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from: エリスさん
2009年01月09日 12時13分50秒
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封印が解ける日・1
ここはどこだろう?気がついたら彼は、そこを歩いていた――洞窟は緩やかな下り坂になっていて、壁面にロウソクが立てられているおかげに真っ暗ではないが、心も
ここはどこだろう?
気がついたら彼は、そこを歩いていた――洞窟は緩やかな下り坂になっていて、壁面にロウソクが立てられているおかげに真っ暗ではないが、心もとない。
『どうしてわたしは、こんなところを歩いているんだろう?』
彼は記憶の糸を手繰り寄せながら、それでも歩くことをやめなかった。
『そうだ、わたしは死んだのだ……』
九十九歳の誕生日をあと三日で迎えられると、家族に励まされていたものを、老いとともに衰弱していく体をどうすることもできなかった。
それでも、自分は不幸ではなかった。三人の息子とその嫁、孫と曾孫、玄孫(やしゃご)までいくと何十人いるか覚えていられないほどの親族に看取られて、自分は死を迎えた。まるで釈迦のようだ、と満足もできる。
『それじゃわたしは、あの世へ行こうとしているのか? はて、三途の川への道筋はこんなだったか? 聞いていた話と違うような』
しばらく歩いていると、道端に何かがうずくまっているのが見えた。
よく見ると動物のようだった。さらによく見ると、それには三つの頭があり、尾は背びれのついた竜のような形をしていた。
一瞬恐ろしく思ったが、しかしすぐに彼は懐かしさに襲われた。
『見覚えがある……なんだろう? 見るからに怪物なのに、少しも恐くない。それどころか……』
近づいて、その頭を撫でたくなってくる。
ずうっと見つめていたからだろうか、その怪物が彼に気づいて、眠っていた体を起こした。
そして、怪物は嬉しそうに「ワホン!」と鳴いて見せた。
「ああ、やっぱり……わたし達は――僕達は友達だよね」
彼は一瞬にして若返り、十二歳ぐらいの少年の姿になった。
怪物は彼に駆け寄ると、真ん中の頭を彼の足に擦りよせてきた。
彼もそんな怪物の頭を撫でているうちに、思い出した。
「そうだ! ケロちゃんだ! おまえは僕の友達、ケルベロスだよね! そして僕は……僕の名前は!」
その時だった。
「アドーニスゥ!」
奥から雲に乗った女性が飛んでくるのが見えた。
いつまでも少女のような愛らしい面立ちの女性を、彼はすぐに思い出した。
「お母様! ペルセポネーお母様!」
その女性――女神ペルセポネーは雲から飛び降りると、愛する息子である彼を抱きしめた。
「お帰りなさい、アドーニス」
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from: エリスさん
2009年01月23日 14時56分03秒
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「封印が解ける日・4」
そんな二人のやりとりを見ていて、ハーデースが笑った。
「いいじゃないか、ペルセポネー。感じ方は人それぞれ。愛情表現もまたしかりだ。親子だからと言って何もかも同じでなくてはならないってことはないよ」
「それもそうですわね、あなた。アドーニス、もう一口ちょうだい」
「はい、喜んで」と、アドーニスはまたフォークにお肉を刺して、ペルセポネーの口の中へ入れてあげた。
「それにしても、あんなに嫌いだったトマトを、今回の人生では良く食べられるようになったものだな」
とハーデースが感心しながら言うと、アドーニスは悲しそうな笑顔を見せた。
「好き嫌いなど言っていられなかったのですよ。戦争で」
アドーニスが遠藤章吉として生きていた日本では、一九〇四年――章吉が四歳のころには日露戦争が勃発している。その後も第一次・第二次世界大戦と、四十五歳まで戦争続きの日本で生き延びてきたのである。
「戦争が終わっても、すぐには豊かになれません。食糧難の日本で、好き嫌いなど言っていられる余裕はなかった。明日の食料を確保するのも難しい世の中だったんです」
「そう……」
ペルセポネーは胸が詰まるような思いで聞いていた。
「でも幸い、僕は遠藤家の長男として生まれ、しかも極度の近眼だったので、徴兵は免れました。あんな世の中にいたのに、誰も殺さずに済んだことは幸運以外のなにものでもありません。……もしかして、お父様のご加護があったのですか?」
その問いに、ハーデースは首を振った。
「他国にいるそなたに、わたしの加護など及ばないよ。確かに、日本の冥界の神である伊邪那美の命(いざなみ の みこと)殿にお願いしたことはあるが、その時かの女神は〈神にゆかりのある御子だからといって、その子だけ特別扱いはいたしません〉と、わたしをたしなめたよ。だから、そなたが戦乱の世に人を殺さずに済んだということは、それはそなた自身の功徳だ」
「本当ね。あなたがちゃんと天寿を全うできて良かったわ、アドーニス。私もあの戦争の時は、あなたが心配でたまらなかった。あなたが、悲惨な世界に蝕(むしば)まれて、身も心も汚れてしまうのではないかと」
「もう二度とごめんですよ、戦争は。早く地球から戦争なんて愚かなモノがなくなってくれることを願います」
「まったくだ……まあ、暗い話はそのくらいにして」
と、ハーデースは咳ばらいをした。「なにか楽しい思い出はないのかな? それこそ、恋の話とか」
「恋ですか?」
「そうそう!」と、ペルセポネーは思い出したように言った。「あなた、アプロディーテーのように嫌な女に口説かれていたことがあったでしょ? あの尻軽女に変なことはされなかったの?」
「ああ、あの十八の頃に出会った美人の後家さんのことですね。大丈夫ですよ。確かにしつこい女でしたけど、僕にはもうその頃には許嫁者(いいなずけ)がいましたからね。僕が何かする前に、その許嫁者の実家の方で圧力をかけてくれたみたいで、どこかに消えてしまいましたよ。その後、無事に僕は許嫁者と結婚して、夫婦仲は円満でした」
「そう! 良かったわ」
ペルセポネーが安堵している横で、アドーニスは何か思い出したらしく、プッと笑った。
「どうかしたの?」
「いえ、ちょっと思い出したことがあって。僕のひ孫たちはみんな本を読むのが好きで、ときどき集まっては本の議論をしていたんですよ。その議論の中に、先ほどお母様が言っていた事と同じ言葉が出てきたんです」
「あら? なに?」
「アプロディーテーのように嫌な女――実際は〈ヴィーナスのように嫌な女〉と言っていたんですが。なんでも、ひ孫が愛読している作家のエッセイに、そうゆう一文があったそうで。特定の恋人がいるにも関わらず、誰とでもデートするような貞操観念のない女性に対して、侮蔑的に言った言葉なんだそうです。それを読んでひ孫がこう言ったんですよ。〈ヴィーナスに譬えた時点で、それは侮蔑の言葉ではなく褒め言葉にならないか〉って」
「まあ、普通はそう解釈するでしょうね。アプロディーテー――イギリス語でヴィーナスは、美の女神。美しい女性の形容詞として使われるのが最もですものね。でも……アプロディーテーの本性を知っている者は、そうはとらない」
ペルセポネーが言うと、ハーデースも頷いてこう言った。
「その、ひ孫が愛読していた作家とは誰なんだ?」
「お二人がご存知かどうか……。嵐賀エミリーという日本のライトノベル作家ですよ」
「あら!」と、ペルセポネーが驚いた。「それはエリスのことよ!」
「え!? エリスって、あの不和女神のエリス様ですか?」
「そうよ。罪を償うために人間となった彼女は、あなたと同じ日本人として生まれて、片桐枝実子――ペンネームを嵐賀エミリーとなって、小説家として生きているの。エリスが言ったのなら、その言葉は間違いなく侮蔑的言葉だわ」
「エリスはアレースの親友でありヘーパイストスとも親交があった。アプロディーテーの貞節の無さには昔から眉をひそめていたからな」
「そうだったんですか……」
「あの人は本当にどうかしているのよ」と、ペルセポネーは言った。「愛する夫がいるのに、見目好い男の子を見つけるとすぐに傍に呼び寄せて。あんまりひどいから、私、忠告したことがあるのよ。そうしたらあの人ね、〈別に共寝をしてるわけじゃないからいいじゃない〉って言ったのよ。そうゆう問題じゃないでしょ?」
ペルセポネーのこの言葉に、アドーニスとハーデースはちょっと慎重になった。
返答次第ではペルセポネーが平静でいられなくなる、それぐらい危険な言葉を口にしたのに、当のペルセポネーはそれが分かっていないようだった。
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