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from: ぐら姐さん
2023年07月09日 08時44分25秒
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トスカーナの(小さな)まち
candyさんがトスカーナにいらっしゃると言うので
ちょこっとトスカーナの小さなまちの写真を載せましたが、
なんだか自分で消化不良状態になってしまい、
せっかくだから少し整理して新しいトピックを立てることにしました。
これまでに宿泊しただけなく、立ち寄りも含めて
私が訪れたトスカーナのまちを50音順にリストアップしてみます。
小さなを括弧書きにしたのは、
このサークルのタイトルからして小さなまちを扱いたいのですが
どのぐらいを基準にしていいのかわからないので
フィレンツェ以外を全部入れちゃうことにしたからです。
1.アレッツォ
2.アンギアーリ
3.オルべテッロ
4.カスタニェート・カルドゥッチ
5.カスティリオーネ・ドルチャ
6.カステルヌオーヴォ・ガルファニャーナ
7.キャンチャーノ・テルメ
8.グロッセート
9.グレーヴェ・イン・キャンティ
10.グロッタ・ジュスティ・テルメ
11.グロピーナ
12.コルトーナ
13.サン・ヴィンチェンツォ
14.サン・クィーリコ・ドルチャ
15.サン・ジミニャーノ
16.サンセポルクロ
17.サンタフィオーラ
18.シエナ
19.スヴェレート
20.ソヴァーナ
21.ソラーノ
22.チェルタルド
23.バーニ・ディ・ルッカ
24.バーニョ・ヴィニョーニ
25.ピエンツァ
26.ピサ
27.ピストイア
28.ピティリアーノ
29.プラート
30.ポッピ
31.マッサ・マリッティマ
32.モンタルチーノ
33.モンティッキエッロ
34.モンテスクダイオ
35.モンテフォッローニコ
36.モンテプルチャーノ
37.リヴォルノ
38.ルッカ
39.ルーフィナ
40.ロメーナ
ひとまず、これぐらいかと思います。
次回より、順番に写真を載せて行こうと思います。
追記:28´としてサトゥルニアを付け足します。
コメント: 全105件
from: teruteruwasiさん
2024年05月30日 08時42分09秒
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良いと所、みたいですね
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ぐら姐、 ねこまろん、 くるめながさき、 teruteruwasi、
from: ぐら姐さん
2024年05月29日 15時54分41秒
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トスカーナの30は、ポッピです。
'14年にアレッツォに滞在しているときに、語学教室で仲良くなったイギリスからの女性と一緒に、教室が休みの土曜に半日遠足と言う感じで行きました。
ポッピは、アレッツォから電車で50分ほどのところにある、丘の上の小さな素敵なまちです。
9時の列車に乗って、電車が着くころに、向こうの丘の上にポッピが見えました。
9時50分頃にポッピに着きました。
チェントロ・ストーリコ(歴史的中心地区)までは離れているので、トイレ休憩を兼ねてバールでカップチーノをいただき、2人で途中の景色を楽しみながら、のんびり歩いて行きました。
イタリアの最も美しいまちの1つになっています。
ポッピのまちに入りました。
ひとまず、カステッロへ。
小高い丘の上のまちの天辺にあるので、眺めもなかなかです。
中に入ります。
ポッピのカステッロは、その名を"Castello di Conte Guidi"といいます。
9世紀から10世紀にこの地域の領主グイーディ家が建造し、13世紀にフィレンツェのヴェッキオ宮を模して改築したのだそうです。
さらに15世紀後半にも増改築が加えられました。
ダンテが1307年から1311年にかけて滞在し、神曲の地獄篇を書いたとパンフレットに書いてありました。
城の中もなかなか素敵
可愛らしいまち、ただそう思って訪ねただけだったのに、
このカステッロは、とても楽しめました。
外に出ると、ここで執筆をしたという、ダンテの大きな頭像がありました。
まち歩きも楽しめました。
駅も可愛らしかったです。
トスカーナ編の最初に12まで書いていったん次へ行き、次は24日25まででまた次へ、と思っていたのに調子に乗って30まで書いてしまいました。
一旦ここで打ち切って、次の州の続きに移りますね。
from: ぐら姐さん
2024年05月28日 16時58分14秒
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トスカーナの29は、プラートです。
2つ前のピストイアと同じ日に行きました。
はい、12月25日のこと。
つまりろくな観光ができなかったということです。
雨の日に行ったので外の写真は霞んでいます。
私の持っている「イタリア美術案内」によれば、フィレンツェ美術の延長線上で期待できるまちとありました。
フィレンツェの巨匠達の二級品ではなく、彫刻のドナテッロ、絵画のパオロ・ウッチェッロとフィリッポ・リッピ、建築のジュリアーノ・ダ・サンガッロの第一級品に出会えると。
そして、ここのドゥオーモは、聖母マリアの腰帯をたいせつに保管している教会であり、フィリッポ・リッピが尼僧ルクレツィアと恋に落ちたまちであり、二人の間にフィリッピーノ・リッピが生まれたまちでもあるのです。
これがそのドゥオーモです。
このファサードに使われている白と緑の大理石は、プラート近郊で産するものだそうです。
ここの正面扉のところにも、半円形のルネッタ部分にはアンドレア・デッラ・ロッビアの彩色陶板があります。「聖母子と聖ラウンティウス」です。
ドゥオーモの正面右側に、よそではあまり見かけないバルコニーが設けられています。
その名も「聖なる腰帯の説教壇」。
ミケロッツィとドナテッロの共同制作(ミケロッツィが、建築構造担当、ドナテッロが彫刻担当だったようです)ですが、実はこれはレプリカで、本物は大聖堂博物館に展示してあるのだそうです。
その腰帯は、信憑性はともかく、とりあえず聖母マリアのものとされ、年に5回、この説教壇から司教がそれを掲げる式典があるのだそうです。
その5回とは、復活祭、5月1日、8月15日、9月8日、12月26日です。
あと1日遅く訪れていれば見られたのでしょうけれど、残念でした。
今から5世紀以上も前のプラートのまちで、8月15日の聖母被昇天祭に行われる聖母の腰帯の式典の最中に、ごったがえす群衆に紛れて、サンタ・マルゲリータ尼僧院から一組の男女が駆け落ちしました。
それがフィリッポ・リッピと尼僧のルクレツィアなのだそうです。
腰帯の式典のドサクサに紛れて駆け落ちしたのは、彼らだけではなく、同じ尼僧院の修道女4人が、それぞれの恋人と手に手を取って抜け出し、ローマ法王の逆鱗に触れたそうなのですが、画僧フィリッポ・リッピと尼僧ルクレツィアには、メディチ家のコジモの特別の計らいで法王から環俗の許可が出たのだとか。
ドゥオーモの中には、フィリッポ・リッピやウッチェッロのフレスコ画などがあります。
私達が入ったときは、ミサの最中でしたので、写真は遠慮しました。
こちらは、コムーネ広場にあるプレトリオ宮殿。
階段を上って行くと1850年に創設された市立絵画館があるそうです。
その絵画館にフィリッポ・リッピのすばらしい聖母子像があると、IANUAさんマッチンさんに教えていただきました。
6月のピサ滞在の時に可能なら行きたいと思っています。
サンタ・マリア・デッレ・カルチェリ教会。
初期ルネッサンス様式なのだそう。
皇帝の城。
神聖ローマ帝国の皇帝フリードリッヒ2世によって1237-48年に建築されたためにこう呼ばれています。
プラートの名物にカントゥッチがあります。
アーモンドの入った堅焼きビスコッティのようなものなのですが、これをヴィン・サント(甘い食後酒)などに浸して食べると美味しいのです。
老舗の有名な店があって、買って帰りたかったのに、この日はもちろん休み。
この街には、腰帯の式典のある日にもう一度来なくては...と心に決めて、クリスマスのイルミネーションに灯りが灯り始めたまちを後にしたのでした。
from: ぐら姐さん
2024年05月28日 16時32分37秒
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フラさん、
でしょー。
私は断崖の上にょきっとあるこのまちの写真を見て以来、行きたくてたまらなくなったのです。
この辺りの地図を、ピティリアーノをほぼ真ん中に置いてスクショしてみました。
私たちはグロッセートからバスで向かい、またグロッセートに戻ってから列車でカンピーリア・マリッティマまで行ってからスヴェレートに向かったのですが、グロッセートまで出てしまえば他の素敵なまちに行くのも可能なのではないでしょうか。
ヴィテルボとかタルクイーニアとか。
あるいは、ボルセーナ湖の方に行くバスがあるかもしれません。
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teruteruwasi、 necko、 imagine、 フラ、 くるめながさき、
from: ぐら姐さん
2024年05月27日 15時52分47秒
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少し間が空きました。
トスカーナの28は、ピティリアーノです。
ピティリアーノは、トスカーナ州のマレンマ地方(Maremma)の最南部にあり、
ラツィオ州ヴィテルボ県と接し、フィレンツェ(Firenze)の南約170km、ローマ(Roma)の北西約120kmに位置します。
マレンマ地方というのは、交通の便が悪いため古くから独自の文化を発展させてきたそうで、街が凝灰石の台地の上に、張り付くように形成されているのが特徴なのだそうです。
ピティリアーノは、断崖の上に築かれた城塞都市で、「イタリアの最も美しい村々」の1つに認定されています。
ここの写真をどこかのサイトで見て以来、行ってみたい!とずっと思い続けていました。
’11年8月に友人たちとの日程やコースのすり合わせの結果ようやっとそれが叶うことになっなったのです。
シエナから、グロッセートとアルビーニアでバスを乗り継ぎ、ピティリアーノへと向かいました。
バスは、しばらくはゆるゆると上り、その後比較的平らなところを走っていました。
きっと遠くにぽこっと浮かび上がるまちが見えてきて、坂道をぐんぐん上って行くのだろうと思っていたら、そうではありませんでした。
カーブを曲がった途端、それは本当に突然、目の前に深い谷、そしてその谷からにょきっと生えているように崖の上のまち、ピティリアーノが出現したのです。
あまりに突然、素晴らしい光景が出現し、思わず「オオオーッ」と声を上げてしまいました。
カメラをスタンバイして、いくつめのかのカーブで車窓からこの写真を撮りましたが、最初に見えたときのインパクトにはとてもとても及びません。
そして無事、18:18にピティリアーノに降り立ちました。
バス停の前の店先に腰掛けて夕涼みしている老シニョーレ&シニョーラ達に、
私たちの今夜の宿の主、ピッツェリア・リストランテ「マジカ・トッレ」に行くには?
と尋ねたら、とても近くにあるようだったので信じられない思いでした。
当時、宿の予約サイトでこのまちの宿を探したのですが1軒も無くて、googleマップで貸し部屋をやっているピッツェリアを見つけてメッセージを送ってみたら予約できたのです。
貸し部屋は店とはちょっと離れたところだったのですが、まちの通りに面しているところでした。
この階段を上って2階です。
着いた日の夕方散歩から。
その翌日はサトゥルニア温泉に出かけて戻ってからまち歩き、
その翌日に朝散歩をしてから次のまちに行きました。
ランダムに写真を載せます。
これは日帰り遠足から戻るバスで次のカーブを曲がったら…と構えて撮りましたが、
やっぱりドンピシャでは撮れなくて…
まちの奥の方への散歩も楽しかったです。
決まった曜日に移動の魚屋がやってくるようです。
この肉屋では、干し肉とかサラミとかサルシッチャを作っていて、
干し肉を1本買って味見したらとても美味しかったので、少し買って次の滞在地に持って行きました。
この子はサラちゃん。
おばあちゃんが携帯で音楽を鳴らすとそれに合わせて踊るように体を揺らすのが可愛くて、おばあちゃんやそのお友達が何度も何度も鳴らすのでした。
そして私たちの後をついて来ようとするのでした。
13年も経っているのでもうすっかり美しい娘さんになっているでしょうね。
このシニョーラはフィノッキオの花をハサミで切っていました。
訊いてみたら、お料理に使うのだそうです。
夜のポワーッとほの明るいまちも美しかったです。
from: ぐら姐さん
2024年05月27日 15時05分39秒
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くるめながさきさん、
ありがとうございます。
これからも、可能なことを私らしく発信していきたいと思います。
>イタリア旅 無事に 行って お帰り
はい。
訪れていない5年の間にいろいろと変わったところもあるみたいなので、ぼちぼち勉強します。
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from: くるめながさきさん
2024年05月25日 15時56分50秒
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ーすいませんー は いりません
毎度 素晴らしい 風景 素晴らしい 建物 美味しそうな 食事 果物 料理
毎度 素晴らしいを ありがとう それに 美人のお嬢さん
すいません は いりません
イタリア旅 無事に 行って お帰り
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teruteruwasi、 ねこまろん、 ぐら姐、
from: ぐら姐さん
2024年05月24日 22時32分52秒
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トスカーナの27は、ピストイアです。
’05年12月にフィレンツェに1週間滞在した時に日帰りで行きました。
フィレンツェからルッカに向かう途中にあるまちで、気軽に日帰りで行けるところです。(Trenitaliaで30分ちょっと)
行ったのがナターレの時期でしたから(確かこの日は25日)、観光らしい観光は殆どできなかったのですが(しかも雨)、中世の面影を残す街並みを楽しむことはできました。
ドゥオーモです。
左側に聳える鐘楼に比べ、ドゥオーモは地味な印象があります。
5世紀頃に司教座教会が建てられてから何度も再建され、12世紀に入って現在のロマネスクの大聖堂の建設が始まり、15世紀にほぼ今の姿になったのだとか。
中央の一段高くなったトンネル上の内側は、アンドレア・デッラ・ロッビアの彩色陶板で飾られ、扉上の半月状の部分にも彩色陶板の「天子に囲まれた聖母子」が嵌め込まれています。
こちらは、洗礼堂。白と緑の大理石の縞模様が、ドゥオーモの柱廊玄関とと呼応しているのだとか。
ピストイアに着いて、チェントロ目指して歩いている時に、トイレに行きたくなりました。
イタリアでありがたいのは、どんな日でも開いているバールは見つけられること。
(おそらく、近隣のバール同士で相談して決めているのではないかと思います)
この時も、少し歩いたら見つかりました。
そこは、バールというより、パスティッチェリアで、このシーズンならではのケーキを売っていました。
イタリアで食べる、この手のフルーツのタルトって素朴で本当に美味しいのです。
(甘いものはどうでもいい私の感覚で、ですが)
その後プラートにも寄る予定だったので買うのは諦めました。
こちらもナターレの定番ですね。
オスペダーレ・デル・チェッポ(チェッポ病院)という13世紀に創建された病院です。
チェッポとは切り株のことで、切り株を利用して献金箱とし、創建費用を集めたのでそう呼ばれるようになったのだそうです。
玄関前の柱廊アーチは、1514年に設けられたもので、フィレンツェの捨て子養育院(1420年代の建築)に似た印象があります。
フィレンツェの方には、アンドレア・デッラ・ロッビアが制作した彩色陶板のメダイヨン(円形装飾)がアーチの間を飾っていますが、こちらは、連続アーチのフリーズいっぱいにかなりカラフルな彩色陶板が嵌め込まれています。
1520年代のロッビア工房によるものなのだそうです。
ドゥオーモから駅に向かう途中にあるサン・ジョヴァンニ・フオルチヴィタス教会です。
ドゥオーモやチェッポ病院でのんびり見ていたら、昼休みで扉を閉められていました。
お昼を食べるのになかなか良さそうな店があり、ドアを押したら、今日は残念ながら予約で一杯なんだよ、と断られました。
次の店でも同様で。
この頃は、プランゾ・ディ・ナターレ(クリスマス・ランチ)と言って特別なメニューを用意している店が多く、予約するのが当たり前なのだということをまだ知らなかったのです。
(知ってからは、事前に良さそうな店を検索して事前に予約を入れるようにしています)
幸い、そこそこの店で入れるところがあって、普通に昼食を摂ることができました。
from: ぐら姐さん
2024年05月24日 17時20分50秒
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トスカーナの26は、ピサです。
以前滞在したルッカのアグリトゥーリズモの人たちはピザと言っていました。
確かに母音と母音に挟まれたSは濁ると教わりましたっけ。
でも日本語でピザと書くとピッツァを連想する人が多いのでしょうね…
初めて行ったのはいつだったのか、覚えていません。
古いアルバムを出してみると分かるのかも知れませんけど、いずれにしろフィルムで写真を撮っていた時代のこと。
1人で、多分フィレンツェから日帰りで行ったのです。
記憶に残っているのは、洗礼堂の音響が素晴らしかったことです。
(以前にも書きましたが、たまたま何の担当の人か分かりませんが、この教会の職員のような方が入ってきて、3つの音を順に発すると、例えばそれがドミソだとすると、ドーーーの音にミーーが重なって、さらにそれにソーが重なって、3つの音のハーモニーが長く響いたのです)
以後2回行きましたがそれは二度と目に耳にすることがありませんでした。
2度目は、’03年夏。
これまた移動の途中での立ち寄りで、ペコさんイプさんと一緒に大聖堂と洗礼堂と斜塔を見ました。
斜塔には1度だけ上ったことがあるのですが、最初の時だったのか2度目の時だったのか3度目の時だったのかも定かではありません。
3度目は、’05年9月。
このときは仲良しの先輩の夫(彼とも先輩を通じて良し)を連れて行って、リヴォルノで車を借りてピサとルッカに立ち寄ってパルマへと移動したのでした。
でもこの時の写真が、ほかのところのはあるのにピサだけが見つからず…
というわけで、今日は大聖堂と
洗礼堂
斜塔
すみません、今日はとりあえずこんなところで。
6月にピサに行くので、一杯写真を撮ってこようと思います。
from: ぐら姐さん
2024年05月23日 17時30分22秒
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ピエンツァの続きです。
昼食後に教区博物館に行きました。
美しい祭壇画が多数展示されていました。
ルカ・シニョレッリ
「聖セバスティアーノと聖ベルナルディーノの間の慈悲の聖母」
それらに混じって、展示されていたのが、法王ピオⅡ世の大外衣(マントのようなもの)。
おそらく傷みを最小限にするために照明を落としているのでしょう、
かなり暗いところに展示してあり、
それでも近づいてようく見ると、実に繊細な刺繍がしてあります。
これは「受胎告知」
いろいろたくさん写真を撮っているのですがこのぐらいにしておきます。
その後、午前中に行って中に入れなかったPieve di Corsignano(コルシニャーノ教区教会)にもう一度行ってみました。
開いていたので中に入りました。
入り口の装飾から期待した割りに、中は簡素で、取り立てて興味を惹かれるものはありませんでした。
西日が当たって、やはり外の装飾が美しく映えていました。
そしてまた散歩(何しろちょっと郊外にあるもので)
暮れた後のまちも素敵でした。
from: ぐら姐さん
2024年05月22日 15時22分57秒
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トスカーナの25は、ピエンツァです。
初めて訪れたのは、’98年8月。
モンタルチーノに滞在中に手配した車(4人いたのでお得だったのです)で1日でかけたときに立ち寄りました。
本当にちょこっとだけでした。
2度目は’15年1月。
この時は1泊しました。
わずか1泊でしたが、隣りまちのモンテプルチャーノから朝移動したので、けっこう見ることができました。
一番の目当ては、ちょっと郊外にあるPieve di Corsignano(コルシニャーノ教区教会)で、開いていないこともあるので、ツーリストインフォで確認し、開いていないときは、管理人に連絡してもらうといいらしい、と事前調査していたので、まずはツーリストインフォへ行きましたが、10時にならないと開きません。
少しまち散歩をしました。
旧市街入り口の門
路地の向こうにオルチャ渓谷の景色。
商店がちらほら開き始めていました。
ピエンツァと言えば、やはりペコリーノ・ディ・ピエンツァ。大好き!
サン・フランチェスコ教会が開いていたので入ってみました。
ツーリスト・インフォが開く時間になったの行ってみました。
「この時期は、ちゃんと朝から開いているはずよ。プレゼーピを飾っているはずだし。」というので、安心して向かいました。
のどかな景色を見ながらの、歩いて1kmほどの散歩です。
見えてきました。
到着。
でも残念。
インフォのオネエサンの言ったことは口から出まかせでした。
入り口は、閉まっています。
外側からだけでも楽しめましたが、やはり中も見たいので、出直すことに。
せっかくなので、美しい景色の中を少し歩きました。
調子に乗ってたくさん写真を載せてしまいましたが、もう少し載せたいので次回に続きます。
from: teruteruwasiさん
2024年05月21日 11時37分28秒
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いつ見てもいい雰囲気がありますね見てもいい訃音気がありますね
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from: ぐら姐さん
2024年05月21日 11時12分41秒
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トスカーナの23は、バー二・ディ・ルッカです。
’06年3月、ルッカ郊外のアグリトゥーリズモに滞在しているときに日帰りで出かけ、ちょこっと降り立ちました。
ルッカの北にバーニ・ディ・ルッカと言う、温泉地があり、そこからさらに北東に行ったところに、古い小さな城塞都市、モンテフェガテーシがあると知り、というかその写真を見て、行けるものなら行ってみようと思ったのです。
まずはバー二・ディ・ルッカまで行きました。
平日ならバスが数本あるのですが、当日は日曜日で1本も無いことが、日本で調べてわかっていたのでタクシーを呼ぶ予定でした。
近くのバールでトイレを済ませてからタクシーを呼ぼうと思い、駅前はあまりに閑散としているので、歩き始めました。駅が、バーニ・ディ・ルッカの街から離れていることは知っていましたがけっこう距離がありそうです。
しばらく歩いてバールを見つけてカフェを飲み、トイレを借りて
ついでに、自分のいる場所がはっきり分からないので、バールのおにいさんに、タクシーを呼んでくれるよう頼みました。そこまではよかったのです。
ところが。タクシーは、まちに1台だけ。そのドライバーが、仕事で徹夜し、朝7時に帰ってきたため、今は眠っていて、起こせないと奥さんが言っているのだそう。
バールのおにいさんが親切な人で、店の客みんなに、ほかにタクシーサービスをしてくれる人を聞いて、3軒ほどに電話してくれました。
でも電話に出なかったり、出ても今日は予定があったり・・・。地図で見るとけっこうな距離があり、また車もぴゅんぴゅん走っている道なので、歩く気もしないし・・・。仕方が無い、また来いよと言われているのだわ。おにいさんにお礼を言って、バールを出ました。
モンテフェガテーシには振られてしまったわけですが、バールで親切にしてもらえたので、爽やかな気分で、別の方向に散歩することを決めたのでした。
親切だったバール
そのバールへ行く途中に、石造りで、歩くところに木が敷いてある19世紀の橋に出ました。
そこは渡れるのですが工事中で、工事期間が書いてあり、「仕事が終わるまで」と書いてあって笑ってしまいました。
その橋は、なかなか素敵でした。
モンテフェガテーシ行きは諦めて、バーニ・ディ・ルッカから列車でさらに北上し、カステル・ヌオーヴォ・ガルファニャーナにある大好きなバール兼トラットリア、「イル・ヴェッキオ・ムリーノ」へ行こうと、駅に戻ることに。
駅に着いて時刻表を見れば、北上する列車は2時間以上も待たないと来ません。
来た方へ南下する列車は、1時間ちょっと後なら来そうです。
この辺りの観光地図に、悪魔の橋'Ponte del Diavolo'という素敵な橋が出ていて、南に1駅行けば見られます。
カステル・ヌオーヴォ・ガルファニャーナ行きも諦めて、さらに、悪魔の橋方向に行くにしても列車を待つより早いかな、と思ったので歩くことにしました。
歩き始めた頃には、日も高くなってきて、朝のピーンと張りつめたひんやりした空気が温まり、道端の花も咲き誇っていて、足取りも弾みます。鼻歌なんか歌いながらどんどん歩きました。
悪魔の橋ポンテ・デル・ディアボロという名前は、イタリアにはいくつかあるようです。でも、私が検索した限りでは、これが一番かっこいい。
検索してみたら、旅行記にこの橋の写真を載せている方がけっこういらっしゃいましたが、私のように奥の駅から歩いた人はさすがにいないようで、この景色は見ていないようです。
歩いていくと遠くに橋が見え始め、あ、綺麗と写真を撮ってはまた歩き始め、
それがだんだん大きく見えてきて、また撮っては歩き、これが3枚目ぐらいに撮ったものでしょうか。
橋の上からの北方向の眺めです。いちばん奥には、雪をいただいた山々が見えたのですが、写真にはうっすらとしか見えません。
橋のてっぺんから、下を見たところです。けっこう急だと言うことがお分かりいただけるでしょうか。イタリア人のカップルが上ってきて、写真撮影を頼まれ、写真を撮り終えると、また同じ方向に下りて行きました。
というわけで、バー二・ディ・ルッカの写真は、バールの店内と工事中の橋だけで、いつもならだいたい撮っている駅写真すらありません。
ついでなので、美しかった悪魔の橋を載せました。
鼻歌なんか歌ったと書きましたが、この橋のさらに先まで行く途中の長閑な景色。
ついつい「春の小川」を口ずさんだのでした。
ボッカルッポさんは、ご夫婦で近くに2泊されたとのこと。
できれば、これぞバー二・ディ・ルッカという写真を拝見させていただけないでしょうか。
from: ぐら姐さん
2024年05月19日 19時34分19秒
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ボッカルッポさん、
ご指摘ありがとうございます!
とても嬉しいです。
バーニョ・ヴィニョーニの間違いです。
ぼうっとしていました。
そしてバーニョ・ヴィニョーニは23ではなく24でした。
はずは今日のコメントを訂正し、23のバー二・ディ・ルッカは次回に載せますね。
ときどきうっかりするので、間違えたり、抜けていたりしたらこのようにご指摘いただけると大変ありがたいです。
今後ともよろしくお願いいたします。
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from: ボッカルーポさん
2024年05月19日 19時00分16秒
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いつも楽しみに見ていますが、初コメントです。
この写真はバーニ・ディ・ルッカではないと思います。
子どもたちが我々夫婦に旅行をプレゼントしてくれ、この近くに2泊しましたが残念ながらこのような景色は見かけませんでした。
是非に行ってみたいと思い、探してみたところ Bagno Vignoni ではないでしょうか。
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from: ぐら姐さん
2024年05月19日 16時53分17秒
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トスカーナの24は、バーニョ・ヴィニョーニです。
’11年夏にモンテプルチャーノに滞在し、車をチャーターしてのオルチャ渓谷巡りをしたときに立ち寄りました。
ここにはローマ時代からの温泉があります。
まちの中心の広場の代わりに大きな温泉池があるのでした。
ここの温泉池広場、車で案内してくれたトモコさんの夫のマッシモさんが子どものころは入れたんだそうですが、今は禁止されているのだとか。
足湯と言うわけではありませんが、温泉が流れているところがあり、そこに足を浸けるのはOKなので、ちょっとだけ楽しみました。
この先で崖から落ち、崖下には温泉プールがあるのだそうです。
日本の温泉とは違いますが、イタリアの温泉プールでゆっくり過ごすのもいいでしょうねえ。
from: ぐら姐さん
2024年05月18日 20時41分45秒
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トスカーナの22は、チェルタルドです。
ここにも、先に書いたソヴァーナ、ソラーノを訪れた時の同じ旅行で、なおさん運転のレンタカーで行きました。
サン・ジミニャーノの少し北にあります。
サン・ジミニャーノ~チェルタルドは25分ぐらいです。
ベルガモと同様に旧市街が新市街より高い位置(アルト)にあり、
新市街に車を停めて、旧市街へ行きます。
フニコラーレ(ケーブルカー)があり、
切符売り場のところがツーリストインフォにもなっていました。
私たちの前の英語圏のオジサマが、フニコラーレの切符を買おうとしたら、
今日は運休なのでバスで行ってくださいって言われていたので、
私たちもバスの切符を買いました。
ミニバスでした。
10分もかからずにアルタの広場に到着。
もう、そこから素敵な雰囲気です。
時計塔のある方へと歩き始めました。
午後のおしゃべりを楽しむ地元の人たち
地元食材の加工品をお土産品として売っている店。
お茶も飲めます。
サンティッシミ・ヤコポ・エ・フィリッポ教会という名前の
12世紀のロマネスク教会です。
中に入ってみました。
これは、ボッカッチョの像のようです。
ちょっと調べてみたら、
「ジョヴァンニ・ボッカッチョ(伊: Giovanni Boccaccio, 1313年 - 1375年12月21日)は、中世イタリア、フィレンツェの詩人、散文作家。
フィレンツェ商人の父と名もなきフランス人女性との間に私生児として生まれたとされるが、出生地は不明であり、チェルタルドやパリとする説もある。なお、ボッカッチョの父はすぐに彼を認知する。・・・」とありました。
チェルタルドの人たちは、ここがボッカッチョの出生地と思っているのでしょうね、
この後の散歩でも彼にちなんだものをいろいろと見ました。
デッラ・ロッビアの工房の作品がありました。
素敵な郵便受け
バスを降りた広場から、時計塔のある建物までは大した距離はないのですが、
あっちに寄り、こっちに逸れて、やっと辿り着きました。
来た道を振り返ってみました。
横の道に入りました。
遠くに見えているのは、サン・ジミニャーノです。
チェルタルドの最初の広場から、反対側の方に行ってみました。
これが、こちら側のまちの門。
下から上ってきた人たち。
フニコラーレの駅があり、線路が見えました。
新市街に戻りました。
新市街もちょっと散歩。
チェルタルドって、鉄道駅がありました。
鉄道でも来られるのですね。
新市街からアルタにある旧市街が見えました。
from: ぐら姐さん
2024年05月31日 08時50分09秒
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>teruteruwasiさん
はい、良いところです。
また行きたいです。
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