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from: ぐら姐さん
2015/02/17 15:51:11
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Pienzaに1泊
ピエンツァはモンテプルチアーノの隣町なのですが、1泊することにしたので、朝のバスで移動しました。小さな市内バスでバスターミナルまで行き、そこで時間があ
ピエンツァはモンテプルチアーノの隣町なのですが、
1泊することにしたので、朝のバスで移動しました。
小さな市内バスでバスターミナルまで行き、
そこで時間があったので、朝のカップッチーノを1杯。
切符もこのバールで売っていました。
シエナ行きのバスに乗り、
ほぼ定刻に発車。
車窓からの景色を楽しむまもなく
(↑イタリア人みたいに、一番前の座席に座ったので、正面写真を撮ることができました。
イタリア人って、後ろががら空きでも、一番前に1人座っていても、
ほとんどの人が一番前に座りたがるのです。)
あっという間にピエンツァに到着しました。
ピエンツァをご存じない方のために書くと、
かつてこのまちはコルシニャーノという名前の、
アミアータ山の大修道院の所有となっていたまちなのですが、
自治都市シエナ、さらにピッコローミニ家配下の都市へと変遷していきました。
そして1458年、
新しいローマ教皇にピエンツァ出身のエネア・シルヴィオ(Enea Silvio)が選出され
ピオ2世となりました。
知識人、文人教皇であり、なかなかのアイデアマンだったそうで、
生まれ故郷の町の名前をコルシニャーノからピエンツァに変更し、
三年計画で自分の理想都市に作り替えようと計画したのです。
彼の命を受けて都市設計を担当したのが、当時ルネッサンスを代表する建築家で
教皇庁の建築顧問として活躍したベルナルド・ロッセッリーノ(Bernardo Rossellino)。
ひとりの教皇がひとりの建築家に命じて思い通りの「理想郷」を作らせようとした
実にユニークなまちなのです。
1464年教皇の突然の死により都市計画は中断となり、
ピエンツァは未完のままユニークな小都市として残りました。
ピエンツァ市街の歴史地区として、1996年にユネスコの世界遺産に登録されました。
城壁に囲まれた東西400メートルほどの小さな町で、
端から端まで歩いてもわずか10分程度。
その箱庭のような町に当時の最高技術をつくした広場や宮殿、聖堂などを造ったのだからいかに特徴的だか想像できるでしょう。また理想の町にふさわしく小高い丘の町から、世界有数の絶景オルチャとアッソの渓谷を見下ろすことができます。
お宿は、バス停のすぐ近くのところを選んでいました。
宿は家族経営+アルファという感じで、
いかにも女将という印象の、とても雰囲気のいいシニョーラが
椅子に腰掛けさせてくれてのチェックイン手続きをしてくれました。
説明のイタリア語もゆっくりはっきりしていてとても分かりやすく、耳に心地よく。
ただ、まだ部屋には入れないので(10時にもなっていないのですから、当然です。)
荷物を預かってもらってまちへと出かけました。
私とかてきんさんの一番の目当ては、ちょっと郊外にある
Pieve di Corsignano(コルシニャーノ教区教会)です。
ここは、開いていないこともあるので、ツーリストインフォで確認し、
開いていないときは、管理人に連絡してもらうといいらしい、と
かてきんさんが事前調査してくださっていたので、
まずはツーリストインフォへ行きました。
残念、10時からと書かれていて、まだ開いていません。
仕方なく、少しまち散歩をすることに。
つづく。
from: ぐら姐さん
2015/02/24 06:04:23
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教区博物館を見た後は、午前中閉まっていたコルシニャーノ教区教会に再び行ってみました。
開いていました!
だけど、入り口の装飾から期待した割りに、
中は簡素で、取り立てて興味を惹かれるものはありませんでした。
でも、ファサードに傾いてきた日が当たって、美しく見えました。
この後、糸杉が美しく見える景色の中を歩きたいと、
どこからアプローチしたらいいかちょっと考え、まちに戻りかけたのですが、
やっぱりこの教区教会の向こうがいいねえ、ということになって
近道は、畑を突っ切ること!だったので、
畑と言っても冬のことで作物は何も植えられていなかったので
そこを本当に突っ切って歩きました。
途中で見上げたピエンツァのまち。
途中で農作業中のシニョーレに遇ってあいさつを交わし、
犬には吠えられ、
こんなでこぼこの畑をずんずん下りました。
結局、歩く速さでは、
いい感じの日の当たり方で写真が取れるところまで行くのは無理だったのですが、
でもとても気持ちのよい散歩ができました。
遠くから見て糸杉の並びがきれい、と思ったところは、近づいてみればそうでもなかったり、
そして日も傾きすぎていたり。
暗くなる前にまちに帰らないと、ということで引き返しました。
from: ぐら姐さん
2015/02/23 06:13:44
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ホテルの部屋に入りました。











預けていたスーツケースは、ちゃんと部屋に運んでありました。
部屋でちょっと休んで、それから教区博物館へ。
カメラを持っていくのを忘れて、スマホで撮りました。
美しい祭壇画が多数展示されていました。
アンドレア・ディ・バルトロ「聖母子像」
バルトロ・ディ・フレーディ「慈悲の聖母」
それらに混じって、展示されていたのが、法王ピオⅡ世の大外衣(マントのようなもの)。
おそらく傷みを最小限にするために照明を落としているのでしょう、
かなり暗いところに展示してあり、
それでも近づいてようく見ると、実に繊細な刺繍がしてあります。
これは「受胎告知」
すみません、時間がないので写真だけタタタッと載せてしまいました。
つづく。
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