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from: ぐら姐さん
2007年09月21日 20時21分17秒
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アクイレイア
アクイレイアは、須賀さんの文章を読んで、いつか見に行かなくてはと思っていましたが、岡本太郎さんの「須賀敦子のトリエステと記憶の町」(写真付き)を見てす
アクイレイアは、須賀さんの文章を読んで、いつか見に行かなくてはと思っていましたが、岡本太郎さんの「須賀敦子のトリエステと記憶の町」(写真付き)を見てすぐに行かなくちゃ!と思ったところです。
世界遺産好きの方のために、「アクイレイアの遺跡地域と総主教聖堂バシリカ」も世界遺産に登録されていることを書いておきましょう。
アクイレイアは、ローマ時代に栄えましたが、今は小さな町です。でも、ここにはその昔栄えた証の11世紀のロマネスクの聖堂と、その聖堂の下に発見された4世紀の大聖堂の床モザイクがあるのです。
グラードからは、バスで10分ほどで着きます。バス停で周りを見渡せば、バジリカはあちら、と迷わず行ける道標があります。ここを曲がるのね、と曲がった途端、向こうに鐘楼が見えました。嬉しくて、弾みながら歩いて行きました。
そして聖堂バジリカも見えてきました。
須賀さんが、帆をいっぱいにあげた船のようだと感じた聖堂です。そんなふうに感じたのは、須賀さんが結婚したばかりで(新婚旅行で案内されたのです)これからの自分たちのことと重ねてそう思ったのか、周りに建物が何もなく、ひろい平地に建つその姿が、海の中に浮かぶ船のように感じられたのでしょうか。
中の素晴らしいモザイクについては、また続きとします。from: ぐら姐さん
2007年10月04日 19時37分39秒
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「Re:Re:Re:アクイレイア2」フラさん、宮下氏のこのシリーズ全5冊持っています。いつも行く予定の部分をコピーして持って行っているのです。(重くな
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from: ぐら姐さん
2007年09月11日 07時09分16秒
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グラード
トリエステからバスに乗って1時間半ほどで、グラードに着きました。グラードは、ヴェネツィアと同じような、ラグーナ(潟)にできた島々です。町の中心はイーゾ
トリエステからバスに乗って1時間半ほどで、グラードに着きました。
グラードは、ヴェネツィアと同じような、ラグーナ(潟)にできた島々です。町の中心はイーゾラ・ドーロ (Isola d'oro) という大きな島にあり、夏はリゾート地として賑わいますが、素敵な旧市街もあるのです。
ここグラードも第1次大戦までオーストリアの領地でした。その昔、海を持たないオーストリア人がイタリアから略奪したのだとか。そりゃあ、オーストリアのヒトにしたら、こんな海のリゾート地がほしいですよね〜。
ローマ司教の夏の保養地として栄え、またオーストリア皇帝 Francesco Giuseppe も訪れていたそう。
着いたバスターミナルは、トリエステのそれとは大違いで、明るくて開放的。いかにも、リゾート地に着いた気持ちになります。でも、地図サイトで調べ、宿の住所をプリントアウトして行ったのにバスターミナルの周囲には、道の名前が全く表示されていません。
運転手に聞くと、チェントロはあっちだよ、ぐらいしか分からないようでバールのシニョーラに聞きました。住所を言っても??って感じでしたが、宿の名前を言うと、Vicinissimo!(すっごく近くよ)と言って、店の外まで出て、曲がり角を指し示してくれました。黄色い美しい建物だから、すぐ分かるわよ、って。
言われた角で曲がって行くと、黄色い美しい建物は、たくさんあるのでした。が、とりあえずお宿発見。Vicinissimoとまでは行かないけれど、Vicinoではありました。
部屋は、小さいけれども、小ぎれいで、エアコンもあります。窓からの眺めがいい感じ。
島の中まで入り込んでいる運河にある、漁船などが停泊する古い港なのです。
さっそく町散歩に出てみました。宿からすぐの通りに、こんなものが立っていました。
Vino Della Pace(平和のワイン)〜年と記されていて、各年の分があります。何かしら催し物をやっているのでしょうね。今調べてみたらありましたが、面倒なので省略。
http://www.fvgnews.net/view.php?t=e&k=3265
その巨大ワインボトル看板は、道の両側に、こんな感じで立っています。
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from: ぐら姐さん
2007年09月07日 00時18分25秒
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トリエステ
トリエステは、イタリアの北の東端というか、長靴がたの、膝裏あたりにある都市です。オーストリア帝国の唯一の大規模な港として、トリエステは最盛期を迎えまし
トリエステは、イタリアの北の東端というか、長靴がたの、膝裏あたりにある都市です。
オーストリア帝国の唯一の大規模な港として、トリエステは最盛期を迎えましたが、第一次大戦後にイタリア領になり、さらに1954年にイタリアとユーゴスラビアとの協定で2つに分割されたという歴史をもっています。(それ以前にもいろいろとあるのですが、省略)
なぜ、私がこのまちへ行ってみたかったかというと、私の大好きな作家、須賀敦子さんが憧れていた地だからです。須賀さんが憧れていた理由は、彼女がその詩を愛し、翻訳までした、ウンベルト・サーバの出身地だからなのですが。
私は、サーバを読んだことはないので、邪道と言えば邪道なのだけれど、須賀作品の中に出てくるトリエステという街へ、是非行ってみたい…と思っていました。
それにトリエステという響きは、イタリア語のトリステ(triste=悲しい)に似ていて、街の悲しい歴史に重なるような気もしていました。
でも場所が場所だけに、どこかのついでにちょっと寄ろうということにはならず、行きたいという思いを温め続けていただけでした。かれこれ6、7年も。
そのトリエステに、少し遅い午後いよいよ到着。チェックインした後、少しだけ街散歩。というよりは、この日の夜に合流する友人を空港に迎えに行く約束をしているので、そのバスターミナルや切符売り場の確認がてら、近くを見ただけです。
空港に行くので、そうそうゆっくりたっぷりと食べるわけにもいきませんから、この日の夕食は、ピッツァ。 お店の名前がカプリッチョで、これはその店の名を取ったカプリッチョ風。ルーコラも書いてあったのに、乗っていたのは豆苗に似た葉でした。でも生地はもっちりしていて、アンチョビやケイパーや茸や茄子など私の好きなものがいっぱいでしたが。そして、もちろんピッツァにはビール!
海沿いをしばらく走るバスで空港に行き、友人と無事合流することができました。
from: フラさん
2007年10月07日 10時35分55秒
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「Re:Re:Re:Re:アクイレイア」>フラさん、宮下氏のこのシリーズ全5冊持っています。いつも行く予定の部分をコピーして持って行っているのです。(