父。
父は幸い港の労働だった為、火は使えないけれどこっそり魚などを食べれたらしいのですが、山中に連れて行かれた人達はそれは悲惨な生活を強いられたそうです。
それでも私たちの想像を絶する暮らしだったのでしょう。
父の口からその時の話を聞いた事は一度もありません。話したくないのでしょう。
この話は、亡くなった祖母から聞きました。

私の実家は兼業農家で、小学生の時父の転勤で2年ほど千葉市に住んだことがあります。
その頃千葉市はすでに給食になっていましたが、月に2回程ですかお弁当の日がありました。クラスに一人お弁当の時間になると部屋を抜け出す子がいました。
窓際の席の時、校庭の隅で先生がその子に新聞紙で包んだものを手渡しているのを見ました。たぶんサツマイモだと思います。農家で育った私はお弁当を持ってこれないという事にビックリしました。
終戦から20年も経っていた頃の事です。

>「今、私たちの幸せを心から喜び感謝しなければならないと思います。」

本当にその通りです。
改めて昔のことを思い起こさせてもらいました。
ありがとうございます。

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