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from: エリスさん
2009年12月17日 15時22分55秒
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女神の理由・1
「お母さまになって!」
そう言って抱きついてきたあの子を、私は離してしまった。
「それは出来ないのよ、パラス」
「どうして? 私、ヘーラー様にお母様になってほしい。ヘーラー様をお母様って呼びたい!」
それは私の望みでもあった。この子の母親になりたい――母と呼んでもらいたい。なにより、母親を亡くしたこの子が哀れでならない。
それでも、私はこの子の気持ちに応えてやることができなかった。
〈あの人〉の思いを知っているからこそ。
それは、私がまだ幼かったころのこと。母・レイアーが弟のゼウスと話しているのを、私は物陰から隠れて聞いてしまった。
「ヘーラー姉上を、僕の妻に欲しいのです」
ゼウスがそういったとき、私は有頂天になりかけた。でも、次の母の言葉で、それはすぐにかき消された。
「駄目です。あの子はまだ、神王の正妃になる器が備わっていません」
「でも、血筋から言っても、ヘーラー姉上が一番の適任者。それに……僕は姉上の美しさに、心を奪われてしまいました」
あの頃の私は、実年齢は七歳だったけれど、見た目は十二歳ぐらいになっていた。その私を美しいと言ってくれた……心を奪われたと。その言葉に、私もゼウスのことが大好きになっていた。それなのに……。
「ただ好きだから、では《神王の正妃》にはなれないのです。あの子は言わば生まれたばかり。まだその器には達していないのです。しかし……そなたには政務の片腕となるべき伴侶が必要なのも確か。ですから、しばらくメーティスを正妃となさい」
メーティスは私より十歳年上の知恵の女神で、私の従姉だった。確かに才気にあふれた素敵な女神である。母が息子の妻に選ぶのも当然かもしれない。
生まれてすぐに父・クロノスの腹の中に閉じ込められ、それから六年間も出てこられなかった私は、最初の結婚のチャンスを逃してしまった。
ゼウスがメーティスと結婚したことにより、私はそれまで以上に女神修行に勤しんだ。いつかメーティスを追い越してみせる。そして、初恋の人を取り戻してやるのだと、躍起になっていた。
それから九年後のこと。私は十六歳になり、誰が見ても美しく、威厳を備えた女神にと成長していた。
ゼウスも十四歳になっていた。そのころでも私の恋心は薄れることなく、彼のことを姉として接しながら、恋心をひた隠しにしていた。
そしてようやく、メーティスがゼウスの第一子を懐妊した。――そして、事件が起こった。
ゼウスが悪夢に襲われるようになったのである。それは、父・クロノスがウーラノスの呪いにより悪夢に襲われたのと、まったく同じ状況だった。
「メーティスがこのままわたしの子を産めば、わたしはその子に残酷な死を与えられる!」
ゼウスは苦悩した――クロノスはこの悪夢により正気を失い、生まれてきた子を次々と、自身の腹の中に押し込めた。自分もそうしなければならないのか? と。
ウーラノスの呪いを打ち消すためには、どうしたらよいのか……誰もが悩んでいると、メーティスが潔い決断をしたのだった。
「ゼウスがゼウスでなくなればいいのよ」
そう言って、メーティスはゼウスを抱きしめて、彼と融合した……そのためにゼウスは少し女性らしい顔つきになり、皮膚も以前より白くなった。そして、メーティスのような知恵者へと変身したのである。
こうして、今までとは別人になったゼウスは、ウーラノスの呪いから解放されたのだったが……一つだけ問題が残った。
メーティスが宿した子供はゼウスの中に融合しきれず、ゼウスの体内を巡り続けたのであった。-
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from: エリスさん
2009年12月17日 17時16分16秒
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「女神の理由・2」
メーティスがいなくなったことで、ゼウスはすぐに私に求婚した。私は快く承諾し、今度は誰も反対しなかった。
ゼウスとの初夜は何もかもが夢見心地で、痛みを覚えるまで私は現実に戻ることができなかった。そして心地よい眠りに落ちようとしていた時、それは現れた。
「いい気なものね」
その声に聞き覚えがあった私は、すぐに声のした方を向いた。
そこには、仰向けで眠っているゼウスに重なるように、うつぶせのメーティスがいた。
私が跳ね起きたのは当然のことだったが、そんな私をメーティスは嘲笑った。
「驚かなくてもいいでしょう? 私はゼウスと一体になったのだから、ゼウスに抱かれるということは、私にも抱かれていることになるのよ、ヘーラー」
それは幻影だった。だが、その幻影はゼウスの中にいるメーティスが意図的に見せているもの。彼女は、自分がいなくなってすぐに私を娶ったゼウスを恨んでいるのか? それとも、私を憎んでいるのか。
私の心が読めたのか、彼女はクスクスッと笑ってこう言った。
「どちらでもいいことよ、そんなこと。でも覚えていなさい。ゼウスの本当の妻は私よ。彼のために、己をも犠牲にした私こそが、彼の正式な妻に相応しい。あなたなど、私の後塵を拝したにすぎない」
そう言って幻影は消えたけれど……私に言わせれば、クロノスの腹の中に閉じ込められてさえいなければ、最初にゼウスの妻になれたのは私だったのだから、その地位をメーティスに奪われていた、ということになる。私だけが責められるのはおかしいはずだった。
それからも、メーティスの幻影はたびたび現れた。必ずと言っていいほどそれはゼウスとの営みの後で、もううんざりするほどだったが、それでも、私はゼウスの求愛を拒絶することなどできなかった。
ほどなくして私は懐妊し、長女のエイレイテュイアを出産した。
メーティスがいれば、彼女も同じ年の春に出産していたはずだった。
それから私は二人の娘と二人の息子に恵まれた。とは言っても、末っ子のヘーパイストスは私が単身出産能力で一人で宿して生んだ子だった。それは、あまりにもゼウスが余所に女を作って、しまいには私の双子の妹であるデーメーテールにまで手をつけたのが許せなくて、その反抗心からそうしたことだった。
しかし、ヘーパイストスがゼウスの血を引かずに生まれたのは、今思えば天の采配だったのかもしれない。
ゼウスの体に融合しきれずに残ったメーティスの子供は、ゼウスの頭にまで登りつめて、そこで出たがって暴れだした。
その子を出してあげたのはヘーパイストスだった。その子――パラスは生まれて初めて見た少年に恋をし、そして……その場にいた私を母親と認識した。
ひな鳥のような間違いを犯したパラスに、私はすぐに自分が母親ではないことを説明したが、それでも、パラスの中で私の存在は強くなってしまったようだった。
あのメーティスの娘なのだから、好きになれるはずがないと、私は始めそう思っていたのだが、パラスの素直さや愛らしさ、そして私に懐いてくるのが嬉しくて、私はすっかりパラスが愛しくなってしまった。
この子を養女にしたい……母親のいない子を預かりのに、なんの不都合もないはずだ。
そう思い、ゼウスに相談しようと、しばらくぶりに彼と臥所を共にした時だった。
「渡さないわよ、あなたには」
いつの間にか、私を愛撫していたはずのゼウスの姿が、メーティスになった。
「あの子は私の子供よ。あなたに奪われてなるものですか」
「……いや……やめてェ!」
私が突き飛ばしたメーティスは、寝台の下に落ちて、ゼウスに変わった。
「何をする、ヘーラー! 夫に向ってやめろとは何事だ!」
「あっ……ごめんなさい。今……悪い夢を見て」
それ以来、私がゼウスと営むのは極力減っていった。……ゼウスが浮気に走るのは、それも原因の一つなのかもしれない。
私はパラスの母親になるのを諦めたが、それでも母親代わりとして、エイレイテュイアやヘーベーと分け隔てなく養育することをいとわなかった。
そしてパラスとエイレイテュイアが斎王の候補となり、そのための教育が始まってしばらくしたころ、パラスが私に言ったのだった。
「私のお母様になって!」
私は、それはできないと教え諭すしかなかった。そのことで、どんなにパラスが傷つくか分かっていても、私はこの子に「お母様」と呼ばれるわけにはいかなった。
パラスはその夜、ずっと泣き通しだったと、後にヘーパイストスから聞いた。
私も流石に心が折れそうになって、ゼウスにすがりついた。
「お願い、何も考えられないぐらいに、滅茶苦茶にして!」
私らしくない頼みだったが、ゼウスは聞いてくれた。まるで野獣のようにまぐわい、その疲れで深い眠りにつく……。
それでも、メーティスは容赦なく現れた。今度は夢の中に。
「それでいいのよ。あなたにパラスは渡さない。あの子は私の娘なのだから」
裸身の私をきつく抱きしめながら、彼女はそう囁いた。
「……もう、やめて……」
私は初めて泣いて許しを乞うた。
「あなたのエゴのせいで、パラスがどんなに寂しい思いをしているか、母親なのに分からないの?」
その時だった。ゼウスが私の頬を叩いて、起こしてくれた。
「また、悪い夢を見たのだな?」
私は黙ってうなずいた。
「それは……メーティスのせいか」
「あなた、気づいて……」
ゼウスは私の体を抱き起こすと、肩から毛布を掛けてくれた。
「最近になって気付いたのだ。どうやら、わたしの中でメーティスの自我が残っていることに。時折わたしの中から顔を出して、そなたに悪さをしていたらしいな。……彼女はなんと言っていた?」
私はようやく、今までため込んでいたことを告白することができた。そのためにパラスを悲しませてしまったことも。
すると、ゼウスは私の肩を軽く叩いて、言った。
「メーティスの気持ちも分かってやれ。わたしだけでなく、娘まで奪われては、そりゃメーティスも浮かばれぬよ。だが、パラスには母親が必要だ。だから、そなたには今まで通りパラスの養育を頼みたい」
「はい、それはもう……」
「そして、いずれその時が来たら、そなたはパラスの姑として〈母〉と呼ばれればいいのだ」
「しゅうとめ?……あなたは、パラスをヘーパイストスの嫁にと、お考えですか?」
「不服か?」
「いいえ。でも、パラスは斎王に――天の花嫁になるかもしれない女神です」
「永遠にそうではない。いずれ、わたしが長き治世を終えて退位し、新しい神王が立ったら、その時は斎王も交代になる。その時は、パラスをヘーパイストスと結婚させたらいいのだ。あの二人は相思相愛だからな。そうなれば、そなたはパラスの姑。パラスがそなたを〈母〉と呼ぶことに、誰も文句は言えなくなる」
それは、かなり長い先の話。それでも、私はそれに希望をつなぐことにした。
それまでは、母親代わりとして陰ながら見守っていこうと、私はそう決心したのだった。
終
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