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from: ぐら姐さん
2024年02月29日 15時52分04秒
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ヴァッレ・ダオスタの2.は、クールマユールです。
昨日書いたように’98年にアオスタから日帰りで訪れました。
バスでクールマユールに到着
ロープウェイの乗り場近く
ロープウェイに乗ってHELBRONNERと言うところまで。モンテビアンコ(モンブランを見に行ったのですが、あいにく雲がかかっていて見えませんでした。
(日記には、帰りのバスからくっきり見えたとあります)
これは別の山(?)
ロープウェイが到着して降りたとたん、皆携帯電話を取り出して、
「チャーオ!今どこにいると思う?モンテビアンコが見えるところに来たんだよ~」と誰かしらに電話し始めました。
とても賑やかで、ああイタリアだわ~と感じたのでした。
展望台でお弁当を食べました。
確か、日本から持参のお湯を入れるとご飯ができるという山用の炊き込みご飯を持参してホテルで朝おにぎりを作って行ったのだったような。
ちょこっとだけそこらを歩きました。icon
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from: ぐら姐さん
2024年02月29日 15時10分10秒
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イタリア情報のトピックにコメントします。
このサークルにも’08年からメンバー(旅人しのちゃん)として参加してくださっていた(コメントはほとんどありませんが)写真家の篠利幸さんが、昨日永眠されましたことをご報告いたします。
篠さんの自己紹介文:
1977年に初めてイタリアを訪れて以来イタリアにぞっこん!元祖"イタリア好き"。著書には「トスカーナの青い空」(東京書籍)、「田園のイタリアへ!アグリトゥリズモの旅」(NTT出版)、「イタリア好き」(ソニーマガジンズ)「ヴェネツィア』(ダイアモンド社)などなど。イタリアワインも30社以上を日本に紹介の"ワイン好き"。イタリアのワイナリーやアグリツーリズモを巡るツアーの企画もやってます。
親切で誠実な方で、ピエモンテのカンティーナ見学の時にお世話になったり、日伊協会の写真セミナーでお世話になったり、ピエモンテのアグリトゥーリズモのご主人が来日したときの食事会でご一緒したり、昨年渋谷で写真展を行ったときの講演を聞きに行ったりもしました。
1月に入院したとFacebookに投稿があり、日々の状態をずっと投稿し続けていらして、私はただひたすら、ご回復を祈っていましたが、既に治療できる状態ではなかったようです…
本当に誠実で親切な方でした。
お世話になりました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
篠さんがこよなく愛したエリオ・フィリッピーノのカンティーナと畑です。icon
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from: ぐら姐さん
2024年02月29日 13時23分39秒
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IANUAさん、
そう言えば、バーリもよくそんなふうに言われますね。
>そのご友人氏はこの街は全員ンドランゲタ関係者だと吐き捨てるようにおっしゃっていました。一般の人たちは彼らのせいでひどい迷惑を被っているのでしょう。
そうなのでしょうね。
迷惑している人たちはたくさんいるのでしょうが、下手に反対運動などしたらたいへんなことになるのが見えているのでしょうし…
ロマ系の人たちの犯罪組織もあるのですね。
ロマの人たちは、反ロマ感情によって「家が借りられない」、「就職出来ない」などで生活に困窮し犯罪に走ると言った「差別の悪循環」に陥っているようですからね…
差別はしたくないですが、でも犯罪に遭わないように気を付けながら旅をしたいと思います。icon
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from: IANUAさん
2024年02月28日 23時34分08秒
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私もフィレンツェ在住時、バーリに行くと言ったら多くの人から真顔で「撃たれるよ」「危ないから行くな」「住民はみんなマフィア」など色々ひどいことを言われたことがあります。典型的な北部中部住民の南部に対する偏見でした。まさに映画Benvenuti al sud の、主人公がカンパーニアに赴任する際に防弾チョッキを着て泣きながら出発するシーンで描かれた通りです。
確かにレッジョはンドランゲタの本拠地で、レッジョなんて彼らの息のかかった者ばかりだと思います。でも外国人旅行者には関係ない話で、せいぜいチンピラから引ったくりに遭ったりするぐらいだと思います。住民が全員関係者ではないでしょうし。
そういえば、スティーロのホテルのオーナー氏の好意でご友人にジェラーチェへ連れて行っていただいたのですが、途中でロクリという海沿いのリゾート街のようなところを通りましたが、そのご友人氏はこの街は全員ンドランゲタ関係者だと吐き捨てるようにおっしゃっていました。一般の人たちは彼らのせいでひどい迷惑を被っているのでしょう。
最近「カザモニカ」というローマと近郊を支配する犯罪組織(なんとロマ系だそうです)のルポルタージュ本を読んだのですが、オスティアが彼らの本拠地の一つということを初めて知りました。のんきに泊まりに行って夜うろうろしてしまいました。知らないって怖いですね。でも特に治安が悪いという雰囲気はなかったので気がつきませんでした。icon
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from: ぐら姐さん
2024年02月28日 16時28分24秒
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マッチンさん、
お久しぶりです。
>二昔前に行きましたが、それを聞いた友人のイタリア人に呆れられました。危険とは知らずに。
市長、市会議員、市役所職員、警察官などがその筋の人だったと友人から聞きました。
今は安全になったのでしょうか?
今もそんなに変わらないのではないでしょうか。
というか、観光客には手を出さないのではないでしょうか。
(と勝手に思っています)
以前ローマでちょこっとホームステイした家の方に、この後どこに行くのかと訊かれ、ナポリだと答えたら、
あんな危ないところに!!止めた方がいいわ、と言われたので
行ったことがあるのか訊いたらNOでした。
その後ナポリには何度も行っていますが、バスの中で一瞬にして財布をすられたことはありますが、私の財布の入れた場所が悪かったと反省しています。
以前住んでいた横浜でも、よく行くエリアのすぐ近くにヤ〇ザの組事務所があったり、大好きだったカウンターバーで飲んでいて近くの方とお話して、その方が帰った後にバーテンダーさんが、今帰ったお客様からですと1杯届いて、バーテンダー氏によれば、近くにあるその筋の組の若頭だとかいうここともありました。
その筋の人はカタギの人間には事情がない限り手を出さないのだと思っています。
だから、多分ナポリでもレッジョでもパレルモでも、機会があれば気を付けつつ行くつもりです。icon
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from: マッチンさん
2024年02月28日 15時07分04秒
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from: ぐら姐さん
2024年02月28日 13時58分00秒
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ヴァッレダオスタの(小さな)まち
ヴァッレ・ダオスタ州には、'98年に1度だけ訪れたきりです。
行ったのはアオスタだけ。
日帰りでクールマユールとグラン・サンベルナール峠に行ったので、とりあえず
1.アオスタ
2.クールマユール
3.グラン・サンベルナール峠
と3つに分けて書きます。
この当時は、いつまで興味が湧いたところにどんどん行っちゃえ!という感じで行っていたし、コースを組むのにインターネットのサイトが充実していなかったので、ガイドブックを頼りに予定を組んでいました。
アオスタにはイプさんと2人で行きました。
いつもコースを組んでからフライトの予約をするのではなく、
休みを使えるだけぎりぎりの日数でフライトを予約してからスケジュールを組んでいたので、
この時はミラノから帰国するのに最終日のミラノ泊を除いてあと4泊をどうしようかと相談し、
アオスタに3泊して、その後バルバレスコに1泊だけすることにしたのでした。
アオスタでは、山歩きをしようと言うよりは山を見て楽しむ程度でいいかな、と。
1.のアオスタです。
フィルム写真をデータ化しているのでぼんやりした写真ですし、自分が入っている物ばかりでろくなのがないのですがご容赦を。
アオスタの駅。今はだいぶ変わったでしょうか。(何しろ26年も前)
その頃古代ローマに着いては何も知らなかったので、まちに残るローマの遺跡を見ても、へええ…2000年も前の…ぐらいにしか思わなかったのですが、まち中に古代ローマの遺跡がありました。
もうこれしか、無いのです。
あとは食事中に撮ったものだけで。
短いですが、とりあえず今日はこのぐらいで。 -
from: ぐら姐さん
2024年02月27日 15時03分19秒
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カラーブリアの6.は、レッジョ・ディ・カラーブリアです。
州都なので州都シリーズで書くべきなのでしょうが、5で終わってしまうのは寂しいのでざっと書いておくことにしました。
’18年夏に訪れました。
海岸線と平行に走るメインストリートを歩いていると交差点に差し掛かると海、そしてシチリア島が見えるのがなんだかわくわくしました。
メインストリートは思っていたより都会でびっくりでした。
クラシックなお店もありました。
国立考古学博物館の目玉は、1972年にリアーチェ沖の海底から発見されたブロンズ像2体です。
イオニア海の底に沈んでいるのが発見されてから四十年以上が経過し、
2013年の末ようやく本拠のレッジョ・ディ・カラーブリア国立考古学博物館に戻ってきたのです。
Uomo maturo(壮年の男)
こちらは、Giovane(若い男)
紺色のきれいなチンクエチェントが停まっていました。
海辺
ジェラート屋さん
とてもとても庶民的な(というより労働者のための)食堂がありました。
ちゃんと美味しくて、信じられないほど安くて、感動した店でした。icon
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from: ぐら姐さん
2024年02月24日 08時55分08秒
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カラーブリアの5.は、パオーラです。
今日からちょこっと出かけるので、あまり時間がありませんが、パオーラは乗り換えのために立ち寄っただけなので写真がちょっとでちょうどいいかかも。
パオーラはコゼンツァに行くのに通過しただけです。
'07年夏にソレントからシチリアまで行くときに、列車でただただ長い変化のない白いビーチを通過して、この辺りの海もきれいだなあと思ったのがパオーラの辺りでした。
’17年冬にコゼンツァに行くときに、パオーラからレジョナーレでコゼンツァに行く予定でしたが、列車はキャンセルされていて、代替のバスが出ると表示されていました。
窓口で確認すると、やはりバス。
どこから出るか訊いてみたら、地下通路を通って駅の裏にいきなさい、とのこと。
こういうことに表示が全くないのが、イタリアなのですよね。
駅には、バールだけじゃなくてターヴォラ・カルダ(出来合いの簡単な料理を温めて出してくれるような店)がありました。
30分ぐらい時間があったので、ズッキーニのパルミジャーナをいただきました。
こういうのを食べると南に来たなあと言う感じがします。
これとアランチーノ(写真無し)を食べて、駅の裏のバスが出るという場所に。
何もありません。
奥の柵の向こうはビーチ。冬なのでそそられませんでしたが。
Trenitaliaの人がいたので、どこから出るのですか?と訊いたら、
ここだよと言うだけ。ここから並ぶという目印もないのです。
でそこらに立って待っていたら次々と人が来て、バスがやってきたらぐちゃぐちゃっと固まってあちこちから横入りして乗り込み、
荷物をバスの下のトランクに入れいていた私は、ほぼ最後となったのでした。
これがイタリアですよね。
これだけのパオーラですが、夏に見た海は穏やかで澄んでいて、のんびりするのにいいかも、と思ったのでしたが、後にもっと南のトロペーアに魅力を感じてパオーラはいつも素通りしています。icon
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from: ぐら姐さん
2024年02月24日 06時54分30秒