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from: エリスさん
2012年01月27日 11時52分51秒
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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・39」
3
頭に来た!
向田瑞樹(むこうだ みずき)は心の中で何度も大声を上げていた――なんなのよ、あいつってば、いったい! どうかしちゃったんじゃないの!?
今日の練習でも枝実子(実際は如月だが)の態度が悪すぎる。特にソロの歌のところだ。技巧ばかり強調して心が籠っていない。自分が作詞した、しかも自分が敬愛する女神を讃える歌なのに、だ。
「決めた! あいつ、役から降ろしてやる!」
とうとう口に出して言ってしまったとき、その声は掛けられた。
「それは時期早々じゃないかな」
『え?』
前方に人が立っていることにようやく気付いた瑞樹は、どこかで見たことのある彼の姿をじっと見ていた。
「覚えてる? 去年の文化祭で会ってるはずだけど」
「去年の文化祭? ……あっ」
瑞樹は誰かが彼のことを紹介してくれている場面を思い出した。思い出してみて、その不自然さに戸惑う。紹介してくれた友人の顔が、朧気(おぼろげ)にしか覚えていない。
「乃木君、でしたよね。えっと……誰のお友達でしたっけ」
「エミリーだよ、片桐枝実子」
「え? ああそうそう」
言ってはみたものの、そうだっけ? と考えてしまう。しかし、思い出せない自分が悪いのだから、相手の言葉に納得するしかない。
そんなことより、先刻の彼の言葉が気になった。
「時期早々って、どういうことですか? 私が誰の、何のことを言っていたのか分かってるような口ぶりだったけど」
「エミリーのことだろ? 彼女の様子がこのごろおかしいから……。実はそのことで君に話したいことがあるんだ。
「私に?」
普段だったら、こんな簡単に男に付いて行ったりしない。だが「エミリーのこと」となると話は別だ。それに、彼自身が人を落ち着かせる雰囲気を持っているのも安心できる理由だろう。また、彼が案内してくれる道がいつも歩き慣れている道だったから、いざとなればどこへでも逃げられる自信がある。
章一が連れてきたのは、いつも瑞樹や枝実子が遊びに来ているカラオケボックスだった。
章一が店員に話しかける。
「連れが先に来ていると思うのですが」
「お連れ様のお名前は?」
店員が尋ねるので、
「桐部(きりべ)といいます」
と章一は答えた。店員は、少々お待ちを、と手元の台帳を確認する。
「8番のボックスでお待ちです」
一番奥まったところにあるボックスである。二人で歩きながら、連れって誰? と瑞樹は聞いた。
「君も知ってるはずの人だよ」
ドアに8と書かれたドアを章一が開き、先に彼女を中へ入れた。
そこに、見覚えのある人物が待っていた。――デニムの青いジャンパーにジーンズ、白いTシャツを着て、首から紫水晶のアミュレットと思われるペンダントを下げている。強い瞳が印象的で、また腰まで伸びた黒髪が格好とは対照的に古風な雰囲気を与えていた。
『この人、この間、自分のことをエミリーだって言ってた人だ』
戸惑っている瑞樹に、その人物は声を掛けてきた。
「ご機嫌よう。久しぶりだな」
女のはずなのに、男の声にしか聞こえない。
「いったい、どうゆうこと」
「話の前に、聞いてもらいたいものがあるんだ」
彼女はテーブルの上に置かれたバッグから、小型ラジカセを出した。中には既にカセットテープが入っているらしい。その人物がスイッチを押した。
「ここのカラオケには入っていなかったんだ、この曲」
章一が説明しているうちに音が聞こえてきた。
「あれ、これ……」
メンデルスゾーンの「歌の翼に」……枝実子が舞台で歌詞を変えて歌っている曲である。
彼女が歌いだす。
「コバルト色した 広い空映す
海を眺めれば 神の御座で
暁の女神は薔薇を翳(かざ)して
月の女神は竪琴鳴らし
王の嫡妻(むかひめ)は思い出歌う 」
歌詞まで枝実子が作った方である。どういうこと? と、瑞樹は考えているうちに奇妙なことに気付いた。この歌い方、聞き覚えがある。技巧もさることながら、歌詞に描かれた女神を心底から敬愛し、憧れと懐かしみを万遍なく表現する、この気持ちの入れようは、それまでこの曲を聞くたびに感じていた――そう、枝実子が歌うたびに。
『男の声だから、実際の曲よりオクターブ下げてるけど、この声だ。この声じゃなきゃ、ジュノーの想いは表現できない……』
いったい誰なのだろう、この人は。もっと以前から知っているような気がする……と、瑞樹が思い始めた頃、後ろに立っていた章一は、生来の不思議な力を込めて、瑞樹のことをじっと見ていた。
どこかにあるはずなのだ、如月が瑞樹たちの記憶を操作した時に残していった、そしてそれがあるために今もなお彼女たちを偽りの記憶で縛る、如月の気が。
『見えた?』
瑞樹の後頭部に、微かに闇の渦が見える。これさえ消してしまえば……。
章一は自分の眉間に左手の人差し指と中指を当てて、気を集めた。集められた気は額から離れても指の周りで渦を巻き、章一が瑞樹の後頭部にその指を近づけた時、闇の渦を吹き飛ばした。
「あっ」
瑞樹は静電気が弾けたような感触を味わい、そのショックで歪められた記憶から解放された。
「……エミリー、これ、どういうことなの?」
その言葉に、彼女――枝実子は微笑みかけた。
広い家だ……と、如月はその家の廊下を歩きながら思っていた。世田谷の一等地に、こんな大きな洋館を建てられるぐらいなのだ、銀行家というのは相当儲かるのに違いない、と極めて偏見的な考えで見てしまう。そんな自分を浅ましいと思うことも忘れて、如月は壁に飾られている絵画や、廊下の曲がり角に置いてある置物などを眺めていた。
ここは眞紀子の家だった。演劇の練習が終わり、帰ろうとしていたところへ、眞紀子の自家用車が迎えに来て、ここへ招待されたのである。既に片桐家には了解済みだとか。――あの母親が、良く外泊を許可したものだ……と、感心するが、考えてみれば、あの経済観念がしっかりしすぎて財布の紐が固い母親のことだ。今日の夕飯が一人分残ったとしても、それは明日の朝食で誰かが(残り物は大概父親が片づける役目だが)食べればいいことだし、当然外泊となれば朝食も頂いてくるのだから、こっちはその分の食費が浮く。と、計算したのだろう。それに、女友達の所に泊まるのなら、別に母親として不名誉なこと(つまり妊娠してくるとか)をしでかしたりもしないだろう、と踏んでもいるはずである。そういう計算高いところは全く恐れ入る。枝実子の節制癖もここら辺が影響されているのだろうか? と如月は考えて、もしかしたら自分もそうかもしれない、と少しゲンナリしてしまった。
「どうぞ、こちらでございます」
ちょうど額に手を当てていたところを、前を歩いていたメイドが振り返って声を掛けた。
「あの、お客様? どこかお加減でも」
「いいえ、大丈夫です。ご心配ありがとう」
如月は相手がうっとりするような妖艶な笑顔を見せて、誤魔化すのだった。
眞紀子は白いワンピース姿で待っていた。
「こんばんは、エミリーさん。ごめんなさい、急にお呼び立てして」
「いいえ、構いませんよ。眞紀子さんのお誘いなら、どんな時でも嬉しく思います」
「お上手ね。………お茶と、なにか軽いものを」
後の方はメイドに言って、眞紀子はテーブルに如月を招いた。
「今宵は、どうかしたのですか?」
如月が聞くと、フフフと眞紀子は笑った。
「ちょっとね、確かめたかったことがあったものだから」
「なにをですか?」
「うん……小説でね、ちょっと行き詰ってしまったの。あなたなら、答えを見つけてくれるから」
「それだけですか?」
「知ってるでしょう? 私、小説は夕方から夜中の間に書いているのよ。静かで落ち着くから。明日お休みだし、いいでしょう? 泊まり込みで手伝って。ね?」
眞紀子が両手を併せて、ちょっと首を傾げながらウィンクをするので、如月はしょうもないと思いながらも微笑んだ。
「いいですよ」
「ありがとう。だからエミリーさん、大好きよ」
そんなうちに、二人のメイドが紅茶とコーヒーの二種類のポットと、二つのカップ、そしてフルーツケーキを二人分持ってきた。
眞紀子はちょうど、資料を探しておくから、と本棚の方へ行きかけていたところだったので、カップにお茶を入れる役目は如月になってしまった。
メイドが下がってから、先ず眞紀子の方のカップにコーヒーを注ぎ、ミルクを少し入れた――それが眞紀子の好みだということは、枝実子の記憶から分かっていた。そして自分のには、紅茶を注いでからレモンを浮かべる……。
眞紀子はその様子をずっと見ていた。そして、嬉しそうに駆け寄ってきた。
眞紀子が如月の首に両腕を絡めて、抱きついてくる。
「……眞紀子さん……?」
如月には訳が分からない。
彼女はクスクスッと、本当に嬉しそうに笑っていた。
「思った通りだわ」
眞紀子が言うと、何がです? と如月が反論する。
「この胸、偽物でしょ?」
驚きながら、如月は眞紀子の腕を振りほどこうとしたが、彼女は絶対に離れようとはしなかった。
「喉にも、ホラッ、女にはないものが……あなた、エミリーさんじゃないわ」
眞紀子は、如月の顔を覗き込みながら、言った。
「あなたの本当の名前は?」icon
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from: エリスさん
2012年01月20日 11時48分16秒
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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・38」
枝実子が初めて家族のことを話したのは、そんな夜だった。
「俺には、もう一人兄貴がいるんだ」
枝実子の母親は再婚だったのだ。枝実子の父親と結婚する前に、別の男性と結婚していて、男の子を産んでいた。だが、産後の肥立ちが思わしくなく、枝実子の母は大分長い間入院していなくてはならなくなった。
嫁ぎ先の姑がそれに対して、「満足に子供も産めない、病弱な嫁なんて」と、離婚を迫り、とうとう親族で話し合って協議離婚させられてしまったのだ。
現代では考えられないことのようだが、戦後それほど経っていない日本では、嫁というものは「子供が産める」のが絶対条件だった為、当人同士がどんなに想いあっていても、こうやって回りに引き離される夫婦は珍しくなかったそうだ。
子供を取り上げられ、独身となった枝実子の母親は、それでも別れた夫が迎えに来てくれるのではないかと、待っていたらしい。だが、それは果たせなかった。
ちょうどその頃、妻を亡くしたばかりの男が、一歳になったばかりの赤ん坊のためにもと、新しい妻を探していた。そして、近くに越してきた枝実子の母親に目を付けたのである。知人を頼って縁談を纏めようと、彼なりの努力はしたようだが、一筋縄ではいかず、とうとう彼は暴挙に出た――力で無理矢理、組み敷いたのである。
それが、枝実子の父親だった。
「え!? それじゃ……」
「そう、俺と建兄ちゃんは、母親が違うんだ」
凌辱されてしまっては、もう前の夫を待つこともできない。枝実子の母親は、仕方なく枝実子の父親と再婚した。建のことも「母親を亡くした子供」という同情と、残してきた我が子と同じ歳ということから、それなりに可愛がっていた。その点では利害関係が一致していたと言えるのだろうか。片桐夫妻は互いに愛し合うことなく、仮面夫婦を演じてきた。……それなのに、枝実子が生まれた。
「どういうことか分かるか? 結婚してからは、同じ寝床に入ることのなかった夫婦の間に、俺は生まれたんだ」
章一は、答えは分かっていたが、答えなかった。
枝実子も苦笑いを浮かべるしかなかった。
「そう、俺はたった一度の辱めによって宿った子供だったんだ」
その為だったのだろうか? 枝実子が両親に愛されずに育ったのは。
恐らく父親は、建のためにしたことだからと、枝実子の母親を凌辱したことに対する罪悪感など持ってはいないだろう。そういう男なのだ。
そして母親の方も、おぞましい事件によって宿した子供を愛する気には到底なれないだろうし、そんなことをしたら、残してきた子供を裏切るようなものだと考えているかもしれない。
だから、枝実子も自分の家族は兄・建と、愛猫の景虎だけ、としか思えないのである。
「この事、お袋の口から聞かされた時、背筋が凍るかと思った……そうだろ? 同級生たちが進んだ恋愛とか言って、自分の貞操を汚している間も、貞節を尊び、純潔を守ってきた俺が、だ。こともあろうに……」
枝実子は涙がほとばしり出て来るのを右手で隠しながら、言った。
「生まれながらにして、穢(けが)れた子供だったなんて……」
「それは、違う!!」
章一は寝床から跳ね起き、枝実子を抱きしめた。
「そんな風に思わないで! そんな風に考えちゃいけない!!」
「でも事実だ!! 愛し合うどころか、憎み、蔑(さげす)みながら行われた野獣的交わりで、俺は宿ったんだ。そんな子供が、純潔だなんて言えるかよッ」
「エミリー! 俺の言うことを聞いてくれ! この世の中にはね、君より酷い経緯で生まれてくる子供だっているんだよ。なのに、君が――文学者である君が、その子たちをそんな風に定義づけたら、その子たちはどうなるんだ! そうだろ! 君や、文学者、芸術家たちは、みんなに夢や希望を与えるためにいるんだよ。俺の言っていることは甘い考えかい? 違うよね。美しい文章、綺麗な音色、素晴らしい絵画や彫刻は、人間の心を浄化する。それは君自身も体験してきてるだろ。芸術家たちの作品っていうのは、それだけの影響力を持っている。それなのに、君がそんな思想を持っていたら、それがつい文章として表れてしまったら? 君が自分を蔑むってことは、そのことによって何人、何十人もの人間を自殺に追い込むんだよ。君はそれでもいいの!!」
章一の言葉も、後の方になるにつれ、涙声になっていく。
枝実子は、強く首を左右に振った。
「だったら、そんな風に考えるのはやめるんだ。やめるんだよ!」
「……うん……」
章一は、枝実子が寝付くまで手を握っていてあげた。
大分してから、静かな寝息が始まる。
章一は、彼女の手を毛布の下にしまうと、そうっと足音を忍ばせて本棚へと行った。そこから一冊の本を取り出す――表紙の文字はあまりの古さに薄れて見えなくなっているが、最後の方の「神話」という文字だけは読める。
机の引き出しを手探りで開け、中からペンライトを出すと、枝実子の方に背を向けてペンライトを点け、本を開いて見た。
『前世でも、彼女はあまり親に恵まれていなかったからなァ』
母子家庭に生まれ、しかも母親は、自分の影響下にいることで娘が悪い方向に進んでしまうことを恐れて、彼女が十二歳の時に独り立ちさせてしまったので、彼女は母親の愛情に飢えていた。
その後、王后陛下の養女になった……と、章一は文献で知ったが、そこでもあまり幸せではなかったのかもしれない。彼女も結局、実母の轍を踏んで未婚の母となっている。
『まあ、子供産んでくれって頼んだのは俺なんだけど……それにしても多いかな? それだけ、寂しかったんだよな、この御方は』
それが彼女に課せられた試練なのだろうか、と章一は考える。
もしかしたら、宿業なのかもしれない。
満たされない想いは、現世に生まれ変わってからも影響している。彼女は子供のころから恋に急ぎすぎるところがあった。章一に失恋してから、真田に心を移すまで、あまり月日が経っていないのもそのせいだ。自分が誰にも愛されていない、必要とされていない、そう思うのが辛いから、すぐに誰かを求めてしまう。
それが災いを呼んでしまうことも気付かずに。
『俺がもっと勇気を出していたら、もしかしたら……』
と、章一は思う。
『エミリー、君にはまだ話せないけど、俺は、俺たちの前世をすっかり思い出しているんだよ。あの高熱が続いた夜に』
前世、自分が枝実子にとってなんであったのか、何のためにここにいるのか。何故、尊い生まれの彼女が、こんな穢れた地上に降りてきてしまったのか。
章一はペンライトを消して、本を閉じた。
『俺さえ存在していなければ……そう思ったこともあった。でも、違うんだよ、エミリー。俺たち――私たちは、出会わなければならなかったのです。貴女様が、より高みへと登り詰めるために』
章一の中の、もう一人の人物がゆっくりと表に現れてきた。
歩き方が歩幅の短い、ゆったりとした、女性のそれになっていく。そして、そうっと枝実子の枕元に膝を突くと、言った――女の声で。
「もうすぐですわ、その時は。その時こそ、私は本当の姿に戻って、貴女様にこの気持ちをお伝えします。それまで、絶対に貴女様を守って見せます。……我が君」
おそらく、枝実子が一番会いたがっている人のその言葉も、今の枝実子には聞くことができなかった。
今はただ、嵐の前の静けさに包まれて、まどろむしかない。
……やがて章一も眠りについたとき、二人がいる部屋に誰かが霧のように現れた。
「まったくもう、手間のかかる教え子と、その彼氏ね」
その人物は先ず枝実子の方へ行って、額に手を触れた。
「まだ思い出してもらっては困るのに、やっぱり、彼女の夢を見てるわね。眠っているから聞こえないようで、実は耳に入っていたりするのよ。だから……」
その人物は、枝実子が今見ている夢を消してしまった。
そして、章一の方にも同様に手を触れた。
「あなたも気を付けて。この間も、あなたが前世の声を出してしまったから、私がわざわざエミリーの記憶を抜きに来たんですからね」
章一の方は差しさわりの無い夢を見ていたので、そのままにしておいた。
「まっ、とにかく頑張んなさいよ、あなた達。応援してるからね」
その人物はそうつぶやくと、また霧のように消えてしまった。icon
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from: エリスさん
2012年01月13日 12時04分54秒
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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・37」
枝実子が夢から覚めようとしていたころ、帰ってきた章一は、母親から今日あったことを聞いて、急いで部屋まで戻ってきた。
「エミリーッ、大丈夫!?」
「騒いじゃダメ。まだ眠って……」
母親が言いかけているうちに、枝実子は寝床の中で目を覚ました。
「ああ……お帰り、乃木君」
「気分はッ、痛いところない!? もしかして、これもあいつの仕業?」
あんまり立て続けに聞いてくるものだから、おかしくて、枝実子はクスッと笑った。その笑顔を見て、章一も安心したようである。
母親が行ってしまってから、章一はドアを閉めて、枝実子の枕元まで来て座った。
「いったいどうしちゃったの?」
「俺にも分からないんだ」
と、枝実子は起き上がりながら言った。
「まだ寝てた方がいいよ」
「もう平気だよ」
枝実子は、まだ少しぼんやりする頭を軽く振りながら、たった今まで見ていた夢のことを思いだしていた。
夢の中で出会った女性、少女たちは、皆どこかで会った覚えがある。ただ、それがどこだったのか、いつだったのか……。しかも、最後にあった女性はところどころ違ってはいるものの、間違いなく章一の母親だった。
もし、あの夢が自分の過去――前世の記憶だったとしたら。
あなたが男だったなら、と、あの儚げなお姫様は言った。ということは、夢の中でも自分は女なのだ。女なのに、栗色の髪の少女に対して、自分は何をした?
枝実子は自分の唇をそっと触った。
『まさか、過去にも同じことをしていた?』
枝実子が考え込んでいる時、章一も迷っていた。
『如月が言っていたこと、聞いてみようかな?』
枝実子が真田にラブレターを渡す時、誰かを仲介にした。その仲介した人も真田を好いていて、しかもそれは眞紀子だったかもしれない……。如月は大分冗談めかして言ってはいたが、あの性格だ。どこまでが真実で、嘘なのか、分かったものではない。
そんな時、母親が小走りに戻ってきた。
「章一、大変ッ。お父さんから帰るコールがあったわ」
「そう。じゃあ、すぐに夕飯にするの?」
「それどころじゃないでしょ。あなたの今の格好ッ」
章一は自分が女装のままだということをすっかり忘れていた。化粧も落としていない。
母親は、急いで風呂場へ引っ張って行った。
章一は結局、如月と話したことを抜かして、今日のことを報告した。
放課後になってから、章一は演劇研究会の稽古をしている講堂に忍び込んだのだった。当然の如くと言うべきか、そこで揉め事があった。
如月が瑞樹の言うように演じないのである。その上、こんな暴言を吐いた。
「このようなテーマは、いまどき誰も共感しないでしょう」
今回の劇のテーマは、枝実子と瑞樹が何カ月も綿密に話し合った結果打ち出したものだ。それを枝実子(と、周りは思っている)が否定したとなれば、瑞樹の怒りも頂点に達する。
「いい加減にしな! あんたこの頃おかしいよ、エミリー!」
そこまで聞いて、ピンと来る。
「瑞樹が? この頃おかしいって?」
「思うに、今までのエミリーと、目の前にいるエミリー――如月に違いがあることに気づき始めたんじゃないかな」
そうとしか思えない。流石はリーダー格の瑞樹。仲間たちの中で一番初めに気づくとは。
「ふうん、そうなるとやっぱり……」
枝実子が言いかけた時、部屋のドアを誰かがノックした。――章一の父だった。
「甘いものは好きかな? ケーキを買ってきたんだが」
「あっ、いただきます」
いつもなら遠慮するところなのだが、これから頭を働かさなければならないのだから、甘いものでも食べて少し頭を休ませよう……と、枝実子は瞬時に考えていた。それは章一も同じだったらしい。
「俺、お茶入れてくるよ」
と、部屋を出て行こうとしたところに、母親も顔を出した。「もう持ってきました」
お盆の上にティーポットとカップが二つ乗っていた。
「建(たける)君はどれにする?」
「それじゃ、レアチーズを」
「父さん、俺もレアチーズね」
「もうないよ」
「へ!? 父さん、いつもはレアチーズ二つ買ってくるじゃない。俺と母さんに」
「もう、お姉ちゃんが取っちゃったのよ」
母親が笑顔で言うと、
「姉ちゃん、いつもはラズベリーなのに!」
「たまには別のを食べたいんだろ。おまえ、今日はこっちにしろ」
「そうなさい。今日はお母さんがラズベリーをいただきましょ」
「父さんは抹茶だ」
「なんで俺だけ苺ショートなの!? エ…建、取り換えっこしない?」
「これ、建君はお客様なのよ」
なので、ここまで家族の会話に入って行かれなかった枝実子は、笑顔で答えた。「半分ずつにするか?」
「しよう、しよう! そうしよう」
「もう、しょうもない子ね」
乃木夫妻は、並んで部屋を出ていき――その際、父親の方だけ振り返って、言った。
「ゆっくりしていって下さいね、枝実子さん」
思わず、二人して紅茶を吹き出しそうになった(危うく大丈夫だったが)。
「……参ったな、うちの親には」
「いや、流石おまえのご両親だ」
枝実子は目を伏せがちに言った。「羨ましいよ」
「……エミリー?」
その後、綿密に明日の打ち合わせをして、二人が寝床に入ったのは十一時過ぎてからだった。icon
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from: エリスさん
2012年01月06日 11時41分40秒
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まだお正月休みをいただいております
ブログを読んでくださっている方はご存知だとは思いますが、1月1日から4日まで、地獄の4連勤をこなしたところ、体がボロボロになりました。もう、体中の関節が鈍く痛い。
小説アップは来週からにさせていただきます。-
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