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from: ぐら姐さん
2024年03月25日 15時33分36秒
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フリウリ・ヴェネツィア・ジュ―リア
フリウリ・ヴェネツィア・ジュ―リアは、北イタリアの東、スロベニアと国境を接している州です。
ここもトレンティーノ・アルト・アディジェ州などと同様、イタリアに5つある特別自治州のひとつです。
州都はトリエステ。訪れたまちはわずか6つです。
1.アクイレイア
2.ウーディネ
3.グラード
4.サン・ダニエーレ
5.チヴィダーレ・デル・フリウリ
6.トリエステ
では、早速1.のアクイレイアから書き始めます。
’07年に行きました。
この掲示板でも何度も書いていますが、私は須賀敦子さんの作品のファンでして、
彼女の作品を読んで、いつか見に行かなくてはと思っていましたが、
岡本太郎さんの「須賀敦子のトリエステと記憶の町」(写真付き)を見て、いつかではなくすぐに行かなくちゃ!と決めたのでした。
彼女は新婚旅行でここを訪れているのです。
「アクイレイアの遺跡地域と総主教聖堂バシリカ」は、世界遺産に登録されています。
(須賀さんの若かった頃は世界遺産というものはなかったでしょうけど)
アクイレイア大聖堂は、ローマ帝国初期に大司教が置かれたことで繁栄した教会です。
その後1031年に総大司教のポッポーネがロマネスク様式のアクイレイア大聖堂を建設し、1379年に総大司教マルカドによりゴシック様式に改修されました。
古代都市アクイレイアの遺跡は、何世紀にもわたって「採石場」として使われ、石材は持ち去られたため、地上には古代ローマ時代の建造物は一つも残っていないのだそうです。
でも発掘(まだ途上だそうですが)によって古代ローマの遺跡が次々に見つかり、見学できるようになっています。
グラードに滞在してバスに乗って日帰り遠足という感じで出かけました。
須賀さんが、帆をいっぱいにあげた船のようだと感じた大聖堂
鐘楼
鐘楼の前にはローマを建国したとされる伝説の双子ロームルスとレムスの像
中に入ると、今の聖堂の床面(剥がしてある)より一段低いところに、4世紀に描かれたバシリカの床モザイク画があります。
モザイク画には宗教的な意味合いが強く、初期キリスト教で「永遠の命」を意味する孔雀や光の世界に住むニワトリや闇に住むカメなども描かれています。
海の生き物たちのモザイクが鮮やかに床を泳いでいるようです。
強化ガラスの通路が造られていて、足もとのモザイクもとてもよく見られるようになっています。
広い範囲に、伸びやかに大らかに描かれていて、まるで古代の海を泳いでいるような気分になります。
どんな文章より、どんな写真より、ここへ来てこの空間に身を置いて感じるすごさ。
本当に来てよかった... しみじみと思ったのでした。
聖堂を後にして、ローマの遺跡を通過し
国立考古学博物館へ。ここにも美しいモザイクの数々があります。
とりわけ、このリボン!
行った頃より今の方がもう少し分かっているので、もっとたっぷりと時間をとって再訪したいと思っています。from: だるまさん
2024年03月31日 13時51分40秒
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日本人の感覚と違う距離感ご苦労様でした、でもプチ見学出来て良かったですね、苦労して食べたい生ハム美味しそうで、何より良いですね。此れからも楽しいレポー
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from: ぐら姐さん
2024年03月11日 17時25分24秒
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アブルッツォの(小さな)まち
アブルッツォでこれまでに訪れたまちは、
1.アンヴェルサ・デッリ・アブルッツィ
2.ヴィッラ・ラーゴ
3.スカンノ
4.スルモーナ
5.パチェントロ
6.ブニャーラ
7.ペスカーラ
8.ペスココスタンツォ
9.モンテジルヴァーノ
です。
州都は、ラクイラなのですが、まだ訪れたことはありません。
行こうかなと思っていたタイミングで大きな地震がきて甚大な被害を受けたとのことで。
日本とイタリアって共通点がいくつもあると思うのですが、地震が多いのもその1つですね。
もう少しラクイラには行かない方がいいのかなと思っています。
ということで、州都の写真をちらりと載せようと思っても無いので、
1.アンヴェルサ・デッリ・アブルッツィを早速始めます。
’15年秋に弾丸でスルモーナに行った時に、1日車をお願いして近隣の「イタリアの最も美しい村々」に選ばれているところをいくつか巡ってもらった時に立ち寄りました。
これは、まちの中をぶらぶら歩いて見た後に次のまちに向かう時に全体が見えたので、車を止めてもらって撮ったものです。
まちに入ってじきに、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会があります。
中には入れませんでした。
道路沿いにぶらぶら歩きました。
ここには、フランコ(ドライバー)の友人がいて話し始めていたので、
私たち2人で、足の向くままに歩きました。
ベランダの老シニョーラ。隣の建物のベランダのシニョーラとお話していました。
通りがうるさくないので、大声で話さなくても会話が通じるのでした。
見上げたらこちらに微笑んでくださったので、ご挨拶をして。
この一角、イタリア映画祭で見た「これが私の人生設計」の最後の方で、主人公の女性設計士が、恋人を連れて故郷の山村に行き、母と伯母の用意した料理に舌鼓を打つ場面で出てきました。
スクリーンに出てきたときに、あっ、ここ知ってる!って思わず声を出しそうになりました。
車の道から路地に入り、ゆるゆると上り、別のろじをゆるゆると下って車に戻ります。
シニョーラが外の椅子に腰かけて編み物をしていました。
このシニョーラも、Buongiornoと挨拶をしてくれました。
写真を撮ってもいいですか、と訊いたら快く承知してくれました。
何を編んでいるのか訊いたら、ストールを編んでいるのよ、と見せてくれました。
お年寄りが、幸せに暮らしているようで、この村はいいところだと感じました。
歩いている間中、「イタリア 小さな村の物語」のテーマソングが頭の中でずっと響いていました。 -
from: ぐら姐さん
2024年03月02日 08時20分31秒
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バジリカータの(小さな)まち
バジリカータ州にも少ししか行っていません。
どこに行ったかしら、とバジリカータの地図を見ていたら、意外なことに気が付きました。
私の感覚だとバジリカータって海無し州と言う感じだったのに、
ティレニア海側はカンパーニア州とカラーブリア州の間に20㎞弱ぐらいの海岸線があり、
イオニア海側はプーリア州とカラーブリア州の間に30㎞ちょっとぐらいの海岸線がありました。
認識不足を反省。
そのぐらいこの州を訪れていないということなのですね。
行ったところは、やはり3つだけ。
1.マテーラ
2.メルフィ
3.ポテンツァ
と書きましたが、間違いがありました。
まず、マテーラはバジリカータの州都ではなく、ポテンツァが州都でした。
次に、訪れたまちはもう1つありました。
つまり
1.カステルメッツァーノ
2.マテーラ
3.メルフィ
4.ポテンツァ
でした。
コメントもポテンツァの後に追加します。
マテーラのことを書きます。
’04年にポリニャーノ・ア・マーレに2泊+3泊で滞在し、その中日にポリニャーノのホテルに荷物を預け、1泊分の荷物を持ってアルベロベッロとマテーラに行ったのが最初です。
アルベロベッロは立ち寄り、マテーラは宿泊しようと思ったのは、夕に夜に朝に見て素敵なまちだろうと思ったからです。
’18年夏に再訪しました。
このときは、前回の反省を踏まえて観る順番を決めました。
今日は’04年の時の写真を載せます。(もうこの頃はデジカメになって写真撮り放題でしたから(とはいえカードの容量が大きくなかったので今ほど取り放題ではなかったです)自分が写っていない写真もたくさん撮りました。
歩いているうちにサッシ群を谷越しに見られるビューポイントがあり、谷越しの向こうからこちらを見たら面白いのでは?と思いつき、タクシーの運転手に話して行ってもらったら、予想通りの眺めだったのですが、訪れたのが午後だったため、逆光で美しさも中くらいなりという感じだったのが心残りでした。
(’18年の時には朝着いて、午前中に見に行って素晴らしい眺めを堪能しました。
これから行かれる方、そこはBelvedere di Murgia Timone(ムルジア・ティモーネ)と言うところなので、是非午前中にどうぞ)
夕暮れのサッシ
夜のサッシ
’18年の時は、もっと時間を取ってまち歩きをしたので、それは次回載せます。
さて、いくつか間違いがありました。
まず、マテーラはバジリカータの州都ではなく、ポテンツァが州都でした。
次に、訪れたまちはもう1つありました。
つまり
1.カステルメッツァーノ
2.マテーラ
3.メルフィ
4.ポテンツァ
でした。
コメントも追加します。 -
from: ぐら姐さん
2024年03月07日 14時54分45秒
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トレンティーノ・アルト・アディジェの(小さな)まち
トレンティーノ・アルト・アディジェは、イタリアに5つある特別自治州のひとつで、行ったことのあるまちはほんの少しです。
(特別自治州とはイタリア共和国憲法116条において特別な地位を持つと規定された州で、シチリア、サルデーニャ、トレンティーノ・アルト・アディジェ、ヴァッレ・ダオスタ、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリアの5つだそうです。)
サルデーニャ、トレンティーノ・アルト・アディジェとフリウリ・ヴェネツィア・ジューリアが、私が勝手に捉えているイタリアとはちょっと違った雰囲気を持っているような感じがしました。
まちの中で見かける表記も2つの言語だったりしますし。
トレンティーノ・アルト・アディジェで訪れたところは、まちとしては
ボルツァーノのみ。
あとは、下記のところを1日バスツアーで巡りました。
カレッツァ湖
カナツェイ
ポルドイ峠
というわけで2回に分けて書いていこうと思います。
まずはボルツァーノから。
ここには、夏と冬に1回ずつ行きました。
初めに行ったのは'09年夏。
(いや、正確には'95年にここからコルティーナへ行っているのですが、本当に通過しただけで写真もありません。)
'09年は、このまちも観て、さらに美しいイタリアン・アルプスを眺めに行きたいと思って訪れ、3泊しました。
イタリアン・チロルと呼ばれる地域で、まちの建物や看板がまさにそんな雰囲気でした。
料理も結構違いました。
カネーデルリ(ドイツ語だとクヌーデルというそうです)。
パン粉の団子のようなもので、それにいろいろなものを混ぜてバリエーションが生まれます。
パンも、ドイツみたい。
友人のお薦めの郊外のリストランテは最高でした。
自家製スペックの厚切りの美味しいのなんのって。
今でも、これまで食べたスペックの中の1番です。
この店の辺りの景色も素敵で。
最終日の夕方からは、Calici delle Stelle(直訳すると「星の下の酒盃」)というイベントがありました。
郊外にあるロンコロ城にも行きました。
郊外サレンティーナ渓谷の入口の岩の上にそびえている城です。
1237年にこの地を治めるヴェスコーヴォ王子から、ここに城砦を築く許可を得たヴァンガ(Vanga)兄弟により建築されましたが、1385年に当時の裕福な商人フランツとニクラウスというヴィントゥラー兄弟がこの城を購入し、城としてと言うよりも、サマーハウスとしてゲストを招くために増改築したのだそうです。
建物内は撮影禁止です。なので建物外部のみ撮影しました。この城は、その内部のフレスコ画が美しく、見どころとなっているのですけれどね。
冬はまた違った趣がありました。それは次回に続きます。
from: ぐら姐さん
2024年04月01日 15時59分02秒
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だるまさん、ありがとうございます。はい、ともかく見学でき、生ハムも食べられてよかったです。最低限の目標は達成できめした。