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神話読書会〜女神さまがみてる〜

神話読書会〜女神さまがみてる〜>掲示板

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  • from: エリスさん

    2008年01月04日 14時58分23秒

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    禁断の花園・1

     彼女を「妹」と呼んでいいのだろうか。
     ギリシア旅行から帰ってきた私――片桐枝実子は、以前よりも過去(前世)のことを思い出すことが多くなっていた。その中でもここ最近気に掛かっていたのが、彼女のことだった。
     血のつながりは無い。けれど……。
     「なに考え込んでるの?」
     私がティーカップを見つめながら昔のことに思いを馳せていると、親友の乃木章一が声をかけてきた。――今は仕事の合間の休憩時間だったのだ。
     「このところ変なんですよ、エミリー先生ったら」
     弟子の新條レイもそう言って、クッキーを一口食べる。「なんだか知らないんですけど、良く考え込んでるんです」
     「へェ……恋煩いでもしてるの?」
     章一の冗談に、バカね! と笑い飛ばす。
     ちょうどそこへ電話が鳴った。一番近いレイがすぐさま駆け寄って、出る。
     「ハイ、嵐賀です。……あっ、佐姫出版の。ハイ、嵐賀レイは私です……」
     レイが電話の応対をしている間、章一が小声で話しかけてくる。
     「昔のこと?」
     「……ええ」
     「今度は何を思い出したの」
     「うん……」
     もし、彼の前世が私の思っている通りの人だとすると、彼女の姉はむしろ章一の方なのだが……彼女が生まれた時、彼はすでにかの地にはいなかった。だから「あなたの妹のこと」と言っても、実感が沸かないだろう。
     神話や伝説でさえ忘れ去られた彼女の存在を口にするのは、もしかしたら、私が敬愛申し上げるあの御方にとっても不名誉なことなのかもしれない。
     けれど、彼女は確かに存在していた。数奇な運命に弄ばれながら。
     その時代、かの地で、私は「不和女神エリス」と名乗っていた。

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コメント: 全36件

from: エリスさん

2008年03月17日 15時35分13秒

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「禁断の花園・37」
 エリスが歩いていった方に、ルシーターは寝返りを打った。
 「我が君!」
 エリスはテーブルの上にある神酒の瓶を手に取っていた。
 「心配するな! 抱いてやる!……礼だからな」
 そして杯になみなみと注ぐと、あおるように神酒を飲み干した。
 「……どうして……」
 エリスは音を立てて、テーブルに杯を置いた。
 「我が君?」
 「どうして男なんだ! 私を愛してくれているのなら、そなたとて同性愛者だろう! それなのに、なぜ……なぜ、男と共に居ようとする」
 「我が君……」
 「確かに、そなた一人を愛してはやれない」
 エリスはそう言うと、ルシーターの方を向いた。
 「私は不実な女かもしれない。キオーネーがいたころなら、彼女一人で良かったのに。今は……だからと言って、私は恋人になってくれた女性を蔑ろにした覚えはない。真心をこめて接しているつもりだ。それでも不満なのか……私が女だから、子供を産ませることもできない。恋の形見を残してやれない私では、不満だと言うのか」
 「不満なのではありません、不安なのです。私は……私たち精霊や人間は、いつかは年老いて死んでいく身」
 「だから、男と添って、家族を作ることを望むと?」
 「それが女として生まれた一番の喜び」
 「黙れ!」
 エリスはテーブルを叩いた。――しばらくの沈黙が続き、そして、またエリスが口を開いた。
 「男なんか、どこがいい。……ゼウスを見ろ。この世で最高の女性を手に入れても、何十、何百もの愛人を作り、情欲に溺れている。しかもそれらの女性のほとんどは暴力によって手に入れたものだ。今回のペルセポネーの一件がいい例だろう。そうゆう男が多いんだ、実際に! そんな生き物に、なぜ私は愛するものを殺されなければならなかったのか……」
 「エリス様……」
 「どちらがいい……たとえ禁忌だとしても、誠意ある愛され方をするのと、正常の男女愛と呼ばれながらも男に陵辱され続けるのと、どちらが正しい生き方だ!」
 ルシーターは寝台から降りると、エリスの体を抱きしめた。
 「分かっております、正しいのは我が君だと。でも、すべての男性がそうだと、どうかお思いにならないで。男性になって誠実なお方はおります。現に、あなた様の親友のアレース様はそうではありませんか……」
 「あれは……珍しいんだ」
 「他にも、きっとおりますわ。女性に対して誠意を持って接することのできる男性が。だから、すべての男性に不信感を持たないで」
 「……ルシーター……」
 エリスは、ギュッとルシーターを抱きしめた。
 「私が、あなた様の傍を辞すのは、まだ大分先の話になりますわ、我が君」
 ルシーターはそう言って、エリスを見上げた。
 「それまで、あの少年が誠実な男性に育つように、見守ることをお許しください。あなた様が認めることのできる、立派な男性に育てて見せます」
 「……わかった。その時になったら、暇(いとま)をやる。そなたが見込んだ少年だ。私がケチのつける隙間もないほど完璧な男に育ててみせろ。それまでは……」
 エリスはルシーターの唇に、優しいキスをした。
 「私を癒してくれ、ルシーター」
 「はい、我が君」
 エリスはルシーターを抱き上げると、再び寝台へと上がった。







                           終。

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from: エリスさん

2008年03月17日 14時58分36秒

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「禁断の花園・36」



 「このことがヘーラー様に知れたら……」
 カナトスの泉の番人・ルシーターは、両手で顔を覆いながら、恐ろしさに震えていた。
 「だから、母君に知られぬうちに事を終わらそうとしているのだ」
 エリスはそう言うと、自身の肩のフィビュラを外しにかかった。
 ここは、ルシーターの小屋だった。
 「我が君……」
 「そなたも脱げ。それとも、私が脱がすのがいいか?」
 腰帯を解くと、そのままキトンはエリスの後元に滑り落ちた。男勝りな性格とは不釣合いな、豊満な肢体が現れる。
 その姿を見て、ルシーターは苦笑いをした。
 「口止めのおつもりですか? 我が君」
 「協力してくれるそなたに、お礼をするだけだ」
 するとルシーターの笑みが、満足の笑みに変わった。
 「確かに、いま私が一番に欲しているのは、あなた様の御肌(みはだ)。なにしろ、この三ヶ月、お渡りがなかったのですから」
 ルシーターはそう言うと、キトンを脱ぎ、エリスの肢体に絡み付いて、彼女の胸に顔を埋めた……が、すぐにその顔を離してしまう。
 「もう、エイレイテュイア様とは秘め初めがお済みなのですね」
 ルシーターはそう言うと、エリスの胸の谷間の奥にある痣に、そっと右手の人差し指を添えた。
 「……不満か?」
 「いいえ。所詮は愛人の一人であることぐらい、理解しておりますもの」
 「減らず口を叩く女だ……」
 エリスはルシーターを寝台の上に突き飛ばした。
 そのまま横になったルシーターの上に、覆いかぶさると、今度はルシーターの胸にエリスが顔を埋めた。
 その時、エリスも気づいた。
 「人間の男の匂いがする……」
 その声は怒っている風ではなかった。すると、ルシーターはクスクスと笑ってこう言った。
 「あなた様のこと、その人間の男が、年端も行かぬ少年であることもお気づきでございましょう?」
 エリスは体を起こすと、ルシーターを見下ろしながら言った。
 「泊めたのか? ここに」
 「森で迷子になっていたのを、保護いたしましたの。昨日一晩だけ、泊めてあげましたわ」
 「この寝台で? 私と愛を睦みあっている、この神聖な場所に寝かせたのか。人間の子供なんかを」
 「夜の闇に震えておりましたの。だから……」
 ルシーターは両腕を伸ばして、エリスの顔を自身の胸元に引き寄せた。
 「こうして抱きしめて、勇気付け、慰めてあげましたのよ」
 「なんて奴だ」
 エリスはルシーターの左胸に、噛み付いた。
 「痛いッ」
 「お仕置きだ。私以外の者を受け入れたから」
 「まあ。それ以上のことは何もしませんでしたのに。信じてくださいませんの?」
 「誤魔化すな。そなた、その少年に惚れたであろう」
 「何を……」
 「そなたの心ぐらい、私にはお見通しだ。実際、オーラが微妙に揺れているのを感じる」
 すると、ルシーターはため息をついた。
 「……いつか、あなた様に捨てられてしまうぐらいなら、この少年と共に生きてみたいと、考えたことは事実です」
 「ルシーター……」
 「我が君……あなた様は、いつまでも亡くなられた奥方を忘れられない方ですから、いつかは、仮初めの私のことなど……」
 その先の言葉を言わせないように、エリスは今度は乳首に噛み付いてみせた。
 ルシーターが痛がっているのに、しばらくそのまま離そうとしない。
 「我が君、やめて!」
 ルシーターが悲鳴をあげたことで、ようやくエリスの歯がそこから離れた。
 「減らず口を叩くからだ……」
 血が出ていた。
 エリスはその上に左手を当てると、「治れ……」と言霊をかけて、元に戻してやった。
 そして、ルシーターから離れて、寝台を降りた。

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from: エリスさん

2008年03月17日 14時21分18秒

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「禁断の花園・35」
 「まあ! なんて素敵なところ!」
 ペルセポネーは両手を握り合わせて感動していた。
 目の前に広がるのは、緑の森に囲まれた泉。その泉は太陽の光を受けて、まるで自ら輝いているように金色に煌めいていた。
 ペルセポネーの喜びに気を良くしたように、エイレイテュイアは言った。
 「いいでしょう? 私の秘密の場所なのよ」
 ――そこはカナトスの泉だった。ペルセポネーを純潔に戻すために、エイレイテュイアたちは嘘をついて連れ出したのである。
 恐怖の記憶をすっかり忘れたペルセポネーは、なんの疑いもなく異母姉たちに付いてきた。
 「この泉はね、病気の治癒に効果があるの。あと、美容効果もね」
 エイレイテュイアはそう言うと、率先してキトン(ギリシアの民族衣装)を脱ぎ始めた。
 「さあ、ペルセポネーも遠慮しないで」
 ヘーベーも続けてキトンを脱ぐので、恥じらいながらもペルセポネーはキトンを脱ぎ、泉の中へ入っていった。
 「うわっ、冷たくて気持ちがいい……」
 足をつけただけなのに、ペルセポネーは大はしゃぎだった。
 「もっと奥までいらっしゃい。肩まで浸かれるぐらいの深さまで」
 エイレイテュイアの手招きに、ペルセポネーは転ばないようにゆっくりと歩いていき、彼女のそばで身をかがめた。
 その途端、あっ、とペルセポネーは声を漏らした。
 「どう?」
 エイレイテュイアが聞くと、
 「なんだか、お腹の中が引き締まったような感覚があったわ」
 「それはきっと、胃腸が弱っていたんだと思うわ。それが今、治ったのよ」
 「ええ、きっとそうね、お姉様……でも不思議、どうして私、十ヶ月も眠っていたのかしら」
 記憶を消したのはいいが、月日が経っていることを誤魔化すことはできず、ペルセポネーはずっと眠っていたことにされたのである。
 「ペルセポネーは意識を失くされる前、ハーデース様と野遊びをなさっていたそうですね」
 そう言ったのはエリスだった――エリスは泉には入らず、岸辺で精霊の少女と一緒にいた。
 「ええ、そうなの。綺麗な花を見つけて、叔父様に摘んできてもらいに行ったところまでは覚えているのよ……」
 「ハーデース様は油断して、足を滑らせたと聞いていますが」
 「そうだったみたいね。そこは覚えていないのだけど、叔父様がそうおっしゃっていたわ」
 「ペルセポネーはその時、愛する恋人の危機に失神してしまわれた。もしかしたらその一瞬で、永遠に会えなくなってしまうかもしれない……その恐怖が、あなたを長い眠りにつかせたのですよ」
 「そう……なのかしら?」
 「つまりこうゆうことね」と、ヘーベーが言った。「それだけペルセポネーは、ハーデース叔父様を熱愛しているってことよ」
 「やだ、ヘーベー姉様ったら!」
 ペルセポネーが恥ずかしがっている間に、エリスは精霊の少女を連れて歩き出した。
 それに気づいたペルセポネーは、
 「あら、エリスは入らないの?」
 「いいのよ。エリスお姉様には野暮用があるの」
 と、ヘーベーが言うと、エイレイテュイアが面白くなさそううな表情をした。
 「あの子はなんだったの?」
 「私たちが雇っている、この泉の番人。そして、エリスお姉様の恋人」
 「ああ、そうゆうことなの」
 新たな来訪者が来たのは、そんな時だった。
 「まあ、こんなところに、こんな綺麗な泉があっただなんて」
 月と狩猟の女神・アルテミスだった。そばには従者らしい女も居る。
 「あら! アルテミス」
 と声を掛けたのはエイレイテュイアだった。「狩りの帰り?」
 「はい、エイレイテュイア様。だけど今日はいい獲物が見つからなくて、代わりに、ちょっと転んで膝を擦りむいてしまいましたの。差しさわりなければ、ここで膝を洗っていっても構いませんか?」
 「だったらちょうどいいわ。この泉は治癒の泉なの。あなたも水浴びをしていきなさいな」
 「よろしいのですか?」
 「どうぞ。さあ、あなたもキトンを脱いで」
 アルテミスは遠慮なくキトンを脱いで、従者の女に手渡した。
 そして泉に入ってくると、彼女もペルセポネーのように声をあげた。
 「大丈夫?」
 ペルセポネーに聞かれて、アルテミスは恥ずかしそうに答えた。
 「はい。ちょっと……他にも擦り傷があったようで、沁みましたの」
 「だったら、もう大丈夫よ」
 とエイレイテュイアは言って、アルテミスの方へ近づいた。「この泉に浸かれば、たちまち治ってしまうから」
 そして、水の中でアルテミスの手をとったエイレイテュイアは、ペルセポネーに気づかれないように耳打ちをするのだった。
 「気をつけなさい……」
 「すみません……」
 岸にいる従者は、それまで緊張した面持ちをしていたが、ようやく安堵の息をついたのだった。

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from: エリスさん

2008年03月14日 17時41分15秒

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「禁断の花園・34」


 ヒュプノスの腕の中で眠ってしまったエリスは、次に目覚めた時には見慣れた部屋の中にいた。
 エリスが愛用している、東洋で手に入れた前合わせの夜着にも着替えている。
 そして横を見れば、部屋の持ち主が座っていた。
 「目が覚めた? あなた」
 エイレイテュイアだった。
 「ああ……どれぐらい眠ってた?」
 「半日ほどよ。ヒュプノス殿には〈三日ぐらい眠ってるかもしれない〉って言われてたのだけど」
 「そんな悠長にしていられないからな……」
 「そうね、急がなければいけないから。それが気になって、あなたは早く目覚めたのね。さすがだわ」
 「レーテーは?」
 「あの子はまだ寝ているわ。ヘーベーが見ているから大丈夫よ……だから今、隣室には誰もいないの」
 窓の外は夜――。
 この三ヵ月、エイレイテュイアも我慢のし通しだったのだろう。
 「あなたは何もしなくていいから……」
 エイレイテュイアはそう言うと、腰帯を解いてから、肩のフィビュラ(肩留め)をはずし、服を脱いだ。
 「いいでしょ?」
 「……好きにしろ」
 協力してもらったご褒美かな、とエリスは観念した。いつもはエリスがエイレイテュイアの肢体を愛でるのだが、たまにはその逆を味わうのも悪くない。
 エイレイテュイアはエリスの夜着の帯を解くと、そのまま胸をはだけさせた。
 透けるような白い肌が柔らかく膨らんでいる、その魅力に吸い寄せられるように、エイレイテュイアの唇が触れる。
 エリスは、息を呑むことで声をこらえた。
 その仕草が憎らしかったエイレイテュイアは、エリスの唇に激しくキスをしてから、言った。
 「いつもの私のように乱れてくれなきゃ、やめてあげないから」
 「そんなの私のキャラじゃないよ」
 「だめよ。ちゃんと声を出して」
 エイレイテュイアはエリスの口の中に自分の左手の親指だけを入れて、口を閉じさせないようにした。
 そして右手で、エリスが一番感じやすくなっている部分を、撫でていく。
 堪え切れず、甘い声を発した、その時だった。
 「恐れ入ります、エイレイテュイア姫御子さま」
 声の主は窓の外にいた。
 エイレイテュイアは寝台から下りると、窓の下に控えているらしい女に向かって、言った。
 「無礼者。いま私がなにをしていたか判断できたはずです。普通なら出直すのが当たり前ではありませんか」
 「もうしわけございません。しかし事は急を要しますもので。どうか、我が主人をお助けくださいませ!」
 女が喋っている間に夜着を着たエリスは、エイレイテュイアにも服を羽織らせた。
 そうしてエイレイテュイアが窓の下をのぞくと……。
 「そなたは……」
 見たことがある人物が、跪いていたのだった。

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from: エリスさん

2008年03月14日 13時55分57秒

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「禁断の花園・33」
 「私の記憶を消すの?」
 ペルセポネーはそう言って、苦笑いをした。
 「記憶は消しても、私の体には子供を産んだ跡も、純潔を失ったことも残るのよ。そんなことに意味があって?」
 「カナトスの泉をご存知ですか?」
 エリスの言葉に、ペルセポネーは驚いた。
 「ヘーラー伯母様が所有なさっている神秘の泉。その泉に入ったものを純潔に戻すという……まさか、伯母様がお許しになるはずがない。私は、伯母様からすれば、夫を寝取った女なのよ。そんな女に、大事な泉に入ることを許されるわけが……」
 「今、母君は行方を眩ましています。母君が戻ってくる前なら、それも可能です」
 「伯母様が知らぬうちに? でも番人がいるはずよ」
 「その番人は、私の手の内にあります」
 ペルセポネーは少し呆れたが、それでも、ため息をついてこう言った。
 「だったら、伯母様が戻ってくる前に、事を急がねばならないのね。いいわ、あなたに任せるわ、エリス。私の記憶を消して」
 「では……」
 エリスはペルセポネーを優しく抱きしめると、彼女と額を併せた。


 寝台の上のエリスが、目を覚ました。
 それを見て、ヒュプノスは安堵の息をついた。
 「大事無いか、エリス」
 「はい、兄君……すぐに、ここを離れましょう、兄君。ペルセポネーが目を覚ます前に」
 せっかく消した記憶も、この場にエリスたちがいることで思い出してしまうかもしれない。すぐにそれを察したヒュプノスは、自分がエリスを抱き上げ、エイレイテュイアにレーテーを連れ出すように頼んで、すぐに部屋を出た。
 そこに、ハーデースがいた。
 「皆さん、よくやってくだされた。礼を……」
 「いいえ、ハーデース様」と、エリスは相手の言葉を遮った。「私はやはり未熟者です。ペルセポネーの恐怖の記憶を消すために、それにつながる知識をも抜き取るしかなく……」
 「知識?」
 「男女の営みに絡む、すべてを。それらも消してしまわなければ、ペルセポネーはすぐにも恐怖を思い出してしまいそうだったのです。それだけ、ペルセポネーが受けた傷は大きかった」
 「そうか。つまり……わたしと結婚しても、子供を作ることはできないと……」
 「お許しください……」
 「いや、それでいい。体だけが夫婦のつながりではない。わたしは心でペルセポネーを愛しているのだから……良くやってくれた、エリス。ヒュプノス、レーテーも。あなた方の働きに感謝する」
 その時、ペルセポネーが目覚める声が聞こえた。
 エリスたちは黙って立ち去り、ハーデースとデーメーテールはそろってペルセポネーの寝室へと入っていった。

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from: エリスさん

2008年03月10日 10時45分47秒

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「禁断の花園・32」
 ペルセポネーが走り去ろうとするのを、エリスは必死に捕まえた。
 「待ってくれ! ペルセポネー!」
 「やめてッ。私はもうペルセポネーじゃないの! そんな資格はないのよ! お父様がそれを奪い取った!!」
 「ペルセポネー! あなたは汚(けが)れてない!!」
 その言葉で、ペルセポネーはエリスの腕の中で抵抗するのをやめた。
 「エリス? 何を言っているの。あなただって、たった今、見たでしょ? あんなおぞましい事があったのよ。その上、罪の子まで……」
 「それらは、あなたに何の落ち度もないこと。あなたは暴力で組み敷かれた。でもそれは、あなたが望んだことではない。子供を宿したこともまた然り。違いますか?」
 「そうよ。私はそんなこと望んでない。本当は叔父様に恋したときから、早く叔父様のものになりたくて堪らなかった。だけど、ちゃんと縁談がまとまるまでは、身を清くして健全にお付き合いするのが、女性のあるべき姿だと、そう教えられてきたし、自分でも思っていたから、だから、愛らしさの仮面をかぶって、叔父様への熱情も押さえ込んできたのに。こんな、こんな形で……しかも実の父親に!」
 「そうゆう風に考えられる、あなたの心こそが、汚れていない証拠なのです。ペルセポネー、女神の中には、自分から浮気に走って貞操を汚す者もいるのですよ。その者たちは、自分がどんなに汚れているかということも自覚できないほど、心が腐れきっている。でも、あなたは違う。自分には一切落ち度はないのに、自分は汚れていると、そう考えてしまう気持ちは、それだけあなたの心が高潔だからです。心が美しいからこそ、思うのですよ」
 「……エリス……」
 ペルセポネーがもう逃げないと察したエリスは、腕の力を緩めてあげた。するとペルセポネーはエリスから少し離れて、それでも彼女と面と向かって立った。
 「私の心が美しい? ちゃんと私が言ったことを聞いていたの? 私、叔父様のものになりたいのに我慢していた、って言ったのよ。淫らな考えだと思わないの?」
 「愛する人とは結ばれたい――当たり前の気持ちですよ。それを淫らと言うなら、夫婦はみんな淫らということになるではありませんか」
 「ああ、そうね」と、ペルセポネーはクスクスッと笑った。
 「それでも、そうゆう風に考えてしまうあなたの心は、それだけ潔癖だということです。ペルセポネー、あなたのその美しい心を、ハーデース様も愛されたのですよ」
 「……うん……」
 「だから、帰りましょう、現実世界に」
 だが、ペルセポネーは尚も首を横に振った。
 「現実に戻っても、私はまたすぐに正気を失うような気がするの。特に、お父様に会ったりすれば……」
 「恐怖の記憶が消えない限り、またこうなってしまうと?」
 「ええ……本当は、死んでしまいたかったの。それぐらい恐ろしいことだったのよ。でも私は、不老不死だから死ぬことができなかった……」
 「それならば、心配に及びません。私はこの三ヶ月間、我が娘のオーラを浴び続けていたおかげに、娘の力を一時的に使えるようになっているのです」
 「あなたの娘って……」
 「忘却の女神・レーテーです」

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from: エリスさん

2008年03月10日 10時07分13秒

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「禁断の花園・31」



 面立ちは母神に似ていながら、愛らしい少女の雰囲気を残すペルセポネーは、なんの気後れもせずにエリスの前に立っていた。
 「……探しました」
 と、エリスは言った。「この三ヶ月、ずっと」
 「まあ、こんな所にまで? どうしてあなたが?」
 義理の従姉妹にはなったものの、それほど親しい間柄ではない。オリュンポスでは挨拶を交わす程度である。エイレイテュイアやヘーベーと一緒にいるときにペルセポネーと会ったなら、それなりの会話はしていたが。
 「あなたをこの闇から連れ戻せる力を持った者が、我が兄しか見当たらなかったのです。私は今、兄の駒となってあなたを探す役目を負っていました」
 「私を……連れ戻すの?」
 「戻らなければいけません。このままここに居てはいけない。あなたの母君も、冥界の王も、あなたが戻ってくるのを待っているのですから」
 「……叔父様が……」
 「戻りましょう、ペルセポネー」
 「いや……」と、ペルセポネーは耳をふさいだ。「その名で、呼ばないで」
 「ペルセポネー……」
 「その名は、冥界の王妃となるために叔父様が下された御名。母も、私の周りの誰もが、私がこの名を名乗ることを祝福してくれたのに……あの、お父様でさえ」
 その言葉に、エリスは息を呑んだ。
 確かにそうだった。それまで「コレー」と名乗っていた彼女が、叔父であるハーデースからその名を貰った時から、二人は婚約したも同然だった。周りはそれを認めた。けれど今思えば、ゼウスだけはしぶしぶ承知したような感じだった。
 おそらくその時から、ゼウスはいつかペルセポネーを自分の物にしようと企んでいたに違いない。その企みに気づかれないためにも、コレーがペルセポネーと改名するのを止めるわけにはいかなかったのだ。
 「でも今は、私にその名を名乗る資格はないわ」
 「なにを言われるッ」
 「あるわけがないわ! こんな汚れた体で!」

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from: エリスさん

2008年02月29日 11時03分05秒

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「禁断の花園・30」
 エリスはつい、両手を握り合わせて、そこに霊気を溜めていた。今にもゼウスに向かって紫の炎の玉となった霊気を、投げつけようとした時だった。
 「落ち着け、エリス! そこはペルセポネー殿の心の世界だッ。そんなところで破壊のオーラを放てば、ペルセポネー殿が死ぬ!」
 そう言われて踏み止まりはしたものの、エリスの全身に沸き起こった怒りを抑えきることはできず、拳の中に炎をみなぎらせたまま、エリスは体を震わせていた。
 「エリス、落ち着くのだ。それは残像だ、過去なのだ。今、おまえが神王を殺しても、ペルセポネー殿に降りかかった不幸は消えない」
 エリスは無理に深呼吸をして、気持ちを落ち着けようと努力する。しばらく時間はかかったものの、目の前の残像が消えてくれたことも手伝って、ようやくエリスは怒りを収めることができた。
 しかし、今の出来事のおかげで、確信できたことがある――この近くに、いる。
 エリスはまた歩き出した……そして。
 「エリス?」
 小鳥のさえずりのように美しい声が、エリスを呼び止めた。
 振り向くとそこに、彼女がいた。


 「嘘よ。悪い冗談なのでしょ? ヘーラー様。あなた様が、そんな……」
 ゼウスの前から姿を消して、三ヶ月。それなのに、ヘーラーの胎内にいる新しい命は、まだ二ヶ月にも達していない。
 つまり、ヘーラーが宿した子供は、夫の子供ではない。
 「誰の……御子ですか? ヘーラー様」
 歩み寄るアテーナーを、ヘスティアーは引き止めた。
 「お願い、見逃して、アテーナー! ヘーラーは悪くないのよ。元はと言えば、すべて……」
 「ええ、分かっていますわ! すべての元凶は神王陛下です! でも、でも……」
 今まで、必死にヘーラーを探してきたのは、母親のいなかった自分を実の子のように世話してくれ、貞節の尊さを優しく厳しく説いてくれたからこそだった。それが、出奔の間にこのような姿になっていようとは……。
 アテーナーが泣き出してしまうのも、無理はない。
 「誰の子供なんですか! ヘーラー様ァ!!」
 その時だった。
 「斎王神(さいおうしん)様に申し上げます」
 背後からの声に振り向くと、そこに、ヘーラー達の母であり、前王后のレイアーが立っていた。
 「神王陛下が末子でありながら、その地位に着いておられるのは、何故だかお分かりですか? 斎王様」
 「それは……前神王を、おばあ様の庇護のもとに倒されて……」
 「そう、この私の庇護のもとにです。そして、さらに正統性を添えるために、前神王と私の嫡女たるこのヘーラーを正妃とすることを許してやったものを……」
 レイアーはその若くて美しい面立ちに、ふつふつと怒りの表情を表した。
 「それを、陛下はなんと心得ておられるのか! 陛下にお伝え下さい。陛下がそれなりの誠意を示さぬうちは、女王はこの母が返しませぬ!!」
 レイアーの怒りに、アテーナーは何も言えなかった。

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from: エリスさん

2008年02月29日 10時42分58秒

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「禁断の花園・29」



 ヘスティアーが通う場所を突き止めた。
 『これではわからないはずだわ』
 大地の女神ガイアの領地にある、偶然が折り重なって、木々や岩が自然と結界を作ってしまった場所。その一画に、大きな穴が開いた岩があった。見ると穴は地中に掘られた洞穴への入り口になっていた。
 人の手によった物ではない自然にできた結界では、おかしいと感じることはできない。アテーナーは裏をかかれた思いだった。
 自然結界の中に入ると、さらに三柱の女神――大地の女神ガイア、前王后神レイアー、そして前斎王のヘスティアーが結界を張っていた。こんなに頑丈だと、これ以上中へ入れるのは、結界を張った本人たちと、どんな結界をも通り抜けられる斎王のアテーナーだけである。クラリアーを供に連れてきたアテーナーだったが、仕方なく彼女をその場に待たせて、一人で中へ入っていった。
 途中にいくつかの明かりが設置してある。燭台の古さからいって、ここに長く人が住んでいることは間違いない。どんどん進んでいくと、人の話し声が聞こえてきた。
 「今日は果物を持ってきたのよ」
 ヘスティアーの声である。
 奥へ行くにつれて、明かりが強くなっていく。そして行き止まりになったところに……。
 「お探ししました、ヘーラー様」
 驚いた表情をしたのは、ヘスティアーだけだった。
 ヘーラーは驚くどころか、表情がなく、何事かぶつぶつと呟いていた。
 「……ヘーラー様……」
 明らかに正気ではない。そのことだけでもアテーナーにはショックなのに、さらに衝撃的な事実を感じ取ってしまう。
 ヘーラーの胎内から、波動を感じる。
 まだ人の形も成さない、小さな命の波動を。


 闇に、足を踏み入れる。
 ようやく辿り着いた、ペルセポネーの深層意識。ここに、悲しみに捕らわれた彼女の魂がいるはずである。
 エリスは、一歩一歩慎重に歩いていた。
 時折、ペルセポネーの悲痛な叫び声が、こだましてくる。その声に、レーテーは自分も悲しくなって、胸が苦しくなってきた。
 「レーテー、心を落ち着けよ。そなたがそんなでは、エリスが困るのだ」
 伯父に言われ、レーテーは我に返った。
 「すみません、伯父君」
 「さあ、落ち着いて、母君に霊力を送ってあげるのだ」
 レーテーが我に返ってくれたおかげで、エリスも気分が落ち着いてくる。この術はまさに三位一体で行わなければ命取りになる。
 やがて、ペルセポネーの悲鳴が近いものになってきた。
 そして、エリスは見てしまった。
 ペルセポネーの恐怖の記憶――ゼウスに組み敷かれている、まさにその場面。
 ゼウスの顔に、罪悪感はなかった。むしろ、歓喜と悦楽の、この上ない幸福の絶頂、そして、狂気の表情。
 これで怒りを覚えない方がおかしい。
 「ゼウス……貴様ァ―――――――!!」

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from: エリスさん

2008年02月28日 16時01分38秒

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「禁断の花園・28」



 こんなにまで美しい花園を、エリスはかつて見たことがない。
 その景色のあちこちに、幸せしか知らないペルセポネーの笑顔と、それを嬉しそうに眺めるハーデースの姿があった。
 ペルセポネーとハーデースがどんなに引かれあっているかが分かる。
 いつまでも、そんな光景を見ていたいけれど……。
 花園の向こう、まだまだ辿り着けそうにない奥地に、闇が見える。
 『もしかして、あそこにペルセポネー殿の魂が?』
 エリスが歩を進めようとした時だった。
 「エリス、少し休もう。レーテーが疲れてきている」
 ヒュプノスの声が聞こえてくる。
 すると直ぐに、娘のレーテーの声も聞こえてきた。
 「いいえ、私は大丈夫です、伯父君。続けましょう、母君。まだ、目的地は遥か遠いのですから」
 なので、エリスは優しく諭すように言った。
 「吾子(あこ)よ。急いてはことを仕損じる。道のりが長いからこそ、焦って体を酷使しては、いざという時に何もできぬ。この術がとても危険なものであることは、理解しているな。休息を取ることも必要なのだ」
 「……はい、母君」
 「ではエリス。そこで待機していてくれ」
 ヒュプノスに言われて、エリスはその場に腰を降ろした――柔らかい草が、心地よい。
 ヒュプノスがいったん手を休めたのを察したエイレイテュイアは、二人に食事を運んできた。
 「ありがとうございます、姫御子。いつものようにお願いしますよ」
 「ええ、お安い御用ですわ」
 エイレイテュイアの返事を聞いて、レーテーは恥ずかしそうに、母がいる方とは反対の方を向いた。
 エリスはこの術の間は食事ができないので、誰かが口移しで神酒を飲ませてあげなくてはならない。ヒュプノスは実兄であるし、娘のレーテーがやるわけにもいかず、それで恋人であるエイレイテュイアがその役を任されることになったのだ。レーテーにしてみれば、母と義理の伯母との関係は、それなりに理解はしているものの、やはり直視できるものではない。だからと言って、エイレイテュイアが嫌い、というわけではない。
 エイレイテュイアに神酒を飲ませてもらったエリスは、心なしか頬に赤みが戻ってきた。
 「ありがとう、エイレイテュイア」
 エリスの声は、ちゃんとエイレイテュイアにも届いていた。口を動かしているわけでもないのに。術をかけられている間は、その術者にしかエリスの声は聞こえないはずなのだが、つながりが長いと、人智を超えたこともできるものらしい。
 「今、どうゆうところにいるの? あなた」
 「見渡す限りの花園だ。今、ハーデース様が鬼になって、ペルセポネーと鬼ごっこをしていらっしゃるのを、呑気に眺めさせてもらっている」
 「まァ、叔父様がそんなことを?」
 「冥界の王の威厳はどこへやら、だ。だがそこがいい。やはりペルセポネーは冥王の后としてお生まれになったのだ。あれほどまでに想いあっている二人を、絶対に引き離してはいけない。エイリー、私はゼウスが憎くてたまらない。いつか、あいつに復讐してみせる。キオーネーやペルセポネーの分まで……」
 「……あなた……」
 複雑な思いだった。エリスは妻と母親にしか弱いところを見せない、という哲学を持っている。だから、今こうして本音を話してくれるのは、自分を信頼してくれている証ではあるけれど、その本音の内容が、エイレイテュイアには辛い。
 おそらく、今のエリスはエイレイテュイアがゼウスの娘だということを忘れている。
 忘れてほしい、ただの女として愛してほしいと願っていたぐらいだから、喜ばしいことなのかもしれない。なのに……。
 返事が戻ってこないことで、エリスはようやくそのことに気づいたようだった。
 「すまない、つい……」
 「……いいえ。気にしていないわ、あなた」
 相手の表情は見えないまでも、声の調子でエイレイテュイアが沈み込んでいることがわかる。エリスはそんな彼女に、お願いした。
 「神酒、もう一口くれないか? もう少し力をつけておきたい」
 「ええ、いいわ」
 エイレイテュイアは神酒を口に含むと、エリスに飲ませてあげた。
 その時間が、長い。
 神酒はなくなっても、エイレイテュイアは愛する人と唇を重ねていたかったのだ。


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from: エリスさん

2008年02月28日 15時14分03秒

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「禁断の花園・27」
 アテーナーはまた途中で言葉を切った――頭の奥で、彼女を呼ぶ声がしたのだ。
 「あの御方がお呼びだわ。戻らないと」
 アテーナーは杯をテーブルに戻そうとして、ちょっと躊躇ってから「おかわり、くれる?」とクラリアーに杯を差し出した。
 クラリアーは軽くため息をつきつつも、アテーナーの杯におかわりを注いであげた。
 《わが巫女よ、なにをしているのです》
 男か女か分からない声が、尚も響いてくる。
 「言われなくても参ります、宇宙(そら)」
 アテーナーはそれでも、神酒を味わって飲んでから、祈りの間へ戻っていった。
 声の主は、別段怒っている様子もなく、祈りの間の中に己の霊気を漂わせていた。
 実体は見えない――いや、既に見える見えないの問題ではない。この世のすべてがその「御方」なのだから。
 《私と語らうよりも、恋しい男から貰った酒を飲む方が大事なのですか、わが巫女よ》
 宇宙の意志の言葉に、アテーナーは微笑みながら答えた。
 「女とはそういうものなのですよ、宇宙(そら)」
 《あなたはただの女ではない。誰よりも清廉で、誰よりも気高い、わたしの巫女殿。あなたが俗世にまみえるのは、あまり良い傾向ではありませんね》
 「そう仰せられながらも、貴方様は私がヘース様に恋焦がれるのをお叱りにはならない。なぜなのです?」
 《あの者が誠実で、なによりもあなたを大切に思っているからですよ》
 「本当にそうでしょうか? 私には、貴方様のお言葉に、もっと深い御心を感じるのですが」
 《深い心とは?》
 「……いいえ、やはり今は、その議論は止めてきましょう」
 と、アテーナーは表情を曇らせた。「もし貴方様が、私が思っている通りのことをお考えなのだと知ってしまったら、それこそ私は、あの方への想いを抑えることができない……」
 すると、彼女の周りに温かい慈悲の心が集まって、優しく包み込んだ。
 《これだけは言っておきましょう、わが巫女よ。その想いを大事にしなさい。人を愛する心を持たぬ者に、世界を守る資格はありません》
 「……宇宙……」
 しばらくアテーナーを慰めた宇宙の意志は、爽やかな風を吹かせた後、元の状態に戻った。
 《王后神の捜索は進んでいますか?》
 「……そのことについて、お聞きしたいことがあります」
 《なんですか?》
 「すべては貴方様の御意志なのではありませんか? お父様がペルセポネーを無理強いたのも、王后陛下が社殿を出るように仕向けたのも」
 宇宙の意志はしばらく黙っていた。だが、その通りらしいのは、アテーナーの周りに立ち込めている霊気の具合で感じられる。
 「何故なのですか? 宇宙よ。何故、わざわざ彼らを苦しめたのです」
 《……必要だったからです》
 「なんのために?」
 《それこそ、今は議論すべきことではありません。あなたも関わらなければならないのですから》
 「……そのうち、分かる――ということ、ですか?」
 《そう……あなたと、もう一人。わたしが次世代に繋ぐ者として選び、今、永き試練を耐えているあの者が、この度のことには深く関わってくるのです。……あの者は、今どうしていますか?》
 「聞かずともご存知でしょう。ペルセポネーの治療に当たっています。命がけで」


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from: エリスさん

2008年02月21日 16時47分10秒

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「禁断の花園・26」
 「はい……神王陛下は、まだご気分が優れませんようで」
 「また女漁り? しょうもない方」
 ヘーラーが出て行ってからと言うもの、社殿にいるのが嫌なのか、下界へ降りては人間に化けて若い娘をむさぼっていたのである。アテーナーに言わせると全く学習能力がなく、彼を支持する男たちに言わせると、それだけ妻に逃げられて寂しいのである。
 それでも一応、神王としての役目だけはこなしている。
 例のザクレウスの心臓であるが、ゼウスの愛人に体が弱くて子供に恵まれない婦人がいるのだが、彼女の胎内に移植して、ザクレウスの心臓が持つ神力によって五体が再生されるのを待っているところだった。恐らくもう金色のオーラを持って復活するだけのパワーはなくなるだろう。それでも十二柱(オリュンポスで最も力を持つ神のうちの十二人までを言う)に匹敵するだけの力は残されるだろう。また、なによりも子が生めなかった婦人に、出産の喜びを与えることができるのであるから、悪い話ではないだろう。
 そして、ゼウスは己が焼き滅ぼしたティーターンの鬼どもの灰を使って、新しい人種を創り出した。もともとが鬼の灰であるから、低俗で殺戮好きの人種として生まれはしたものの、金色のオーラを持つザクレウスの血肉を食(は)んだのである。やがて知識と慈愛に目覚め、数々の文明を築き、平和こそが人類のあるべき姿と悟ることのできる人種として、成長していくに違いない。
 転んでもただでは起きないのが、ゼウスのゼウスたる所以なのかもしれない。
 「あんな男を父親として持ったのは、私の宿命かもしれないわ」
 アテーナーが言うと、跪いていた侍女は立ち上がり、こう言った。
 「君様、お父上を悪し様に言われるものではございません。人の手本となられる君様が、そのようなことをなさっては、人間たちも親を敬う心を失ってしまいます」
 もっともなことを言われて、嘆息はついたものの、微笑んでみせるアテーナーだった。
 「ありがとう、クラリアー。あなたがいるから、私は悪い女にならずに済むわ」
 「恐れ多いお言葉にございます」
 「本当よ。ヘスティアー伯母様には感謝しているの。私が斎王になった時、前斎王であった伯母様が、ご自身の侍女であるあなたを下賜してくだされた。あなたの支えがあったからこそ、幼かった私が斎王を務めていられたのだわ」
 まあ、恋路は邪魔してくれるけど――という気持ちは抑えて、アテーナーは侍女にニッコリとしてみせた。
 クラリアーと呼ばれた侍女は、その時なにか思い出したのか、ハッとした表情になった。
 「その、ヘスティアー様のことでございますが……」
 「……どうかして?」
 「昔なじみの精霊(ニンフ)と昨日会ったのですが、その者が気になることを申していたのです。このところ、ヘスティアー様が供も連れずに、しかも夜更けにお出掛けになられることがあると。まさか、あの純潔を自らに誓った御方が、どこぞに愛人でもお抱えなのではないかと」
 「まさか! ありえないわ。あの伯母様が愛人だなんて。供も連れずにお出掛けということは、それなりに深いご事情が……」
 そこまで言って、アテーナーは口許に手を持っていった。
 しばらく考える。
 「どこへ出掛けているのかは、わかっているの?」
 「いいえ、そこまでは」
 「調べて。私の考えが合っていれば、きっとそこに……」

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from: エリスさん

2008年02月21日 16時22分06秒

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「禁断の花園・25」
 「もう一度説明します。先ず、エリス、おまえを眠りにつかせ、ペルセポネー様の深層意識に導く。そこでおまえは、彼女の心を見つけて、連れ戻すのだ。レーテー、おまえも我らと霊波を合わせ、母君に力を送ってやるのだぞ。……皆様、この術は一日やそこらでは終わらぬかもしれませぬ。なるべく意識を集中させるためにも、この部屋を我らだけにしていただきたいのですが……」
 「承知した」と言ったのはハーデースだった。「しかし、何日も掛かるとなると、全く様子を見に行かぬわけにはいくまい。そうっとなら、覗いてもよろしいか」
 「はい。なるべく静かにお願いします」
 「では、姉上、エイレイテュイア、我らは他の部屋へ……」
 ハーデースが他の二人を連れ出してくれ、ニュクスの一族は早速、術を始めるのだった。
 ヒュプノスの呪文に導かれて、エリスは深い眠りに陥った。
 深く、深く、落ちていく。
 その先に、光が見えた。
 ペルセポネーの深層意識の入り口は、一面の花園だった。
 


 王后神ヘーラーの行方は、ようとして知れなかった。
 あれからもう、三ヶ月も過ぎている。
 処女神宮でヘーラーの霊気を追っていたアテーナーも、だいぶ疲労が溜まったのか、祈りの間から出てきて、侍女が差し出した神酒に口をつけて、休んでいた。
 「ヘーパイストス様から、何かご連絡は?」
 アテーナーが聞くと、侍女は恭しく跪きながら、答えた。
 「君様がお籠もりの間に、一度ご様子を見にいらっしゃいまして、祈りの間においでであることを申し上げましたら、邪魔をしてはならぬからと、すぐにお帰りになりました」
 それを聞き、アテーナーはやや怒り気味に言った。
 「どうして!? すぐに知らせてくれなかったの」
 「なにを申されますか、君様。斎王のお勤めの邪魔をしてはならぬと、あの方がご自分でおっしゃられたのですよ。よく分を弁えていらっしゃるではありませんか」
 「……そうかもしれないけど……」
 この侍女は、斎王とは異性との交わりは断って当然、と考えているようで、ヘーパイストスがアテーナーに近づくのを快く思っていない。それでこんな冷徹な行動を取るのである。
 「しかしまあ、そうがっかりなさいますな。君様が今、その手にされている神酒は、ヘーパイストス様からの差し入れでございます。君様のお疲れを癒す薬になるだろうと、今朝早く届けて下されたのですよ」
 「まあ、これが?」
 あの方らしい……と、アテーナーは思った。常にアテーナーのことを考えてくれている。自分を抑えてくれている。
 『あの時、斎王の役目を楯に、あの方の愛を拒んだこの私のために……ヘーパイストス様、そんなだから、私は……』
 愛しさで苦しくなる……。
 長女として生まれてさえこなかったら、誰はばかることなくヘーパイストスの妻になれたものを。愛する人のために衣を織り、食事を作り、日々の疲れを癒して差し上げるのに……。
 自分を外界へ飛び出させてくれた人。彼がいなかったら、今の自分はなかったかもしれない。それぐらい、大きな存在なのに。
 愛している、という言葉さえいえない。
 アテーナーは深いため息をつき、気持ちを落ち着かせてから、再び侍女に言った。
 「お父様は、その後どうなの?」

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from: エリスさん

2008年02月21日 15時19分59秒

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「禁断の花園・24」
 しばらくすると、夜の闇に漆黒の翼をはためかせながら、若い娘を抱えた男神がエリス達の前に降り立った――眠りの神・ヒュプノスである。抱えられていたのはエリスの娘で、見た目の年齢は九歳、でも実年齢は三歳のレーテーだった。
 「兄君、なぜレーテーまで?」
 エリスが聞くと、
 「恐らくこの子の力も必要になってくるだろうと思ってね。――しばらく見ないうちに、レーテーは益々おまえに似てくるな」
 「リーモスにはお会いになりませんでしたか? 兄君」
 「ああ、あのやんちゃ坊主か、おまえの長男の。あの顔は子供のころのわたしかな」
 「ええ、そっくりです……どうぞ、こちらへ」
 エリスは真顔に戻ると、ペルセポネーの寝室に彼らを案内した。
 寝台に横たわるペルセポネーをしばらく見ていたヒュプノスは、「なるほど……」と呟いてから、エリスの方を向いた。
 「おまえの憶測通りだ。彼女の心は、深い闇の底、深層意識の奥底に捕らわれている。ただ呼びかけるだけでは目覚めぬわけだ」
 「では、やはり……」
 「誰かが、彼女の深層意識の中へ降りて行き、連れ戻すしかない」
 するとデーメーテールが言った。
 「私が行きます! 私の娘です!」
 だが、ヒュプノスは優しく首を横に振った。
 「あなた様では無理なのです、デーメーテール様。この術は大変難しい。下手をしたら助けにいったその者まで、ペルセポネー様の意識に捕らわれてしまうかもしれない。彼女の意識に入って行けるのは、術をおこなうわたしと霊的に近い存在であり、さらにペルセポネー様の悲しみを理解できるもの――それは、我が妹のエリスしかいないのです」
 それを聞き、母親として何もできぬ自分を嘆きながら、デーメーテールはエリスを抱きしめ、すべてを任せる決意をした。
 「では、ここに寝台をもう一つ用意してください。すぐに術に入ります――エリス、ちょっとこっちへ」
 皆が準備をしている間に、ヒュプノスはエリスを屋敷の外へ連れ出した。
 「先刻も言ったとおり、この役目が果たせるのはおまえしかいない。やってくれるな」
 「聞くまでもないことです、兄君」
 「しかし……先月、流産したばかりで、体の方は本調子ではないのだろう?」
 それを聞いて、エリスは少し驚いた。
 「ご存知だったのですか?」
 「知らないとでも思ったか? 母君は、今でもおまえのことを見守っていらっしゃるのだぞ」
 エリスは思わず口に手をあてていた――つい、泣きそうになる。
 深い理由で、自分を突き放した生母・ニュクス。口では「顔も見たくない」と言いながらも、やはり自分のことを気にかけてくれていることが嬉しい。その嬉しさが、こみ上げてくる。
 ヒュプノスはそんな妹を、優しく抱きしめた。
 「自分に自信を持て、エリス。おまえは、我ら兄弟姉妹の中で、もっとも母君に愛されている。どこにいようと、誰の養女になろうともだ。さあ、これからの大役のために、我らの力の源、夜の霊気を存分に吸収しておくのだ。今宵は月も美しい。月の光も我らに味方してくれる」
 「はい、兄君」
 夜の霊気、月の光を存分に吸収したエリスは、寝室に戻ってくるころには誰もがハッとさせられるほど、穏やかなラベンダーの匂いに包まれていた。眠りを誘うこの匂いこそ、ニュクスの一族が持つ体香だった。
 ペルセポネーの寝台の横に、もう一つの寝台が置かれてある。エリスはそれに横たわった。

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from: エリスさん

2008年02月14日 16時54分56秒

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「禁断の花園・23」
 エリスは早速、兄・ヒュプノスに遣いを出した。
 彼が来るまで、エリスとエイレイテュイアは二人の侍女・ミレーとミユーをデーメーテールに代わって弔うことにした。デーメーテールにはしばしの休養が必要と、ハーデースが別室で寝かしつけようとしたのだが、彼女は眠りたくないらしく、
 「それよりも聞いて頂戴」
 と、ハーデースに椅子を勧めるのだった。
 「私がもっとちゃんとした処置を取っていたら、今度のことはなかったのよ」
 「……姉上。自分を責めてはなりません」
 「いいえ、いいえ! 私が至らなかったからいけないの。こうなることを予測するべきだったのよ。ゼウスからペルセポネーを妻にしたいと言われたときから!」
 「……え!?」
 「そう、あの人、私に以前から申し入れていたの。コレーのための新しい社殿も、正妃に次ぐ地位も与えるから、あの子を妻としてくれ、と」
 デーメーテールはもちろん反対した。娘と夫を共有するなど、そんなおぞましいことがあっていいのだろうか。ましてや、神代創始のの頃ならいざ知らず、他にペルセポネーに相応しい男神はたくさんいるだろうに、何故、実の父親に嫁がなければならないのか。
 それでもゼウスの申し出はしつこく、まさに狂気を帯びていた。
 「以前から、あの人には幼い少女を愛する趣味がありました。あなたはご存知かしら? エリスの御内儀(妻)、ヘーラーお姉様の侍女をしていた精霊(ニンフ)のキオーネーのことを。彼女が男性嫌悪症になったのは、まだ十歳にも満たない時にゼウスに襲われて、危ういところをお姉様に助けてもらったのだそうですけど、でもその時の恐怖だけは消えずにいたためなのですって」
 「そうらしいですね。わたしも、兄上がキオーネーを殺したしばらく後に、そのことを聞きました――だとしたら、キオーネーがエリスと恋仲になったからといって、兄上が同性愛の罪を問うことは間違っておりました」
 「本当に……ですから、あの人にとってペルセポネーは、理想の女なのでしょう。いつまでも童女のように愛らしく、あどけない。それでいてハッとするほど大人びて見えるときがあって、あの人の欲望を刺激するのでしょうね。ゼウスにしてみれば、ペルセポネーを手に入れることは当然至極のことなのかもしれない……」
 デーメーテールが断固としてこの縁談に耳を貸さないため、ゼウスはとうとうペルセポネー本人にこの話をした。
 ペルセポネーが驚愕したのは述べるまでもない。彼女は普段の愛らしさとは打って変わった強い態度で、父親を拒絶したのだった。
 「それが、あの人の勘に障ったようね。あの人に言わせれば、女は自分になびいて当たり前。誰もが自分の愛を受け入れる――その考え方に疑いすら持たないんですもの」
 「兄上には分からないのですよ。女たちが自分になびいているのは、ご自身の権力と怒りを恐れているからだとは……ですが……」
 ハーデースはやや躊躇いがちに、言った。
 「正直に言いますと、わたしは、あまり兄上のことを悪くは言えないのです。もし、ペルセポネーが姪ではなく、自分の娘として生まれていたら……わたしも、兄上のようになっていたかもしれない」
 「ハーデース……」



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from: エリスさん

2008年02月14日 16時32分30秒

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「禁断の花園・22」



 とりあえず、ヘーベーはヘーラーが帰ってくるかもしれないからと、アルゴス社殿で留守番をすることになった。
 ハーデースの馬車に乗って訪れたエリスとエイレイテュイアは、デーメーテールの隠れ家が近づくにつれ、鼻を突く臭いにむせて、幾度も咳き込んだ。
 「なんてことだ……」
 ヘーラーの悲嘆のオーラに加え、デーメーテールの深い悲しみに覆われたこの一帯は、草木は枯れ、作物は腐り、瘴気を発しているのである。
 エリスはこんな時、なにも出来ない自分が歯がゆくなる。自分が司るものは闇の力の影響下にあり、浄化作用を持つ光の力は何一つとして持っていない。ただ「助けたい」と思う気持ちばかりが膨らんで、はちきれそうになる。――こんな自分は嫌だ。
 エリスのそんな気持ちを察したのか、エイレイテュイアがエリスの手をギュッと握ってきた。――「嘆かないで」と目で語りながら。
 つい、彼女の優しさにのめり込んでしまいそうになる。
 だが、エリスはすぐに我に返って、彼女の手から逃れた。
 「大丈夫だ、心配しなくていい」
 「……そう?」
 まだ完全に心を開いてくれない、そんなつれない恋人に、恨み言の一つも言ってやりたくなるけれど、エイレイテュイアは必死に我慢した。――今はそれどころではないのだ。
 デーメーテールの隠れ家の中へ入ると、中はもっと陰鬱な空気が重くのしかかってきた。
 デーメーテールはペルセポネーが横たわる部屋で、涙に暮れていた。
 「わかっています。あの子――ザクレウスが身罷った(死んだ)のでしょう?」
 ハーデースは隣室の敷物の上に、二人の女性が横たわっているのを見て、もしや、とデーメーテールに言った。
 「ええ。私の侍女です。この度のことでは、ずっと私たちのために秘密裡に動いてくれていました。ザクレウスが生まれてからは養育係として……それなのに、ザクレウスが彼女たちの必死の抵抗も虚しく連れ去られ……地の底から、あの子の悲鳴を感じ取った時、二人は自分たちを責めて、私が止めるのも聞かずに、自刃して果てたのです」
 やっとの思いでそこまで言うと、涙が込み上げてきて、喉までつまり、喋れなくなってしまった。そんな叔母を見てエイレイテュイアは、自身も床に跪き、叔母の手を取って言った。
 「泣いているときではありませんわ、叔母様。確かにザクレウスは五体を失いました。死んだも同然と言わざるを得ません。けれど、一人だけ、まだ助けられる方がいるのです」
 デーメーテールは顔を上げて、姪のことを見た。
 「ペルセポネーです。彼女を助けることができます」
 「どうやって!? 今まで何度も、私が試みたのに!」
 「叔母様は豊穣の女神。心の闇は夜の世界に属しますから、叔母様では専門外なのです。でも、エリス達なら……」
 「エリスなら?……できるのですか? エリス」
 エリスはしっかりと頷いた。
 「私だけでは無理ですが、兄の力を借りれば、あるいは」
 「おお! ありがとう、エリス!」
 デーメーテールは立ち上がると、エリスの手を取った。「なんと御礼をしたら良いか!」
 「それは、無事にペルセポネーを治せた暁に……」

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from: エリスさん

2008年02月08日 15時08分42秒

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「禁断の花園・21」
 あまりのことに言い返そうとしたが、アテーナーの次の言葉がそれを留めた。
 「ペルセポネーに邪な思いを抱いたときから、人間よりも、怪物よりもまだ卑しい生き物に、成り果てたのです。そのような下賎な生き物が玉座に上るなど汚らわしい!」
 ゼウスの表情が失われていく……。
 「自らその名誉を泥まみれとした神王陛下。この斎王、汚(けが)れを忌む者にて、しばらく登城致しません。このことは宇宙の意志にご報告いたします。いずれ、あなたは報いを受けることになるでしょう」
 アテーナーと三女神は、自分達が退出した後、ゼウスが全身の力を失って、玉座から転げ落ち、仰向けにひっくり返った姿を見ることができなかった。
 エイレイテュイアはしばらく歩いてから、言った。
 「アテーナーお姉様。よろしかったのですか? あなた様のような立場の御方が、お父様をお見限りになられて」
 「いいのよ、エイレイテュイア。ヘーラー様がご不在の今、神王に意見できる者は、斎王の任を賜っている私をおいて他にいないのだから」
 「ですけど、親不孝な私ならいざ知らず、あなた様までお立場を無くすことにでもなったら……」
 「心配には及ばないわよ」
 「それに……」と言ったのはエリスだった。「アテーナー様はヘーラー王后の次に神王に近しい女神。いつペルセポネーの二の舞となるやもしれません。牽制しておいた方がいいでしょう。女性としても勿論、あなた様はこの神界を守る斎王、巫女なのですから。なんぴとたりとも汚してはならない」
 するとアテーナーは、少しだけ沈んだ表情をした。
 「どうかなさいましたか? アテーナー殿」
 「いえ……以前、あなたがおっしゃっていた通り、双方ともに愛し合っていれば、たとえどんな行為でも、汚れにならないのでは……と思いまして」
 アテーナーの言葉に、三女神は彼女がずっと思い続けている男神のことを思い出した。
 その男神こそ……。
 「パラス!」
 彼女達を追いかけて、片足を引きずりながらもヘーパイストスが走ってきた。それを見て、アテーナーも急いで戻っていった。
 「ヘース様、走ってはいけません! お危のうございます!」
 ヘーパイストスの後からアレースも来ていたが、アテーナーがヘーパイストスを支えるように寄り添うのを見て、その場で足を止めた。
 「あなたもご退出を?」
 アテーナーが言うと、
 「これ以上の話し合いは無意味だ。兄上と一緒に出てきてしまったよ。これから、母上を探しにいきます」
 「それならば私をお連れください。私はこの世のすべての霊気を感じ取ることができます。必ずヘーラー様の霊気を追ってみせますわ」
 「しかし、あなたには斎王としてのお役目が……」
 「私にとっても陛下は“母”なのです!」
 アテーナーの強い言葉に、ヘーパイストスは少し呆気にとられたが、彼女の気持ちを察して微笑んだ。
 「じゃあ、頼むよ、パラス。……兄上、行きましょう」
 どうやら自分のことを忘れてはいなかったらしいと気づいて、アレースは苦笑いをした。
 アレースが来ると、アテーナーは足の不自由なヘーパイストスを助けながら歩き出し、すれ違う際に三女神に会釈していった。
 アレースは(特にエリスに)「また後で」という気持ちを籠めて、手を軽く上げてすれ違った。
 それを見送ってから、エリスは言った。
 「では、私たちも参りますか。ペルセポネーのところへ」
 「場所は、エイリーお姉様がご存知なのですよね?」
 ヘーベーがそう言った時、誰かが声をかけた。
 「是非とも、わたしに送らせてもらえないだろうか」
 そこに、ハーデースが立っていた。

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from: エリスさん

2008年02月08日 14時11分05秒

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「禁断の花園・20」
 「そなたもわしを誹(そし)るのか、アテーナー」
 ゼウスがそう言うと、アポローンが口を挟もうとし、アテーナーに睨まれた。
 「そなたは口出し無用!……お父様、私もエイレイテュイア達と同じ意見です。ペルセポネーは母こそ違えど我が妹。妹を苦しめる者は、どなたであろうと許しません」
 「アテーナーよ、そなたはわしが子供達の中で一番愛している娘、一番可愛がっている娘ではないか。そのそなたが、わしを蔑(さげす)むのか?」
 「……一番愛されている……だから困るのです。私は誰にも汚されてならない、宇宙(そら)の花嫁なのですから」
 「!? そなた、わしが!?」
 「ええ、信じられませんわ、お父様。……しかし、あなたは一つだけ良いことを教えてくださいました。その事だけは褒めて差し上げましょう。――女にとって一番危険なのは、物心つく前から慈しみ、育ててくれ、そうやって油断させておいてから襲い掛かってくる“父親”という存在だということを! 今こそ世の女性達は思い知らねばならない。最大の危険は自分のすぐ傍にいる!!」
 「黙れ!!」
 しばらくの沈黙が辺りを包む。
 ゼウスがアテーナーに対して声を荒げるなど、絶対に有り得ないことだった。
 だがアテーナーは別段驚く風でもなく、ゼウスに背を向けた。そしてエリスに言った。
 「ペルセポネーを治せるの?」
 「私一人の力では無理です。兄・ヒュプノスの力も借りませんと。ですが、男に傷つけられた彼女の心を癒すには、彼女の痛みすら理解できない医術の神では駄目なのです」
 「その通りだわ。アポローンなど頼るに及びません。あなたにお願いするわ、エリス。エイレイテュイアも、ヘーベーも、こんな所にいる必要はないわ。時間の無駄よ」
 アテーナーが三女神を促して退出しようとすると、ゼウスが叫んだ。
 「待てッ、許さんぞ!」
 アテーナーは振り返り、キッと睨み返して、言った。
 「あなたに神たる資格はない!!」
 

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from: エリスさん

2008年02月08日 13時44分16秒

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「禁断の花園・19」
 「形見……だと?」
 と、ゼウスは言った。「アテーナー! それを貸してくれ! このわしの手に!」
 アテーナーは言われるとおりに、ゼウスにその肉片を渡した。
 「おお、確かにヒノキの匂いがする。デーメーテールの血を引いている証。つまり、わしとコレー(ペルセポネーの幼名)の子の心臓に間違いない。しかし……死んだのか? 馬鹿な。わしとあれの血を引いていれば、当然……」
 ゼウスが驚愕しながら言うので、アテーナーは言った。
 「不老不死。その証拠に、その心臓はまだ生きています。けれど、他の体の部分が存在しなければ、死んだも同然でしょう。……ザクレウスは、食い殺されたのです」
 「食い殺された!? 誰だ! 誰がそのような酷いことをッ!」
 「ティーターンの鬼族たちです」
 「なッ!?」
 ゼウスの喉は大きな石で堰きとめられたかのように、声はおろか、呼吸すらままならなくなった。
 「今このオリュンポスはヘーラー王后の悲嘆と絶望のオーラに包まれています。そのために、小鳥たちはさえずりを忘れ、草木は生気を失い枯れ始めています。このような状況で、ヘーラー王后の治める鬼族たちがおとなしくしていられると思いますか?……彼らの動向を察知し、駆けつけました時にはもう、この心臓しか残ってはいなかったのです」
 ゼウスはとうとう泣き出した。泣きながら、怒りの表情がふつふつと湧き起こっていた。
 アテーナーはそんなゼウスを無視して、玉座から降りて、三女神の方へ歩いてきた。
 「エイレイテュイア。これまでの経緯(いきさつ)を見せてくれないかしら。この中で一番事情を分かっているのは、あなたのようだから」
 「ええ、お姉様」
 エイレイテュイアはアテーナーと額を合わせて、デーメーテールの遣いが来たところから、今までの記憶を彼女に見せてあげた。
 その最中だった。
 ゼウスがいきなり雄叫びを上げた。
 エイレイテュイアとアテーナーの他は皆、驚いてゼウスを見た――気でも狂ったか? そう思わずにはいられない。
 確かに冷静ではなかった。怒りに身悶えた彼は、その怒りに任せて暗雲を呼び寄せていたのだ。
 その時、オリュンポス山を降りようとしていたポセイドーンとアルテミスは、目撃した。暗雲から放たれた雷電が、大地を割って地中深くもぐっていくのを。
 そして地の底から響いてくる、絶叫。
 記憶のコピーをすっかり終わらせたアテーナーは、未だ玉座に立ち尽くしているゼウスに向かって言った。
 「ティーターンの鬼たちを罰するのはどうかと思われますが、お父様。彼らは敬愛する主人のために行動を起こしたのですから。確かに、その行動は間違っておりましたが……問われるのは、むしろ、その主人を苦しめた御仁にあるかと思われます」

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from: エリスさん

2008年01月31日 16時37分51秒

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「禁断の花園・18」
 「では、わたしとアルテミス殿はこれにて。……あとは、ペルセポネー殿をお治しする算段でも立てられるが良かろう」
 ポセイドーンはゼウスに冷ややかな視線を送り、アルテミスを連れて退出した。
 歩きながら、ポセイドーンは姪に聞いてみた。
 「御身は恨んでいないのか?」
 「王后陛下のことですか? 以前は、確かに」
 ヘーラーは以前、レートーが懐妊中に彼女の出産を妨げたことがあった。それはひとえに、すでに妻のいるゼウスから求愛されて、拒むことなく受け入れたレートーへの罰としてであった。それが貞節を尊ぶヘーラーの勤めでもあったからだ。
 「お姉様から、その事情を伺ってからは、確かに母にも責はあると思うようになりまして……」
 「お姉様とは?」
 「私がお姉様と言えば……」
 そのときだった。
 廊下の向こうから、カツン、ガシャ、カツン、ガシャ、と堅い物がぶつかりあう音が聞こえてきた。見れば、誰かがこちらへ向かって歩いてくるところだった。
 その人物は甲冑と剣を身に着けていた。音はその甲冑と、履物が石の廊下に当たる音だったのだ。
 だんだんとその人物の顔が見えてくる――灰色の、時折銀色にも見える瞳は、オリュンポス神界に神多しと言えど、一柱しかいない。
 武と智と芸術を司り、斎王でもある女神・アテーナーである。
 「お姉……様?」
 アテーナーの甲冑は、血飛沫で汚れていた。
 アテーナーは無言のまま、その面持ちは誰の言葉も聞きたくない、という威厳ある表情をしていた。彼女は一刻も早くゼウスのいる謁見の間へ行きたいのだ。
 そんな彼女が恐ろしく見えて、アルテミスは引き止めることができなかった。
 だがポセイドーンは、もっと別のことに気付いていた。
 「……あの匂い……」
 「え!?」
 アルテミスは思わず聞き返していた。
 「血の匂いに混じって、神霊特有の体香が――アテーナーのジャスミンの香りではない、別の誰かの体香が匂った。……あれは、ヒノキか?」
 「ヒノキ……ヒノキと言えば!?」
 「そう、豊穣の女神・デーメーテールの血筋の者に伝わる匂いだ。……いったい、誰を斬ってきたのだ?」
 一方、謁見の間ではようやくゼウスが立てるようになって、玉座に座り直していた。
 「それでは……」
 ゼウスは苦しげに一息ついてから、言葉を続けた。
 「アポローン、医術を司るそなたに、ペルセポネーの治療を……」
 「お待ちください、陛下」
 そう言ったのはエリスだった。「ペルセポネー殿の治療は、我々にお任せください」
 「ほう? 罪滅ぼしか? エリス」
 「お言葉ですが、私に罪などございません」
 「なんだと?」
 ゼウスは一瞬にして険しい顔になった。
 「罪はペルセポネー殿を辱めた御方にございます。そのために彼女は正気を失われてしまったのですから」
 「そちはッ! まだそのようなことを言うのか!」
 ゼウスは怒りが頂点に達しながらも、ニヤリと嘲笑った。
 「あれはどれほど前のことになるかのう。そちはわしに堂々と言いおった。“愛の元に行われる事は、此れみな神聖な行為”だと。つまり、わしがしたことも神聖な行為ではないか。エリスよッ、そちがわしの罪を問うは、己の言葉を撤回したことになる。つまり、そち自身の罪も認めたことになるのだ!」
 エリスは深いため息をついた。呆れ果ててしまったのだ。今のゼウスは自分の行為を正当化するために、物事を都合よく解釈している。まこと、万物の父と呼ばれる王の姿なのだろうか。
 「あれは“双方が愛し合っている場合”ではございませんか」
 「そんなことは言わなかったぞ」
 「わかりきったことだから申し上げなかっただけです。御身様はそれほどまでに白痴と成り果てましたか」
 「な、なんだと!? 貴様ッ、このわしを愚弄するか!」
 すると離れた所から、別の声が聞こえてきた。
 「愚弄されて当然のことをしたからではありませんか、お父様」
 その声で、みな一斉に開かれた扉の方を見た。――言わずと知れたアテーナーだった。
 血飛沫をあびた甲冑と、うっすらと怒りを浮かべたまま凍りついたようなアテーナーの表情は、誰をもゾッとさせ、威圧する。そんな彼女が玉座へ上がっていくのを、止められるわけがない。
 エリスは、アテーナーの後姿を見ながら、いつもならゴルゴーンの楯を手にしている左手に、何か握っていることに気付いた。何を握っているのかまでは分からないが、手の中に納まってしまう程の小さなものらしい。その手は紅い血で染まっていた。
 玉座に上がってからも、アテーナーはしばらく父親の顔を見据えていた。
 「なんだ、なんなのだ! 何故そなたまでわしを、そのような目で見る!」
 最愛の長女に見据えられては、さすがのゼウスも怖気づくのか、おどおどして言う。
 アテーナーはまったく表情を変えることなく、左手を突き出し、指を開いた。
 ゼウスの表情が、さらに蒼白になる。
 アテーナーは振り返ると、それを皆にも見せた。
 未だ脈打つ肉片――。
 ヘーベーは悲鳴をあげ、エイレイテュイアは気を失いかけてエリスに支えられた。
 「アテーナー姉上、それは!?」
 アレースの問いに、答えた。
 「お父様とペルセポネーとの間に生まれた御子・ザクレウスの形見の心臓です」

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