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from: ぐら姐さん
2018年08月29日 06時40分08秒
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カステルメッツァーノ(’18年夏)
1日おまかせチレント巡りの後はアグリに帰り、晩ご飯をいただいて翌朝チェックアウト。
お腹いっぱいで晩ご飯はそれほど食べられなかったし、
暗いところで撮った写真はよく見えないので割愛します。
というわけでレンタカーで次の目的地カステルメッツァーノへと向かいました。
今回はカーナビ付きではなく、なおさん持参の地図と、
私がiPadに入れている地図アプリを見ながらの移動です。
私の地図アプリに従って進んだ先が、工事中で完全封鎖していて、
けっこうな距離を引き返すなどし、最後はガソリンスタンドで聞くなどして
ようやく近いところまで到達したところで川を渡るときに
ガランガラーンというカウベルの音が聞こえてきました。
見ると放牧された牛たちが水を飲みに来ています。
車を停めて、見に行ってみました。
とっても長閑な音が耳に心地よく。
しばし眺めて、車に戻りカステルメッツァーノのまちへ。
まちの入り口で車を止められ、係の人が
「ここで荷物を降ろし、駐車場に車を置いてまちには歩いて行くように」というのです。
は?一瞬耳を疑いましたが、もう一度聞いてもそういうことでした。
なおさんが車を置きに行き、私は二人分の荷物のそばで待ちました。
宿は町の入り口からは近くないのです。
どうみてもだらだら上り坂だし…
やれやれ、しかたない…と歩き始めました。
(時間がないので続きは次回)from: ぐら姐さん
2018年09月06日 20時15分01秒
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なおさん、>「もっと、もっと、オジチャンもっと~~~!!」ホントにそれ言っていましたよね!お互い年を忘れて楽しめたのが本当によかったです。
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from: ぐら姐さん
2018年08月21日 08時44分51秒
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スタートは、チレント地方から(’18年夏の南イタリア旅行)
昨日無事帰国しました。
早速旅報告を始めます。
キャセイの感想を聞かせて欲しいと言われていましたので、まずはそれから。
キャセイは以前(返還前)香港に行くのに利用したことがあり、
その時の印象はとてもよかったのですが、
航空会社すべていえることなのかもしれませんけれど食事が落ちたと感じました。
デザートのハーゲンダッツだけは変わっていませんでしたが(行きだけでした)。
CAに余裕がないのでしょうか、サービスに抜けがあります。
行きの香港~ローマでは、食後のコーヒーをもらえませんでした。
トレイを片付け、お飲み物は?と聞くのが通常なのに、
席によって忘れられてしまうようで。
さらに、帰りは飲み物サービスの時に、
私の列全員が小さなスナックの袋をもらえませんでした。
トイレットペーパーの補充が十分でないこともありました。
トータルで、もう乗らないと思います。
日本の航空会社のレベルは求めませんが、
事務的もでもいいので、するべきサービスはちゃんとしてほしいと思いました。
さて、7月27日の朝、ローマに到着。
レンタカーのデスクでなおさんと合流。
この日の10時から借りて、4日後のブリンディジで10時までに返す予定です。
なおさんは、とても賢い人で、
私たちなら4日丸々の朝の返却ではなく、
せっかくだから夕方まで借りて5日分の料金を払いそうですが、
そういう無駄な料金や、余計な保険はかけず、
余計な費用はかけない知恵をお持ちです。
こんなすごい車たちもレンタルできるのですね。
でも、私たちの車はLANCIAのY(イプシロン)という小回りの利く車。
ローマを後にして一路南下。
チレント地方の馴染のアグリに向かう前に、
なおさんが立ち寄りたいと思っていたCASTELLABATE(カステッラバーテ)へ。
サレルノの南60㎞ほどのところにある
I BORGHI PIU` BELLI D'ITALIAに認定されている小さな村です。
パエストゥムに差し掛かる辺りから俄然カゼイフィーチョ(チーズ工房)が目立ち始め
それがすべて水牛のミルクのモッツァレッラを作るところです。
流石、本場。
私たちは「モッツァレッラ街道」と名付けました。
カステッラバーテの入り口がもうそこ、と言うあたりで2時を回っていたので
道沿いにある店に立ち寄って昼食。
モッツァレッラ街道を抜けてきたので、
前菜にモッツァレッラをいただきました。
1人分がドーンと4個。
2人で2個ずついただきました。
これ、あんまり冷たくなくて、それが逆にモッツァレッラの味を感じさせるというか
モッツァレッラって、冷たすぎない方がよいのだなと思いました。
1個はそのまま、もう1個はオイルをかけていただきました。
ジュワーと水牛のミルクの味が浸み出てきて美味しかった!
私のプリモは、オリーブとモッツァレッラとトンノ(まぐろ)のオレキエッテ。
なおさんは、ペンネ・アッラビアータ。
美味しくいただいて、カステッラバーテに向かいました。 -
from: naorinさん
2018年08月28日 21時19分34秒
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2日目はジェノバ
ぐら姐さんのコメントにもありましたが、ジェノバの悲劇にまず哀悼の意を捧げます。かの橋脚は、シンプルで芸術的な美しさを持っていましたが、現代の交通量とか重量に耐えきれなかったのですね。フィレンツェ滞在中に毎晩ニュース特集がありました。リポーターが、古い石造りの橋の橋脚の石を手でつつくと、ぼろっと崩れた映像に衝撃を受けました。イタリアの遺産を守るために、何が必要なのかと問いかけているようでした。
さて、わたしが、ジェノバを訪れたのはあの事故の10日前になります。フレッチャでしたから、高速道路は通っていませんが、バスだったら、、、
ジェノバは、重厚で男性的な力強さを感じました。建築物に使われている石のごっついこと。11世紀から発展してきた歴史の重みを肌で感じることのできる町でした。ドゥカ─レ宮とその前にあるフェッラ─リ広場は、夕涼みにぴったりな場所でした。昼間、豪奢な広間を見た後で、塔に登ったところ、ラプンツェルさながらそこは囚人を閉じ込める牢屋でした。広間のきらびやかな世界が天国なら、そこは地獄なのでした。ああ、知らんかったぁ、、、囚人の怨念とか祟りませんようにと足早に立ち去るつもりだったのに、教えられた通り入り口からエレベーターに乗って奥へと進むと係りのおじさんが一人待ち受けていました。そこで、不織布でできたシャワーキャップをかぶり、その上に工事現場で見るような黄色いヘルメットを被らされて、独房へと。それが、かなりの部屋数で、見学者はわたしだけなのに、一人奥へ奥へと進むうち囚人のうめき声のBGM が!!!要らんでしょ❗足がすくみました。気を取り直してコロンブスの生家へ。そこは、こじんまりとした山小屋かペンションみたいな家でした。決して富裕層の生まれではないと分かる家でしたが、城壁の傍、城から直ぐのところに位置していることから、宮廷から呼ばれたらすぐに馳せ参じることができるような位置なのでした。イタリア人は、スペインの支援を受けて新大陸を発見したこの偉大な冒険家をあまり称えないそうですが、イタリアの資本でディスカバーしてほしかったという感情がその背景にあるからのようですね。 -
from: naorinさん
2018年08月27日 14時31分02秒
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3回目のイタリアはミラノから
ぐら姐さんが、帰国直後から旅日記を整理されたことに刺激を受け、わたしもそろそろ、ボチボチ書こうかな、なんて新しいトピックを立てることになりました。3回目なのに、イタリア初心者です。よろしくお願いします。
一日目は、ドォ─モの屋根に上がりました。めちゃめちゃ暑い日で、順番待ちの長蛇の列を見て、早く上がるチケットを購入してエレベーターですっすと観て回りました。通常は15€くらいですが、fastチケットは23€だったような。ドォ─モのわきにあるチケット売り場が早いですよ。向こうに見える建物の中では、順番を示すチケットを取り、電光掲示板に自分の番号が出るまで30分位待たされました。そして、ほしいチケットを注文するシステムでした。屋根に上がるだけならそこじゃなくても充分でした。
from: なおさん
2018年09月06日 22時22分43秒
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cokemomoさんでしょ、でしょ、そうでしょ~~~。車のトランクにスーツケースを積み込んで、運転席のシートを調節し、ルームミラーとサイドミラーも調節