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from: エリスさん
2008年03月21日 15時07分56秒
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女神の涙〜ティートロース生誕秘話〜・1
ヘーラーがオリュンポス社殿で王后としての政務を執っていた時、その知らせは届いた。「ティートロース様がお越しになられました」ティートロースというのはゼウ
ヘーラーがオリュンポス社殿で王后としての政務を執っていた時、その知らせは届いた。
「ティートロース様がお越しになられました」
ティートロースというのはゼウスの息子のひとりだが、分け合って幼少時はヘーラーが育て、三歳の時に、当時子供がいなかった小国の王のもとに養子に出された人物だった。
人物――と言っても、半分は神。母親は精霊であるから、だいぶ神に近い存在である。
「おや、懐かしい。あの子が遊びにきてくれるとは」
通信用の水晶球の向こうにいる侍女に話しているヘーラーは、本当に嬉しそうな笑顔だった。だが、それに対して侍女の方は深刻な顔をしていた。
「それが、ただ遊びに来たわけではなさそうなのです」
「どういうことです」
「どうも、家出をなさったようで……しばらく、こちらに泊めてほしいとおっしゃるのです」
「なんですって!? ……それは、泊めるのは構いませんが……。わかりました。私もすぐに帰りますから、そこにティートを引き止めておきなさい」
ヘーラーは執務中の書類など放っておいて、アルゴスにある自分の社殿に戻った。
すると、社殿の前に馬車が停まっていた。数人の兵隊も付き従っていることから高位の者の馬車だとすぐに分かる。
そして、門の前には身なりのいい婦人が、まさに泣き崩れていたのである。
「そなたは、カシミーネー!」
ティートロースが養子に行った国の王妃だった。
カシミーネーと呼ばれた婦人は、すぐにヘーラーに気付いて、女神の足元に駆け寄ってきて、すがりついた。
「ヘーラー様! どうか私をお許し下さい!! 私がどうかしていたのです! あの子を――ティートロースを恐れるなど、母としてあるまじき心だと、この通り反省しております! ですから! どうか私にあの子をお返しくださいませ!」
「なにがあったのです。私は帰ってきたばかりで、まったく事情がわからないのですよ」
入り口の門が開いたのは、そんなときだった。
出てきたのは、ヘーラーの次女・ヘーベーだった。
「カシミーネー王妃。やはりティートロースはあなたとは会いたくないそうです。気の毒ですが、このままお帰りなさい」
「ヘーベー様! せめて、せめてティートロースの顔だけでも拝ませてくださいませ! 私はあの子に詫びたいのです!」
「お帰りなさい、王妃。今は、時を待つのが一番なのです。あなたにとっても、ティートにとっても」
カシミーネーが再び泣き崩れるのを哀れむように見下ろしてから、ヘーベーはヘーラーに目を向けた。
「お戻りなさいませ、お母様」
「いったいどうゆうことなのです、ヘーベー」
「事情は中でお話いたします」
ヘーラーはカシミーネーのことを気にしながらも、ヘーベーと一緒に社殿へ入っていった。
ヘーベーが説明したことは、こうだった。
五年前、ティートロースが養子に行った王家に、それまで諦められていた王の実子が誕生した。しかも生母が王妃とくれば、当然養子のティートロースとの間で後継者問題が沸き起こってくる。
それでも、王妃は自分の子と分け隔てなくティートロースを育てていた。すでに七年もの間わが子同様に育ててきたのである。いまさら実子ができたからと言って、愛情がなくなるような狭量の女性ではなかったのである。
だが先日、ティートロースと、実子である弟王子とで遠乗りに出掛けたところ、弟王子が乗っていた馬が急に暴れだし(どうやら蜂か何かに刺されて、驚いたらしい)、あやうく崖から転落するところを、咄嗟にティートロースが助けたのだ。
だがその助け方がまずかった――落ちそうになった弟の右肩を、ティートロースが右手だけで掴んで引き上げたのだが、つい無我夢中で、力加減ができなくなってしまったのである。
弟王子の肩の骨はボロボロに砕け、回復しても元通りに動かせるかどうか分からないと、医者が判断したのである。
その話を聞き、王妃は恐怖の目でティートロースを見てしまった……ほんの一瞬だったが、それにティートロースも気付いてしまった。
だからティートロースは王宮を飛び出してしまったのである。
王妃は当然、そんな自分を恥じた。だからこそ、先程のように謝罪に来たのである。今まで我が子として育ててきたものを、恐ろしいと思ってしまうなど、自分こそ人間の心を持たぬ卑しきものだと、そう戒めて。
それらを聞き――ヘーラーは深いため息をついた。
「ティートは? 今どこに?」
「かつてのあの子の部屋に。お母様があのころのままにしていたから、私がそこへ通したのよ」
「ありがとう……」
ヘーラーは、その場所へ足を向けた。
二階の日当たりの良い部屋が、かつてのティートロースの部屋だった。ノックをしてヘーラーが中へ入ると、まだ十二歳の少年が、目の周りの涙を拭きながら、振り返った。
「……ヘーラー様ァ……」
そうしていると、思い出す。
この子は、あまりにも亡き母親にそっくりだった。
あの悲しい目にあわせてしまったまま、死なせてしまった、可哀想な侍女に……。
ヘーラーは、ティートロースに向かって両手を広げた。
それを見て、すぐにも彼は飛びついてきた。
「僕……僕、お母様に嫌われてしまった。僕が、弟を怪我させたから……」
「……そなたのせいではない。そなたは、弟を助けようとしただけであろう」
「でも……」
なおも泣きじゃくるティートロースを、ヘーラーは力いっぱい抱きしめてあげた。
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from: エリスさん
2008年05月21日 15時07分58秒
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「女神の涙〜ティートロース生誕秘話〜・13」
それから、三年の月日が流れた。
イオーが産み落とした男児は「ティートロース」と名付けられて、ヘーラーが乳母となって育てられた。
月足らずで生まれたせいか、あまり発育は良い方ではなかったが、それでも利発で素直な少年に育った。
いずれ正式にヘーラーの養子として、ギリシアの民にも知らしめようとヘーラーが心づもりをしていた、そんな矢先。ゼウスからの突飛な話がヘーラーのもとに舞い込んできた。
「ティートロースを養子にですって!?」
ゼウスの領地であるとある小国の王が、自身に子が居ないのを嘆いて、ゼウスに助けを求めてきたのである。
「ならば、そなたの妃に我が落胤を与えよう、と申してやったのだが、それだけはと、丁重に断ってきてな」
ゼウスがそう言うと、呆れたようにヘーラーは言った。
「誰もが子種のために、自分の妻に不貞を犯させるような愚か者だと思わない方が、よろしいかと思いますが」
「何が愚かか。妻がわしのお手付きとなれば、男としてこれほどの栄誉はあるまい」
「はいはい……それで、ティートロースを養子に欲しいと、言ってきたのですね」
「あれを指名したわけではないがな。わしの血を引く者を譲ってほしいと言われただけだ。幸い、あれには母親がいないからな」
「……私がおります」
「そなたの実子ではない」
「……そうですわね」
ヘーラーは、その話をアルゴス社殿に帰ってきてから、三人の娘に話した。
話を聞いているうちにも、三人の娘はすでにヘーラーの心が決まっていることに気づいた。
「ティートを、譲るつもりなのですか? 母君」
エリスが聞くと、ヘーラーは静かにうなずいた。
「どうしてですの! あの子は私たちの弟として育ててきたのに!」
ヘーベーが言うと、代わりにエイレイテュイアが答えた。
「あの子の神力が弱いからですか?」
その言葉で、しばらくの沈黙が続いた。
そして、ヘーラーが口を開いた。
「このまま、神として生きるには、あの子はだいぶ風下の方で生きなければならない。司るものもないあの子では、いずれ、このオリュンポスでは役立たずな者として、憂き目を見るであろう。けれど、人間として生きるなら」
「人間としてなら、やっていけますね、確かに……」
エリスの言葉で、また静かになってしまう……。
また少しして、ヘーラーが話し出した。
「その国の王と王妃は、善良な民のようです。なにより、ゼウスから〈落胤を〉という申し入れがあったのを、きっぱりと断ったところが気に入りました。普通は神王に背くことこそ恐ろしいであろうに」
「恐ろしさよりも、貞操観念が勝ったのですね」と、エイレイテュイアも言った。「確かに、そうゆう人間のもとであれば、ティートも健やかに育つかもしれません」
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