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from: ぐら姐さん
2021年12月26日 16時37分34秒
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イタリアの年末年始
クリスマスからお正月へと、日本では慌ただしくも、なんだか気分が浮き立つ時期に、困った話ばかりではそれこそ困ったものですので、今日は新しいトピックを立て
クリスマスからお正月へと、
日本では慌ただしくも、なんだか気分が浮き立つ時期に、
困った話ばかりではそれこそ困ったものですので、
今日は新しいトピックを立てます。
私は昨日、以前暮らしていた横浜の友人宅で仲間内が集まってクリスマス会をやり、
泊めてもらって、今日帰宅しました。
仕事の都合で、どうしても感染するわけにはいかない友人は、
2年近くも家族以外の人とは食事をしなかったそうです。
食事会とおしゃべりを心から楽しんできました。
盛り上がったのは、やはりイタリアで困った話。
その時は困ったのに、今は思い出話として楽しく話して笑えるのがいいですね。
来年は、会いたいときに会いたい人に会って、食べたり飲んだり旅したり、
自由にできる日々が帰って来ることを願っています。
さて、新しいトピック、1月初旬ぐらいまで、
過去の年末年始のイタリアの様子をあれこれ綴っていこうと思います。
私が初めて西洋のクリスマスがどんなものかに触れたのは1990年の暮れ。
12月25日にロンドンに飛んだ時のことです。(イタリアにはまる前です)
当時姉家族が住んでいて、遊びに行ったのですが、23日から一家三人はフィンランドのサンタクロース村に出かけていて、姉が暮らしている建物の門番に事情を話しておくから、一人で楽しんでいてね、と鍵を同封した手紙が届いていました。
25日の夜、夕方ヒースローに着いてびっくり。
当時はインターネットも発達していないし、私はまだやっていなかったし、姉とのやり取りは手紙かFAXかで、とにかく現地の生情報なんてものはほとんどなくて。
まず、公共交通が休止していました。
え?どうやって姉のところまで行くの?
悩むまでもなく、タクシー以外は考えられません。
タクシー乗り場に行きました。
タクシー待ちの行列は十数人。
少し待てば来るのだろうと思ったら、とんでもない。
10分に1台来るかどうかのレベルでした。
タクシーだってほとんど営業していないというわけです。
私の後ろに並んでいるのが日本人女性で、待つ間に話をしていたのですが、
街の中心部に向かうと分かり、1時間以上もタクシーを待ち、2人で相乗りしました。
街は、暗くひっそりとしていて。
クリスマスってこんなに静かで暗いのだ、と知りました。
今はどうか知りませんが、当時のイギリスは、
暦の上の祝祭日に営業することは特別な場合を除いて法律で禁じられているのだとか。
私が食料の調達に困らないように、冷蔵庫にはいろいろなものが用意してありました。
クリスマスは、友人や家族などと祭りのようにはしゃいで過ごすものではなく、
家族と静かにキリストの生誕を祝うものなのだと、その時に知りました。
イタリアのクリスマス時期に初めて滞在したのは、'02年の年末のボローニャででした。
当時の写真はありません。
特別なことは何もなかったので。
それなので、今日は’05年フィレンツェに滞在したときのことを書きます。
3人の友人たちとフィレンツェの共同キッチンのある宿に滞在しました。
共同キッチン&ダイニングには、イタリア朝食用に、小袋のビスコッティやラスクのほか、この時期ならではの、パネットーネとパンドーロも置いてありました。
25日に外出から戻ったら、ベッドの上に、オーナーさんからのクリスマスプレゼントが置いてありました。
’05年のフィレンツェの夕方の街角です。
from: ぐら姐さん
2021年12月29日 09時08分57秒
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’08年末、’09年始はリグーリアに行きました。
チンクエテッレのリオマッジョ-レに滞在してチンクエテッレのまちまちを見て、
その後カモッリにも滞在しました。
今日は、チンクエテッレ編
今見返すと、ナターレっぽいっ写真はあまり撮っていません。
リオマッジョーレには、プレゼーペを展示している場所がありました。
ヴェルナッツァではそれらしいものは、この程度。
中を覗くと、この日は25日になっていましたので、キリストは生まれていました。
コルニーリアのまち角
モンテロッソでは、ポインセチア程度
ああ、でもモンテロッソでは美味しい昼食をいただいたのでした。
前菜の数々
そして2人分一緒盛りで熱々で出されたフルッティ・ディ・マーレのスパゲッティ
こんなにナターレ関連の写真が少ないのは、この時期にこの地域を訪れた理由が、
マナローラのプレゼーペを見るためだったからです。
マナローラを見てものすごく満足して、他で見つけようとか撮ろうと思わなかったのかと。
以前、IANUAさんの質問に答えて数枚載せましたが、改めて載せます。
これは目当てのものではなく、まちに入ってすぐのところのごあいさつ程度のもの。
山全体に灯っています。
だんだん暗くなり、くっきりと見えるようになってきました。
これを始めた方と始めた時の様子の展示もありました。
もう十年以上も前のことですが、きっと今も変わらず夜には明かりが灯っていることと思います。
機会があったら、皆様にも是非見に行ってほしい場所の一つです。
チンクエテッレは、夏と違って混み合っていませんでしたし。
from: ぐら姐さん
2021年12月28日 10時18分00秒
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昨日載せた’06年末’07年始は、パドヴァ滞在で近隣のまち観光をしましたが、
'07年年末はバリ島に行き、戻ってすぐに’08年元日にミラノに飛び、そこからバスでトリノに行きました。
(年末年始に、バリ島だミラノだと2回も海外旅行する贅沢は、ミラノ便をマイレージでもらったからです)
カネッリの馴染みのアグリトゥーリズモに滞在し、トリノとクーネオにちょこっと泊まって戻ってきたのでした。
この年のカネッリの年始は、着いた翌日に雪が降りました。
アグリトゥーリズモの窓からの葡萄畑。
ナターレっぽい飾りはわずかだけ。
でも、私が行くからと白トリュフを用意しておいてくれました。
いろんなものに削ってかけていただいて、白トリュフの香りを堪能しました。
次に移動したクーネオも雪でした。
1月6日のエピファニア (公現祭)にやってくるベファーナの飾りやお菓子が並んでいました。
最後に行ったトリノが、いちばん雰囲気がありました。
トリノには、その後も何回か行っているので、ついでに’10年年末~’11年年始のときのものを。
この時のトリノのイルミネーションがとても綺麗だったのです。
そしてその後に行った時も同じものがちゃんと使われていました。
’19年のときのものも載せます。
’19年は11月の写真です。
ちょうどナターレに向けてイルミネーションがともされ始めたころに訪れたのでラッキーでした。
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