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from: ぐら姐さん
2024/12/31 20:45:59
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from: くるめながさきさん
2024/12/31 15:24:41
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from: ぐら姐さん
2024/12/31 11:25:49
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トスカーナの40は、ロメーナです。
’14年3月に、トスカーナの山奥の、車無しで訪れるのは困難なところにあるロメーナとグロピーナのサン・ピエトロ教区教会2つを是非とも見てみたいと思い、運転ができる姉とペコさんを誘って訪れたのでした。
初日はフィレンツェに泊まり、翌日空港まで行って車を借りて出発し、1時間半ぐらいでロメーナのサン・ピエトロ教区教会に到着しました。
山の中にポツンと立っているのですが、道を隔てて駐車場があり、その上のほうに少し家もありました。
サン・ピエトロ教区教会に到着しました。
12世紀に半ばの建造です。
教会はお昼で一旦閉められてしまうことが多いので、とにかく中に入ることにしました。
この日は曇り時々小雨という生憎の天気でしたが、それでも中に入ると、外はなんて明るかったのだろうと思えるような暗さ。
でも、そのことで特別な、神聖な空間であることを感じさせられるのでした。
直に目が慣れて、見えるようになってきました。
早速、柱頭彫刻に引きつけられました。
祭壇は、とても簡素です。
この辺りに現代アートのアーティストたちが活動しているのでしょうか。
ここの雰囲気に合わせて制作しているような感じでした。
天井も素敵です。
正面扉から外を見てみました。
後陣を外から見ます。
本で見たように、離れたところから見てみたくて、少し歩きました。
晴れていたら、もう少し季節が進んでいたら、青空の下、花が咲く野原のなかの教会が見られたのでしょうけれど。
こればかりは仕方ないですね。
再び教会に戻り、少し下の方に下りてみました。
万が一再訪するチャンスがあったら、草木や花の美しいときに行ってみたいところでした。
これで、トスカーナの(小さな)まちは終了です。
ちょうと2024年が終わる日に重なりましたね。
どうぞよいお年をお迎えください。icon
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from: ぐら姐さん
2024/12/30 20:37:51
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トスカーナの39は、ルーフィナです。
そんな名前のまち、きいたことないわって思いますよね。
私も知りませんでした。
ルーフィナは、フィレンツェ郊外のまちで、以前toorakさんが食べに行ったお店で食べるため、’17年3月に食べたら歩いて帰れるところに宿を取って訪れたのです。
晩ご飯のために昼から行くのは早過ぎるので、まずはフィレンツェで昼ご飯を食べてから行きました。
電車に乗って、ルーフィナに着いたのが18:23。
宿に行く途中、Co-opがあったので少し買い物をして、宿の前に着いたのが19:00頃。
ルーフィナは、まったくの住宅街のまちで、検索してもホテルやB&Bはありませんでした。
やっとアッパルタメントが1軒だけみつかって、そこを予約したのです。
行ってみれば、そこは、日本で言うところのマンションの1区画で、ベルを押してみましたが、だれも出ません。
宿の人と連絡を取ってやっと部屋に入ったのですが、それが19:50。
店に20時で予約を入れていると言ったら、車で送ってくれました。
パンと
ぱりぱりのピッツァビアンカ
ここのパスタメニューは面白くて、
具(ソース)の種類を選び、パスタの種類を選ぶという、
組み合わせは、客の好み次第というものでした。
私のプリモは、乾燥茸とアスパラガスのタリアテッレ。
なおさんは、ラグーのスパゲッティ。
セコンドは、牛肉のグリル(日本で言うところのビーフステーキ)を二人で1皿。
焼き加減は、レアにしてもらいました。
コントルノには、マッシュルーム(ジャンボです)のフリット。
どれもシンプルな料理だけど、こうお腹が一杯になったので、ヴィン・サントをいただきました。
美味しくいただいのですが、料理としては普通ののものでした。
だから載せることもないのですが、翌朝ハプニングがありまして、まちの写真が一枚もないため、料理の写真を載せました。
アッパルタメントに入るときに散々待たされ、バタバタと店に行き、帰ったらなんだかくたびれて寝てしまい、恒例になっている部屋写真も撮り忘れ、自分たちでちょこちょこっと食べた朝食写真も撮らず、そしてそして、朝の散歩の写真は撮ったつもりだったのに、無いのです。
前夜、カメラのメモリーからPCに写真を取り込んで、そのままメモリーカードをPCに入れっぱなしでカメラにカードが入っていないかったのです!
私のおバカ~~~
実は、このあと事件があったのです。
二人でカメラのみ持参で散歩をしていたのですが、
私が買いたいものを見つけてしまい、お宿の前での待ち合わせをしてそこで別れ、
私は財布を取りに一旦宿に戻ったのです。
そしてまた店へ行き、買い物をして、少しだけまち散歩(とりあえずチェントロがあったのです)をして、お宿の前に戻ると・・・
なおさんが、聞いて聞いて、すっごく嫌なことがあったのよ、と次のような話をしてくれました。
散歩をしながら写真を撮っていると、車に乗ったお婆さんがやってきて、
婆「あなた、こんなところで何をしているの?」
な「散歩をしているだけです。」
婆「でも、写真を撮っていたでしょ。こんなところで写真を撮ってどうする気?」
な「私は旅行者で、風景写真を撮っているだけですよ。」
婆「おかしいじゃない、バッグももたずに。警察を呼ぶわよ。」
と言う感じの会話が交わされ、宿の前まで車で追いかけてきたそうなのです。
それは、嫌な出来事だったねえ、なんて言いながら部屋に戻り、荷物を持って、駅に向かっていたら、本当にパトカーがやってきて(もちろんサイレンは鳴らしてないですけど)呼び止められ、いわゆる職質をされてしまったのです。
このまちに何をしに来たか訊かれ、私たちは日本からの観光客で、このまちのリストランテで食べるために来て、貸し部屋に泊ったことを話しました。
警官が、写真を撮っていたというけど何を?と訊くので、なおさんが、カメラの画像を見せました。
どう見ても観光客が撮るような、街角の風景や教会の塔などで、「おお、いい写真だねえ」などと警官。
ここでとりあえず疑いは晴れたようですが、彼らの仕事としてパスポートを出せと言われ、名前やデータを控えられてしまいました。
時間がかかり、電車に乗り遅れるじゃないの!と言っても、彼らはどこ吹く風。
終わってから、電車に遅れるからパトカーで駅まで送ってほしいと言ったけど「それはできないよ。」と行ってしまいました。
最後の最後に非常に嫌な気分になったまちでしたが、イタリア在住の日本人の友人に言わせれば、
「実は田舎の町では結構あります。私自身はないですが、結構日本人から聞いたことあります。
イタリアは全国的に観光客には慣れていますが、やはり田舎の町では結構閉鎖的なところが多いんですよ。
ぐら姐さんの場合、本当に今までとてもラッキーだったんじゃないかと思います。
それに今はテロや、あと強盗&泥棒事件がイタリアの田舎町では本当に多いんです。
うちの近所の人たちも見慣れない人たちがいるとすぐにカラビニエーリを呼ぶので、
割とイタリアでは普通なんですよ。」
だそうで。
ルーフィナはまち写真があったとしても、魅力的な田舎町というわけでもなく、フィレンツェ近郊の普通のまちでした。icon
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from: ぐら姐さん
2024/12/29 19:40:03
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トスカーナの38は、ルッカです。
初めて行ったのは、’03年夏。
1泊だけしてちょこっとまち歩きを楽しみました。
ドゥオーモ
木が植えてあるグイニージの塔
塔の上
塔からの眺め
次に行ったのが、'04年10月。
弾丸ではなく5泊する日程が取れたので、ルッカに1泊、ミラノでアルバのトリュフ祭りに行く人たちと集合して1泊、アルバに1泊、ブラに1泊最後にミラノに1泊して帰ったのでした。
ルッカを訪れたのは、その前年ぐらいにテレビでルッカのオリーブ農園に滞在してオリーブの収穫を見学したり、搾りたてのオイルを食べるのを見て、10月なら見られるかも、とアグリトゥーリズモに予約を入れたのでした。
残念ながら、収穫は11月に入ってからなのよ、と言われ見たり味わったりするのは無理でしたが、宿の人たちがとてもいい人たちで、その時は泊まったのが私だけだったので、家族や、ご近所の方(宿のお母さんが外国人を迎えるのが初めてで、コミュニケーションが取れるか心配で英語や中国ができるお友達のフランス人を呼んだ)の方と一緒に食事を楽しみました。
本当に農家の家族経営でやっているこぢんまりしたいい宿でした。
この時は、ここに滞在しただけで旧市街はちょっと離れていたのでまち散歩はできませんでした。
3度目は、’05年9月、友人の夫とリヴォルノでレンタカーを借りてパルマまで行った時にルッカにも立ち寄ったのでした。
4度目が、’06年3月。
2度目のときの宿が気に入って、そこに滞在してルッカをゆっくり見てみたいと思って3泊しました。
その割には、日帰りでちょっと遠出したので、まちをつぶさに歩いたわけではないのですけれど。
宿は郊外にあり、この辺りを通る道は、ヴィーノ街道になっているのでした。
近くを流れる川の景色も長閑で、キラキラしていました。
この時は、まちのマグノリアの並木がきれいでした。
でもこの程度でした。
そして5度目が’19年10月。
なんと5度目にして初めてゆっくりとルッカのまち歩きをしました。
ドゥオーモの細部の美しさも目に入るようになりました。
ルッカのドゥオーモは、まちの守護聖人サン・マルティーノに捧げられた聖堂で6世紀にルッカの司教フレディアーノにより創建され、11世紀再建時に、聖遺物ヴォルト・サントが収められたのだそうです。
ファサードは13世紀初頭、ピサの洗礼堂の洗礼盤を作ったグイデット・ダ・コモの手によるものでピサの大聖堂の影響を受けつつ、ルッカ独特のロマネスク様式の要素が加わったそう。
内部は14世紀にゴシック様式に改装されたとのこと。
内部
つい調子に乗ってドゥオーモの写真をたくさん載せてしまいました。
まちの写真を載せますね。
クラシックな感じの床屋さん
翌朝、城壁の上を歩きました。
ルッカの城壁の上は幅が広く、あちこちから上り下りができるようになっていて、よい散歩道なのです。
城壁から眺めるまち
下りてまたまち歩き。
楕円形の広場、アンフィテアトロ広場に入ります。
アリーナであった広場と、その外周(観客席の部分)にある住居で構成されています。
でも、その楕円形が、イベントのテントで見えないようになってしまっていて。
建物の壁の曲がり具合で少しわかるでしょうか。
広場のすぐ近くにあるサン・フレディアーノ聖堂。
バールで朝食の熟年カップル。ワンちゃんが退屈そうでした。
サン・ミケーレ・イン・フォーロ教会
駅
2~3泊してゆっくりと散歩をしたり、座ってお茶を飲んだりしたいと思うまちです。icon
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from: ぐら姐さん
2024/12/28 09:05:53
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しばしのご無沙汰でした。
ちょこっと国内の旅をしてまいりました。
では、リヴォルノの続き、まち歩き写真を載せます。
朝食は8時からだというので、その前に港の方までまち散歩。
アル・テアトロ通り、すぐ近くにテアトロ(劇場)があります。
朝の人の少ないまちを歩くのは気持ちがいい。
シナゴーグがありました。
ここも、トリノのシナゴーグと同様、新しいです。
戦争で破壊された街だから当然と言えば当然。
港が見えてきました。
リヴォルノは、かつてメディチ家の港だったそうで、免税特区として貿易を行っていたそうです。
現在でも多数の海運業者の他に、造船所や、海軍大学校があるのだそうです。
私が歩いたエリアには、漁船がたくさんあるようでした。
この日の朝水揚げされた魚介は、もうすっかりどこかへ運ばれていったようで
片付けが終わったところです。
フォルテッツァ・ヴェッキアは16世紀に造られた要塞で、第二次世界大戦でダメージを受け、今もそのままの姿です。
夏にはこの中でコンサートなどいろいろな催し物が行われるのだとか。
サルデーニャへのフェリーも出ています。(これはどこから来たものか知りません)
こんな感じの店がいくつもありました。
PESCE FRESCO(鮮魚)と書いてあるけど、魚屋ならこの時間に開いているはず。
昼頃から、魚介を立ち食いできる店が開くのでしょうか。
ガイドブックに
「この街には見所はないが、素晴らしい市場がある」と書いてあったことを思い出し行ってみることにしました。
奥の方は、準備がかなり進み、開店しているところもあります。
魚屋も。
八百屋も
食材の数々を見てそそられつつも、駆け足旅行では何も買うわけには行かず...
でもここで我慢ができなくなりました。
こういうものなら、移動の途中でも、宿の中でも気軽に食べられますからね。
部屋に戻ってから撮った写真です。
さくらんぼ500g、ミディサイズのトマト700g、これで5.70€なんて申し訳ないぐらい。
でも、ガイドブックに載っていた市場ってここではなく、この奥の建物の中にあるのでした。
こちらが市場のある建物。
中の店も食材充実
イワシ料理だって手軽に作れそう。
オリーブオイルやヴィーノを量り売りしていました。
卵専門店
外に出れば、近くにチーズ屋。
そして見事なホールのパルミジャーノ。
あれ?まち歩き写真じゃなくて食品ばかりに…
見どころがあるわけではないですが、カッチュッコを食べることと、キッチン付きの部屋で食材を買って作って食べるのを楽しみに、1週間ぐらい滞在してみたいと思うまちでした。icon
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from: ぐら姐さん
2024/12/23 20:56:36
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from: コウチャンさん
2024/12/23 17:45:59
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from: ぐら姐さん
2024/12/23 10:45:04
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トスカーナの37は、リヴォルノです。
初めてリヴォルノの地を踏んだのは、'05年9月です。
この時は弾丸旅行で、友人の旦那様と一緒でした。
奥様である友人に
「うちのKちゃん(車大好き、運転超上手)連れて行ってくれない?イタリアで運転させてあげたいの」
と頼まれ、もちろん仲間内でのホームパーティでK氏とは親しかったし二人で旅行しても何もおかしな感じはありませんでしたので引き受けたのでした。
スヴェレートのアグリトゥーリズモを訪れ、そこからレンタカーを借りるためにリヴォルノのレンタカー屋に行きました。
それだけだったので写真は1枚もありません。
行ったと言えるのは、'11年5月。
このときもとても短い旅行でしたが、カンパーニアのプローチダ島からピエモンテのカネッリへの中移動の途中で、1泊だけしました。
リヴォルノはそれなりに大きな港町ですが、これと言った見所はありません。
でもこの町の名物料理CACCIUCCO(カッチュッコ)をテレビで観てしまい、食べてみたくてたまらなかったのです。
事前に調べていたカッチュッコのおいしいと言う店に前夜プローチダから予約の電話をしたら、なんと夜はやっていないとのこと。
でも前日から分かっていたので、店に行って閉まってたという悲惨な目には遭わずに済みました。
宿の人にカッチュッコを食べたいので美味しい店を教えてほしいと訊いてみたら、教えてくれたのがこのまちで一番いいホテルのレストランでした。
もともとカッチュッコは冬の料理であること、手間と時間がかかることがあって、5月にどこの店でも食べられるものではなかったのです。
港の前の道に面したホテル・グラン・ドゥーカのリストランテが見えてきました。
店に入ると、予約していますか?と聞かれ、満席か?とドキッとしましたが、席はありました。
今なら絶対に宿を出る前に電話するとか、宿の人に予約の電話をしてもらうのに、当時はまだ暢気でした。
メニューを見て、海老のサラダとカッチュッコをオーダー。
ヴィーノは、ハーフボトルでは絶対に足りないと思ったので、初めからフルボトルの白。
海老のサラダ
焼いたスカンピと普通の海老のゆでたもの(身の部分の殻は剥いてある)、そして殻を剥き粉をつけて挙げたものと3種類の海老が、それぞれに美味しい!
頭も最高に旨い!!!
スカンピの下に垣間見えるのは、小烏賊です。
さっと茹でてあって、中は生っぽくて、美味しかった~
カッチュッコが運ばれる前にこんなものが出てきました。
着けてみるとこんな感じ。
洋服を汚す心配をせず、がっつりと楽しめそうです。
ついにカッチュッコが私の前に運ばれてきました。
コッツェ(ムール貝)が巨大なので多くは見えないかもしれませんが、結構な量です。
はい。見かけは美味しそうではありません。
以前何回か料理を教わったシェフの「本当に美味しいものは美味しそうに見えないんですよね」という言葉が浮かんできました。
アップで。
CACCIUCCOにはCが5文字入っているから、5種類以上の魚介を入れることになっているのだとか。
今日のこの皿には、甲烏賊、蛸、シャコ、肉厚の白身魚の切り身、頭を落とした小型の魚、コッツェが入っていました。
甲烏賊の身が厚くて、蛸のあしがぶっとくて、どちらも柔らか〜く煮てあります。
スープにはその味がようく出ているけれど、身もとっても美味しい。
魚は、どちらもちょうどいい加減に火は入っていて、外側にはこの濃いスープ(というよりソース)がしっかり絡まっていますが、中はほっこりと白くて、出汁ガラになるほどは煮てありません。
どれを食べても美味しくて、大感動でした。
コッツェも出汁は出ているのに、身はぷっくりしていて。数もたくさん!
あ、1つだけ、シャコは出汁ガラ化していましたっけ。
でも見事にシャコの殻の出汁はスープに出ていました。
それから、皿の底に入っているパンが、スープを吸って美味しいことこの上ない。
大き目のが3切れほど入っていましたけど全部ペロリと平らげました。
ドルチェは、マチェドニアをオーダー。
こんなに美しく出てきました。
ジェラートが添えられ、器も焼き菓子になっていて、フルーツはどれも完熟のフレッシュなもの。
そして〆のカッフェにはクッキーも添えられて。
大大大満足で、さすがまち一番のホテルのリストランテだわ、と思ったのでした。
この町には、これを食べるためにまた行ってもいいなぁなんて思いつつもう19年も経ってしまいました。
今でも思い浮かべるだけで口中に唾液が溢れてきます。
次に行くなら、電話で断られた店のも食べてみたいなあ...
まち歩き写真は、また次回。icon
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from: ぐら姐さん
2024/12/22 10:51:08
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モンテプルチャーノの続きです。
'11年12月31日、tabikirinさんとモンテフォッローニコに行くときのちょこっと立ち寄りのときは、寒い日で、池が凍っていました。
でも、いい天気。
'14年12月に2泊したときは、初めてのときに立ち寄った銅の工房を訪れました。
チェノーネをいただいたので夜のまち歩きもしました。
ドゥオーモ広場のツリーの向こうでは山のように積まれた木が燃やされていました。
昼に見た時はもっと高く積み上げられていたのですけど、真夜中までに随分たくさん燃えたのですね。
ちょっとまちの外まで散歩。
'15年8月。毎度同じアッパルタメントです。
ドゥオーモにステージがつくられ、オペラの練習をしていました。
丘の上のまちなので眺めのいいところがたくさんあります。
それを座って眺められる場所もありました。(近くのバールがつくったのでしょう。営業時間外だったので勝手に座ってきました。
まちの中のカンティーナは、博物館のような雰囲気もあります。
試飲試食も充実していて。
これを最初に載せるべきだったでしょうか。
いくつかあるまちの入り口の門の1つ。
その外側には市も立ちます。
ああ、困りました。
もうそんなに何度もイタリアに行くことは無理でしょうから、次に行くときはプーリアには絶対、それにシチリアにも、カンパーニアにも、と思っていましたが、トスカーナにも行かずにはいられない気持ちになってきてしまいました…icon