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from: ぐら姐さん
2020/10/31 06:57:25
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ザヴィエルさん、
やはりそうでしたか。
ですよねー。
私は、野菜や果物を収穫して、その収穫したてを食べたいと思っていました。
これまで結構な数のアグリに泊まりましたが、①②③全部を満たすところはありませんでした。
さて、一番数多く訪れているアグリトゥーリズモは、ピエモンテのカネッリにあるアグリです。
初めて行ったのは、’06年の秋、2回目のアルバの白トリュフ祭りに行った時です。
初回のお宿探しが大変だったので、いい宿ないかなあ…と検索しているうちに、興味深いブログを見つけたのです。
在ウィーンの日本女性のブログで、アグリで美味しい白トリュフ料理をたらふくいただいていたのです。
お宿の人がとてもフレンドリーな様子で、是非泊まってみたいと思い、その方にメッセージを送り、アグリの名前と連絡先を教えていただいたのでした。
その年は現地3泊しかできない弾丸旅行でしたが、トリュフ祭りの当日はアルバに泊まり、その翌日から2泊をアグリにしました。
アルバのお宿は朝食をいただいてすぐにチェックアウト。
アグリのご主人が車で迎えに来てくれて、すぐにアグリに向かい(車で30分ぐらいだったように思います)、なんと朝食は済んでいるのに、食べる?と聞かれて少しいただいたのでした。
それがまあ、素朴なのですが、ここでしか味わえないジャムが出てきて。
1つ目が青トマト、2つ目がカボチャのジャムです。
どちらもそのままでは料理に向かないものを無駄にせずに美味しくいただけるよう工夫したものです。
これぞアグリ!とその時は心から感動したのでした。
朝のダイニングルーム。
朝のブドウ畑を散歩して、すっかり気に入ってしまったのでした。icon
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from: ザヴィエルさん
2020/10/30 17:04:01
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from: ぐら姐さん
2020/10/29 09:49:04
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誰がどう書いて私がそう感じたのか今となっては分かりませんが、アグリトゥーリズモを初めて知った頃は、
①農家のやっている宿
②収穫体験ができる
③農家の方々と共に食事ができる
そんな宿なのだと思っていました。
①については、ほぼ当たっています。
でも、中には多くの農場を経営している企業の運営する宿もあるようです。
②については、ほぼ無しです。一緒に収穫し、それを食卓に、というのを経験したことはありません。
③これもあまりありません。何度か経験はしていますが。
アグリには本当にいろんなタイプがあるので、ご自身でいろいろと情報を集めて、こんな宿がいいなあと思うところを見つけるのが良いかと。
昨日ロマーノおじちゃんのところのことを書きましたが、初めての時は奥さんのリタが不在で、子どもたちとは会いましたが、食事はロマーノおじちゃんと二人でした。
その後に泊まった時の写真がPCに入っていないものもあるので、次に泊まったルッカのアグリのことを書きます。
なんと、このサークルがスタートしたときの最初のコメントが、このアグリのことでした。
https://www.beach.jp/circleboard/ac48590/topic/1100026991960
ここには、’04年と’06年の2回行きました。
’06年の時のことはこちらに。
https://www.beach.jp/circleboard/ac48590/topic/1100039723998?sortList%5BsortType%5D=2
もう14年も経っているのでずいぶん変わっているかもと思いますが、機会があったら是非再訪したいと思います。
この宿は、農家としても宿としても大きなところではないのですが、その分農業に精を出すお父さんと子育てをしながら宿を切り盛りしているお母さんとぐっと近い関係で過ごせて楽しかったのです。
農家の宿の部屋ってどうよ?と思っていたら、とてもきれいにセンス良く整えられていて、イタリア人の美的感覚は一般市民にも備わっているのだと感服したものです。
この時には、ファクスではなく既にメールでのやり取りができる時代になっていました。
予約メールの返信に、食事を出すのは、ちゃんと公的機関の免許を取らないとならず、この宿はその免許を取得していないので食事は出せないということでしたが、最後の方に家族と同じものでよければ一緒に食べましょう、とありました。
望むところです。
彼らは英語があまりできないので、私を迎えることに不安があったようで、ご近所に住むフランス人でイタリア語はもちろん英語も中国語もできる女性を招待して共に食事をしようと考えたのでした。
確か、右側のカップルはフランス人だったような記憶が。
結局私はつたないイタリア語を話し、みんなでイタリア語で会話する楽しい食卓となったのでした。
お父さんが写っていないのは写真を撮った人だから。
なかなかイケメンの、働き者のお父さんでした。
お庭もきれいに整えられて。
昨年秋の旅行で久々にルッカを訪れましたが、まち歩きをのんびり楽しみたかったのと1泊だけだったので、まち中のB&Bに泊まり、ここには連絡をしませんでした。
またのんびり訪れたいと思います。icon
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from: ぐら姐さん
2020/10/28 11:19:15
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アグリトゥーリズモ( 私のイタリア、キラ星の思い出たち)
イタリアにアグリトゥーリズモ(以下アグリと略します)というものがあると知ったのは20年以上も前のことです。
多分何かの雑誌で見たのだろうと思います。
そのあともっと知りたくてアグリを取材した本を見つけて読み、そのうちの一つ、モンタルチーノ郊外のアグリに泊まったのが最初でした。
’98年の夏のことです。
インターネット予約が簡単にできる時代ではなく、ファクスを送ってやりとししていました。
そのときのことは、このサークルにも’09年に書きました。
フィルムで撮った写真をデジタルデータ化することができたからです。
https://www.beach.jp/circleboard/ac48590/topic/1100080119105?sortList%5BsortType%5D=2
とても楽しかったですが、何しろ当時はフィルムをけちり、自分や友人たちが写っている写真をとっていましたから、ここに載せられるものはもうほとんどありません。
その後’02年1月にチレント地方のアグリに滞在したのです。
そのときのことは、こちら。
https://www.beach.jp/circleboard/ac48590/topic/1100068799602?sortList%5BsortType%5D=2
ここは、交通の便が良いわけではありませんが駅まで車で迎えに来てくれるというので、予約をしたのでした。
暇な時期だったので、ご主人が車であちこち連れだしてくれて、とても楽しめました。
何より料理がしみじみ美味しくて、ここの家族は皆美味しいものが大好きな人たちなので、その後何度も通っています。
その間に私もここの人たちも皆年を重ね、小さかったお孫さんたちが今は大人になったり少年になったりし、銀行勤めだと言っていた長男がアグリを継ぎ、三男はピッツァ職人としてアメリカに行きたいと言っていたけれど、アメリカには行かずにミラノでグラフィックデザイナーとして働いたのちに故郷に戻り、ピッツァの店を始め、そしてご主人のロマーノおじちゃんはお爺ちゃんになり、昨年他界しました。
今日は、’07年夏の時(多分3回目)の写真を載せます。
在りし日のロマーノおじちゃんです。
キッチンも鍋類も、そしておじちゃんもみんな大きい!
ぼちぼちお昼なので、明日からこれまでに泊まったアグリのことについていろいろ書き、懐かしい写真を載せていきたいと思います。 -
from: ぐら姐さん
2020/10/27 09:28:09
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from: ぐら姐さん
2020/10/27 09:19:05
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from: ザヴィエルさん
2020/10/27 02:55:26
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from: ぐら姐さん
2020/10/26 10:20:48
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この時のシチリア旅行で途中合流した友人夫妻が、レンタカーを利用していたおかげで、私とnasakuraさんは、車でパレルモからタオルミーナまで、途中エンナに寄り道までして1日で楽に移動することができたのでしたが、タオルミーナ滞在中に、そのご夫妻の旦那様が是非とも訪れたいと思っていたサヴォカにも連れて行っていただいたのでした。
サヴォカは、40年以上も前の映画「ゴッドファーザー」のロケ地で、その旦那様はゴッドファーザーの大ファンだったのです。このご夫妻はいろいろな国を訪れている方たちなのですが、サヴォカに行きたいがために、この年の年末年始の行き先をシチリアに決めたのだそうで。
私一人では、行こうと考えることすらしないまちで、行ってみたらなかな楽しいまち歩きができたのでした。
映画に登場したバール。
見晴らしの良いところに作られた映画を撮っているコッポラ監督のシルエットを象ったもの。
まち外れにあるこれまたロケに使われた教会までの道のりも楽しいものでした。
そのときのことは、こちらに書きました。
https://www.beach.jp/circleboard/ac48590/topic/1100203551826?sortList%5BsortType%5D=2
イタリアって、自分に目的があって行ったまちでなくても、どこを訪れても歩いて楽しいんだ、とその時に思ったのでした。icon
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from: ぐら姐さん
2020/10/25 07:57:09
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from: ぐら姐さん
2020/10/24 07:34:19
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イタリアで何度も年越しをしてきましたが、初めての年越しは、ミラノでのことでした。
イタリアのことを何も知らない頃で、大晦日に外で普通に食事を摂ることがとても困難だということを初めて知ったのでした。
ドゥオーモ広場のカウントダウンをできれば、と思っていたのに、夕方からあちこちで爆竹が鳴り、TVのニュースで言葉は分からになりに、気を付けてというニュアンスのことを聞き、怖くて外には出られず、ホテルの部屋で友人たちとTVを見ながらささやかなカウントダウンをしたのでした。
それ以降、広場でのカウントダウンをしようとは思わず、レストランやお宿のチェノーネに参加することがほとんどでしたが、’16年に以前からの知人でしたが初めてイタリアで合流したご夫妻とnasakuraさんと一緒にタオルミーナで年越しをすることになりドゥオーモ前のカウントダウンに参加しました。
この広場です。
この小さな広場が人で埋まるのですが、爆竹が鳴るわけでもなく、しつらえられた小さなステージでアニマトーレ(盛り上げ係のようなもの)がいろいろ話し、音楽がかかって皆が踊ったり列車のようにつながって歩き回ったりして、賑やかながら怖い感じは全くなくて、楽しいカウントダウンでした。
みんなでカウントダウンするも、時計はまちまちなようでそろわないところがイタリアらしく。
それでも年明けとともに花火が打ち上げられ。
そうか、都会でのカウントダウンは怖いけど、地方の大きくないまちならカウントダウンを楽しめるのだわ、と改めて感じたのでした。
タオルミーナなら、また年越しに行きたい!
そう思っていましたが、次はいつになることか…
初日の出
新年のエトナ山も清々しくて心が洗われるようでした。icon