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from: ぐら姐さん
2024年02月08日 14時22分10秒
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ピエモンテの(小さな)まち
南イタリアが大好きなのに、ピエモンテも好きなのです。
初めて行ったのはトリノだけでしたが、その後白トリュフ祭りのことを知ってアルバに出かけるなどして楽しみがどんどん増えたのでした。
訪れたまちを挙げてみます。
1.アスティ
2.アックイ・テルメ
3.アルバ
4.ヴィコフォルテ
5.オローパ
6.カヴァリエット
7.カネッリ
8.クーネオ
9.グラッツァーノ・バドリオ
10.ケラスコ
11.ストレーザ
12.チェンタッロ
13.ディアーノ・ダルバ
14.ニッツァ・モンフェラート
15.ネイヴェ
16.バルバレスコ
17.バローロ
18.ピオッツォ
19.ブラ
20.ラ・モッラ
21.リモーネ
22.ロッカヴェラーノ
次回、1から順に書いていきますが、今日は州都トリノの写真を。
王宮。
サン・カルロ広場
トリノのシンボル、モーレ・アントネッリアーナ。
上に登るエレベーターはいつも混んでいます。
トラムとクレマリエーラ・サッシと言う乗り物で行った山の上にあるスーペルガ聖堂。
この聖堂にはサヴォイア家の墓があるのですが、ガイデッド・ツアーの時間が合わなくて、見ませんでした。
標高700メートルの高台にあるので、眺めが素晴らしいと聞いていました。
せっかくなので一番高いところ、クーポラから見たのですが、逆光でよく見えませんでした。
トリノと言えば老舗カフェがいくつもあります。
フィアットの自動車博物館内。
トリノには何度も行っているので、州都のまとめの時にたくさん載せます。
コメント: 全30件
from: ぐら姐さん
2024年11月11日 11時04分17秒
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ピエモンテの14は、ニッツァ・モンフェラートです。
'10年大晦日のチェノーネをカネッリの馴染みのアグリトゥーリズモで過ごし2泊。
'11年元日に近くのこのまちにちょこっと出かけたのでした。
1月1日は冬の旅行で12月25日と並んで、困ってしまう日。
どこへ行っても観光どころや店は閉まっています。
どこか散歩して楽しいところはないか尋ねたら、隣町のニッツァ・モンフェッラートが可愛らしいまちだというので車で出かけることにしたのでした。
まちの入り口の駐車場に車を停めて、まちに入って行きました。
明るい日差しがありました。
ほどなく、生パスタ屋さんが営業中なのを見つけました。
パスタ作りの作業中です。
ご挨拶をして店に入り、写真を撮らせていただきました。
う〜ん、美味しそう。
日本で言えば、製麺所とかうどん屋さんと言ったところですね。
お礼を言って店を出て、また歩くとオマワリさん。
どうやら何かの違反をした車を止まらせて、違反切符を切るようでした。
正月早々運の悪い方がいるものですね。(端っこに先端が見えている青い車です。)
ムニチピオ(町役場)です。
この通りには、古い店が残っているようです。
建物に書かれている文字は美容院なのに、中にあるものはちょっと違うよう。
古い外観をそのまま残して、中身は変わっているのですね。
こちらは、看板と同じ、お菓子屋さんでした。
通りを抜けると、おそらく街の中心的な広場に出ました。
普段は駐車場になっているけど、週に1〜2度の市の立つ日は賑やかなのでしょうね。
何もすることがなくて暇をもてあましている(?)シニョーレたちが、
あっちに3人、こっちに5人と集っては立ち話をしています。
イタリアでは、暇つぶしをしたいときは、外に出れば話し相手がたくさんいてなんとかなるのですね。
なにやら宴の後のような建物が見えてきました。
近づいて見ると「Festa Privata(プライベートパーティー)」と表示が。
この会場を貸し切りにして、
どこかのグループが主催してチェノーネのパーティーを行ったのでしょうね。
食べ&飲みきれないほどのご馳走や飲み物が出されたようで、あちこちに食べ残し、飲み残しが見えました。
パネットーネも丸ごと。
パーティーをやっているところを見たかった、いえ、参加したかったなぁ。
それにしても、それほど大きくないこんな街の真ん中に。
こんな大きなパーティースペースがあるなんて、素敵ですよね。
おそらく使用料も安いのではないかしら。
散歩を続けました。
この庭は公園のようになっているのですが、開園時間が決まっていて、この日はクローズ。
普通の集合住宅。
歩き始めのドゥオーモに戻りました。
ちょうどミサが終わったところだったので、中に入りました。
特に観光客が訪れるような、美術品のあるドゥオーモではないようですが、
まちの人々に大事にされ、よりどころにされているような感じがしました。
上の写真の右の方に見えているのは、赤ちゃんの名前と誕生日を書いた飾りの数々です。
無事に生まれたことへの感謝やこれからの健やかな成長を願って、
このように飾るのでしょうか。
それとも洗礼を受けた赤ちゃんたちなのでしょうか。
私にはよくわかりませんが、家族の喜びや願いが伝わってくるようですね。
ここは、普段のまちの様子も見てみたいと思いました。
from: ぐら姐さん
2024年11月09日 22時02分58秒
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ピエモンテの13は、ディアーノ・ダルバです。
'08年8月に行きました。
この年は家庭の事情で夏の旅行を諦めるつもりで、友人たちと8人で予約していたクルーズをキャンセル料が安いうちにキャンセルしたのでした。
ところが、また事情が変わって、旅行に行けるようになったのでした(航空券はキャンセルしていなかった)。
というわけでこの年の夏の旅行は、
パートⅠ みんなとミラノ~ジェノヴァ
パートⅡ クルーズに行く人たちと別れてプーリアへ
パートⅢ アルバでクルーズを終えたイプさんと合流してピエモンテの旅
という計画にしたのでした。
イプさんと合流してタクシーでディアーノ・ダルバへ向かったのでした。
ホテルは、ヴィーノの郷にあり、ブドウの丘を眺めながらプールに入れるところを2泊予約していました。
実は、イプさんが、春に高校のクラス会に参加した際、卒業以来〇十年ぶりに会った友人男性が、ワイン輸入の仕事をしていて、ディアーノ・ダルバのカンティーナのオーナーと友人だと聞いてきたのです。
そしてそのときに滞在したこのホテルを私たちに教えてくれたのです。
カンティーナも見せてもらえることになり、翌日車で迎えに来てくださって案内してもらいました。
部屋の窓を開けると、お宿のプールが見下ろせました。
プールの向こうには、ぐるりと葡萄畑が広がります。
よく見ると、プールの日焼け場には砂が敷き詰めてあって、ビーチ気分を盛り上げているよう。
とても混んでいるので、プールへ行くのは止めにしました。
そのかわり、プール近くのバールで、生ビールタイム。
しばらく見ていると、夕方になり地元の人たちが続々と帰って行きます。
どうやらここのプールは、近所の人たちの恰好の遊び場所になっているようでした。
日曜なのでなおのこと混んでいたのでしょう。
夕食の時間になったら、宿は静かになりました。
さて夕食は眺めの良いこのホテルの屋外レストランで。ワインの里ですもの、地元のものを頂きました。この日は、選んだ料理に合わせて、少し軽めの赤。
これは、私の選んだ前菜。
これはパスタではなく、フィノッキオ(フェンネル)を桂剥きのようにしたもの。
それにクルミとカステルマーニョを混ぜたサラダです。
(カステルマーニョは、カステルマーニョ村という小さな村で、夏の放牧期にだけ製造され、生産量が少ないので幻のチーズと呼ばれているチーズです。)
フィノッキオ大好き、カステルマーニョも大好きな私には堪らない味。さっぱりしているのにコクがあって、軽めの赤とすごく合います。
そしてプリモ。
メンタ(ミント)とカカオのパスタです。
メニューでこの名前を見ても、どんなものか想像できなかったのでオーダーしてみました。2種類の手打ちパスタのミックスだったのです。
おそるおそる食べてみるとこれが美味しい!それぞれを食べると、ミントの香り、カカオの香りがし、それがどちらも強すぎないので、両方合わせて食べるとなんともいい感じに渾然一体となって、絡めてあるバターとの相性も抜群。
なかなか気に入りました。
この日は、昼にガッツリ食べているし、ドルチェも食べたかったのでセコンドはなしにしましたが、パスタに夢中になって、ボトルのヴィーノを飲むのを忘れてしまっていたのでドルチェの前にチーズの盛り合わせをいただきました。
(1つ食べてから撮りました。失礼)
そしてドルチェは、パンナコッタで〜す!しつこく書きますが、ピエモンテは生クリームが美味しいので、他のどの土地で食べるよりも美味しいパンナコッタにありつけると私は感じています。
ソースは、森のフルーツ(ベリー類)。
予想通りの美味しさでした。
ディアーノ・ダルバに2泊した中日、カンティーナ見学の10時のお迎えの前にまち散歩をしました。
やはりこんもりした丘に出来ているまちなので、天辺近くに、ドゥオーモがあります。
もっと高いところにある、見晴らしのよい公園から撮りました。
写真はこれだけです。
そそられるバールやワインバーもあったのですが、午後の部の散歩で...と思っていたら、予想とは少し違う展開になり、散歩はしませんでした。
(カンティーナで、試飲なんてレベルではない量を飲んで、部屋に帰ってパタンと寝てしまったのでした。エヘヘ)
from: ぐら姐さん
2024年11月08日 09時27分04秒
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ピエモンテの12.はチェンタッロです。
ここも、それどこ?という感じの、このまちの名前を聞いたことのある日本人は何人いるかしら、というぐらいのまちです。
'10年冬にヴェンティミッリアから北上して車でトリノに向かっているときに通りかかったまちです。
ちょうど昼時で、お腹が空いているときにちょうど赤信号で止まった交差点のその一角のホテルのリストランテの看板とAPERTOの文字がビビビッと目に入ったのです。
都合のよいことに、向かいの角に駐車場もあり、車を停めてそこで食べることにしたのでした。
小さいながらもなかなか老舗のホテルのようで、リストランテもとてもいい雰囲気です。
ドライブの途中ではありますが、ちゃんと食事したい気分になり
2人とも前菜とセコンドの2皿ずつ食べることに。
ヴィーノは、運転してくれているpapalinaさんの
「どうせなら、ハーフじゃなくてフルボトルを取って、残ったら今夜のホテルまで持って行けばいいんじゃない」
という助言のもとに、1本。
とはいえ、残ることはありませんでした。(予想通り。papalinaさんは2杯ほど飲みましたが、アルコールに強いし、イタリアは厳しくないし。)
ストゥッツィキーノは、ポテサラ。
エレガントな味のポテサラで、この店は絶対美味しい料理が出てくると確信しました。
パンも、ほら美味しそう。
私の前菜は、グリーンピースのクリームのベッドに乗った甲烏賊の煮物
グリーンピース好き、烏賊好きにはたまらない1皿です。
(イタリアのグリーンピース、ピゼッリは、日本のものより小粒で、柔らかくて甘味があって美味しいのです)
papalinaさんは、自家製フォアグラテリーヌ、トーストしたブリオッシュと林檎のカラメル煮添え
これまた絶品(味見させていただきました)
そしてセコンドは2人とも、トリッパ煮込みピエモンテ風
柔らかく、さっぱりしていて、ボリュームたっぷり。
こういうところでドルチェを食べないのは、もったいないので、オーダー。
名前は忘れましたが、私のはセミフレッドに熱いエスプレッソとホットチョコレートを掛けて食べるもの。
小食のpapalinaさんは、オーダーしなかったのに、おまけの小さなケーキをサービスしていただけました。
ともかく、どれも美味しくて店の雰囲気もよくてこの宿に泊まって朝食もいただいてみたいな、なんて思ったのでした。
後で調べてみたら、この店、自分のところのサイトはつくっていないけど、ガンベロ・ロッソの1つフォークの店でした。
我ながら鼻が利くなあと改めて思ったのでした。
このまちで、このまちだと分かるような写真は、最初の1枚だけという束の間の立ち寄りだったのでした。
from: ぐら姐さん
2024年11月07日 10時15分56秒
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ピエモンテの11は、ストレーザです。
'00年の8月のこと。
いつものことながら、どうせ行くならできるだけ長くイタリアに滞在していたいと思っていたので、一緒に旅行した友人たちが帰国してもあと2日おまけの滞在をしたいと一人でミラノにいた時に、日帰りで出かけました。
当時はまだデジカメを使用していませんでしたので、フィルムで撮ったものをデータ化したものを載せます。
フィルムで撮っていた頃は、36枚撮りフィルムを15本とか20本とか持参して行ってたので、まるでそこにいた証拠写真を残したいかのように、目当ての場所にいる自分、というものをメインに取り、景色だけ、料理だけ、観光名所だけという写真はほとんど撮っていませんでした。
バンバン撮って最後の方でフィルムが足りなくなって撮れない...なんてことの内容に節約して撮っていたのです。
幸いにもこの時は旅行の最後の2日なのにフィルムの残りがあったのでしょう。
一人だったこともあって、私の入っていない写真がけっこうあるので載せます。
ストレーザと行ってもピンとこない人が多いことと思います。
マッジョーレ湖に面したスイスとの国境近くにあるリゾート地です。
私は、マッジョーレ湖に浮かぶボッロメオ諸島のことを「イタリア美術案内」という本で知り、それが見たくて出かけたのでした。
ボッロメオ諸島なんて言うと、たいそうな島々がありそうですが、ストレーザの船の発着場所からすでに目の前に見えます。
目当ては、ベッラ島。宮殿と庭園で占められているのです。
小船に乗ってものの5分ほどで到着します。
まずは宮殿内の見学。
残念ながら撮影禁止でした。
ダイニングルームの家具はフィレンツェから取り寄せ、シャンデリアはヴェネツィアングラスだとのこと。
宮殿内からマジョーレ湖や庭園などの眺めを楽しめる部屋もあり、ドーム状の大きな空間が広がっていました。
2階のバルコニーにはオーケストラが入って演奏するのだそうです。
1935年にドイツの侵入を阻止したストレーザ会議が行われたという部屋は、トルコ石などを使用した、宮殿内で一番高価な家具が使用されているのだとか。
ナポレオンが1797年に泊まったと言う部屋は、ナポレオンとジョセフィーヌが使用した、当時のままのベッドが置いてありました。
貝を埋め込んだ、変なグロッタ(洞窟)もつくってありました。
使用した大理石は、白はマッジョーレ、ピンクはヴェローナ、そして黒石はヴェスヴィオから運んだのだそうです。
奥の方にある庭に出ました。こちらは撮影OK。
放し飼いにしてある孔雀が出迎えてくれました。
奥の方に、建築物が。
その建築物の階段を上っていきます。横から見た感じがこれ。
天辺です。
向こう側にもまだ庭の続きが。
下りて行きました。
下から見上げるとこんなです。
小さな池に睡蓮が咲いていました。
珍しいのか、熱心に写真を撮っている人がいました。
こんなところに1人掛けの椅子。
主が庭を眺めるためでしょうか。それとも湖を背景に美しく着飾った貴婦人が座るためなのでしょうか。
他の2つの島のうち、ペスカトーリ島は、漁師の家がならぶ風情のある島だったらしいのですが、今はレストランや土産物屋が数軒ある島です。
こちらにも渡ってみましたが、あまりそそられる店がなかったので、(というよりも、駅から湖に歩く途中でアイリッシュ・バーを見つけて久々にビールを飲みたい気持ちになっていたので)ちょっとみて、美しい庭があるというマードレ島は、船を大分待たないといけなかったので、ひとまず目当てのベッラ島を見たのでよしとして、帰りました。
from: ぐら姐さん
2024年11月07日 08時55分45秒
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IANUAさん、
訪れたそれぞれのまち歩き写真を中心に、と思っているのですが、
写真を選んでいるうちに、料理写真を見ては美味しかったなあ…と思い出し、
このところついつい載せています。
>あのとがった形の美しい山はモンヴィーゾですね
そうなのですね。
美しいですよね。
早朝に見たあの景色、また見に行きたいです。
from: ぐら姐さん
2024年11月07日 08時50分02秒
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ザヴィエルさん、
イタリアは地方地方で本当に表情が違いますね。
お料理も。
私も毎日は無理かも。
南の料理だと毎日食べ続けられると思いますが。
でも、ピエモンテの料理も素晴らしいので、ときどきならいいと思います。
from: IANUAさん
2024年11月06日 22時02分24秒
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ピエモンテ、クーネオとケラスコなんて美食の中心みたいなところでうらやましいです。
あのとがった形の美しい山はモンヴィーゾですね。私の大好きなサルッツォからもよく見えます。ここのミネラルウォーターを使った化粧品をプレゼントで当てたことがあり、しばらく大事に使いました。
この夏ピエモンテに行ったくせにまた行きたくなっています。しかし来年は聖年なので混雑イタリア行きは自粛しようかなあと考え中です。
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icon拍手者リスト
ねこまろん、 くるめながさき、 Yuko、 teruteruwasi、 ぐら姐、
from: ザヴィエルさん
2024年11月06日 16時28分15秒
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グラ姉さん
ここまでくると私の知っているイタリアとは別の国のよう、食事は素晴らしく美味しそうだけど1ヶ月毎日食べることは無理かなぁ、、、悪口じゃなく好みの話ですからご容赦ください
from: ぐら姐さん
2024年11月06日 09時16分46秒
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ピエモンテの10は、ケラスコです。
'16年8月、クラフトビールのバラデンの宿、カーザ・バラデンのあるピオッツォに行く前に途中で1泊しました。
イプさん、リトルさん、ペコさん夫妻と私の5人いたので車を借りてトリノから南下してケラスコへ。
高速を下りてからは本当に田舎の景色。
山がきれいでした。
1時間ほどで到着し、チェックイン。
ホテルは、修道院を改装したらしいなかなか素敵なところでした。
部屋は、ペコさん夫妻がツインで私とイプさんとリトルさんがトリプル。
ここのトリプルは、ジュニアスイートで、部屋もトイレも2つあるのでした。
でもツインではなくダブル+シングル。
ダブルルームからの窓の眺め。
せっかくヴィーノの郷に来ているので、
事前に知人を通じてエリオ・フィリッピーノのカンティーナを見学させていただくことにしていました。
朝食をゆっくりたっぷり食べていたので、部屋で手持ちのものを軽く食べて14時の約束だったので車に乗ってでかけました。
(カンティーナ見学は省略します)
見学から戻ってからのお宿の敷地内の池。
客室は陰になっている方で、日が当たっている方はどうなっているのか、中には入れませんでした。
これはこの後の散歩から戻ってからの写真。小さなプールです。
結構暑い日だったので、水に入り、シャワーを浴びたら気持ちがいいのでしょうね。
少し部屋で休憩してから、ケラスコのまち散歩をしました。
本当に何にもないまちでした。
サントゥアリオになっているマドンナ・デル・ポポロ教会。
観光に力を入れているのか、こんな説明書きが。
一番下の赤い部分に、
UNA PICCOLA CITTA', GRANDE PER STORIA, ARTE E CULTURA
小さなまち、偉大な歴史、芸術と文化
と書かれていましたが、この後に見た教会もすべて閉まっていたのでよく分かりません。
私たちにとっては、ヴィーノの郷を訪れる便利な宿のあるまちなのでした。
サンタゴスティーノ祈祷所
ムニチピオ(市庁舎=まち役場?)
まちはこれでお終い。
アペリティーヴォをしたいと思うような店もなく、宿に戻りました。
まち歩きで分かったことは、食べるところもそれほどないということ。
お宿にリストランテがあったので、そこで食べることにしました。
午後8時にリストランテへ。
中に入ってびっくり。
まるでディナーショーの会場みたい。
小さなステージがあるのです。
(特にここでコンサートやショーをやるわけではありませんでした。)
パンとグリッシーニ。さすがピエモンテ、グリッシーニが美味しかった!
パンにはバターというのもピエモンテらしいです。
しかも黒トリュフ入り。
ストゥッツィキーノ(アミューズ)は、サーモンのムニエル。
これもなかなかのお味でした。
私のアンティパスト。
クオーレ・ディ・ブエ(牛の心臓と言う名のトマト)のフラン。
下に敷いてあるのはブッラータをミキサーにかけたもの。
そして立っているのは、パルミジャーノをパリパリに焼いたもの。
フランの色がくすんでいるけど、味は感動ものでした!
私はプリモをパスしてセコンドに仔牛肉のタリアータ。
美味しいのだけど、もうちょっとレアっぽいのが好み。
料理の名前が付いていないのは、他の人が食べたものです。
いろいろ味見させてもらってどれも美味しかったのだけど、残念なことが一つ。
2人いる給仕が、2人共気が利かないというか目配りができないというか、仕事の手順を考えられないというか、前菜の皿を全然片づけに来なくて、プリモやセコンドが運ばれてくるまでものすごく待たされたのです。
ヴィーノを注ぎに行ったり、出来た料理を運んだりした後に、周りを見もせずに、待機場所に立っていて、こちらのテーブルにちっとも気が付かないのです。
次の料理が出るのが遅いことってそこそこあるけど、食べ終わった皿をなかなか下げないってどういうこと!と腹が立ち、セコンドを食べているうちにくたびれてしまい、ドルチェもカッフェもいただかずにおしまいにしました。
せっかく頑張って作っている料理人が気の毒ですね。
翌朝、早起きの私とイプさんは、美しい山と空を見ました。
静かに白んで行く空をただ黙って見ていました。
朝の空気は、夏でもひんやりとして。
朝食までは、まだまだ時間があるので、本を読んだり日記を書いたり。
ここは、ランゲ地方などヴィーノの産地巡りをするのには便利な位置で、お宿も素敵でしたが、滞在して面白いまちというわけではありませんでした。
車で周られる方にはお薦めです。
from: ぐら姐さん
2024年11月05日 09時12分01秒
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グラッツァーノ・バドリオには1泊でしたが、SNSで呼びかけをしてくださった日本人女性Aさんのイタリア人の夫は、親の代からのカンティーナを引き継いでやっている方で、まち歩きのほかにカンティーナ見学もさせていただきました。
食事会の呼びかけが無ければ決して訪れることはなかってであろうこのまちに、初日は午後に着いて食事会に参加するだけだったので、せっかくならカンティーナも拝見したいし、まち歩きもしたいしと思って2泊しました。
お宿の朝食。
食事会の翌日、朝食の後にAさんが買い物に行くのについて行きました。
地元のミニスーパーで、手作りの瓶詰めなども置いているのだそうで。
手作り瓶詰めは、アンティパストやジャムなどいろいろ。
この店は、地元の人たちのおしゃべりの場になっていて、Aさんの赤ちゃんを、見るとみんなで「あらあら、また可愛くなったわね〜」ブッチューという感じで、抱っこしたり、あやしたり。
小さなバールコーナーもあり、そこへ連れて行って、私が見ているから買い物していらっしゃい、なんていうオバチャンもいました。
その後は、このまちのてっぺんにある教会を案内していただきました。
ここの中庭から見る景色が、とても素敵でした。
そしてAさんのところのカンティーナを見学し、少し試飲させていただき、夕食とお土産用に2本購入。
宿が経営しているトラットリアで昼食をいただきました。
おまかせコースでしたが、とても充実した内容でした。
アンティパスト1。
ブルスケッタ、サラミ2種、パンチェッタ、そして茹で牛タンのスライスのトンナータ(ツナにマヨネーズなどを加えたソースがけ)。
アンティパスト2。
①ポッロ(鶏肉)・イン・カルピオーネ。イン・カルピオーネとは調理法で、揚げた後にマリネするのだそうです。
②地元産チーズにアンチョビを少し挟んで、EXヴァージンオイルをかけたもの。
③トンナータのソースにポテトも加えてクリーミーにしたようなものを、生ハムを数枚重ねたものの間に挟んで並べ、その上にブロード(ブイヨン)のゼリーを流し込んで固めたと思われるもの。
プリモは、ポルチーニのパスタです。手打ちです。
右の皿、セコンドの鴨のローストを切り分けられたものなのですが、よく分かりませんね。
ちゃんとまっとうな材料を使い、手をかけて丁寧に作られているお料理を出す店でした。
でもカジュアルな雰囲気で。
ドルチェもありました。
グラッツァーノ・バドリオは、グラッツァーノ・モンフェッラートという名前だったのが、ピエトロ・バドリオ将軍の出身地であることにちなんで1939年に改名されたのだそうです。
それなので、このまちにはピエトロ・バドリオの記念館があります。
彼が誕生し、そして最期を迎えた家がそのまま残っているのです。
バドリオは、第二次大戦中イタリアの敗色が濃くなった時にムッソリーニを批判し、ムッソリーニ失脚後にヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によって首相に任命された人なのだそうです。
ヒトラーを裏切って連合軍に寝返り、大戦を終わらせた人としてとりあえずイタリア人ならたいていの人は知っているらしいです。
とりあえず出かけて見学しました。
すこし前まで、保育園になっていたとのことですが 、今は少子化で閉鎖しているとか。
内部は、アフリカの戦争から第二次大戦の終わりごろまでの史料がたくさん展示されていて、イタリアの近代史をこんなところで学んでしまった感じでした。
そしてぶらぶらとまち散歩。
前夜知り合ったジジ&アンナ夫妻におうちに呼ばれ、Aさんに連れて行っていただきお茶をご馳走になってきました。
ジジの2人の息子と子ども達(前夜見かけた孫達)が来ていて、孫はなかなかのイケメンなのでした。
ジジが、次はいつ来るの?というので、できればクリスマスの頃にね、と言ってきましたがそれから16年も経ってもしまいました。
ただおしゃべりしてきただけなのだけど、写真を撮らせてもらえばよかった、と今更思います。
お元気でいらっしゃるかしら。
この日の夜は、お昼しっかり食べたので、部屋で朝のうちに買ったものなどで食べました。
キッチン付きでなくても、1食ぐらいならなんとかなるものですね。
from: ぐら姐さん
2024年11月04日 11時38分41秒
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ピエモンテの9は、グラッツァーノ・バドリオです。
どこそれ?とおそらくイタリア人でも知っている人は少ないようなまち。
'08年の6月のある日、あるSNSサイトでこんな書き込みを目にしました。
「これから秋にかけて、イベント盛り沢山の季節になりましたね。
私の住む秘境近辺ではどこの村でも同じ夕食会が催されているようだし、各地で似たようなイベントがあるとは思うのですが、秘境のテアトロ夕食会のチラシが配られたので内容を載せてみます。
広場で皆で一緒にテアトロを見ながら夕食を楽しむ会です(夕食は要予約、有料:18ユーロ)。村人や観光の人など毎回大体200人位でワイワイします。ご興味のある方は直接プロローコまでお問い合わせ頂くか、私から連絡しても構いません。」
彼女が秘境とまで呼ぶ田舎の小さな小さなまちの食事会?行きたい!宿と足がなんとかなるなら、行きたい!!!と思ったのです。
食事会スケジュールを見るとテアトロ夕食会ではなく、バンド演奏の夕食会なら、日程に組み込めそうだったので、問い合わせてみたら、足も宿もなんとかなりそう。
ということで決めたのでした。
地図で調べてみると、ピエモンテ州アスティ県のはずれにあります。人口640人だとか。田舎好きの私にとっては、きっといいまちに違いない... うふっ。
さて、そんなこんなであれこれと調べ、手配をし、'08年8月3日の夕方、夕食会の当日に本当に辿り着きました。
今日は、宿と食事会のことを載せます。
このまちには、郷土料理の美味しい店があり、わざわざ車で食べに来る人もいるのだそう。
その店に、1部屋だけ客を泊められる部屋があるのです。
私のここでの宿は、その部屋ということになりました。
店の横のB&Bの看板の下のドアを開けてもらい、中に入ると、これがドアの内側。
冷蔵庫はなかったけど、テレビがあってよかった!
イタリアでの朝は、テレビをつけて、ちらちら見ながら支度をするのが好きなので。
部屋の入り口から出て行くと、店の裏手が見えます。
奥のテラス(洗濯物を干せるようになっていました)からのまちの眺め。
8時過ぎに様子を見に行きました。会場となる広場はこちら、の看板。
テーブルが並べられていました。
奥に見えているカウンターの裏で、日本で言うなら村の婦人会の若妻部といった感じのシニョーラたちが、おしゃべりを楽しみながら食事の準備を進めていました。
8時開始というもののやっと人がポツリポツリと集まり始めたぐらい。8時開始は、食事ではなく、受け付けのことだったのでしょう。受け付けでチケットを買いました。
20€でした。
知らない人ばかりだし、どこに座ろうか...ととりあえず端っこの、でも人が座っている近くで、ここに座ってもいいですか?と聞いた上で席を決めました。
私って、勘がいい!と後で思いました。
すごく人柄のいい老カップルの向かいだったのです。
どこから?だれかの家に来ているの?などと話が始まり、ここに来たいきさつなどを話し、けっこう打ち解けることができました。
そのカップルのご主人ジジは、私のために水を貰ってきてくれたりワインを注いでくれたり。
さて9時ごろに食事が始まりました。
-APERITIVO CON STUZZICHINI(おつまみ付き食前酒)のおつまみ
食前酒は、甘いお酒をソーダ割にしたようなものでした。
私は、ジジの注いでくれたヴィーノ・ロッソで。
お料理は、プラ皿なのでたいしたことがないように見えますが
どれも全うな材料を、きちんと調理していて、本当に美味しいものばかりでした。
おまけに、余分にあるものを、もっと食べる人いない?なんて配りに来てくれるので、食べたいだけ食べられるのです。
1皿ずつでちゃんとお腹が膨れるコースではあるのですが。
-ANTIPASTO DI CARNE CRUDA(カルネクルーダ=生肉の前菜)
ピンボケ失礼。(当時のデジカメに手ぶれ防止機能が付いていなかったかも)
カルネクルーダは馴染みのアグリでもさんざん食べているけど、やっぱりピエモンテの牛は旨〜い!!!
生で食べるときの、脂の少なさ、牛そのものの味、それを生かす、淡い味付け。
うう、これだけでヴィーノが何杯飲めることか。
-LINGUA IN SALSA VERDE(牛タン、グリーンソース添え)
グリーンというより茶色っぽいのですが、このソースは、ハーブの香りが生かされている、かなりしっかりした味のソース。
牛タンにぴったりです。
私の隣のオジチャンは、フルビオさんとかいうおとなしい方で、女性は飲まないものと思っているのか、たまにしか注いでくれないけど、ジジは、私が結構飲めるのが分かってか、小まめに注いでくれました。
-PENNE ALLO SPECK E ZAFFERANO(スペック=燻製生ハムとサフラン風味のペンネ)
パスタ大好き、スペック大好き、サフランも!という私にはたまらない味。
クリーム控えめですが、ピエモンテの生クリームは本当においしいのでたっぷり使わなくてもちゃんとその味が分かります。
-STINCO DI VITELLO CON SPINACI(仔牛の脛肉、ほうれん草添え)
すっごいボリューム。
多分、シンプルに香味野菜を入れて茹でただけのように思われました。
それで十分美味しいお肉でした。
ほろりと柔らかくて、お箸でも食べられそうな。
-DOLCE
この辺りで私はもうお腹が一杯だったので、これは食べたもののあまりよく覚えていません。
チョコレートのムースのようなものに、ナッツ入りのアイスクリームが乗っていたような。
この食事会のことを私に教えてくれた日本人女性とイタリア人のご夫妻が、私のことを気にかけて様子を見に来てくれました。
私が適当に溶け込んでいたので、私が声をかけるまで見つけられなかったそう。
彼女とは日本語で話したのですが、私との会話について「イタリア人の乗りの会話なのに日本語で話しているのが不思議な感覚!」と言われてしまいました。
食事会で、私とお話してくださった地元の方たちです。
小さなステージで演奏が始まり、踊り始めた人たちもいました。
まちの様子などは、また次回。
from: ぐら姐さん
2024年11月03日 10時44分10秒
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teruteruwasiさん、
日程が取れるならゆっくり回るのがいいですよね。
この円安では費用が嵩みますが、そこはキッチン付きに滞在して節約しながら楽しめるし。
from: teruteruwasiさん
2024年11月03日 10時15分33秒
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私も今度行く時はゆっくりと回りたいです
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ねこまろん、 くるめながさき、 ぐら姐、 teruteruwasi、
from: ぐら姐さん
2024年11月03日 09時40分03秒
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クーネオの続きです。
昼はトリノの駅で乗り継ぎの合間に切り売りピッツァを食べただけだったので、夜はきっちりと食べるつもりでいました。
ですから、散歩の途中で何か食べたり飲んだりするつもりはなかったのです。
でも散歩をしているうちに、街は黄昏れ、素敵な表情になって行って、ちょっとそそられる店もちらりほらりと。
この店の前で、私の足は止まってしまいました。
写真からは見えないのですが、真ん中にあるガラス扉の向こうに見えるスタッフの働きっぷりがきりりとしていて、とても引き付けられる雰囲気なのです。
おまけにこの時間帯なので、カウンターには飲み物をオーダーすれば、自由につまめるオードブルがずらりと並んでいます。
でも夕食の直前だし...独りだし...店の前を行きつ戻りつし、結局ドアを手で押していました。
スプマンテを1杯くださいと言うと、メトド・クラシコのにしますか?それともプロセッコ?と聞かれたので、迷わずメトド・クラシコを選びました。
シャンパンと同様に、昔ながらの瓶内で2次発酵させたものです。
オニイサンが、にっこり笑って、丁寧に注いでくれました。
オードブルは、こちらにも。
店内は、常連さんの話で盛り上がり、楽しそうです。
私が独りなので、「日本の方ですか?この店では、たまにスシを出すこともあるんですよ。この子(と店で働く女性を指して)の友だちが作りに来てくれるんです。」などとイケメンのオニイサンが、気遣って話しかけてくれました。
昨日書いた「麗しのピエモンテ」という本に、ホテルの項があり、そこに出ていたホテルに泊まりました。
古い宮殿を改築したホテルとのこと。
ポルティコ(柱廊)に面しているので、入り口はこんな感じです。
ロビー
もっと素敵なロビーだったのですけど、じっくり構図を考えて...なんて撮っている雰囲気ではなかったので、ちゃちゃっと撮りました。
そしてリストランテがなかなか美味しいとも書いてあったので、夜はホテルのリストランテへ。
7時半に予約したのですが、私が最初の客でした。
じきに、他の客でいっぱいになりましたが。
グリッシーニとパン、横には隣のリグーリア州の名物、フォカッチャ。
ピエモンテの名物料理を、と思いアンティパストはバーニャ・カウダにしました。
バーニャカウダのソースをかけたペペローネ(パプリカ)はよく出てきますが、本格的バーニャカウダをイタリアで食べるのは初めてでした。
ソースは土鍋に入って、下から固形燃料で温める仕組みでした。
野菜たっぷりでとても幸せな前菜でした。
中に生のゆり根というかクワイというか、そんなしゃりしゃりした食感の白い薄切り野菜があって、それを鍋のソースにくぐらせて食べるとすごく美味しいので、「これは何?」と聞いたら、カルド・ゴッボだということでした。
すごく気に入りました。
プリモは、カルチョーフィ(アーティチョーク)のタリアテッレ。
ここのは、フレッシュ・トマトも入っていました。
カルチョーフィの味とトマトが意外に合って、手打ちの幅広麺に絡み、これまた私好みの味でした。
セコンドは、このあたりの名物料理だというルマーケ(カタツムリ)の何とかソース(名前を忘れました)。
この辺りでカタツムリがたくさん獲れる訳ではなく、近くにカタツムリ輸入の中心となっている都市があるために名物料理になっているのだとのこと。
イタリアのカタツムリは、フランスのもののように殻ごと出てくるのではなく、殻から出されて調理されるのでした。
サイズ的に、フランスのものがアサリだとするとイタリアのものはシジミぐらいの大きさですから、カラカラ出ているのはありがたかったです。
味は・・・まあまあ美味しいのですが、たくさんあると飽きます。
お肉の方が良かったかなぁなんて思いつつ、完食。
そしてドルチェ。
翌朝は、とってもイタリア的な朝食でした。
次に訪れるときは3泊ぐらいはして、近隣のまちを訪れたいなあと思っています。
車があると効率よく足を伸ばせるのでしょうけどね。
from: ぐら姐さん
2024年11月02日 16時20分09秒
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州別の私が訪れた全まちシリーズは、前回まで書いていたリグーリアが終了しましたので、7までしか書いていなかったピエモンテのことを書いていこうと思います。
ピエモンテの8は、クーネオです。
ピエモンテ州クーネオ県の県都です。
といってもぴんと来ないですよね。
でも、クーネオ県には、アルバ、バローロ、バルバレスコがあるのです。
ヴィーノが好きな人は、ここでへえぇぇ...と思いますよね。
でもクーネオはどんなまちなのかしら、と思って行ってみることにしたのです。
「麗しのピエモンテ」と言う本に、このまちの素敵なホテルが載っていて、旧市街もそれなりに素敵らしいということが分かりました。
行ったのは’08年1月。
この頃の私は職場の友人に極楽トンボと言われていました。
休みが取れれば行きたいところにピュンと行ってしまうので。
12月末に友人とバリ島とバンコクに行って楽しみ、31日に帰国して1月1日から5日間でピエモンテに行ったので、職場の友人に極楽トンボ×10ぐらいのことを言われたのでした。
そんな忙しく行かなくても、と思うでしょう?
だってちょうどマイルが貯まっていて、ビジネスクラスの往復がもらえるのだったのです。
だから弾丸旅行でも全然きつくなかったし、帰国して翌日仕事でも問題無しでした。
クーネオには1泊だけです。
一番印象に残っているのがクーネオを後にしてトリノに向かう列車から見えた雪景色です。
駅を後にすると高架になっていて、カーブしているので線路が敷かれている高架の建造物が見えたのです。
雪のために、着くのが予定より遅くなったので、旧市街はあまり見られなかったのですが、歩くのが大変なほどの雪ではありませんでした。
(それに雪国育ちなので、行く道を歩くのは結構得意)
まち歩き写真を載せます。
クーネオのまちは、ボローニャの駅の辺りの印象にも似ていました。
歴史的中心地区とは違いますが。
ポルティコもありましたし。
ここは、イタリア銀行のポルティコで、なんだか風格がありました。
これは、教会の入り口です。
入り口のライオンが雪を被っています。
通りの反対側を通ったら、教会の全景が見えました。
エレガントな窓です。
クーネオは、栗の名産地なのだそうです。
カスターニャと呼ばれる小さな栗ではなく、マローネと呼ばれる大粒の栗です。
老舗の菓子店では、美味しそうなマロングラッセがありました。
買って、部屋でいただき、日本にもお土産を持ち帰りました。
それより何年も後にトリノで欠片のマロングラッセをグラスに入れて生クリームを乗せたちょっとお得なドルチェをいただきましたが、もしかするとこのまちでもそう言うのがあるかも知れません。
万が一再訪することがあったら訊いてみようと思います。
クネージ・アル・ルーム(ルーム=ラム酒のイタリア語読み)という名物のお菓子もあります。
アル・ルームの他に、リモンチェッロのものや、アーモンドの入っているものなどいろいろあり、2個ずつ8種類買って来ましたが、こちらは友人宅にお土産に持って行き、一緒に食べようと思ったのに、お腹が一杯になってそのまま置いてきたため、お味の程は分かりません。
夕方近くになるとまちの明かりがきれいでした。
美味しいものもいただいたので、それはまた次回。
from: ぐら姐さん
2024年02月18日 16時56分26秒
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ピエモンテの7.は、カネッリです。
(その前に、1.のアスティでちょっとだけ写真が見つかったので追加しておきました。よろしかったらご覧ください。)
カネッリには'04年に行った時にあまりに楽しくて'06年にまた行くことを決め、
白トリュフ祭りのことをいろいろ検索していたときに
オーストリア在住の日本人Kちゃんのブログに行き当たり、このカネッリのアグリトゥーリズモのことを彼女に問い合わせてみたのです。
すぐに返信をくれて、宿の名前は教えるけど、連絡や予約は自分でしてくださいとのことでした。(それはもちろんですよね)
それで宿にメールを送って、予約をすることができました。
以来、翌年もその翌年も通うように訪れました。
アグリトゥーリズモのことは次回まとめて書くことにして、今日はカネッリのまちのことを書きます。
カネッリのチェントロの方にある、スプマンテの大手業者、Gancia。
ここの創始者カルロ・ガンチャが、フランスのシャンパーニュ地方から2年間の留学を終えて帰国し、アスティ地方のマスカットから始めて造り出したのがスプマンテです。
マスカットの華やかな香りとやや甘口の爽やかな風味を持つスパークリングは、またたく間にこの地方を代表するスパークリングとなったのだそう。
この日は、日曜日で機械は止まっていましたが、見学と試飲はできました。私たちの他にも、大型観光バスでミラノからのイタリア人団体が見学にきていました。
試飲コーナー
2つ目は、ボスカという小ぶりのカンティーナ。
こちらも、スプマンテを中心に作っているカンティーナですが、ガンチャよりはずっと小さく、クラシック式、しかも手回しで作っているところです。
1831年創業だそうで、その頃の一番古い熟成庫は、現在のそれの下にあり、何が原因か地下に水が出て、100万本のヴィーノがだめになってしまったのだそうです。
その地下の惨状の一部が、見学コースに模型で作ってありました。
ユネスコが資金援助して、この地下セラーを存続させようとしているらしいのです。
宿泊のアグリトゥーリズモでもヴィーノを作っています。
すぐ近くにも1軒、見学・試飲のできるカンティーナがあります。
カネッリのまちには、お菓子の工場もあります。
アグリのご主人がここからバターなどを購入しているようで、顔パスで中に入って見せてもらうことができました。
週2回市も立ちます。
ちょっと暮らしてみたら楽しいだろうなあと思えるまちです。
from: ぐら姐さん
2024年02月16日 21時04分50秒
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ピエモンテの6.はカヴァリエットです。
自分でも、そこどこ?というか、ゴルゴンゾーラ工場に連れて行ってもらったなあ...あれはどこだったのかしら...と調べて、そこがカヴァリエットというまちだと分かったのでした。
'07年3月のことです。
カネッリの馴染みのアグリトゥーリズモに滞在中に、滞在客がその工場を観に行くけど一緒に行く?とアグリのご主人と滞在中の私とKちゃんに声をかけてくれて、みんなで出かけたのです。
その女性と言うのが、イタリア人だけど少女の頃に家族で南アフリカに移住して、イタリアンレストランを経営している方で、
南アのイタリア料理界の重鎮になっているようで、店は子どもの世代に任せ、南アでイタリアのチーズを作ることにチャレンジしようとしていて、その研究の一環として工場に連絡を取り見学させてもらえることになっていたのです。
カネッリからはだいぶ北の方に有り、すごく早起きして出かけました。
8時半頃にゴルゴンゾーラ工場に到着。既に、ミルクを運ぶ車は着き、ほとんど工場内に入れ終わったようでした。ちゃんと、専用車です。
ロンバルディア州とピエモンテ州、ヴェネト州にまたがる限定された地域で産する牛乳から作らないと、ゴルゴンゾーラと呼んではいけないそうで、世界のあちこちで、同じ製法で作って、ゴルゴンなんちゃらという名称をつけることも違法なのだ、というようなお話をお聞きした後、靴にビニールのカバーをつけて、工場の中に入りました。
さすが、食品工場。清潔で、余計なものは何もありません。
この後のことはこちらで報告しているので、興味のある方はご覧くさい。
https://www.beach.jp/circleboard/ac48590/topic/1100048827196?sortList%5BsortType%5D=2
↑に載せなかった写真を少し載せます。
皆黙々と自分の仕事に励んでいるのが印象的でした。
かなりの重さのものを持ったり運んだりするのでなかなかの重労働だと思いました。
女性もいました。
熟成庫です。
すごい量! ゴルゴンゾーラ独特のカビとチーズの混じった匂いがします。
(大好きなので、口内に唾液が溢れて)
熟成を終えるとこのサイズで出荷するので
こんな器具でカットしていました。
見学した私たちこの大きな包みを1人に1つプレゼントしてくださいました!
そしてもう1ついただいたゴルゴンゾーラ用のナイフ。
今でも持っているのですが、日本で買うのはもっともっと小さいサイズなので、なかなか使う機会がないのが残念です。
from: ぐら姐さん
2024年02月15日 15時15分28秒
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ピエモンテの5.は、オローパです。
'08年夏に行きました。
オローパは、「ピエモンテとロンバルディアのサクリ・モンティ」というくくりで世界遺産に登録されているうちの1つのサクロ・モンテ(聖山)があるところです。
山の中に複数の建物を作り、聖書の物語を絵や彫刻で順に再現し、これを巡って行くことにより信心を深めるという目的があるのだそうです。ここのサクロ・モンテには、12の礼拝堂があり、マリアの生涯が描かれています。
小ぶりのラ・キエーザ・ヴェッキア(古い教会)と大きなラ・キエーザ・ヌオーヴァ(新しい教会)があり、それらを含めてサントゥアリオ・ディ・オローパ(聖地・オローパ)と言うのだそう。
このサントゥアリオ・ディ・オローパについて検索すると大きなラ・キエーザ・ヌオーヴァ(新しい教会)を中心にした広大なエリアの画像が出てくるので、これが世界遺産なのだろうと思うのでしょうが、価値があるのは、どうやらサクロ・モンテの方と、古い教会らしく。
山の中にあるので、夏は涼しくていいかも、ということとお天気がよければ、山の景色も美しいかも、という2つの理由で出かけることに決めました。調べれば、宿泊施設も高くないし。(巡礼者用ですからね)
ビエッラからバスに乗ると、ぐんぐんと山道を登ります。お天気がいいので、いい気持ち!
着いたのは夕方5時半頃でしたが、たくさんの観光客がいて、観光バスもたくさん。ああ、これが世界遺産効果なのだと思いました。
なんだかイメージ的には「善光寺」。たくさんの巡礼者が来て、そのための土産物屋や、食堂があったりして、「門前町」なんて言葉も浮かんできてしまいました。
教会の中やサクロ・モンテの見学は翌日に回すことにして、少し部屋で休んでから外に行くことにしました。部屋はこんな感じです。
6時半ごろに外に出ました。さすがにもう日帰り観光の客足は引き、ゆったりと敷地を歩けます。
こちらが、古い教会。
左側から見ると、なんと大きな岩が、教会にめり込むように見えています。
翌日中に入って、どうなっているのか確かめてみようと思ったのに、すっかり忘れてしまって。
新教会
山を背負っていて、その向こうに日が沈むので日陰になっていて、写真は翌日撮ることに。だんだんと夕暮れてきました。
建物に明かりが灯り始め、空も夕暮れから夜へ。
前夜、早めに寝たからか、夜中2時ごろに目が覚めました。せっかくなので、外に出てみました。
夜気は、ヒヤッと寒いぐらい。何しろまちではないので、満天の星!そしてビエッラのまちの灯りも!
写真に撮りたいと思ったけど、私のカメラでは無理でした。
あの素晴らしい星空は、私の脳内にだけ取ってあります。
さて翌朝。部屋からの眺めがこうです!
山は朝日に照らされていますが、まだ新教会の天辺には当たっていません。
朝食前に刻々と変わる光を見に、散歩に出ました。
途中の門のところに、日が当たってきました
新教会にも。
でも中にはまだ入れませんから、先にサクロモンテへ。
サクロ・モンテには、こんな感じで礼拝堂が建っています。
下から順に、マリアの誕生から戴冠までを12に場面に再現しているそうですが その程度しか知らずに近付いてみると、ドアは固く閉ざされています。あら?中に入れないの?と窓を見れば、窓には金網が...。なーんだ...と中を覗いてびっくり。
内部空間全てが絵と人形で描かれた場面の展示スペースとなっているのです。金網の目にレンズをうまく潜り込ませて、
カメラをしっかりと固定し、ノーフラッシュ、セルフタイマーで撮ると
意外にきれいに撮れるではありませんか。
楽しくなって、順に辿りながら半分まで、次々と写真を撮りました。でもお腹が空いてきたし、教会も見たいし、ということで残りは後で続きをみることにし、教会へ向かいます。なにしろ観光客が押し寄せてくる前に、見てしまわないと。
まずは古い方のキエーザ・ヴェッキアへ。
古いフレスコ画は、かなりの部分が剥がれ落ちていますが、見えている部分はきれいです。
ここには、黒いマリア像が祀られています。言い伝えによると、4世紀、オローパでのキリスト信仰の創始者とされているヴェルチェッリの司教であった聖エウゼビオがエルサレムで見つけた、聖ルカが彫ったとされる木彫りの聖マリア像を持ち帰って、ここに祀ったのだとか。
新教会キエーザ・ヌオーヴァに向かいます。
グループで訪れている若い人たち(宗教関係のグループのようでした)が、体操したり、歌を歌ったり。
扉が開いて入れるようになりました。
こちらにも黒いマリアが。
キエーザ・ヌオーヴァは、デーンと大きくて、妙にきらびやかで
あまり好きではありませんでした。
この後、朝食を撮り、ビエッラの街までバスで出かけました。本当は観光するつもりだったのですが、観光案内所で地図をもらって出たら、向かい側がスーパーマーケット!
実はユーロ高だから(この当時もそうだったのです)節約したいという思いがあるところに、宿泊に19€プラスすると、指定レストランで2食付にできると聞き、それを選んだのですが、ダイエットにいいような質素な食事だったのです。
巡礼者用とはそんな程度なのですね…ということで普通に美味しいものに飢えていました。
つい入ったら美味しそうなものがいろいろあり、すぐ食べられるパスタや、野菜、ジュースなどを買ってしまって観光する気はすっかり萎えて...
ええい!宿に戻ってのんびり部屋ご飯だ、と思って戻ったら、部屋に着いた途端、雨が降り出しました。朝はあんなに天気がよかったのに...
本当にお天気運が良くて、旅先で傘を差すことはほとんどないのです。
ここに来る前に立ち寄った小さな村の人々が、口々に「あそこはいつも雨が降っているから...」と言っていたのを思い出しました。それにしちゃあ、前日の夕方といい、この日の朝といい、本当にいい天気だったのですね。
窓から、観光に来た人たちを見ていると、寒くてフリースや合羽を着ている人たちがたくさんいます。
ああ、泊まってよかった、朝のうちに見ておいてよかったと独り言。
(2泊して中1日を観光と言うか見学にあてていました。)
昼食を摂り、昼寝をして、ついでにちょっと部屋でお絵かきなんかして。
そしたら、雨が上がったので、サクロ・モンテの後半見物に出かけました。
ここでしたことといったらこれだけなのですが、やはり泊まってゆったりと見られてよかったと思いました。日帰りで来て、雨に打たれながら教会の内部だけ見ても、信心の無い私には、ありがたみもないですから。
ここで一番心に残っているのは、写真にはない夜中に見た満天の星空です。
あんなに美しい星空はそうそう見られるものではありません。
忘れがたい思い出です。
from: ぐら姐さん
2024年11月12日 10時15分36秒
icon
ピエモンテのは15.ネイヴェです。
ネイヴェは、ロマーノ・レヴィさんのグラッパの蒸留所があるところです。
ロマーノ・レヴィさんはグラッパの伝説的なつくり手です。
そのグラッパは、銘柄によってバローロのヴィナッチャ(ブドウの搾りかす)のみを使ったり、バルバレスコ、ドルチェット・ダルバ、バルベーラ・ダルバなどのヴィナッチャを使ったりし、自然炎の直火式蒸留釜、無補糖・無香料で蒸留してつくられていました。
過去形で書いたのは、2008年に亡くなられたからです。
今でもそのつくり方を守って同じように生産しているようですが。
その味もですが、えもいわれぬ素敵な可愛らしい絵を描く方で、それを用いたエチケッタ(ラベル)も含めてとても人気の高いグラッパです。(お値段も高いですが)
'06年秋にカネッリの馴染みのアグリのご主人が、車で連れて行ってくれました。
ご高齢で、何が原因か知りませんか、頭が前に垂れて、ご自分の手で持ち上げないと顔を上げられない状態でした。
それでも絵を描き続けていらして。
私がお目にかかったのが'06年、そして'08年5月に79歳で逝去されました。
本当にあのときに連れて行っていただいてよかったと思っています。
蒸留所兼自宅がとても独特で素敵なのです。
グラッパは好きなのに、そして材料はヴィーノの搾りかすということも知っていましたが、作り方はよく知らないので調べてみました。
原料に熱を加えて、アルコール分と香りを蒸発させたのち、冷却して液体として取り出すのだそうです。
方法には、大量生産に向いた連続式と伝統的な非連続式があり、連続式は、釜が階層になっており、一度の蒸留で、高いアルコールを得る事ができまるのだそうです。
伝統的なのは非連続式で、
1)搾りかすと水を釜に入れて直火にかける(この方法は難しいです)
2)搾りかすをいれた釜を湯煎する
3)搾りかすをいれた釜を蒸気で熱する
の3つの方法に分けられ、3)が一番使われているそうです。
でも、レヴィさんのところは自然炎の直火式蒸留釜ということですから、ここで言う1)で作っているのです。
非連続式は、蒸留の最初にでてくる部分は香りがよくないので捨てて、中心の部分だけを使い、後半も種子や果皮に含まれるオイルや不純物が多くなるので使わないのだとか。
小さな生産者はこの非連続式でグラッパを造っており、それぞれ個性的な味わいが楽しめるのだそうです。
ブドウの搾りかすを貯蔵している場所。
事務所というか、ムゼオというか。
ロマーノ・レヴィさんが、アトリエから出てきてくださいました。
アトリエも見せていただけました。
ロマーノ・レヴィさんの絵が、私は大好きです。
入り口付近や建物の瓦のようなものにも、絵が描いてありました。
私は、このときにこのコルクと
ポスターをいただいてきて、我が家の家宝にしています。
(グラッパは高価すぎて買えないので...)
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