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from: ぐら姐さん
2023年12月10日 20時52分37秒
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リグーリアの(小さな)まち
プーリア前編の次は、リグーリアを取り上げたいと思います。
ジェノヴァ以外で訪れたのは以下のようになります。
1.アプリカーレ
2.アルベンガ
3.アンドーラ
4.インぺリア
5.ヴェンティミッリア
6.カモッリ
7.キアーヴァリ
8.サヴォーナ
9.サン・フルットゥオーゾ
10.サンタ・マルゲリータ・リグレ
11.サンレモ
12.チェリアーナ
13.チェルヴォ
*チンクエテッレ
14.ヴェルナッツァ
15.コルニーリア
16.マナローラ
17.モンテロッソ・アル・マーレ
18.リオマッジョーレ
19.トリオーラ
20.ドルチェアックア
21.パルマリア島(抜かしていたことに気付き、加えました)
22.ポルト・ヴェーネレ
23.ポルトフィーノ
24.ライグエリア
25.ラ・スペツィア
26.ラパッロ
それほど多いと思っていなかったのですが、
思ったよりもたくさんありました。
ということで、これまた2部に分けて書いていくようになります。
今日は、リグ―リアの大きなまちジェノヴァの写真を何枚か載せます。
王宮
こうして見ると、やはりジェノヴァは大きな都市ですね。
リグーリア編をスタートさせて早々、明日からちょこっと出かけますので
続きは戻りましてから書きます。
コメント: 全59件
from: ぐら姐さん
2024年11月01日 09時17分51秒
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リグーリアの26は、ラパッロです。26が最終です。
'08年12月カモッリに滞在中に訪れました。
カモッリの隣り駅がサンタ・マルゲリータ、その隣りがラパッロで、列車に乗ればすぐなのでサンタ・マルゲリータを訪れた時に思っていたいよりも時間があったので、ラパッロへ足を延ばすことにしたのでした。
といっても、予備知識ゼロ。
でも、ホテルのオジサマがくれた地図には、ラパッロのまちのものもあったので、それを見ると、港にお城があるようなので目指しました。
駅です。
駅前の道を左に進みました。
途中にちょっと気になる搭があったので、そちらの方へ歩いていってみました。
港とお城が見えてきました。
でもちょっと趣のある教会があったのでまた寄り道。
そして、お城へ。
お城と言っても、見張り台のようなサイズです。
別な角度から見てみると、小さいけどなかなかいい感じです。
クリスマスから新年にかけては、こんな飾りもあちこちで見かけます。
ラパッロはこの地方で最も古いまちなのだそう。
ローマ時代よりも前に住んでいたリグリ・ティグリ族の名から、この湾にその名前が与えられたと言われていて、第二次ポエニ戦争の最中に、ハンニバルも通ったと伝説が伝える中世の橋があるそうです。
ドゥオーモ(大聖堂)は、12世紀に建造されたもので、新古典主義スタイルの大理石のファサードを有しているとの記述も見つけました。
さらに、天候のよい時期の写真を見るととても綺麗!
記憶が薄らいでいましたが、こうして改めて振り返ってみると、リグーリアの海辺のまちに滞在して、改めてラパッロもちゃんと見てみたいなあと思いました。
これにて州別シリーズのリグーリアは終わりです。
from: ぐら姐さん
2024年10月31日 21時02分55秒
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リグーリアの25は、ラ・スペツィアです。
’16年8月に、滞在したキアーヴァリからポルトヴェーネレに行くときに通りました。
行きと帰りに通っただけです。
駅からバス乗り場まで撮ったまちの様子はこんな感じ。
バス停のあるカヴール通り。
これだけです。
実は、ここには来ようと思っていなくて来たことがあります。
’15年1月初旬のこと。
このことは「イタリアで困った」のトピックに書いたので、今は長々とは書きません。
ピエンツァを出て、シエナまで行き、バスに乗ってフィレンツェまで移動。
翌日ミラノから帰国するのでどうしてもミラノに行かないといけないのに、列車を予約していなかったのです。
これまでの旅行で、列車が満席でチケットが買えなかった経験はなく、乗りたい列車は買えなくても、その後とか、もっと遅くというのは買えたのです。
それに、イタリア人のことだから、翌週から仕事が本格的に始まるといっても、日曜に自宅に戻る人は多いだろうけれどまさか前倒しで土曜までこんなに混むとは思いも寄らず。
自販機でも、窓口でも、遅い列車も、高い座席も、イタロも、全滅。
翌朝の列車を調べると、それでは飛行機に乗り遅れる時間しかなく。
どうして事前に買わなかったかというと、シエナにいる時間がはっきりと読めず、フィレンツェ行きのバスを何時にするか決められなかったので、列車を決めてしまって乗り遅れたらいやだと思っていたのです。
フィレンツェの駅の雑踏の中で途方に暮れそうになった時、頭の中にイタリアの地図が浮かんできました。
無い知恵を絞って、調べました。
まずは、駅に貼ってあるPartenzeの時刻表
ラ・スペツィアに行くレジョナーレ(予約不要)何ありそうです。所要時間2時間半ほど。
次に自販機で調べ、ミラノまでの通しのチケットではなくピサを経由してラ・スペツィアまでと、そこからミラノまでのチケットを購入。
フィレンツェを15時半頃に出て、18時少し前にラ・スペツィアに着き、そこで少し時間があるので早めの夕食を摂りました。
ともかくラ・スペツィアまで来ることができ、後はミラノ行きに乗るだけと思ったら気持ちが緩んだのでしょう、あの時のラ・スペツィアの駅から店までの光景、店のちょっとうらぶれた感じ、今も画像として脳裡に残っているのに、写真は1枚も撮っていませんでした。
ラ・スペツィアは、写真として記録には残っていませんが、記憶には強く残っているまちです。
from: ぐら姐さん
2024年10月30日 09時27分28秒
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リグーリアの24は、ライグエリアです。
ピエモンテ、カネッリの馴染みのアグリのご主人の奥様所有のマンション(海辺のバカンス用)があるアンドーラの隣まちです。
'07年3月にそのアグリに滞在した際、車で通りかかった時にちょこっと降りて歩きました。
この小さな広場から砂浜におりました。
誰もいない砂浜を、気持ちよ〜く歩きました。
いかにもリグーリアらしい建物の色です。
ちょっと離れたところに2つの塔が見えました。
このまちの建物は、パステル系の中でも、ピンクが主流のようです。微妙に濃淡の違うピンクの壁に、白い窓枠、緑の鎧戸。
小路を追いかけて、どんどん入っていきたくなります。
いくつかの店が、ひっそりと営業しています。建物の下の部分が塗り分けられているのは、どういうわけなのでしょう。
ここを抜けると、向こうは海... 夏は、きっと結構な賑わいになるのでしょう。
海に面した小さな広場に、Il muretto dei ciclisti「自転車競技者たちの(小さな)壁」がありました。
きっと、好きな人が見たら、知っている名前がたくさんあるのでしょうね。私は、さっぱり。ここに名前を入れられることは、名誉なことなのでしょうか...
このあたりを過ぎると、もうまち外れ。古い塔が一つありました。
from: ぐら姐さん
2024年10月29日 14時38分46秒
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リグーリアの21はパルマリア島です。
リグーリアのトピックを立てた時に訪れたまちを列挙しましたが、パルマリア島を抜かしていたことに気が付きました。
ということで、ポルトヴェーネレが22、ポルトフィーノが23と番号をずらし、
21にパルマリア島を入れました。
今日は、その抜かしてしまったのパルマリア島について書きます。
ポルトヴェーネレの目と鼻の先にある小さな島です。
ここも世界遺産。
雑誌で見た美味しいお店で食べるのが目的で訪れました。
こんな小型の船が日に何便も行き来しています。
牡蠣の養殖をしているのだとか。
多分、これは牡蠣の筏ですね。
船着き場から、リストランテまでは、歩いて6~7分。
この賑わっているビーチとは逆の方向です。
店頭のメニューには、雑誌で見たオーナーシェフのジュゼッペさんの写真が。
ちゃんと予約していたので、それを告げると、
お庭の席に通されました。
テーブルからの眺め
メニューを見て、アンティパストには生の魚介の盛り合わせをオーダー。
そして、メニューにはなかったのですが、セコンドにアスティチェ(オマール海老)を使った料理があったので、それを使ったパスタを作ってもらえないかお願いしてみました。
初め、それはできないよとカメリエーレのオニイサン。
でも、彼よりちょっとベテランの人が横を通りかかり、ちょっと待ってね、奥で訊いてくるから、と言ってくれて、その結果、オーケーになったのでした。
イタリアは客の我儘に応えてくれるこんなお店が結構あるのです。
デッラ・カーサの白は、微発泡。1Lで15エウロでした。
きりっと冷えていて、なかなか美味しい!
ところが、オーダーしたアンティパストが来ずに、プリモのアスティチェのリングイーネが来てしましました。
どうやら、最初のオニイサンがアスティチェのパスタをオーダー時、できるのできないのと言っている間に、忘れてしまったようです。
プリモが来ちゃったので、今さらアンティパストを追加オーダーするのもねえ...
ひとまずものすごく美味しそうなパスタ3人前があるのですから、食べちゃおう!
ちゃんと1尾半使ったたっぷりの3人前です。
取り分けて食べ始めても、この量。
アンティパストを抜かされたので、セコンドに、魚のグリルを1皿オーダーしました。
ヴィーノも追加の白を1L。
プリモを食べてからの追加オーダーだったので、時間がかかるよと言われましたが、思ったほど待たずに出てきました。
直径40cmぐらいのお皿です。
立派なサイズの魚に、ポテトがどっさりとペペローネが2切れ。
これが、ほんとに美味しくて、たまらない味!
ただ焼いただけとは思えないほど。
ポテトも魚の出汁を吸っていて、いいお味。
見かけだけでは分からない、感動の1皿でした。
ドルチェもいただきました。
私の梨のトルタ。
小食のイプさんは、固形物はもう無理、ということで
ソルベット・アル・リモーネ。
そして、カッフェで〆ました。
ここで食べるためだけに訪れたパルマリア島でしたが、
大大大満足の遠足でした。
リストランテでゆったりとした昼食を楽しんだ後は、船の時間まで少し間があるので、ビーチで泳ぎました。(ちゃんと、下に水着を着て行ったのです~)
私とペコさんを、イプさんが撮ってくれました。
もっとアップのもあるのですが、お目汚しになるので、自粛。
船着き場で待っている間に、(多分)地元の子どもたちが、岩の上からボッチャン、ボッチャンと飛び込みを楽しんでいました。
大将の男の子が一人一人の飛び込みを見ては、かっこいい女の子には、ディエチ(10)、友達の男の子のちょっとかっこいい飛び込みにはオット(8)、弟にはドゥーエ(2)などと勝手に点数を付けているのが面白かったです。
船がやって来たのでポルトヴェーネレに戻りました。
夏のイタリアの海辺、やっぱりいいなあ。
こうして振り返ってみるとまた行きたくなります。
from: ぐら姐さん
2024年10月29日 13時47分23秒
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リグーリアの23は、ポルトフィーノです。
ポルトフィーノは、セレブが訪れるリゾート地として知られています。
'98年夏に私1人で訪れたことがありますが、リヴィエラ随一の高級リゾート地を一目見ておこうというだけで、特別長居したいとも思っていませんでした。
私の身の丈には合わない居心地の悪さを感じました。
その時の写真は見つかりません。データ化したのですけれど…
'08年冬にチンクエ・テッレのリオマッジョーレ滞在中に、イプさんの持っている本のコピーに、サンタ・マルゲリータ・リグレの美味しそうな魚介の店が紹介してあり、そこに食べに行くついでにイプさんがまだ行ったことがないポルトフィーノに行くことにしたのでした。
電車でまずはサンタ・マルゲリータ・リグレへ。
ポルトフィーノまではここからバスか船で行きます。
冬は船はなくて、バスで行きました。('98年は船で行きました)
CMなどでもおなじみのポルトフィーノの港の景色。
マリーナの飾りはなぜかサイでした。
そこからの眺めが素晴らしいというブラウン城へと上って行きました。
城には入らず、いくつものハイキングコースが作ってあるうちの、港へ戻るコースを下っていくと、ポルトフィーノの港の辺りの全景が見渡せました。
この辺りは、自家用の大型クルーザーからボートに乗り換え、海に面した入り口から直接入れるようなつくりの別荘があったりします。
'98年の夏に訪れたときは、大きなクルーザを停泊させ、ペイド・クルーが甲斐甲斐しく働く中、ゲストを迎えてデッキのテーブルで優雅にお茶をするオーナーらしき人々の姿が見られました。
さすが冬だとそういう船は全く見かけることはありませんでした。
ドゥオーモ。
やはり今回も、このまちには自分の身の置き所はないような感じがして、次のバスでサンタマルゲリータに戻りました。
from: ぐら姐さん
2024年10月28日 08時59分47秒
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リグーリアの22は、ポルトヴェーネレです。
初めて行ったのは、'06年3月、2度目は10年以上間が開いて'16年の8月です。
'06年の時は、'04年に訪れたルッカのアグリトゥーリズモにもう1度行ってみたくて滞在して近隣に出かけた時に、ちょこっと足を伸ばしました。
'16年の時は、ここを目当てにして行ったわけではなく、キアーヴァリでの夏のバカンス中にポルトヴェーネレから船ですぐに渡れるパルマリア島に食べに行ったときに少しまち歩きをしたのでした。
ポルトヴェーネレも、実はチンクエ・テッレとともに「ポルトヴェーネレ、チンクエ・テッレ及び小島群」として世界文化遺産に登録されています。
ツアーだとチンクエ・テッレ巡りだけを組み込んでいるものが多いようですが、ここも美しい海辺のまちなのです。
永沢まことさんの絵を見てから、行きたい...とずっと思っていたまちで、色とりどりの建物が海に面して並んでいます。
’16年8月の写真をメインに、’06年のものも少し入れて載せますね。
ポルトヴェーネレには、ラ・スペツィアからバスで行きました。
30分ほどで着き、バス停を降りて少し歩けば、この景色。
空も建物も洗濯物も含めて、イタリアの光、イタリアの色!
メインの通りを散歩。
ここはペスト・ジェノヴェーゼを作って売っている店。
フォカッチャに付けて試食させてくれました。
買って、宿でパスタに使って食べましたが、色鮮やかで香りも高く美味しかった~
崖っぷちに建つサン・ピエトロ教会
↑この窓から見える海の美しいこと!
教会内部
パルマリア島に向かう船から見たポルト・ヴェーネレ
これは’06年3月に訪れた時のもの。空の色が違うとこんなに印象が違います。
もし近隣のまちに滞在していてここに日帰りで行くなら、天気予報を見て晴れた日に行くことをお薦めします。
from: ぐら姐さん
2024年10月27日 09時19分58秒
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teruteruwasiさん、
そうですよねー、こんなところまで行く日本人はそんなに多くないかもです。
papalinaさんと計画を立てた時に、お互い「イタリア 小さな村の物語」で見たアプリカーレに行きたいと思っていたので調べてみたら鷲ノ巣の村々のことを知り、コースを組んだのでした。
機会がありましたら、是非訪れてみてください。
from: ぐら姐さん
2024年10月27日 08時00分38秒
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リグーリアの20は、ドルチェアックアです。
ここも、トリオーラと同様'10年の12月の同じ日にに行きました。
というのも、南仏にある鷲ノ巣村のようにフランス国境に近いこのエリアにも鷲ノ巣村がいくつかあり、それを車で1日で見て回ったのです。
運転してくださるpapalinaさんがいてくださったからこそできたことでした。
前回書いたトリオーラがその日訪れた最後のまちで、最初に訪れたのがドルチェアックアでした。
ヴェンティミッリアからけっこう近いところにあります。
鷲ノ巣村とは岩山のてっぺんに築かれた姿が鷲の巣のように見えることから、そう呼ばれるようになったそうです。
ドルチェアックアは平地にあり、鷲ノ巣ではないのですがまちのつくりは典型的な鷲ノ巣村です。
高い岩山に村を築く代わりに川を利用してまちの防御を考えたようです。
基本的には、幅の狭い橋を渡った先の暗い穴の様な通路が街の入り口です。
まちの外周を囲む建物は高くそびえ、それ自体が城壁の役割をはたしているとのこと。
まちの入り口は石造りの太鼓橋です。(左に見えているのは後からできた新市街)
現代は、こんなふうに車が通れる道も造られています。
新市街の方に車を置いて、徒歩でないと渡れない橋の方からまちに入りました。
橋を渡り終えると岩の塊?のような入り口があり入るといきなりの閉鎖空間。
それもかなりいい感じの。
上から自然光が入って入るのですが、洞窟の中に入ったような感じでした。(写真に上手く撮れませんでしたが)
そして道が続いています。
突然中世のまちにタイムスリップしたような感覚です。
元々はロ-マ時代に始まり、農主の名前ドルシスと呼ばれていたのが、時代と共に言葉も住んでる住人も代わりドルチェアックアと呼ばれるようになったそうです。
廃墟になったこの村を1151年にヴェンティミッリア公が領土にし、それを1270年にジェノヴァのドーリア公が襲って勝利を収め、お城を建てました。
残念ながら1744年にオーストリア軍に攻められてお城の一部が崩壊し、その後1887年に大震災によりさらにダメージを受けたため、今はお城を見学することは出来ないそうです。
今、この村の中にはドルチェアックアの裏山で作られたオリーブオイルやヴィーノを売る地元のお店が幾つかあり、
数人のアーティストが絵葉書や絵を売って生計を立てているのだとか。
泊まる観光客もいるようでB&Bもありました。
これより先には進めません。
引き返し、足の向くままに歩きました。
開けたところに出ました。
教会がありました。
車で渡れる橋がある方に続いているのでした。
この時期ならではのプレゼーピ。
火も焚いていました。
最初に渡った橋が見えます。
オイルとヴィーノを売る店がありました。
試飲をさせていただきましたが、買いませんでした。
川を渡って新市街へ。
この日は市が立っていました。
旧市街に1泊し、夜も朝も散歩してみたいと思いました。
from: ぐら姐さん
2024年10月22日 14時31分34秒
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只今羽田空港です。
ちょこっと出かけてきます。
残念ながら🇮🇹行きではありません。
南の島でしばしぼうっとしてきます。
(ぼうっとしているのはいつものことですが。)
from: ぐら姐さん
2024年10月21日 14時32分16秒
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リグーリアの19は、トリオーラです。
フランスとの国境の駅のあるヴェンティミッリアから北上した山の中にあります。
’10年の12月に行きました。
Papalinaさんと一緒の旅で、彼女の運転でレンタカーで訪れました。
かつて魔女裁判が何度も行われたというまちです。
チェリアーナへ行くためにアプリカーレからバイアルドという村まで行ったところで
南東へくねくね道を下ったのでその道を一旦戻り、バイアルドからトリオーラへと向かうのですが、
○狭い、
○ガードレールがない、でも片側は崖
○舗装が小型車1車線分
○舗装の両端が、まるで南部せんべいの縁のぴらぴらのように、薄くてギザギザ、
○人家がない、
○そしてもちろん山道なのでくねくね、ヘアピン以上のカーブの連続
という道に入って、その道といったら、もし対向車が来たらどうしよう・・・って状態で。
走れば走るほど、何もない山奥のくねくね道。
走って走って、やっと少し走りやすい道に出ても人家はなくて、
暗くなってきた頃に、遠くにまちの灯りが見えたときは本当にほっとしました。
トリオーラの手前のまちに着いたときは、すっかり暗くなっていたけど、
店が開いていたので、絵葉書がほしいと思って、立ち寄りました。
魔女裁判を行い、魔女と決め付けられた多くの女性が処刑されたまちなのに、
今や「魔女のまち」を観光の目玉にしているらしく、
まだ手前のまちなのに、その店には魔女グッズがたくさんありました。
土産物屋のあったところから少し行って、ようやくトリオーラに到着。
もう夜になっていましたが、せっかくだから車を降りて少し歩きました。
博物館などいくつか見どころがありそうな地図。
魔女関連の博物館(?)は閉めるところでしたが、
天井から人形がたくさんぶらさがっていたのでパチリ。
観光でまちを見終えて帰っていくシニョーレに、
英語で「魔女に気をつけて」と声をかけられながら、さらにまちの中へ。
明るければ、まちの全体の姿が見えるのでしょうが、こればかりは仕方ありません。
もう少しこのまちのことを下調べしてからまた来よう、とつぶやいて、帰りはサンレモまで、バスも走っている道を走り、夜の8時ごろにヴェンティミッリアに帰り着いたのでした。
from: ぐら姐さん
2024年10月21日 14時01分31秒
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申し訳ありません。
リグーリア15.コルニリアについて、
「ここには'98年の初チンクエテッレのときしか行っていません。
・・・・・フィルムからデータ化した写真を見てみましたが、ありませんでした。
というわけで次の16.マナローラのことを書きます。」
などと書きましたが、間違いでした。
’08年12月に行った時にもコルニリアを訪れ(と言うより通過して)少しだけ写真を撮っていました。
少しですが、載せます。
駅からぐんぐん上ったところにまちがありました。
途中から見下ろしたコルニリアの駅。
斜面にへばりつくように家々が建てられていました。
まちを通り抜けました。
from: ぐら姐さん
2024年10月20日 11時14分24秒
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リグーリアの18はリオマッジョーレ、チンクエ・テッレの最後です。
’08年冬にこのまちに滞在し、チンクエ・テッレや近くのまちを見に行きました。
駅前にある壁画。
チンクエ・テッレの人々が、長年に渡ってこつこつと急斜面に石を運び、積み上げて、葡萄畑をつくり上げてきた様子が描かれています。
チンクエ・テッレは、
・急な斜面や限られた平地に村が築かれ、独特の文化を生んだこと
・周囲の景観と調和した村々の佇まいが美しいこと
・リアス式の入り組んだ海岸と、崖地にへばりついたカラフルな色彩の集落が織り成す景観が美しいことから、ポルトヴェーネレと沖合いの小島群とともに1997年に世界文化遺産に登録されました。
人間の手によって、急斜面に石垣を築いて畑や集落を築き上げた「文化遺産」なのです。
ナターレの時期なので、通りにはイルミネーションが。
港は、冬はひっそりとしています。
でもナターレの時期=ヴァカンスシーズンでもあるので、観光客は少しいました。
外国からの人が多いようでした。
山の方の坂道を歩いている途中、自分の家のプレゼピオを見て行けという看板があったので覘いてみました。
こうやって工夫して飾って楽しんで、他の人にも見てほしいと思うのでしょうね。
そこから駅に行く途中の崖っぷちの眺め。
こんな崖にもレモンなどを栽培しているのがチンクエ・テッレらしいです。
駅を見下ろしました。
高低差があるので有料のエレベーターがありました。
さて、この時は、リオマッジョーレからマナローラに続く「愛の小道」を歩きました。
’98年のときは無料だったのに、この時は有料になり、門が設置されていました。
イプさんが初めてだったので歩きました。
風は冷たいけれど、海が青くていい気持ちでした。
愛し合うカップルが、永遠の愛を願って(誓って?)南京錠をかけ、二度と開錠できないように、その鍵を海に投げ捨てるのだとか。
私が知っている限りでは、カップルが永遠の愛を誓って錠をかけるのはここから始まったと思うのですが、実はもっと早いところがあったのかも知れません。
今はヴェッキオ橋などあちこちで見かけますね。
from: ぐら姐さん
2024年10月20日 10時48分55秒
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フラさん、
>お食べ地獄にまみれたい
>一人旅だと無理そうでしょうかね?
是非是非訪れてゆったりと素敵なお食べ地獄を楽しんでいただきたいです。
イタリアではわがままに寛容ですから、好きなものだけ好きなだけ食べて、後は残せばよいのではないでしょうか。
私の胃袋は、いまだに食べる飲むにがっつり対応できる状態です。
健康のためにはよくないのでしょうが…
機会があればどこかで合流してお食べ地獄にまみれあーも。
《ん?と思われる方のために一言》
イタリア語の一人称複数で、~amoと言うので、まみれましょうをまみれあーもにしてみました。
イタリア在住日本人は、しゃべりあーも、飲みあーも、(信号を)渡りあーも、などと言って楽しんでいるようです。
そう言えば、何かのCMでバレーボールの石川兄妹が、アンディアーモ(行きましょう)とぎこちなく言っているのが微笑ましいですね。
from: ぐら姐さん
2024年10月20日 10時38分38秒
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ザヴィエルさん、
>最近は前菜がずらっと並び勝手に取ってくれスタイルの店などは少なくなったでしょうね
そうなのでしょうね。
6~7月の旅行ではやはり自分で取ってくるスタイルのものは見かけなかったような気がします。
>その頃は歩きか船だけ
!!!そうなのですか?電車の駅がなかったのですね…
私もこうして写真を見て振り返るとまた行きたい気持ちになりますが(特に山からの眺めが良かった鰯の店)、おそらくシチリアとかプーリアとかカラブリアとか南に行ってしまう気がします。
from: teruteruwasiさん
2024年11月01日 11時02分32秒
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ヨーロッパ独特の建物ですね行きたいです
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