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from: シニョレッリさん
2012年05月05日 14時43分31秒
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美術とオペラの旅 オペラ編(2)
4月10日、トリノのレージョ劇場でモーツアルトの「コジ・ファン・トゥッテ」を見ました。
レージョ劇場は、イタリアでお馴染みの馬蹄形ではなく、全席が舞台に向かっていると言う近代的な造りのオペラ座で、非常に見易いのが特徴です。
当日は「コジ」の初日で、レッドカーペットは無いものの、着飾った紳士淑女に加えて、大胆な衣装に身を包んだモデルさんも多数いて、オペラは社交の場であることを再認識させられました。ロビーでシャンパンが振る舞われ、私もその恩恵に浴しました。
大雨が降っていて、ロビーの床は傘の雨水で濡れて汚れていましたが、それを気にせず床に届いたロングドレスの女性たちがしゃなりしゃなりと歩いていました。クリーニングしても二度と使い物にはなるまい、と妙な考えが浮かんだのを覚えています。
予定より5分遅れて劇場内が暗くなりましたが、着席率は50%。暗くなって数分後、多分切れていたであろう指揮者クリストファー・フランクリンが憤然と指揮台に上って、観客席に一礼するや否や、直ぐに振り向いてタクトを振ってしまったのです。
序曲演奏中にも拘らず、お喋りをしながら特に急ぐでもなく、着席しようとする人が後を絶ちません。開演前の劇場からの注意「撮影禁止、フラッシュ厳禁」を無視して、カメラマンのフラッシュが凄かった。プレミエや「初日」に見ましたが、こんなのは初めて、ユニークな経験でした。
フェッランドのアンドリュー・ケネディは完全に怒っていましたね。
第二幕はこのオペラの特徴であるアンサンブルが非常に良く、印象に残りました。
この日のオペラを忘れることは一生ないと思います。-
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カヌ太郎、
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コメント: 全63件
from: シニョレッリさん
2012年08月03日 08時39分30秒
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「美術編(23) 番外4 タオルミーナ」
このサイトの更新が一日一回以上ないと寂しいとの私の独断と偏見から、少し頑張って書き込みます。
シラクーザからカターニャで乗り換えたバスは、バスターミナルに到着しました。
街の中心を貫くウンベルト通りの入り口、メッシーナ門です。
車が走行可能な道路が限られているのか、日中でも可なり渋滞していました。
4月なので海で泳ぐには早過ぎるので、絶景が楽しめるホテルに泊まりました。ホテルにはプールがあって、強烈な日差しの下、皮膚癌の心配は無用とばかりに日光浴を楽しむ人々がちらほら。
コルヴァヤ館には観光案内所の他に市立博物館が併設されていますが、美術ファンの私にとっては見るべきものが殆ど展示されていないのが残念です。
サン・パンクラツィオ教会ですが、芸術作品は無いようでした。
噴煙を上げるエトナ山は雪を抱いていました。
「風光明媚なタオルミーナ」と言う感じ。
「美しき島イソラ・ベッラ」です。
時間が無くなってきたので、今日はこの辺で。
from: シニョレッリさん
2012年08月02日 08時15分11秒
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「美術編(22) 番外3 フェッラーラ」
ボローニャから日帰りでフェッラーラに行きました。
ボローニャは氷雨が降る悪天でしたが、ボローニャからそれ程離れていないフェッラーラは夏を思わせる好天でした。
フェッラーラは、カール大帝の9世紀から続く名門エステ家の本拠地です。
エステ家は、兄脈のドイツ系、弟脈のイタリア系がありますが、兄脈は現在のイギリス王室に繋がっていると言われています。弟脈の方は、ベルギー王室にも血が繋がっている様です。
エステ家の居城だったエステンセ城で、イサベッラ・デステ、それにアルフォンソ1世に嫁いだ、有名なルクレツィア・ボルジアがここで過ごしました。
天井画など見所が多く、丹念に見ようとすると大変です。
城内に中世の大砲に使用された丸い石弾がありました。
カテドラーレ前にある、辺りを睥睨するサヴォナローラの像です。
カテドラーレのファサードです。
エステ家は名高いルネサンス期の文化後援者ですが、ここで発展したフェッラーラ派の画風に、私は何とも馴染めなくて、一時はフェッラーラが苦手でしたが何度か通ううちに、今ではルネサンス絵画史上に異彩を放つ、味のあるものだと認識出来るようになりました。
然し、顔を非常に個性的、且つ奇妙に描くグロテスクさに慣れるのは中々大変でしょうか?
カテドラーレ美術館にある、コズメ・トゥーラの「受胎告知」です。見難いかもしれませんが、聖母の表情がユニークです。
市庁舎です。
カテドラーレ広場です。
カテドラーレの横は二階建ての商店街になっています。
カテドラーレ美術館の方から市庁舎方向を撮りました。
サン・フランチェスコ教会です。(間違っているかも?)
フェッラーラ大学です。
国立美術館にはフェッラーラ派、ボローニャ派などの傑作が数多く展示されています。中でもガロファロ、ドッソ・ドッシの作品に魅了されました。
ボローニャに戻ると寒くて霧雨模様で、フェッラーラの好天が幻のように思えました。
フェッラーラの葡萄酒では苦い思い出があります。
10年以上前に初めてフェッラーラに行きましたが、その時もボローニャからの日帰りで、その夜はボローニャ歌劇場でオペラを観るので、夕食は時間的にトラットリアなどでは無理なので、ホテルの自室でという事にして、エノテカで「べニート・フェッラーラ」を偶然目にしたので、フェッラーラ産の葡萄酒とばかりに飛びついて買いました。
当時はイタリア産葡萄酒については殆ど無知でしたが、今考えると汗顔の至り!、顔から何とやらです。
そうです、ベニート・フェッラーラのグレーコ・ディ・トゥーフォでした。グレーコ・ディ・トゥーフォは中央カンパニア丘陵地帯で作られているDOCG(当時はDOCでしたが2003年にDOCGに昇格)で辛口の白で、今回の旅行中にぐら姐さんが楽しむ可能性がありそうな葡萄酒ですよね。ベニート・フェッラーラとは葡萄酒醸造元の名前でした。
from: シニョレッリさん
2012年08月01日 06時57分50秒
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「美術編(21) 番外2 ヴェローナ2」
私がヴェローナを訪れるのは、カステルヴェッキオの市立博物館に行くこととヴァルポリチェッラを楽しむことです。
カステルヴェッキオはスカラ家の要塞城として、14世紀中頃に建てられました。
ヴェローナ市立博物館は、市立としてはミラノ、パドヴァなどと並んで規模が大きく、彫刻や絵画などの展示が多いので、丹念に鑑賞しようとすると可なりの時間が必要です。
ヴェローナ生まれのパオロ・ヴェロネーゼの「死せるキリストへの哀悼」です。パオロはヴェネツィア派の代表的存在ですが、うんざりするくらいの多作で主要美術館では何処でも展示されており、署名入りなどの真作が約300点、帰属作品が約400点残っています。
カステルヴェッキオの城壁から撮ったアディジェ川に架かるスカリジェロ橋です。
博物館でのお気に入りはカルロ・クリヴェッリの「受難の聖母」ですが、Web Gallery of Artに画像がありません。
スカリジェロ橋から撮ったカステルヴェッキオです。
スカリジェッロ橋から撮ったアディジェ川です。
アディジェ川の流れは緩やかでした。
サンタナスターシア教会は、フレスコ、祭壇画の傑作ばかりですが、中でもピサネッロの「聖ゲオルギウスと王女」に感銘を受けました。
スカラ家廟ですが、以前内部に入ったことがありますが、今回は閉鎖されていました。
日本でも輸入されてお馴染みのアマローネですが、手頃な値段だったのでレストランで飲むことが出来ました。
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ぶらん2、
from: シニョレッリさん
2012年07月31日 07時31分58秒
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「碧い海が目に浮かびます」
ぐら姐さん
> 拍手もコメントもできます。
> ただね、昨日と今日のお宿は、部屋の受信状況がよくなくて、エレベーターホールのソファーで見ているのです。
> それでゆっくりと写真をアップして、というわけには行かないのです。
お元気で何よりです。
Wi-Fiはホテルによって受信状況、ホテルが委託した業者のネットワークセキュリティ設定などによって違うので、結構苦心しますよね。
> その中日の今日は、
> 船でポジターノまで行って、先日cocoさんにいかが?と書いた
> イル・サン・ピエトロにで食事をしてきました。
> それはそれは優雅な気分のランチタイムを過ごしてきましたよ。
> その写真はまたいずれ。
うわあ、羨ましい!
旅のレポート、楽しみです。
> 明日はいよいよトロペーアに移動します。
>
> 今日のお宿は、駅からまあまあ近いのと、
> 大きなお宿(あまり大きいところは好きではないのですけど)なので、
> プールがあるので、つなぎの2泊ならいいかと選んだ宿です。
> ポジターノから戻って火照った体をプールで冷ましてきました。
> これから着替えて晩ご飯です。
いいな、いいな、いいなあ!
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from: ぐら姐さん
2012年07月31日 01時45分30秒
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「Re:美術編(20) 番外1 ヴェローナ」
シニョレッリさん、
拍手もコメントもできます。
ただね、昨日と今日のお宿は、部屋の受信状況がよくなくて、エレベーターホールのソファーで見ているのです。
それでゆっくりと写真をアップして、というわけには行かないのです。
まだ旅の日程や同行者を決める前にトロペーアの宿を31日から4泊確保していたので、
ローマからの繋ぎにサレルノに2泊し、その中日の今日は、
船でポジターノまで行って、先日cocoさんにいかが?と書いた
イル・サン・ピエトロにで食事をしてきました。
それはそれは優雅な気分のランチタイムを過ごしてきましたよ。
その写真はまたいずれ。
明日はいよいよトロペーアに移動します。
今日のお宿は、駅からまあまあ近いのと、
大きなお宿(あまり大きいところは好きではないのですけど)なので、
プールがあるので、つなぎの2泊ならいいかと選んだ宿です。
ポジターノから戻って火照った体をプールで冷ましてきました。
これから着替えて晩ご飯です。
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from: シニョレッリさん
2012年07月30日 17時45分04秒
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「美術編(20) 番外1 ヴェローナ」
イタリアでこのサイトの閲覧は可能でしたが、書き込み、又は拍手しようとすると、多くのホテルからでは出来ませんでした。
ぐら姐さん、出来ますか?
ヴェローナ中央駅はヴェローナ・ポルタ・ヌオーヴァと言いますが、そのヌオーヴァ門です。
ヴェローナはミラノ〜ヴェネツィア間の幹線上にあるので、交通が便利。
ポルタ・ヌオーヴォ大通りを歩いて15分ほどでブラ広場に出ます。
アレーナから見える広場には多くの店があります。アレーナの野外オペラが有名ですが、もう一度見たいとは思いません。
市庁舎には高さ84メートルのランベルティの塔があります。
天気が良かったので、ランベルティの塔に上りました。上ることが出来る塔には、何処の街でも必ず上ります。
塔からの絶景が大きく広がっていました。
シニョーリ広場にあるスカラ家宮殿です。
市庁舎中庭から見た、有名なゴシック様式の階段です。
ジュリエッタの家にも行きました。ジュリエッタの像の右胸には触れたことがありません。
時間が無いので、今日はこの辺で失礼します。
from: ぐら姐さん
2012年07月14日 11時04分35秒
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「Re:美術編(19)シニョレッリ巡礼4 ウルビーノ」
シニョレッリさん、
ウルビーノは、曇天でもうんざりという感じはないですよ。
私も、大好きな街で、でも1度しか行っていないので、また行きたいと思っています。
ピエロの絵も、サン・ジョヴァンニとサン・ジュゼッペの二つの祈祷所のフレスコも、また観たい!
そのうち時間が出来たら、あのまちの大学のイタリア語のサマースクールに参加しようかと考えています。
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from: シニョレッリさん
2012年07月13日 10時49分46秒
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「美術編(19)シニョレッリ巡礼4 ウルビーノ」
先月にフィレンツェに行ったので、3月末からの旅は随分前に思えて今更ですが、暫しお付き合いをお願いします。
フィレンツェやアレッツォからウルビーノまでの距離は短いのですが、アレッツォからのバスはこの時期には運行しておらず、ボローニャ乗り換えでペーザロまで行き、ペーザロからバスでウルビーノに行きました。
以前、フィレンツェからレンタカーでアペニン山脈を越え、ウルビーノに行ったことがありますが、駐車場探しや旧市街のホテル(ラファエッロ)に行くのに、非常に難儀したことがあり、それに懲りて今回は車利用を考えませんでした。
ウルビーノは雨模様で肌寒く、昼でも薄暗くて人通りはまばらでした。
今では大学の街で、何時もは若者が多く活気がありますが、復活祭前とあって帰省した学生が多いと見え、閑散としていました。
美術ファンにとって、ウルビーノは必訪の地で、ラファエッロの生まれ故郷としてよりも、最近では特にピエロ・デッラ・フランチェスカ巡礼として訪れる人々が多い様に思います。
ドゥオーモにはバロッキの「最後の晩餐」があります。ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に行くと、「最後の晩餐」はレオナルドの作品しか存在しないと思っている方々が結構いて、驚嘆してしまいます。
ドゥオーモ前のサン・ドメニコ教会ファサードの彩釉テラコッタですが、私の勉強不足で誰の作品なのか分かりません。
ドゥオーモとドゥカーレ宮殿は一体化されて建てられている様で、境界がよく分かりませんが、ドゥオーモは18世紀後半から19世紀初頭にかけてネオクラシック様式に建て替えられてものなので、少しシックリしません。
お目当ては何と言っても国立マルケ美術館です。
ピエロ・デッラ・フランチェスカの「セニガッリアの聖母」です。画像はWeb Gallery of Artからの転載です。
ピエロの「キリストの鞭打ち」です。
ピエロの二つの作品は味わい深く、寂寥感に満ちて何度見ても感動するだけです。退館前にもう一度、この二作品だけが展示されている部屋に戻り、心行くまで鑑賞し直しました。
ルカ・シニョレッリですが、ピエロ・デッラ・フランチェスカの生まれ故郷であるボルゴ・サンセポクロでピエロに弟子入りした後、ウルビーノの移り、フェデリコ・モンテフェルトロ公に仕えましたが、当時ピエロもフェデリコ公に仕えていたので、恐らくウルビーノではピエロの助手として活躍していたと思います。
国立マルケ美術館にはシニョレッリの「十字架磔刑」と「聖霊降臨」の二作品がありますが、Web Gallery of Artに画像が無いので表示できません。
ラファエッロの「黙っている女」にも感動しましたが、彼の父ジョヴァンニ・サンティの作品をじっくり見てみると、中々の画家であると認識できました。
美術館を出て、サン・ジョヴァンニとサン・ジュゼッペの二つの祈祷所に向かいましたが、午後4時頃と云うのに裏通りは既に薄暗く、とても4月上旬とは思えません。
ウルビーノでは何時もラファエッロに泊まります。
ホテルの自室からの眺望です。
ウルビーノは少し不便なので、これから何回行けるか分からないけれど、名画の宝庫であると共に、何時も良い思い出ばかりなので、折も見て是非再訪したい街です。
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ぐら姐、
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2012年06月09日 16時17分44秒
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「Re:Re:Re:美術編(18)カラヴァッジョ巡礼14 ローマ4」
シニョレッリさん、
> 若し行かれる場合、私が知っている範囲でのルカ・シニョレッリの作品リストを作ってありますので、ご参考にされたら如何かと思います。
ありがとうございます。その時はご連絡いたします。
> 急ですが、これからフィレンツェに行ってきます。フィレンツェだけで、6泊の予定です。
> ウッフィツィ美術館の非常設展示作品(収蔵作品数4800点のうち、常設展示されているのは1700点と言われています)を見る機会に恵まれました。
素晴らしいですね!
Buon divertimento!
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from: シニョレッリさん
2012年06月09日 09時00分45秒
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「Re:Re:美術編(18)カラヴァッジョ巡礼14 ローマ4」
ぐら姐さん、こんにちわ。
> シニョレッリさんのお陰で、改めてシニョレッリ作品に触れ、とても興味を持つようになりました。
> 次に美術巡りをする機会には、シニョレッリをテーマにしようかと思います。
若し行かれる場合、私が知っている範囲でのルカ・シニョレッリの作品リストを作ってありますので、ご参考にされたら如何かと思います。
急ですが、これからフィレンツェに行ってきます。フィレンツェだけで、6泊の予定です。
ウッフィツィ美術館の非常設展示作品(収蔵作品数4800点のうち、常設展示されているのは1700点と言われています)を見る機会に恵まれました。従来から、つてを頼って観たいと要望していたのですが、漸く叶いました。このところ多忙で行くかどうか随分迷いましたが、この機会を逃すと次は無さそうなので予定変更して行くことにしました。
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ぐら姐、
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2012年06月06日 07時04分05秒
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「Re:美術編(18)カラヴァッジョ巡礼14 ローマ4」
シニョレッリさん、
最後に掲載されている「モーゼの掟」、とても素敵ですね。
ほんとうに綿密に計算された構図、青の配置、小さいPCで見る写真であってもうっとりします。
シニョレッリさんのお陰で、改めてシニョレッリ作品に触れ、とても興味を持つようになりました。
次に美術巡りをする機会には、シニョレッリをテーマにしようかと思います。
ところで、
>イタリア文化週間中なので、観光客は無料の国立博物館などに集中して、有料のヴァチカン博物館は空いているだろうと予想していましたが、予想通りの博物館に加えてン・ピエトロ大聖堂も空いていました。
よいところに目をつけましたね!
無料で混み合っているところよりも、有料であってもしずかにゆっくりと見ることのできる方がずっといいですね。
さすがです。
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from: シニョレッリさん
2012年06月05日 15時52分03秒
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「美術編(18)カラヴァッジョ巡礼14 ローマ4」
古代ローマ遺跡を巡る旅で写真を撮ると、困ることの一つは帰国後に写真を見ても、何処のどの遺跡を撮ったのか、その特定が困難なことです。私の場合、どれも同じように見え、非常に特徴がある遺跡以外はうろ覚えになってしまいます。写真を撮る毎にメモでも残しておけば良いのですが、中々そうも行きません。
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場にあるユリア水道の泉水堂で、水道の上に設けられた噴水の跡で3世紀頃に造られました。
メルラーナ通りにあるマエケナスの講堂です。マエケナスはアグリッパと並んでアウグストゥスの腹心の部下、と言うよりもアウグストゥスが最も信頼した協力者だった人で、ここにマエケネスのヴィッラがあったのですが、残っているのはこの講堂だけとなっています。
当日の経路から考えて、多分、クラウディウス神殿の遺跡と思います。
有名なトライアヌス帝の市場です。イタリア文化週間で無料とあって、通常よりも入場者が多めでした。
ところで、ローマで美術館・教会巡りをする時、私は地図不要ですが、ローマ遺跡となると地図頼りとなります。ホテルでPCの地図検索を行い、場所が分かった様な気がして出発しますが、建物のプレートなどに記されたVia〇〇、この〇〇を地図上で見つけ出す事が大変で何時も苦労します。ローマ市内に通りの名称が幾つあるのか不明ですが、イタリア人は通り名だけで困らないのか、何時も不思議に思っています。東京なら23区名で大体の場所の見当が付きますが。
通称「真実の口広場」付近にある、共和政時代のヘラクレス神殿です。
ヘラクレス神殿と同じ場所にポルトゥヌス神殿があります。
ハドリアヌス帝の廟です。ハドリアヌス帝からカラカラ帝までの皇帝墓所ですが、アウレリアヌス帝城壁の一部として城塞化され、それ以降、時代の変遷と共に法王の住居・待避所、監獄など役割が変わり、サンタンジョロ城と呼ばれるのが普通です。
サンタンジェロ城は現在国立博物館となっており、様々な展示があって興味深いですが、ルカ・シニョレッリの「聖母子と聖人たち」は私にとって必見作品となっています。
マルケルス劇場の上部は一般住宅となっており、マルケルス劇場に限らず、古代ローマの遺跡、中には皇帝ゆかりの遺跡であっても実用されていることに驚きます。
マルケルス劇場前にあるアポロ神殿です。コリント式の三本の円柱が見事です。
パンテオンからハドリアヌス帝の神殿へと、地図を頼りに路地を歩いていたら、何処をどう間違えたのか、賑やかなスペイン広場に出てしまいました。
さて、カラヴァッジョですが、カジノ・ルドヴィージに唯一の壁画である「ユピテルとネプトゥルヌスとプルート」があります。通常のフレスコではなく、油彩で直接天井に描かれています。カラヴァッジョの作品としては稍精彩を欠いたように思えます。事実、カラヴァッジョはこれ以降二度と壁画を描くことはありませんでした。
ここは20人単位での予約必須となっているのに加えて、入館料が一人20ユーロと高いので敷居が少し高いのが特徴です。
イタリア文化週間中なので、観光客は無料の国立博物館などに集中して、有料のヴァチカン博物館は空いているだろうと予想していましたが、予想通りの博物館に加えてン・ピエトロ大聖堂も空いていました。
何時もは大行列、大混雑のヴァチカン博物館ですが、最も混雑する午前10時前でも行列は全くありませんでした。
ヴァチカン博物館にある、カラヴァッジョの唯一の作品である「キリストの埋葬」です。
システィーナ礼拝堂側壁にある、ルカ・シニョレッリの「モーゼの掟」です。
システィーナ礼拝堂側壁装飾は当時の有名画家が選ばれましたが、レオナルド・ダ・ヴィンチは選に漏れてしまいました。自負心の強いレオナルドはこれに大きく落胆し、フィレンツェを去りミラノに向かいました。落選した理由として、遅筆(フレスコに向かない)、未完成癖、ヴェロッキオ門ではボッティチェッリの方がレオナルドよりも腕が上と考えられていたこと、同性愛者だったことがヴァチカンに忌避された、など様々な説が出されていますが、真相は不明です。
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ぐら姐、
from: シニョレッリさん
2012年05月30日 20時52分36秒
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「美術編(17)カラヴァッジョ巡礼13 ローマ3」
モデナ、ボローニャなどの地震被害が心配です。
ウーディネ市立博物館にイタリア各地を写した古写真が展示されており、非常に興味深いものです。それらを見ると1860年頃のコロッセオの上は草が生えていたこと、フォーリー・インぺリア通りは無く、その辺は遺跡だらけで、遺跡を埋めて通りを作ったこと、フォロ・ロマーノの発掘は今ほど進んでいなかったことなどが分かります。
コロッセオに行った時は、イタリア文化週間中で無料の為、大変な混雑でした。何時になったら入場できるか分からないくらいの行列の長さだったので、入場を諦め、まあまあの行列だったフォロ・ロマーノに急ぎました。
イタリア文化週間明けの月曜日、この日から有料に戻ったため、前日までの物凄い行列は見られません。人出はありますが、殆どの人々は無料だった前日まで入場したのでしょう。(この写真を撮ったのは家内で、ローマで家内と別れた私は、この日はナポリにいました)
午前中は天気が良かったのですが......
パラティーナの丘にあるアウグストゥスの家の室内です。
アウグストゥスの家の別の部屋です。アウグストゥスの家は見所の一つと思いますが、知らない人が多いのでしょうか、大体空いているのが不思議です。
フォロ・ロマーノのヴェスタ神殿付近にアウグストゥスの凱旋門がありましたが、現在は道の両側にその台石しか残っていません。
ユリウス・カエサルが火葬された場所に神君カエサル神殿が建てられ、その中に有る小さな祠には、今なお献花が絶えません。
午後になると天気が急変し、この後雷雨になりました。
さて、カラヴァッジョですが、バルベリーニ宮の国立古代美術館にはカラヴァッジョの作品が3点あります。
そのうちの一つ「ホロフェルネスの首を斬るユディト」です。強烈・迫真の描写力です。
ユディトのモデルとなった「フィリデ・メランドーニの肖像」です。作者は勿論カラヴァッジョです。フィリデは高級娼婦で、後にカラヴァッジョは殺人を犯してローマから逃亡しますが、殺した相手の情婦がフィリデです。この作品はベルリン美術館で展示されていましたが、第二次世界大戦中に消失してしまいました。
バルベリーニ美術館には、カラヴァッジョが嫌悪したバリオーネの「天上の愛」があります。盟友オラツィオ・ジェンティレスキと共にバリオーネの作品を誹謗したとして、カラヴァッジョはバリオーネから名誉棄損で訴えられます。これが有名なバリオーネ裁判です。仕返しとして描いたのがこの作品で、左下の悪魔がカラヴァッジョの似顔絵になっています。
カラヴァッジョの「ホロフェルネスの首を斬るユディト」は多くの画家たちを触発しました。カラヴァッジョの盟友オラツィオ・ジェンティレスキの娘アルテミジアの「ホロフェルネスの首を斬るユディト」(カポディモンテ美術館で展示されています)です。アルテミジアは現在カラヴァッジェスキの最も優れた画家とされています。アルテミジアは父オラツィオの友人であるアゴスティーノ・タッシに師事したのですが、タッシからレイプされたことでも有名です。アルテミジアは一生タッシを恨み、この作品のホロフェルネスはタッシの似顔絵と言われています。この辺の事を書くとキリが無いので止めますが、これらを知って作品を見ると更に絵画鑑賞が楽しくなります。
アルテミジアの同じ主題の作品がウッフィツィ美術館にもあります。
尚、絵画画像は全てWeb Gallery of Artからの転載です。(以前の画像もすべて同じ)
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ぶらん2、
from: ぐら姐さん
2012年05月30日 20時52分32秒
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「Re:Re:Re:イタリアの話から逸れますが」
シニョレッリさん、
その乗り継ぎのエピソード、いかにもフランス的ですね。
CDGは、あまり好きな空港ではありません。
矢印や表示のつけ方が不親切でわかりにくくて。
それに食べ物や飲み物がとても高いし。
フランスは、初めて行ったときの印象がよくなかったために、
2回目のプロヴァンス地方はとてもよかったのに、
今でもなんだか最初の印象がぬぐえず、足が向きません。
今は、以前よりずっと英語で対応するようになっていると聞いてもねぇ・・・
田舎はいいわよ、と聞いているので、
それこそリタイアして気が向いたら、イタリアのついでに行ってみたいところはいくつかあるのですけれど。
今回は、フランクフルト経由でトリノ往復しました。
帰国便は、トリノからの接続のよい便が満席だったので、
1日早い14日の午後の便でフランクフルトまで飛び、1泊することに。
そのことを旅好きの知人に話したら、
フランクフルトの空港から電車で30分ほどでマインツへ行けるし、
マインツの方が街歩きを楽しますよ、とアドバイスをいただき、
マインツ行きを決めました。
ドイツ旅行をしたのは、1989年の夏なので、実に23年ぶりにドイツの地を踏むことに。
トリノ発14:45発で16時ごろの到着なので、マインツに着いてホテルに入り、
17時には散歩に出られると思っていたら、
アリタリアでもないのに1時間も出発が遅れてしまって。
さらに、このところイタリアばかりに行っていて、
言葉の通じない、文化も違う異国の地を踏む感覚が鈍っていたようで、
ドイツに立ち寄るのに、調べたことは飲食のことばかりだったのが大失敗。
マインツまでの切符は、自販機で買えば簡単だろうと思っていたら、
いやこれが、英語を選択しても分かりにくいしくみ。
しかも、え?えーと、と考えていると
少しの時間で元のドイツ語バージョンのトップページに戻ってしまうのです。
イタリアのことを知らなくても、イタリアの自販機の方が絶対に簡単だと思いました。
もたもたしていたら、隣の機械のところにいたお姉さんが助けてくれて、
なんとか切符を買えましたが、お姉さんですら、操作を迷い、私と姉の2枚分を一緒には買えませんでした。
ま、1枚ずつ2回買ってなんとかなりましたが。
で、どこで打刻するの?と見回してもそれらしき機械がありません。
一応ガイドブックは持参していたので、見てみると打刻は不要と書いてありました。
切符をよく見ると、行き先の駅は駅名ではなく駅番号で書かれていて、
電車の時刻も入っていました。
きっとこれで違う列車に違う時間帯に乗ると×なのでしょうね。
イタリアみたいな、駅の出発時刻表が見当たらず、
私たちが乗る電車はどこ行きで、どのホームからなのかよく分からず、
近くのホームに電車が止まっていたので、そこにいたおじさんに
この電車はマインツに行きますか?って訊いたら、Yesと言うので乗ったらば、
なんと!マインツ・カステルというところには行くのに、
川向こうのマインツ中央駅には行かないのでした。
しかたなく2つ先の終点まで行き、今度こそマインツ中央駅に行く列車に行こうと
駅のおじさんに訊いて、なんとか辿り着きました。
ああ、もっとちゃんと調べておくのだった、と反省しました。
だいぶ話が逸脱しましたが、その翌日、とてもドイツらしい出来事があったのです。
イタリアでは考えられない6時半という早朝に朝食をいただき、
まずは駅に切符を買いに行きました。
あとでバタバタしたくないので、イタリア式考えで早めに行ったのです。
窓口に直接行ったら、私の前にも後ろにも誰もいないのに、番号札を取って来い、とおっちゃん。
素直に入り口近くの機械で番号札を取っておっちゃんのところに行きましたが、
だれも待っていないんだから、すぐ応対してくれてもよさそうなものなのに、
番号が1つ抜けるのがダメなのでしょうか。
規則どおりにしないといけないドイツの国民性が表れているなあと思いました。
そして、今乗るのか?と聞かれたので、9:32に乗りたいと言ったら、
もっと後で買いに来なさいと言われておしまい。
検察がない分、切符に時刻を入れるらしく、乗るすぐ前に買うのがドイツ流のようでした。
やれやれ。
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とみー、
from: シニョレッリさん
2012年05月30日 16時24分51秒
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「Re:Re:美術編(16)カラヴァッジョ巡礼12 ローマ2」
ぐら姐さん、こんにちわ。
> 奥様とそれぞれに観て、夕方落ち合うというのも素敵ですね。
その様に仰られると面映ゆいです。長年に渡る茨の道を経ての結論です。
> わが夫は、自然が大好きで、山に一人で入って遊ぶのが好きな人で、
> 自分が好きに遊びたい分、私が好きに旅行しても全然嫌な顔をしません。
> 夏や冬になると、「また行くの?」ではなく「いつから行くの?」と聞きます。
> 私はたまに一緒に山行きに付き合うのですが(実は私も好きなんです)、
> 夫は飛行機に長く乗るのは嫌だと言って、イタリアには付き合ってくれません。
> ビジネスならいいそうなので、何年か後のリタイア記念に1度一緒に行きたいと思っています。
ご理解のある、良いご主人ですね。二人の旅行は絶対楽しいですよ、楽しみですね。
> さて、昔の空路の話、懐かしく読みました。
ついでに飛行機乗り継ぎの昔話を一つ。
1970年代後半にエールフランスでCDGに、CDGで乗り換えてデュッセルドルフに行こうとした時のことです。乗り継ぎ便のカウンターは行き先国別になっていて、アルファベットで窓口が分かれていました。ドイツだからD,G,当時は西ドイツでしたからWと思って、正しい窓口が分からず、うろうろしていたら、年取った意地悪そうな老女が来て、英語で「これだからフランスはなっていない」と私に言うではありませんか。事情を説明すると「窓口はAよ」との答え。イギリスの老女は一見すると意地悪そうでしたが親切だったのです。
当時は「フランス人はフランス語を使用すべし、フランスはフランス語だけ」運動の全盛時代で、フランス語でドイツはAllemagne、だからAの窓口となるのでした。その時の私はフランス語は全くダメで、Aの窓口とは想像すら出来ず、驚愕しました。国際空港で外国人にフランス語を強いるとは、如何にもフランス人らしいと思いました。
外国人からの抗議が殺到したのか、流石にこの方式は直ぐに中止されました。
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from: 倶楽姐さん
2012年05月29日 06時41分16秒
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「Re:美術編(16)カラヴァッジョ巡礼12 ローマ2」
シニョレッリさん、
こうしてみると、ローマって本当に楽しめる都市ですよね。
自分のテーマをもって、何度行っても違う楽しみ方ができそうです。
初めてのときは別にして、それ以降は、
私にとってローマとかミラノって出入国の際の経由地だったのですが、
近頃になってその奥深さ、面白さに気付きました。特にローマは。
カラヴァッジョの同じ絵の比較も面白いです。
奥様とそれぞれに観て、夕方落ち合うというのも素敵ですね。
わが夫は、自然が大好きで、山に一人で入って遊ぶのが好きな人で、
自分が好きに遊びたい分、私が好きに旅行しても全然嫌な顔をしません。
夏や冬になると、「また行くの?」ではなく「いつから行くの?」と聞きます。
私はたまに一緒に山行きに付き合うのですが(実は私も好きなんです)、
夫は飛行機に長く乗るのは嫌だと言って、イタリアには付き合ってくれません。
ビジネスならいいそうなので、何年か後のリタイア記念に1度一緒に行きたいと思っています。
さて、昔の空路の話、懐かしく読みました。
私が行き始めた頃も、南回りでした。
アンカレッジ経由もあったのですが、南回りが安かったので。
2箇所ぐらいの都市に寄港して、本当に食っちゃ寝、食っちゃ寝のブロイラー状態で行っていました。
少し給料が増えてアンカレッジ経由で行くようになった時は、ヨーロッパが近くなったと感じたものですが、
その後ロシアの上空を通るようになったら、もっともっと近くなって、
今ではその11〜12時間すら、もっと短くならないかと思ってしまいます。
人間、慣れって怖いですね。
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from: シニョレッリさん
2012年05月28日 11時39分04秒
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「美術編(16)カラヴァッジョ巡礼12 ローマ2」
ぐら姐さんが今回のトリノへの旅で、羽田からフランクフルトへの直行便を利用されたと伺いましたが、昔と比べると正に隔世の感がありますね。
私が初めてヨーロッパに行った頃は南回りしかなく、給油の為、途中三箇所も経由して行きましたが、本当に大変でした。給油だけでなく、乗客の乗り降りもあったので、その度に食事が出ましたが、意地汚いので一回も食事をパスすることなく飲み食いしたら、着いた時には完全に胃腸の具合がおかしくなったのを覚えています。
その後、B747-100が就航すると、殆どのヨーロッパ便(アメリカ便も)はアンカレッジ経由となりましたが、私の場合、アンカレッジ経由になってから時差ボケが酷くなりました。夜、成田を出発するとアンカレッジは同じ日の朝に到着、ヨーロッパ到着は翌日の朝だったのですが、アンカレッジで太陽を目にすると恐らく体内時計が狂ってしまうのでしょう。当時、アンカレッジ空港の免税店などは大変な賑いでしたが、今はどうなっているのでしょうか?
古代ローマの旅ですが、久し振りにアッピア街道に行きました。
アッピア旧街道の基点サン・セバスティアーノ門です。
アッピア旧街道は現在も使用されているので、標識があります。
この様な凸凹道ですが、大きくバウンドしながら自動車が走っています。レンタル自転車があるのですが、以前借りた時に余りの乗り心地の悪さに閉口したので、今回はパスしました。
チェチーリア・メテッラの墓です。
墓の内部は鳥の侵入を防ぐためにネットで防護されていますが、それをモノともせず鳩の天国のようで、巣が沢山ありました。
昼食をダ・パンクラツィオで、と行きましたが、定休日は水曜の筈でしたが、意外にも休みでした。行ったのが木曜日なので、定休日の翌日の昼は休みなのかも知れません。
ダ・パンクラツィオはユリウス・カエサル好きにはたまらないレストランとして有名です。ポンペイウス劇場の上に建っているので、地下の客席は劇場の壁になっているのです。
カエサル暗殺の日、ポンペイウス劇場で元老院会議が開催されることになっていて、その出席の為、カエサルは劇場に向かったのですが、劇場に隣接する列柱廊で暗殺されてしまいました。
従って、このレストランはカエサル暗殺ゆかりの地となっているのです。
暗殺現場の列柱廊はトッレ・アルジェンティーナ広場(アレア・サクラ)と言われています。
ボルゲーゼ美術館近くにある遺跡です。
ボルゲーゼ美術館には、カラヴァッジョの作品が6点ありますが、修復や貸し出しのため6点全部を見ることが出来る機会は滅多にありませんが、幸運にも今回は全部見ることが出来ました。
ボルゲーゼ美術館にある、カラヴァッジョの「蛇の聖母」です。蛇は異端の象徴で、聖母子が蛇の頭を踏んで撃退すると言う画題です。
サン・ピエトロ大聖堂に設置されましたが、聖女アンナが老女として描かれ気に入らないと言う理由で、直ぐに取り外された、いわく因縁のある作品です。鑑識眼のあるボルゲーゼ枢機卿が直ぐに入手したと伝えられています。
カピトリーノ美術館で展示されている、カラヴァッジョの「洗礼者ヨハネ」です。
ドーリア・パンフォーリ美術館にある、カラヴァッジョの「洗礼者ヨハネ」です。
色調が多少違いますが、二つは全く同じですね。両方ともカラヴァッジョの真作ですが、ドーリア・パンフォーリのものはカピトリーノのコピーと言われています。
カラヴァッジョは当時非常に人気があって、作品を見た有力者から「あの作品と同じものが欲しい」と言われることがあって、同じバージョンの作品を幾つか制作したと伝えられています。
from: シニョレッリさん
2012年05月27日 15時39分50秒
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「美術編(15)カラヴァッジョ巡礼11 ローマ1」
家内は熱狂的なイタリア好き、それも古代ローマが大好き、特に塩野七生さんの大ファン。私も古代ローマは嫌いではないので、塩野さんの「ローマ人の物語」全15巻を5回通読しましたが、頭に入らず、遺跡を見ても中々分からないし、何よりも国際ゴシック様式からバロック期までの美術好き。という事で、イタリアで行動を共にしても、行きたい所が微妙に違うので、大体イタリアで現地集合、現地解散をやっています。
ローマは古代ローマの遺跡が沢山あるし、バロック芸術の宝庫でもあるので、我々二人にとって共通の場所ということで殆ど一緒という事になるのですが、行き先は別が普通で、夕食のためにホテルで午後7時集合、という事が多いのです。
家内はチュニジアから、私はオルヴィエートからローマに入りました。
家庭平和も大事ですから、今回のローマでは遺跡回りに付き合いました。
先ずオスティア・アンティカに行きました。
オスティア・アンティカは古代ローマの外港として大いに栄えましたが、テヴェレ川の運んだ土砂に埋まってしまいました。火山灰で埋まったポンペイと非常に似ています。
同時代の遺跡なので当然ですが、ポンペイの居酒屋と殆ど同じ造りです。
ローマ時代の何処の遺跡でも見ることが出来る円形劇場ここでもあります。
ローマから日帰りでポンペイに行く方が多いですが、費用と時間を考えればポンペイの代りにオスティア・アンティカに行くのも良いと思います。
ローマ松はポンペイにはなかったと思います。
保存状態の良い床のモザイクが可なり残っていますが、貿易港だったことから、それらの模様は魚、船など海関連のものが多いようです。
さて、カラヴァッジョですが、1592年ローマにやってきてから、1606年に殺人を犯して逃亡するまで、14年間ローマに滞在しました。ローマには、現在カラヴァッジョの真作が24点残っていますが、今回の旅では普段滅多に見ることが出来ない、オデスカルキ・バルビ・コレクション所有の「聖パウロの回心(第一作)」を除き、23作品を見ることが出来ました。
当時、ローマへの入り口であるポポロ門を潜ったところにサンタ・マリア・デル・ポポロ教会があります。
チェラージ礼拝堂の主祭壇を飾る、アンニーバレ・カラッチの「聖母被昇天」です。両翼を飾るカラヴァッジョの「聖パオロの回心」と「聖ペテロの磔刑」に勝るとも劣らない、アンニーバレの傑作です。カラッチ一族、グイド・レーニ、ドメニキーノ、ランフランコ、グエルチーノなどボローニャ派の画家たちは何故か日本では人気が無いようで、印象派に偏向している多くの日本人美術ファンの鑑賞力の欠如を表しているように思えます。
カラヴァッジョでさえも注文主が気に入らないと描き直しする世の中だったのです。チェラージ礼拝堂の「聖パオロの回心」は第二作、つまり書き直し作なのです。この第一作は前述のように普段見ることが出来ません。
ローマの教会にあるカラヴァッジョの作品は、サン・ルイジ・ディ・フランチャージ教会に三作品、前述のポポロ教会に二作品、サンタゴスティーノ教会に一作品ですが、教会の混雑度は作品数に比例している様で、サンタゴスティーノ教会が非常に混雑していることは無いと思います。
サンタゴスティーノ教会カヴァレッティ礼拝堂にある、カラヴァッジョの「ロレートの聖母」です。
from: シニョレッリさん
2012年05月25日 11時07分14秒
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「美術編(14)シニョレッリ巡礼3 コルトーナ」
ガリバルディ広場から遠くトラジメーノ湖が見えました。
ガリバルディ広場から見たサン・ドメニコ教会です。
コルトーナは三人の巨匠画家ルカ・シニョレッリとピエトロ・ダ・コルトーナ、それにジーノ・セヴェリーニを生んだ街です。ルカはコルトーナで大工房を構えて、マルケ、トスカーナ、ウンブリアなどで精力的に仕事をしました。
サン・ドメニコ教会には、ルカの「聖母子と聖人たち」をはじめ幾つかの傑作があります。(Web Gallery Artにそれらの画像が無いので、作品画像なし)
シニョレッリ劇場です。
市庁舎の後ろにプレトーリオ宮があり、その内部がエトルリア・アカデミー博物館になっています。色々なものが展示されていますが、ルカの作品も二つあります。
4月は観光シーズンと思うのですが、観光客はちらほらと居るくらいで、特に昼下がりは閑散としていました。
美術ファンにとって、コルトーナに於ける最大の見所は教区博物館でしょう。午後1時頃に行った時には昼休みという事で閉まっていました。博物館前の案内板やガイドブックによれば、昼休みは無く10時から19時まで通しで開館となっているのですが、日によって昼休みを取ることもあって、昼休みで入館出来なかったのは、これで二度目です。他で時間を調整して午後3時頃に入館しましたが、90分ほどいて、最後まで私一人でした。
この博物館の目玉作品であるフラ・アンジェリコの「受胎告知」です。黄金で輝いています。
フラ・アンジェリコの「玉座の聖母子と聖人たちの多翼祭壇画」です。
ルカの代表作の一つ「死せるキリストへの嘆き」です。この教区博物館には工房の作品を含めて、ルカの作品が10点展示されています。工房作でも親方ルカの手が入って、弟子たちへのルカの統率力を発揮した、いずれも可なりの名作と思います。
from: シニョレッリさん
2012年08月04日 10時14分22秒
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「美術編(24) 番外5 タオルミーナ2」
「カラヴァッジョ巡礼」と「ルカ・シニョレッリ巡礼」で訪れた街を除く他の街を「番外」としています。
午前中のウンベルト通りは閑散としていました。
サンタゴスティーノ教会には、お宝が見当たりませんでした。
昨日の写真で、サン・パンクラツィオと書いてしまった教会は、正しくはサンタ・カテリーナ・ダレッサンドリア教会です。間違って申し訳ありませんでした。
サン・ジュゼッペ教会です。
陽が高くなるにつれて人出が多くなってきました。
ドゥオーモです。
美術ファンにとって、タオルミーナに於ける唯一の見所はここだけと言えましょう。アルフォンゾ・フランコの「聖母子と洗礼者聖ヨハネと聖エリア」、マルティロ・モンタニーニの「聖女アガタ」、アントネッロ・ダ・サリバの「多翼祭壇画」と「聖母子と四聖人」があります。
モンタニーニの「聖女アガタ」の力強い表現に魅了されました。アントネッロを除き、アルフォンゾとマルティロは調べてもその生涯など分かりませんでした。アントネッロ・ダ・サリバは有名なアントネッロ・ダ・メッシーナの甥で、叔父そっくりの画風でしたが、時々アントネッロ・ダ・メッシーナと作品に署名したので、叔父と甥の作品帰属を巡って混乱が生じています。特にヴェネツィア・アッカデミア美術館で展示されているサリバの「受胎告知のマリア」は有名な叔父の作品の非常に良く出来た模写で、初めてそれを見た時、感嘆したのを覚えています。
4月9日広場から少し東にある教会ですが、名前が分かりません。
ウンベルト通りにあったタベルナコロで、暫く見とれてしまいました。
タウロ山頂上にカステッロがあります。
団体客を見かけましたが午後になっても人出は多くありません。
初めてタオルミーナに行った時に、ギリシャ劇場に入ったので今回はパスしました。ローマ時代の円形競技場は基本的にどこの競技場でも一緒で新鮮味に欠けますよね。
午後8時過ぎには人通りが殆ど途絶えてしまいました。
トラットリアではマーレづくしでしたが、葡萄酒は敢えてBiondiのEtna Rosso Outisを楽しみました。勿論、Outisには白もありますが、ネレッロ・マスカレーゼ種のしっかりしたボディーが好みなのです。
翌朝、FSのICでメッシーナに向かいました。
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