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from: ぐら姐さん
2024年02月08日 14時22分10秒
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ピエモンテの(小さな)まち
南イタリアが大好きなのに、ピエモンテも好きなのです。
初めて行ったのはトリノだけでしたが、その後白トリュフ祭りのことを知ってアルバに出かけるなどして楽しみがどんどん増えたのでした。
訪れたまちを挙げてみます。
1.アスティ
2.アックイ・テルメ
3.アルバ
4.ヴィコフォルテ
5.オローパ
6.カヴァリエット
7.カネッリ
8.クーネオ
9.グラッツァーノ・バドリオ
10.ケラスコ
11.ストレーザ
12.チェンタッロ
13.ディアーノ・ダルバ
14.ニッツァ・モンフェラート
15.ネイヴェ
16.バルバレスコ
17.バローロ
18.ピオッツォ
19.ブラ
20.ラ・モッラ
21.リモーネ
22.ロッカヴェラーノ
次回、1から順に書いていきますが、今日は州都トリノの写真を。
王宮。
サン・カルロ広場
トリノのシンボル、モーレ・アントネッリアーナ。
上に登るエレベーターはいつも混んでいます。
トラムとクレマリエーラ・サッシと言う乗り物で行った山の上にあるスーペルガ聖堂。
この聖堂にはサヴォイア家の墓があるのですが、ガイデッド・ツアーの時間が合わなくて、見ませんでした。
標高700メートルの高台にあるので、眺めが素晴らしいと聞いていました。
せっかくなので一番高いところ、クーポラから見たのですが、逆光でよく見えませんでした。
トリノと言えば老舗カフェがいくつもあります。
フィアットの自動車博物館内。
トリノには何度も行っているので、州都のまとめの時にたくさん載せます。
コメント: 全42件
from: ぐら姐さん
2025年01月29日 13時37分29秒
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ピエモンテの17は、バローロです。
(これを抜かして18のピオッツォを書いてしまいましたけど)
’04年にアルバのトリュフ祭り(7人参加)~バルバレスコ(バルバレスコ6人)の後、もう少し日程を取れる2人と一緒に3人でバローロへ行きました。
見学できそうなカンティーナを探しているうちに、大手のカンティーナなのですが(できれば小さなところにこそ興味ありなのですけれど)、そこのサイトにリンクして、そのカンティーナ所有のヴィッラがあることが分かりました。
その映像がとても素敵で、ああ夏にゆったりとこんなところですごしたい!と思うようなところなのです。
しかもリストランテもあったので、メールで予約したのでした。
今、そのカンティーナ、フォンターナフレッダ社のサイトを見たら、宿泊施設が増えだいぶ変わったようです。
もし行きたいと思われる方は、サイトをよく見てどの施設がいちばん自分に合いそうか調べることをお薦めします。
https://www.villaggionarrante.it/en/?doing_wp_cron=1738125688.2411348819732666015625
カンティーナの名は、フォンターナ・フレッダ。3人いたのでアルバからタクシーで行きました。
到着すると丘のふもとに社名、そして門にはこのカンティーナのマークがありました。
オフィスのある建物。
ネッビオーロ種の葉が、真っ赤に紅葉していました。
サルデーニャ王国の最後の国王であり、都市国家が並立していたイタリア全土が統一されてイタリア王国となったときの国王、ヴィットーリオ・エマヌエーレⅡ世所有の土地だったので、国王のワインとも言われるフォンターナフレッダ。
門についているこのカンティーナのマークに王冠が付いているのもそのためです。
ヴィッラ・コンテッサ・ローザというのは、そのヴィットーリオ・エマヌエーレⅡ世の愛妾ローザ・テレーザ・ヴェルチェッラーナ・グエッリエーリに与えたヴィッラなのだそうです。
こんな素敵なヴィッラをもらえるなら、私も愛人でいいなぁ、なんて思ってしまったりして。
彼女はその後彼の2番目の妻になり、1人の息子をもうけました。
その息子が、醸造に積極的に取り組み始めたのだとか。
そのヴィッラ・コンテッサ・ローザが、今はリストランテになっています。
これがそのヴィッラです。
こちらが宿泊棟
私が泊まった部屋
もちろんカンティーナの見学ができます。
大手なのでちゃんと英語やフランス語など、外国語の堪能なスタッフがいて、外国からの訪問や商談を受けることができるようになっていました。
カンティーナは、大きな建物です。
地下に案内されると、大樽が奥の方までズラズラ〜っと並んでいました。
同じバローロでも、セッラルンガ、ラ・ローザなどと名前が付けられていますが、ここで作っているバローロは、大きく3つに分けられるのだそうです。
1つはシルバーラベルのバローロ。
これは、自社葡萄とと購入した葡萄でつくられるもの。
2つ目はヴィラージュと呼ばれるタイプでセッラルンガなどに代表される50%が自社葡萄でつくられるもの。
そして、3つめが、シングルヴィンヤードもの。
これは畑名を名乗るラローザなどで、もちろん自社葡萄100%です。
ステンレスタンクで熟成中のところも見たのですが、写真がぶれぶれのため省略します。
大きなカンティーナ内をさらに下りたり、上ったりしている途中にこの奥に、フォンターナフレッダ(冷たい泉)があると表示がありました。
フォンターナフレッダの社名は、ここから名づけられたのね、と思っていたら、このエリア全体が湧き水が非常に多く出るところだったので、古くからフォンターナフレッダと呼ばれていたのだそうです。
洒落たテイスティングルームで何種類かをテイスティングさせていただき、最後にここのショップで買い物をしました。
ショップにはフォンターナフレッダ社のロゴ入りグッズなどもあって、この時に買ったソムリエナイフは、今でも我が家で使用しています。
その後はリストランテでディナーをいただきました。
この当時は、1泊2食付、食事にはそれぞれの料理に合わせたヴィーノが1杯ずつ5種付いて1人100ユーロでした。
私は、シングルの部屋(ツインのシングルユース)だったので20ユーロほど高かったかもしれません。
今から見たらだいぶお安いですね。20年以上前ということもありますし、バカンスシーズンでなかったこともあるのでしょう。
リストランテは落ち着きがあり、いい雰囲気でした。
前菜2皿。
ほろほろ鳥を焼いて細くほぐしたものとラディッキオ、根セロリなどの千切りに刻んだ栗を混ぜたサラダ仕立てのもの。
エンダイブのスフレにラスケラという名のチーズのソースをかけたもの。これはなかなかのお味でした。
プリモは、マルタリアータというパスタ。
下手くそ切りとでも言ったらいいのでしょうか。
手打ちパスタを不揃いに切ったものです。生ハムを刻んだものが入った軽いクリーム味だったような。
これも美味しかったです。
セコンドは、豚肉のローストヘーゼルナッツのソースがけ。
ポテトも一緒にローストしてあるので、ロースとポークの脂の味を吸っていて美味。
ドルチェは、リコッタのトルタにベリーを飾ったもの。
見かけは野暮ったいですが、とても美味しかったです。
いただいたヴィーノ
ボトルの写真を撮りたいと言ったら、カメリエーレのオニイサンが、グラスに1杯ずつ注ぎ終えたものを置いていってくれ、そして他のテーブルの馴染み客にだいぶ関わっていたので、結果的には、ヴィーノはグラス1杯ずつではなく飲み放題状態になったのでした。
その後友人たちと夏に1泊したかったのですが、夏は1泊では予約を受けないようでした。
奇しくも2日前の食事会にここのバローロが出てきて、懐かしく思い、美味しくいただいてきました。
バローロで訪れたのはここだけで、行きも帰りもタクシーだったので、バローロのまちは全然歩いていません。
行ってみたいなあ…
from: ぐら姐さん
2025年01月27日 09時48分49秒
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ピオッツォの続きです。
見学を終えて、カーザ・バラデンに戻りました。
素敵なお宿でした。
でも、その後改築?増築?だかで変わったようです。
大きくなったのでしょうか。
見に行きたいなあ。
まち歩き写真を載せます。
ちょっと歩けばまち外れ。
ちょっと賑やかなのは中心の広場付近だけでした。
ビッレリアのお客は、今日の見学者たち?
夜のまち
お宿の朝食
リストランテで料理に合わせて飲んだビール
何故グラスにちょっとずつ残っているか不思議でしょ?
私は次のが出る前に全部飲みました。
リトルさんが下戸でして、少し飲み、隣りの人(私とかペコさん夫とか)に分け、でもちょっとずつ残していたのです。
2泊したので、夕食はビッレリアとリストランテで1回ずつ楽しみました。
工場見学は着いた日だったので、次の昼は車で近隣に出かけました。
公共交通のあまり動いていないエリアでは、車があると本当に便利ですね。
(滅多にしないので余計にそう感じました)
もっと詳しくご覧になりたい方は、行った当時のご報告をご覧ください。
https://www.beach.jp/circleboard/ac48590/topic/1100202986195?sortList%5BsortType%5D=2#position1100202986195
from: ぐら姐さん
2025年01月26日 17時05分51秒
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次はピエモンテの17.バローロを書くべきところ、ついうっかり飛ばして、
18.ピオッツォを書いてしまいました。
コピペして後回しにしてバローロを書こうかとも思いましたが、写真をコピペできないので、ピオッツォの後にバローロのことを書きます。
ご容赦を。
ピオッツォは、既に書いた6のケラスコの南にある、特に見どころもない田舎の小さなまちです。
私とイプさんは運転できないのですが、ペコさん夫妻とリトルさんは、運転できるので、トリノで車を借りてケラスコ、ピオッツォを訪れました。
’16年8月のことです。
何故ピオッツォかというと、テオ・ムッソがイタリア初のクラフトビールをつくるべくバラデンの醸造所を建造したのです。
美味しいんです、ここのビール。
いろいろと種類もありまして。
カーザ・バラデンという宿泊施設があり、そこのリストランテでは、それぞれの料理にビールを合わせるコースがあるというので’16年7月に宿と食事を予約して行きました。
小さなまちの中心の広場には、車を停めることもできました。
広場に面してカーザ・バラデンの入り口があります。
日曜には、工場見学会があり、まずはテオ・ムッソによるバラデンの概要説明。
ビール造りに興味を持った経緯やこのまちに工場を建てた理由。
工場と言うよりも本当に小さな規模でスタートしたことなど…
ビッレリア(ビールを飲ませる店)に移動し、ここでもテオの話の続きを聞きました。
ここは、サーカス小屋だったそうで、そのままのイメージを残してポップな内装になっています。
その後また場所を変えて、最初の工場のあったところへ。
みんなでぞろぞろ歩いての移動です。
そこは、今はカンティーナとして、シャオユーというデザートワインのようなビールを熟成させるのに使っていました。
テオが、樽から自分のグラスに注いだものを、
みんなのグラスに少しずつ分けて、テイスティングをさせてくれました。
マルサラ酒とかシェリー酒のような味わいでした。
だんだん規模が大きくなっていき、郊外に工場を立てたので、この後それぞれの車に乗って工場に向かいました。
私たちが訪れたその年の7月にオープンしたばかりの新工場の敷地に入るところで駐車。
広い敷地の奥の方に工場が見えています。
右側に見えている廃屋は、テオが買い取ったもので、
ここをきれいに改築し、この広場を毎週末
近郊の食肉業者や農家などに開放し、メルカートを開くプランがあるそうです。
そこで肉や野菜を売るだけでなく、
バーベキューなどその場で食べられるものも売り、
バラデンビールも売るのだそうです。
広い敷地で、夢がさらに広がっているようです。
私たちが行ってからもう8年半が経っていますから、ずいぶんと変わり、メルカートがオープンしているかも知れませんね。
工場です。
日曜なので、工場では誰も仕事をしていません。
仕込みをするところへ。
見学ルートは、タンクを上から見下ろすように通路が作ってあります。
そして、その通路には、ビールの原材料が展示されています。
バラデンにはいろいろな種類のビールがあり、それぞれに個性的なのでビールごとにかなり違う材料を入れています。
なんと、この会社はレシピをすべてオープンにしているのだそうです。
テオは、ときどき材料を少しずつみんなにくれて、香りをかがせてくれました。
私はベルガモットの香りが大好きなので、お土産にいただいてきました。
それぞれの種類のビールの大きな仕込みタンクがあるエリア。
ミラノEXPOのために日本から運ばれた醤油仕込み用の木樽を1つ譲り受け、何やら実験中の「KIDARU PROJECT」なるものがありました。
工場見学と言うよりも、テオの語る夢を聞いた感のあるツアーでしたが、終了後はショップの方へ。
ショップだけは開けていました。
プレゼントにポスターを1枚いただき、買い物をしたい人はして解散。
すみません、ピオッツォのまちの写真やお宿の食事などはまた次回。
from: ぐら姐さん
2025年01月26日 09時19分58秒
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IANUAさん、
最近は、科学的な研究を醸造に活かす方法や、逆にビオデナミなどの自然の力を生かす方法などが磨かれ、あちこちで銘酒が誕生していますね。
好きなものが増えすぎて困ってしまいます。
近頃は週2~3日程度の休肝日をつくるようにしていますし(旅行中は例外で毎日口にしていましたけど)ビールも日本酒も焼酎も泡盛も好きですし。
それぞれに素晴らしい銘柄が生まれていますし。
近頃はシチリアやカラブリアのものも好みで。
明日は、ジェット杯優勝ソムリエの田上さんのワインサービスを楽しむ食事会に出かける予定です。
というわけで、
皆様へ
このところ度々ちょこちょこと遊びに行ってこの掲示板をサボっていますが、またちょこっと休みます。
ジェット杯とは、イタリアワイン・ベスト・ソムリエ・コンクールのことで、
イタリア共和国駐日大使館公認 "イタリアワイン大使"の称号が授与される唯一の大会です。
from: ぐら姐さん
2025年01月26日 08時21分26秒
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コウチャンさん
行かれて、飲んでいらしたのですね。
まあ飲むのは世界のどこにいてもできることですが、やはり現地に行ってみたくなりますよね。
またいつか訪れる機会が訪れますように。
from: IANUAさん
2025年01月25日 20時27分10秒
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バローロとバルバレスコ、私の最も好きなワインの二つです。最近はボルゲリの色々な銘柄も同格になっています。(憧れのマッセートは高すぎて買えませんけど。)
赤が主体でしたが、白もおいしいのが増えてきてますね。エルバルーチェとかロエロ・アルネイスとか。ルケ・ディ・カスタニョーレだけはなぜか風味がどうしても好きになれません・・(癖ありすぎじゃないでしょうか)。
よくロエロ・アルネイスの6本セットを買って飲んだくれています。ピエモンテは白も絶妙で飽きません♪
from: コウチャンさん
2025年01月25日 09時42分53秒
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バルバレスコ~🎵バローロ➰(o^-')b !
そのときは ワインに興味があって 行きターいと思って イタリア語の先生に 連れていって貰ったことがあります~🎵カンティーナを 見学させて貰って 素敵な場所で試飲させて貰ったことがあります~🎵バローロが有名でしたが バルバレスコも美味しかったなー~☺私も20年以上前の記憶です➰~💦又行きたいです➰(o^-')b !いつのことやら?行けるかなー?➰😱
from: ぐら姐さん
2025年01月25日 08時07分52秒
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バルバレスコの続きです。
まちを少し歩きました。
バルバレスコで生産されているほとんどの銘柄が展示してあって有料試飲できるところがありました。
まちの中心部に近いところに、バルバレスコ協同組合のカンティーナもあるということなので、行ってみました。
ちょうど運ばれてきた葡萄をトラックから下ろしているところでした。
そしてその場でつぶされて
発酵のタンクに運ばれるのでした。
試飲もできました。
ここでもまた少し買いました。
その後眺めのいいバールで休憩。
タクシーで帰ろうと思って呼んでくださいとお願いしたら、このまちにはタクシーが無くて、アルバから呼ぶので時間もお金もかかるよ、とのこと。
距離はありますが、6人いれば心強いし、と歩いてホテルまで帰ったのでした。
この時のホテルは、'98年の時と同じホテルです。
6年経って、ファクスではなくメールのやり取りで予約することができ、翌日が定休日で閉まるなんてこともないことを確認できました。
何故この宿かというと、リストランテの料理が美味しかったことと見学をお願いしていたカンティーナに割と近いからです。
誰が何を食べたか今となっては覚えていませんが、お料理写真を。
ドルチェはパンナコッタ。
初めてパンナコッタを食べたのはトリノでしたが、ピエモンテで食べるパンナコッタは本当に濃厚な味ででもくどくなくて、最高です。
あれ以来20年以上もバルバレスコには行っていませんが、繁忙期が落ち着く11月頃にまた訪れたいなあと思い続けています。
from: teruteruwasiさん
2025年01月24日 17時11分18秒
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私も試飲して、みたいです
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icon拍手者リスト
ねこまろん、 ぐら姐、 くるめながさき、 teruteruwasi、
from: ぐら姐さん
2025年01月24日 16時22分46秒
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州別シリーズは、残すところピエモンテとシチリアの2州となしました。
今日からピエモンテの続きを書くことにします。
ピエモンテの16は、バルバレスコです。
ピエモンテでトリノの次に訪れたまちです。
最初は、'98年8月に訪れました。
かつてイタリアの3大ヴィーノと言えば、バローロ、バルバレスコ、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノと言われていました。
今もこの3つは素晴らしいですが、他にも素晴らしいヴィーノが続々と誕生していますから、もう3大...というのにこだわることはないですよね。
でも、当時はその3つの産地を訪れてみたいと思っていました。
ちょうどミラノからアオスタに行く計画があったので、その帰りにバローロ、バルバレスコには行かれるかも...と行き方などを調べたのですが、'98年当時インターネットで調べられることには限りがあり、ガイドブックにも載っていなくて、イタリア政府観光局に行って、宿を調べました。
閲覧した資料にはバローロにはよさそうな宿が見つけられず、バルバレスコの宿が見つかったので3つ4つメモして、ファクスを送ってみました。
1泊だけでしたが返信が着た宿に泊まりました。
アルバまで鉄道で行って、そこからバスがあればいいと思いましたが、バスは1日に数本しかないようで、しかも夏休みなど学校がないときは全くと言っていいほどないので、タクシーで宿まで行きました。
そしてバルバレスコはあちら、の道標を見て適当に歩きました。
道すがらに見かける家はとても立派で、日本の米農家で言えば新潟の広い敷地を持つコシヒカリ農家の家のようだなあという感想を持ちました。(山村の、機械が入ることすら大変な小規模農家とは違う)
人のいるカンティーナを見つけて声をかけてみました。
タンクの洗浄作業をしているシニョーレが手を止めて挨拶を返してくれました。
そして、娘さんに案内をお願いしてくれて簡単に見せていただきました。
まだ収穫期ではなかったので、見せてもらえたのだと思います。(収穫期は多忙)
一緒に写真を撮らせてもらい、
販売もしていたのでヴィーノを2本買いました。
ホテルは、リストランテを併設していてなかなか美味しかったのですが、驚いたことに泊った翌朝はホテルの定休日だそうで、前夜の内に会計を済ませ、朝食は無い、鍵は部屋の中に置いて出て行くように言われ、それを事前にではなく当日夜に言われたのでそれはそれはびっくりしたものでした。
こんなこと後にも先にも1度だけです。
予約した宿が夏休みに入ってしまっていて閉まっていたことはありますが。
2度目が'04年10月。
この時は、「地球の歩き方掲示板」でいろいろコメントのやり取りをして親しくなった人たちと一緒に初めてのアルバ白トリュフ祭りに行った7人のうち、もう少し日程が取れる人6人でアルバの翌日に1泊で行きました。
「ワイン王国」か何かの雑誌でバローロ、バルバレスコのいろいろな作り手の特集をしていて、住所や連絡先を調べることができたのです。
いくつかに連絡してみて、繁忙期だから無理と断られもしましたが、1軒、多分大丈夫だけど、前日にでももう一度電話してみるように言われたのです。
そして電話したら、午後ならOKということでホテルから歩いていきました。
地図はプリントアウトしていて大体あっちの方だよね、などとこの辺りで話していたら、ブドウをたくさん積んだトラクターが畑から上がってきて、私たちが見ていたら、止まって、食べるかいと大きな1房をホイとくれました。
ついでなので、カンティーナの場所を尋ねたら、畑の道を通る近道を教えてくれたのでした。
みんなで畑の中の道を歩いていたら、オバチャン、オジチャンたちがおしゃべりをしながら収穫をしていました。
あいさつをしたら、ここでも葡萄をくれました。
美味しいのよ~と。
カンティーナに到着しました。
繁忙期なので作業中のところに近づいて見せていただくことはできませんでしたが、試飲室に通していただき、お話を聞きながら試飲させていただきました。
担当の女性がいろいろ説明しながら何種類も試飲させてくださり
オーナーと写真を撮らせていただきました。
みんな数本ずつ購入して、お礼を言って出ました。
そのころには作業が終わり、だいたい片付いたカンティーナをちらりと見ることができました。
このあとバルバレスコのまちの方へ行ったのですが、楽しかったことをいろいろ思い出して調子に乗ってたくさん写真を載せ過ぎたので、続きはまた次回に。
from: ぐら姐さん
2024年11月12日 10時15分36秒
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ピエモンテの15は、ネイヴェです。
ネイヴェは、ロマーノ・レヴィさんのグラッパの蒸留所があるところです。
ロマーノ・レヴィさんはグラッパの伝説的なつくり手です。
そのグラッパは、銘柄によってバローロのヴィナッチャ(ブドウの搾りかす)のみを使ったり、バルバレスコ、ドルチェット・ダルバ、バルベーラ・ダルバなどのヴィナッチャを使ったりし、自然炎の直火式蒸留釜、無補糖・無香料で蒸留してつくられていました。
過去形で書いたのは、2008年に亡くなられたからです。
今でもそのつくり方を守って同じように生産しているようですが。
その味もですが、えもいわれぬ素敵な可愛らしい絵を描く方で、それを用いたエチケッタ(ラベル)も含めてとても人気の高いグラッパです。(お値段も高いですが)
'06年秋にカネッリの馴染みのアグリのご主人が、車で連れて行ってくれました。
ご高齢で、何が原因か知りませんか、頭が前に垂れて、ご自分の手で持ち上げないと顔を上げられない状態でした。
それでも絵を描き続けていらして。
私がお目にかかったのが'06年、そして'08年5月に79歳で逝去されました。
本当にあのときに連れて行っていただいてよかったと思っています。
蒸留所兼自宅がとても独特で素敵なのです。
グラッパは好きなのに、そして材料はヴィーノの搾りかすということも知っていましたが、作り方はよく知らないので調べてみました。
原料に熱を加えて、アルコール分と香りを蒸発させたのち、冷却して液体として取り出すのだそうです。
方法には、大量生産に向いた連続式と伝統的な非連続式があり、連続式は、釜が階層になっており、一度の蒸留で、高いアルコールを得る事ができまるのだそうです。
伝統的なのは非連続式で、
1)搾りかすと水を釜に入れて直火にかける(この方法は難しいです)
2)搾りかすをいれた釜を湯煎する
3)搾りかすをいれた釜を蒸気で熱する
の3つの方法に分けられ、3)が一番使われているそうです。
でも、レヴィさんのところは自然炎の直火式蒸留釜ということですから、ここで言う1)で作っているのです。
非連続式は、蒸留の最初にでてくる部分は香りがよくないので捨てて、中心の部分だけを使い、後半も種子や果皮に含まれるオイルや不純物が多くなるので使わないのだとか。
小さな生産者はこの非連続式でグラッパを造っており、それぞれ個性的な味わいが楽しめるのだそうです。
ブドウの搾りかすを貯蔵している場所。
事務所というか、ムゼオというか。
ロマーノ・レヴィさんが、アトリエから出てきてくださいました。
アトリエも見せていただけました。
ロマーノ・レヴィさんの絵が、私は大好きです。
入り口付近や建物の瓦のようなものにも、絵が描いてありました。
私は、このときにこのコルクと
ポスターをいただいてきて、我が家の家宝にしています。
(グラッパは高価すぎて買えないので...)
from: ぐら姐さん
2024年11月11日 11時04分17秒
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ピエモンテの14は、ニッツァ・モンフェラートです。
'10年大晦日のチェノーネをカネッリの馴染みのアグリトゥーリズモで過ごし2泊。
'11年元日に近くのこのまちにちょこっと出かけたのでした。
1月1日は冬の旅行で12月25日と並んで、困ってしまう日。
どこへ行っても観光どころや店は閉まっています。
どこか散歩して楽しいところはないか尋ねたら、隣町のニッツァ・モンフェッラートが可愛らしいまちだというので車で出かけることにしたのでした。
まちの入り口の駐車場に車を停めて、まちに入って行きました。
明るい日差しがありました。
ほどなく、生パスタ屋さんが営業中なのを見つけました。
パスタ作りの作業中です。
ご挨拶をして店に入り、写真を撮らせていただきました。
う〜ん、美味しそう。
日本で言えば、製麺所とかうどん屋さんと言ったところですね。
お礼を言って店を出て、また歩くとオマワリさん。
どうやら何かの違反をした車を止まらせて、違反切符を切るようでした。
正月早々運の悪い方がいるものですね。(端っこに先端が見えている青い車です。)
ムニチピオ(町役場)です。
この通りには、古い店が残っているようです。
建物に書かれている文字は美容院なのに、中にあるものはちょっと違うよう。
古い外観をそのまま残して、中身は変わっているのですね。
こちらは、看板と同じ、お菓子屋さんでした。
通りを抜けると、おそらく街の中心的な広場に出ました。
普段は駐車場になっているけど、週に1〜2度の市の立つ日は賑やかなのでしょうね。
何もすることがなくて暇をもてあましている(?)シニョーレたちが、
あっちに3人、こっちに5人と集っては立ち話をしています。
イタリアでは、暇つぶしをしたいときは、外に出れば話し相手がたくさんいてなんとかなるのですね。
なにやら宴の後のような建物が見えてきました。
近づいて見ると「Festa Privata(プライベートパーティー)」と表示が。
この会場を貸し切りにして、
どこかのグループが主催してチェノーネのパーティーを行ったのでしょうね。
食べ&飲みきれないほどのご馳走や飲み物が出されたようで、あちこちに食べ残し、飲み残しが見えました。
パネットーネも丸ごと。
パーティーをやっているところを見たかった、いえ、参加したかったなぁ。
それにしても、それほど大きくないこんな街の真ん中に。
こんな大きなパーティースペースがあるなんて、素敵ですよね。
おそらく使用料も安いのではないかしら。
散歩を続けました。
この庭は公園のようになっているのですが、開園時間が決まっていて、この日はクローズ。
普通の集合住宅。
歩き始めのドゥオーモに戻りました。
ちょうどミサが終わったところだったので、中に入りました。
特に観光客が訪れるような、美術品のあるドゥオーモではないようですが、
まちの人々に大事にされ、よりどころにされているような感じがしました。
上の写真の右の方に見えているのは、赤ちゃんの名前と誕生日を書いた飾りの数々です。
無事に生まれたことへの感謝やこれからの健やかな成長を願って、
このように飾るのでしょうか。
それとも洗礼を受けた赤ちゃんたちなのでしょうか。
私にはよくわかりませんが、家族の喜びや願いが伝わってくるようですね。
ここは、普段のまちの様子も見てみたいと思いました。
from: ぐら姐さん
2024年11月09日 22時02分58秒
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ピエモンテの13は、ディアーノ・ダルバです。
'08年8月に行きました。
この年は家庭の事情で夏の旅行を諦めるつもりで、友人たちと8人で予約していたクルーズをキャンセル料が安いうちにキャンセルしたのでした。
ところが、また事情が変わって、旅行に行けるようになったのでした(航空券はキャンセルしていなかった)。
というわけでこの年の夏の旅行は、
パートⅠ みんなとミラノ~ジェノヴァ
パートⅡ クルーズに行く人たちと別れてプーリアへ
パートⅢ アルバでクルーズを終えたイプさんと合流してピエモンテの旅
という計画にしたのでした。
イプさんと合流してタクシーでディアーノ・ダルバへ向かったのでした。
ホテルは、ヴィーノの郷にあり、ブドウの丘を眺めながらプールに入れるところを2泊予約していました。
実は、イプさんが、春に高校のクラス会に参加した際、卒業以来〇十年ぶりに会った友人男性が、ワイン輸入の仕事をしていて、ディアーノ・ダルバのカンティーナのオーナーと友人だと聞いてきたのです。
そしてそのときに滞在したこのホテルを私たちに教えてくれたのです。
カンティーナも見せてもらえることになり、翌日車で迎えに来てくださって案内してもらいました。
部屋の窓を開けると、お宿のプールが見下ろせました。
プールの向こうには、ぐるりと葡萄畑が広がります。
よく見ると、プールの日焼け場には砂が敷き詰めてあって、ビーチ気分を盛り上げているよう。
とても混んでいるので、プールへ行くのは止めにしました。
そのかわり、プール近くのバールで、生ビールタイム。
しばらく見ていると、夕方になり地元の人たちが続々と帰って行きます。
どうやらここのプールは、近所の人たちの恰好の遊び場所になっているようでした。
日曜なのでなおのこと混んでいたのでしょう。
夕食の時間になったら、宿は静かになりました。
さて夕食は眺めの良いこのホテルの屋外レストランで。ワインの里ですもの、地元のものを頂きました。この日は、選んだ料理に合わせて、少し軽めの赤。
これは、私の選んだ前菜。
これはパスタではなく、フィノッキオ(フェンネル)を桂剥きのようにしたもの。
それにクルミとカステルマーニョを混ぜたサラダです。
(カステルマーニョは、カステルマーニョ村という小さな村で、夏の放牧期にだけ製造され、生産量が少ないので幻のチーズと呼ばれているチーズです。)
フィノッキオ大好き、カステルマーニョも大好きな私には堪らない味。さっぱりしているのにコクがあって、軽めの赤とすごく合います。
そしてプリモ。
メンタ(ミント)とカカオのパスタです。
メニューでこの名前を見ても、どんなものか想像できなかったのでオーダーしてみました。2種類の手打ちパスタのミックスだったのです。
おそるおそる食べてみるとこれが美味しい!それぞれを食べると、ミントの香り、カカオの香りがし、それがどちらも強すぎないので、両方合わせて食べるとなんともいい感じに渾然一体となって、絡めてあるバターとの相性も抜群。
なかなか気に入りました。
この日は、昼にガッツリ食べているし、ドルチェも食べたかったのでセコンドはなしにしましたが、パスタに夢中になって、ボトルのヴィーノを飲むのを忘れてしまっていたのでドルチェの前にチーズの盛り合わせをいただきました。
(1つ食べてから撮りました。失礼)
そしてドルチェは、パンナコッタで〜す!しつこく書きますが、ピエモンテは生クリームが美味しいので、他のどの土地で食べるよりも美味しいパンナコッタにありつけると私は感じています。
ソースは、森のフルーツ(ベリー類)。
予想通りの美味しさでした。
ディアーノ・ダルバに2泊した中日、カンティーナ見学の10時のお迎えの前にまち散歩をしました。
やはりこんもりした丘に出来ているまちなので、天辺近くに、ドゥオーモがあります。
もっと高いところにある、見晴らしのよい公園から撮りました。
写真はこれだけです。
そそられるバールやワインバーもあったのですが、午後の部の散歩で...と思っていたら、予想とは少し違う展開になり、散歩はしませんでした。
(カンティーナで、試飲なんてレベルではない量を飲んで、部屋に帰ってパタンと寝てしまったのでした。エヘヘ)
from: ぐら姐さん
2024年11月08日 09時27分04秒
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ピエモンテの12.はチェンタッロです。
ここも、それどこ?という感じの、このまちの名前を聞いたことのある日本人は何人いるかしら、というぐらいのまちです。
'10年冬にヴェンティミッリアから北上して車でトリノに向かっているときに通りかかったまちです。
ちょうど昼時で、お腹が空いているときにちょうど赤信号で止まった交差点のその一角のホテルのリストランテの看板とAPERTOの文字がビビビッと目に入ったのです。
都合のよいことに、向かいの角に駐車場もあり、車を停めてそこで食べることにしたのでした。
小さいながらもなかなか老舗のホテルのようで、リストランテもとてもいい雰囲気です。
ドライブの途中ではありますが、ちゃんと食事したい気分になり
2人とも前菜とセコンドの2皿ずつ食べることに。
ヴィーノは、運転してくれているpapalinaさんの
「どうせなら、ハーフじゃなくてフルボトルを取って、残ったら今夜のホテルまで持って行けばいいんじゃない」
という助言のもとに、1本。
とはいえ、残ることはありませんでした。(予想通り。papalinaさんは2杯ほど飲みましたが、アルコールに強いし、イタリアは厳しくないし。)
ストゥッツィキーノは、ポテサラ。
エレガントな味のポテサラで、この店は絶対美味しい料理が出てくると確信しました。
パンも、ほら美味しそう。
私の前菜は、グリーンピースのクリームのベッドに乗った甲烏賊の煮物
グリーンピース好き、烏賊好きにはたまらない1皿です。
(イタリアのグリーンピース、ピゼッリは、日本のものより小粒で、柔らかくて甘味があって美味しいのです)
papalinaさんは、自家製フォアグラテリーヌ、トーストしたブリオッシュと林檎のカラメル煮添え
これまた絶品(味見させていただきました)
そしてセコンドは2人とも、トリッパ煮込みピエモンテ風
柔らかく、さっぱりしていて、ボリュームたっぷり。
こういうところでドルチェを食べないのは、もったいないので、オーダー。
名前は忘れましたが、私のはセミフレッドに熱いエスプレッソとホットチョコレートを掛けて食べるもの。
小食のpapalinaさんは、オーダーしなかったのに、おまけの小さなケーキをサービスしていただけました。
ともかく、どれも美味しくて店の雰囲気もよくてこの宿に泊まって朝食もいただいてみたいな、なんて思ったのでした。
後で調べてみたら、この店、自分のところのサイトはつくっていないけど、ガンベロ・ロッソの1つフォークの店でした。
我ながら鼻が利くなあと改めて思ったのでした。
このまちで、このまちだと分かるような写真は、最初の1枚だけという束の間の立ち寄りだったのでした。
from: ぐら姐さん
2024年11月07日 10時15分56秒
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ピエモンテの11は、ストレーザです。
'00年の8月のこと。
いつものことながら、どうせ行くならできるだけ長くイタリアに滞在していたいと思っていたので、一緒に旅行した友人たちが帰国してもあと2日おまけの滞在をしたいと一人でミラノにいた時に、日帰りで出かけました。
当時はまだデジカメを使用していませんでしたので、フィルムで撮ったものをデータ化したものを載せます。
フィルムで撮っていた頃は、36枚撮りフィルムを15本とか20本とか持参して行ってたので、まるでそこにいた証拠写真を残したいかのように、目当ての場所にいる自分、というものをメインに取り、景色だけ、料理だけ、観光名所だけという写真はほとんど撮っていませんでした。
バンバン撮って最後の方でフィルムが足りなくなって撮れない...なんてことの内容に節約して撮っていたのです。
幸いにもこの時は旅行の最後の2日なのにフィルムの残りがあったのでしょう。
一人だったこともあって、私の入っていない写真がけっこうあるので載せます。
ストレーザと行ってもピンとこない人が多いことと思います。
マッジョーレ湖に面したスイスとの国境近くにあるリゾート地です。
私は、マッジョーレ湖に浮かぶボッロメオ諸島のことを「イタリア美術案内」という本で知り、それが見たくて出かけたのでした。
ボッロメオ諸島なんて言うと、たいそうな島々がありそうですが、ストレーザの船の発着場所からすでに目の前に見えます。
目当ては、ベッラ島。宮殿と庭園で占められているのです。
小船に乗ってものの5分ほどで到着します。
まずは宮殿内の見学。
残念ながら撮影禁止でした。
ダイニングルームの家具はフィレンツェから取り寄せ、シャンデリアはヴェネツィアングラスだとのこと。
宮殿内からマジョーレ湖や庭園などの眺めを楽しめる部屋もあり、ドーム状の大きな空間が広がっていました。
2階のバルコニーにはオーケストラが入って演奏するのだそうです。
1935年にドイツの侵入を阻止したストレーザ会議が行われたという部屋は、トルコ石などを使用した、宮殿内で一番高価な家具が使用されているのだとか。
ナポレオンが1797年に泊まったと言う部屋は、ナポレオンとジョセフィーヌが使用した、当時のままのベッドが置いてありました。
貝を埋め込んだ、変なグロッタ(洞窟)もつくってありました。
使用した大理石は、白はマッジョーレ、ピンクはヴェローナ、そして黒石はヴェスヴィオから運んだのだそうです。
奥の方にある庭に出ました。こちらは撮影OK。
放し飼いにしてある孔雀が出迎えてくれました。
奥の方に、建築物が。
その建築物の階段を上っていきます。横から見た感じがこれ。
天辺です。
向こう側にもまだ庭の続きが。
下りて行きました。
下から見上げるとこんなです。
小さな池に睡蓮が咲いていました。
珍しいのか、熱心に写真を撮っている人がいました。
こんなところに1人掛けの椅子。
主が庭を眺めるためでしょうか。それとも湖を背景に美しく着飾った貴婦人が座るためなのでしょうか。
他の2つの島のうち、ペスカトーリ島は、漁師の家がならぶ風情のある島だったらしいのですが、今はレストランや土産物屋が数軒ある島です。
こちらにも渡ってみましたが、あまりそそられる店がなかったので、(というよりも、駅から湖に歩く途中でアイリッシュ・バーを見つけて久々にビールを飲みたい気持ちになっていたので)ちょっとみて、美しい庭があるというマードレ島は、船を大分待たないといけなかったので、ひとまず目当てのベッラ島を見たのでよしとして、帰りました。
from: ぐら姐さん
2024年11月07日 08時55分45秒
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IANUAさん、
訪れたそれぞれのまち歩き写真を中心に、と思っているのですが、
写真を選んでいるうちに、料理写真を見ては美味しかったなあ…と思い出し、
このところついつい載せています。
>あのとがった形の美しい山はモンヴィーゾですね
そうなのですね。
美しいですよね。
早朝に見たあの景色、また見に行きたいです。
from: ぐら姐さん
2024年11月07日 08時50分02秒
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ザヴィエルさん、
イタリアは地方地方で本当に表情が違いますね。
お料理も。
私も毎日は無理かも。
南の料理だと毎日食べ続けられると思いますが。
でも、ピエモンテの料理も素晴らしいので、ときどきならいいと思います。
from: IANUAさん
2024年11月06日 22時02分24秒
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ピエモンテ、クーネオとケラスコなんて美食の中心みたいなところでうらやましいです。
あのとがった形の美しい山はモンヴィーゾですね。私の大好きなサルッツォからもよく見えます。ここのミネラルウォーターを使った化粧品をプレゼントで当てたことがあり、しばらく大事に使いました。
この夏ピエモンテに行ったくせにまた行きたくなっています。しかし来年は聖年なので混雑イタリア行きは自粛しようかなあと考え中です。
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ねこまろん、 くるめながさき、 Yuko、 teruteruwasi、 ぐら姐、
from: ぐら姐さん
57分前
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ピエモンテの19は、ブラです。
知る人ぞ知るスロウフードの発祥の地です。
ウィキペディアによれば、
「1980年代半ば、ローマの名所の1つであるスペイン広場にマクドナルドが開店した。このことが、ファストフードにイタリアの食文化が食いつぶされる、という危機感を生み、『スローフード』運動に繋がった」
「1986年、イタリア北部ピエモンテ州のブラ(Bra)の町で『スローフード』運動が始まった。当時『ゴーラ』という食文化雑誌の編集者だったカルロ・ペトリーニが、イタリア余暇・文化協会(ARCI、アルチ)という団体の一部門として、『アルチ・ゴーラ』という美食の会を作ったのがはじまりである。」
だそうです。
日本では、島村菜津さんの「スローフードな人生!」('93年が発刊され、雑誌でも結構取り上げられましたね。
雑誌エスクァイアでは、トスカーナやシチリアのスロウフードが取り上げられもしました。
そのスロウフード協会の経営するリストランテがあるというので、'04年、昨日書いたバローロに向かう途中と翌日に訪れました。
向かう途中と翌日???変に思われるでしょうが、実は、バローロに泊った翌日にそこまで一緒だった2人と別れ、1人でブラに行く計画を立て、宿の予約をしたのです。
ところがそこまで一緒だった2人が、バローロに向かう前にブラで昼食を摂りたいというのことになり、私はそれに付き合うことにして、その時はバデリーノという店で食事をしました。
子の立ち寄りの時は食事の写真しかありません。
カジュアルな店でしたがとても美味しいお店でした。
前菜のワゴンから食べたいものを選んで取り分けていただきました。
ポルチーニのソースでお肉が見えません。
ピエモンテに行ったらドルチェはパンナコッタ。
ここのも抜群に美味しかった!
そしてバローロに泊まった翌日彼女たちと別れてまたブラへ行き、その夜はスロウフード協会が経営しているボッコンディヴィーノで食事をしたのでした。
ブラのまち
ドゥオーモ
お宿
ボッコンディヴィーノ
1人でしたが予約して行ったので、ちゃんと席が用意してありました。
白トリュフのコースを奮発しました。
ヴィーノはグラスで白と赤
その後、何だったかのご縁で知り合った日本人Aさんが、ブラのチーズ屋さんでチーズの熟成などを学んでいるところだというので、'08年8月にディアーノ・ダルバからトリノに移動する途中でブラに立ち寄り、そのチーズ工房を訪ねて見学させてもらい、その後またボッコンディヴィーノで昼食を摂ったのでした。
そのチーズ工房、ジョリート。
Aさんは、フランスチーズが専門で、フランスではチーズ作りをしたり、あちこちで作るところを見たりしていらっしゃる方で、日本で当時代官山にオープンするイータリーでチーズの仕事をすることになり、そのためにここに勉強に来ているのだとのこと。
ここジョリートのご主人フィオレンツォさんが、トリノのイータリーのチーズ担当をしていらっしゃるご縁だそうです。
チーズ工房と言っても、ここは主に買い付けたチーズを上手に熟成させて販売するところです。
熟成庫を見せていただきました。
パルミジャーノは、木槌で叩いて音で熟成度合いが分かるのだと言っていました。
ピエモンテのものだけでなくいろいろな地域のものを入手し、独自に熟成させていました。
見学後は、チーズのテイスティングもさせてもらいました。
最初におつまみ。
パルミジャーノせんべい、洋梨とゴルゴンゾーラ、スイカと...あれ何だっけこのチーズ?これだけでも美味しかったのですが、試食が始まりました。
ヴィーノは、Aさんが開けてくださったバルベーラ。
チーズのカットの大きさは、試食と言う感じではありません。1切れが2〜30gぐらいありそうです。
その後ボッコンディビーノで昼食。
チーズだけでそこそこお腹が膨れたので、昼食は軽めにしました。
ピエモンテの生サルシッチャ、カルネクルーダは本当に美味しいです。
白いのはラルド。
プリモは、フレッシュトマトのペンネ。
その後、’16年のピオッツォに滞在中にも車だったので4人でドライブ遠足したときにも立ち寄りました。
その時は散歩しただけですが。
8月なので、スロウフード協会のショップはお休みでした。
まちには、日帰り観光客がたくさん。
この辺り、車があれば、結構あちこち回れて便利だと思います。
この散歩の後はラ・モッラの景色の素晴らしい店にランチに行けたのも、車があったからで、いつも公共交通利用でチマチマ動いていますが、たまには車で効率よく動くのもいいなあと思ったのでした。
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