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神話読書会〜女神さまがみてる〜

神話読書会〜女神さまがみてる〜>掲示板

公開 メンバー数:11人

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  • from: エリスさん

    2009年03月06日 14時45分57秒

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    果たせない約束・1

     その日は朝からあわただしかった。
     「原稿が見つからなァ〜い!」
     弟子の新條レイが母校の文化祭に呼ばれ、そこでスピーチをすることになっていたのに、その原稿がどこかへ行ってしまったのである。
     「落ち着いて、レイちゃん。ちゃんと探せば見つかるから」
     片桐枝実子はそう言ってレイの肩を叩き、一緒に探してやるのだった。
     このところレイは、恋人の三枝夏樹(さえぐさ なつき)とうまくいっていないらしく、心ここにあらずなまま仕事をすることがあり、その結果こんなミスを冒してしまうようだった。
     助手であり枝実子の友人でもある鍋島麗子(なべしま かずこ)が訪ねてきたのは、そんな時だった。
     「その原稿って手書き? それともワープロ? ワープロなら、一度削除してしまった文書でも復元できるわよ」
     麗子(かずこ)の言葉に、本当ですか! とレイは食いついた。
     「エミリーさんが使ってるワープロと同機種よね? OASYS30SX……」
     麗子はワープロ専用機であるそれの電源を入れ、「補助フロッピィがあるでしょ? 貸して」と、手を伸ばした。
     「えっと、補助フロッピィ……」
     普段使い慣れない物の名前を言われ、また困惑しているレイに代わり、枝実子がその補助フロッピィを麗子に手渡した。
     「こっちは麗子さんに任せて、あなたは自分にできることをやりなさい。まだ探していない場所があるはずよ」
     「はい! 先生!」
     レイは昨日やっていたことを思い出しながら、あっちの部屋、こっちの部屋と探し回った。
     それを見て麗子は枝実子に耳打ちした。
     「らしくないわね、彼女。どうしたの?」
     「どうも彼氏とうまくいってないみたいなの」
     「例のあれ? 年下の彼。同居しているお母さんが実は義理のお母さんで、しかもかなり若い」
     「そうそう。夏樹君のお父さんの元教え子だったんですって、その二人目のお母さん」
     「……で、いろいろと複雑な関係なのね」
     「そうゆうこと……復元できそう?」
     「大丈夫よ、もう終わるわ」
     ちょうどそんな時、キッチンから「あったァ!」というレイの歓喜の声が響いてきた。

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from: エリスさん

2009年07月03日 12時19分19秒

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「果たせない約束・31」



 片桐枝実子(かたぎり えみこ)のアトリエに、鍋島麗子(なべしま かずこ)の婚約者・羽柴(はしば)から電話がかかってきた。
 「え!? お母様がいらしたの!?」
 突然、羽柴の母親が大阪から上京してきたので、今すぐ来てほしいという電話だったのだ。
 「もう、いっつも急に来るんだから……」
 麗子は言葉では嫌そうに言ったが、表情は嬉しそうだった。――実は羽柴の母親は面白くて、ちょっと強引だが優しいところもあり、麗子とはすっかり「お友達」になっていたのである。
 「こっちはもう大丈夫だから、帰ってあげたら」
 枝実子が言うと、
 「うん、ごめんねェ〜。お昼ぐらいまでは居るつもりだったのに」
 「いいわよ、気にしないで」
 「うん、それじゃ!」
 麗子がちょうど玄関のドアを開けたところだった。
 「うわ!」
 玄関の前に誰かが立っていて、双方ともに驚いてしまった。
 「あら、ごめんなさい」
 「いえ、こちらこそ」
 と答えた女性は、まだ二十歳になるかならないかぐらいの年齢で、手に茶封筒を持っていた――それだけで、この女性が誰だか分かる。
 「あっ、あなた! もしかして新しい担当の人?」
 「はい。〈月刊桜花〉編集部の中村衣織(なかむら いおり)と申します。あなたは……」
 「私? 私はエミリーさんの助手よ」
 麗子はそう言うと、中にいる枝実子に振り返った。「エミリーさん! 新しい担当の人がいらしたわよ。中村さん!」
 「ハーイ! そのまま上がってもらって!」
 枝実子はティーセットを居間に運んでいる最中だった。
 「はいはい! そこが居間だから、上がって待っていて。私はこれで失礼するけど」
 「はい、お邪魔します」
 中村衣織は先に麗子が出られるように一歩後ずさり、麗子が出てから中に入った。
 「それじゃ……」
 衣織はしばらく麗子を見送ってから、玄関のドアを閉めた……。
 このとき、麗子は「どこかで会ったことがあったかな?」と思っていた。見覚えがあるような気がしていたのだが、
 『きっと以前にも来ているんだろうな。一時期、新人研修とかで兼田さんが何人か連れてきたことがあったから』
 と結論付けて、深くは考えないようにしていた。
 だが衣織の方は、玄関のドアを閉めてからもしばらく動けなくなっていた。枝実子が声を掛けると、振り返ったその瞳に涙が浮かんでいたのである。
 「どうしたの!? いったい……えっと、中村イオリさん、だったかしら?」
 麗子との会話が少し聞こえていた枝実子は、確かそんな名前だったな? と当たりをつけて呼んでみた。
 すると、衣織は思ってもみない言葉を口走った。
 「レシーナーさんですね、彼女は」
 「……え!?」
 「レシーナーさんです。間違いない。私の親友であり、母でもあった……」
 「……あなた……イオー? イオーなの?」
 枝実子の問いかけに、衣織はしっかりと涙を拭いて、答えた。
 「はい、我が君」
 「……驚いた。まさかイオーにまで会えるなんて」
 枝実子が衣織を抱きしめると、衣織も抱き返してきた。
 「お久しゅうございます、我が君」
 「もうその呼び方はやめて。私はもう女神ではないのだから」
 「はい……では、エミリー先生」
 「それでいいわ、衣織さん。でも驚いた! ちゃんと前世の記憶があるのね」
 「十五歳の時に交通事故にあって、その時に前世の記憶を思い出したんです。エミリー先生のことも、テレビとかで拝見して、すぐに女神様だと気がつきました。だから今回、先生の担当になれて本当に嬉しいです」
 「ありがとう」
 「先生も前世の記憶がおありですよね。作品を拝見させていただいて、それを感じてました。もう、生まれた時からお持ちだったんですか?」
 「まさか! 私もある事件が切っ掛けで、記憶を取り戻したのよ。そうしたら、私の周りにはあの頃の関係者が何人も転生していることが分かって、もう驚きの連続だったの。麗子(かずこ)さんがレシーナーだってこともすぐに分かった。――あの時、今度生まれ変わったら友人になろうって交わした約束が、本当に成就されていることが分かって、どんなに嬉しかったか」
 「では、私との約束も果たしてくださいますか?」
 「ああ……それは……」
 転生したら、また恋人になる――この約束を果してしまうと、枝実子はこの世に生まれ変わってきた意味がなくなってしまう。
 「ごめんなさい」と、言うしかなかった。
 すると衣織はクスッと笑った。
 「わかってます。私だって、その約束を果たす気はありません。私はこの世では、男性から暴力を受けることもなく育ちましたから、普通に男性と恋愛をしています。現に、いま交際している彼がいますし」
 「そう! 良かったわ」
 「でもあの時――イオーとして生を終えた時、エミリー先生にその約束をいただいて、私は絶望から解放されて、未来を夢見る気力を授けてもらいました。本当に感謝しています。ありがとうございました」
 衣織がそう言って頭を下げるので、枝実子は顔を上げさせた。
 「もういいのよ。もう過去のことだわ。私たちは生まれ変わったのだから、これからの人生を楽しんで生きていきましょう。これからよろしくね、中村衣織さん」
 「はい、よろしくお願いします、嵐賀エミリー先生」
 二人はしっかりと向き合って、握手を交わすのだった。

 この後、麗子も衣織と親しくなって、来月で枝実子の助手を辞めることになっていたにも関わらず、結局結婚後も助手を続けるようになった。そのことで、夫の羽柴から不平を言われることはなかった。羽柴にはなんとなく分かっていたのである。麗子が自分よりも枝実子との友情を大事に考えてしまうことに。たぶん前世でも、自分は枝実子に勝てなかったんだろうと。



                                終


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from: エリスさん

2009年06月26日 15時42分27秒

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「果たせない約束・30」
 イオー姫はタタタッと走ってきて、レシーナーが座っている椅子の隣に座った。
 「あのね、イオーはね、世界で一番お母様がだァい好きなの! だからね、誰がなんて言ったって、アタシはお母様に会いに来るんだもん」
 「困りましたね。一国の王女様が、このような日陰の場所においでになるなんて」
 「それにね、おばあ様も言ってらしたよ。イオーはいずれアルゴス社殿の巫女になるから、オーイケーショーケンには係わらなくていいし、だからお母様と暮らしてもいいんだけどねって」
 「王妃様が?」
 「そうだよ。だから、アタシもここに住んでいいでしょ?」
 「まあ、どうしましょ。本当にそれでいいのかしら?」
 今年4歳になるこの娘は、レシーナーにとっては待望の女の子だった。あまりにも愛おしく思えて、ペルヘウスに許してもらって「イオー」と名付けたのだ――不幸にも失われた親友の名を。
 この子と暮らせるのなら、どんなに楽しいだろう……そうい思っても、やはり簡単には決められない。
 「そうね。お父様とご相談してみましょうね」
 「ワァーイ! きっとお父様なら、いいよって言うよ!」
 心なしか、話し方まであのイオーと似ているように感じてしまう。それだけ自分には大切な親友だったのだと、改めて思い知らされる。
 その時だった――ラベンダーの香りが、窓から入ってきた。
 ハッとして振り向くと、そこにエリス女神が立っていた。
 「わあ! 宙を浮いてる!」
 イオーが面白そうに驚いているので、エリスも笑顔で中に入ってきた。
 「初めまして、姫。名はなんていうのかな?」
 エリスに聞かれて、イオーは物怖じせずに答えた。
 「初めまして、女神様。アタシはイオーと言います」
 「イオー……」
 その名はエリスにとっても懐かしい名だった。
 「いい子だ、きっと誰にでも優しい、素敵な姫君になる。先が楽しみだな、レシーナー」
 「はい、まことに……」
 レシーナーは懐かしさで涙が零れそうになったが、それをなんとか堪えて、イオーに言った。
 「イオー姫。私はこれから、こちらの方と大事なお話がありますから、おばあ様のところにお戻りなさい」
 「はい、お母様。失礼します、女神様」
 イオーは小さいながらもちゃんとお辞儀をして、その場を後にした。
 イオーが居なくなっても、レシーナーは以前のようにエリスに抱きついたりはしなかった。――それはエリスも同じだった。
 「元気そうでなによりだ」
 「エリス様も……」
 「しかし驚いたな、イオーがいるとは……」
 「つい名付けてしまいましたの。女の子が欲しかったものですから」
 「いや、そうじゃなくて……そうか、気付いてなかったのか?」
 「なにをです?」
 「あの子は本当にイオーだよ。そなたの親友で、アルゴス社殿の精霊だった」
 「え!?」
 思ってもみないことだったが、言われてみてすべての合点がいった。
 「だからあの子は、あんなに私に懐いてくれているのですね」
 「また精霊に転生する道もあったのに、人間として転生する道を選んだのだな。また、そなたと巡り合うために……私も人間に転生したら、意外な人物と再会できるかもしれないな」
 「あっ……」
 噂が本当であったことがわかって、レシーナーは何も言えなくなってしまった。
 転生してしまったら、次に会えるのはいつになることか……二度と会わないと心に誓ったものの、はやり考え付いたのはそのことだった。
 「レシーナー」
 と、エリスはレシーナーの手を取った。「生まれ変わって、また出会えたら、私の恋人になってくれるか?」
 その質問に、しばらく考えたレシーナーは、首を横に振った。
 「恋人になったら、また別れが待っています。そんなのは嫌です。だから、今度はエリス様の友人になりとうございます」
 「友人に?」
 「はい。友人ならば、性別も、種族も、年齢も関係なく、いつまでも関係を続けることができますから」
 「そうか……そうだな。約束しよう」
 そう約束しても、果たせるかどうかなど分らない――と、二人とも思っていた。第一、転生したら前世の記憶は消えているのだから、約束を果たしたかどうか確かめるすべもない。
 それでも、二人は約束せずにはいられなかったのだ。
 それならばせめて――レシーナーは確実に果たせる約束がしたいと、口を開いた。
 「何か私にできることはありませんか? 心残りのこととか」
 「うん……実は子供たちのことなんだが……」
 エリスにはまだ小さい子供たちが大勢いる。それらすべてをエイレイテュイアに任せることにしたものの、それが彼女の負担になりはしないかと心配していたところだったのだ。
 「それで、子どもたち一人一人に養育係、もしくは侍女頭をつけることにしたんだ。どうだろう? この後宮でつぐんでいるぐらいなら、通いでいいから私の末娘アーテーの養育係になってくれないだろうか」
 「アーテー様? その御子はもしや……」
 最後の夜に宿った子……レシーナーにも感慨深い御子である。
 「ですが、私ももう年ですし、お役目についてもそう長くは……」
 「それならば心配ないよ。そなたは長命のはずだ。現に、まったく老けなくなっただろう」
 「え? ではこれは、やはりエリス様のおかげなのですか?」
 「最近になって分ったんだ。どうやら私の母乳には老化を遅らせる作用があるらしくてね。おかげで私の子供たちは、実際の歳より幼く見えるんだよ。あの最後の夜、そなたは私の母乳を口に含んだだろ?」
 その通り、はからずも口に入ったのは確かである。
 「分りました。通いでよろしいのでしたら、アーテー様の身の回りのお世話をさせていただきとうございます。我が娘イオーも、近々アルゴス社殿の巫女となることですし、親子ともどもお仕えさせていただきます」
 エリスが精進潔斎のために冥界にはいったのは、この三日後のことだった。
 レシーナーはエリスとの約束通り、アーテーの養育係としてアルゴス社殿へ通い、アーテーが成人してからも侍女頭として一五〇歳まで仕えたのであった。


 それから、二千年以上もの月日が流れた――。

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from: エリスさん

2009年06月26日 14時48分03秒

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「果たせない約束・29」
 二ヶ月ぶりに会えたエリスは、いつもとは違って女性らしい体つきをしていた。それもそのはずで、つい三日前に出産を終えたばかりで、今は授乳期の大事な時期なのだった。夜の営みなど、しばらくできるはずもない。だから次に会えるのはまだだいぶ先だと、レシーナーもエリスも思っていたのだ。
 「申し訳ございません、お体をいとわなければいけない、この時期に」
 レシーナーが言うと、エリスは優しく微笑んだ。
 「いいんだ……決心したのだろう?」
 「はい、エリス様」
 「私と別れ、純潔を捨てて、ペルヘウス王子のものになることを」
 「はい……ですから、その勇気をくださいませ」
 「いいだろう」
 エリスはレシーナーを抱きしめると、甘い口づけをした。
 そのままレシーナーを抱き上げ、寝台に横たわらせると、まずエリスは自分の服を脱いだ。――ほんのり母乳が浮き上がっているのが、艶めかしく見える。
 レシーナーも自分で肩の結び目を解き、胸元までずらしたところで、エリスが覆いかぶさってきた。
 「これが最後だ、我が乙女よ。先に私がそなたを抱くから、そのあとで私のことも抱いてくれ」
 「はい、エリス様」
 このときの二人の悦楽の声は、同じ階にあるいくつかの部屋に響いていたが、幸いなことに王子の側室はレシーナーだけだったため、すべて空室だった。ただ、夜回りに来ていたクレイアーだけがそれを聞き取ったのだが、もちろんそれを咎めることはなかったのである。
 この夜のおかげで、エリスは末娘のアーテーを身ごもる。それが、二人の愛の形見になったのであった。




 その後、レシーナーはペルヘウス王子との間に、二人の男の子と一人の女の子を産んでいる。当然のごとく王子が正妃を迎える話は立ち消えてしまったが、それでもレシーナーは側室の立場をわきまえて、子供たちの養育をペルヘウスの母である王妃に任せていた。
 このことにレディアから意見されることもあったが、レシーナーは、
 「側室の子供を後継者に据えることに、反発があるといけないじゃない? でも王妃様に育てていただければ、そういうことも緩和されるじゃありませんか」
 と、気軽に応えていた。
 「だからと言って、日陰の女に甘んじなくてもいいだろうに」
 「いいんです。もし万が一、王子が他国の王女と結婚しなければならなくなったとき、私が障害にならないように備えておく意味でも、私が表立たない方が」
 そうして、レシーナーは四十五歳になった。
 不思議なことに、レシーナーの見た目は三十八歳だったころとあまり変わっていなかった。まるで年を重ねることを忘れてしまったように。おそらく高齢出産だったはずが、何の障害もなく無事に子供が産めたのも、この見た目が変わらないことに関係しているのだろう。
 エリスの噂を耳にしたのは、そのころだった。
 罪を認め、ゼウスと和解したエリスが、人間として生まれ変わるという話を耳にして、レシーナーは懐かしく思ったが、だからと言って訪ねて行くことも、また訪ねてきてくれるのを待つこともしなかった。
 それからしばらくたった、ある夜のこと。
 レシーナーがペルヘウスのためのお茶の葉をブレンドしていたところ、誰かがドアをノックする音が聞こえた。
 「はい? どなた?」
 レシーナーが声をかけると、ドアが小さく開いて、誰かが入ってきた。
 「エヘッ、来ちゃった」
 その小さな女の子の顔を見た途端、レシーナーの顔から笑みがこぼれた。
 「まあ、イオー姫様。またいらっしゃったのですか? いけませんよ、ここへ来ては。おばあ様はご存知なのですか?」
 「内緒だよ。だってアタシ、お母様に会いたかったんですもの」
 レシーナーが産んだ末娘のイオーだった。
 

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from: エリスさん

2009年06月26日 13時49分41秒

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「果たせない約束・28」
 その夜、ペルヘウス王子がレシーナーの寝室に訪れた。
 いつものようにレシーナーが紅茶を入れていると、ペルヘウスは椅子に座ったまま彼女のことを見上げ、言った。
 「父上になにか言われているだろう?」
 レシーナーが切り出す前に話を振ってもらえて、正直レシーナーはホッとした。話をしようにも、なんと言っていいのか分からなかったのである。
 「お察しのとおり、私の母を通して、王子に他の女性を娶るように説得してほしいと」
 するとペルヘウスは即座に言った。「やだよ」
 「またそのような、大人げない」
 「子供だもん、まだ」
 「来週で二十歳になられる方が、なにをおっしゃいますやら」
 レシーナーはそう言うと、紅茶をペルヘウスに差し出した。ペルヘウスはそれに一口だけ口をつけて、すぐにテーブルに置いてしまった。
 「にがいよ、今日のは」
 「申し訳ございません、すぐに入れ替えを……」
 「もういいよ」
 ペルヘウスは椅子から立ち上がると、そのまま寝台へと行った。
 そして、レシーナーに手を伸ばした。「おいでよ」
 「……はい」
 レシーナーはテープルの上にあった燭台を、寝台の横の棚に移した。それを見届けたペルヘウスは、後ろからレシーナーを抱き寄せた。
 「あっ、王子……」
 そのまま寝台に押し倒されたレシーナーは、いつになくペルヘウスが乱暴なのに驚きながらも、平静を装おうとした。
 ペルヘウスからのキスが熱く、とろけてしまいそうになる。それを嫌とは感じなくなっている自分に、レシーナーは少し戸惑っていた。
 『このまま王子が私を奪ってくれれば……』
 側室としての役目は果たせる。――それはエリスを裏切ることになるが、きっとかの女神なら、それも笑って許してくれることだろう。
 だが、ペルヘウスはレシーナーの肩の結び目に手をかけたところで、止まった。
 「……王子?」
 ペルヘウスはレシーナーの呼びかけに応えず、彼女の上から退いてそのまま隣に横たわった。
 ペルヘウスの深いため息が聞こえる。
 「ごめん……どうかしてた」
 「そんな……謝るのは私の方ですのに」と、レシーナーは上体を起こして、ペルヘウスの方を向いた。「後宮にあがりながら、王子のお優しさに甘えて、これまできてしまいました。私が居るせいで、王子は他の女性を娶ることを控えていらっしゃったと言うのに」
 「そうじゃないよ。僕は本当に、他の女なんかどうでもいいんだ。君さえいてくれれば! 僕はずっと……ずっと……」
 ペルヘウスの手が伸びてきて、レシーナーの腕を掴む。それに導かれるまま、レシーナーは彼の隣りに横になった。
 「子供心に、大人の女性である君に憧れているだけなのかもしれないって、思うときもあった。でも違う……違ったんだ。やっぱり僕は……」
 「王子……」
 「君を失うぐらいなら、大人になんかなりたくなかった」
 その時、レシーナーは自分でも説明のつけられない気持ちにかられて、ペルヘウスの唇に自身の唇を寄せた。
 『どうしたんだろう、私……。なんだか今、無性に王子が可愛く思えて……』
 レシーナーの唇が離れると、今度はペルヘウスが彼女を抱きしめて口づけてくる。
 そのキスがあまりにも長くて、レシーナーは意識が遠のきそうになった。
 このままなら、いい……そう思った時、またペルヘウスから離れてしまった。
 「……王子?」
 うっすらと目を開くと、目の前にいるペルヘウスが泣いているように見えた。
 「今のキスだけで、君が僕の子を身篭れるのならいいのに」
 ペルヘウスはそう言い残して、部屋から出て行ってしまった。
 レシーナーはそのまま動けなくなっていたが、それでも真剣に考えていた。
 『私はもう三十八歳……今を逃したら、子供は望めないかもしれない』
 ペルヘウスの気持ちを、これ以上ないがしろにできない。
 なにより気づいてしまった――自分も彼を憎からず想っていることを。
 『でも、エリス様も愛してる! それはこれからも変わらない。変わらないけど、それでも!』
 レシーナーは起き上がると、窓辺まで走って行き、その場に跪いた。
 「我が君! どうか私の願いをお聞き届けください! これが最後のお願いにございます!」
 その途端、あたりにラベンダーの香りが立ち込めた。
 闇の中からエリスが現れたのである。
 

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from: エリスさん

2009年06月19日 15時07分39秒

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「果たせない約束・27」
 レシーナーを後宮に迎えても、一向に王子の子供ができないのを憂いて、アルゴス王はレディアとクレイアーを呼び寄せて、相談をすることにした。
 「わたしには王子の他にも二人の王女がいる。このうち、長女のメーティアニーに婿を取らせて、この国を継がせようと思うが。その婿として、タルヘロスをくれないだろうか」
 もったいない仰せではあったが、すぐに言葉を返したのはレディアだった。
 「まだ王子は十九歳というお若さ。レシーナーの他にも妻をお迎えになれば、すぐにも跡継ぎに恵まれるはずです」
 「わたしもそうは思うのだが、王子が首を縦に振らぬのだよ。妻はレシーナー一人で十分だからと……」
 なんという真っ直ぐな御方だろうと、クレイアーはその話に感嘆せずにはいられなかった。
 「そのお話を進める前に、私にお任せいただけないでしょうか。レシーナーが子を産まぬのは、母である私にも責任がございますので」
 「よかろう。だが、決してレシーナーを責めるようなことはせぬように。子ができぬのは、なにも女のせいばかりではないからな」
 王の言葉を聞いてから、一礼して退出したクレイアーを、レディアは追いかけてきた。
 「子ができぬのではなく、そもそも作る気がなかったのであろう? あの子は」
 「お母様、王も仰せになられたではありませんか。女ばかりが悪いのではないと」
 「何を言う。私が知らぬとでも思っているのですか? レシーナーのもとに未だにかの女神がお通いになられていることを」
 「たとえそうでも、王子とレシーナーは同じ寝室で眠っているのです。王子がその気になれば、レシーナーを我が物にすることはできたはず。王子は、お優しすぎるのですよ」
 クレイアーはそう言うと、スタスタと早歩きでレディアから離れていった。
 クレイアーがレシーナーの部屋を訪ねると、彼女は楽しそうにお裁縫をしていた。
 「あら、お母様!」
 「……王子の衣装?」
 「ええ、来週の二十歳の誕生日のお祝いの席で、着ていただこうと思って」
 「そう……」
 娘は王子のことを嫌いではない――それは前々からクレイアーも気づいていた。でもその気持ちは、妻としてではなく、姉のような感覚なのだろうことも分かっていた。
 だから、この話をしても、レシーナーなら分かってくれるものと信じていた。
 クレイアーはレシーナーと面と向かうと、先ほどまでアルゴス王と話していたことを告げた。
 するとレシーナーは戸惑いながらも、こう言った。
 「私から、ご説得すればいいのね。他の妻を迎えてくださるようにと」
 「もしくは、あなたが王子の子をお産みするのよ」
 「……ええ、そうね」
 その覚悟もあった――同じ寝台で眠っているのである。自分が眠りについてしまったあと、王子になにかされても、決して王子を責めてはならないと自分に言い聞かせてきた。それでも今まで何もなかったのは、ひとえに王子の優しさからだった。
 「今宵、王子がお見えになったら、お話するわ」
 「頼んだわよ……」
 クレイアーはそう言うと、立ち上がって帰ろうとした……が、振り返ると、戻ってきて娘の体をギュッと抱きしめた。
 「どうして……あなたには不幸が付きまとうのかしらね」
 「お母様……」
 レシーナーも母親のことを抱きしめ返した。
 「私、不幸じゃないわ。お母様の娘として生まれて、エリス様の恋人になれて……イオーという親友とも出会えたし、王子のおかげで男性を怖いとも思わなくなったし」
 「王子のおかげで?」
 「ええ、だから、王子には御恩返しがしたいの。だから……どんな結果になっても、私は不幸とは思わない」

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from: エリスさん

2009年06月19日 13時32分07秒

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「果たせない約束・26」
 「それじゃ、今晩また来るよ」
 ペルヘウス王子が満面の笑顔でそう言いながら、レシーナーの部屋を後にした。
 「お待ちしております、王子」
 レシーナーがお辞儀をしたちょうどその時、彼女は現われた。
 「おはよう、レシーナー。よく眠れて?」
 「あっ、お母様」
 クレイアーだった。こんなに朝早くから王宮に出仕しているということは、やはり娘のことが心配だったのだろうか?
 「一緒に朝食をとろうと思って来たのよ。王子は王様や王妃様とおとりになるから、あなたは一人ぼっちになるだろうと思って」
 「ありがとう、お母様」
 クレイアーは侍女たちが運んできた食事をテーブルに並べさせると、「後は私がやるから」と、侍女たちを部屋の外へ出してしまった。――確かに他人がいるよりは、母親と二人っきりで食事をした方が気が休まるが……女官であるクレイアーが侍女の仕事を奪うようなことをするのは、不自然だと思ったちょうどその時、レシーナーは気付いた。
 かすかにラベンダーの匂いがする。
 『え? もしや……』
 レシーナーが戸惑っているのに気づいたクレイアーは、ふわっと包むように彼女を抱きしめて、言った。
 「どうやら何もされなかったようだな」
 その声は、エリスのものだった。
 「あっ、やっぱり……母に変身していらしてくださるとは」
 「ちゃんとクレイアーには話を通してきたよ。知らずにはち合わせると困るからな」
 エリスは約束を守りにきたのだ――レシーナーが男の手で汚されたら、すぐに浄化するという約束を。そのためにクレイアーに協力してもらったのである。
 「それじゃ母は?」
 「まだ家にいるよ。あとで入れ替わる手はずになっている」
 エリスはレシーナーをテーブルの前に座らせると、自分もその隣に座った、クレイアーの姿のままで。
 二人は軽く食事をしながら、話すことにした。
 昨夜のペルヘウスの紳士的な態度を聞かされたエリスは、感心したようにうなずいた。
 「いい育ち方をしたらしいな、王子は」
 「はい……意外でした」
 「意外?」
 「はい。私は、男というものは大概、暴力的で厭らしい生き物だと思っていました。目の前に女がいれば、征服せずにはいられない生き物だと……」
 「手厳しいな」
 「あんな目に合っていますから、それが現実だと思っていたんです。だから、弟のタルヘロスだけは、そんな野蛮な男にはならないようにしようって、姉として躾けてきたんです」
 「そうだな、タルヘロスも子供ながら紳士的な男だ」
 「ありがとうございます。だけど、そうゆう風に育つ男は稀だと思っていたので、王子の態度を見て、そんなことはないのだなって、思い直しました。きっと私が知らないだけで、素敵な男性はこの世にいっぱい居るのかもしれません」
 「……そうか」
 エリスはちょっと寂しそうな笑顔を見せたのだが、レシーナーは気付かなかった。

 それからも、エリスはちょくちょくクレイアーに化けて、王宮にいるレシーナーと密会を続けていた。その間に、エリスは八人の子供を生んでいる。そのうち次男のポノス、三女のマケー、四女のヒュスミネー(マケーとヒュスミネーは双子)、四男のプセウドスはレシーナーとの逢瀬で宿した子供だった。
 しかしさすがに王宮で密会するのは困難が生じてきて、エリスの足も遠くなりつつあった。
 そのうちに八年の歳月が流れ、レシーナーは三十八歳になっていた。

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from: エリスさん

2009年06月12日 13時20分15秒

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「果たせない約束・25」


 レシーナーは後宮に与えられた自分の部屋で、王子が来るのを待っていた。
 すでに侍女たちに化粧をされ、白い夜着だけを纏っていた彼女は、緊張のしすぎで呼吸まで止まりそうだった。
 しばらくすると、部屋の外から声がかかった。
 「王子様のお越しでございます」
 レシーナーは咄嗟に椅子から立ち上がり、その勢いで椅子が倒れて大きな音をたてた。
 レシーナーは慌ててしまって、返事もできないでいるうちに、ペルヘウス王子が入ってきた。
 「やあ、しばらくだね、レシーナー」
 まだ少年だが、この王子はいつも堂々として好感の持てるタイプだった。
 「こ、このたびは……わ、私のような、も、者を、おめ、お召し……」
 自分ではどうすることもできないほどシドロモドロになってしまい、挨拶もままならない。もうどこかへ消えてしまいたい、思っていると、ペルヘウスがクスッと笑った。
 「僕、お茶が飲みたいな」
 「あつ、ハイ! ただいま!」
 「ああ、いいよ。僕が入れるよ。僕が入れるお茶は美味しいんだよ。君の弟から聞いたことない?」
 「あっ……そういえば、そんなことを言っていたような……」
 レシーナーの今の返答で、ちょっと落ち着いてくれたかな? と察したペルヘウスは、
 「座って。君の分も入れるよ」と、笑いかけた。
 ペルヘウスがお茶を入れている間、レシーナーはバクバクと高鳴っている心臓を落ち着かせるために、ゆっくりと呼吸をするように努めた。
 『大丈夫よ。名目上は〈手ほどき〉だけど、結果的には王子がなさりたいようにさせてあげればいいだけ。すぐに終わるわ、きっと……』
 そう自分に言い聞かせるのだが、その時々に叔父にされたことを思い出してしまい、ぞっとする。そうするとまた心臓が高鳴ってくる――いっそのこと死んでしまいたいぐらい苦しくなる。
 良い香りのするお茶がレシーナーの目の前に差し出されたのは、そんな時だった。
 「飲んでご覧、落ち着くから」
 「……恐れ入ります、王子」
 レシーナーはティーカップを持って、顔に近づけた……甘い香りがふわっと立ち込めて、レシーナーの顔を包んでいた。
 『おいしそう……』
 飲んでみると、その甘さは口の中いっぱいに広がって、なんだか幸せな気分になった。
 つい笑顔がこぼれたレシーナーの顔を見て、ペルヘウスは満足げに笑った。
 「気に入ってくれた?」
 ペルヘウスがそう聞くと、レシーナーは答えた。
 「はい。とってもおいしゅうございます。これは、蜂蜜が入っているのですか?」
 「そう。あと茶葉にはマリーゴールドの花びらがブレンドされてあるんだ」
 「まあ、そんなお茶があるのですか」
 「僕がブレンドしているんだよ、趣味で。タルヘロスも気に入ってくれたから、きっと姉君である君も気に入ってくれると思ったよ」
 ペルヘウスは自分のカップのお茶を一気に飲み干すと、それをテーブルに置いた。
 「じゃあ、寝ようか」
 「あっ、はい……」
 レシーナーはまだ残っているお茶を、もう一口だけ飲んでから、カップをテーブルに置いた。
 ペルヘウスは一人で夜着に着替え始め、レシーナーに先に寝台に上がっているように言った。
 言われるとおりに寝台に上がったレシーナーだったが、それでも横にはならずにいた。
 先ほどのお茶のおかげで、緊張はかなり解けている。けれどやはりまだ不安だったのだ。
 そんなうちにペルヘウスが着替え終わって、寝台に上がってきた。
 「明かり消していいよね?」
 ペルヘウスはそう言って、寝台の横に置いてあった燭台の火を吹き消した。
 いよいよ……と思っていると、ペルヘウスはさっさと横になって、掛け物を手繰り寄せていた。
 「それじゃ、おやすみ」
 「……え!? あ、あの、王子」
 レシーナーが困っていると、暗がりの中で王子は彼女を見上げて、言った。
 「僕はなにもしないよ」
 「え?」
 「レシーナーには好きな人が――女神さまがいらっしゃるんでしょ? 聞いてるよ。だから、僕は何もしない」
 「王子……」
 「いいんだ、僕はタルヘロスが羨ましかっただけだから」
 ペルヘウスはそういうと、レシーナーの手を握ってきた。
 「僕の添い伏しになってくれて、ありがとう。嬉しいよ。他の人だったら、僕は絶対に断っていたから。僕ね、君みたいな姉上がほしかったんだ。だから……そばにいてくれるだけでいいから」
 ペルヘウスは手を伸ばして、レシーナーの体を捕らえると、自分の隣に横たわらせた。
 「こうして、僕のそばに居てくれるだけでいいから。……おやすみ、レシーナー」
 「王子……」
 優しい子……この優しさに、甘えてもいいのだろうか?
 レシーナーは、今はペルヘウスのことを信じて、眠ることにした。

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from: エリスさん

2009年06月09日 15時17分17秒

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「果たせない約束・24」
 「アルゴス国の王子は、まだ子供だと聞いていたが」
 エリスが言うと、レシーナーは答えた。
 「私の弟の一つ下の、十二歳です」
 「そうだったな。アルゴス王は先の王妃を病気で亡くしてから、しばらく新しい王妃を迎えなかった。今の王妃は十三年前にようやく娶った妻で、それで待望の後継者を授かったのだったな。だから王にとって、王子は掌中の珠のように大事なもの。だからこそ……一番信頼できる臣下・クレイアーの娘であるそなたを、王子のそばに置こうと考えたのだろう」
 「エリス様……」
 レシーナーには、エリスの言わんとしていることが分かってきた。――これはいい縁談だと、そう思っていると。
 「そして、そなたやクレイアーにとってこの話は、臣下として逆らうことのできない話。また、この家にとってはタルヘロスの他にも後継ぎを儲ける好機――そうゆうことなのだな?」
 「はい……」
 「しかし……そなたにとってこれは、我が身を汚すことになる。愛する者がいるのに、他の――それも男に身を許さなければならないのだからな」
 「だから苦しいのです!」
 と、レシーナーは涙を流し始めた。「家のことを考えれば、これは私にとって義務以外なにものでもない。でもそのために、少年とは言え男と! そんなおぞましいことを、果たさなければならないだなんて!」
 「……それなら」
 エリスはレシーナーを自分の方に向かせた。
 「そなたが汚されるたびに、私が浄化するというのは、どうかな?」
 思ってもみない言葉に、レシーナーは聞き返した。
 「なんとおっしゃられました?」
 「これまでと同じことだよ。そなたが王子の寝所に上がるたびに、翌朝には私がそなたのところへ訪れて、浄化しよう。それなら、そなたがおぞましさを感じるのは夜の間だけ。その間だけ我慢すればいいのだ」
 「……おっしゃっていることは分かりますが」
 レシーナーは正直信じられなかった。エリスらしくない提案だからである。なぜなら、
 「エリス様はヘーラー女神の信奉者でいらっしゃるから、そんな倫理に反することはなさらないはず」
 「私だって出来ることなら、夫のいる女性と交際などしたくない。だが、レシーナーは別だ。そなたが苦しむと分かっているのに、倫理に反するからと放っておくことなどできない。そなたのためなら、私はどんな罪だってかぶるよ」
 「エリス様……」
 レシーナーが縋りついてくるのを、エリスは優しく抱きしめた。
 「これから辛い思いをするだろうが、私がついている。気をしっかりと持って、強く生きてくれ。この子のためにも……」
 そう言って、エリスはレシーナーの手を自分の腹部に触らせるのだった。
 その行動の意味が最初は分からず、やがてゆっくりと思い至った。
 「では……」
 「ああ。先ほどので、子が宿った。間違いない、私には分るのだ」
 「では……ではこの子は、私の……」
 「そう、血は受け継げないが、そなたと私の心がつながって宿った子供だ」
 それを聞き、今度は喜びの涙を流すレシーナーだった。


 レシーナーがペルヘウス王子の後宮に入ったのは、この一ヶ月後だった。

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from: エリスさん

2009年06月09日 14時16分18秒

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「果たせない約束・23」
 この二日後、エイレイテュイアがエリスの子を宿していることがゼウスに知らされ、エリスとゼウスが言い争いになる事件が起きる(「恋神誕生秘話」参照)。そのためエリスの回復が少し遅れ、レシーナーが再びエリスに会えたのは二週間も経ってからだった。
 その間、レシーナーはいろいろと悩み通しだった。後継ぎのことや家のこと、子供のこと、そして自分がいつかは老いていく人間であること。
 その心の曇りは、エリスを前にしても晴れなかったのである。
 「何かあったのか?」
 エリスの問いに、レシーナーは首を振って、精一杯笑って見せた。
 「エリス様に会えなくて、寂しかっただけです」
 「そう? ……だったら今日は、その寂しさをぶつけてくれ」
 エリスは寝台の前までくると、自分から服を脱いだ。
 「私がエリス様をお抱きしてもよろしいのですか?」
 「もちろん。今日はそなたの言いなりになる」
 エリスがそう言って寝台の上に横になった。
 レシーナーも服を脱ぐと、エリスの横に座った。
 レシーナーからのキスは優しくて柔らかく、唇が離れた後はつい声がこぼれてしまう。いつも気丈なエリスからは想像できないような仕種だ。
 その後もレシーナーの手や唇で愛され、刺激を与えられると、女だてらの男らしさなど意味もなく消し飛び、甘美の声をあげ続ける。こういうときのエリスは、完全に女性に戻っていた。
 だが今日は「完備の声」を通り越すほどに、エリスは乱れていた。――それは、レシーナーのせいだった。
 『やっぱり、いつもより激しいな……』
 エリスがそんなことを思った直後、なにも考えられなくなる瞬間が訪れた。
 ――うつぶせのまま呼吸を整えているレシーナーの背中に、エリスはそうっと触れるようにして撫でた。
 「やっぱり、何かあったな……」
 レシーナーは黙ったまま、貝のように体を丸くしてみせた……聞かないでほしいという、気持ちのあらわれだった。
 それでもエリスは尚も聞いた。
 「言ってくれ。私ならどんなことでも解決してみせるから」
 「……解決など……不可能であることは、解っています」
 「不可能なこと?……出産のことか?」
 「それもあります……」
 「レシーナー……」
 エリスはレシーナーの背中にキスをして、貝を開かせようとした。
 「言ってくれなければ分らない。そなたの力になりたいのだ。言ってくれ……」
 「どうすることもできないのです。どうしていいのか……」
 レシーナーは起き上がると、エリスに背を向けたまま言った。
 「ペルヘウス王子の添い伏し役になるようにと、王からお話があったのです!」
 「添い伏しだと? それはつまり」
 とエリスも起き上がった。「そなたに夜伽をしろと言うのか!」
 「そうです。このことにおばあ様は大乗り気で、これを機会に王子のお胤をいただいて、我が家の後継ぎを増やすようにと」
 それを聞くと、今度はエリスが黙ったまま考え込んだ。

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from: エリスさん

2009年06月05日 13時52分10秒

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「果たせない約束・22」
 「あの時はそうでも、今は別です」とレディアは言った。「レシーナーの心の傷は癒えたのでしょう。だったら、もうあの方から解放されてもいいころです。今この時を逃せば、レシーナーには二度と縁談が来ないかもしれぬ。そうなれば、レシーナーは一生子を産むことができないかもしれないのですよ」
 「そんなこと! レシーナーが望んでいなければ意味がありません!」
 クレイアーはそう強く言って、母親を黙らせた。
 「レシーナー、もちろんあなたが嫌なら、この話は断っていいのよ。なにも気にすることなく、エリス様にお仕えしなさい」
 「お母様……」
 「いいえ、お受けするべきです」とレディアは言った。「王よりのお申し入れなのですよ。我が家は先々代の時よりアルゴス王家にお仕えしているのです。その主君の命に背くなど、あってはならないことです!」
 「命令、ではありませんでした。王はあくまでお願いとして、我等にお申し入れになられたのです。ですからこちらにもお断りする権利があります」
 「だとしても、臣下の礼に反します! それだけではない。これはレシーナーにとっても、そして我が家にとっても今後を決める一大事なのです。レシーナーはもう三〇歳です。とっくに婚期を逃がしています。でも王子の王宮に入れるのなら、もしかしたら王子のお胤を宿せるかもしれない。もちろん、愛人の子供ごときが王家を継げるわけがない。これから先、まだ年若い王子ならいくらでも良家からの縁談があるでしょうから、いつかは正妃をお迎えになられて、その正妃がお産みになられた王子こそが王位を継承するでしょう。でもレシーナーが産んだ子なら、我が家の後継者にはなれます」
 「なにを言っているのです、お母様。我が家にはタルヘロスという後継者がいるではありませんか」
 クレイアーが言うと、レディアは尚も続けた。
 「後継者が一人しかいないなど、なんと心もとない。これから先、どんな不幸が降りかかるか分らないのですよ。現に、まだ若かったそなたの夫が、あんな不幸な事件でその命を散らしたではありませんか。それに男は戦争に出なければならない。タルヘロスが次の後継者を残すまで、生きていられる保障などないのです。だからこそ、レシーナーにも子供を産んでほしい。そのためには、気に染まなくても男と添わなければならないのですよ」
 レディアの言っていることも分からなくはない――と、レシーナーは思った。実際、家長であった父が決闘の末に命を落としたとき、この家は断絶の危機に瀕していたのだ。もしタルヘロスが生まれていなかったら、自分は心の傷が癒えるのも待たれずに、好きでもない男を婿に取らされていたかもしれない。
 そして今――タルヘロスも近々、成人式を迎えることになるだろう。そうしたら男の義務として、兵士として戦争に出なければならない。いつ戦死するか分らない状況で、他に後継者がいないというのは、確かに心もとない。
 「どうです? レシーナー」と、レディアは聞いてきた。「そなたも子供は欲しいでしょう?」
 欲しくないはずがない……できることなら、産みたい。だが……。
 「私が欲しいのは、女神エリスの御子です」
 その言葉にクレイアーは素直に頷き、レディアは嘆いた。
 「女同士で子供ができるわけないでしょう!」
 「でも、私が心の底から欲しているのは、エリス様の子供なのです。あの御方の子供でないなら、産む意味もありません」
 「分かったわ」と、クレイアーは言った。「それではこの話はなかったことにして、私から王にお断りを入れましょう」
 するとレディアは立ち上がって「待ちなさい!」と叫んだ。
 「よく考えてごらん、二人とも! エリス女神は不老不死なのですよ。いつかレシーナーが年をとって、その美しさが失われたとき、あの方はそなたから離れていくのですよ!!」
 考えたくない答えを言われて、レシーナーは奈落の底に落ちたような衝撃を受けた。
 「そなたが男性を好きになれないというのなら、それでも良い。ならば王子が本当に大人になるまで……少年の体でいるうちに、王子のお胤をいただきなさい。本当の大人の体に王子がご成長あそばすまでには、まだ五年はかかるのだから、その間だけ我慢すればいいのです」
 「お母様!」とクレイアーも立ち上がった。「横暴すぎます! 少しはレシーナーの気持ちも考えてください!」
 「私には責任があるのです! この家を守る責任が!」
 「なにが責任ですか! 仕事が忙しいのをいいことに、まったくこの家に帰ってきもしないで。それだからお父様が浮気して、余所の女に子供を産ませる結果になったんじゃありませんか。そしてその子供が、レシーナーを手ごめにして苦しめたんですよ。そもそもお母様がこの家に不幸を運んできたんじゃない!」
 「おだまり!」
 「私が知らないとでも思ってるの! お母様が本当は先王と深い仲だってこと。私の本当の父親はもしかしたら!」
 “パーン!”と乾いた音がする……レディアがクレイアーの頬を叩いたのだ。
 「そなたまで下衆の勘ぐりはおやめ。私は心血を注いで王家にお仕えしているだけです……」
 レディアはそう言うと、椅子に掛けてあったショールを手に取った。
 「今日はこれで帰ります。レシーナー、次に私が来るまでに考えておきなさい」
 レシーナーは、何も言えなかった。

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from: エリスさん

2009年06月05日 11時37分03秒

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「果たせない約束・21」
 レシーナーが家に帰ると、珍しく祖母のレディアが来ていた。
 「まあ、おばあ様! お里帰りなんてお珍しいこと」
 いつもは王の乳母として王宮で暮らしているレディアは、よっぽどのことがないと帰ってこない人なのである。
 ということは……よっぽどのことが起こったのか、とレシーナーは察した。
 「レシーナー」と、母のクレイアーが深長な面持ちで声をかけてきた。「話があるの、そこに座りなさい」
 「はい……」
 レシーナーはテーブルを挟んで、母と祖母とは向かい合わせに座った。
 「今日、私は王のお召しで王宮へ上がりました。そこで、王よりもったいないお申し出があって……正直、どうお返事してよいやら考えあぐねているのよ」
 「なにを迷う必要があるのです」と、言ったのはレディアだった。「レシーナーのことを思えば、こんなもったいないお話、お受けしなければ罰があたりますよ」
 「そうは言いますが、お母様……」
 「いったい、どんな詔(みことのり)を賜ってきたのですか? お母様」
 レシーナーは訳のわからない不安に押しつぶされそうになりながら、そう聞いた。
 するとレディアが答えた。
 「ペルヘウス王子の成人の儀の折、添い伏しの大役をそなたに任せたいと、王はそう仰せられました」
 「添い伏し!?」
 自分が男性と臥所を共にする!?――そのおぞましい行為に、レシーナーはぞっとした。
 「そんなおばあ様! 私は男性とそのようなこと、できるはずもないとご存知ではありませんか! 私は同性愛者なんですよ!」
 レシーナーの言葉にレディアは両耳をふさいだ。
 「おお、おぞましい! 女が女とまぐわうなど、気が痴れているとしか思えない行為を、孫であるそなたが毎夜続けているかと思うと、恥ずかしくてならない」
 「お母様!」と、クレイアーはたしなめるように言った。「その言葉は、女神エリス様をも侮辱していますよ」
 「こんな時に女神さまの名を出さないでおくれ、卑怯者。そもそも私は、レシーナーをかの方の愛人にするのだって反対していたのですよ」
 「あの時は、それしかレシーナーを救う手だてがなかったのです!」

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from: エリスさん

2009年05月29日 15時14分59秒

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「果たせない約束・20」
 しばらく待っていると、まだ子供の侍女がレシーナーを呼びにきた。
 「エイレイテュイア様とのお話が済んだそうなので、レシーナーさんをお迎えに来ました」
 「ありがとう……初めてお目にかかるけど、あなたは?」
 「はい、マリーターと申します。去年からこちらの社殿に上がるようになりました。普段は森の番人をしています」
 「そうなの。おいくつ?」
 「七歳になります」
 イオーと初めて会ったのも、彼女がこのマリーターぐらいの歳だった。それを思うと嬉しいような悲しいような複雑な思いを抱えながら、レシーナーはマリーターに導かれるままに歩きだした。
 途中、エイレイテュイアの後ろ姿を見かけたが、レシーナーは声をかけなかった――今までエイレイテュイアに対して持っていたイメージが壊されるのが怖かったからだ。
 エリスの部屋に通されると、エリスは窓際にある寝台の上に、気だるそうに横たわっていた。
 「エリス様」
 レシーナーが声をかけると、エリスはニコッと笑いかけてきた。
 「よく来たね、レシーナー」
 「お加減はいかがですか?」
 レシーナーは歩み寄ると、すぐさまエリスの傍らに跪いて、手を握った――その手が、すごく熱かった。
 「まだ熱が下がらなくて……でもまあ、すぐに治るだろう」
 「我が君……」
 レシーナーは握っていたエリスの手を、自身の頬にあて、涙した。
 「聞きました、エイレイテュイア様のこと。そんなひどいことをなさる方だとは思ってもいませんでした」
 「ひどくはない……彼女の気持ちは、私も分かるから」
 「エイレイテュイア様の気持ち、ですか?」
 「彼女は、子供が欲しかったんだよ」
 単身出産が女神は、オリュンポスの中でも片手で数えるほどしかいない。その中にエイレイテュイアは入れなかったのだ。そうなると、もう男神と結婚して子をつくることしかできないのだが、エイレイテュイアはエリスしか愛せないから、そんなことは無理だったのだ。
 「だから……エリス様の胎児を?」
 「私の子供が欲しかったそうだ。自分の血など引いていなくてもいいから」
 「……そうゆうことでしたか」
 愛する人の子供が欲しい――その気持ちは、レシーナーにもある。だが、その愛する人がエリスであるかぎり、叶わない夢だと諦めていた。
 でもエイレイテュイアは諦めきれなかったのだろう。女神という存在ゆえに。
 その時、レシーナーの脳裏にある考えがよぎった。
 誰かの胎児を自分の身に移すことができるのなら、自分にも子供が産めるのではないか? その胎児がエリスの子であるなら……。
 そんなことを考えながらエリスを見つめていると、エリスはフッと笑ってレシーナーに首を振って見せた。
 「駄目だ。人間のそなたがそんなことをしたら、ただでは済まない」
 「やはり、女神だからこそ出来る御技(みわざ)なのですね」
 レシーナーががっかりとしていると、エリスは言った。
 「でも、そなたが私を孕ませることならできる」
 「は?」
 「以前に何度か試しただろう? 目合(まぐわ)いの間にイメージして、我が身に子を宿らせる方法……今回エイレイテュイアに取られてしまった子は、彼女との目合いでイメージして作った子なんだ」
 「そうだったのですか? あの方法は、もう諦めておりましたのに」
 「エイリーと試してみたら、巧くいったんだ。これで完全にコツを掴んだから、次はそなたと試すよ。母君には、子宮が炎症を起こしているからしばらく無理をするな、と言われているが、私自身はすぐに治りそうな気がしているんだよ」
 「まあ……本当にご無理はなさらないでくださいませ」
 「大丈夫だよ。……次に会うときは、元気な私を見せるから。それまで待っていてくれ」
 エリスの言葉にレシーナーは素直にうなずいた。そして、あまり無理をさせたくないと思い、軽い口付けだけを交わして、帰って行った。

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from: エリスさん

2009年05月27日 14時46分59秒

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「果たせない約束・19」


 一方そのころ、レシーナーはアルゴス社殿にいた。
 イオーを亡くしてから足が遠くなりがちで、母親の代わりにヘーラー女神に献上品を届ける以外はまったく訪ねなくなっていたのだが、今日はそんなことを構ってはいられなかった。
 エリスが倒れたという知らせが入ったのだ。
 レシーナーが訪ねて行くと、まずヘーベー女神が謁見してくれた。
 「ごめんなさいね、少し待っていて。今、エイレイテュイアお姉様と大事なお話をしているところだから」
 「お話を? では、会話ができるぐらいはお元気なのですね」
 「ええ。熱があったり、立つのが辛かったりはしていらっしゃるけど、意識はちゃんとしていらっしゃるわ」
 それを聞いてレシーナーは安心した。
 「いったいエリス様は、なんのご病気なのですか?」
 「病気ではないわ……」とヘーベーは言葉を濁したあとで、言った。
 「そうね、あなたには話しておいた方がいいかしら。エリスお姉様がご懐妊していたことは知っているわね。でも、今その胎児は、お腹にいないのよ」
 「ご流産ですか!?」
 「いいえ……堕胎、というべきかしら。いえ、違うわね。子供は生きているのですもの」
 「いったい、どうゆうことですか……?」
 「エリスお姉様の胎児は、今、エイレイテュイアお姉様の胎内にいるのよ。胎児を移したの……エイレイテュイアお姉様が、強引に奪い取ってしまったのよ」
 「そんな!?」
 そんなひどいことを……と、レシーナーは思った。が、にわかには信じられなかった。エイレイテュイア女神がそんなことをするような、無慈悲な女神には見えなかったからである。イオーが亡くなった時も、あんなに悲しんでくれた優しい方が、なにかの間違いなのではないか? と、レシーナーは思い悩んでしまった。

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from: エリスさん

2009年05月27日 13時53分16秒

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「果たせない約束・18」

 それから八年が過ぎた。
 レシーナーが三〇歳になっても、二人の交際はまだ続いていた。今ではエリスよりもレシーナーの方が年上に見えるようになってしまったが、そのことはあえて触れないようにしていた。
 しかし、当人たちがしらないところで、世情は変わり始めてた。
 ――その日、レシーナーの母・クレイアーはアルゴス王に呼ばれて、謁見の間(ま。部屋)へ参上していた。
 クレイアーとアルゴス王は乳兄妹にあたることもあり、とても親しい間柄だった。それこそ謁見の間などではなく私室に通されるぐらいの仲なのに、今日はわざわざ形式ばった対面をさせられるのには、なにか理由があるのだろうかとクレイアーは警戒した。
 案の定、アルゴス王の要求はこうだった。
 「我が娘を……レシーナーを王子様の添い伏し役に?」
 「頼めないだろうか、クレイアーよ」
 添い伏しというのは、身分の高い男児が成人の儀式を迎えるにあたり、年上の女性を閨に侍らせて「手ほどき」をさせることである。通常はそのまま後宮に入り、王子の側室――愛人になるのだが……。
 「そなたの息子・タルヘロスももう十三歳になったのだ。立派な後継ぎと言える。そろそろ妻を迎えなければいけないというのに、姉であるレシーナーがいつまでも家に残っているというのは、嫁いでくる者が気を遣うであろう」
 「お気にかけてくださりまして、まことに有り難くおもいますが、私はまだタルヘロスに妻を迎えさせる気はございません。もう少し大人になりましてからと考えております。ですから、まだ娘が家に残っておりましょうとも、なんの不都合もございません」
 「だが、これ以上時が経ち過ぎると、今度はレシーナーの適齢期が過ぎてしまう。嫁に出すには、これが限界と思うが」
 「いいえ、王。王はご存知ないのかもしれませんが、娘はとうにある御方に嫁いでおります」
 「知っておる、ヘーラー王后神(おうこうしん)様の姫御子(ひめみこ)のエリス女神であらせられよう」
 それを知っていて、何故……と思ったクレイアーは、しばらく言葉が出なかった。
 するとアルゴス王は柔らかな表情でこう言った。
 「クレイアー、わたしとそなたは乳兄妹。レシーナーはわたしにとって姪と言っても過言ではない。だからこそ、心配なのだ。神と人間との恋は永遠には続かない。それゆえに悲しい別ればかりが待っている。その時にせめてもの「恋の形見」が残ればよいが、相手が女神では……女同士で子ができぬのは、神も人間も同じことだからな」
 「王……」
 「本当はレシーナーに合う殿御をちゃんと世話してやりたかったのだ。だが、レシーナーがエリス女神の恋人である事は周知のことで、誰もがエリス様を恐れて、見つけることができなかったのだよ」
 「まあ、王! 娘のためにお骨折りくだされていたのですか?」
 「力不足ですまないがね。それで思いついたのが、王子の添い伏し役というわけなのだ。正妃にはなれないが、側室として丁重に扱うと約束する。王子も、親友のタルヘロスの姉君ならと、快く承知してくれた」
 クレイアーは正直迷っていた。
 確かにこのまま女神の愛人でいるよりは、側室とはいえ王子の妻になれるのなら、子供を授かることもできるだろうし、後々さみしい思いをしないで済むかもしれない。
 だが、それではレシーナーの想いはどうなるのか? 一途にエリス女神を思い続けている娘に、将来のためだからと、恋を終わらせるように説き伏せることなどできるのだろうか。
 「返事はすぐでなくてもよい。レシーナーとも話し合って、じっくり考えてくれ」
 アルゴス王はそう言うと、謁見の間から退出していった。

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from: エリスさん

2009年05月15日 15時24分23秒

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「果たせない約束・17」
 とんだ邪魔は入ったものの、イオーの葬儀はしめやかに執り行われた。
 イオーの亡骸は、彼女を生んだ樹の根元に埋葬された。樹から生まれた精霊は、昔からそういう慣習になっていたからだ。
 こうして次の世でも精霊として生まれ変わってくる者もいるし、まったく別のものに生まれ変わってくる者もいる。それは、本人がどう望むかによった。
 「キオーネーは……」
 葬儀が終わった後、エリスがレシーナーに呟いた。
 「キオーネーは亡骸も拾えないぐらい木っ端微塵にされてしまったから、母親の樹の根元に埋葬してやれなかったんだ」
 「そうだったのですか……」
 「でもイオーは……ちゃんと、母親の樹の傍で眠ることができる。それだけが救いだな」
 「エリス様……」
 「イオーと約束したんだ。そなたが十五歳になったら、恋人として迎えると……でも、その直後に彼女は陣痛に襲われて。そしてもう、誰の目にも救うことができないと分かったから、せめてイオーに来世への希望を与えたくて、約束をしたんだ。生まれ変わったら、また巡り合って、私の恋人になってくれと」
 「まあ……」
 レシーナーは嫉妬することもなく、エリスの優しさに感謝した。
 「ただの気休めなのは分かっている。生まれ変わったところで、次の世も私と出会えるとは限らない。また精霊として生まれてくるのならいざしらず、もしかしたらもう、ゼウスのようなあんな男と出会いたくないあまり、人間でもない、犬や猫や鳥に転生するかもしれないのに」
 「それでも……イオーの心に希望が芽生えたのは間違いありません」
 レシーナーはエリスと向かい合うと、彼女の手を取って握り締めた。
 「たとえ果たせない約束であったとしても、いつかは大好きなあなた様と巡り合う――その希望をあなた様から頂いて、きっとあの子は幸福感でいっぱいだったでしょう。悲しいままあの子が死んでいなくて、友人としてあなた様に感謝いたします、エリス様」
 「レシーナー……」
 エリスは優しくレシーナーを抱き包んだ。
 「約束してくれ……そなただけは、私の傍から離れぬと」
 「はい、我が君。決してお傍を離れません。私は、いつまでもあなた様のお傍に……」
 二人にはわかっていた。今かわしたこの「約束」も、きっと果たせぬ約束になるのだろうことは。
 それでも、今は約束せずにはいられなかった。

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from: エリスさん

2009年05月15日 14時50分54秒

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「果たせない約束・16」
 アルゴス社殿から迎えがきて、レシーナーはどうやって喪服に着替えたのかも思い出せぬぐらい頭が混乱したまま馬車に乗った。
 レシーナーが着くと、すぐに侍女の一人が彼女をイオーが眠る部屋に案内してくれた。
 イオーは、花で囲まれた棺の中にいた。
 「……嘘よ……」
 レシーナーは力ない足取りで近寄りながら、言った。
 「ついこの間、会ったばかりなのよ。まだ死ぬなんて……産み月でもなかったのに、出産で死ぬなんてそんなこと!」
 「早産だったんだよ」
 とエリスが声をかけた。
 「弱った体に胎児が耐えられなくて、早くイオーの体から出ようと頑張ったんだ。だから胎児は無事だが……イオーの体力は、もう……」
 「嘘よ……信じないわ」
 レシーナーはイオーのそばに身をかがめると、その頬に触れた。
 「目をあけて、イオー。冗談なのでしょ? 私を担ごうとして、こんなお芝居を……」
 「レシーナー……」
 エリスが肩に触れたのを合図にしたように、レシーナーの瞳から涙が止めどなく零れた。
 「……もう冷たい……イオーが、こんなに冷たいなんて……どうして……」
 レシーナーはエリスに振り替えると、キッと見据えながら立ち上がった。
 「女神が四柱(しはしら。神が四人ということ)もおいでになって、なぜどなたもイオーを救ってくださらなかったのです!」
 その言葉に、誰も言い返すことができなかった。
 そしてレシーナーは、女神たちの悔恨の思いを察して、ハッとした。
 「申し訳ございません、なんという不遜を……」
 「……よい」と言ったのはヘーラーだった。「私も、私の娘たちも、イオーを助けたかったのはやまやまなのだ。だが、私たちの誰一人として、人の死という宿命を断ち切る力を持っていなかった……不甲斐無いばかりです」
 「ヘーラー様……」
 誰もがイオーの死を悼み、悲しんでいた。
 だがその人物が現れただけで、空気は一変とした。
 「わしの子が無事に生まれたそうだな」
 神王ゼウスだった。
 「なんだなんだ、辛気臭い。わしの子が生まれたのだ、もっと盛大に祝わぬか! 誰ぞ、生まれてきた子をわしの前に連れて参れ!」
 「あなた!」とヘーラーは言った。「なんという不謹慎な! 今われわれは、愛すべき友が失われて嘆き悲しんでいるのですよ。それを、盛大に祝えとはなにごとです!」
 「不謹慎はどちらぞ、ヘーラー」とゼウスは言った。「この万物の王たるわしの子が誕生したのだぞ。祝うのは当然であり、それをこんな辛気臭くしていることこそ、生まれてきた王子に対して不敬ではないか!」
 レシーナーはこのやり取りを見て、なんて心ないことを言うのだろう。これが神々の王たる男神の言葉なのかと、軽蔑の眼差しをゼウスに向けた。
 その視線にゼウスが気付いた。
 「ほう、人間の分際でわしを汚いものでも見るような眼で見ているものがおるぞ」
 そう言ってゼウスが歩み寄ってこようとするのを、エリスが立ちはだかることで制した。
 「なにをなされるおつもりか」
 「なにをだと? その無礼な娘の顔を間近で見てやろうとしただけだ」
 「この者は亡くなったイオーの一番の友人です。悲しさの余り、そのような表情になってしまったのでしょう。どうか寛大な御心でお許しいただきたい」
 「イオーの?……なるほどのう。この者が無礼者なら、友人も無礼者と言うことか」
 「なんのことですか? 陛下」
 と、エリスは平静を装うとしているが、すでに心の中では怒りの炎が燃えたぎっていた。
 「そうであろう? わしの落胤を宿しながら自殺しようとし、果ては、生まれてきた子を養育する義務を放棄して、死におったではないか」
 「なっ!?」
 もう許せない、とエリスが右手を握りしめた時、エリスの後ろからレシーナーが叫んだ。
 「あなたがイオーを殺したんじゃないの!!」
 エリスは咄嗟にレシーナーを振り返り見た。
 「よせ、ひかえよ!」
 エリスに抱きしめられるように止められても、レシーナーの叫びは止まらなかった。
 「まだ十二歳なのに! 子供の体で出産なんか耐えられるわけがない! それなのに、あなたに無理矢理産まされた! イオーは望んでいなかったのに、あなたに力で組み敷かれて!」
 「もういい、レシーナー! やめるんだ!」
 「イオーを返して! けだもの!!」
 レシーナーが泣き崩れていくのを、ゼウスは嘲笑いながら見下ろした。
 「レシーナーか……おまえがエリスの愛人の。叔父に汚された傷物の娘か」
 この言葉にエリスが怒りを抑えられるわけがない。
 「貴様ァー!!」
 今にもエリスの左手が紫の炎を吹き出そうとしたその時だった。
 エリスの前に瞬時で立ちはだかった誰かが、ゼウスの頬を殴り飛ばした。
 エイレイテュイアだった。
 「お父様の顔など見たくもない! お帰りになって!」
 すると、娘には弱いゼウスはフッと笑って、頬を摩りながら部屋を出て行った。

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from: エリスさん

2009年05月08日 14時21分11秒

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「果たせない約束・15」
 それにしてもイオーの痩せ細り方は尋常ではなかった。それなのにお腹だけがせり出しているのである。飢餓に襲われている人間がちょうどこんな姿になることを、レシーナーは以前書物の挿絵で見たことがあった。それとよく似ていて、レシーナーは悲しさに涙を覚えた。
 それを見たイオーは、
 「どうしたの?」
 「あっ、ううん……」
 イオーが妊娠していることを気付かせるような言葉は、イオー自身にかけられた呪術で、周りの者もその影響を受けて口に出せないようになっていた。だからというわけではないが、レシーナーはこうごまかした。
 「あくびを噛み殺しただけよ」
 「ああ、だから涙が出てるのね。そうなんだ、ラベンダーの花のそばにいると、つい眠くなっちゃうんだよ」
 「それが分かってるのに、ここに来ちゃうの?」
 「うん」
 「どうして?」
 「……あの方と、同じ匂いがするから……」
 その言葉でレシーナーが気付かないはずがない。
 「エリス様のこと? イオー、あなた……」
 「だからって! レシーナーさんからエリス様を奪おうなんて、思ってないよ!」
 つい大声をあげてしまったイオーは、その直後、息が荒くなってしゃべれなくなってしまった。
 レシーナーはイオーの背をさすりながら、彼女の呼吸が正常に戻るのを待って、言った。
 「いいのよ、エリス様を好きになっても」
 「レシーナーさん……」
 「前にも言ったでしょ? あなたとなら、エリス様を共有しても構わないわ。それにエリス様は包容力のある方だから、あと何人恋人をお持ちになっても、分け隔てなく愛してくださるもの。だから、私もあなたに嫉妬を抱くこともないと思うの」
 「……本当に、いいの?」
 「ええ。存分にエリス様を好きでいなさい。あの方なら、あなたを癒してくださるから……」
 「癒す?」
 「……辛い時や悲しい時に、助けてくださるって意味よ」
 「うん、そうだね……そういう方だから、私も好きになっちゃったんだと思う……」
 そうかもしれないけど――と、レシーナーは思っていた。本当のところは、イオー自身は気づかないだけで、エリスへの恋心は男への嫌悪と恐怖からくる反動じゃないのだろうか。自分は叔父に凌辱される前から同性が好きだったが、この子は違っていたはずだから。
 『そんなことどうだっていいわ……この子が救われるなら、私がエリス様から身を引いたって構わないもの……』

 イオーが永眠したのは、これから一週間後のことだった。


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from: エリスさん

2009年05月08日 13時52分18秒

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「果たせない約束・14」
 それからの七ヶ月は、誰にとっても辛かった。
 妊娠の自覚がないイオーは、本来ならば胎児の分も食事を摂らなければならないのに、普段とまったく変わらない量しか口にしなかったため、だんだんと痩せ細っていった。
 そうでなくてもまだ十一歳の子供が、胎児を育てるなど簡単にいくはずがない。それでも、周りにいる人々はなにもしてやれなかったのである。
 そしてイオーが十二歳の誕生日を迎えたころ、体力が以前より半減してしまっている彼女は、仕事の合間に気絶をしたように眠ってしまうことが多くなった。心配になったエリスは、レシーナーにある物を託した。
 「神食(アンブロンシア)という果実をほんの少し混ぜたジュースなのだ。イオーにそうとは知らせずに飲ませてくれ」
 「精霊が口にしても良いものなのですか?」
 レシーナーはエリスから手渡された瓶を、慎重に持ちながらそう聞いた。
 「神以外では、特別にゼウスから許された者しか口にしてはならぬ食べ物だが、あのままではイオーが死んでしまう。そなたならイオーになんの疑念も抱かせずに、これを飲ませることもできよう。もし事が公になっても、責めは私が受けるから。とにかく、今はイオーの体力を戻すことが先決だ」
 「わかりました……お任せください」
 レシーナーはさっそく、イオーに会いに出かけた。
 アルゴス社殿に着くと、ちょうど門のところで女神ヘーベーに出会った。
 「あなたは確か、エリスお姉様がお通いになっている人間の娘ね。祖母がアルゴス王の乳母だとか言う……」
 「はい、レシーナーと申します。お目にかかれて恐縮でございます」
 「話には聞いていたわ。本当にお姉様好みの可愛らしい……」
 ヘーベーはそこまで言って、鼻をひくひくとさせた。
 「あなた、その手に持っているものは……」
 レシーナーはハッとせずにはいられなかった。瓶の中身がただのジュースではないことを、この女神は匂いだけで見破ってしまったのである。それもそのはずで、オリュンポスの神食が実る大樹を管理しているのは、他ならぬこの青春の女神ヘーベーなのである。
 レシーナーが恐れおののいていると、ヘーベーは軽くため息をついて、彼女の両肩に手を置いた。
 「エリスお姉様ね、こんなことをなさるのは……あなた、イオーの友人だそうね。確かに、あなたなら自然な流れでこれをあの子に飲ませられるでしょう。でも、私の父にこのことが知れたら、罰せられるのはエリスお姉様だけでは済まないと言うのに……」
 ヘーベーはそう言うと、瓶に手をかざして、なにごとか呪文を囁いた。
 「中身をただのオレンジジュースに換えておいたわ。そして、イオーが口をつけたものだけ、本来の姿に戻るようにしておいたから、あなたが飲んでも大丈夫よ」
 「イオーが口をつけたものだけが、アンブ……」
 アンブロンシアに戻るのですか? と言おうとしていたのに、ヘーベーがレシーナーの口に指をあてることで止めさせた。
 「芸が細かいでしょ? 管理している私だけが使える芸当なのよ」
 レシーナーはヘーベーに重々お礼を言って、イオーのもとへと急いだ。
 見送りながら、ヘーベーは思っていた。
 『お願いね、イオーを……エリスお姉様を。きっと、あなたなら……』
 イオーが侍女部屋にいなかったので、レシーナーは侍女仲間に行きそうな場所を尋ねた。だいたいの意見が「中庭にあるラベンダーの花壇のところ」だったので、レシーナーはそこへ行ってみることにした。
 すると、イオーはそこで花壇の方を向いて倒れていた。
 「イオー! しっかりして!」
 レシーナーが揺り起こすと、イオーは眠そうに眼のあたりをこすりながら起き上った。
 「あれ、レシーナーさん。来てたの?」
 「来てたの? じゃないわ。こんなところで倒れていたら、心配するじゃない!」
 「ああ、ごめん……なんか、最近すごく眠いんだ……」
 とりあえず無事のようなので、レシーナーは安堵の吐息をついた。
 「お仕事がんばりすぎて、疲れてるんじゃないの?」
 そう言ってレシーナーは、ジュースの瓶を差し出した。
 「これ、おいしいオレンジジュースが手に入ったの。あなたにお裾(すそ)分(わ)けに来たわ」
 「ワァーイ!」
 「コップも持ってきたから、一緒に飲みましょう」

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2009年05月01日 12時16分23秒

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「果たせない約束・13」
 「そんなの酷過ぎます!」
 とレシーナーは言った。「愛してもいない男の子供を身籠らせたままにしておくだなんて。生んだところで、その子を育てていけるかどうか。生まれてすぐに殺したくなるほど憎むかもしれないのに!」
 「それは私も主張した」とエリスは言った。「そうでなくてもまだ十一歳の子供だ。まともに出産できるはずがない。それなのに、胎児がゼウスの子であるということだけで、堕胎が許されなかったのだ」
 「そんなの、あんまりです! だって、自分を辱めた男の子供ですよ。お腹の中で、そんなのを育てなければならないだなんて、こんな苦痛はあってはならない……」
 「レシーナー、おまえの気持ちは分かる。私だって同意見なのだ」
 「本当に分かるんですか、あの苦しみが! あんなおぞましい!!」
 そう言って、レシーナーはしばし言いよどんだ。
 「おぞましい……そう、恐怖よりも、あの男に触られただけで気持ち悪くなって……」
 レシーナーは少しずつ、自分が十七歳のときに叔父からされたことを思い出していた。
 「悲鳴を上げたくても、口にスカーフを詰め込まれて、両手を押さえつけられて抵抗もできなくて……私……私も……」
 消されていたはずの記憶が蘇り、狂気が襲いかかろうとしたその瞬間、エリスがレシーナーの頬を触ってきた。
 そのまま優しくキスをすると、レシーナーの周りをエリスの体香であるラベンダーの香りが包み、彼女の心をほぐしていった。
 「そなたはすでに浄化されている」
 エリスはレシーナーの目を見つめながら、そう言った。
 「初めはカナトスの泉で。その後は私が日々、この腕に包むことで浄化してきた。だからそなたは、なんの汚れもない純潔の乙女だ」
 「はい……感謝します。私をお救いくださいましたこと。でも……イオーは救われないのですね」
 レシーナーは目から大粒の涙をこぼしながらそう言った。
 「せめて、おぞましい記憶を消し、暗示の力で妊娠していることを気付かせないようにしているが……。それも、臨月までのこと。出産のときにはきっと、思い出してしまうのだろうな」
 それを聞き、レシーナーはもう泣くことしかできなくて、エリスの胸にすがったのだった。

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from: エリスさん

2009年04月24日 11時05分02秒

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「果たせない約束・12」

 イオーの身に降りかかった不幸など知らず、レシーナーは何度かアルゴス社殿を訪れた。そのたびに他の侍女から「イオーは今、具合が悪くて休んでいるから」と言われ、仕方なく帰るしかなかった。
 しかし自宅の方に見舞いに行ったところ、誰もいないうえに、しばらく竈に火が入った様子もないのに気付いたレシーナーは、イオーがしばらく家にも帰っていないことを知った。
 そのせいなのか、エリスが最近は姿を現さない。
 レシーナーは思い切って、エリスに手紙を書いて小姓に届けさせた。
 今晩お渡りくださいませ――という手紙に、エリスはちゃんと応えて来てくれた。だが、まったく笑顔を見せる様子はなかった。用意された食事にもまったく手をつけようとはしない。そのかわり、あまり好きでもないのにお酒ばかり飲んでいた。
 「エリス様……実はお聞きしたいことが……」
 「分かっている……」
 エリスは杯の中の酒を一気に飲み干すと、深いため息をついた。
 「イオーのことだろう?」
 「はい……」
 「そなたはイオーの親友だから、話したくはないのだが……だが、知らないままでいられるはずもないな」
 「いったい、彼女の身になにが……」
 エリスは杯をレシーナーに差し出して、注いでくれ、と言った。本当ならあまり飲ませない方がいいのだろうが、酔わなければ言えないようなことなのだろうと察して、レシーナーは少しだけ酒を注いであげた。
 それをまた一気に飲み干したエリスは、言った。
 「イオーが、ゼウスに凌辱された」
 「なっ!?……」
 それ以上、言葉にならない。
 「しかも厄介なことに身籠ってしまった。普通なら、堕胎させた後に、母君が所有するカナトスの泉の力で処女に戻してやれるのに、その胎児がゼウスの子というだけで、堕胎することが許されなかったのだ」
 「それでイオーは!」
 「自殺しようとするのを引き止め、記憶の中から凌辱された時のことだけを消した。あとは表面的な傷を治してやり……今はもう、何事もなかったかのように家に帰っているよ」
 「表面的な傷だけ治して、内面はそのまま……受胎したまま……それじゃ、あの子は!」
 「十ヶ月後には出産することになる。自分を凌辱した男の子供を」

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