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from: エリスさん
2014年10月31日 11時51分24秒
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伝説異聞のそのまた異聞・1
レーテーの側近としてオリュンポスに住むことになったタケルの為に、レーテーは彼女の衣食住を整えた。
先ず衣服として、オリュンポスの神々と同じくキトンを着せてみたところ、
「足もとが冷えて落ち着かないよ」
と、タケルは言った。
キトンは男物も女物もスカートである。女物の方が丈は長いとは言え、布の材質もひらひらと風に舞うような物。生まれた時からオリュンポス――ギリシアにいる者なら、そんな薄着でも大丈夫だが、タケルは幼い時から倭の男装をさせられてきた。倭の男装と言えば、足首までしっかり布が来る袴を履いている。
「タケルには今まで通りの格好をしてもらった方がいいわね」
レーテーは言うと、それまで一緒にタケルの着付けを手伝ってもらっていた侍女・エルアーの方に目を向けた。
「エルアー、この倭の服を作れる?」
レーテーに聞かれるまでもなく、タケルの服を広げてみていたエルアーは、ちょっと悩んでから言った。
「作れると思います。少々お日にちをいただければ」
「何日くらいで作れる?」
「三日......ぐらいでしょうか。なるべく急いで作ります」
「無理して急がなくていいわ。出来上がるまではタケルにはキトンを着ていてもらうから」
レーテーが言うと、タケルは、
「三日もこの格好でいさせられたら、風邪をひいてしまうよ」
「大丈夫よ。ギリシアは倭より暖かいのだから。現に私たちがこの格好で風邪なんてひいてないのですもの」
「それは、君は生まれた時からその格好だから、体が慣れてしまっているんだよ......袴だけでも、今まで着ていたのを履かせてくれよ」
「今は駄目。エルアーが同じものを作るための見本として預からせてちょうだい」
レーテーがそう言うと、
「いいえ、大丈夫ですよ」と、エルアーは言った。「大方の形は覚えました。あとは縫う際に分からないところがありましたら、拝見させていただければ......それまでは着ていてください」
そういうわけで、タケルは上半身は女物のキトンの上半分、腰から下はキトンの男物のスカートに倭の袴、という出で立ちでしばらく過ごすことになったが、その格好もなかなか似合っていた。
次に食事だが――大方の物はタケルでも食べられたが、一つだけタケルにとって苦手な物があった。それは、一番搾りのオリーブオイルである。現代でも「エキストラバージン」として親しまれているオイルだが、本場ギリシャのエキストラバージンは匂いが濃厚で、慣れていない人には辛い物があった。
「この国でもタコやイカが食べられるのは嬉しいんだけど」と、タケルは鼻をつまみながら言った。「どうして、こんな匂いのキツイ油をかけるの?」
「美味しいからよ。そんなにキツイかしらねェ」
レーテーはオリーブオイルのドレッシングがたっぷりかかったタコの切り身を口に入れた。「うん、柔らかくて美味しい」
「うん、見た目はすごく美味しそうなんだけど......」
と、タケルは鼻を摘まんだままタコを口に入れ、一口二口噛んで、言った。
「あ、美味しい!」
「でしょ?」
「でも、匂いはやっぱり駄目だ」
そこで給仕をしていたエルアーにレーテーは言った。「なんとかならないかしら?」
「でしたら、人間界で出回っている二番搾りのオリーブオイルを取り寄せてみましょう」
「二番搾り?」
「はい。神界では人間たちが奉納した一番搾りのオリーブオイルしかお使いになっていらっしゃいませんが、人間界では一番搾りを取った後、二番搾りも取っているのです。そちらはすっかり匂いも抜けているので、タケル様でもお召し上がりになられるかと存じます」
「手に入れることはできる?」
「料理長さんはもともと人間界の人ですから、頼めば取り寄せてもらえると思います」
「じゃあ頼んでもらえる? せっかくの美味しいお料理を、タケルだけ食べられないんじゃ可哀想だから」
「はい、畏まりました」
こうして食事の問題もクリアして、次は住むところだが......当然と言おうか、タケルはレーテーと同室で寝起きすることになった。
「側近がご主人様と同じ部屋に住んでていいの?」
タケルが疑問を口にしながら服を脱いでいると、
「結局は同じベッドに寝ることになるのだから、別室を用意しようがしまいが同じことよ」
と、レーテーはすっかり裸になってベッドに座っていた。「いいから、早く来て......」
「うん......」
タケルも服を脱ぎ終わると、レーテーの隣に座った。
二人はキスを交わしながらベッドに倒れ込んだ。
レーテーの白い肌と、タケルの桃色の肌が絡みあう。そしてタケルの手がレーテーの豊満な胸に触れた時、レーテーは悦楽の声をあげた。すると......。
「ねえ、レーテー」
「なァに?」
「この隣って誰の部屋?」
レーテーの部屋は角部屋だが、左側には隣室があった。
「妹のアルゴスの部屋だけど?」
「君のすぐ下の妹か。十二、三歳ぐらいに見えたけど」
「実際は十五歳よ。すぐ下じゃなくて、間に弟が二人いるけど......それがどうかして?」
「たぶん、聞き耳を立ててる......」
「ええ、立ててるでしょうね」
「気付いてたの?」
「もちろん。でも気にしないで続けて」
「気にしないでって言われても......」
「お願い......」
レーテーは媚びるような表情を見せた。「あなたが欲しくて堪らないの......」
その表情があまりにも艶っぽくて、タケルも堪らなくなった。
「手加減できないからね」
タケルが本気モードでレーテーを慈しんだので、レーテーのあえぎはその階の端の部屋まで聞こえるほど響いた。
翌朝、二人が起きて部屋から出ると、ちょうど隣室のアルゴスも洗顔のために洗面室へ向かうところだった。
「おはようございます、姉君」
恥ずかしそうに言ったアルゴスの姿は、昨日までの少女ではなく、すっかり大人の体に成長していた。おかげでキトンが超ミニスカートになっている。
「それじゃお辞儀をした時に、下着が丸見えになるでしょ? 私の服を貸してあげるわ」
と、レーテーは微笑んだ。
「はい、お願いいたします、姉君」
「ちょっと待っていて」
レーテーが一端部屋の中に引っ込むと、アルゴスはタケルに言った。
「あの......あなたは本当に女性でいらっしゃるのですよね?」
「如何にも。この通り、胸があるでしょ?」
もとより胸の谷間が見える作りになっているキトンを、さらに肌蹴させてタケルは見せた。
「でも、姉君はあなたのことを殿方として愛していらっしゃる」
「男として育てられましたから。でも今は、素に戻って女になったわたしのことも、愛してくれていますよ」
「羨ましいです......」
「だったら!」と言いながら、レーテーが出てきた。「あなたもそんな相手を見つければいいのよ。はい、私の服」
レーテーはアルゴスの手にキトンを押し付けた。
「わたし達はあの不和女神エリスの子よ。恋愛対象が同性になろうが、何も恥ずかしがることなんかないのよ」
「......」
アルゴスは服を受け取ると、黙って部屋の中へ戻っていった。
「あの子ね、初恋相手が女の子なのよ」と、レーテーは言った。「でもそれはいけないことだからって、自分から諦めて、それ以降誰とも恋をしていないの」
「まあ、分からなくはないけど」
「そうね、私も分かるけど......でも、私はあなたに出会ったわ。だから、同性愛なんか少しも恥ずかしくなくなったわ」
レーテーはそう言って歩き出した。「それはともかく、これで分かったことがあるわ」
「何を?」と、後を追いながらタケルは言った。
「成長の止まっていた妹たちを、大人にする方法よ」-
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from: エリスさん
2014年10月17日 17時59分37秒
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白鳥伝説異聞・35
先ず、タケルはコトノハの力を借りて、ギリシア語を覚えた。
「大丈夫? 私の言っていること分かる?」
レーテーがギリシア語で話しかけると、タケルは微笑んで言った。
「大丈夫、分かるよレーテー」
そしてレーテーとタケルはいったん黄泉の国へ行き、そこからギリシアの冥界へと帰って来た。わざわざ冥界に来たのは、ペルセポネーにタケルを紹介するためだった。
「あなた達のことは、いつも水鏡で見ていたわ......アドーニスが世話になったわね」
ペルセポネーが言うと、
「アドーニス?」
と、タケルが聞くので、代わりにレーテーが答えた。
「ワカタケルのことよ。ワカタケルの前世は、ペルセポネー様のお子様のアドーニスなのよ」
「あっ!? そうなんだ!」
「いつかは神として――私の実子として転生できるように、いろんな国の人に転生して徳を積んでいるのよ。あなたの義理の息子として転生したのも、きっと何かの縁なのだと思うわ。これからも宜しく頼みますね」
ペルセポネーから丁寧な挨拶を受けて恐縮しながらも、二人は地上に出て、アルゴス社殿へと行った。
アルゴス社殿ではレーテーの妹たちと、たくさんの侍女たちに出迎えられた。
妹たちがどの子も幼いことに気付いたタケルは、
「妹たちとは、年が離れているんだね?」と、聞いた。
するとレーテーは首を横に振り、
「妹たちは成長が止まっているだけなの。一番年の近い妹のマケ―は、もう17歳なのよ」
「どの子が?」
「あの黄色い服を着た......」
「10歳ぐらいにしか見えない!」
「そもそも。私のことは何歳だと思ってる?」
「レーテーのこと?」
レーテーはとうにオトタチバナヒメの姿ではなく、本来の姿に戻っていた。その姿を改めて見ると、タケルはあることに気付いた。
「初めてあった時より、大人の体に成長しているよね?」
「ええ。あなたに愛されるようになってから、体が成長するようになったの――つまり、私も成長が止まっていたのよ」
「そうよね。初めてあった時は、わたしより年下の娘だと思っていたけど......本当は年上?」
「ええ、あなたの4つ上よ。22歳」
「そうだったの!?」
初めて聞かされた事実に、タケルはやや戸惑った。
なによりも、レーテーがちゃんと「女神」として扱われていることに、今更ながらに驚いた。今までずっと、お互いに対等な立場だと言いあっていても、実際はタケルの方が少し上の立場で接していたことが、だんだんと恥ずかしく思えてくる。
タケルがヘーラーとエイレイテュイアに対面したのは、ちょうどそんな心持ちの時だった。
「あなたのことは、時折見させていただきました」と、ヘーラーが言った。「あまり物事に執着しないレーテーが、あなたと出会ってから変わりました。その事には心から礼を言います」
「それに、レーテーが大人の女性に成長できたのも、あなたのおかげですものね」
と、エイレイテュイアは言った。「私のこと、誰だか分かるかしら?」
「はい、母君様。その節はお世話になりました」と、タケルは頭を下げた。「おかげでフタヂもワカタケルも、健やかに過ごしております」
「そう、それは良かった」
「ところで、そなたのこの国での処遇ですが......」
と、ヘーラーは言った。「神格化して、レーテーの婿になる資格を得たのはいいのですが、実際には、何かを司っているわけでもない、神力もない人間を、王后神たる私の孫の婿にするわけにはいきません」
「そんな、おばあ様!」と、レーテーが言った。「へーべー叔母様だって、人間出身のヘーラクレースを夫にしているじゃありませんか!」
「彼はちゃんと英雄としての役割をこなしていますよ。力仕事がある時は必ず手助けをしてくれます」
「タケルだって英雄です!」
「倭国ではそうだったでしょうが、この国では、女では英雄としての役目を果たせません。腕力が違い過ぎるのです」
「そんな! 腕力なんかなくたって......」
「いいんだ、レーテー」と、タケルが二人の口論に口を挟んだ。「わたしも思っていました。私はこの国では対して役に立たない。これではレーテーの夫として相応しくないと。ですから......侍女としてお仕えする、というのはどうでしょうか?」
「侍女とな?」と、ヘーラーは言った。
「はい。先程レーテーの姉妹たちに会わせてもらいました。皆それぞれに、侍女の中でも近しい"側近"を従えていたようですが......。わたしをそれに任命してください」
「なるほど。先ずはそれで良かろう」と、ヘーラーが言うと、
「私も異存はありません」と、エイレイテュイアが言った。「最も近しい侍女――あなたの場合、男装をしているから"執事"かしら? とにかくレーテーの間近にいて、しばらくこの国のことを学ぶといいわ。そのうちに、あなたにも何か、神としての役割を見つけることができるでしょう」
こうしてタケルはレーテーの侍女の中でも"側近"としての立場を手に入れた。当然のことながら、二人っきりの時は"恋人"に戻るので、レーテーもそれで納得したのだった。
数日後、タケルはどうしても気になっていたことをレーテーに相談した。それはレーテーも気になっていた事だった。
「おばあ様を通して話をするのが筋だと思うわ」
レーテーはそう答えつつも、難しいだろうなァ、と思っていた。
それでも二人はヘーラーのもとを訪ねた。
「では、その人間の男を治してやるために、アポローンの力を借りたいと言うのだな?」
「はい、おばあ様」と、レーテーが言った。「どうか、おばあ様からこのことをお願いしていただけないでしょうか?」
「あまり、あの者には仮を作りたくないが......」と、ヘーラーは苦笑いを浮かべたが、すぐに侍女の一人を呼び寄せてくれた。
アポローンの娘であるシニアポネーだった。元はアポローンの姉・アルテミスの従者だったが、ヘーラーをはじめとするアルゴス社殿の女神たちがシニアポネーの出生に係わったために、今はヘーラーの侍女をしているのである。(『泉が銀色に輝く』参照)
事情を聞いたシニアポネーは、
「私から父にお願いしてみます」
と、快く引き受けてくれた。
早速アポローンの社殿にレーテー、タケル、シニアポネーの三人で出掛けると、アポローンは娘に久しぶりに会えた喜びで、三人を歓待した。
「それで、わたしに頼みとは?」
「はい、実は......」
レーテー達の頼み事は、タケヒコのことだった。以前タケヒコと約束をしたのである。生殖能力を失った彼の体を治してやると。医術の神であるアポローンはその話を真剣に聞いてくれ、言った。
「何か見返りは用意できるかい? まさか、ただでやれとは言わないだろう?」
「これで如何でしょうか?」
タケルが差し出した物は非時香菓の種だった。アポローンはそれを手に取ると、興味深く眺めた。
「これはいい! 倭国の不死の妙薬だな。よし、引き受けよう」
アポローンはしばらく別室へ行くと、手に小瓶を持って戻ってきた。
「飲み方はこの紙に書いてある。容量を間違えると死に至るから気を付けるように」
アポローンは小瓶をタケルに渡すと、
「シニアポネー、これはおまえが育ててくれ」
と、非時香菓の種を渡した。「森で育ったおまえなら、この種を上手いこと育ててくれるだろう」
「はい、お父様」
思っていたよりスムーズに事が運んだので、レーテーとタケルはシニアポネーにお礼を言って、さっそく倭国へ向かった。
タケルが死んだことで東征は打ち切られ、タケヒコ達は大和に帰って来ていた。二人が様子を見に行った時は、タケヒコはフタヂノイリヒメを訪ねて来ていた。
タケヒコからタケルの死の状況を聞いたフタヂは、思わずクスッと笑いだした。
「フタヂ様?」
「タケヒコ殿。タケルは生きていますわ。その、鳥になって飛んできたのはオトタチバナ殿だったのでしょう?」
「はい......」
「だったら、あの方のことです。天照さまからいただいたお力を使って、タケルの傷を治し、きっと今頃は二人で楽しくやっていますよ」
「......そうですね。わたしもそう思います」
二人の会話を聞いたレーテーとタケルは、会わずに帰ることにした。アポローンから貰った薬の小瓶と、倭国語に翻訳した飲み方の説明書、そして、
〈タケヒコへ
飲み方は絶対に間違わないように。〉
という手紙を添えた。
タケヒコとフタヂがその後も話していると、タケヒコは翼が羽ばたく音を耳にした。
慌ててタケヒコが外へ出るのをフタヂも追いかけ、そして二人は薬瓶と手紙に気付くのだった。
遠い空に、白い大きな鳥が飛んでいるのが見えた。
「ホラ、やっぱり......」
と、フタヂノイリヒメが言うと、
「はい......」とだけタケヒコは答えた。
その後、タケヒコはワカタケルの従者となり、体も治って妻を娶り、吉備の臣の祖先となった。
フタヂノイリヒメのその後はあまり伝わっていないが、ワカタケルを立派に育てたことは間違いない。後にワカタケルは、叔父である成務天皇(ワカタラシヒコ)の跡を継いで仲哀天皇となっている。
そしてヤマトタケルノミコトの伝説は、様々な異説を生みながら全国に広まり、古代史に残る英雄として今も親しまれているのである。
完-
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2014年10月10日 11時55分29秒
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白鳥伝説異聞・34
伊吹山へ向かう途中――ちょうど山の出入り口にあたるところに、人だかりが出来ていた。間違いなくタケルの兵士たちだった。
皆、泣き叫んでいるようだった。
その人だかりの中央に、タケヒコがいた。両腕に何かを――誰かを抱えている。
『あれは!?』
怪我を負い、もはや瀕死のタケルだった。
『嘘よ! そんなのイヤ!』
レーテーは人だかりの輪の中へと急下降した。もう、自分の正体など構ってはいられない。
レーテーはタケヒコの目の前に着地して、彼からタケルを奪うように抱き取った。
「オトタチバナ様!?」
タケヒコの驚きには答えずに、レーテーはタケルを抱えて飛び上がった。
高天原のある、太陽の方角へと......。
後に残された兵士たちは、あまりにも一瞬の出来事で、事態を正しく理解できないでいた......ただ一人を除いては。
『オトタチバナ様――いや、レーテー様がタケル様をお迎えにいらしたのだ。天にお召しになるために......』
タケヒコがそう思った時、誰かがこうつぶやいた。
「白鳥(しらとり)だ......タケル様は、白鳥に変じて遠き空へと召されたのだ」
「おお、そうだそうだ!」と、他の兵士も言った。「高天原の神に望まれて、白鳥にお姿を変えられたのだ!」
太陽に向かって飛んでいたレーテーの亜麻色の翼は、そのあまりの眩しさに白く見えたのだろう。誰もが「白鳥だ」と言い出した。
実際、もうここにタケルはいない。だから兵士たちは、
「タケルが白鳥に変じて飛んで行った」
と、信じたかったのである。
一方、タケルはレーテーの腕の中で気が付いた。
「......レーテー? 今までどこに......」
「お願いだから喋らないで! 今すぐ助けてあげるから!」
レーテーは翼を羽ばたかせながらも、腕の中のタケルがどれほど重傷で、危機に瀕しているか感じ取っていた。
『死なないで! お願い、死んじゃイヤ!』
高天原に着くと、レーテーはそのまま天照の神宮に飛び込んだ。
中ではすでに天照とコトノハが待っていた。
「お願いです! タケルを助けて下さい!」
レーテーの涙ながらの懇願に、天照はうなずいた。そして、壁掛けの鏡に向かって言った。
「母上様! 聞こえていらっしゃいますね!」
すると鏡の中から声がして、
「そちらに投げるわ! 受け取りなさい!」
と、何かが鏡の中から飛び出してきた。それをコトノハが掴んだ。
橘の実だった。
コトノハはそれを天照に渡すと、天照が皮をむき、中の実を一つ取って、タケルの口の中に入れた。
その時になってようやく、鏡の中からイザナミノミコトが姿を現した。
「タケルに食べさせましたか?」
「はい、母上様。無事に間に合いました」
「そう、良かったわ......」
イザナミはそう言うと、レーテーの隣に座って、彼女の手を取った。
「久しぶりね、レーテー」
「イザナミ様......どうして......」
「人間の生死に関することは、私の神事(しんじ)なのです。ゆえに、死にかけている者を助けられるのは、この国では私だけです。私の娘であっても、ヒルメ(天照)には出来ない事でした」
「そうゆうことよ」と、天照は言った。「ホラ、傷が治ってきているわ」
その通り、タケルの腹に開いていた大きな傷が、見る見るうちに塞がって、流された血さえタケルの体に吸い込まれるように戻ってきた。
「それにしても母上様、こちらに来るのに手間取っておられたご様子でしたが?」
「邪魔されていたのよ」と、イザナミは言った。「タケルに打ち負かされて、黄泉に降りてきた、伊吹山の大猪に」
「ではやはり」と、レーテーは言った。「タケルをこんな目に合わせたのは、伊吹山の大猪......」
「相打ちだったそうよ」と、イザナミは言った。「ですが、その大猪も災難なことでした。成敗される謂われはないのに......人間に危害を加えることなど一切なかったのに、姿が恐ろしいというだけで、タケルに戦いを挑まれたのだから」
「そう......だったのですね」
レーテーは「やはりタケルは死ぬつもりだったのだ」という思いを強くした。
「まあ、大猪にはすぐにでも神獣として転生してもらいますよ。今度はそんなに恐ろしい姿にはならないものにね」
しばらくして、タケルが目を覚ました。
「ここは......いったい......」
タケルはゆっくりと起き上がると、あたりを見回した。
「ここは高天原の、天照さまの神宮よ」
レーテーがそう言うと、タケルはレーテーのことをまじまじと見た。
「本当にレーテー? 夢ではないの?」
「ええ、本当に私よ、タケル」
「レーテー!」
タケルはしっかりとレーテーのことを抱きしめた。
「夢じゃないのね? 本当に本当のレーテーね?」
「ええ、そうよ、タケル。戻って来るのが遅くなってごめんね」
二人は少しだけ体を離して、口づけを交わそうとし......タケルが口の中に違和感を覚えて、ちょっと待った。
タケルは口の中から何かを吐き出した。それを手に取ってみると......。
「橘の実の種?」
タケルの疑問に、いいえ、とイザナミが答えた。
「それは非時香菓(ときじくのかぐのみ)の種。あなたが今さっき食べた実ですよ」
「非時香菓ですって!?」
タケルは、まだ天照が持っていた実を見つけ、またまじまじと見つめた。
「橘にそっくり......」
「それはそうでしょう。元は同じ実ですから」
イザナミの説明によると、橘も非時香菓も元は同じ実で、ただ黄泉の国で育つと死者をも甦らせる力を宿すのだそうだ。
「では、タジマノモリを助けた姫神と言うのは、あなた様なのですか?」
「そんなこともあったわね」と、イザナミは微笑んだ。そして、「その種はあなたの物よ。あなたが蒔いて育てるもよし、然るべき人に預けるも良い。あちらの国へ行ったら好きにお使いなさい」
イザナミにそう言われたタケルは、
「あちらの国?」と、聞いた。
「オリュンポスですよ。レーテーの生まれ故郷です」
オリュンポスの名が出てきて、タケルはもちろん、レーテーもキョトンっとしてしまった。
すると天照が言った。
「ヤマトタケルノミコトよ。そなたのこの国での役目は終わりました。地上では既にそなたは死んだことになっている。よって、これを機に愛する者と共に旅立ちなさい」
そして、天照は手の中の非時香菓の皮を更にむいて、
「母上様、あといくつ必要ですか?」
「あと三つよ」
「三つですね」
天照は言われた通りに三つ取って、タケルの手に渡した。
「お食べなさい」
タケルは素直に従った――すると、体の奥の方が熱くなっていくのを感じた。
「今食べた実の養分が体中に行きわたれば、そなたは不老不死になります。つまり、神の一員となったのです――レーテーの伴侶になる資格を得たのですよ」
「そんな......こんな突然に......」
タケルは戸惑いと喜びの両方を同時に味わっていた。確かにこれでもう、戦いに身を置く必要はない。愛する人とずっと一緒にいられる......だが。
「残してきた家族は......フタヂやワカタケルはどうなりますか?」
「彼らは人間です。これからも人間としての生を全うしていくことでしょう。心配ならば、これからは空の上から彼らのことを見守っていきなさい。私たちが、そなたたちの旅を見守って来たように......」
「大丈夫よ、タケル」
と、レーテーが満面の笑みで言った。「私がいつでも連れてきてあげるわ、この国へ。だから......約束だったでしょ? あなたが神の一員になったら、私と結婚するって」
「......そうだったわね」と、タケルは微笑んだ。「分かりました。行きます! レーテーの故郷へ」-
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白鳥伝説異聞・33
レーテーは尾張の国造の屋敷の傍まで来ると、地上に降りて翼を髪に戻し、オチタチバナヒメの姿に変じた。
そして屋敷の門の前まで来ると、中に聞こえるように言った。
「誰かある! お尋ねしたきことがあります!」
その声に反応して出てきたのは、ミヤズヒメと数人の侍女だった。
「まあ! 間違いない! あなたはオトタチバナヒメ様。御無事だったのですね」
ミヤズヒメが言うので、レーテーは、
「やはり、タケルは私のことを死んだと思っているのね」
「ひと月も経っているのです、無理もありませぬ。でも、本当に御無事で良かった。さあ、お入りくだされませ。タケル様たちはまた、こちらにお戻りなるおつもりですから、あなたもこちらでお待ちになれば、行き違いにならなくて済みましょう」
「そう、戻って来るの......」
ならばミヤズヒメの勧め通り、ここで待つのが賢明である。レーテーはミヤズヒメの案内で、タケルが宿泊している部屋に案内された。
部屋の中を見渡して、一つだけ奇妙なことに気が付いた。
「ミヤズ殿? タケルは、今どこにいるのです?」
「タケル様は、伊吹山(岐阜県と滋賀県の境にある山)におられます。そこに住む神様に戦いを挑むのだと仰せでした。
「神に挑むですって?」
「ええ。もはや自分に敵はいないと。相手が神だろうと成敗して見せるのだと、勇ましいことをおっしゃられておられました」
「馬鹿な!」と、レーテーは部屋の奥へと走った。
そこに、タケルがヤマトヒメから貰い受けた神剣・天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)が飾られていた。
「タケルが剣を置いていくなんて、ありえないわ!」
「私もそう思ったのですが、タケル様が――"わたしの力ならば、もう剣は必要ない。だからこの剣を預かってほしい"と......」
これらの話で、レーテーはすぐに分かった――タケルは死ぬ気だと。
『私がもう戻って来ないと思って、私の後を追うために、且つ英雄として華々しく散るために、挑まなくてもいい神への喧嘩を吹っかけたんだわ!』
「私、行くわ!」
レーテーは衝動的に部屋を飛び出していた。
「あっ、お待ちを! オトタチバナ様!」
ミヤズヒメの制止など聞く耳も持たず、レーテーは屋敷の門まで走った。そこでようやく追いついたミヤズヒメは、レーテーの袖を掴んだ。
「私、あなたに完敗いたしましたわ!」と、ミヤズヒメは言った。「あなたを失って、タケル様が半分自棄になっていたのは私も感じました。だから私、その心の弱みに付け込もうと致しましたの......でも、タケル様は私に手をお出しにはなりませんでした」
「ミヤズヒメ......」
深窓の姫として育ったはずの彼女が、そんな汚い手を使おうとは。それほど彼女もタケルを愛していたのである。
「どうか、タケル様といつまでもお幸せに、オトタチバナ様」
「ありがとう、ミヤズヒメ」
レーテーは、本当の姿に戻って見せた。それがせめてもの誠意だと思ったからだ。
「あなたにも幸福が訪れるよう、祈っているわ」
レーテーは翼を広げると、空高く飛び立った――その姿があまりにも美しくて、ミヤズヒメは跪くと手を合わせずにはいられなかった。-
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