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from: ぐら姐さん
2023/07/28 22:29:14
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シチリアの(小さな)まち
第2弾はシチリアです。パレルモ、カターニア以外の訪れたまちを書き出してみます。1.アーチ・トゥレッツァ2.アグリジェントエオリエ諸島(3.サリーナ島、
第2弾はシチリアです。
パレルモ、カターニア以外の訪れたまちを書き出してみます。
1.アーチ・トゥレッツァ
2.アグリジェント
エオリエ諸島
(3.サリーナ島、4.ストロンボリ島、5.パナレア島、6.ブルカーノ島、7.リーパリ島)
エガディ諸島
(8.ファヴィニャーナ島、9.マレッティモ島)
10.エリチェ
11.エンナ
12.カステルブォーノ
13.カラシベッタ
14.カルタジローネ
15.コルレオーネ
16.サヴォカ
17.サン・ヴィート・ロ・カーポ
18.シラクーザ
19.シャッカ
20.セジェスタ
21.セリヌンテ
22.タオルミーナ
23.チェファルー
24.トラーパニ
25.ノート
26.パラッツォ・アドリアーノ
27.ピアッツァ・アルメリーナ
28.ブロンテ
29.ポルティチェッロ
30.ポルト・パーロ
31.マザーラ・デル・ヴァッロ
32.マルサーラ
33.メンフィ
34.モディカ
35.モン・レアーレ
36.ランダッツォ
37.ラグーサ
38.リングアグロッサ
以上だと思います。多分。
と、思っていたら、ラスカリを抜かしていることに気が付きました。
ランダッツォとラグーサの順番も逆だし、ほんとうにポンコツですみません。
本来なら、36.ラグーサ、37.ラスカリ、38.ランダッツォ、39.リングアグロッサでしたね。今更変更するのも無理なので、39.ラスカリということにして付け足します。(2025.2.26)
リストアップするのに結構時間がかかったので、
次回1.のアーチ・トゥレッツァから始めますね。
何にも写真がないのは寂しいので、パレルモとカターニアの写真を1枚ずつ載せます。
こうして見ると、パレルモも、カターニアも大きな街ではありますが
都会と言う感じではないですね。
from: ぐら姐さん
2025/02/06 17:01:06
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シチリアの28は、ブロンテです。
イタリアでは、ピスタチオと言えばブロンテ産。
ブロンテのピスタチオは、スロウフード協会のプレシディオに指定されています。
プレシディオについてはこちら。
https://slowfood-nippon.jp/what-we-do/presidio/
ピスタチオが大好きなので、一度は行ってみたいと思い、’16年の8月に西南さんとローマで合流し、カターニアまで飛んで、そこからバスでブロンテに行きました。
せっかくだから1泊することにして宿も予約したのでした。
シチリアってバス会社ごとに切符売り場があり、それがまとまった場所にあるわけではないので、ほんとに面倒。
火山灰の土壌の地域をバスはゆるゆる上って行きます。
ブロンテのピスタチオは、地中深く根を伸ばす性質のテレビントという木に接ぎ木して栽培するのが伝統なのだそうで、エトナの溶岩からミネラルと養分をたっぷりと吸い上げて育ちます。
溶岩の谷に自生するテレビントに接ぎ木するのですから、機械作業をすることができず、収穫はすべて手作業で行うのだそうです。
ブロンテでは2年に1度収穫をします。
1年休ませて養分をたっぷりと貯えさせて実を太らせるようにとの配慮。
奇数年に収穫するので、私が行った’16年は休ませる年。
いずれにせよ収穫は9月だそうなので、8月に行っても無理だったわけですが。
バスの運転手氏に、宿の住所を見せて、近いところのバス停で降ろしてくれるようにお願いしたら、バス停ではないところで止まって、ここで降りるてそこの道を行けばいいよと下ろしてくれたのでした。
少し歩いて宿に着きました。
なかなかモダンな宿でした。
部屋からの眺め。
さっそくまちの中心部へ歩いて行きました。
建物にも溶岩の石が使われています。
まあまあの距離を歩いて中心部に入りました。
建物の壁にはピスタチオの木が描かれていました。
ピスタチオ色の建物がけっこう多い印象。
まちのバールやお菓子やさんにはピスタチオを使ったものがた~くさん!
ピスタチオパウダーやクランチも売っていました。
ジェラートを食べました。
こんなのも買ってみました。
ピスタチオ関連しか売っていない感じ。
散歩中み見かけたピスタチオの木
宿のお母さんに教えてもらってピスタチオを使った料理をいろいろ作っているリストランテで夕食をいただきました。
「シチリアの前菜」という名前の前菜盛り合わせ
海老とピスタチオのニョッキ
仔牛肉のスカロッピーネ、ピスタチオのソース
昨年7月にランダッツォに滞在中に日帰りでブロンテを訪れました。
エトナ周遊鉄道で行きました。
移動中に撮った溶岩の剥き出しの地面。
初めてのときの宿から街まで結構歩きましたが、駅から街までも歩きました。
駅からはどんどん下り、帰りに駅まで戻る時は上りばかりでした。
この時はピスタチオのパスタを食べました。
最初の時に泊った宿では、おかあさんが焼きたてのコルネットにピスタチオのクリームを入れた朝食を出してくれました。
フルーツもたっぷり。
やはり泊まった方がいろんなものを見て、食べて、人と話して、ということができて楽しめるなあと改めて思います。
シチリアへの思いは、行けば行くほど募ります。
from: ぐら姐さん
2025/02/05 16:19:48
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シチリアの27は、ピアッツァ・アルメリーナです。














いえ本当は、ピアッツァ・アルメリーナは通過して、その郊外にあるヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレのモザイクを見に行ったのです。
’05年8月、カターニアでレンタカーを借りて、西へ向けて出発。
4人とはいえ、私とイプさんはペーパードライバーなので、もっぱらナビ役。
ヨネちゃんリトルさんが交代で運転してくれました。
ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレは4世紀のはじめの頃に建設が始まったと推測されているそうです。
周辺のラティフンディアを含めた中心の別荘地として建設されたものだとか。
実用として用いられていたのは約150年に満たない期間で、それでも東ゴート王国、ヴァンダル王国、ビザンツ帝国、アラブ人と次々と支配者が変わる中で人々は居住してきたのだそうです。
完全に放棄されたのは12世紀頃で、当時ヴィッラに居住していた住民は現在のピアッツァ・アルメリーナに移動したと考えられているそうです。
ヴィッラのことは完全に忘れられ、ヴィッラの地域は農地へと一部転じていましたが、19世紀初めに数本の円柱が発見され、その後、19世紀中に発掘作業が何度か実施され、1929年と1935年から39年にかけての2回、本格的な発掘が行われたそうです。
その後も、1950年代から60年代に大規模な発掘作業が実施されて現在の形を見せるようになったとのこと。
1970年代にも小規模ながら発掘作業が実施されたそうです。
私が観に行ったのは2005ですが、その後で行った人たちの写真を見ると、それ以降も発掘が少しずつ進められたり、見学ルートや保護のための屋根が付けらりたりと年々かわっているようです。
目に入った順に撮った写真を何枚か載せます。
こんなに生き生きしたモザイクが、4世紀頃につくられたなんて・・・
あまりきれいに汚れが落とされていないのですが、それでも美しいし、楽しい。
モザイク・クリーニングのボランティア募集なんてあったら、もう志願しちゃう、なんて思ってしまいました。
日が翳るとよく見えるので、ときどき太陽に雲がかかるのを待ちながらゆっくり時間をかけて見学しました。
これが有名なビキニの少女たち
↑左の人両手にダンベルを持っているようですね。何のためなのかしら。
他の女性たちはドッジボールをやっているような感じ。
今度行くときは、曇りの日がいいなあなんて贅沢なことを考えました。
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