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from: エリスさん
2008年06月06日 14時51分05秒
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泉が銀色に輝く・1
一人の精霊が、泉の中を歩いていた。夜更けた森は静かで、ただ梟の声だけが物悲しく漂うばかり。泉の中の精霊は、なをマリーターと言った。彼女は中ほどで立ち止
一人の精霊が、泉の中を歩いていた。
夜更けた森は静かで、ただ梟の声だけが物悲しく漂うばかり。
泉の中の精霊は、なをマリーターと言った。彼女は中ほどで立ち止まると、右手にすくった水を弄ぶかのように空中へ投げた。
水飛沫は月の光を含んで、金色に輝いた。……だが、マリーターには、それは金色には見えなかった。
泉の水、全てが他の色に見えていた。
「泉が……泉が銀色に輝いている……」
マリーターは笑いながら、バランスを失って倒れ、そのまま水面に浮かんできた。
今、マリーターには月しか見えていなかった。
「月が! 月が泣いているわ、お母様!」
その笑い声は、狂気の声……。
泉のすぐ傍の木の下では、生母である女神が腰を下していた。
すでに、涙さえ出なくなってしまっていた。
第 1 章
「何も母親がアルテミスに仕えていたからと言って、そなたまで彼女に仕えることはないのだ」
オリュンポス神界の王后・ヘーラー女神の仰せはとても有り難いものだが、こればかりは自分ではどうにもならない――と、森の精霊・シニアポネーは思っていた。
彼女は、銀弓と月の女神・アルテミスの領地である森の一部を守ることを仕事とし、お声が掛かれば女神について狩りに出ることもあった。銀弓の女神の従者に相応しく、見事なまでの長い銀髪をしており、目鼻立ちも整った美人なのだが、もっと美しい女神たちを見て育ったせいかその自覚がなく、美人にありがちな心驕りも全くなかった。
ただ一つ困った点は、背丈だった。
オリュンポスの精霊は女しか存在しないのだが、彼女たちの背丈は人間の女の背丈とほとんど大差ない。なのに、シニアポネーは人間の男並みに背が高いのである。ちなみに女神は人間の男よりちょっと背が高いぐらいなので、シニアポネーには神の血が流れているのではないか、などと言われてしまうことがある。そのたびに彼女は恥ずかしい思いをするのだった。
ある日のことだった。ヘーラー女神のもとへご機嫌伺いに行こうと思い、その手土産に何か捕えて献上しようと、弓矢を持って森の中を歩いていた。
すると、前方から誰かが駆けてくる足音と、獣の鳴き声が聞こえてきた――だんだんこっちに近づいてくる。
『なんだろう? 危険だわ』
シニアポネーは近くにあった木によじ登って、様子を窺うことにした。――登り終えて見下ろしたちょうどその時、人間の男がそこを通りぬけた。そして粉塵をあげながら追いかけてくるのは、大きな猪である。
すでに矢をつがえていたシニアポネーは、猪と分かるやいなや、それを放った。
狙い誤らず、矢は猪の後頭部に突き刺さった。
猪の断末魔の声を聞いて、男は振り返り、足を止めた。
猪が完全にこと切れているのを遠目に確認した彼は、その場にペタリと座り込んでしまった。当然ながら、息がとても荒くなっている。
だが、シニアポネーが木から飛び降りるのを見ると、ニコッと笑うのだった。
「ありが……とう……ございます」
それを見て、シニアポネーもニコッと笑い返した。
「どういたしまして」
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from: エリスさん
2008年08月29日 13時27分23秒
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「泉が銀色に輝く・27」
「さあ、部屋へお戻り。エイリー、連れていってやってくれ」
エリスが言うので、エイレイテュイアがマリーターの手を取ると、
「嫌ッ!」
と、マリーターは拒絶した。なので、エリスはマリーターの目を見て、言った。
「マリーター、眠れ……」
すると、マリーターはふっと意識を失って、そのまま眠ってしまった。
エイレイテュイアがマリーターを抱えて連れ出すと、エリスは床に倒れたままのシニアポネーを抱き起した。
「すまなかったな、大丈夫か?」
優しい言葉をかけられると、かえって押し込めていたものが溢れ出してしまって、シニアポネーはエリスに縋って泣き出した。
エリスは、今度は泣きたいだけ泣かせてやった。辛いのはわかる。自分だって、マリーターがまだ自分のことを認識してくれるまでは、同じ思いだったのだ。それでも、自分はすぐに思い出してもらえたから良いが……。
エリスはシニアポネーの左頬が赤く腫れていることに気付いて、そっと右手を当てながら「治れ、治れ」と、言霊(ことだま)を唱えた。すると、赤みも腫れもスーッと消えていった。
頬の痛みが消えると、シニアポネーも自分を取り戻して、泣き止んだ。
「……申し訳ございません」
「そなたが謝るな。悪いのはマリーターなのだから」
「いえ……エリス様のお召し物を、濡らしてしまいましたので」
「ああ! 気にするな。これはこれで色っぽいだろう?」
エリスが冗談ぽく言ったので、シニアポネーもやっと軽く笑うことができた。
ヘーラーが帰ってきたのは、ちょうどこの時だった。エリスがシニアポネーを抱き寄せていたので、ヘーラーはちょっと怪訝な顔をした。
「違います、母君。これは……」
エリスはヘーラーの留守中のことを掻い摘んで説明した。それでようやくこの状況を理解したヘーラーは、
「済まぬ。またエリスの悪い虫が疼いたのか、誤解してしまった」と、笑った。
「ひどいですよ。私はこれでも最近は、恋人は三人に絞ったのですよ」
「それでも三人なのだな。そろそろエイレイテュイアだけにしておやり」
「はいはい。……それでは、私はマリーターの方を見てきます」
エリスが行ってしまうと、ヘーラーは扉を閉めて、改めてシニアポネーに向かって頭を下げた。
「ヘーラー様!?」
「許してください。病とは言え、親友のそなたに暴力を振るうなど、あってはならないことでした」
「おやめください、そんな! もう気にしておりませんから!」
皆が苦しんでいるのだ、マリーターが精神を病んだことで。改めてシニアポネーは、マリーターに術をかけた者に怒りを覚えていた。――しかしそれが、自分と同じ香り、同じ色をしていると、マリーターは言った。
『もしや、私の本当の父親が……誰だか分らないその人が、マリーターをあんな目に?』
シニアポネーが悩んでいると、ヘーラーが新しいお茶を入れてくれた。
「このお詫びに、何かオクラセテくれ、シニア。何が良い?」
「あっ、はい。そうですね……」
ここで断ると、またヘーラーが気兼ねをすると考えたシニアポネーは、素直に答えた。
「ヘーラー様の古着を一着、賜りたく存じます。ヘーラー様の計らいで、神王陛下の誕生祭に私も出席できることになりましたし、その時に着て行きたいのです」
「そんなものでよいのなら、いくらでも下賜しよう。色は紫が良いか?」
「はい、ありがとうございます。……でも、不思議ですね」
「ん?」
「マリーターは、エリス様のことだけは分かるのですよね。他のご姉妹のことは分からないのに」
「ああ……それはきっと、エリスとは、自分の出生を知る前から姉妹だったからだろう」
「そうでしたね」
「知っていたのか?」
二百数年前、エリスはヘーラーの侍女をしていた精霊・キオーネーと恋をしていた――いや、もうほとんど「夫婦」と言っていい仲だった。だが、女同士の恋など神界の掟が許さず、キオーネーはゼウスの雷電に焼かれて死に、エリスも同じように処刑されるところだったのを、ヘーラーが預かることで刑を免れていた。
つまり先刻エリスが語った「母君の預かりで刑を免れた者」とは、エリス自身のことだったのだが。
「実は以前、マリーターの家に遊びに行った時に、裸同然のエリス様をお見かけしたことがありまして」
とシニアポネーが言うと、ヘーラーは目を剥いて、
「あの子は!? 妻の妹にまで手を!?」
「ああ、いえ! 私もそう誤解しかけたのですが、なんのことはない、エリス様が沼にはまってお召し物を汚してしまったので、マリーターが洗濯していたところだったんです」
「そうであったか……」
と、ヘーラーは安心した顔をした。
「その時、マリーターに内緒だよって教えてもらったんです。アルゴス社殿ではキオーネーさんのことは禁句になっているから公にできないけど、自分とエリス様は義理の姉妹になるんだって。エリス様の奥方であるキオーネーさんが、マリーターの実姉なんだって」
「私が、マリーターを精霊に見せかけるために、キオーネーの母である樹――ダフネーの幹の中に、生まれたばかりのマリーターを隠したのだ。ダフネーは私に助けられた恩を忘れず、マリーターを本当の我が子として慈しんでくれた。そして、キオーネーのこともあの子の姉として話して聞かせたらしい」
「はい。だからマリーターは、一度も会ったことのないお姉さんのことを、とても大好きでした」
「だからこそ、その伴侶であるエリスのことも大好きになれたのだな。そしてエリスにとっても……エリスは、マリーターとティートロースの恋に、自分たちを重ねているところがあった。純粋に愛し合いながらも、許されなかった自分とキオーネーとを。だからこそ、マリーターが愛しくてならず、また、あんな状態になっていることを嘆かずにはいられないのだろう」
――ヘーラーが言う通り、エリスはマリーターの寝顔を見ながら、目に涙を溜めていた。
マリーターは、呻いていた。悪い夢を見ていることは、一目でわかる。
「泉が……泉が……銀色に! 誰かいる、泉の中に、誰か!」
エリスは、マリーターの額に手を当てた。
「……マリーター……」
「やめて……誰にも言わない、言わないから、許して!」
「……もういい」
エリスは、彼女の額に当てていた手を、滑らすようにして左の頬に当て、そのまま自分もマリーターの隣に横たわった。
「何も見なくていい、悪夢も真実も。そのように苦しみ続けるなら。マリーター、我が妹よ……」
エリスが自分の右の頬を病人の右の頬に当ててやることで、マリーターは落ち着きを取り戻し、やがて静かな寝息をたて始めた……。
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