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from: ぐら姐さん
2009/03/31 20:09:46
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ボッロメオ諸島
ミラノからスイス方向へ向かって列車ESで1時間ほど走ったところにストレーザがあります。http://www.comune.stresa.vb.it/c
ミラノからスイス方向へ向かって列車ESで1時間ほど走ったところにストレーザがあります。
http://www.comune.stresa.vb.it/comearrivare.asp
ストレーザは、マッジョーレ湖の中心リゾート地ですが、私は、ミラノから日帰りで、マッジョーレ湖に浮かぶボッロメオ諸島を見に行きました。
ボッロメオ諸島なんて言うと、たいそうな島々がありそうですが、ストレーザの船の発着場所からすでに目の前に見えます。泳いでだって行けるぐらい。
ボッロメオ諸島は、かつて法王と国王をだしたボッロメオ家所有だった3つの小さな島々(ベッラ島、ペスカトーリ島、マードレ島)です。
目当ては、ベッラ島。宮殿と庭園で占められているのです。小船に乗ってものの5分ほどで到着します。
まずは宮殿内の見学。残念ながら撮影禁止です。ダイニングルームの家具はフィレンツェから取り寄せ、シャンデリアはベネチアングラスだとのこと。
宮殿内からマジョーレ湖や庭園などの眺めを楽しめる部屋もあり、ドーム状の大きな空間が広がっていました。2階のバルコニーにはオーケストラが入って演奏するのだそうです。
1935年にドイツの侵入を阻止したストレーザ会議が行われたという部屋は、トルコ石などを使用した、宮殿内で一番高価な家具が使用されているのだとか。
ナポレオンが1797年に止まったと言う部屋は、ナポレオンとジョセフィーヌが使用した、当時のままのベッドが置いてありました。
貝を埋め込んだ、変なグロッタ(洞窟)もつくってありました。使用した大理石は、白はマジョーレ、ピンクはヴェローナ、そして黒石はヴェスヴィオから運んだのだそうです。
さて、その奥にある庭は、撮影OKです。その様子はまた明日。from: ぐら姐さん
2009/04/01 06:57:43
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「ボッロメオ諸島2」さて、奥の方にある庭に出ました。こちらは撮影OK。放し飼いにしてある孔雀が出迎えてくれました。奥の方に、建築物が。その建築物の階段
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from: ぐら姐さん
2009/03/29 17:22:03
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パヴィーアの修道院
ここを訪れたのは'00年、コモ湖に行ったのと同じ回の旅行とき。アイルランドに2人で向かい、途中1人合流し、コモでもう1人合流し、ミラノでその友人の友人
ここを訪れたのは'00年、コモ湖に行ったのと同じ回の旅行とき。アイルランドに2人で向かい、途中1人合流し、コモでもう1人合流し、ミラノでその友人の友人でイタリアで料理修行中の方と5人で行きました。
実は、目当ては修道院ではなかったのです。「世界ウルルン滞在記」という番組で、パヴィーアのリゾットが有名なリストランテにリゾットを教わりに行くと言うのがあって、番組HPを見たらそのリストランテの名前と住所、電話&ファクスが出ていたのです。
パヴィーアは、ミラノの南に位置し、1時間ほどで気軽に行ける距離です。
http://www.paesionline.it/pavia/mappa_pavia.asp
それが分かれば、もう行きたい気持ちがムクムクと…。行く時期がが真夏なので、レストランは休みかもしれないと思って、店のHPも、予約サイトも無いようだったので(今でもHPは無いようです。)ファクスを送ってみました。
そうしたら、とても丁寧なお返事が届いて、夏もずっと開けていますよ、お待ちしていますとのこと。そこには簡単な地図も出ていました。
それを見ると、近くにパヴィーア修道院があるではありませんか。ということで、せっかくなので修道院を観光することにしたのでした。初めに食ありき、なのです。
チェルトーザ(修道院)・ディ・パヴィーアには、ミラノからバスで行きました。バス停で降りて5分ほどで修道院に到着。ここは、ガイド付きで内部が見られるのでした。なにせおまけなのでちゃんと調べていかなかったのですが、戒律は厳しいようで、きちんと修行している雰囲気の修道院でした。
素晴らしかったのが回廊のある中庭です。
次回行くときは、しっかり勉強してから行こうと思いますが、今回このコメントのために調べるのは、忙しいので止めておきます。
食事に続く。from: ぐら姐さん
2009/03/30 13:54:21
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「パヴィーアでリゾット」さて、その店からファクスで送られてきた地図を見ると、店までは歩いて15分程度に思われました。もちろん真夏とは言え、15分なら歩
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from: ぐら姐さん
2009/03/26 16:41:07
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コモ湖
ミラノの北にあり、1時間足らずで行けるところにあるコモを訪れた方は、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。私がコモに行ったのは、'00年。この頃は
ミラノの北にあり、1時間足らずで行けるところにあるコモを訪れた方は、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。私がコモに行ったのは、'00年。この頃はイタリアに片足はまりこんだぐらいの状態で、アイルランドを10日ほど周った後に、イタリアの空気を吸いたくて1週間ほど寄ったのでした。
コモには、3泊しました。着いたのは午後で、湖畔をぶらぶら散歩。
それから、見晴らしのよい高台へ。
上まで登りつめた辺りで、「コンニチハ!」とどこかから日本語で話しかけられました。声のした方を振り向くと、イタリア人男性です。海外で日本語を話す人には気をつけないと、という気持ちがあるので、警戒心をもちつつこんにちは、と答えて、少しお話をしたら、変な人ではなく、日本語ができることがただ嬉しくて挨拶しているバールのオニイサンなのでした。
コモ湖は、水深はイタリアの湖で最も深い414メートル、湖の周囲は170キロもあるそうです。コモ湖の起源は氷河期にさかのぼり、ローマ時代から訪れる人々がいたとのこと。コモ湖は「人」という文字に似た形をしていて、右側の足の先がレッコ、左側の足の先がコモになります。そしてちょうど股の部分に当たるのがベッラージョになります。
2日目は、船でそのベッラージョと対岸にあるトレメッツォ訪れました。船は先にトレメッツォで泊まったので、降りてみました。ヴィッラ・カルロッタと言う美しいヴィッラがあると聞いたのです。
約7haある敷地には、階段や噴水、彫刻・彫像がレイアウトされ、自然美と芸術が調和したイタリア式庭園がありました。
ヴィッラ・カルロッタは、1690年から、ミラノの公爵ジョルジョ・クレリチ(Giorgio Clerici)によって建設され始めました。クレリッチ家は、コモ湖北部に発祥し、織物の取引で富を貯え、公爵位を獲得するとともに、ミラノやブリアンツァに幾つもの館を持っていたのそうす。ヴィッラは、ジョルジョの曾孫のアントニオの時代、18世紀半ばによやく完成しました。
1801年に、ヴィラは、クレリチ家から、産業革命後に中産階級の資本家から公爵となったジャン・バッティスタ・ソンマリーヴァ(Gian Battista Sommariva)へと売却され、1843年には、オランダの王女からプロシャのアルベルト王子に嫁いだマリアンヌに、40年前の10倍の価格で売却されたました。
そして、マリアンヌの娘シャルロッタ(イタリア読みでカルロッタ)と、後のザクセン・マイニンゲン公ゲオルグ2世との結婚の際、結婚プレゼントとされ、この名前が付けられたのだそうです。シャルロッタは、1855年に23歳の若さで亡くなり、ヴィッラは、第1次世界大戦まで、ザクセン・マイニンゲン公国が所有し、第1次世界大戦中は、イタリアの管理下に置かれたのだそうです。その後、1927年、ヴィラ・カルロッタ財団(Ente Villa Carlotta)が創設され、以降、財団が管理しているのだとか。
ヴィッラの内部を見て、広い美しい庭を見て、また船に乗ってベッラージョへ向かいました。 -
from: ぐら姐さん
2009/03/20 12:53:31
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モンタルチーノ
先日、モンテプルチャーノのことを載せましたが、初めて行ったのは、'98年夏にモンタルチーノに滞在していたときのことでした。私の、アグリトゥーリズモ初体
先日、モンテプルチャーノのことを載せましたが、初めて行ったのは、'98年夏にモンタルチーノに滞在していたときのことでした。私の、アグリトゥーリズモ初体験の場所です。
当時、アグリトゥーリズモに関する情報が少なく、インターネットのサイトにもそれほど出ていなかったし、ガイドブックにも、アグリトゥーリズモというものがあることは書いてあっても、具体的な名前や場所は挙げられていませんでした。おまけに私は運転しないので、車で行くところがほとんどの中から、公共交通機関を利用して行ける所を探すのは、けっこう大変なことでした。
千厩ともゑさんの「トスカーナ田園ホテルのめぐみ―中部イタリア・アグリツーリズモの旅」という本で見つけたのが、このアグリで、ここなら何とか公共交通機関で行けるかも!と思い、ファクスで連絡を取りました。まだWebサイトにHPを持っていなかったのです。
当初2人の予定が、途中で友人夫妻も行くことになって4人いたので、シエナからバスで行こうと思っていたところを、奮発してタクシーで向かいました。
部屋のこと、宿泊日数のこと、当初2人の4人になったため部屋を変更してもらったりもして、何回かファクスのやり取りをしているうちに、ここの女主人と知り合い感覚になり、タクシーを降り立ったところに立っていた女主人に「とうとうここに着いたわ!」と言ったら、両手を大きく広げて、抱きしめてくれたのでした。
ここが母屋で、用があるときは、ここに声をかけに行きます。
でも、実はここは女主人のご両親が暮らすところで、彼女達家族はちょっと離れたところに住んでいることが、後でちょっとしたハプニングがあったときに判明したのでした。
それにしても壁面の電話マークが何とも懐かしい感じですね。今やイタリアも日本も皆携帯電話を利用しているので、公衆電話は殆ど役に立っていない状態ですからね。
さて、私達の部屋は、この写真のバックに見える建物の地上階部分。ダイニングキッチンと寝室とシャワールームがあります。寝室には友人夫妻が寝て、私ともう1人の友人は、ダイニングルームの横のリビング部分にあるソファーベッドで寝ました。
着いた日は、シエナのスーパーでたくさんの食材を調達して行きましたので、あれこれと料理を作って、さあ食べようというときにワインが無いことに気付き、ワインを売ってもらいに母屋へ行きました。
そうしたら、おじいちゃん(女主人のお父さん)が出てきて、「娘達はもう自宅に帰ってしまったから、売店を開けることはできないんだよ。」と言うのです。あらら…飲み物が水だけなんて…。と私達が困っているのを見て、おじいちゃんは、晩ご飯にワインが無いなんてありえないことだと思ってくれたのだと思います。ちょっとこっちへおいで、と言って、小さな小屋へ連れて行ってくれました。
そこには、自家用の小さなワインタンクがありました。横に置いてあってボトルにワインを詰めてくれて、「ほら、これでも飲むといいよ。」と、分けてくださったのです。ノーラベルのボトルです。(チェックアウトの時にこのことを女主人に伝えたのですが、無料でした。)
おじいちゃんに丁寧にお礼を言って部屋に戻り、とても幸せな気持ちの晩ご飯となったのでした。
このアグリの女主人のご主人は、サラリーマンで、彼女が実家のカンティーナを継いでアグリを始めたもののようです。もう結婚した娘さんが、ときどき手伝いに来ていました。今Webサイトで検索したら、立派なHPができていて、アグリも随分拡張されているようです。プールは当時からありましたが。
http://www.lacrociona.com/index.aspfrom: ぐら姐さん
2009/03/26 10:02:19
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「Re:ピエンツァで忘れられない想い出」>ずっと太陽が沈んでいくのを見ながらあの日のことを思い出し、そして今、ここにいる幸せを思いながらとても悲しくな
from: papalinaさん
2009/03/25 22:25:07
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「ピエンツァで忘れられない想い出」>目抜き通りの長さが400mほどという小さなまちで、あっという間に歩けてしまうし、見所は集中しているので、立ち寄るの
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from: ぐら姐さん
2009/03/14 18:21:29
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ガルガニャーゴ1
こんなまちの名前初めて聞いたわ、という方がほとんどのことでしょうね。ヴェローナの郊外、イタリアワイン好きな人ならその名前を聞いたことがあるかも知れない
こんなまちの名前初めて聞いたわ、という方がほとんどのことでしょうね。ヴェローナの郊外、イタリアワイン好きな人ならその名前を聞いたことがあるかも知れない、ヴァルポリチェッラのエリアにあります。
よく旅を共にする友人が、持っている本に素敵な宿が載っていて、そこに泊まってみたいと言うので、行ってみることにしたのです。’97年の冬のことです。私も含め3人でした。
お宿のサイトはこちら。
http://www.seregoalighieri.it/Foresteria.htm#
だいたいの位置はここです。
宿については、こちらを見た方が分かり易いかもしれません。
http://www.farm-cottage-holidays.com/Accommodation/Details.php/N/870/
ミラノから列車でヴェローナまで行き、そこからタクシーで15分ほど行くと、その宿はありました。大きな門があり、運転手が門についているインターフォンのブザーを押すと、電動で門が開くのでした。
このときは、門の写真を撮っていないので、その翌年の夏に行ったときのものを載せます。
この門から200mほども進んだところにその宿はあるのでした。アグリトゥーリズモのようなものですが、簡単な朝食以外の食事は出せなくて、そのかわりここはキッチン付きなので、自分で作って食べることができます。
車を降り、小さなレセプションを通り、部屋に案内されて、うわぁ〜。広いリビングとダイニング!
冷蔵庫には、ウェルカムドリンクとして、ここで作っている白ワインが1本と、水が入っていました。
では、宿の建物や庭、葡萄畑などの写真をご覧ください。
私が座っている後ろにある小さなカウンターがレセプションです。
宿泊棟の外観です。一番上(3階、向こう式で言う2階)が私達の部屋で、宿のサイトにあるNEGRARAという名前のところです。なんと77平米もあったのですね。
つづく。 -
from: 華さん
2009/03/15 11:11:38
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icon拍手者リスト
from: ぐら姐さん
2009/03/15 12:20:33
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「Re:(*'皿^)oこんにちわ」華さん、ようこそ。横浜在住でいらっしゃるのですね。私もなんですよ。どうぞよろしくお願いします。華さんも、早く行けるチ
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from: ぐら姐さん
2009/03/09 23:23:47
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町歩き天国モンテプルチャーノ
モンテプルチャーノは、トスカーナの南にあるワインVinoNobilediMontepulcianoの町。シエナから南東におよそ70km、キウージとアレ
モンテプルチャーノは、トスカーナの南にあるワインVino Nobile di Montepulcianoの町。シエナから南東におよそ70km、キウージとアレッツォを南から北に結ぶ道と、オルチャ渓谷からキアーナ渓谷、トラジメーノを東から西に結ぶ道とに挟まれた、海抜およそ600mの小高い丘の上にある町です。
http://www.paesionline.it/terme_montepulciano/mappa_terme_montepulciano.asp
初めて訪れたのは'98年の夏で、その年はブルネッロ・ディ・モンタルチーノで有名なモンタルチーノのアグリトゥーリズモに滞在し、そこから日帰りで遊びに行きました。
とても楽しいまちだったので、'02年冬にキャンチャーノ・テルメに滞在した時にまた遊びに行きました。
どう楽しいかって、まずは中世の塀に囲まれた“ルネッサンスの真珠”とも形容される小さな美しい町並みがあるのです。
この日は、夜にここで催し物があるらしく、小さなステージが設えられていました。
今回の写真に登場しているのは、友人夫妻です。それからもう1人は一番たくさん旅を共にしている友人。
そしてこの町の中にいくつものカンティーナがあり、ぶらぶら歩きながら見つけたところに入ると、そこでカンティーナを見たり、試飲をしたり、それがワインだけではなく、サラミや生ハム、オリーブオイル(小さなパンに付けて)などの試食をしたりすることができるのです。
みんなが同じ方向を見ているのは、発酵中で、樽の上に付けられているガラス器具のところで時折ボコボコンという音がしていたからです。
これは2度目に行った時の写真。近くの町ピエンツァのペコリーノ・チーズを売る店もあります。(ペコリーノの中ではピエンツァのものが一番好き!)
そして、ぶらぶらと歩いている時に、銅板を打ち出して、鍋や看板などを作っている工房の前を通りかかりました。ドアが開いていて中で作業中のオジ(イ)サマが見えたので、「こんにちは。見せていただいてもいいですか。」と言うと、どうぞと気軽に言ってくれました。
看板がとても素敵で、壁に飾ってあるものをあれこれ言いながら見ていたら、オジ(イ)サマが「ちょっと見ててご覧。」と端切れの胴を打ち出し始めました。
見る見るうちに、葉っぱが1枚完成。それを私に差し出して、「これは薔薇の葉だよ。あなたが薔薇だからね。」と言ったのです!さすがイタリアおやぢ、いくつになっても枯れませんね〜。
一緒にいた友人達にも、いろいろなものを1つずつ作ってくれたのでした。その薔薇の葉は、今でもうちに大切に飾ってあります。from: ぐら姐さん
2009/03/11 19:39:32
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「変身するカメリエーレ@モンテプルチャーノ」モンテプルチャーノのカンティーナとペコリーノの店を前回載せましたが、こちらはハム・サラミ屋。猪や豚さんの木
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from: candyさん
2009/03/08 21:47:29
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アプリカーレ Apricale
BS日テレにて以前放送された西リビエラのバンテミリアより車で30分程北方面へ上がったアプリカーレへ2009年1月に行ってきました。
BS日テレにて以前放送された西リビエラのバンテミリアより車で30分程北方面へ上がったアプリカーレへ2009年1月に行ってきました。 -
from: ぐら姐さん
2009/03/07 17:40:53
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ボローニャ滞在
以前リミニに滞在中にボローニャに日帰りで行った時のことを書きました。そのとき、もっとゆっくり滞在したいと思ったことを、その10か月後に実現させたのです
以前リミニに滞在中にボローニャに日帰りで行った時のことを書きました。そのとき、もっとゆっくり滞在したいと思ったことを、その10か月後に実現させたのです。
'02-'03の年末年始にボローニャの短期滞在できるキッチン付きアパートを探し出して、友人達と4人ででかけました。そのうちの2人は3泊で移動だったので、キッチン付き2人部屋1週間、キッチン無し2人部屋3日間という滞在でした。
これがその建物です。
鉄道の線路を挟んでチェントロとは逆側に10分ほど歩いたところにあるのですが、チェントロまでも歩いて20分ほどで行けるので、他の町へ遊びに行かない日は、散歩に出てはちょっと観光、ついでに買い物をし、夜は部屋で食事を作っていました。
ボローニャの街角写真。本当にポルティコ(柱廊)の多いまちです。
この通りには、丸い花の飾りが定間隔で立っていました。
ボローニャには高い2つの塔が並んでそびえています。なんと斜塔なのです。高い塔がアシネッリの塔で高さ97m。低い方はガリセンダの塔で高さ48m。ガリセンダの塔は、傾きすぎて登れなくなったらしいのですが、アシネッリの塔には登ることができるというので、登ってみました。
上から見るボローニャのまちは、一面のレンガ色で、美しかったのですが、なぜか写真がありません。
アパートの隣りには大きなショッピングセンターがあり、そこのスーパーで買い物するのも楽しかったです。さすがパルミジャーノ・レッジャーノの本場エミリア・ロマーニャ州ですから、パルミジャーノのまるごとがずらりと並び、ここでカットしたものを真空パックにして売っていました。
もちろん一番のお気に入りは市場。魚屋で魚や貝を買って食べました。
キッチン付きって、本当にいい!と感じた初めてのときだったように思います。
from: ぐら姐さん
2009/03/08 22:59:10
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「美食の街ボローニャ」タイトルは、ちょっと大袈裟ですね。ボローニャは美食の街ですが、ボローニャではたいしたものを食べていないのです。前述のように、クラ
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from: ぐら姐さん
2009/03/04 20:05:55
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ブッセート
最近の旅のレポートは、前回で終わりました。いつもなら3月末にはイタリアにちょこっと出かけてくるのですが、今年は事情により行かないことにしたので、昨年、
最近の旅のレポートは、前回で終わりました。いつもなら3月末にはイタリアにちょこっと出かけてくるのですが、今年は事情により行かないことにしたので、昨年、ネガからデジタルデータ化した昔の旅の写真を、少しずつエピソードを交えてアップしたいと思います。
冬は冬らしいもの、夏は夏らしいものを心がけますが、昔は春と秋には行っていませんでしたので、季節外れになることも多々あるでしょうが、ご容赦を。しかもフィルムで撮っていた頃は、ほとんど自分が写っていて、遠目のものならそのまま載せたりしますが、アップのものは、ちょっと加工させていただいたりもします。
さて、ブッセートなんて聞いたこともない方がたくさんいることでしょう。ここには、生ハムの王様、クラテッロを食べるために行きました。'02年の冬のことです。
この年は、ボローニャにキッチン付きの部屋を1週間借りて滞在し、近くのまちを訪ね歩きました。ボローニャは、フィレンツェとミラノの中間ぐらいにあるエミリア・ロマーニャ州の州都で、交通の要衝となっているため、ここからあちこちに出かけるにはとても便利なのです。エミリア・ロマーニャは美食の都で、近くにはモデナや、パルマもあり、食もかな〜り楽しめそうなことも、この街を選んだ理由です。
さて、ボローニャから列車で北西に進み、パルマの少し先に、フィデンツァという駅があります。そこで列車を乗り換えて、ポー川の方向に向かったところに、ブッセートがあります。
http://www.paesionline.it/emilia_romagna/busseto/mappa_busseto.asp
ブッセートは無人駅で、駅前には何も無く、もちろんタクシーも待機していません。駅前の通りを少し行くと小さなバールがありました。
このブッセートから3kmほど行ったところに、ズィベッロZibelloという村があり、この辺りでクラテッロを作っている8つの村のうち、ここのものが一番美味しいと言われているのです。
「美味しんぼ」で、このズィベッロにあるクラテッロ協会の会長がやっている店があると知り、滞在中の1日を使って昼食を食べに出かけたというわけです。
駅で列車を降りて、歩くこと10分ほど。まちの中心部に着きました。普通の小さなまちで10分もかからずにチェントロを一周りできそうです。
このまちは、作曲家ベルディの出身地だそうで、その名を冠したジュゼッペ・ベルディ劇場がありました。
何でも、収容人員は300名だそうで、とても小さな劇場なのですが、新人歌手の登竜門として知られるコンクールがおこなわれるのだそうです。
私と友人は、このときそそっかしくて、店の名前が載っているコピーを持ってくるのを忘れていました。でも、きっとハムサラミ屋で聞けば分かるだろうと思って、見つけた店に入り
「クラテッロ協会の会長のレストランの名前をご存知ですか?」
ときいたら、
「ああ、カヴァリーノ・ビアンコね。」
と教えてもらえました。
よし、これでタクシーを見つけて店の名前を言えば、きっと大丈夫!とタクシーを捜しに行きましたが、劇場の辺りがチェントロ中のチェントロと言う感じなのに、タクシーが待機していないかと探しても、全然見つかりません。
近くのバールでタクシーを呼べないか聞いてみたら、バールのオヤジさんが、
「このまちにはタクシーが1台しかなくてね、向かいの宝石屋のダンナがやってるから、行ってみてご覧」
というので、宝石屋に行って、タクシーをお願いしたいと言うと、
「ごめんなさい。今日はパルマに行っているので、タクシーはないのよ。」
と言われてしまって…
場所も知らないし、適当に3km歩くわけにもいかないし…。でもここで諦める私達ではありません。電車を乗り換えたフィデンツァなら、少し大きなまちなのでタクシーを呼べるに違いないと、店までは遠くなるものの、フィデンツァに戻ることにしたのでした。つづく。from: ぐら姐さん
2009/03/06 01:53:02
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「カヴァリーノ・ビアンコへの遥かなる道」さて、ブッセートの続きです。20分ほど待てば来るはずの電車が来ません。しばらく待っても来ません。私達のほかにも
from: ぐら姐さん
2009/04/02 06:10:17
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「ボッロメオ諸島3」昨日の続きです。下から見上げるとこんなです。小さな池に水練が咲いていました。珍しいのか、熱心に写真を撮っている人もいました。こんな