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from: エリスさん
2006年12月02日 15時36分02秒
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追憶 すべての始まり・1
オリーブの匂いが香る夕暮れ。片桐枝実子(かたぎりえみこ)は、ソファーに横になってまどろんでいたが、その香りに誘われて目を覚ました。キッチンと庭に挟まれ
オリーブの匂いが香る夕暮れ。
片桐枝実子(かたぎり えみこ)は、ソファーに横になってまどろんでいたが、その香りに誘われて目を覚ました。
キッチンと庭に挟まれたリビングルーム。そこに、彼女はいた。
キッチンを見ると、弟子でありマネージャーの三枝レイが料理を作っている最中だった。
「いい匂いね、レイちゃん」
枝実子が声をかけると、
「先生、起きてらしたんですか?」
と、レイが振り向いた。誰の目から見ても、子供がいると分かる大きなお腹である。
「なに作ってるの?」
枝実子は起き上がって、彼女の方に歩いて行った。見ると、ペペロンチーノのスパゲッティーだった。
「先生はオリープオイルがお好みですから、この方がいいかなっと思って」
「ありがとう、レイちゃん……ところで、そろそろ坊やを保育園へ迎えに行かなくちゃいけないんじゃない?」
「大丈夫です。今日は主人の仕事が早く終わるとかで、主人が迎えに行ってくれますから」
「でも夕飯の支度があるでしょう」
「大して時間かかりませんもの、帰ってきてからでも平気です」
「だけど……」
枝実子はポンポンと軽くレイのお腹を叩いた。「あまり立っているのは、お腹の子供に良くないんじゃない?」
「嫌だわ、先生。もう二人目なんですよ。そんなに気を使ってもらっては……」
「レイちゃん」枝実子は教え諭すように言った。「私のことを考えてくれるのは有難いわ。でも、あなたは私の弟子である前に、一家の主婦なのよ。それに、もうあなた自身、作家として独り立ちしてるんだから、あんまり師匠のところに居ついちゃダメ。いい? ここは私たちのアトリエ、言わば会社なんだから、定時をすぎたら社員は帰りなさい」
「でも……」
「命令よ」
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from: エリスさん
2007年01月16日 14時53分21秒
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「追憶 すべての始まり・56」
食事はあまり用意されていなかった。神酒と小さな果物がいくつかだけである。
エリスの杯に酒を注ぐキオーネーの手は、今は穏やかだった。
「この間は……」
と、エリスは口を開いた。「弁解のしようもないな……わかったであろう、そなたも」
「はい」
「そうか……このまま、会わずにいようかと思っていたのだが、それでは卑怯ではないかと考えが至ってね。……キオーネー、そなたの気持ちが聞きたい」
重い沈黙が続く。
キオーネーは、強く握り合わせた手をテーブルの下に隠して、絞り出すように言った。
「もう、来ないでください」
それを聞いて、エリスは一息ついた。
「……わかった……」
ゆっくりと立ち上がる。
足音すらしないほど静かに歩いていき、エリスは戸の前で、振り向きもしないで言った。
「今まで、ありがとう」
戸を開くと、風がサッと入り込んでくる――髪が、小屋の中へ伸びるように煽られた。
その髪が、波うちながら消えていく。
キオーネーはずっと堪えてきた衝動に耐えられず、立ち上がった。
「待って……」
と言い掛けた時、風で戸が閉められた。まるで、行く手を阻むように。
『なにをしようとしていたの? これでいいのに……自分が望んだ結末なのに』
止めどなく、涙が出てくる。
キオーネーは、拭うこともできなかった。
これで良かったのだ……と、エリスも思っていた。
『あの汚れなき魂を罪に落とすぐらいなら、この方が良いではないか』
足は自然と、泉に向かっていた。馬も主人の後を付いてゆく。
泉に月の光が映って、風で波打つごとに輝いて見える。
これが見納めになるかもしれない。
エリスは岸に跪くと、泉の水に手を浸した――心地よい冷たさが、寂しさを癒してくれる。
そんな時だった。
『……我が君……』
エリスはすぐさま振り返った。
キオーネーの声がしたような気がした。
我が君……キオーネーがエリスをそんな風に呼んだことはない。それなのに、なぜ、この言葉が彼女の声で聞こえたのだろう。
まさか、まさか、と繰り返し思いながら、エリスはキオーネーの小屋へと戻った。
戸を開けたとき、今にもナイフを首筋に刺そうとしているキオーネーの姿が目に入った。
「熔けろ!」
エリスが咄嗟に叫ぶと、その言霊をぶつけられたナイフが、先からヘナッと曲がり、水みたいに熔けて消えてしまった。
震えた手を握り締めて、涙で潤んだ瞳をキオーネーが向ける。
「死なせて下さい、お願いです。私は……罪を犯してしまったのです」
次第にうなだれていく彼女にエリスは歩み寄って、肩を支えてあげた。
「女でありながら、恐れ多くも女神様を愛してしまいました。せめて、死んでお詫びを……」
「私も同じだ、キオーネー」
エリスはそう言って、キオーネーを抱きしめた。
「誰よりも、敬愛する母君よりも、そなたが愛しい、失いたくない。私の総てを投げ出しても、そなたを守ってやりたい……キオーネー、死ぬ勇気があるのなら、もう、なにも怖いものはないわね」
腕の力を緩めて、エリスはキオーネーを見つめた。
「……エリス様……」
「生きよう、共に」
キオーネーは頬に流れる涙をそのままに、エリスにしがみついた。
「我が君、我が君ッ」
「……我妹(わぎも。「我が妻」という意味)……」
その宵、月が隠れた。誰の意志によるものか、満月の筈の夜が闇夜となり、総てが覆い隠されたのである。
総ては、夜空が知っていた。
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