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from: エリスさん
2007年07月26日 14時03分44秒
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ジューンブライド・1
一九九九年六月のある日、ヘーラーが白い反物を持参して、アテーナーが住むパルテノーン(処女神宮)を訪れた。
「そなたに手伝ってもらいたいのです」
ヘーラーはそう言って、自身が描いたデザイン画をアテーナーに見せた。
「まあ! これは!」
それは、二着のウェディングドレスだった。
もうすぐ、人間界での刑期を終えたエリスが帰ってくる。その日こそ、ヘーラーの長女・エイレイテュイアがエリスの花嫁になる日だった。
「二着もお作りになるのですか? 途中でお色直しでも?」
アテーナーの問いにヘーラーはニッコリと笑って、
「まあ、そういうことです」
「是非! 手伝わせてくださいませ! 私、裁縫には自信がありますもの」
「分かっておる。だからこそ、そなたに頼みに来たのだ」
一般に「武神」として知られているアテーナーだが、とてもそんな一言で収まる女神ではなかった。裁縫・機織(はたおり)はもちろん、音楽にも秀でる「芸術の女神」でもあり、また知恵の女神であった母・メーティスの力も存分に引き継いでいた。実に多才な女神なのである。
まさに斎王――《宇宙の意志》に巫女として仕える「宇宙の花嫁」に相応しい女神だった。
アテーナーはヘーラーが持参したデザイン画を元に型紙を作り、光沢のある白い反物を裁断していった。ヘーラーはこの作業の間は、手を出さずにアテーナーのすることを見学していた。
「見事な手さばきです。誰に教わったわけでもないのに、そなたは昔から器用に、なんでもこなしてしまった。そなたの才能のひとかけらでも、私の娘たちに分けてもらいたいものだと、何度思ったことか」
「そんな、ヘーラー様……」
アテーナーは恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「私こそ、エイレイテュイアやヘーベーを羨ましいと思っていますのに。私のこんな技など、結局は独りよがりなだけです」
「謙遜を……」
ヘーラーはそれ以上追及しなかった。アテーナーがヘーラーの娘たちを羨ましがる事と言ったら、結婚と子供ぐらいしか思い当たらない。
ヘーベーは英雄ヘーラクレースを夫として、幸せな主婦となっている。
エイレイテュイアは、エリスの子供たちを我が子として慈しみ育てていた。
だがアテーナーにはそれらは許されない。
斎王の任を解かれるまでは純潔――それが使命だった。-
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コメント: 全11件
from: エリスさん
2007年08月22日 16時38分10秒
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「ジューンブライド・11」
6月も過ぎ、7月も終わり近いというのに、アテーナーやヘーラーの本来の仕事が忙しくて、ウェディングドレスは出来上がらなかった。
「まあ、良い。エリスが帰ってくるまでに出来上がれば。だからこそ早めに作り始めたのだから」
オリュンポス社殿でヘーラーに会った時、彼女はそんな風にアテーナーに笑いかけたという。
アテーナーも、ヘーラーが居ないときに勝手に縫うようなことはしなかったが、それでも、寝る前には必ずドレスを眺めてから寝るような日々が続いた。
そして、8月の始め。
アテーナーはヘーラーと並んで、マネキンに着せられた完成品を眺めることができた。
新緑の森を思わせる刺繍を施したドレスと、
エーゲ海の波を思わせる刺繍を施したドレス。
どちらも美しくて、ため息がこぼれる。
「素敵ですね……」
アテーナーが言うと、ヘーラーは言った。
「そなたのおかげです」
「いいえ。ヘーラー様の娘を思う一念が、これを作り上げたのですわ」
「ありがとう……では」
ヘーラーはマネキンからエーゲ海の方のドレスを脱がして、アテーナーに渡した。
「試着をしてごらん」
「……え?」
戸惑っているアテーナーに微笑むと、ヘーラーは術を使って一瞬でアテーナーをドレスに着替えさせた。
その姿にヘーラーは満足して微笑み、アテーナーは訳がわからなくて慌てていた。
するとヘーラーが言った。「それは、そなたのためのものです」
「私の?」
「《宇宙の意志》から内示がありました……」
近々、地球上にあるすべての神界において世代交代がなされ、神王は退位し、新しい神王が立てられる。それに伴い、斎王も任を解かれることになっていたのだ。
その内示に、アテーナーは驚かずにいられなかった。
「お父様は、その内示に承知したのですか!?」
あの権力に固執しているゼウスが、退位するはずがない――とアテーナーが思っていると、意外な答えが返ってきた。
「宇宙から指名された次代の王が、ゼウスもかねてより考えていた人物だったので、すぐに納得したようですよ。だから……そなたは自由を手に入れたのです。《宇宙の花嫁》から解放され、好いた殿御のもとへ嫁いでもいいのですよ」
ヘーパイストスと結婚できる――これが、そのための衣装。
アテーナーは少しずつ、けれど確実にこみ上げてくる喜びで、どうにかなりそうだった。
そして……同時に得られる、もう一つの「望み」
ヘーラーはアテーナーの頬を、両の手で優しく包み込むと、言った。
「さあ、呼んでおくれ」
「……お母様……」
もう誰に憚る理由もない。ヘーラーを「お母様」と呼べる正当な権利を、アテーナーは今、手に入れたのだ。
その嬉しさで、涙が止まらなかった。
「お母様……お母様!」
アテーナーはヘーラーにすがりつき、そんな彼女を、ヘーラーも優しく抱きしめた。
「人間の間では、〈ジューンブライド〉というものがあるそうな。それは、June(6月)がJuno――つまりローマで言うところの私に捧げられた月だからで、その私が結婚と家庭を守護することから、6月に結婚する花嫁は私の守護を受けて幸せになれる、と人間たちが言い始めたらしい。それならば、私からの直接の祝福を受けたそなたは、絶対に幸せになれないはずがない」
「お母様……」
「ありがとう。ヘーパイストスを、こんなに長く愛してくれて。そしてこれからも、あの子を頼みましたよ」
「はい……はい、必ず。幸せになります」
一九九九年。この夏、世界が改革の時を迎えていたことを、人間は誰も知らない。
悠久の時を越えてようやく願いが叶った花嫁たちがいたことも。
もはや、神界と人間界は遠く隔たれた世界として存在し、神話・伝説として語り継がれるだけに留まってしまっているのだから。
終
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from: エリスさん
2007年08月22日 15時44分27秒
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「ジューンブライド・10」
「もうあれから、何千年たったのかしら?」
アテーナーはヘーパイストスの両肩をむさぼるようにしがみついた。
「何千年だろうね。神は歳をとらないから、忘れてしまうよね」
ヘーパイストスはアテーナーとは対象に、優しく包み込むように恋人を支えていた。
「この先も、また何千年も待たなければいけないのかしら? 純潔のまま、あなた恋しさに眠れぬ夜を重ね、狂いそうになりながらも……」
「……パラス?」
「もう待ちたくないの! いやなのよ、こんな思いは! だからお願い、私から斎王の資格を奪って!!」
「パラス!」
咄嗟に、ヘーパイストスはアテーナーを自分から引き離した。
「そんなことを言っては駄目だ! 君の格が下がる!」
「そんなものいらない! 女神の品格も、神王の長子としての立場も、もう何も要らない! あなたを失うぐらいなら、全部投げ捨てたって……」
アテーナーが言葉を切った――いや、ヘーパイストスが阻止したのだ。アテーナーがこれ以上悲しいことを言わないよう、彼女の唇を自身の唇で塞ぐことによって。
そうすることで、アテーナーの心を落ち着かせようとしたのだ。
一、二度、呼吸のために唇が離れたが、まだアテーナーの心が落ち着いていないと察すると、ヘーパイストスはすぐにも彼女の唇を塞いだ。
どれぐらい時間が経ったか……アテーナーが力尽きたように床に膝を突いたので、ヘーパイストスも彼女を解放してあげた。
「良かった、落ち着いたね」
アテーナーがコクンと頷いて見せたので、ヘーパイストスも膝を突いて彼女の肩に手を置いた。
「僕は居なくならないよ。失うなんて、そんな風に考えては駄目だよ。……もう、何千年も待っただろう? だから僕なんかは、この先まだ何億年だって待てる自信があるんだ。それとも君は、僕のことが待てないからって他の男に乗り換える?」
「そんなこと!!」
「出来ないよね。だからいいんだよ、僕たちはこのままで」
ヘーパイストスはそう言うと、またアテーナーを抱きしめて、互いの頬を摺り寄せた。
「この先もまた、いつか結ばれる日を夢見て生きていこうよ。ね? パラス」
「……ヘース様……」
この優しさに救われる――でもまた、その優しすぎるところがもどかしくて、悲しくなることもある。
それでも、この人を想う気持ちだけは永遠に終わらないのだと、アテーナーは思い知らされていた。
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from: エリスさん
2007年08月15日 16時46分13秒
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「ジューンブライド・9」
あの日、ヘーラーに母親になってもらえない寂しさから、アテーナーは夜に中庭に出て、人工池の淵で両足を抱えて座っていた。
そんなときだった。
「その座り方だと、池に落ちちゃうよ?」
その声で振り向くと、ヘーパイストスが片足を引きずりながら歩いてくるのが見えた。
「ヘース様……」
いつもはヘーパイストスが近づいてくればすぐに気づくのに、気づけないほど落ち込んでいたらしい。
「隣、座ってもいい?」
「うん……」
ヘーパイストスは、さすがに不自由な足ではアテーナーと同じ格好では座れなくて、池に背を向けて、淵に腰を下ろした。なのでアテーナーもヘーパイストスと同じ格好で座りなおした。
「なにをそんなに落ち込んでいたの? あんなにちっちゃく身を屈めて」
「……あのね」
アテーナーは昼間あったことを彼に話した。するとヘーパイストスは親身になって聞いてくれて、一緒にため息をついてくれた。
「そっか。母上は義理堅い女性だから、どうしても君の母君のことを考えてしまって、そう答えたんだろうね」
「私だって分からなくはないの。でも、私は実際に〈お母様〉って呼べる人が欲しいの。温かい腕で抱きしめてくれて、甘えさせてくれる、そういう人が欲しいの。そういうこと、思ってはいけないの?」
「いけなくはないさ。子供だったらあたりまえだよ。……あっ! だったらさ」
ヘーパイストスは突然立ち上がって、こう言った。
「僕と結婚しようよ!」
「え?」
途端、アテーナーは頬を赤らめた。
「ヘース様と、結婚?」
「そうだよ。僕の奥さんになれば、僕の母上は君にとって義理の母親。だから〈お母様〉と呼んでもいいんだよ!」
「うん、そうよね。そうなんだけど……私でいいの?」
と、恥ずかしそうにアテーナーは聞いた。
「え? なにが?」
「私を、奥さんにしてくれるの?」
「じゃあ君は、僕が夫じゃ不足なの?」
その問いに、アテーナーは何回も必死に首を横に振った。
「結婚したい! 私、ヘース様の奥さんになりたい!」
「じゃあ決まり。僕たち、大人になったら結婚しようね」
――あの頃は、まだ子供だった。
だから「斎王」というものが良く理解できてはいなかった。
それでも子供なりに、真剣に交わした約束だったのだ。
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from: エリスさん
2007年08月15日 16時20分40秒
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「ジューンブライド・8」
アテーナーは二階のテラスへと急いだ。
今、こんなにもあの方に会いたかったその時に、その当の本人が訪ねてきてくれた幸福と、クラリアーに警戒された悲しみが、心の中で複雑に絡み合って、苦しい……。
だがその苦しみも、恋しい人に会えれば、一瞬で消える。
すでに月明かりが射し始めたテラスに、彼は立っていた。
「ご機嫌よう、アテーナー殿」
ヘーパイストスは両手でしっかりと、アテーナーの剣を持っていた。
「すっかり修理できましたよ、あなたの剣。それにしても、あんなにたくさんの刃こぼれができるまで剣術の稽古にお励みとは、武神の役目は楽ではございませんね」
「……やめて……」
他人行儀な話し方をしないで――自分を抑えるために、わざとそうしているのだということは分かっているけれど。
「アテーナー殿?」
「刃こぼれは、わざと作ったんです」
アテーナーは、ヘーパイストスの手からもぎ取るように剣を受け取って、床に投げつけた。
「アテーナー殿、なにを!?」
「あなたに会える口実が欲しかったの!」
アテーナーはそう言うと、ヘーパイストスの首に両腕を絡ませて抱きついた。
「そうでもしないと、最近のあなたは会ってくれないから!」
「……なんという無茶を……」
ヘーパイストスはそう言うと、自分の頬をアテーナーの頬に摺り寄せた。
「会いたいのはやまやまですが、今は平和な世。昔のように、戦場に出るあなたのために武具を揃える役目は、今はありませんから。そういう理由がないのに、純潔神であるあなたのもとに男のわたしが訪ねるわけにはいかないではありませんか」
「ヘース様! そんな言い方はイヤ!」
アテーナーは少しだけヘーパイストスから離れると、彼の唇に自分の唇を重ねた。
その時、月が隠れたのは偶然だったのだろうか?
ほんのしばらくの闇夜だったが、月明かりが戻ってくるまでアテーナーの唇は決して離れようとはしなかった。
「……本当に、どうしたの?」
ようやくヘーパイストスが親しげに話してくれるのを聞いて、アテーナーは安心したように、今度は自分から、彼の頬に自分の頬を摺り寄せた。
「今ね、ヘーラー様とウェディングドレスを作っているの」
「ああ、エイレイテュイア姉上の」
「ええ……とっても素敵なの。二着もあるのよ。それがね、とってもうらやましくて……」
「自分も、結婚したくなった?」
「したいわ。もうそんなこと、ずうっと考えているわ。あなたにプロポーズされたあの日から……」
「……そっか……」
「……それだけ?」
「ん?」
ヘーパイストスの素っ気無い反応に、アテーナーは少しだけ体を離した。
「もうあなたには、私を自分のものにしようという気力はないの?」
「アテーナー……」
「その名で呼ばないで! あなたには、その名で呼ばれたくないのに……」
アテーナーの激しさと恋しさを感じ取っていたヘーパイストスは、もうその言葉を聞いてしまうと、自分を抑えきれずに、アテーナーを抱きしめた。
「パラス! パラス! パラス!」
「ヘース様!」
もう何千年、この名で呼ばれなくなっていただろう。
ほかの人はいい。でも、ヘーパイストスにだけは、ずっと呼ばれていたかったのに……。
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from: エリスさん
2007年08月15日 15時35分53秒
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「ジューンブライド・7」
『そう、満たされていたわ、あの時は。でも……』
アテーナーはウェディングドレスを抱きしめながら、思い出していた――あの一瞬は満たされていたのだが、夕方あたりになって冷静に考えると、
「現実に自分を愛してくれる母親はいないのだ」
ということに気づいて、また寂しくなったのだ。
『そうしたら、あの方が……』
もう少しで楽しい思い出が目の前に広がろうとしていた時に、その声はかかった。
「申し上げます」
咄嗟にアテーナーはウェディングドレスから離れた。
その声は側近頭のクラリアーだった。部屋の扉の向こうから声をかけていたのである。
「お客様がお見えです、このようなお時間に」
確かにもうすぐ夜になるが……このような物言いをクラリアーがするときは、彼女にとって好ましくない客なのだ。
「……鍛冶の神・ヘーパイストス殿かしら? 刃こぼれをしてしまった剣の修理を頼んでおいたのだけど」
アテーナーがそう言うと、
「はい確かに、そうおっしゃっておられました。お会いになられますか?」
「このまま門前で帰せとでも言うの? 会うに決まっているではないの」
「そうおっしゃられると思いまして、二階のテラスにお通しいたしました」
「二階って……」
アテーナーはクラリアーの冷たい仕打ちに、たまらず扉を開いて睨み付けた。
「ヘース様は足が不自由でいらっしゃるのに、わざわざ階段を上らせるなんて! 一階には応接間も、いくらだって部屋はあるのに!」
するとクラリアーは頭を下げながらもこう言った。
「応接間などとんでもない。あのように人気がない部屋でなど、お二方を会わせるわけには参りません。テラスならば、空からも海からも、さまざまな神がお二方を監視できますから」
「なにを……」
「お忘れなきよう、斎王(みこ)様」と、クラリアーは顔をあげた「あなた様は、決して汚れてはならぬ《宇宙の花嫁》なのですよ」
「……下世話な!」
そんなことは、百も承知だ。
それでも、幼いころから想い続けた人を、どうして諦めることなどできるだろう。ましてや命の恩人でもある男性を。
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from: エリスさん
2007年08月09日 15時04分15秒
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「ジューンブライド・6」
アテーナーはここぞとばかりに、しっかりとヘーラーに抱きついていた。
こんな好機はない。今だけは自分だけのヘーラー。ここから離れてしまったら、またヘーラーは「エイレイテュイア達の母」に戻ってしまう。
このまま時間が止まってしまったらいいのに……そんなことを考えていると、ヘーラーが優しくアテーナーの肩を叩いてきた。
「どうしたのです? パラス。もうゲームは終わっているというのに」
「……ヘーラー様……」
ヘーラーはアテーナーを自分から離させた。
「さあ、戻りましょうか。エイレイテュイアは守備よくやっているかのう」
「……ヘーラー様!」
先に歩き出すヘーラーを、アテーナーは必死にしがみついて、引きとめた。
「私のお母様になって!」
決死の覚悟で言った言葉――その言葉を聞いて、ヘーラーは正直嬉しかったのだが、それでも、ヘーラーはアテーナーの手を離させて、彼女の方を向き、相手の目の高さまで身をかがめた。
「……それは……できぬ」
「どうして! 私、ヘーラー様の子供になりたい! ヘーラー様をお母様って呼びたい!!」
「パラス……そなたにそう言ってもらえて、私も女冥利に尽きる。だが、それはならぬのです。なぜなら、そなたはメーティスの忘れ形見。己の身を犠牲にしてゼウスを救い、その愛を貫いたメーティスの、そなたはたった一人の娘なのです。メーティスの犠牲の上に今のゼウスがあり、そして私も、彼女の後釜として王后となっている。そんな私が、メーティスからそなたを奪い取ることなどできぬのです」
「分かりません! だってもう、私の生みの母はいないのに、どうして死んでしまった人に対して、ヘーラー様が義理立てをするの!?」
「死んではいないからです。メーティスは、今もゼウスの中で生きている。ゼウスの中から、私を見ている――そなたのことも。だから、そなたを私のものにしてはいけないのです。いくら可愛いからと言って」
可愛い――という言葉を聞いて、アテーナーは少し冷静になった。
「私を、可愛いと思ってくださるのですか?」
「もちろんですよ。そなたを産んだのが私だったらと、何度思ったか知れません。そなたを私の娘としたい気持ちは、当然あります。でも分かっておくれ。メーティスのことを思うと、それはしてはいけないことなのですよ」
「…………分かりました」
断られたけれど、悲しくはなかった。
ヘーラーが自分のことを可愛いと思ってくれていることが分かったから、それだけで、今は満たされていた。
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from: エリスさん
2007年08月09日 13時56分02秒
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「ジューンブライド・5」
「どっちが先に見つけるか、競争ね」
「うん、競争。でも負けないもん」
二人は一緒に百を数えてから、それぞれの方向へ飛び立った。
アテーナーは嬉しかった。
『ヘーラー様が探せる! 見つけたら、絶対に……』
その一瞬を想像して、アテーナーはワクワクしていた。
こんな好機は滅多にこない。だから、一生懸命にヘーラーを探した。
先ず、何に変化しているだろう?
『どんな姿に変化していたって、きっと、あの高雅で美しい姿は変わらないわ。それに、あの優しい香りも……』
そう思ったとき、アテーナーは思いついた。
そうだ! あの百合の花のようなヘーラーの香りを手がかりに探せばいいんだ!
アテーナーは飛ぶのを止めて大地に降り、嗅覚を研ぎ澄ませながら森の中を歩き始めた。
すると、微かに匂ってくる香りがあった。
『百合の花の香り!』
アテーナーはその方向に向かって走り出した。その先に絶対にヘーラーがいると信じて。
だが……その先にあったのは、一面の百合の原だった。
『本当の百合の花だったんだ……それもこんなにいっぱいの……』
アテーナーは残念さと疲労から、その場に膝を突いた。
『……ヘーラー様……』
会いたいのに……いつだって傍にいて欲しいのに、叶わない。
叶わなければそれだけ、思いは募ってしまうから、寂しい。
『どうして、私は、ヘーラー様の……』
そんな時だった。
百合の花の香りに紛れて、微かに、嗅ぎなれた別の香りがする。
『これは!? 百合の花の香りだけど、違う。嗅ぎ比べると分かる、また別の香り。この香りこそ!』
アテーナーはその微かな香りが漂ってくる方向に目を向けた。
そこに、一本の木が立っていた。
さほど大木ではないが、左右に伸びた枝が美しい線を描いており、幹もまるで女体を象ったような曲線を描いていた。
間違いない、と確信したアテーナーは、その木に向かって駆け出して、しっかりと抱きしめた。
「ヘーラー様! 見ィつけた!」
すると、木がみるみる姿を変えて、ヘーラーへと戻っていった。
「おやおや、もう見つかってしまった」
ヘーラーはそう言うと、アテーナーの頭をなでてあげた。
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from: エリスさん
2007年08月09日 13時19分09秒
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「ジューンブライド・4」
その日の修行は、深い山奥に入ってのものだった。
「では今日はヘーラーにも手伝ってもらいましょう」
ヘスティアーが言うと、ヘーラーがニッコリと笑った。その笑顔があまりにも綺麗で、アテーナーはうっとりとしそうになってしまう。
「はい、それでは説明しますよ。これから二人には〈気配を読む〉修行をしてもらいます」
「気配を読む?」
エイレイテュイアが聞きなおすと、
「そうですよ。斎王たるもの、姿を隠したものの気配を察知して、それが善か悪かを見極めなくてはなりません。魔物は巧妙に姿を隠して、いつなんどき、我等を汚さんと襲ってくるか分からないのです。また、事前に危険を察知できれば、オリュンポスの民をその危険から救うことだってできます。〈気配を読む〉ことはそれだけ重要なことなのです」
なるほど、とアテーナーとエイレイテュイアは納得した。
「それでは今から私たちが姿を変えて隠れますから、あなた達はここで百を数えてから、エイレイテュイアは私を、パラスはヘーラーを探しにいらっしゃい」
「ええ!?」と、驚いたのはエイレイテュイアだった。
「私がお母様を探すのじゃないの!?」
「あたりまえではないの」と言ったのはヘーラーだった。「そなたは私の娘だからオーラが共鳴しあっていて、私を探し出すなど簡単すぎるのですよ。それでは修行になりません」
「……ハーイ……」
かくして、鬼ごっこが開始された。
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from: エリスさん
2007年08月09日 12時56分40秒
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「ジューンブライド・3」
当時はまだ、アテーナー(パラス)とエイレイテュイアのどちらが斎王になるかは決まっておらず、よって二人ともその資格を得るための修行をしていた。
師匠はもちろん当時の斎王・ヘスティアーである。そしてヘーラーも手助けをしていた。
斎王になるための修行は決して楽ではなかった。それでも二人とも挫けずに頑張れてこれたのは、修行のあとに出されるヘーラー自慢のお菓子(お菓子に釣られるところが、まだまだ子供だった証拠だが)と、なによりもヘーラーの優しい労りだった。
「おやおや、今日もいっぱい汗をかいて」
ヘーラーはそう言いながら、二人の顔についている汗をタオルでぬぐってくれる。大概はエイレイテュイアが先だが、時にはアテーナーが先になることもあった。この時、エイレイテュイアが先にやってもらうのを見ると寂しくなったものだが、自分が先にやってもらった時は満面の笑顔で喜んでいたものだった。
他にも、着替えを手伝ってもらったり、髪を結ってもらったりなど、母親として子供に世話をやくさまざまなことが、自分より先にエイレイテュイアがやってもらっているところを見るのが、アテーナーには悲しくてならなかった。
そんなアテーナーの気持ちに、そのうちにヘーラーも気づいた。気づいてからはヘーラーも、どちらを先に世話するかは一日交代にするようにしてくれた。
それでも、アテーナーの心には、ちょっと小さな穴が開いていた。
『お母様がいる子はいいな……』
結局自分は、養われているだけで、実子ではない――この思いが、アテーナーの心に針を刺していたのである。
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from: エリスさん
2007年08月01日 15時33分47秒
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「ジューンブライド・2」
ヘーラーは忙しい公務の間を縫うようにしてパルテノーンを訪れては、アテーナーと一緒にウェデングドレス製作を楽しんだ。
初めはその都度持ち運んでいたドレスだったが、それも面倒なので、今ではアテーナーがドレス製作のために用意してくれた部屋に置いて帰るようにしている。
そしてヘーラーが帰った後――アテーナーは、一人でウェディングドレスを眺めることが多くなった。
自分は、おそらく一生着られない……。
斎王の任を解かれるときというのは、斎王自身に落ち度があった場合か、神王が退位して次の王に代わったときに限られる。
このオリュンポスの神王・ゼウスが次世代に位を譲るなんてことは、どう考えてもありえないことだ。彼自身がその地位に固執しているということもあるが、それ以前にゼウスを王にするために様々な犠牲が払われてきたのだ。その犠牲に報いるためにも、彼はその地位に踏みとどまっていなくてはいけない。
そしてアテーナー自身も、斎王の任を解かれるほどの失態は犯さないと心に決めている。
『だから……私がこのドレスを着ることは、生涯……ない』
アテーナーは二体のマネキンに着せられたドレスのうち、裾に水色の糸でエーゲ海の波をイメージして刺繍された方に近寄り、そっと、抱きしめた。
『このドレスに包まれる日を、夢見ないわけではないけれど……その夢を封印してこそ、斎王のあるべき姿なのだわ』
それでも、封印しきれない気持ちがある。
ヘーパイストスへの想い――。
まだ自分が「パラス」と呼ばれていた幼い日。アテーナーは、ヘーパイストスの言葉で初めて「結婚」を意識した。
それは意外にも、ヘーラーが切っ掛けだった。
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from: エリスさん
2007年08月22日 16時52分06秒
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「ジューンブライド あとがき」
神話上あってはならない展開で終わってますが。
私の中では、アテーナーは今頃ヘーパイストスと夫婦になっているのではないかと、勝手に想像・創造しています。
それだけではなく、実はゼウスの跡を継いで神王になったのはアテーナーです――はい、女王誕生ですね。
アポローンが後継者にふさわしいと思う人がきっとたくさんいると思いますが、私はアポローンよりは、苦労してきた分、アテーナーに女王になってもらいたいんですね。
まあ、勝手な想像・創造ですが。
さて、お気づきですか? ヘーパイストスとアテーナーが抱き合うと、互いの頬が簡単に擦り寄る位置にあることを。
二人の背丈は、ほぼ同じなんです。
ヘーパイストスの足が不自由なせいで身長があまり伸びなかった、ということもありますが、実のところ、アテーナーが初めて外界に飛び出したとき、目の前に居たヘーパイストスを見て、
「この子と同じぐらいの大きさになろう」
と思ったことから、まるで親指姫のように小さかったアテーナー(パラス)は4歳児程度の背丈になった――この時の記憶が意識下で未だに働いていて、早い話が、
「私の背丈はヘース様と一緒」
というアテーナーの思い込みからなる奇跡なんですね。
ヘーパイストスって愛されてるなァ(^_^)
ちなみに「ほっぺスリスリ」はキュクロープス兄弟の影響です。
素手で相手に障ると火傷や凍傷を負わせてしまうキュクロープス兄弟が、愛情表現としてやっていたのが「ほっぺスリスリ」だったので、キュクロープス兄弟に世話になっているヘーパイストスもその影響で、ついやってしまうんです。
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