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神話読書会〜女神さまがみてる〜

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  • from: エリスさん

    2009年07月10日 11時36分33秒

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    ヘーラクレースの冒険・1

                 第1章 神 託

     その当時、アルゴスにあるミュケナイを統治していたのは、エウリュステウスという男だった。かの有名な英雄ペルセウスの孫にあたり、それなりに人望もある男だったが、体が弱いことだけが欠点だった。
     だが彼は自身の病弱を親しい人間にしか知られないようにしていた。というのも、彼の病弱はある神の策略による誤算で、そのことについて彼がその神を恨んでいるのではないか……などという噂がチラッとでも流れないように努めるためでもあった。
     そんな彼が二十五歳になったある日、一人の男が訪ねてきた。
     「アルケイデス? それはわたしの従兄のアンピトリュオーンの息子の、あるアルケイデスのことか?」
     知らせにきた側近にそう聞き返すと、
     「そうです、エウリュステウス陛下。陛下がお生まれになったその半日後に生まれたという、あのアルケイデス王子です」
     「ほう? その彼がまたなんの用事なのだ? まあ、会ってやるとするか」
     噂では躾のために羊飼いとして修行し、その間に快活な心とたぐいまれな怪力を手に入れ、暴れるライオンを棍棒一つで退治したこともあるとか。なかなか面白そうな男のようだ――と思いながら対面してみると、エウリュステウスの前に跪(ひざまず)いたその男には、かなりの悲壮感が漂っていた。
     「そなたがアンピトリュオーンの御子息か。父君は息災であられるか?」
     エウリュステウスが声をかけると、アルケイデスは、
     「はい、誠に……」
     とあまり元気とは言えない声で返事をした。
     「どうかされたのか? アルケイデス殿。御身はわたしと同じ日に生まれたのだから、当然わたしと同じ歳のはず。それなのに、まるで年寄りのように元気がない。テーバイからの長旅でまだお疲れなのかな?」
     「いえ、そうゆうことでは……」
     アルケイデスのただならぬ様子を察して、エウリュステウスは家臣たちを遠ざけて、二人だけで話すことにした。
     先ずエウリュステウスは玉座から降り、アルケイデスの肩にそっと手を当てて、言った。
     「アルケイデス殿、我等は同じペルセウスの血を受け継ぐ者。なにも遠慮はいりませぬ。さあ、話してください。御身がわたしを訪ねてきてくだされた訳を」
     「はい……実は、デルポイのアポローン神殿で神託を受けてきたのです。罪を清めるために、ミュケナイのエウリュステウス王のもとに赴き、彼の与える試練を乗り越えるようにと」
     「罪を清める? いったい、どんな罪を犯したというのです」
     するとアルケイデスは涙ながらに告白した。
     「子供たちを……わたしの子供たちを、この手で殺してしまったのです」

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コメント: 全68件

from: エリスさん

2010年09月03日 11時08分22秒

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「ヘーラクレースの冒険・66」


 「そろそろ起きなさい、我が弟よ。もう意識が戻っているはずですよ」
 美しく優しい女性の声がする。
 ……わたしか? わたしに起きろと言っているのか?――と、彼はうっすらとそんなことを考える。
 「起きなさい。お父様もお待ちかねですよ、ヘーラクレース」
 ……ヘーラクレース……そうだ! それがわたしの!
 ヘーラクレースは、ようやく目を覚ますことができた。
 「おはよう、寝坊すけな弟よ」
 目の前にいたのはアテーナー女神だった。
 「姉上……いったいこれは……?」
 あたりを見回すと、彼は石壇の上にいた。まわりには酒の入った甕や、花や、果物などが並べられている。
 「そうだった。わたしは死んだのだった。これはその、葬儀のためのしつらえですね」
 ヘーラクレースが言うと、アテーナーは軽く吹き出して笑った。
 「そうではない。これは復活のための祭壇です。そなたは人間としては死にましたが、神としての遺伝子は死ぬことがありません。だから、そなたの神の部分を掻き集めて、こうして身体が再構築されるのを待っていたのです」
 「では、わたしは……」
 「人間の部分は焼き尽くしてしまったので、今のそなたは純粋に神です。――さあ、お父様が会いたがっています。参りましょう」
 アテーナーが案内してくれたのは、同じ建物内の最上階だった。聞けばこの社殿こそオリュンポス社殿だという。
 そこには様々な神様が集っていた。すでに顔見知りな神もいる。とくにアレースなどはヘーラクレースの顔を見るなり、親しげに抱きついてきた。
 「会いたかったぞ、兄弟。よく母上の無理難題をやり通せたな」
 「アレース様、そんな恐れ多い」
 「おいおい! 俺のことは兄上と呼んでくれ。俺だけでなく、ここにいる大多数はおまえの身内だ!」
 そこで玉座から声が掛かった。
 「アレースの言うとおりだな」
 ゼウスだった。「ヘーラクレースはわしの息子だ。しかも名実共に英雄だ。神の列に加えても不足はない。そうは思わぬか? 王后よ」
 ゼウスの言葉に、隣にいたヘーラーは不服そうだった。
 すると、アテーナーが前に出て、ヘーラーに跪いた。
 「ヘーラー様、どうかヘーラクレースを認めてやってください。実の子ではない私のことも、我が子同様にお育てくだされた貴女様ではありませんか」
 この言葉に表情を和らげたヘーラーは、近くにいた娘のへーべーに声をかけた。
 「そなた、この者に恋い焦がれていましたね」
 「はい、お母様」と、へーべーは言った。「こうゆう逞しい人の妻になりたかったの」
 「わかりました。では、アルケイデス!――いいえ、ヘーラクレース殿」
 “殿”を付けられて、却ってヘーラクレースは緊張した。
 「どうぞ娘をもらってくださいませんか。いつまでも夢見がちな少女のような娘ですが、もらっていただけたなら、義理の母として今後はお世話させていただきましょう」
 素直に認めるのにはまだわだかまりを覚えるヘーラーの、これが「手打ち」の条件だった。
 ヘーラクレースは快く承諾した。
 「このように美しい方を妻に迎えられるなら、なんの不満もございません。ありがとうございます。よろしくお願いいたします、母上様」
 二人の和解も済んだところで、酒宴が始まった。
 「これ! 婿殿に酒を!」
 ヘーラーに呼ばれて、一人の男が盆に盃を乗せて現われた。その顔を見て、ヘーラクレースは驚いた。
 「我が王! エウリュステウス様ではありませんか」
 「やあ、しばらく」
 エウリュステウスは死後、冥界での精進を終えて、ヘーラーの執事として召し抱えられていたのである。今では健康そのもので、少し太ったぐらいだった。
 「近いうちにミレーユも天寿を終えるのでね、そしたら妻として迎えてもいいと、ヘーラー様からお許しをいただいているんだ」
 エウリュステウスが話し終わらぬうちに、ヘーラクレースは嬉しさから彼に抱きついて、泣きだした。
 こうしてヘーラクレースは神の一員となり、新しい妻や親友と、幸せな生涯を送ることになったのである。


                     完

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from: エリスさん

2010年08月27日 14時20分35秒

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「ヘーラクレースの冒険・65」

 その後もヘーラクレースは、いろいろな所へ赴いて手助けをしたり、戦争に巻き込まれたりしていた。そして最終的にはトラーキスの王ケーユクスのもとに身を預けることになった。やはり故郷であるテーバイには行きづらかったのであろう。正気を失っていたとはいえ息子を殺してしまった過去もあれば、おそらく当時の妻とも顔を合せてしまい、気まずくなってしまうだろうし。
 それからの数年間はヘーラクレースにとって束の間の幸せだったのかもしれない。デイアネイラとの間に子供も恵まれたのだった。
 そのまま幸せの中に浸かっていればいいものを、ヘーラクレースはまた自ら戦いの場へ足を踏み入れた。
 以前ヘーラクレースを侮辱し、本当ならば王女を妻として与えるという約束も反故にした男がいた。オイカリアーのエウリュトス王である。ヘーラクレースはその恨みを晴らすためにオイカリアーを攻略した。そして妻としてもらうはずだった王女イオレーを捕虜としてとらえたのである。
 デイアネイラは、そもそもどうしてヘーラクレースがそんな戦を仕掛けたのか理解できないでいたのだが、捕虜として捕らえた王女のことを聞いて、猜疑心を抑えることができなくなった。
 もう自分に飽きたから、新しい妻を欲しくなったのか――その王女はまだ十五歳だという。これからますます美しく成長していく王女に対して、自分は徐々に老いさらばえていく。ただでさえ神の血をひくヘーラクレースは老いることを知らないかのように若々しいのだから、若さを失った自分などいつか捨てられてしまう……そう思い悩んだデイアネイラは、あのケンタウロスのネッソスの言葉を思い出した。
 ちょうど、戦勝を祝しての祭儀のために、ヘーラクレースに礼服を用意してやらねばいけないところだった。それならばとデイアネイラはネッソスに教えられたとおりに、礼服にネッソスの血を染み込ませた。
 そうとは知らずにヘーラクレースがその礼服を着ると、数分後にヘーラクレースは苦しみだした。礼服がピッタリとヘーラクレースの肌に張り付き、肌を焼き始めた。――ネッソスの血にはあのヒュドラーの猛毒が含まれていた(ヘーラクレースの矢に塗られていた)。その毒がヘーラクレースの肌を焼いているのである。
 ヘーラクレースは急いで礼服を脱ごうとしたが、その力で皮膚まで剥がれ、ひどい所は骨まで見えるほどになった。
 それを聞いたデイアネイラは、自分がネッソスにだまされたことを悟り、首をつって死んでしまった。
 ヘーラクレースは苦しみながら、死ねない体に猛毒が当たるとこうなるのかと、かつてのケイローンの苦しみを思い知った。この苦しみから解放されるには、死ぬしかない。
 ヘーラクレースは不死であるこの体を無くしてしまうために、家臣たちに火葬の準備をさせた。そしてその間に、デイアネイラとの間に生まれた長男ヒュロスを呼び寄せ、成人の暁にはイオレーを妻として娶るように約束させたのだった。
 火葬のための祭壇が出来上がり、ヘーラクレースは自らその祭壇に登った。そして家臣たちに火をつけるように命じたが、誰もそれをしようとはしなかった。そこへちょうど通りかかったのがテッサリアのメトーネーの領主ボイアースだった。ボイアースは事情を聞き、ヘーラクレースのもがき苦しむ姿を見、また尊敬する主に火をくべることなどできないと嘆く家臣たちの気持ちを察して、自分が汚れ役を買って出ると申し出てくれた。ヘーラクレースはボイアースに感謝して、エウリュステウスから貰い受けてからずっと大事にしていた弓を彼に贈った。
 こうして、ヘーラクレースは生きながら火葬にされ、人間としての肉体は失われた。だが、神としての霊魂は火葬の煙とともに天に昇って、アテーナーの手によって集められたのである。





   次回、最終回になります。

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from: エリスさん

2010年08月20日 14時21分56秒

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「ヘーラクレースの冒険・64」


 敬愛する主を失ったヘーラクレースは、新妻となったデイアネイラを連れて故郷に帰ることになった。
 その道中、雨で水かさが増して、橋もないので渡りづらくなった場所に差し掛かった。そこへ、ネッソスと名乗るケンタウロス(半人半馬)が通りすがった。一目で「英雄のヘーラクレース」だと分かったネッソスは、困っているなら奥方だけでも自分の背中に乗せて運んであげよう、と申し出てくれた。ヘーラクレースはその親切に感謝して、デイアネイラをネッソスに託し、自分は歩いて川を渡った……すると、ネッソスが急に速度を上げて水の中を走り出した。デイアネイラを誘拐しようとしたのである。
 「どうゆうつもりだ!」
 とヘーラクレースが叫ぶと、ネッソスはこう言い返した。
 「おまえも大事な者が失われる苦しみを知れ!」
 ネッソスはあのケイローンの弟子の一人で、ケイローンがヘーラクレースの毒矢で苦しみながら死んでいくのを看取り、埋葬した人物だったのだ。
 ヘーラクレースは今更ながらに自分のしでかしたことに後悔したが、デイアネイラが泣き叫びながら助けを呼んでいるのを見過ごすこともできず、ネッソスに毒矢を向けた。
 ネッソスの首に矢が刺さった時には、二人は川岸についていた。その時まだヘーラクレースは川の流れに足を取られて、前に進めなくなっている。その隙にネッソスはデイアネイラに囁いた。
 「わたしはあなたに一目ぼれしてしまったのです。だからこんな馬鹿なことをしてしまいましたが、せめて哀れと思ってくれるなら、わたしにあなたを守らせてください。わたしの血を布に浸し、それを取っておきなさい。万が一、あなたの夫が他の女に心変わりすることがあったら、この血を水に溶かし、その溶かした水に彼の衣服を浸して、その衣服を彼に着せれば、たちまち彼の心はあなたに戻ってくることでしょう」
 ピュアな心の持ち主であるデイアネイラは、ネッソスのこの言葉を信じてしまい、その通りにした。後にこれが大変なことになるとは露知らずに。

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from: エリスさん

2010年08月06日 11時31分36秒

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「ヘーラクレースの冒険・63」

 ヘーラクレースは初め、エウリュステウスが眠っているのだと思った。それぐらい表情は穏やかで、にこやかに笑っているようにさえ見えたのだ。
 だが王妃のミレーユは信じられないことを言った。
 「王は二度と目覚めません。すでに呼吸も止まり、体温も失われてしまいました」
 「そんな……嘘です」
 そう言いながらも、ヘーラクレースはエウリュステウスの手を握り、それが真実であることを認めなければならなかった。
 「なぜです……なぜなんだ、エウリュステウス!」
 ヘーラクレースは彼の手を眼頭に押し付け、その冷たさに涙しながら床に膝を突いた。
 「待っていてくれると約束してくれたじゃないか、わたしの帰りを! これからは友として一緒に過ごすと……」
 「その言葉は嘘ではなかったはずです」と、ミレーユはヘーラクレースの肩に手を置いた。「王も、あなたの帰りを待っていたかった。でも、もうお身体が……あなたが冥界から帰ってくる少し前から、もう危うかったのです。それを、ヘーラー女神さまのお力で延命していただいておりました。でもそれも、とうとう限界にきてしまったのです」
 ミレーユの言葉でさらに涙を覚えたヘーラクレースは、そのまましばらく号泣した。
 それも収まると、彼は涙をぬぐってこう言った。
 「葬儀を行わなければなりませんね。王の功績を讃えた華やかな葬儀を……わたしにお任せいただけますでしょうか? 王妃」
 その言葉にミレーユは首を振った。
 「いいえ、葬儀は行いません……王は亡くなられてはいませんから」
 「いったいなにを? 王は亡くなられたと、あなた様がそうおっしゃられたからこそ、わたしは……」
 「確かに私の夫であり、あなたの友人であるエウリュステウスは亡くなりました。ですが、この国の王は亡くなってはおりません」
 ミレーユがそう言っている間に、王子のテウスが部屋の中に入ってきた――頭に王冠を載せて。
 「この国の王は僕だ、ヘーラクレース。エウリュステウス2世――それが僕の本名だ。でも表向きは、エウリュステウス王はたった一人」
 「どうゆうことです!?」
 「それが!」とミレーユが叫んだ。「それがエウリュステウスの遺志なのです。神王ゼウスが宣言した“ペルセウス一族の長となる王”は、短命であってはならない。神の血を引く者はみな長寿だから、この病弱ゆえに早く死ぬことがあったら、王子を身代りに立てるようにと」
 「まあ、もともとは母上のアイデアだったんだけどね」
 と、テウス王子も言った。「だから僕は父と同じ名を付けられたんだ。父のもしもの時が来たときの“保険”として。でもできれば、そんな日は来ないでほしかった。父上にはずっと長生きしてもらいたかったけど……こうなったからには仕方ない。僕が父の振りをするよ。幸い僕や弟たちはあまり国民に姿を見せないようにしていたから、僕が父上の代わりになっても“王が少し若返った”ぐらいにしか見られないし、万が一バレそうになっても、そう言い訳するつもりだ」
 「しかしそれでは!」
 「いいんだ。僕がそれでいいって言ってるんだから、認めてよ、ヘーラクレース。父上は、自分を可愛がってくれた女神さまを尊敬していた。だから、女神さまの不名誉にならないようにしたかったんだ。あなたは知ってた? 神王ゼウスが宣言した本当の人物はあなただって。本当はあなたがペルセウス一族の長になるはずだったのに、女神さまがそれを憎まれて、まだ生まれるには早すぎる僕の父を先に生まれさせたって。そのおかげで父上は病弱になったらしい。でも父上はそのことを恨んではいなかった。そんなことより、女神さまのような方が自分を気にかけてくれるのが嬉しいって、僕によく話してくれてたんだよ。だから僕も、父上がこんなに早く亡くなられてしまったことで、女神さまを恨んだりはしない。僕の大好きな父上が尊敬する女神様なら、僕もお役に立ちたいんだ。だから、僕は父上の振りをする。僕は父上に――ペルセウス一族の長になる!」
 それまで床にへたれこんでいたヘーラクレースは、王子の言葉を聞いてしっかりと立ち上がった。
 「それならば、もう自分のことを“僕”と言うのはおやめください、王。あまりに子供っぽいですよ」
 「うん……そうだな。わたしは王らしく振る舞わなければならない」
 「はい、王……」


 こうして永眠したエウリュステウスは親族だけで密葬された。
 ヘーラクレースはエウリュステウス2世から、この国に留まらないかと誘われたが、世間的にはどうであっても、やはり自分がお仕えしていたのは亡き王だったのだからと、故郷に帰ることを選んだのだった。

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from: エリスさん

2010年07月30日 14時06分19秒

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「ヘーラクレースの冒険・62」
 
 ヘーラクレースがケルベロスを連れて帰ろうとしていた道中、馬車で先回りしていたエウリュステウスが待っていた。
 「二人だけで話したいことがあったのだ」
 エウリュステウスは、御者(馬車を操る人)が心配するのをなだめてから、ヘーラクレースとケルベロスを御者から離れた所へ案内した。
 「これぐらいでいいだろう……誰も見ていないな」
 エウリュステウスはそう言うと、そうっとケルベロスの頭に手を近付けた。そして、真ん中の頭を撫でた。
 「やっぱり、本当は怖い犬ではないのだな」
 「王、お気づきだったのですか?」
 「ああ、気がついた。彼――ケルベロスが、そなたを友として慕っていると。きっと、わたしもそなたを友と思っているから、同類として心が通じたのだろう。それに……」
 エウリュステウスはケルベロスの横の、ちょうどアドーニスが立っているあたりに目を向けた。
 「そこに、もう一人いるね。そなたを友だと思っている人が」
 「なんだ、バレちゃったんだ」と、アドーニスは姿を現した。「でも僕は人ではなく、今は幽霊みたいなものだから。居ないものとして考えてもらえませんか」
 「そうですね、世間一般的には“協力者はいなかった”とした方が、ヘーラクレースに箔が付く。獰猛な冥界の犬を、たった一人で、腕力で押さえて連れてきた英雄――そうゆうことにしておきましょう。しかし、わたしは真実を知っておかなければいけない。彼の主人としても、友としても……そうだね? ヘーラクレース」
 「はい、王」とヘーラクレースは頭を下げた。「申し訳ございませんでした」
 「謝る必要はない。そなたは何も間違ったことはしていないのだから。わたしは“冥界のケルベロスを連れて来い”と言ったのだ。“力で従わせて”とは一言も言っていない。だから、ケルベロスと心を通わせて、友達として連れ帰ってきても、それはわたしの指示通りということなのだ」
 「王……」
 「エウリュステウスと呼んでくれ。そなたはもう、試練を終えたのだ。わたしのもとから自由になる権利を得た。これからはどこにでも行くといい」
 「そのようなこと……わたしはやはり、これからもあなたにお仕えしたいのです。あなたは、暴走しがちなわたしを優しく見守り、今までも何度も女神を怒らせてしまったのに、命をかけて弁護してくださった。あなたのような主人には、もう巡り合えそうにありません」
 「ありがとう。だがわたしは、そなた――君とは、対等でいたいのだよ、友人として」
 「では、友人として王のお傍にいさせてください。形だけは“臣下”として、でもその実は友人――そういう関係があってもいいではありませんか」
 「うん……それは面白いかもしれない。じゃあ、そうするかい?」
 「はい!」
 「じゃあ、そういうことにしておこう。……ヘーラクレース」
 「はい」
 「今までありがとう。君の土産話はいつも楽しかった。わたしは体が弱くて、あまり国外へ出たことがないから、君の旅の話が楽しみでならなかったよ。まるで、自分が旅に出ているように、情景を思い描くことができた……」
 「では、今度一緒に旅行に行きましょう。もちろん、今すぐではありません。気候のいい時期に、王の体調が良かったら、ほんの近場でもいいんです。わたしがご案内いたします。その時はわたしが御者になりましょう」
 「ああ……いいね。そうしよう」
 「では、待っていてください。ケルベロスを冥界へ送ってから、途中寄るところがあるのですが、すぐに帰ってきますので」
 「寄るところ?」
 「冥界にいた亡霊と約束をしたのです。彼の妹の様子を見に行くと。かなり心残りだったようで、心配していたので」
 「そうか。君が人の役に立ってくれて、わたしも誇りに思うよ」
 エウリュステウスはそう言って、笑顔でヘーラクレースを見送った。


 それからヘーラクレースは、ケルベロスとアドーニスを冥界まで送り届け、その帰り道、メレアグロスとの約束通り妹のデイアネイラの様子を見に行った。そこでデイアネイラが好きでもない河の神に無理やり妻にされそうになっていたところに出くわし、デイアネイラを救い出したのだった。その時、ヘーラクレースとデイアネイラはお互いに一目ぼれをしてしまい、そのまま結婚してしまったのである。
 ヘーラクレースは新妻を連れてミュケーナイに帰ることになった。――自分のことを「友」と呼んでくれた人が、すでに永眠したことなど露知らずに。

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from: エリスさん

2010年07月23日 11時56分33秒

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「ヘーラクレースの冒険・61」
 ケルベロスが落ち着いたところで、ヘーラクレースは彼に、鎖でつながれた首輪を付けてもいいか、と聞いた。
 「冥界のケルベロスは獰猛(どうもう)だと思われているから、まるで友人のようにわたしと並んで歩いているだけでは、見ている人にあなたがケルベロスだと信じてもらえないかもしれない」
 「もっともですね。どうぞ、首輪をつけても構いませんよ。それでわたしは、道行く人を怖がらせて、それをあなたが抑え込んでいるように見せればいいのですね」
 「そうです、お願いします」
 こうしてケルベロスは首輪でつながれることになった。誰も見ていないところでは楽しくおしゃべりをしながら歩いたが、向こうから人が見えると、さもヘーラクレースが力で抑え込んでいるように演出したのだった。
 ミュケーナイに到着したのは、それから六日後のことだった。


 ヘーラクレースが帰ってきたことを知らされたエウリュステウス王は、病床についていたが、女神ヘーラーから差し入れられた黄金のリンゴを一口だけ食べて、ようやく起き上った。
 「あなた……」
 ミレーユ王妃が心配しながら着替えを手伝っていると、彼はニッコリと笑ってこう言った。
 「友の試練がようやく終わるのだ。わたしが祝ってやらなくて、誰が祝うのだ?」
 エウリュステウスはミレーユの唇に軽くキスをしてから、歩き出した。
 大広間にはすでにヘーラクレースがケルベロスとともに待っていた。王宮の人々も珍しいものを見ようと集まっていて、その人々をケルベロスがうなり声で威嚇していた。
 玉座の奥から現れたエウリュステウスに、ヘーラクレースはいつものように跪(ひざまず)いた。その時、鎖が少し弛んだのに、ケルベロスが前に出てくることも、ヘーラクレースが鎖を引き寄せることもしなかったので、エウリュステウスはすぐに気付いた。
 『彼はこの猛獣と、どうやら友人になったようだな』
 なので、重臣たちがエウリュステウスに「危険ですから、甕にお入りください!」(大広間には、ヘーラクレースがどんな猛獣を連れてきても王や王妃に危険がないように、防御のための甕が埋め込まれている)とお願いしているのに、
 「大丈夫だ、ヘーラクレースが傍にいるのだから」
 と、笑って見せた。
 「ヘーラクレース! 見事、わたしの言い渡した試練をすべて遣り遂げた! そなたこそ世界一の英雄だ! そなたを同じ一族に持てて、わたしは誇りに思うぞ!」
 「ありがとうございます、我が王」
 「これでそなたの罪は浄化された。そなたを縛るものはもうなにもない! これからは、自分の望む道を進むがよい」
 「はっ……」
 ヘーラクレースは言葉に詰まった……自由にしろ、と言われても。実のところ先のことなど考えてはいなかったのだ。なにしろ、エウリュステウスに命じられた試練を果たしながらも、旅をするのが楽しくて、今だってまた「行ってこい」と命じられれば、素直に旅に出てしまいそうな気持ちだったのだ。
 そんな彼の気持ちを見透かしたのか、エウリュステウスは言った。
 「とりあえず、ケルベロスを冥界へ返してきなさい。先のことはそれから考えてもいいだろう」
 

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from: エリスさん

2010年07月16日 11時47分46秒

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「ヘーラクレースの冒険・60」
 「そうだな、アドーニスが付いていてくれれば」
 と、ハーデースは安堵した表情になった。「それならばケルベロスを地上に連れ出してもいい。どうかな? ヘーラクレース」
 「はっ……」
 正直、ヘーラクレースは困っていた。以前、怪物退治に甥を連れて行き、手伝わせたことで、女神ヘーラーの怒りを買ったからだ。ハーデース達の心配も分かるが、ここでアドーニスに手助けをしてもらっては、また試練を増やされてしまうかもしれない。
 ヘーラクレースはそのことを正直に告白すると、ハーデースは気を悪くすることもなく、こう言った。
 「ならば、保険としてアドーニスを連れていくがいい。もしもの時はそなたが一人で対処するが、それでも駄目だった場合はアドーニスの手を借りたまえ。心配するな、わたしからも姉上(ヘーラー)には口添えをしておくから」
 こうして、アドーニスも霊体のままヘーラクレースとケルベロスについて地上へ行くことになった。
 案の定、地上へ出るとケルベロスが暴れだした。
 「熱い! 痛い!」
 初めて見る太陽に目をやられて、パニックを起こしてしまったのだった。ヘーラクレースは必死に抱きとめて、暴走しないように地面に押さえつけた――その時だった、ケルベロスの姿が変わったのは。三つの頭をもつ恐ろしい犬の姿から、銀色の毛並みをした美しい狼に変化したのである。それを見てヘーラクレースが驚いていると、
 「それがケロちゃんの本当の姿なんだよ。苦しさで魔力を維持していられなくなったのさ」
 そうしてアドーニスはケルベロスの前へ行き、彼の頭を撫でてあげながら言った。
 「大丈夫だよ、目は焼けたりしない! 落ち着いて、目を閉じるんだ。そしてゆっくりと呼吸をして……」
 アドーニスに言われるように、ケルベロスは呼吸を整えながら、気持ちを落ち着かせた。
 「よし、いいぞ……じゃあ、ゆっくり目をあけてみよう。大丈夫、もう眩しくないよ」
 言われるままにケルベロスがゆっくり、こわごわと瞼を開く……。
 「どう?」
 「はい……もう大丈夫です。ありがとうございます、王子。ヘーラクレース殿も」
 もう大丈夫だとヘーラクレースも思ったので、押さえつけていた腕を放してあげた。
 「本当に苦しかったんだね。よだれ出てるよ。カッコいい姿に戻ってるのに台無しだ」
 アドーニスはヘーラクレースからタオルを借りて、ケルベロスの口元を拭いてあげた。
 「よし、綺麗になった……ごめんね、ヘーラクレースさん。タオルはちゃんと洗って返すよ」
 「いいえ、お気遣いなく。それより、これはなんでしょうね?」
 「これって?……これ?」
 ケルベロスのよだれが落ちた地面から、いくつもの植物の芽が出てきたのである。
 「なんだろ。この国では、地面に落ちた血や涙から植物が生まれることがよくあるけど……ケロちゃんのよだれから、何か生まれたみたいだね」
 「だとしても、あまり良いものではなさそうな気がします」
 ケルベロスはそう言いながら、三つ頭の犬の姿に戻った。「なにしろ、わたしが怪物の血筋の者ですからね」
 その後この芽はぐんぐんと成長して、紫色の花をいくつも咲かせた――これがトリカブトの元祖と言われている。

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from: エリスさん

2010年07月09日 11時31分13秒

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「ヘーラクレースの冒険・59」
 テーセウスが完全に消えてしまうと、ヘーラクレース達は再び居城へ向かって歩き出した。
 冥界の王の居城では、実際にはゼウスの兄であるはずなのに、ゼウスよりもずっと若く見えるハーデースと、まだ幼さが見え隠れするほど若く見える美しき王妃ペルセポネーが待っていた。
 ハーデースとペルセポネーは、先ず息子アドーニスとの再会を大いに喜んだ。その間ヘーラクレースは放っておかれたが、無理もないのでしばらく待っていた。
 そうしてどれぐらいたったことか……ようやくアドーニスがヘーラクレースのことを思い出した。
 「そうだ、お父様。僕、地上から案内してきた人がいるんです」
 「あ!?」
 と、ハーデースとペルセポネーも同時に思い出した。
 「すまない、ヘーラクレース。つい、息子との再会が嬉しくて」
 「本当に、客人を放っておくなんて、失礼をしてごめんなさい」
 ハーデースとペルセポネーは二人揃ってヘーラクレースの方へ行った。
 「いいえ、お気になさらず」
 とヘーラクレースが言うと、ハーデースは恐れ多くも握手を求めてきた。
 「こうして会うのは初めてだな、甥御殿(おいごどの)。わたしがそなたの叔父(血筋の上では伯父だが)、ハーデースだ」
 「お会いできて光栄です、叔父上」
 ヘーラクレースはそう答えて、ハーデースと握手を交わした。
 「そして私があなたの姉、ペルセポネーです」
 「お会いできて光栄です、姉上――わたしよりも若く見える方を“姉”と呼ぶのも恐れ多いですが」
 「そんなこと気にしなくていいのに。でもそうね、言いづらいなら“王妃”と呼んで。これなら年齢は関係ないでしょ?」
 「そうさせていただきます、王妃様」
 「さて、そなたがここへ来た用向きだが」と、ハーデースは言った。「最後の試練のために、ケルベロスを地上に連れて行きたいのであったな」
 「すでにご存知でしたか」
 「エレウシスの巫女から報告は受けている。しかし、そう簡単にケルベロスを貸してやるわけにはいかぬ」
 「なぜです?」
 「ケルベロスは生まれてこの方、この冥界から出たことがない。今までと違う環境に追いやられて、精神を病んでしまった聖獣は少なくない」
 「そうよね……」とペルセポネーも言った。「ケルベロスがもし我を忘れて、人間たちに襲い掛かりでもしたら……」
 「大丈夫です!」とヘーラクレースは言った。「もしケルベロスが暴れだすようなことがあっても、わたしが押さえつけます!」
 「押さえつけられるだけで済むならいいのよ。勢い余って、あなたがケルベロスを殺してしまったら!……それが一番心配なのよ」
 ペルセポネーの言葉に続けて、ハーデースも言った。
 「ケルベロスもわたし達には家族なのだよ。分かってくれ、ヘーラクレース」
 するとケルベロスが口を開いた。「ご主人さま、お妃さま、御心配には及びません。わたしの弟・オルトロスも、闇夜に生まれた後、急に地上に連れ出されて飼い犬となりましたが、お二人が心配なさっているようなことは少しもなかったそうでございます」
 「その時のオルトロスは、まだ目も開かない子犬だった。だからなんともなかったかもしれないのだ」
 ハーデースが言うと、
 「じゃあ、僕が付いていきますよ」
 と、アドーニスが言った。「僕はまだ霊体だから、ケロちゃんが我を忘れて暴れだしても、憑依してコントロールすることができるよ」

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from: エリスさん

2010年07月02日 14時36分31秒

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「ヘーラクレースの冒険・58」
 「わたし達はヘーラクレース様がお亡くなりになってから、何十年も経った世から来たのです」
 と、テーセウスは言った。「最後にヘーラクレース様とお会いしたのが、わたしが何歳の時か……お聞きになりますか?」
 「いや、聞きたくない」
 それでは寿命が分かってしまうのだから、ヘーラクレースの答えは当然と言えば当然だった。
 「分りました、では話しません。……ヘーラクレース様の“今”が、冥界の番犬を連れ出しに行った時なら、まだヘーラクレース様はわたしの妻・アンティオペーが死んだのをご存知ないですね」
 「なに、亡くなられたか……」
 「はい……」
 それからテーセウスはクレーテー島の王女パイドラー(ミーノータウロス退治の時に手助けをしてくれた王女・アリアドネーの妹)を正妃に迎え、父の跡を継いでアテーナイの王になった。そしてアテーナイを文化都市にするためにいろいろと貢献してきたのだが、アンティオペーの忘れ形見・ヒッポリュトスが大人になりだした頃、問題が生じた。
 ヒッポリュトスは恋愛を不潔なものと捉えるようになり、生涯純潔を通すことを月と純潔の女神アルテミスに誓ったのである。それに怒ったのは美と愛の女神アプロディーテーだった。アプロディーテーはヒッポリュトスを懲らしめようと、パイドラーに呪術を掛けてしまった。その呪いとは、パイドラーがこともあろうに義理の息子であるヒッポリュトスに恋をすることだった。
 パイドラーは夫の留守中にヒッポリュトスに迫ったが、当然ヒッポリュトスはなびかない。それどころか「けがらしい!」と罵倒されて、絶望し、遺書を残して自殺してしまう。その遺書の内容はヒッポリュトスを陥れるものだった。その遺書を読んだテーセウスはヒッポリュトスをアテーナイから追放し、さらにヒッポリュトスに天罰が下ることを祈った。
 テーセウスが、すべてはアプロディーテーの策略だったと聞かされたのは、ヒッポリュトスが事故死した後だった。
 ヒッポリュトスはその後、アルテミスの手によって蘇り、アルバニ山の麓の土地神になったそうだが――このことで、テーセウスは優秀な後継者を永遠に失ってしまったのである。
 それでも初めのうちは、王制に頼らず、いずれは国民が統治者を選ぶ「民主政治」を確立すれば、急に自分がいなくなっても国が滅ぶことはないだろうと、その準備を着々と進めていたのだが……。
 「最近、彼と……紹介が遅れましたが、彼はわたしの友人で、ペイリトオスと言います。ラピタイの王です」
 「うむ、それで?」
 「それで、酒の席で、互いに妻や子を失った苦しみを語り合ったのです。ペイリトオスも妻と子を同時に失っているのです」
 その酒の上で、彼らはとんでもないことを思いついたのだ。神の娘を妻にすれば、自分にもご加護があるかもしれないから、もう不幸なことにはならないのではないかと。それで、テーセウスはスパルテーの王妃が生んだゼウスの娘・ヘレネー(当時まだ十二歳)をさらってくることを決め、ペイリトオスは冥界の王妃であるペルセポネーを奪うことを決めたのだった。
 そして二人はさっそくスパルテーに乗り込んで、隙を突いてヘレネーを誘拐することに成功。ヘレネーはテーセウスの生母・アイトラーに預けられることになった。
 勢いに乗った二人はそのまま冥界に潜り込んだのだが、蛇の精にペルセポネーの居所を尋ねると、
 「その長椅子に座って待っていれば、じきにここをお通りになる」
 と言われて、その通りにした。
 「そうしたら、この椅子にくっついてしまって、離れられなくなってしまったのです……それから何年たったことか……」
 「テーセウス……ペイリトオスとやらも、何をやっているんだァ……」
 ふつふつと怒りがこみ上げてくるヘーラクレースを、背中を叩くことで制したのはアドーニスだった。
 「分るよ、幸せになりたかったんだよね、あなた達。でもね……僕のお母様を誘拐しようだなんて、不遜にもほどがある!」
 初めは笑顔だったアドーニスの表情が、だんだんと怒りの形相になり、そして彼は言った。
 「ケルベロス! 噛め!!」
 「ガオ!」
 ケルベロスはペイリトオスの肩に食らいついて、離れなくなった。ペイリトオスの悲鳴と言ったら、地上まで届くかというほどだった。
 テーセウスには噛みついてこないようだったので、彼はこわごわとアドーニスに聞いた。
 「あの……お母様とおっしゃられたが、もしやあなたは……」
 「ペルセポネーは僕のお母様なんだ」
 なのでヘーラクレースが補足した。「ハーデース様とペルセポネー様の御養子だ。アドーニス様という、伝説のお方を知らないか?」
 「あの、アネモネに変化したという?」
 「多少歪められて伝わっているらしいが、その時に御養子になったそうだ」
 「そんなことはどうだっていいんだよ……ケルベロス、もういいよ」
 アドーニスが言うと、ケルベロスはペイリトオスから離れた。
 「先ず、結婚はお互いの意思でするものであって、一方の思い込みで浚ってくるなんて、犯罪以外のなにものでもない。その一点だけでもあなた方は罰せられるべきだ。その上で、忘れてはならないのはお母様――ペルセポネーは女神だと言うことだ。女神を人間のあなた方が誘拐できるわけがないじゃないか。万が一できたとしても、それは女神を汚す行為だ。万死に値する! それでも殺されずにこうして生きていられるのは、僕の父の温情だと思うべきだ!」
 「はい……すみません……」
 二人が反省したようにうなだれているので、アドーニスはヘーラクレースに言った。
 「あなたがここに来る時間に、二人の時間がつながったということは、僕の父が二人を許したのだと思います。助けてやってください」
 「アドーニス王子がそうおっしゃられるなら」
 ヘーラクレースは長椅子の背を抑えつけながら、まずはテーセウスを引っ張った――すると、簡単に椅子から剥がれることができた。
 だが、ペイリトオスは剥がすことができなかった。どんなに引っ張っても駄目なのである。
 「つまり、お母様をターゲットにしたペイリトオスはまだ許されず、一応は人間であるヘレネーを誘拐したテーセウスの方は許された、ということみたいですね」
 「……仕方ありません」とペイリトオスは言った。「わたしはそれだけのことをしたのです。テーセウス、わたしに構わずおまえだけでも地上に帰れ」
 「ペイリトオス……」
 二人が手を握り合って別れを惜しんでいると、二人の姿がかすみだした。
 「これは?」
 ヘーラクレースがアドーニスに聞くと、
 「二人の空間が、元いた時間に戻るんですよ。少し離れてください、巻き込まれるといけない」
 アドーニスの言葉にテーセウスも気づいて、ヘーラクレースの方へ振り返った。
 「ありがとうございました、ヘーラクレース様。お会いできて嬉しかったです!」
 「もう無茶なことはするんじゃないぞ、テーセウス!」
 「はい、ありがとう……」
 テーセウスが皆まで言う前に、ペイリトオスと、長椅子も消えてしまった。

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from: エリスさん

2010年07月02日 11時50分10秒

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「ヘーラクレースの冒険・57」
 一行がさらに歩いて行くと、道が急に広くなった所に出てきた。居城はもう少しの所らしいのだが、そこに、長椅子に座ったままうなだれている二人の男を見つけた。
 「あれも亡霊か? その割には存在がはっきりしているような」
 ヘーラクレースがそう言うと、その声に男の一人が気がついて、こちらを向くなり、言った。
 「あなた様は! ヘーラクレース様ではございませんか!?」
 「ん? そういうあなたは、どこかで見たような……」
 ヘーラクレースは歩み寄りながら、よくよく相手の顔を見た。そして気がついた。
 「テーセウスか! どうしてこんなところに! しかも、かなり老けたじゃないか」
 アマゾーン遠征の時に同行したアテーナイの王子・テーセウスだった。あれ以来会ってはいなかったが、それでも一年ぐらいだというのに、いま目の前にいるテーセウスはどう見ても三十年は年を取った見た目だったのだ。
 「ヘーラクレース様こそ、亡くなられた頃とまったく変わらない――いや、むしろ若返られたようなお姿で。やはり、人は死ぬと年をとらなくなるのですね」
 「“亡くなられた”だと? わたしはまだ一度も死んではいないぞ。ここへは生きたまま来ているのだ」
 「え?」
 二人の会話を聞きながら、アドーニスは長椅子の周りを歩いて、何かを確かめているようだった。そして天井の方に目を向け、
 「ああ、やっぱり。ここから、あっちまで、空間がねじ曲がっているね。つまり、長椅子を囲むこの空間だけが未来なんだ。この二人は僕やヘーラクレースさんがいた時間より、ざっと三十年は先の世から来ているんだよ」
 「冥界では、こうゆうことがよく起きるのですか?」
 「たまにね。ある罪人が罪を償うためにその場所に閉じ込められて、ちょうど許される頃になると、その閉じ込められた場所から解放してやることのできる英雄が現れる――その英雄にヘーラクレースさんが選ばれたんだね。だから、ヘーラクレースさんがこの場所を訪れるちょうどこの時間に、こっちの二人の時間がつながったんだ。……もしかしてヘーラクレースさん、僕の父とは知り合い?」
 「知り合いと言いますか、一度、友人の妻を助けていただいて、その時にお声をかけていただきました」
 「そうか。その時に見込まれたんでしょうね」
 「ということは……」
 テーセウスともう一人の男は「罪人」ということになる。
 「そなた、いったい何をやった!」
 ヘーラクレースがテーセウスの胸倉を掴んで引き上げようとすると、一緒に長椅子と、隣の男もくっついて浮き上がった。
 「な、なんだ!?」
 ヘーラクレースが驚いていると、
 「そうなんです……この椅子、離れないんです。もう何年も……」
 「だから!」と、ヘーラクレースは長椅子ごと彼らを元に戻して、言った。「いったい何があったのだ!」

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from: エリスさん

2010年06月25日 13時29分40秒

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「ヘーラクレースの冒険・56」
 「アドーニス様」と、ケルベロスは口を開いた。「察するに、あなた様はこの者の道案内をしているようですが……なぜにあなた様が? それにこの者は死人ではないような」
 「そうさ。彼はまだ死んではいないよ。なんでも、君に用があるんだって」
 「わたしに?」
 「はい、そうなのです」と、ヘーラクレースはここへ来た経緯を説明した。するとケルベロスは言った。
 「事情は分かったが、わたしは冥界の王に仕える身。主の許しなく冥界を離れることはできぬ」
 「だったら、お父様にお許しをいただきに行こうよ。ヘーラクレースさん、僕が居城まで案内します」
 とアドーニスが言ったので、ケルベロスは言った。
 「アドーニス様が行かれるのであれば、わたしもお供します。途中の道には無礼な亡者たちもおりますから」
 「いいけど……ここの見張りはどうするの?」
 「問題ございません。今ちょうど、わたしの弟が来ておりますので、代わりにやらせます」
 ケルベロスはそういうと、遠くの闇に向かって遠吠えをした。すると、そこから懸命に駆けてくる獣の足音が聞こえた。
 「お呼びですか、兄さん!」
 闇の中から出てきたのは、頭が二つある犬だった――その犬に、ヘーラクレースは見覚えがあった。
 「ん? おまえは……」
 「ああ!?!?!?」
 頭が二つある犬は、両方の頭で怖れおののきながら後ずさった。
 「へ、へ、ヘーラクレースゥ〜〜!」
 「兄さん! こいつですよ! 俺たちを殴り殺したのは!」
 「どうか仇を取ってください、兄さん!」
 「あなたが本当の姿に戻れば、こんな人間……兄さん?」
 頭が二つある犬は、兄と呼ぶケルベロスが険しい表情をしているのに気付いて、口を閉じた。
 静かになったところで、ケルベロスは言った。
 「だからわたしが何度も言っていただろう? オルトロス。心正しき主に仕えないと、ろくな死に方はしないぞ、と。おまえが仕えていた魔物は、近隣住民を苦しめていた。だから成敗された。おまえが巻き添えを食って死んだところで、それがおまえの選んだことなのだから仕方ないだろう」
 そこまで聞いてヘーラクレースは思い出した。
 「そうか! おまえ、ゲリュオンのところで牛の番をしていた犬か!」
 「そうだ。貴様に殴り殺されたオルトロスだ! おかげで今は冥界にいる」
 オルトロスと名乗った犬の右側の頭が答えると、ケルベロスが口をはさんだ。
 「主人に選んだ男が悪かったのですよ。だから、次の転生ではちゃんとした主に仕えることができるように、しばらくわたしの仕事を手伝わせながら修業させているのです」
 「そうなんだ」とアドーニスが言った。「今度は優しいご主人様にお仕えできるといいね」
 「はい、まったくです……」
 そんなわけで、その場はオルトロスに任せて、ヘーラクレースとアドーニス、ケルベロスは冥界の王の居城へ向かったのだった。
 歩きながら、ヘーラクレースは気になっていたことがあったので、アドーニスに聞いた。
 「先刻のオルトロスには人格が二つあったようですが、ケルベロス殿には人格が一つしかないのですね。頭は三つもあるのに」
 「そうだよ。実は、左右の頭は飾りでしかないんだ。実際の頭は真ん中のものだけ――もっと突き詰めると、実はこの姿も作りものなんだよね。本当のケロちゃんはもっとカッコイイんだよ。まるで銀色の狼みたいなんだ」
 「銀色の狼? それは見てみたいですね」
 「ここでは駄目だよ……っていうか、僕たち家族にしか見せられないんだ。ケロちゃんは仕事のために見た目を恐ろしくしているんだ。亡者がここから逃げ出そうと思わないように、脅かしているんだよ。だから、あそこから離れてからケロちゃんはしゃべっていないでしょ?」
 「はい、確かに」
 「言葉が話せると分かってしまうと、意思の疎通ができるなら、なんとか説き伏せて見逃してもらおうと思う輩がでてくるかもしれない。だから、犬語しかしゃべれないことになっているんだ」
 「なるほど……」
 それから居城までの道のりで、彼らは幾人もの亡霊に話しかけられた。だいたいは無視して歩いたが、その中の一人があまりにも必死にヘーラクレースにすがりつくので、彼は足を止めてしまった。
 「わたしはメレアグロスと言う。非業の死を遂げてここへ来たが、わたしの死後、残してきた妹が心配でならない。あなたはあの有名なヘーラクレース殿でいらっしゃいましょう。どうか、我が妹デイアネイラを妻に娶ってはくれないか」
 「妹御(いもうとご)のことが心配なのは分かるが、結婚はお互いの意思が決めるもの。妹御がわたしを気に入ってくれ、わたしも妹御を妻にしてもいいと思えたら、その時は必ず結婚しよう」
 「そうか……ではせめて、妹の様子だけでも見てきてくれ。妹によこしまな思いを描いていた河の神がいた。妹が望んでもいないのに、かなり強引に求婚してきて……わたしが居なくなって、そいつが妹に悪さをしないかと、気が気ではないのだ」
 「分かった、そういうことなら。地上へ出たらすぐに妹御の様子を見に行こう」

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from: エリスさん

2010年06月18日 11時40分47秒

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「ヘーラクレースの冒険・55」
 無事に一ヶ月間の潔斎を終わらせたヘーラクレースは、巫女の手によって「生きながら冥界へ旅立てる秘術」を施してもらえた。
 「道案内は彼がしてくれます」
 巫女は礼拝堂の隅の暗闇の方へ手を向けた――そこに、老人が一人立っていた……足が地に着いていない老人が。
 「彼は夕べ亡くなったばかりなのです。冥界への道筋は、彼が本能で見つけだすことでしょう」
 つまり幽霊と連れだって行け、ということなのだが、ヘーラクレースは恐れもせずに老人の幽霊の方へ近づいた。
 「よろしくお願いします、おじいさん」
 「こちらこそ」と老人は言った。「一人で寂しく行くよりも、連れがいてくれた方が助かりますでな」
 ヘーラクレースと老人はさっそく出かけることにした。道すがら老人が旅の話を聞かせてほしいと頼むので、ヘーラクレースは快く語って聞かせた。二人が楽しく語らいながら歩いていると、いつのまにか海岸沿いに来ていた。
 冥界への入口は、海岸沿いに並ぶ大きな岩の裏にあった。表から見た時は何もわからなかったが、裏に回ると、突然そこに穴が開いたのである。その穴の深さなら、岩の表にも突き抜けていなければおかしいところなのだが。
 「なるほど、ここからは異世界――つまり冥界につながっているということなのか」
 「ほんに不思議ですなァ」
 二人はなんのためらいもなく、穴の奥の暗闇に入って行った。
 しばらく歩いて行くと、洞窟の途中に小さな明かりがいくつか灯るようになっていった。
 「いよいよそれっぽくなってきましたね」
 ヘーラクレースが言うと、隣を歩いていた老人が言った。
 「本当ですね」
 ……老人のはずなのだが、声が少し若返っていた。不審に思って見ると、実際に老人が中年ぐらいに若返っていた。
 「あの……おじいさんですよね? 一緒にここまで来た」
 「ええ、そうですよ」
 次の明りにたどり着いたとき、老人の姿は青年になっていた。
 「どうやら冥界に入ると、死者は若いころの自分に戻るようですね」
 次の明かりがあるところまで、老人は話しながら歩いた。ヘーラクレースも置いて行かれないようについて歩いていくと、その声がどんどん若返っていくのが分かった。
 「どうやら記憶も戻るみたいです。僕がこの姿になる前の……前世の僕が……戻ってくる……」
 二人は大きな明りがある所――冥界の門の前にたどり着いた。
 そこに、ヘーラクレースが目指していたものがいた。冥界の番犬・ケルベロスである。恐ろしい形相をした三つの頭を持つ犬……のはずだが、ケルベロスは二人の姿を見ると、嬉しそうな顔をして駆け寄ってきた。
 「ワホンワホン!」
 ケルベロスは、今や少年にまで若返った老人にまとわりついた。
 「久しぶり! ケロちゃん! 元気にしてたかい?」
 それを聞いて「け、ケロちゃん?」とついヘーラクレースは聞いてしまった。
 「そう、ケロちゃん。僕とケルベロスは友達なんだ。八十八年ぶりの再会なんだよ」
 「へえ……つまり、前世で仲良くなったと?」
 「前世って言うか、僕、生まれ変わるの五回目なんだ。だから相当前からの友達だよ」
 「いったい、あなたは……」
 ヘーラクレースが訳が分からなくなっていると、突然ケルベロスが口を開いた。
 「コラ、下郎! 王子に向かって失礼なるぞ!」
 「え!?」
 ケルベロスが人間語を喋るのにも驚いたが、そのケルベロスが老人――もとい少年のことを「王子」と呼んだのにも驚いた。
 「こちらの御方は、冥界の王ハーデース様と、お妃のペルセポネー様の御養子・アドーニス王子様なるぞ!」
 「ええ!?」
 ヘーラクレースにとってはすでに伝説の彼方に消えた人物である。美の女神アプロディーテーの愛人であり、幼少時代はペルセポネーに育てられたという。アドーニスの所有権をこの二人の女神が争ったことは有名で、伝説ではアプロディーテーが勝った形になっている。しかし、実際のアドーニスがこうして「冥界の王の養子」になっているところを見ると、どこかで伝説がゆがめられて伝わっているらしい。
 ヘーラクレースがそんなことを考えていることを察したアドーニスは、少年らしい愛らしさでニコッと笑った。
 「実際は伝説とはかなり違うよ。僕は確かにアプロディーテーの愛人にはなっていたけど、花になんかならずに、こうして何度も生まれ変わって、いつかはハーデースお父様とペルセポネーお母様の実子として生まれ変われるよう、修行の旅をしているのさ」
 「人間から神へ……かなり大変そうですね」
 「でもいろいろなことを勉強できて、楽しいよ」

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from: エリスさん

2010年06月04日 14時02分53秒

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「ヘーラクレースの冒険・54」


       第12の試練 冥界の番犬ケルベロスを連れてくること


 ヘスペリデスから帰ってきたヘーラクレースを、エウリュステウスは三日間休養させから、最後の試練を申しつけた。
 「十二番目、最後の試練は、冥界へ行ってきてほしい」
 「冥界?」と思わずヘーラクレースは聞き返した。「あの、死者が行く世界ですか?」
 「そうだ。そこにいる番犬ケルベロスを連れて帰ってくるのだ……最後の試練に相応しい、難題であろう?」
 「はい……冥界へは、死ななければ行けませんから」
 ヘーラクレースがいつになく自信がなさそうに言うので、エウリュステウスは笑った。
 「まさか、わたしがそなたに“死ね”と言うと思っているのか?」
 「いいえ!? そんなこと……」
 万が一にもそんなことは有り得ない。これまで培ってきた二人の関係は、主従を超えて友人と呼べなくもないと、互いに思っているのだから。
 ……そうなると?
 「生きながらにして、冥界へ行く方法があるのですか?」
 ヘーラクレースの言葉を聞いて、エウリュステウスは満足げに微笑んだ。
 「冥界の王ハーデース様の妃は、豊穣の女神デーメーテール様の一人娘であるペルセポネー様だ。そのつながりで、デーメーテール信仰の篤(あつ)いエレウシースの民の中に、冥界への安全な旅ができる秘儀を行える者がいると聞く。先ずはその者たちを探すのだ」
 ヘーラクレースはそれを聞くと、すぐにもエレウシースへと旅立った。そこで聞き込みをすると、ヘーラクレースの評判がすでにこの町にも流れていて、そのおかげで秘儀を行える者をすぐに見つけ出すことができた。
 「冥界へ生きたまま行くためには、先ず一ヶ月間の禊(みそぎ)が必要となります。しばらくこの地に滞在なされて、精進潔斎をなさってください」
 こうして、ヘーラクレースは汚れを祓うための精進潔斎を受けるために、エレウシースに一ヶ月間滞在することになったのだった。

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from: エリスさん

2010年05月28日 13時54分53秒

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「ヘーラクレースの冒険・53」

 ヘーラクレースへの10番目の試練は「ゲーリュオネースの赤い牛を取ってくる」ということであった。
 これが良くわからないのだが……今までは人助けのように怪物を退治したり、珍しいものを取ってきたりというものだったが、これだけが、赤い牛などたいして珍しいわけでもなく(現に赤茶色の牛は通称“赤べこ”として存在するわけだし)、このゲーリュオネースが近隣の人々に悪さをしていたという事実もないのに、エウリュステウスはそれを欲している。確かにゲーリュオネースは三つの頭と六本の脚を持つ怪人ではあるそうなのだが……。
 かなり疑問は残るが、ヘーラクレースはエウリュステウスに命じられるまま、ゲーリュオネースを倒して赤い牛を手に入れるのだった。なおこの際、牛の番犬である「オルトロスの犬」をひと殴りで殺している。


 そして、11番目の試練へと移った。
 「本当だったら前回の試練で終わっていたはずだったのにな……」
 以前ヒュドラー退治で甥のイオラーオスを手伝わせたことと、アウゲイアースの馬小屋掃除で報酬を求めたことがヘーラー女神の怒りに触れ、試練を増やされてしまったのだ。
 「本当にあの時は、申し訳ございませんでした」
 ヘーラクレースは恥ずかしさで平伏するしかなかった――エウリュステウスがヘーラー女神に取り成してくれなかったら、今の自分はなかったかもしれないのである。
 「なに、臣下を守るのも王の役目だ。さて……次の試練はその我が女神からの挑戦なのだよ」
 それは――ヘスペリデスの黄金の林檎(りんご)を、その番人である竜を倒さずに手に入れる、ということだった。
 今まで力任せに怪物を退治してきたヘーラクレースには、少々難題かもしれなかった。
 ヘスペリデスというのは、エリス女神の姉にあたる三人の女神で、「黄昏(たそがれ)の娘たち」と呼ばれている。西の果てに住んでいて、その地にある黄金の林檎の樹を守っていた。番人として樹にぴったりとくっついている竜は、後に出てくるケルベロスやオルトロスの兄弟にあたる。
 とりあえずヘーラクレースは西の果てに向かうことにした。道筋は以前プロメーテウスを探しに行った時に通っているので、まったく迷うことがなかった。
 西の果てにつくと、そこには三人の女神がいた。
 「林檎を取ることがあなたの試練というなら、私たちは止めはしないわ。だけど、あのラドン(竜)を倒さずにそれを成すことができるかしら?」
 ヘスペリデスの一人・閃光のアイグレーにそう言われたヘーラクレースは、確かに悩んだ。なにしろ今回は「倒してはいけない」のだ。しかし、竜は近づくものにはなんであろうと口から火を吐いて、近づけさせてはくれない……ただ一人を除いては。
 竜に毎日餌付をしている巨人がいた。アトラースである。
 アトラースは世界の果てで天空を両肩に乗せて支えている――という伝説があるが、賢い読者ならもうおわかりだろう。そんなことあるはずがない! 天空は誰に支えられるでもなく、自ら空に浮いているものだ。おそらくアトラースがかなりの巨体だったことからそんな伝説が出来上がったのだろう。実際、アトラースはヘーラクレースの八倍はあろうかという大男だった。彼にだけは竜も懐いている。
 ヘーラクレースはアトラースに事情を説明した。
 「よし、わかった。俺とレスリングの試合をして、君が勝ったら林檎を採ってきてやるよ」
 こうしてヘーラクレースは、アトラースとレスリングで戦うことになった――なんと十日もの間! そうしてようやくアトラースに勝つことができ、黄金の林檎を手に入れたのである。
 林檎を受け取ったエウリュステウスは、それをヘーラー女神に献上した。すると女神は、その林檎を割って、一切れだけエウリュステウスに食べさせた。
 「これで、もうしばらくは大丈夫であろう……」
 血色の良くなったエウリュステウスを見ながら、悲しそうにそう言ったヘーラー女神に、エウリュステウスは微笑んで見せた。
 「悔やまないでください、我が女神。わたしは十分、人生を楽しんでおります」

 試練も残すところ一つだけとなった。


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from: エリスさん

2010年05月21日 12時42分15秒

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「ヘーラクレースの冒険・52」
 テーセウス王子も同行することになった次の目的地は、アマゾーン一族の住む土地だった――このアマゾーンがどこにあったのかは、実はよくわかっていない。トラーキア北方などの黒海沿岸ではないか、というのが今のところの通説である。しかし女王ヒッポリュテーの実父がアレース神であることから考えると、アレースの所領であるトラーキアの近辺である可能性は非常に高い。
 このアマゾーン、もしくはアマゾネス族は女性しかいない種族だった。種族保存のために近隣の種族の男と交わるか、もしくは旅行者などと交わって子供を作るが、女の子だけを育て、男の子が生まれた場合は殺してしまうか、父親の方に押し付けるか、もしくは男性機能を切り落として奴隷にすると言われている。
 そして女の子が生まれた場合でも、大人になり軍隊に入った際は、弓矢を引くのに邪魔になる右の胸を切り落としていたという。
 とにかく女傑ばかりの強い軍隊を有していた。――今回の試練は、そのヒッポリュテー女王の金の帯を取ってくることだった。
 ヘーラクレース一行がアマゾーンに到着すると、ちょうどその子作りの時期だったらしく、その手伝いをしてくれるのなら金の帯を譲る約束をしてくれた。
 あまりにも事がスムーズに進んだのが許せなかったヘーラー女神は、皆が寝静まったころヒッポリュテー女王に姿を変え、「ヘーラークレースたちに騙された!」と騒ぎだした。
 アマゾーンたちはすぐにも武装し、ヘーラクレースのおつきの兵士たちと一戦交え出した……その騒ぎで、ヘーラクレースとヒッポリュテーも目を覚ましたのである。
 「女王の命令だと言っている声が聞こえるが?」
 ヘーラクレースは剣に手をやりながら言った。
 「信じて! 私はたった今まであなたと眠っていたのよ。そんな命令を出せると思うの!」
 「しかし、この部屋の外の者たちは、そう騒いでいる……」
 「馬鹿にしないで! 私は、寝屋を共にした御方を騙すような愚か者ではないわ。私はあの誇り高き軍神アレースの娘なのよ!」
 アレースの人柄はヘーラクレースも知っている。彼はヒッポリュテーの言葉を信じて、一緒にこの騒ぎを鎮めてほしいと頼んだ。
 「者ども、静まれ! 誰がこんな騒ぎを起こしたのです!」
 皆の前に現れたヒッポリュテー女王は威厳高らかにそう言った。
 「しかし、ギリシア人に騙されたと、寝首を掻かれそうになったと、女王自らが……」
 「それは私の偽物です! このヘーラクレース殿を貶めようとする何者かの謀略です。それに乗せられて、なんたる醜態ですか。恥を知りなさい!」
 その時、向こうの方からも騒ぎ声が聞こえた。
 「みんな動くな! 動けば妹姫の命はないぞ!」
 テーセウスだった。ヒッポリュテーの妹(父親は違う)のアンティオペーを人質に取っていた。
 「テーセウス! いったいなんのつもり……」
 ヘーラクレースはそう言いながら、テーセウスの手に持っているナイフに気づいた――それは偽物のナイフだったのだ。間違っても切れるはずがない。それをヒッポリュテーも気づいてヘーラクレースに耳打ちした。
 「あれは妹が使っているペーパーナイフです」
 テーセウスとアンティオペーもこの場を収めるために一芝居打っている――そう気づいたヘーラクレースとヒッポリュテーは、二人の作戦に乗ることにした。
 テーセウスはヘーラクレース一行を無事に船に乗せるまでは、アンティオペーを解放しないと言い、緊迫の空気のまま、なんとか一行を船に乗せることができた。
 「これで全員無事に船に乗ったはずです。早く妹を解放しなさい!」
 「まだです! ヘーラクレース様が所望された金の帯を、あなたはまだ渡していない。妹君はその帯と交換だ!」
 船と岸をつなげる橋の上で、テーセウスとヒッポリュテーは妹姫と帯とを交換した。その際、テーセウスは小声で言った。
 「ご協力を感謝します、女王」
 その言葉にヒッポリュテーは微笑みで返した。
 そうして船が岸から離れようとしたとき、アンティオペーが叫んだ。
 「テーセウス! 私、あなたのことが好き! これっきり会えないなんて嫌!」
 「だったら、付いておいで!」
 テーセウスは船からロープを投げた。「僕と生きる勇気があるなら、つかまって!」
 アンティオペーは姉の方を振り返ると、言った。
 「ごめんなさい、私……」
 「いいのよ、行きなさい」
 その言葉を聞くとアンティオペーは力強くうなづいて、走り出していた。
 無事に船に乗り込んだアンティオペーは、この後テーセウスの妻になるのである。

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from: エリスさん

2010年04月30日 15時07分58秒

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「ヘーラクレースの冒険・51」
 ヘーラクレースがミュケーナイに帰ると、王宮ではテウス王子の内々の成人式を執り行っていた(王子は十五歳になっていた)
 「なぜに大々的にやって差し上げないのです? 王の跡取りでいらっしゃるのに」
 ヘーラクレースが当然の疑問を投げかけると、エウリュステウス王は苦笑いをしながら答えた。
 「王妃がこれでいいと言うのだよ。税金の無駄遣いはしたくないと。国民の中には成人式どころか、誕生日も祝ってもらえない貧しい子供もいるのだからと」
 もちろん言いわけである――ヘーラクレースは知らないことだが、実はこの国では王の子供が何人いるか、何歳になるのかなど、一切公表していなかったのである。後々のために……。
 「さて、次の試練の前に話したいことがある」
 以前クレーテー島で捕まえてきた牡牛だが、アッティケーの野に放たれてから数カ月のちに、また暴れ牛に戻ってしまっていた。
 これはすぐにでもヘーラクレースに退治してもらわねば……とエウリュステウス王が思っていたところ、一人の青年がふらっと現れて、この牛を退治してくれた。
 その青年の名をテーセウスと言った。アテーナイ王アイゲウスと、トロイゼーン王の娘アイトラーとの間に生まれた王子で、アイゲウスにとっては王妃以外の女から生まれた庶子であった。
 テーセウスが父親を訪ねてアテーナイへ来たとき、それをアイゲウスよりも先に見つけたのが新たに王妃となったメーデイア――あのイアーソーンが黄金の羊の毛皮を手に入れる時に手助けをし、のちに彼の妻となったメーデイアである。イアーソーンと別れてアイゲウスと再婚していた彼女は、テーセウスがアイゲウスの息子であるとすぐに見破り、彼が現れては自分の幸せが失われると思って、二人が親子の名乗りをする前にこう持ちかけた。
 「あの男はアテーナイの王位を狙っている不届き者に違いありません。どうしても王に会いたいと言うのであれば、あの暴れ牛を退治して見せよと申し渡すべきです」
 あの暴れ牛に勝てる者など、いるはずがない……とメーデイアは思っていたのだが、テーセウスは難なくそれを退治してしまった。彼はアテーナイへ来る道すがら、何度も化け物退治をしてきていたのである。
 「そうしてテーセウス王子は祝宴の席に招かれて……アイゲウス王は彼が所持していた剣とサンダルで、自分の息子だと気付いたというのだ」
 エウリュステウスが言うと、ヘーラクレースは、
 「それでメーデイアは?」
 「生まれたばかりの王子と、連れ子の男の子二人を連れて、行方をくらましてしまったそうだ」
 その連れ子の男の子というのは、きっとイアーソーンとの間に生まれた子供だろうな。いったいイアーソーンとメーデイアとの間になにがあったんだ? とヘーラクレースは思わずにはいわれなかった。
 「それからテーセウス王子はクレーテー島にも渡ったそうだ。クレーテーとアテーナイとの間には以前戦争があって、アテーナイが敗北したのだが、それからというものアテーナイは三年ごとに男女七人づつ――計十四人の青年を奴隷としてクレーテーに差し出さなければならなくなったのだが、その奴隷というのがどうもただの奴隷ではなかったらしくてな……ヘーラクレース、そなたクレーテー島で迷宮という名の牢獄を見なかったか?」
 「あっ、見ました! かなり大きな建物で……」
 「実はその中に魔物が棲んでいたらしい。奴隷として差し出された青年たちは、その魔物の餌食にされていたそうなんだ。それを知ったテーセウスは、自分がその貢物の奴隷にまぎれて、見事その魔物を退治したそうだよ」
 「すごいですね! わたしもそのテーセウスという英雄に会ってみたいものです!」
 「……うん。そこで話の本題なのだが……次のそなたの試練は、アマゾーンの女王ヒッポリュテーの金の帯を取ってくることなのだが……」
 「あのアマゾーン軍の女王ですか……」
 「そう。そして今回も勇士を募ってもいいとお許しをいただいている。そこでだ……彼を同行させてほしい」
 エウリュステウスが言うと、後ろの扉が開いて、まだ少年ともいえる青年が入ってきた。
 「彼が、アテーナイ国の王子テーセウスだ」

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from: エリスさん

2010年04月23日 12時37分11秒

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「ヘーラクレースの冒険・50」
 トラーキアから帰還する途中、ヘーラクレースの一行はテッサリアのペライへ立ち寄った。そこの王であるアドメートスとはアルゴー遠征で戦友となった仲であった。その為、自分がアルゴナウタイから外れた後のイアーソーンたちのことも知りたかったのも手伝って、一夜の宿を頼んだのだが……運の悪いことに、ちょうど王妃アルケースティスの葬儀の最中だった。
 それでもアドメートスはヘーラクレースを追い返すことはせず、
 「離れでよければ、疲れを癒して行かれよ。満足な接待はできないが」
 と、自らその離れ屋に案内してくれるのだった。
 こんな日に訪れたのも何かの縁と、ヘーラクレースも葬儀に顔を出してお悔やみしようとしたところ、ヘーラクレースは祭壇に乗せられたアルケーティスがまだ生きていることに気づいた。
 「これはどうしたことだ! なぜ生きている人間の葬儀などしている!」
 ヘーラクレースが友人を問い詰めると、彼は泣きながら告白した――かつてアポローン神が怒りにまかせて、何の罪もないキュクロープス兄弟を殺害してしまったことがあった。そのことでアポローンは奴隷として一年間、人間に仕えなければならなくなった。その奉公先が当時はまだ少年王だったアドメートスのところだった。
 アポローンは名目上は奴隷として仕えながらも、アドメートスのおかげでそれほど辛い思いはせず、無事に一年の刑期を終えることができた。そのことに感謝していたアポローンは、アドメートスが年頃になったとき、思いを寄せていた女性(アルケースティス)と結婚できるように取り計らってあげたのだった。そして二人の結婚式の日、さらにお祝いをしてやろうと運命の女神たち(三人の女神)モイライを呼び寄せたのだった。
 だが、モイライの三人の女神はどうも機嫌が悪かったのか、こんな祝福の言葉を与えた。
 「寿命を教えてやろう。そなたは長生きできない。そう、あと五年で死ぬことになる」
 まったく祝福になっていない言葉だった。アポローンは責任を感じてその祝福の言葉を撤回させようとしたのだが、相手が三人ではとても敵わない。せいぜいアポローンができたことは「緩和」することだけだった。
 「誰かがアドメートス王の代わりに冥界へ行けば、王は助かる」
 ではその時は私が身代りに……と、アドメートスの年老いた両親が言ってくれたので、その場はなんとか納まったのだが……。
 それから五年後。ついにアドメートスの心臓が苦しみ始めた。
 アドメートスは先ず、かなりの賞金をかけて、代わりに死んでくれる人を募集したが、誰も名乗り出なかった。両親もいざとなったら死を恐れてしまう。
 するとアルケースティスがこう言った。
 「それならば私が身代りになりましょう」
 その途端、アルケースティスは意識を失って倒れてしまったのであった。
 ――この話を聞いたヘーラクレースは、友人をなじった。
 「自分さえ生きられれば、愛する人が死んでもいいのか!」
 「いいわけないだろう!」とアドメートスは言った。「妻が意識を失って、それならとわたしはすぐに自殺しようとしたのだ! それなのに、胸を貫こうとした剣は途端に切っ先から曲り、首をつろうにも綱が切れ、頭から水瓶に飛び込んでも弾き飛ばされてしまう。つまり、わたしは死ねない体になってしまったのだ。神のお言葉が成就されるために!」
 泣き崩れるアドメートスの背中をさすってやりながら、その時ヘーラクレースは葬儀場の隅に、人間には姿が見えないようにしていた死の神タナトスを見つけた。(ちなみに運命の女神たちモイライと、死の神タナトスは姉弟であり、不和女神エリスとも姉弟になる)
 タナトスさえ追い返せばアルケースティスは死ななくて済む、と考えたヘーラクレースは、すぐさまタナトスに挑みかかった。だが、こうゆうことには慣れているタナトスは、見かけによらず手ごわい相手だった。大乱闘の騒ぎは冥界にいるハーデースやペルセポネーの耳にまで届いた。
 するとハーデースは言った。
 「もう良い、タナトス。今回のことはそもそもモイライ達の悪ふざけから来たもの。あの三人にはわたしから言っておくから、アルケーティスは連れてこなくても良い」
 こうしてアルケーティスは意識を取り戻し、葬儀も取り止めになったのだった。
 そのあとはヘーラクレースたち旅の一行を招いての酒宴になったことは言うまでもない。そこでようやくヘーラクレースはイアーソーンのその後を聞くことが出来た――コルキスでメーデイアという王女に出会い、彼女の手助けで黄金の羊の毛皮を手に入れられたこと。そしてイアーソーンはメーデイアと結婚して故郷に帰ったと……イアーソーンに不幸が訪れるのは、もう少し先のことになる。

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from: エリスさん

2010年04月16日 14時30分09秒

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「Re:ヘーラクレースの冒険・49」
 ヘーラクレースが恋人の死を悼み、彼女の墓とともに作った都市、アマルフィー.........ではその恋人とは誰だったのか?


 そもそもこれを追求するために書き始めたのですが...






 男じゃん!
 なにが「女神の報酬」ですか、お付きの少年じゃないか!


 と、資料を読み解いていくうちに私は思いました。
 すると、「マンガ ギリシア神話」を描かれた里中満智子先生がこう書いておられました。
 「ここにもヘラクレスが来て活躍したんだ、ここにも.....という話がどんどん盛り上がり、それで到る所にヘラクレスの物語が残ったのでしょう」
 ――なるほど、じゃあ「アマルフィ」の話は、アブデーロスの話を主軸にした、誰かの創作だと?
 そう思えば角は立たないのかなァっと、今は思っています。

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from: エリスさん

2010年04月16日 14時17分54秒

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「ヘーラクレースの冒険・49」

 それでは前回宣言したとおり、今日からはストーリーだけを解説します。小説は最後の方の話だけ書きますので。


 エウリュステウスからアルゴナウタイに参加することを許されたヘーラクレースは、一路コルキスへと向かいます。アルゴナウタイのメンバーの中には、詩人のオルフェウスや、後にアキレウスの父となるペーレウス、そしてペーリアス王の息子のアカストスもいました。アカストスは父親の卑劣なやり方に反発して、イアーソーンについてきてしまったようです。
 また後に出てくるテーセウスもこの中に居たようですが、そうなると今後のストーリー展開でつじつまが合わなくなってしまうので、ここでは「居なかった」ということにしておきます。
 コルキスへの旅の途中、一行はキオスに上陸した。飲み水と食料を求めてである。そこで、ヘーラクレースの従者ヒュラースが、その森に棲むニンフに一目ぼれされて、連れさらわれてしまう。ヘーラクレースはアルゴー船を降り、ヒュラースを探し回った――ヘーラクレースがなかなか帰ってこないので、イアーソーンは仕方なく二人を置いて旅立つことにする。
 そしてヘーラクレースがヒュラースを見つけ出すと、ヒュラースは自分に恋してくれたニンフが普段一人ぼっちで、可哀そうだし、自分もこの子が好きになってしまったから、ここに置いていってほしいと懇願する。ヘーヘラクレースはそれを快く承知し、一人でミュケーナイへ帰るのだった。

 ヘーラクレースと別れたイアーソーンは、無事にコルキスに辿り着き、その国の王女メーデイアの手助けを得て、黄金の羊の毛皮を手に入れるのだが、またそのメーデイアのおかげで災難にも見舞われるようになった。その物語はまた別の機会に。


 ヘーラクレースの七番目の試練は、クレーテー島の牡牛を連れてくることだった。
 この牡牛はただの牛ではなかった。そもそもはポセイドーン神が「いずれ生け贄として海中に差し出すように」とクレーテー王のミーノースに約束させて下げ渡した牛だが、ミーノース王はその牛の美しさに目がくらみ、生け贄には別の牛を捧げた。当然ポセイドーン神がそれを見破れぬはずもなく、ミーノースは罰を受けることになった。
 先ず、ミーノースの妃パーシパエーが、神の呪いによりこの牡牛に盲目的な恋をしてしまう。パーシパエーは発明家のダイダロスに頼んで、牝牛そっくりの入れ物を作らせた。そして牡牛がいる牧場にそれを置くと、中に入り、牡牛と契りを結んでしまったのであった。
 その十ヶ月後、パーシパエーは奇妙な子供を産んだ――胴体は人間だが、頭だけが牛の化け物だった。しかもその子は、まだ赤子だというのに大人よりも力が強く、そして倒した人間を食べてしまった。
 ミーノースはダイダロスに命じて、迷路のような牢屋「ラビュリントス」を作らせ、その迷宮の中に化け物――ミーノータウロスを閉じ込めたのだった。
 そして、パーシパエーと通じた牡牛は、我が子が生まれるのを見届けるとすぐに暴れ牛にと変じた。
 ヘーラクレースが退治を頼まれたのは、この暴れ牛だった。ヘーラクレースもエウリュステウスも、この国でそんな忌まわしいことが起こったことも、ミーノータウロスという化け物がいることも知らされなかった。
 ヘーラクレースがこの暴れ牛を捕らえたところ、牛はたちまち暴れるのを止め、おとなしく美しい牛に戻った――どうやらいづれかの神の御心でそうなったらしいのだが、とりあえずヘーラクレースが生け捕りにしてミュケーナイに連れて帰ると、
 「こんなに美しい牛を殺すには忍びない。おとなしくなったのなら、野に放してやりなさい」
 というエウリュステウスの慈悲で、解放された。――後にこの牛はまたアッティケーあたりで暴れ牛になるのだが、新たな英雄であるテーセウスに退治されることになる。
 

 第八の試練はトラーキア王ディオメーデースの馬を捕らえてくる、ということだった。この馬は人を殺して食べる、という噂が流れていたが、前回の暴れ牛も捕まえてみたら大人しくなった、ということから、
 「単に肉食の馬なのかもしれない。ディオメーデース王が悪戯に馬に人肉を食わせているだけなら、その馬が可哀想だから掻っ攫ってくるがよい。だが、本当に自分から人を襲って食っている化け馬なら、遠慮はいらぬ。退治してしまえ」
 と、エウリュステウスはヘーラクレースに命じた。
 このディオメーデースは「自分は軍神アレースの子である」と吹聴し、また剣術も強いことから、周りの人々はそれを信じて、ディオメーデースの悪行に目をつぶることしかできないでいた。
 この時初めてヘーラー女神から同行者を許されたヘーラクレースは、数人の義勇の士をつれてトラーキアへ向かった。
 そしてディオメーデースと対峙し、肉食の馬を三頭とも手に入れたのだが、追手が激しく、仕方なくアプデーロスという少年に馬の番をさせて、追手と応戦した。
 そして戦いの末、追手がディオメーデース一人になったとき、ヘーラクレースは店を仰ぎ見た。
 「軍神アレース様! この者が真にあなた様の息子であるなら、わたしはこの者を殺すことができません。どうか、あなた様が直々にお裁きくださいませ!」
 するとアレースは天から舞い降りてきた。アレースはディオメーデースの額の傷口から血を一掬い指に取ると、それをなめて確かめた。
 「この者は俺の息子ではない。この男の血は完璧に人間のもの。つまり、この男は我が名を騙り、悪行の数々を重ねてきた不埒者だ! 我が弟ヘーラクレースよ、こやつを成敗せよ!」
 「御意!」
 ヘーラクレースは一刀のもとにディオメーデースを斬り殺した。
 そしてアプデーロスのもとへ戻ると、彼はもうすでに肉食の馬に食い殺された後だった。
 ヘーラクレースはエウリュステウスの命のままに馬を退治したのち、その場所にアプデーロスの墓を建て、都市を作った。それがアプデーラ市の始まりである。

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from: エリスさん

2010年04月09日 12時26分37秒

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「ヘーラクレースの冒険・48」
 巫女が神託を受ける儀式を始めると……巫女はすぐにそれを止め、ヘーラクレースの方に振り返った。
 「神託は、女神さまが直接お話しなさるそうでございます」
 「直接?」
 「はい。私は席を外しますので、どうぞお気兼ねなくお話をなさってくださりませ」
 巫女はそういうと祭壇を降り、退出していった。
 それと入れ替わるように、天井から光り輝く誰かが舞い降りてきた。その姿を見た途端、そばにいたヒュラースは床に平伏した。
 アテーナー女神だった。
 「そなたを騙すようなことをして、済まなかったのう、我が弟よ」
 アテーナーは親しげに言いながら、ヘーラクレースの顔を上げさせた。
 「でも私も、計画の全貌を知らされたのは、そなたを旅立たせたあとだったのですよ」
 「その計画とは?」
 「イアーソーンを英雄にする計画です。その方がイアーソーンをお気に召して、彼を正当な形で王位に就かせてやろうとしているのですよ」
 「その御方とは、いったいどなたなのですか?」
 「その方はそなたの主君エウリュステウスの守護神でもあらせられる」
 「え!? それでは!」
 自分に試練の数々を与えている張本人――つまり、オリュンポスの王后神ヘーラーのことじゃないか!……と、ヘーラクレースは思った。
 「なぜそんな方が、わたしをイアーソーンの助っ人になどしようとなさるのです。わたしなど目障りにしか思っていらっしゃらないはずです」
 するとアテーナーは優しく首を振った。
 「そうではない。あの方はそなたを目障りに思ってなどいらっしゃらない。ただ、あの方にはご自分が司るものを守るお役目があるから……」
 「お役目、でございますか?」
 「そなたは……いや、人間たちの多くは誤解しておろうな。あの方が夫の愛人に対して、かなりひどいことをなさるから。嫉妬心の強い非情な女神だと、そう思っていよう。でも、それは貞節を守らなかった女と、その子供に対してだけしていることで、たとえば……この私は、あの方にとって先妻の子供だが、我が子のように育てていただいて、とても言葉では語りつくせぬほど感謝している。できることなら、本当の娘になりたかった……」
 その時のアテーナーの切なさが、ヘーラクレースにも伝わってきた。
 アテーナーは尚も続けた。
 「他にも、我らが父ゼウスに暴力で手ごめにされ、それを苦に自殺しようとした娘を助け、その娘が難産で亡くなった時は、生まれてきた子を自らが乳母となって育てている。……あの方は、不倫の果てに子供を作る女を許してはならない立場におられるのだ。だから、夫がいるにもかかわらずゼウスと通じたそなたの母を許せず、そなたにも試練を与えている。だが、その範囲ではない、明らかにゼウスの被害者になっている女はちゃんと助けているのです。そういう方なのですよ」
 本当はヘーラクレースも「ゼウスの被害を受けた女が産んだ子供」にあたるのだが、自分の出生の詳しい話を聞かされていないヘーラクレースは、アテーナーの話に素直に納得した。
 「そもそも、そなたの試練も“罪を償うため”であったはず。そなた自身が起こしてしまった罪と、母親が夫がある身で他の男と通じた罪。この二つを償うために、そなたは試練を与えられている。その試練を乗り越えたとき、そなたは許され、あの方もそなたをお認めになるだろう。むしろ、そなたを認めてあげたいからこそ、この試練を与えているのだと考えておくれ」
 「はい、アテーナー様」
 「さて、それでイアーソーンのことであるが……彼を英雄にするには、先ずはこの後の旅を成功させなくてはならない。それにはどうしても助けがいる。その助っ人に一番ふさわしいのはヘーラクレースだと、あの方は思われたわけだが……そなたに試練を与えている立場上、そなたに頭を下げて頼むわけにはいかない」
 「そんな、頭を下げるなど……」
 「そうだな。頭など下げなくても、命令されればよろしかったものを、そこは謙虚に考えてしまったのだろう。それで、そなたの守護神として認められた私に協力を頼んできたのだ。そなたをイオールコスまで導いてほしいとな」
 「そういうことでしたか」
 「もちろん、そなたの一存で決められないことは分かっている。すぐにエウリュステウスに手紙を書き、相談するがよい。きっと、彼は反対しないであろうよ」
 アテーナーのその言葉に「自分が旅に行きたがっている」ことを見抜かれてしまっているに気づいたヘーラクレースは、苦笑いをした。
 「わかりました。すぐにそう致します」
 ヘーラクレースはアテーナーが天上へ戻ると、すぐに手紙を書いて、ヒュラースの伝書鳩を飛ばしたのだった。

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