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神話読書会〜女神さまがみてる〜

神話読書会〜女神さまがみてる〜>掲示板

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  • from: エリスさん

    2011年02月11日 10時13分41秒

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    双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・1

    Olympos神々の御座シリーズ 女神転生編
        双 面 邪 裂 剣


    ――――――開     幕――――――


     冷蔵庫を開けたら、我が物顔で脱臭剤代わりの黒こげパンが寝ていた。
     それを見た途端、私とレイちゃんのお腹の虫がお約束のように鳴る。――書かずとも分るだろうが、他には何も入っていなかったのだ。
     「あれでも食べる? レイちゃん」
     私がそれを指さしながら言うと、その手をそっと抱き寄せながら彼女は答える。
     「冗談はおよしになって、先生」
     近所のパン屋さんは日曜日ということもあってお休み(近所の小学校と高校の生徒向けに開いているお店だから)。食べ物を手に入れるには駅前の商店街へ行くしかないが、そこまで歩いて十分。買い物に二、三分かかるとしても、戻って来るのにまた十分。
     「それだけあれば、原稿が何枚書けることか。……レイちゃん、あなた、締切りは?」
     「明後日です」
     「私なんか明日よ」
     しばらくの沈黙……。
     「書き終わるまで我慢ね」
     「ハイ、先生」
     二人してトボトボ部屋へ戻ろうとすると、背後から声がかかった。
     「お待ちなさい、あんた達!!」
     見ると、いつのまにか私たちの恩師・日高佳奈子(ひだか かなこ)女史が立っていた。
     「佳奈子先生、いつからそこに?」
     私が聞くと、
     「あなた方が冷蔵庫の前でお腹を鳴らしたぐらいからよ。……っとに、そろそろこんな事になってるんじゃないかと様子を見に来れば、師弟そろってなんてお馬鹿なの!」
     「面目ないです……」
     私たちはそろって頭を下げた。
     「貧乏でお金がないっていうなら、冷蔵庫が空っぽでもあたりまえだけど、あなた方は、師匠の方は若手ベストセラー作家、弟子の方も期待の新人で、二人して稼いでるはずじゃないの。それなのに、この体(てい)たらくはナニ!?」
     なんででしょう? と自分でも思ってしまう。何故か、仕事に熱中していると食事をするのも億劫になって、当然食料を買いに行くのも時間が惜しくなってしまうのだ。私は昔からそんなとこがあったから構わないのだが、このごろ弟子のレイちゃん――新條(しんじょう)レイにまで影響してしまっている。故に、二人とも栄養不足でゲッソリ、眼の下には隈(いや、これは寝不足のせいか……)で、とても恋人には見せられない状況だった。
     「とにかく何か食べなさい! 空腹で仕事したって、いい物は書けないでしょう」
     佳奈子女史の言うとおりなのだが、なにしろ時間との戦いなので、二人とも口をつぐんでいると、見かねて佳奈子女史が右手を出した。
     「お金。買ってきてあげるわよ。しょうもない教え子どもね」
     「ありがとうございますゥ!」
     私はなるべく急いで(走れないから普段と大して変わらないが)財布を取ってきた。
     「あの、三日分ぐらいでいいですから」
     「なに言ってるのよ。どうせまた一週間ぐらい外出しないくせに」
     「いえ、三日後には国外にいますので……」
     「ん?」
     「ギリシアへ取材旅行に行くんです。十日間ぐらい……」
     「……あら、そう」
     本当に呆れた顔をなさった女史は、あっそうだ、と言いながら、バッグの中から黄色いパッケージのバランス栄養食を取り出した。
     「これでも食べてなさい。あと二本入ってるから」
     佳奈子女史が行ってしまってから、私たちは中の袋を出して、一本ずつ分け合った。なぜ女史がこんなものを持ち歩いているかというと、彼女もやはり作家以外にも専門学校で講師をしたり、文学賞の審査員をしたりという忙しさに、食事をしている暇がなく、移動中にでも簡単に食べられるように用意しているのである。
     「でもなんか、これだけじゃひもじいですね」
     「我慢よ、レイちゃん。締切り過ぎれば、憧れのギリシアよ」
     「まあ☆」
     ほんのちょっと雰囲気に浸ると、二人とも虚しくなってそれぞれの仕事場に戻った。
     レイちゃんとはもうかれこれ八年の付き合いになる。私が二十二歳の時、佳奈子女史が私の母校の専門学校に入学したばかりの彼女を連れて、このアトリエを訪れたのが切っ掛けだった。佳奈子女史が発掘した彼女は、文学に対する視点も考え方も私に酷似していて、何よりも話甲斐のある質問を投げかけてくるのが気に入ってしまった。だから彼女から「弟子にしてください」と言われて、快く承諾したのだった。それからというもの、私の創作意欲を駆り立てる情報を提供してくれたりと、今ではなくてはならない人物となっている。一緒にここで暮らし始めたのは去年からだった。彼女の恋人――いや、もう婚約者と言えるだろうか、その彼が仲間たちと一緒にアメリカへ渡って、帰ってくるまでの期間をここで過ごすことにしたのである。彼とのことは本当にいろいろとあったらしい。自分が一つ年上という後ろめたさ、彼の母親が実の母親ではなかったこと、それから始まる彼の家庭の事情など、彼女が良くぞ受け入れたものだと感心するほどたくさんの障害があって、ようやく結婚することを決意したのだ。
     いずれ、彼女の物語を書いてみようと思っている。でもその前に、今は自分の物語だ。
     今書いているものは、私が専門学校に在学していた頃のことを思い起こしながら、多少のアレンジを加えて書いている。明日には確実に書き終わらせるところまで進んでいた。
     自分のことを書くのは嫌いではない。だが、羞恥心は当然のごとく沸き起こる。それでも、私は書かなければならならいと思っている。私が体験した出来事は、誰にでも起こりうるものなのだから。そして、自分は絶対に善人だと信じていても、卑劣さ、非情さは並の人間以上に持ち合わせていることを、そのために不幸にしてしまった人たちの多さの分だけ、己(おの)が身(み)から血を流さなければならなかったことも……そして、私の存在がどれだけ危ういものなのかということも、今こそ告白しなければならない。
     では、再び書き始めることにしよう。私が――いいえ、私たちがどんなふうに生き、闘ったかを、物語るために。
     物語は、私――片桐枝実子(かたぎり えみこ)が成人式を終えて、専門学校三年生になった直後から始まる。



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from: エリスさん

2012年08月17日 13時00分47秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・最終回」
 枝実子の家のすぐ傍にある土手まで、枝実子は送ってもらった――もう朝の五時ぐらいになっていた。
 「頼まれた通り、荷物はあなたの部屋に転送しておいたけど……大丈夫なの? こんな時間に帰って」
 佳奈子の問いに、枝実子は、
 「大丈夫です。如月が、こうなることを予想していたらしくて、私が朝早く散歩に出るって暗示を掛けてから出掛けたんです。つまり、私は朝帰りをしたんじゃなくて、散歩から戻ったことになるんです」
 「如月は……」と、章一は言った。「予感してたんだな。自分が敗れることを」
 「ええ……ショウ?」
 「ん?」
 「今まで、ありがとう」
 すると、章一はにっこりと微笑み返した。
 「これからは、ちょくちょく会おうよ。如月の忠告通りにさ。……もうお互い、自分を抑えることは覚えたし」
 「うん……結局、私が他の人を無理矢理好きになろうとしたから、こんなことになったんですものね」
 「エミリー……」
 章一は、枝実子のことを抱きしめた。
 「誰のモノにもなるなよ」
 「……あなたこそ」
 枝実子は章一から離れると、足もとにいた景虎を抱き上げて、手を振ってから土手を降りて行った。
 土手からは、枝実子の家が良く見える。
 章一と佳奈子は、しばらく聴力を集中して、愛美子の無事を確認することにした。
 枝実子は、元気よく玄関の戸を引いた。
 「ただいま、お母さん」
 母親は、台所にいた。
 「……お帰り。なんだい、景虎も連れて行ったのかい?」
 「うん、付いていくって鳴いたから……あれ?」
 枝実子は食卓に並んでいるものを見て、驚いた。滅多に作ってくれない自分の好物がいっぱい並んでいたからだ。
 きっと、無意識にも分かっていたのだ。今まで家にいた枝実子は別人で、今日帰ってくる娘こそが本当の枝実子だと。
 章一の言っていた通り、多分、母親は枝実子を思ってくれているのかもしれない。
 「ありがとう、お母さん。……大好きよ」
 「……気色悪いことを言うんじゃないわよ。お母さんはおまえみたいな醜い子は大嫌いだよ」
 「うん……いいの、私が勝手に好きなだけだから」
 会話だけ聞き取っていた二人には分からなかったが、枝実子が部屋に戻った後、母親はじっと台所に立ち尽くしていた。包丁の上に、ポタポタと涙を落としながら。
 ―――カナーニスから、それらのことを聞いた一同は、しばらく沈黙していたが、やがてヘーラーが口を開いた。
 「むごい試練だこと。想い合っても実らすことができず、親子の情愛も断ち切らねばならぬとは」
 「そうだな」と、ゼウスも言った。「が、エリスならば、やり遂げてくれるだろう。やり遂げなければ娘(エイレイテュイア)もやらんし、第一この先のプランが狂うじゃないか」
 「おじい様ったら……」
 カナーニスはクスクスッと笑って、両手を胸の前で広げて水晶球を呼び寄せた。
 「ご覧になられますでしょ? 今日の彼女です」
 水晶球に映像が映る。
 枝実子は学校の一階のロビーで瑞樹と会っていた。
 「ホラ、衣装!」
 枝実子がそう言って紫のキトンを広げると、瑞樹が拍手をしながら喜んだ。
 「ジュノーの衣装! 流石はエミリーだねェ」
 結局、枝実子が着ていた衣装はボロボロになってしまったので、枝実子が自費で作り直したのである。
 「校庭、突っ切って行く? 講堂まで」
 「そうだね、最短距離だし」
 もうすぐ夏休みということもあって、授業の殆どは休講になっていた。そのせいか、校庭の隅には生徒が何人も寛いでいた。
 「だけど、佳奈子先生の授業まで休講になってたのは意外だったな。あの先生、真面目だから夏休みまでびっしり授業してくれるものと思ってたけど……もしかして、霊媒師(と、瑞樹には説明してある)のお仕事が入ったのかな」
 瑞樹が言うと、枝実子は、
 「そうじゃないのよ。これからしばらく本業(小説家)の方が忙しくなるから、今のうちに実家に帰っておきたいんですって。昨日、そう言ってたわ」
 「ああ、実家か。そうなると、今頃先生お見合いしてたりしてね。そろそろいい歳だから、親御さん心配するもんねェ」
 「み、瑞樹……それはちょっと……」
 カナーニスは水晶球を両手で掴んだまま、それを睨みつけた。
 「ちょっとォ!! 私、そっちでは二十八ってことになってるのよ、二十八!」
 「うわァ、歳サバ読みすぎ……」
 「アレース伯父様は黙ってて!」
 「ハイハイ……でも、千歳は過ぎて……」
 “ゴンッ”(アレースがカナーニスの空拳で頬を殴られた音)
 神族は老化しないものだが……フォローにならない。
 二人は校庭を歩いて行くうちに、ある人物を見つけた。
 「ちょっと待ってて」
 枝実子は瑞樹にそう言ってから、その人物のところへ行った。
 その人物の傍には、女生徒も座っていたが、彼女は枝実子に気付くと、
「私、ちょっと用事思い出した」
 と、立ち上がった――その女生徒は織田だった。
 そしてその人物とは、当然、真田光司のことである。
 真田は煙草をふかしながら、壁に寄り掛かって座っていた。
 枝実子はバッグから白い小さな包みを出して、真田に差し出した。
 真田は黙って見上げたまま、それ以上動かなかったが、
 「受け取って」
 と言われて、やっと手を出した。
 「開けてみて」
 また言われた通りにすると、中にはロケットが入っていた。中にちゃんと写真も入っている。
 「……これ!?」
 「ごめんなさいね」と、枝実子は言った。「私が持っている写真には、お母さんが笑顔で写ってるものってなかなか無いのよ。それでも、一番いい顔だったのよ」
 「これが……今の、母さんか……」
 「うん」
 真田はしばらくその写真を見入ってから、囁くような声で言った。「ありがとう」
 枝実子は首を左右に振った。
 「私こそ……ごめんなさい……お兄さん」
 「……」
 「それじゃ、また」
 枝実子は瑞樹の方へ戻って行った。
 真田はロケットを握り締めた。
 どうして、こんな結末を迎えなくてはならなかったのか――と、真田は考える。
 あの日、父・誠司(せいじ)に枝実子の存在を知らせたことは間違いだったのだろうか。
 久しぶりに実家へ帰って、父に学園祭があることを告げると、父はあまり関心がないように言った。
 「そんなことより、おまえ、アルバムから写真一枚持って行っただろう?」
 「持って行ったよ。唯一、俺と母さんが一緒に写ってるやつ」
 「返せ。あれは父さんも気に入ってるんだ」
 「やだね。それより、絶対見に来いよ、父さん。会わせたい子がいるんだ。父さん、驚くからな」
 確かに父は驚いた――まったく違う意味で。
 そして、父は枝実子と絶交するように真田に言ったのである。
 「どうして!! なんで彼女と付き合っちゃいけないのさ!!」
 父は大きな茶封筒から、一枚の写真を抜き出して、息子に見せた。
 「興信所に調べさせてたんだ。おまえの母親・光子がその後どうなったのか……おばあちゃんが死んで、父さんはすぐに母さんを迎えに行ったんだ。それなのに、彼女は再婚していた。なんでも、相手の男に暴行されて、仕方なく籍を入れたとか……そして、生まれたのがこの娘だそうだ。――光子を傷物にして……その結果生まれたのが、この穢れた娘なんだ!!」
 父が見せた写真には、二人の人物が写っていた。場所はどこかの家の玄関先だろう。母親――光子は、箒で掃除をしている最中だった。そして、もう一人の人物は、三つ編みの髪形で、ブレザーの学生服を着ていて、中学生ぐらいだが、顔には面影があった。それは、間違いなく枝実子だったのである。
 物心ついた頃からだろうか、母親が欲しいとずっと思っていた。
 母親の温もりがどんなものか知りたくて、何人もの女性と付き合ってきた。そして、やっと傍で微笑んでくれるだけで母親を感じることができる女と巡り会えたと思ったら、それが、妹――。
 『父さんは、枝実子を穢れた娘だと言った……母さんを暴力で手に入れ、その結果生まれた、卑劣な男の血を引いた枝実子を。俺もそう思おうとした。でも……出来なかった。枝実子は……魂が美しすぎて……』
 真田は涙が出そうになるのを、必死にこらえた。
 「枝実子……どうして、俺たち、兄妹として生まれてしまったんだろうな……」
 いっそ、何も知らないままでいられたら良かった……。
 ―――瑞樹の所へ戻ると、瑞樹は険しい表情をしていた。
 「あんたに、伝えておかなきゃいけないことがあったの、思い出した」
 「なに?」
 枝実子は一瞬、聞くのが怖い、と思った。
 だが、瑞樹は容赦なく言った。
 「眞紀子さん、妊娠してる」
 「……如月の?」
 「あんたの子でもあるね」
 「……そう……」
 この頃、姿を見ないのは、そういうことだったのか――と、枝実子は思った。
 「たぶん彼女、産む気だろうね」
 瑞樹が言うと、うん、とだけ枝実子は答えた。
 「だからと言って、あんたに責任は取れないよね」
 「取れるわ」と、枝実子は言った。「私、絶対に文学者になってみせる。眞紀子さんの犠牲を絶対に無駄にしない為にも、必ず文学者として成功してみせる。そして、世間の人々に訴えるの。自分の心に闇を持ったら、将来、世界がどうなってしまうか。いつか訪れる破滅の日を乗り越えるには、清く正しい、そして強い心が必要なんだって……如月が教えてくれたのよ」
 「そう」と、瑞樹は言った。「健闘を祈ってるよ、エミリー」
 「うん、まかせて」
 二人は再び歩き出した。
 アーチの下に人だかりが見える。
 「何? あれ」
 と、枝実子が言うと、
 「あんた知らなかったの? 今日ね、美術科の有志がアトリエで個展を開いてるのよ。一般の人も見に来るんだって。そのついでに学校見学していこうって学生さんもいるだろうね」
 「ああ……」
 道理で、学生服姿が目立つわけだ。
 そんな時だった。
 「エミリー! 瑞樹ィ!」
 講堂の窓から、柯娜(かな)と麗子(かずこ)が顔を出して、手を振っていた。
 「エミリーさん、衣装出来ましたァ?」
 と、麗子が聞くので、
 「もうばっちりよ!」
 と、枝実子は答えた。
 ちょうどその時、アーチの下から女子中学生の団体が校庭の中へと駆けて来た。
 「新條ちゃん! !こっちだよ! 早く!」
 「待ってェ!」
 新條と呼ばれたその中学生は、走っていた足がもつれて、枝実子にぶつかりそうになった。
 「危ない!」
 咄嗟に枝実子は彼女を抱き留めた。
 「危ないわよ、こんなところで走ったら」
 「すみません……助けてくれて、ありがとうございます」
 水晶球を見ていたオリュンポスの神々は、ほぼ同時に驚いた。
 「この少女は!?」
 ヘーラーの言葉に、ゼウスも頷いた。
 「間違いない……」
 その子の名札には、2年F組 新條レイと書いてあった。その子は丁寧にお辞儀をすると、友人たちの方に歩いて行った。
 「宿命の二人が、出会った……」
 カナーニスは、それ以上言葉が出なかった。
 これからも、枝実子を中心に運命の輪は廻り続けるのだろう。
 枝実子は宿命の女人を育て、宿命の女人は守護者たちと共に世界を導いて行くだろう。
 破滅から復活へと登り詰める、茨の道を目指して。
 そしてその時、枝実子は――。
 一九八四年――今はまだ、平和な時……。
                           第2部 終了



          終   焉



 一気に書き上げると、私は深いため息をついた。
 『ちょっと耽美のしすぎかなァ』
 とは思ったけど……まあ、ライトノベルだから、これでいいかな、と開き直っておこう。
 私――片桐枝実子は、体を思いっきり伸ばしてから、椅子から立ちあがった。
 さて、私と新條レイのために食事を作ってくれている佳奈子女史はどうなっただろう? この焦げ臭い匂いから察するに……また失敗したのかしら? 先生はあまり料理は得意じゃないから、普段は家政婦さんにご飯を作ってもらっていると聞いている。
 私は窓を開けて空気を入れ替えることにした。
 鍵を外し、窓を開けた途端――私の体に、何かが憑(つ)いた。
 『あ、また……』
 霊よせの鈴を融合させてからと言うもの、ときどき霊が私に降りることがある。そういう時は、必ず……。
 「レイ……レイちゃん! レイちゃん!」
 呼んでも聞こえないかもしれない。それでも、必死に呼んで……諦めて、テープレコーダーへと手を伸ばす。
 だが、レイは来てくれた。
 「先生、大丈夫ですかッ」
 レイは私の体を支えて、ちゃんと立たせてくれた。
 「心を落ち着かせて……ちゃんと聞き取りますから」
 私は呼吸を整えてから、この霊が訴えたいことを口にした。
 「眺め見れば 清き露置く紫陽花の こいふる人を想い忍びん」
 言い終わると、霊は抜けていってくれる。
 霊の気持ちを詩歌として表現する、というのが私の霊媒の特徴だった。どうやら片桐家の斎姫はみんなそうだったたらしい。
 レイが聞き取ってくれたものを実際に紙に書いてみてから、添削してみる。
 「今回は短歌できましたね。大概は長い詩歌なのに」
 と、レイが言うので、
 「人それぞれなのよ。……ねえ、この〈こい〉はもしかしたら、孤独が悲しいって書く方の〈孤悲〉かもしれないよ。なんか、そんな感じしたもの」
 と、私は言った。
 「じゃあ、〈ふる〉は実際は〈うる〉って発音すべき音なのかしら。〈恋(こ)うる〉っていいますものね……あ、でもそれじゃ〈い〉が余計ですね」
 「手を振るって言う〈振る〉かもしれないよ。恋を振る人――つまり、失恋の相手ね。……もしかして、今の人は失恋の痛手から自殺したんじゃないでしょうね……?」
 「え!? そんな可哀想……」
 「だって、そんな感じしない? 〈眺め見れば〉なんて、普通なら〈眺むれば〉なのに、わざわざ字余りで、眺めていた――つまり、遠くで見ていましたってことを強調しているところを見ると……紫陽花に露が置いてある、って言うのも、なんか引っ掛かるわ」
 「露イコール涙……でしょうか。〈清き〉ってことは、純潔だったんですね。ますます可哀想ですわ、先生」
 「うん……ご冥福を祈りましょう、レイちゃん」
 私たちは一緒に手を合わせるのだった……。
 彼女がこのアトリエに来てから、本当に私の生活は華やいだものになった――まさに、運命の出会いだったのである。初め、佳奈子女史が彼女をこのアトリエに連れてきてくれた時は気付かなかったのだが、後でよくよく話をしてみると、なんとあの時アーチの傍でぶつかった中学生だったのだ。小説の中では私が受け止めたと書いたが、実はお互いに地面に尻餅をついてしまったのである。
 あの一件で、様々な人の人生が変わってしまった。
 先ず、真田さんは未だに独身貴族を気取っている。女性の数は……もう本人も覚えていられないとか。ほどほどにしないと体を壊してよ、お兄さん――いずれ、お母さんと引き合わせてあげないと。
 瑞樹は今では劇団の団長を務めながら、母校の演劇専攻科で講師もしている。これからも活躍することだろう。
 麗子さんは羽柴氏と結婚して、ときどき私のアトリエに顔を出してね資料整理を手伝ってくれている。実に心強い助手の一人だが……実は、彼女とも前世に関わりがあったようなのだが、詳しくは覚えていない。そのことは他の物語で語ることにしよう。
 眞紀子さんは……結局、如月の子供は死産だった。無理もない、本来ならば存在しない人間の子供なのだ。人間の形を成しただけでも不思議なのである。こんな言い方をすると実に冷たい人間のように聞こえるだろうが、私自身がそう思わない辛いのだ。――今は、私とは違うジャンルで作家をしている。
 そうそう、新潟で出会った北上郁子さんだが、彼女はなんと小説家になった。我が母校・御茶の水芸術専門学校とは道を隔てた向こう側にある、芸術学院に入学し、在学中にデビュー、期待の新人として注目されている。御住職から聞いた話だと、大梵天道場では武道も日舞も驚異的な成長を遂げ、とうとう阿修羅王の称号を頂くほどにまでなってしまったとか。ただ、そのおかげで、いじめは克服できたものの、武道家による果し合いや闇討ちに襲われ、気の抜けない毎日を送っているとか……いつかまた、彼女に会いたい。彼女こそ、間違いなく白陽の継承者だ。
 さて、きっと読者の皆さんが一番知りたがっているであろう、乃木章一のことだが……。
 彼は、あの後2週間くらいして、学校に訪ねてきた。小箱に入った指輪とともに。
 「アンティークショップで見つけたんだけど、なんかエミリーを思い出して買っちゃったよ」
 それを見たとき、私は不覚にも泣いてしまった。
 ようやく会えた――ヘーラー様から賜った、紫水晶の指輪。
 「赤ん坊の時から持っているのはおかしいから、成人した時にそなたの手に渡るように、謀っておいてやろう」
 と、ヘーラー様が仰せられていたのに、前世の記憶が戻ってからというもの、何故もう二十歳になったのに手元にないのだろう、と思っていたのだが、こうして私の手元に来る運命になっていたとは。
 章一の手から私の指にはめてもらった時の、幸福感。この時ほど、報われた、と思ったことはなかった。
 今では、この指輪が私の霊力をセーブする助けをしてくれている。
 そうして、今も……。
 “ピーンポーン”
 「あ、誰か来ましたね」
 レイは、合わせていた手を離して、階下へ降りて行った。
 私も足早に付いていく。
 「どうしたんですか!? この匂い」
 階下から聞こえてくる声……間違いない、この声は。
 「ちょっと焦げただけよ! 味はおいしいはずなのッ」
 と、佳奈子女史が言っている。
 「ニャー!」
 すっかりおばあちゃん猫になった景虎が、嬉しそうな声をあげていた。
 「あ、やっぱり」
 レイがそう言いながら、玄関にスリッパを並べる。
 そして、私も出迎えた。
 「いらっしゃい、ショウ」
 「お邪魔するよ、エミリー。これ、母さんから差し入れだって」
 「わっ。おば様に感謝(*^。^*)」
 私たちは、今もなお、親友として続いている――。

                            完

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from: エリスさん

2012年08月10日 13時25分20秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・64」
     エピローグ


 オリュンポス社殿。
 カナーニスは元気に叫んだ。
 「ただいまァ!」
 「おお、我が孫よ!」
 ゼウスがそう言って抱きしめようとすると、横合いからアポローンとラリウスが来て、カナーニスを奪い取ってしまった。
 「娘よォ! 良く帰ってきたァ!」
 「さあ、妻よ! いざ我が家へ!」
 「だァめ。用事が済んだらすぐ日本に戻るんだから」
 「んな殺生な!」
 カナーニスは祖父の方へ来て、手に持っていた剣を見せた。
 「あんまり忙しかったものだから、返しに来るのに二カ月以上も掛かっちゃった。王后陛下は?」
 「じきに来よう……ヘーラーに返すのか?」
 「あら、だって。エリスは王后陛下から頂いたって……」
 そこへ、息子のアレースと共に、王后ヘーラーが現れた。
 ヘーラーは、カナーニスが持っている剣を見て、サッと顔が青くなって後ろを向いてしまった。
 「やあ、カナーニス、お帰り。いいねえ、人間の姿も可愛いよ……あれ?」
 アレースは言って、カナーニスの持っているものに気付いた。
 「それ、ディスコルディアだよな?」
 「ええ、伯父様。王后陛下にお返しに上がったのよ」
 「ほほう……二カ月ぐらい前に、母上がわたしのところで預かっていたこれを、ちょっと試してみたいことがあるから、と借りて行ったのは、カナーニスに貸すためだったのですか」
 「ホホホホホホホホ、そ、そうなのよ、アレース」
 いつになくヘーラーが慌てている。
 「それで? カナーニス。このディスコルディアは何に使ったのかな?」
 「それはね、伯父様」
 「あ、あ、アレース、よ、よ、余計なことは、き、ききき、聞かずとも……」
 「流石は元・姉君ですね」と、アポローンが言った。「慌てる様が父上そっくりだ」
 それを聞いて、ゼウスは高笑いをした。
 「良い、ヘーラー。この度のことは不問に伏す、と宇宙の意志もおっしゃられた。今頃、高天原の方々も安堵なされておろう。カナーニス、それはアレースに返してやりなさい」
 「はい……それじゃ、伯父様」
 「ん、確かに……あれ?」
 ディスコルディアを手にしたアレースは、刀身が帯びている微かな波動に気付いた。
 「あの子の波動がする……ディスコルディアが――今は人間として生きているはずの、あの坊やの魂が一時だけ入ったのか?」
 「ええ、でもほんの一瞬ですわ」
 「それでは……」と、ヘーラーは振り向いた。「あの青年は!?」
 「無事です。ちゃんと生きています」
 ―――あの後、佳奈子が先ずしたことは、瑞樹を気絶させたことだった。
 「佳奈子先生!?」
 章一が驚いているのも構わず、佳奈子は瑞樹の記憶を探って、今見た事だけを忘れさせた。
 「この世に、不和女神が復活した事実を残してはならないのよ」
 そして、倒れている枝実子の方にも近づいて、抱き起した。
 彼女の額に自分の額を重ねようとする。
 「先生!」
 枝実子の記憶まで消そうとしている佳奈子を、咄嗟に章一は引き離した。
 「聞いて、キオーネー」と、佳奈子は言った。「まだ不和女神は復活してはならないのよ。今、エミリーはこの姿になってしまったことで、無意識に不和のオーラを放出している。人間の器でそんなことをしたら、どうなると思う? だから、前世での記憶をある程度封印することによって、彼女を片桐枝実子の姿に戻すわ……多分、あなたがキオーネーであることも、忘れてしまうと思うけど……」
 「先生!」
 「どの道、この姿のままでは人間界にいられないのよ! ……辛いのは分かるわ。でも、あなたも理解して。それが、エミリーとあなたの為でもあるの」
 章一は涙を飲んで、佳奈子から手を離した。
 「完全に封印されるわけではないわ。ここまで霊力を高めてしまっては、もう前世の記憶なしでは力のセーブができない。だから……ある程度だけね」
 佳奈子が額を合わせると、枝実子はだんだん元の、片桐枝実子の姿に戻った。
 意識を取り戻した彼女は、少しぼんやりするのか、頭を左右に振っていた。
 「休んでる暇なんてないわよ、エミリー」と、佳奈子が喝を入れた。「早く、これを引き離して。あなたにしかできないのよ」
 佳奈子が指差したものは、ディスコルディアの魂だった。
 枝実子は言われるままに、ディスコルディアから魂を引き離した。
 「これ……どうすればいいんですか?」
 枝実子が佳奈子に聞くと、
 「帰るように命令して。今、この子は他の人の胎内にあったのよ。この子が離れている間、きっとその人は仮死状態になってるはずだわ。急いで!」
 「あ、ハイッ。元へお帰り、ディスコルディア」
 ディスコルディアの魂――六角形の黒水晶は、スッと消えていなくなった。
 さて、残るは……。
 佳奈子は眞紀子にも同意を得て、枝実子が前世の姿に戻ったところの記憶だけ抜かせてもらった。
 その間、枝実子は足もとに転がっている月影と、その鞘に気付いて、拾い上げた。――月影自体は如月が戦いのために体内から分離させていたが、鞘だけが如月の中に残っていて、如月が霧となって枝実子に吸収されたことで、鞘が出てきたのだろう。枝実子は、月影を鞘に戻すと、それを真っ直ぐ眞紀子に差し出した。
 眞紀子が躊躇していると、章一が言った。
 「エミリー!? それは、君が継承すべき物だよ。それを!?」
 「いいのよ……あなたに預けるわ、眞紀子さん」
 「……どうして?」
 と、眞紀子も聞いた。
 「如月が私の中に戻って、分かったのよ。如月はあなたの傍にいる時が、一番心が落ち着いた。月影の魔力を抑えられた――あなたにも月影を制する霊力があるのよ。恐らく、あなたも片桐の血を引いている。先祖の誰かが片桐の娘を娶ったんでしょう」
 枝実子は、さあ、と月影を差し出した。
 眞紀子はそれを受け取ると、じっと枝実子を見つめた。
 「あなたの中に、彼がいるのね」
 「そう……如月は私の一部よ」
 「それでも……私、あなたを憎むわ」
 「いいわ。でも、私はあなたが好きよ。友人として、文学者として、人間として」
 「やめてッ」
 眞紀子はそう言い放って……そして、枝実子に抱きついた。
 「あなたを憎むわ、恨むわ、絶対に許さないから!!」
 「ええ、構わないわ」
 「憎むわ……憎いのに……」
 涙が溢れる程……愛している。
 眞紀子はもう、泣きつくすことしかできなかった。
 ―――眞紀子を家まで送って、枝実子も帰ることになった。




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from: エリスさん

2012年08月03日 15時37分40秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・63」
――ちょうどその頃、彼らに近づこうとする人物がいた。
 「……如月さん?」
 如月の魔力から目覚めた眞紀子は、頼りない足取りで歩いてきていた。
 二人の技は、互いにぶつかり合って消滅してしまった。
 「……確かに、私は罪を犯したわ」と、枝実子は言った。「女の身でありながら、キオーネーを愛し、エイリーを愛人にした……そして現世でも、眞紀子さんを辱め、真田さんを苦しめたわ、だから……」
 枝実子は左手を如月に向けた。
 「罪滅ぼしもしないまま、死ぬわけにはいかないのよ!!」
 枝実子の左手から、紫の炎が飛び出す。
 如月はそれを右手から出す黒い炎で防いだ。
 また、力のぶつかり合いになる。
 「激動の時代、平穏を守ろうとする地に……」
 枝実子が唱えるのに対して、如月も唱える。
 「遥かなる天空を離れ、不浄なこの地上に……」
 そして、二人はほぼ同時に叫んだ。
 「不和女神降来(ふわにょしんこうらい)!!」
 「不和女神流離(ふわにょしんりゅうり)!!」
 二人のパワーが爆発する。
 結界の中を激しい光が炸裂した。
 章一は固唾を飲んだ。きっと、景虎もだろう。
 すぐにも駆け付けたいが、ここは邪魔してはならない。
 だが、佳奈子は章一とは違う意味で危険を感じていた。
 『エミリー、駄目よ。最後のキーワードを言っては……』
 今、二人の力は互角。このバランスを崩すためには、あるものがいる。だが、それを呼んでしまっては……。
 二人は、互いにボロボロになっていた。
 息が荒くなっている。
 「……さすがですね。エミリー……」
 「やっと褒めたわね、如月……でも、それもこれまでね」
 枝実子はディスコルディアの柄の方を頭上に翳した。
 佳奈子はハッとして、叫んだ。「駄目! エミリー!」
 だが、彼女には聞こえなかった。
 「来い! ディスコルディア!!」
 ピカッと結界の真上で何かが光った。
 その光は、結界を通り抜けて、枝実子の方へと降りて行った。
 『ああ、とうとう……』
 佳奈子や、天空の神々が恐れていたことが起きてしまった。
 枝実子のもとへ降りてきた光――それこそが、六角形の黒水晶・ディスコルディアの魂だった。
 枝実子がそれを掴んで、柄の穴にはめ込んだ時だった――枝実子の体が光り出した。
 変化する――如月そっくりに、彼以上に高雅で、威厳に満ちた姿に。
 不和女神エリス、復活――。
 「これまでよ、如月……」
 如月はなぜか、笑っていた。
 「その……ようだな」
 そして、如月は月影を手離した。
 「世界は……破滅を選んだ……」
 「覚悟の上よ、それは……」
 枝実子――エリスが、ディスコルディアを如月の頭上に振りかざした時だった。
 「やめてェー!!」
 誰かが叫んだ。結界の向こうに、章一たちの他に誰かいることに気付いた二人は、声の方を見た。
 章一たちも気付く――そこに、眞紀子がいた。
 「やめて!! 如月さんを殺さないでェ!!」
 「九条さん、あなたッ!?」
 結界の中が見えている――佳奈子には信じられないことだった。
 『彼女も、ただの人間じゃない!?』
 「お願い、エミリーさん……彼を殺さないで。如月さんは、神様がくださった、もう一人のあなたなのよ」
 「……どうゆうこと?」
 枝実子の問いに答えたのか、眞紀子は言った。
 「いつも思ってた。エミリーさんが男性だったら……そしたら、この気持ち、押し殺すこともないのに。禁忌を犯す恐怖に怯えなくていいのに……それを」
 眞紀子は枝実子を睨みつけた。「何故、私に触れたのッ。我慢できなかったの! 私は必死に耐えていたのに。あなたを想うことを!」
 「眞紀子さん……?」
 「……まだ、分からないのですか?」
 と、如月が言った。「彼女は愛していたのです、御身を!! 女同士だということを恐れながら、恨みながら! 本当に分からなかったのか? 彼女が身を持っておまえが知りたがっていたこと――倭姫の心情を教えてくれていたのに!!」
 如月の声は、だんだん男の声へと変じていた――ついこの間まで、枝実子が出していた声だ。
 「あなたを憎むわ。生きている限りずっと! あなたを慕っていたからこそ!……でも、彼は違う。彼は男性よ。私が慕っても罪にならない人なの。だから殺さないで!」
 眞紀子は結界の中に入ってこようとした。
 咄嗟に、瑞樹が捕まえてやめさせる。
 「駄目だよ、眞紀子さんッ。二人がいる方へ行ったら、あなたが死んじゃうのよッ」
 「離して! 如月さんが!」
 「佳奈子先生! 結界を解いてください、このままじゃ!」
 瑞樹の言葉に、佳奈子は躊躇っていた。このまま結界を解けば、エリスのオーラが外界に放出される。もちろん結界を張りっぱなしにはできないのだが……。
 眞紀子はまだもがいていた。必死なのだ、如月を助けようと。
 「先生!」
 瑞樹が叫ぶ。
 「眞紀子さん、来るな!」
 如月も叫ぶ。それでも、眞紀子はやめようとしなかった。
 如月は何を思ったのか、ディスコルディアの刃を掴んだ。
 「如月!」
 枝実子が叫んだのと、如月が自分の胸を突いたのは、同時だった。
 「如月さん!!」
 眞紀子の悲鳴に答えるかのように、佳奈子が結界を解く。
 初めて中の様子が見られた瑞樹は、驚いた。
 「如月が、二人いる……」
 だが、眞紀子は迷わず紫の一つ紋を着た如月の方へ駆け寄った。
 「如月、あんた……」
 枝実子はまだ信じられずにいた。何故? 自ら死のうと?
 地面に倒れ、眞紀子に助け起こされながら、如月は枝実子に言った。
 「俺が眞紀子さんに執着したら、きっと……俺も、途中で自殺なんかできない」
 「あんた、本当に眞紀子さんを?」
 「……御身が、キオーネーを愛したよう……眞紀子さん」
 如月は眞紀子に手を差し延べた。
 眞紀子がしっかりとそれを掴むと、嬉しそうに微笑み、
 「眞紀子さん、俺は人間じゃない。思念が産んだ偽物だ。そんな俺が、あなたのような聖女を穢してはいけなかった」
 「違う、違う。私、聖女なんかじゃ……。いけないことだと分かっているのに、女の人を愛して……憎んで……」
 「いいんですよ、それぐらい。人を好きになったら、そんなこと、些細な問題だ……エミリー、分かるか? これがおまえが知りたがっていたことだ」
 倭姫の想い――愛するがゆえに憎悪し、憎悪するがゆえに愛する。今、眞紀子が身を持って教えてくれている。
 「分かるわ、如月。今、本当にその生き方が……」
 「無駄にするなよ、眞紀子さんの犠牲を。それから、もう迷うな。あいつ以外の人間になんか」と、如月は章一を見た。「迷う度に、俺は現われる。御身を抹殺するために」
 如月は、フフッと笑った。
 「世界の破滅なんか、大義名分だよ。本当は、彼女を……」
 如月は、眞紀子の方を見つめ直し――眞紀子もまた、如月の頬に触れながら、間近まで顔を近づけてくる。
 「苦しめたくなかったんだ、眞紀子さん。あなたを愛したかった、なんの気兼ねもない姿に生まれ変わって。愛したかった……」
 「如月さん!!」
 「愛し……続けて……」
 とうとう、霧へと化してしまう。
 「いやァ!!」
 その霧は、枝実子へと吸収された。途端、枝実子の意識も遠のいて、倒れそうになる。
 章一は急いで駆け寄って、枝実子を支えた。
 「愛したかったのよ、あなたを」
 枝実子は呟いていた。「愛されたかったから……」
 ――こうして、如月は枝実子に融合された。
 もうこれで、二度と、怪事件が起こることもない……。



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from: エリスさん

2012年07月27日 12時51分28秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・62」
 このまま、寝顔を見ていたい――如月はそうう思ったが、意を決して立ち上がった。
 「許してくれ……あなたを連れてはいけない」
 そこは眞紀子の部屋だった。眞紀子は如月に眠らされて、ベッドの中にいた。
 「また……逢えるといいけれど……」
 如月は髪に縛っていた紫の組み紐を解いて、眞紀子の枕辺に置いた。
そして、そのまま霧のように消えていなくなる……。
 「……き……さ……ら……ぎ……」
 眞紀子の唇がゆっくりと動いていく。
 「駄目……行かない……で……」
 微かに、指先が動く。だが、起き上がることはできなかった。
 時は、午後九時近くになっていた。


 枝実子たちは水郷公園に来ていた。
 目の前には月を映す大きな池。
 「本当にここなの?」
 瑞樹に言われて、間違いなく、と枝実子は答えた。
 「ここで、きっと如月は生まれたのよ」
 『私が眞紀子さんを辱めた、この場所で……』
 枝実子は、相変わらず舞台衣装の紫のキトンのままだった。
 「その格好のままじゃ、動きづらいんじゃない?」
 佳奈子の言葉に、枝実子は言った。
 「まさか。この服が一番私たちには馴染んでいるってご存知じゃありませんか。ただ……瑞樹、汚したらゴメンね」
 「いいわよ。どうせクリーニングするのはアンタなんだから」
 「……来た……」
 章一が見つめる方向から、ラベンダーの匂いが漂ってきた。枝実子のコロンよりも艶のあるその匂い……如月の着物に焚き染められた香(こう)の匂いである。
 月の光に、彼の姿が照らされる。
 長い髪をそのままにした、カール如月が立っていた。
 「久しぶりね、如月」
 枝実子が声を掛けると、如月はフフッと笑った。
 「不和女神(ふわにょしん)復活……とは、ならなかったようですね。その容貌のままということは」
 「顔だけなら、あなたの方が不和女神に相応しいとでも? 男のくせに」
 「この体には訳があるのです……それでは……」
 如月は左手を前に差し出して、何事か唱え出した。すると、黒い霧が彼の手を包み、それが形を成した。
 黒い柄、銀色に光る刀身――それは。
 「まさか、月影!? あんたが持ってたの!?」
 「そう。この身に融合させていたのです」
 道理で……と、思いながら枝実子はディスコルディアを構えた。
 佳奈子は、両手を組み合わせて、ギリシア語で唱文を唱え始めた。
 その唱文の内容を理解した章一は、瑞樹を離れたところへ連れて行った。
 「先生は今、結界を張っているんだ。何も知らずにその結界を通り過ぎても何も起こらないけど、結界だとちょっとでも意識してしまったら、触っただけで五体が砕ける。君は絶対にここから動かないで」
 「乃木君は?」
 「俺と、景虎は大丈夫なんだ。でも……あの二人の戦いに、手出しすることはできないけど」
 佳奈子の結界が広がり、枝実子と如月が消えた――ように、瑞樹には見えた。
 二人は、結界の中にいた。
 「佳奈子先生が結界を張ってくれたわ。これで思い存分戦えるわね、如月」
 枝実子の言葉に、如月は、
 「よくぞここまで歯向かえたもの。先ずは褒めて差し上げましょう、エミリー」
 と、月影を上段に構えた。
 二人の刃が鋭い音をたてる。
 互いの目の前に、自分がいる。
 「殺せるのですか?」
 如月が囁く。「わたしを殺せるのですか? 世界が破滅するかもしれないのですよ」
 枝実子が一瞬ひるんだ、その隙を突いて、如月が切りかかってくる。
 「惑わされるな!」
 章一の一喝で我に返り、刀を受け止める。
 如月は尚も囁く。
 「罪多き者よ。更なる罪を重ねて、地獄へ落ちるよりも辛い、人間たちの阿鼻叫喚を聞きながら、生きることを選ぶのですね」
 「違う……違う!」
 枝実子はディスコルディアに霊力を送って、月影ごと如月を突き飛ばした。
 「違うものですか」
 如月は立ち上がりながら、言った。「御身が人間としての天寿を全(まっと)うし、本来の姿に戻れば、当然訪れる世紀末――この世界の終わりを、御身は見たがっているのです。だから、死にたくないのですよ」
 「世界の終わり……私のせいで……?」
 如月の心理攻撃に、外野として見守っていた章一が、叫んだ。
 「世界の破滅がなんだ! 俺たちは互いさえいればいいんだ。エミリーがいないこの世界に、意味なんかない!」
 「……愚かなことを」
 「惑わされるな、エミリー!! 君は帰らなければならないんだ。故郷でみんなが待ってるんだぞ!!」
 章一の励ましに、枝実子は呼吸を整えた。
 「そうよ……私は帰る。こんなところで、道草なんかしていられないのよ」
 枝実子は再びディスコルディアを構えた。
 「邪(じゃ)を滅(めっ)する日の光を含み、今また月光を宿す水よッ」
 如月も呪文を唱え始めた。
 「地中に宿り、燃え盛るマグマの炎よ! 今こそ我が月影に集(つど)え!」
 池から水流が上がり、地面から火流が昇ってくる。
 「その大いなる力をもって、邪悪なるものを滅せよ!!」
 「この世界の汚物を焼き払え!!」
 水流はディスコルディアに集まり、火流は月影に集まって、互いの相手を攻める。
 力は、二人に挟まれたちょうど中心でぶつかり合った。



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from: エリスさん

2012年07月19日 17時30分01秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・61」
 彼女は、ずっと彼のマンションの部屋の前で待っていた。――一昨日の夜から姿を見せない、恋人――と、自分は思っているのだけれど……。
 『私、振られたんだっけ……』
 それでも、この気持ちは変わらないから、ただひたすら待っていよう。
 そう、決心した時だった。
 エレベーターが開く。
 見ていると、紫のヒラヒラとしたドレス(にしか彼女には見えない)を着て、腰に届きそうなほど長い髪を靡かせた女が、誰かを抱えてこっちに歩いてきた。
 その抱えられている人物――それは、
 「光司!」
 彼女は咄嗟に駆け寄った。
 「光司ッ、どうしちゃったのよ! なにがあったの!?」
 すると、女の後ろからエレベーターを降りた青年が、言った。
 「鍵を……彼の胸ポケットに入ってたから、部屋の鍵だと思うんだけど」
 彼が差し出した鍵を受け取ると、
 「あ、はいッ」
 と、彼女は急いで部屋へ行き、鍵を開けた。
 紫のドレスの女は、男を抱えたまま部屋の中に入ってきた。そして、
 「織田さん」と、紫のドレスの女が言った。「寝室は? 真田さんの」
 「こっち……だけど」
 織田と呼ばれた彼女は、ようやくこの女が誰か? と考え始めた。
 「あなた……もしかして、片桐……あ、でも、あの人はもっと……」
 紫のドレスの女――枝実子は、優しく微笑んだ。
 「考えるのは後。手伝って」
 「あ……うん」
 枝実子は真田を寝室のベッドに寝かせると、熱が出てきているからと、何か冷やすものを織田に持ってこさせた。
 一緒に付いてきた青年――章一は、枝実子がこの部屋の中に全く詳しくないのにホッとしながら、それなのに何故か枝実子の気が微かに感じ取れるところがあるのを見つけて、そこへ足を向けた。
 真田の机――それに設置されている本棚。
 その中の一冊に、枝実子の気が残っている。
 それは、ワープロ出力されたものを更にコピーして、糸で綴じた本だった。
 ペンネームを見ても、枝実子が書いたものだと分かる。
 「エミリー」
 章一はその本を見せながら、振り返った。
 「あ、それ!?」
 枝実子にとっては意外だった。真田がどうしても欲しいというからあげたものだが、きっと絶交した日に捨ててしまっただろうと思っていたからだ。
 枝実子が章一からそれを受け取った時だった。
 本の間から、一枚の紙がヒラリと落ちた。拾い上げると、それは写真で、病院の中で写したのだろう。明らかに母親と思われる若い女性が、ベッドの上で赤ん坊を抱えて笑っていた。
 枝実子はそれとそっくりなものを見たことがある。ベッドの中で、赤ん坊を膝の上に置き、むっつりと怒っているような表情をした母親の写真――その、膝の上の赤ん坊は、枝実子自身。そして、母親はあの母親である。
 いま見ているこの写真に写っている母親は、顔の表情こそ違うが、間違いなく……。
 「……お母さん……」
 やっぱり、と章一は思った。
 枝実子と真田の母親は同じ人――二人は異父兄妹。
 そんな時、真田がうめいた。
 「光司ッ、大丈夫!?」
 織田が真田を介抱している間に、章一は枝実子を促して外へ出た。
 枝実子は、脳裏に様々な思いが巡って、呆然としているように見えた。
 気が付いた真田は、先ず辺りを見回した。
 「……俺の部屋、か?」
 「そうよ。今……誰だか、良く分からないけど、女があなたを連れてきてくれたのよ」
 「女?」
 真田は、微かに部屋に残る匂いにハッとした。
 ラベンダー……彼女が使っているコロンの匂い。
 ふいに机の上に目が行く――そこには、先刻まで二人が見ていたものが置かれてある。
 真田は起き上がると、そこまで歩いて行った。
 写真に目が止まる。
 「どうして、これが……」
 「あ、それ、今の人達が……これ見て、女の方が驚いてたよ。お母さん、とか言って」
 「え!?」
 気付かれた、と途端に思った。決して、知られてはならないことだったのに……。
 「……枝実子……」
 真田は、しばらくその場に立ち尽くしていた。


 佳奈子は公衆電話から学校へ電話を入れていた。瑞樹を呼び出してもらって、今までのことを互いに連絡し合う。
 「そう、如月が」
 「エミリー、どうしてます?」
 「今、真田君をマンションに運んでるわ。そろそろ戻ってくるでしょ。それじゃ、彼女には私から伝えておくわ」
 「先生、私も行きます。あいつ、もう学校にはいませんから、私のこと迎えに来てください」
 「いいの? あなた、今日は演劇専攻科の舞台の稽古があるからって、休日なのに学校に行ってたんじゃ……」
 「友人を放っておけません! お願いですから、置いてきぼりにしないでくださいよ!」
 瑞樹との電話が終わり、佳奈子が車に戻ったのと枝実子たちが戻って来たのは、ほぼ同時だった。
 「エミリー、向田さんから伝言よ。如月が……どうかしたの?」
 枝実子の表情が硬いのに気付いて、佳奈子は言った。
 「車に入りましょう……話は中で」
 と、章一が代わりに答える。
 三人は佳奈子の車へ乗りこんだ。中では景虎が待っている。
 景虎はすぐさま主人に声を掛けようとしたが、その様子に気付いて、黙ったまま見上げた。
 枝実子と章一が後部座席に座ったので、景虎は助手席に移って丸くなった。
 車が走り出す――御茶の水芸術専門学校へ向かって。
 しばらく無言のままでいたが、そっと呟くように、枝実子が話し出した。
 「葛城皇子(かつらぎのみこ)にはね……」
 窓の方に体を預けたまま話していたので、初めはただの呟きかと思ったほど、か細い声だった。それでも、「うん……」と、章一は頷いた。
 「父親の違う兄がいたの。母親である宝皇女(たからのひめみこ。皇極女帝)が、前の夫との間に産んだ皇子が……漢王(あやのみこ)って言うんだけど」
 「確か、その人が後に葛城の実弟・大海人皇子(おおあまのみこ)に化けるって、一般の学説では言われてるわよね。あなたは全く別の学説――大海人皇子は新羅(しらぎ)からの渡来人説をとって、今度の卒業制作では書いてたけど」
 と、佳奈子が答える。
 「あまり知られていない学説で書いた方がいいと思ったんです。だって……漢王の大海人説じゃ、あんまりじゃないかと思って。そう思いませんか? 宝皇女は舒明天皇(じょめいてんのう)の権力で愛する夫から引き離されて、まだ赤ん坊だった漢王を育てることができなかったんです。そして、今度は、皇太子となった葛城を守るために、血統正しい弟の存在が必要だからって、漢王をそれに仕立て上げて――利用されて……だから、ずっと思ってたんです。漢王は、母親を奪った天皇と、その間に生まれた葛城を恨まなかったのだろうかって。葛城のこと……少しは、弟だって、愛してくれたのかなって……」
 章一には分かった。枝実子は自分と真田のことを言っているのだ。
 失恋の悲しみから逃れたくて、結果的に真田を利用してしまった自分を、わずかでも妹として好きでいてくれたのだろうか? と。
 「愛していたと思うよ、漢王は……だからこそ、兄でありながら、弟という立場に甘んじて、葛城を助けて政治に励んできたんだ。君が一番良く知っているじゃないか。だからこそ、大海人は愛する娘・十市(とおち)を葛城の長男・大友に嫁がせたんだよ。若い二人が、自分たちの理想を実現してくれることを信じて」
 章一も佳奈子も、その後に起こる壬申の乱の悲劇のことを口にすることはなかった。枝実子さえも……。
 また、しばらくの沈黙が続く。



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from: エリスさん

2012年07月13日 10時12分26秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・60」
――さて、佳奈子の車に乗り込んだ枝実子たちであるが……。
 「無事に手に入れられたみたいね、剣(つるぎ)」
 佳奈子の言葉に、枝実子は布に包んで抱えていたディスコルディアを眺めた。
 「まさか、この剣とこの世で再会できるとは思っていませんでした」
 枝実子の口ぶりに、前世の記憶がほとんど戻っていることを察して、佳奈子は、
 「それで? 私の正体は分かった?」
 と聞いてみた。
 「それが分からないんですよ。先生の守護霊が王后陛下の侍女をやっていたシニアポネーだってことと、以前、太陽神の血を引く者だっておっしゃってたことから、アポローンの血縁者だってことは分かるんですけど……」
 枝実子が言うと、章一も言った。
 「でも、俺たちの記憶の中に、それらしき人物は思い当たらないんです」
 「まあ、無理もないわね」
 佳奈子は楽しそうに笑ってから、言った。
 「私、前世のエミリーが精進潔斎に入ってから生まれたんですもの。私のお母様は、お父様に側近として仕える人の二人目の娘で、お父様に望まれてお傍に召されて(つまり正妻ではない)、それで私を生んだのよ」
 「ああ、それじゃあ、シニアポネーとは姉妹になるんですね。シニアって、本当はアポローンの娘なのよ。初めはアルテミスの乳母の子ってことになってたけど」
 と、枝実子は後の方は章一に説明した(シニアポネーが生まれた頃には、章一の前世はすでに死んでいる)。
 佳奈子はそれには答えず、フフッと笑った。
 『妹か……そういう見方もあったわね』
 彼女にとってシニアポネーは祖母にもあたる――アポローンに側近として仕えていた者というのはシニアポネーの夫・ケレーンのことで、アポローンに嫁いだ娘というのはシニアポネーとケレーンの間に生まれた娘なのである。つまりアポローンは自分の孫を娶ったのであるが、そんな事実はこの二人(枝実子と章一)に分かるはずもない。
 その時だった。
 「ニャーオ!!」
 と、景虎が叫んだ。
 佳奈子が咄嗟にブレーキを踏んでいた。
 フロントガラスの向こうに向かって、景虎が威嚇の声を上げている。そこ――道の真ん中に、真田が立っていた。
 「……片桐……枝実子……」
 真田は手にナイフを持っていた。「……俺が……楽にしてやる……」
 完全に、如月の術に取り込まれている。
 枝実子はディスコルディアを握り締めた。
 「エミリー……」
 章一が心配そうに声を掛ける。
 「やってみる」
 枝実子は車から降りた。
 章一も、佳奈子も出て来る。
 先ずは、第一戦である。


 相手は本気で殺そうとしてくる。
 だが、枝実子はそんなつもりはない。ただ、如月の呪縛から解き放ってやりたいだけだ。
 真田にそんな彼女の気持ちは分かるのだろうか?
 「片桐枝実子を殺せ」
 誰かが頭の奥で囁いている。「それが、彼女の為なのだから……」
 「枝実子の……ために……」
 ナイフをしっりと構え直す。
 枝実子は一瞬、ビクッとした――殺気か、憎悪か?
 『違う、今のは……』
 憐れみのオーラ……。
 枝実子が素早く避けて、真田が横をすり抜けて行く。その時、彼の背後に黒い霧がかかっているのが見えた。
 「エミリー! 今のだ!」
 章一にも見えた……そして、彼は真田が自分に向かって突進してくるのを避けずに、両手の人差し指と親指で三角形を作り、念を籠めた。
 「縛(ばく)ッ!」
 真田の体が動かなくなる。
 枝実子はディスコルディアを頭上に翳した。
 「清浄なる光を受けて木々より生まれし大気よ、今こそその大いなる力を現し、我が剣を包め!」
 ディスコルディアの周りを、清浄な空気が集まる。それを感じ取った枝実子は、真田の背と黒い霧の間を、ディスコルディアで切り離した。
 ――霧が消える。
 章一が力を抜くと、真田は前のめりに倒れた。
 咄嗟に、枝実子が駆け寄って受け止める。
 真田は、まだ何事か呟いていた。
 「嫌いになんか、なれるものか……嫌いになれれば、苦しんだり……」
 「……真田さん?」
 長い時間、如月の術と闘っていたのである。意識が混乱していても仕方はない。
 そのまま、彼を車に乗せることにした。
 車の中でも、彼は呟いていた。
 「どうしてだよ、父さん。どうして……枝実子、どうして俺たち……」
 「真田さん、何を言っているの? しっかりしてッ」
 枝実子が彼の体を揺すろうとするのを、章一が止めた。
 「休ませた方がいい。疲れ切っているんだ」
 佳奈子も同感らしく、
 「ちゃんとつかまってなさいよ」
 と言ったまま、霊力を発揮した。
 窓から見える景色が、消える――瞬間移動しているのである。
 一行は、一路東京を目指していた。


 「瑞樹さん」
 そう呼ばれて、瑞樹は振り返った。
 そこに、如月が藤の一つ紋姿で立っていた。
 “さん”付けで呼んでいるところをみると、呪縛が解けていることに気付いているらしい。
 「私に何か御用?」
 こうなったらヤケ、とばかりに、居直って見せる。すると、如月は嘲笑とも苦笑いとも取れる微笑みをして、言った。
 「エミリーに伝えてください。今夜、九時。例の公園の例の場所で待っている、と」
 「それで、エミリーに分かるの?」
 「分からないようなら、こう付け加えてください。今夜は、眞紀子さんはいらっしゃいませんが……と」
 「ちょっと、どういう意味よ。あんた、眞紀子さんに……!?」
 瑞樹が言葉を途中で飲みこむ。
 如月の向こうに、眞紀子が立っていたのだ。彼をじっと見つめて。
 「とにかく、頼みましたよ、瑞樹さん」
 如月は踵を返して、眞紀子の方へと歩いて行く。
 「どうして?」
 と、眞紀子が聞いた。「どうして、私を連れて行ってはくれないの?」
 眞紀子の問いに、今度は穏やかな笑顔を見せる。
 「まだ、だいぶ時間があります。どこか、散歩でもしませんか?」




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from: エリスさん

2012年07月06日 14時06分25秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・59」
 「あの子は、中学一年生ですか?」
 枝実子が尋ねると、道昭和尚は答えた。
 「はい、左様です」
 「だったら間違いなく、ベビーブームの最盛期の生まれだわ」
 その世代に生まれた子供が多すぎるというだけで、大人たちに競争を余儀なくされ、敗者は容赦なく切り捨てられる。それはストレスを呼ぶ、救いを求め――また、自分が敗者になりたくない一身から、誰かを貶めようとする。
 “いじめ”はこうして発生した。
 「あんなの“いじめ”じゃない。虐待よ! あの子、両親がいなくて、容姿がちょっとばかり劣っているってだけで、何人もの男の子たちに殴られ、蹴飛ばされて、まるでボールか何かみたいに!」
 「それだけではないのです、嬢。あの子は音楽の才能がありましてな。ピアノのコンテストで優勝までしているのです」
 と、和尚が言うと、
 「それじゃ、それを妬まれて?」
 「はい……本当にひどい話です」
 「だけど、いくらなんでも異常すぎる。ショウ、あなただったら、女の子一人を病院送りになるほど、暴力を振るうことができる? あの子をいじめてた男の子達、それをなんとも思わない――むしろ、楽しんでるように見えたわ。誰かが笑いながら言っている声が聞こえたわ。“僕、家畜が殺されるとこ見てみたいな”って」
 「家畜? 殺される?」
 太っている女の子に対して豚や牛と呼んで侮辱する人間は昔からいたものだ。しかし、それは冗談で言っているのであって、本気で家畜だと思っているわけではない。それなのに、今の(この時代の)中学生は、本当に人間が家畜に見えているのだろうか。ましてや、殺されるところが見たいとは……。
 章一はそこまで思って、新聞に載っていた事件のことを思い出した。
 四月に松戸の中学校で起きたリンチ事件。被害者の少女は入院、加害者の男子生徒十三名は精神鑑定を受けたが、うち三人は正常だったために鑑別所に入り、残る十人は事件当時シンナーをやっていたとかで、事実上無罪の保護処分になったらしい。
 間違いなく、その被害者とはあの郁子のことだろう。先月のことだから、怪我がまだ完全に治りきっていないことからも符号する。
 それにしても、中学一年の四月ということは、入学して間もなくということだ。きっと、加害者の男子生徒の中には、郁子の知らない生徒も混ざっていただろう。
 見ず知らずの人間に、謂れのない暴力を受ける彼女の気持ちは、きっと想像を絶するものだ。
 「私、それ以上のビジョンが見たくなくて、それで咄嗟にヒーリングを始めてしまったの。……できれば、全身の傷を治してあげたかった」
 枝実子は涙声になりながら言った。「あいつら、酷すぎる!! 見つけたら殺してやりたいぐらい、酷すぎる!!」
 「嬢……」
 和尚は膝を突いて泣き出した枝実子の方へ歩み寄り、そっと背を撫でてあげた。
 「気持ちを落ち着かせてくだされ、嬢。あなたはこれから成さねばならぬことがあるのですぞ」
 ただでさえ霊(たま)よせの鈴を融合させている身で感受性が強くなっているのに、身内のことである。枝実子が感情的になってしまうのも当たり前かもしれない。
 「しかし、嬢。その涙をどうか忘れないで下され。人の心の痛みを解(げ)せぬ者に、文学を語る資格などありません。あなたはその涙で感じたままに、文を書き、表現し、世間の馬鹿どもに教えてやってくだされ。こんなことは許されぬと、決して許してはならないのだと」
 枝実子は頷いて、手の甲で涙を拭った。
 「御住職」
 「はい、なんでしょうか」
 「あの子――郁子さんは、ある決心をしました」
 「決心……」
 「女の身では少々危険かもしれませんが、あの子は絶対にその決心を曲げないでしょう。周りの人々はそれを快く認めてあげなければいけません」
 「わかりました。妹に伝えておきましょう」
 ちょうどそんな時だった。
 外から車のクラクションの音が聞こえてきた。
 佳奈子がもう到着してしまったのである。(きっと、途中霊力を使って飛んできたのだろう)
 枝実子が車に乗り込もうとしていた時、郁子は住職と一緒に手を振って見送ってくれた。
 この後、北上郁子はしばらくの静養をこの地で過ごし、生前祖父が入門していた大梵天道場(ブラフマーどうじょう。武道、日本舞踊、雅楽の道場)の門下生となった。身体を鍛え、霊力を高めて、十年後、枝実子と再会する時には、大梵天の八部衆にまで成長し、やがて枝実子が育てることになる「宿命の女人」を守護するために片桐家宝刀・白陽を受け継ぐことになるのである。



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from: エリスさん

2012年06月29日 12時18分38秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・58」
        6      


 光影寺から使いの小坊主が来たとき、枝実子はちょうど舞台の衣装――紫のキトンを試着していたところだった。
 瑞樹がこんな早朝から電話をしてきたらしい。
 とにかく急いで、と言われたので、枝実子は着替えることなく山を駆け下り、景虎も付いていってしまったので、章一は(どの道そのつもりでいたので)東京へ帰る準備を始めた。
 光影寺へ枝実子が到着した途端に、瑞樹からの再度の電話が鳴った。
 「大変だよ、エミリー!」
 本当に慌てているらしく、聞いている方は耳が痛くなりそうだった。
 「何が大変なのよ、瑞樹ッ」
 「何がって……あれ? エミリー、声戻ったの?」
 「もう完全復活よォ」
 枝実子はちょっと高飛車に笑ってから、スッと真顔に戻った。「それで、何が大変なのよ」
 「あ、そうそう。真田さんが行方不明なのよ!」
 「……え? それ、いつから!?」
 「一昨日の夜からなの。みんな、初めのうちはいつもの夜遊びで、そのまま引っ掛けた女のところに泊まってるんじゃないかって思ってたんだけど」
 『相変わらず凄い言われよう……』
 大変な時だというのに、枝実子はそう思ってしまった。
 「でも、二日も家を空けるなんて、変でしょ? あのガールフレンドなんか、もう半狂乱であの人のこと探してるよ」
 「それって、やっぱり如月に係わることなの?」
 「十中八九。調べてみたらね、真田さんが最後に姿を見られたのって、如月と一緒に歩いてた時だそうだもの」
 「当然、如月はそのことについてオトボケしてるんでしょうね」
 「あたりまえじゃない。話してて、殴ってやろうかと思ったぐらい、シラッとしてるのよ」
 明らかに真田を利用したらしいことは、枝実子にも想像がつく。
 だが、どこへ?
 「とりあえず、今朝までに戻ってこなかったら、こっちも行動を起こさないといけないって佳奈子先生が言ってたから、今朝そっちに佳奈子先生が向かったはずなんだ。元に戻ったんなら、こっちに帰っておいでよ」
 「分かった。佳奈子先生が着くまで、ここにいさせてもらうから、また何かあったら連絡して」
 「オッケー!」
 枝実子は受話器を置いてから、後ろで話を聞いていた住職の方を振り向いた。
 住職はただ頷いた。
 縁側で待っていた景虎は、ひげをピクピクッとさせて、起き上がった。
 普通の猫でさえ霊感のあるものを、神獣の生まれ変わりである景虎には、こんなにもはっきりとした霊気は簡単に見つけることができる。
 景虎は霊気のする方へ歩いて行った。
 寺の中の墓地に入る前に、錦鯉を放った大きな池がある。そこに、誰かがいた。
 池の傍の庭石に腰掛けた彼女は、まだ枝実子よりずっと若く、青地に紫陽花を描いた浴衣を着て、右腕の袖から包帯が見え隠れし、左足の脛にも包帯を巻いていた。身体中が怪我だらけと言っていい。
 景虎は池を眺めるその娘に声を掛けてみた。
 彼女は景虎に気付いて、にっこりと微笑んだ。
 美人とは言えないし、ちょっと太ってはいるが、純和風の顔だちをした優しそうな娘である。
 「おいで」
 彼女の手招きに、景虎は素直に応じた。
 間違いなく、景虎が感じた霊気は彼女のものだった。今はまだなんの修行もしていないために不安定なところがあるが、きっと枝実子にも劣らぬ霊能者になれるだろうと、景虎は感じ取った。
 「おまえ、どこの猫? 大伯父様(おおおじさま)の飼い猫?」
 オオオジって誰? と景虎が思っていると、誰かが近付いてくる足音がした。
 「あ、やっぱり景虎だ。なにしてるんだ?」
 後から来た章一である。手に自分と枝実子の荷物を持っている。
 彼女は一瞬身構えたが、落ち着いて章一を見てから、元の穏やかな表情に戻った。
 「あれ……君は?」
 章一は、もうちょっと痩せればエミリーに似てる、と思いながら歩み寄った。
 「君、この寺の子?」
 その問いに、彼女が答えようとしていると、いきなり、
 「その子に近寄らないで!」
 と、悲鳴にも似た声が飛び込んできた。
 和服姿の老婆が、母屋の方から駆けて来る。
 「おばあ様……」
 と、その老婆を見て彼女が呟く。
 老婆は、駆け寄るなり、彼女のことを抱きしめた。
 「この子になんの御用ですか!」
 「え!? あの……」
 なんと言うべきか困っている章一の代わりに、景虎が鳴く。
 「あ……ああ、すみません。あなたの子猫ですか?」
 「いえ、親友の猫なんですが……」
 そこへ騒ぎが聞こえたのか、枝実子と住職がやって来た。
 「世津子(せつこ)さん?」
 枝実子はそう言いながら、こっちへ歩いてきた。
 「まあ、枝実子お嬢さん!」
 と、老婆が答える。
 知り合い? と章一が枝実子に聞くと、
 「御住職の一番下の妹さん。今は千葉の松戸の方に住んでるんですよね」
 「ご無沙汰をしております、お嬢さん。あ、じゃあ、お嬢さんのお友達なんですか?」
 「親友なんです」
 「まあ、これは。失礼を致しました。私ったら、つい……」
 老婆――北上(きたがみ)世津子に頭を下げられて、章一もつられてお辞儀をしてしまう。それを面白いと思ったのか、また景虎が鳴いた。
 「あら、景虎。遊んでもらってたの?」
 すると、彼女は答えた。
 「この子、お姉さんの猫なんですか?」
 「ええ、そうよ……世津子さんのお孫さんね」
 「はい」
 彼女は景虎を枝実子に返そうとして差し出した。だが、
 「まだ抱いてていいわ。すぐには帰らないから……景虎が離れたくないって顔してるもの」
 「ありがとうございます」
 その子は景虎を膝の上に乗せた。
 枝実子は景虎の様子から気付いていたのだ、この娘が並の娘ではないことを。そうでなくても、危うい波長で流れている霊気……。
 『この子……もしかして……』
 枝実子は、身を屈めてから、彼女の手を取って見た。
 すると……。
 『どうしたんだ?』
 章一が一瞬不安になったほど、瞬時に枝実子の表情が蒼白になった。
 枝実子は彼女を、自分の額に近づけた。
 「……あれ?」
 彼女は自分の足を軽く動かしてみた。
 膝の上にいた景虎が退くと、身を屈めて自分の脛をさすってみる。
 「どうしたの? アヤ」
 世津子の問いに、治ったみたい、と彼女は答えた。
 「足の痛いの、取れたわ。おばあ様」
 「まあ……」
 「お姉さん、ヒーリングが出来るんですか?」
 少しも驚いている風がないところなど、やはり片桐の血筋のせいだろう。
 枝実子は微笑んでから、また彼女の手を取った。
 「私は片桐枝実子……あなたの名前は?」
 「アヤコ……北上郁子(きたがみ あやこ)と言います」
 「北上郁子さん……忘れないわ、その名前。だから、あなたも私を忘れないで。きっと、また会いましょうね」
 枝実子はそう言い残して、母屋の方へと歩いて行った。
 「ニャーオ」
 と、景虎も郁子を見上げてから、枝実子の後を追って行った。
 章一も二人に会釈をしてから、彼女の後を追った。
 母屋に入ってから、何があった? と枝実子に聞いてみた。
 まだ、少し蒼白な顔色。
 「これから、霊力を使わなきゃいけないだろうから、フルパワー使えなくて、足しか治してあげられなかったけど……実際に、あんな子がいるなんて……」
 「いったい、何が……」
 「ご覧になられましたか、嬢」
 住職も母屋に戻ってきて、障子を閉めながら言った。「あの子の怪我を」
 「透視したわけではなく、彼女の記憶が流れてきて……ほぼ全身に、傷が」
 「え……」
 章一は言葉を失ってしまった。


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from: エリスさん

2012年06月22日 10時23分29秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・57」
 俺が記憶を取り戻したのも、こんな高熱が続いた時だった――と、章一は枝実子の額に雪を包んだ布を押し当てながら、思った。
 時々、枝実子がうわ言を言う。その声は、元の枝実子の声だった。
 「キオー……ネー……」
 『そうだ、思い出せッ、俺たちのことを』
 そうすれば分かる。自分の想いも、何故この気持ちを押し殺さなければならないのかも。
 この世に転生した、もっとも過酷な試練。絶対に営みあってはならないという宿命。
 「なんで……だったらなんで、俺は男として生まれてきたんだ」と、章一はつぶやいた。「エミリーと愛し合えないのなら、女のままでも良かったじゃないか! 男なんか大嫌いだ!」
 宇宙の意志は言っていた。なぜ人間は二種類――男と女に分けられているのか、おまえは理解していない。エリスはこの世界の総てを学ぶために人間界に降りることになっている。一足先に生まれ変わるおまえは、エリスの手助けをしなくてはならない。だから、おまえは、おまえが最も忌み嫌う種別に生まれ変わらねばならない、と。
 枝実子が唸り声をあげてから、目を覚ました。
 「エミリー!」
 「……ショウ……あなたなの?」
 枝実子は震えながら、ゆっくりと、手を章一の頬に近づけた。
 「私の、あの子なの?」
 何も言えずに、俯く。
 「そうなの? ねえ……ショウ?」
 「……エ……」
 章一の口から、女の声が漏れる。「……エリス……様」
 「キオーネー……」
 枝実子が章一の首に両腕を伸ばした時だった。
 「ニャー!!」
 すぐ傍で、景虎が叫ぶように鳴いた――いや、泣いていた。
 滅多に見ることのできない猫の涙……それも大量の涙が景虎の目から、溢れ、零れてゆく。
 「どうして……景虎?」
 「グッ……」
 枝実子を見下ろしていた章一は、自身の左腕を右手で爪を立てたまま握り締めた。そうして、痛みで自分を取り戻そうとする。
 それらの光景を見て、枝実子も分かった。
 「そう……そうね。私の試練は、誰にも愛されないこと。たとえそれが、あなたであっても……そうなのね? ショウ」
 章一は顔を背けて、枝実子から離れ、壁に身を預けた。
 「ショウ……」
 枝実子は起き上がって、章一の方を向いた。
 「あなた、耐えてくれていたのね、あの時……」
 枝実子の告白を、今は駄目だ、と拒絶したのは、お互いがまだ若すぎたから。若さゆえにまた過ちを犯さないように、どちらかが去るしかない。
 「ごめんなさい……私が愚か過ぎたわ。あなたの苦しみも知らないで……他の人に逃げようとしたりして……私……」
 涙が、止まらない。
 前世では同性同士で愛し合って罰せられ、今生では男女であっても罰せられる。どんなに深い想いであっても、だからこそ。
 『愛してる、と言ってはならないなんて……』
 今ほど、この言葉を口にしたいと思ったことはない。
 それでも、二人はただ泣いていることしかできなかった。


 彼女を起こさないように、慎重に体を起こす。
 如月は、裸体のままの自分の体を、確かめるように撫でた。
 純潔ではなくなった自分の体では、もう月影を融合していられないかもしれないと思ったのだが、その心配はなさそうだ。
 『彼女となら穢れにならないのかもしれぬ。彼女は聖女だから……』
 彼の隣には、白い肌をした眞紀子が、シーツだけを掛けて眠っている。
 とうとうこの女性の温もりを、直に感じ取ってしまった。これはもしかしたら最大の罪かもしれない――それとも、幸運だろうか。
 『けれど、どうすることもできなかった。彼女を拒むことなど……救いを求めている眞紀子さんを見捨てることなど……』
 じっと眺めていた彼の視線に気付いたのか、眞紀子が目を覚ました。
 「あ、起こしちゃった……」
 如月は言ってから、驚愕した。
 眞紀子も驚いて、すぐに起き上がった。
 「如月さん?」
 あ、あ、と声を出してみる――男の声しか出ない。
 「エミリーさんね?」
 眞紀子の言葉に、如月は頷いた。
 「まあ、そうこなくっちゃ面白くないさ」
 「でも、学校ではその声じゃ……」
 「大丈夫だよ」
 如月は二、三度咳払いをして、言った。「作り声が出せますから。エミリーの声に似ていませんか?」
 「あ、似てる……でも、似ているだけじゃ、きっと、瑞樹さんあたりには……」
 「そうだな……けど、それも長いことじゃない」
 明日には決着がつく――如月はそう予感していた。



 「……剣は?」
 涙をぬぐった枝実子が言うと、トコトコッと歩いて行った景虎が、剣の立てかけてあるところでニャーっと鳴いた。
 枝実子は左手をかざした。
 景虎は剣から少し離れた。
 「……ディスコルディア……」
 枝実子の声に反応して、動く――が、倒れて、そのまま動かなくなった。
 枝実子は苦笑いをした。
 「やっぱり、この体じゃ無理なのね。声だけ昔のままでも」
 「いや、そうじゃないよ」
 章一も涙を手の甲で払うと、剣を取って枝実子の方に差し出した。
 柄の上部――鍔(つば)の真下にあたる所に、六角形の穴があいていた。
 あっ、と枝実子は小さく叫んだ。
 「黒水晶が……」
 「そう。前世の君の霊力を帯びて、神格化した君の剣のパワーのほとんどを蓄えていた、いわばディスコルディアの魂が抜けているんだよ」
 ディスコルディアの魂――章一が説明した通り、不和女神エリスの霊力を浴びていたために疑似生命体となったディスコルディアが、パワーのほとんどを蓄えていた黒水晶のことである。時折、刃が欠けたりして修理に出さなければならない時は、エリスはこの水晶だけ外して鍛冶の神に預け、水晶の方はその間、自身の胸の谷間に埋め込んでいたほど、大事なものだった。ちなみに、ディスコルディアとは、ローマ人がエリスを呼ぶときに付けた名で、その響きの良さを気に入ったエリスが、剣の名としたのである。
 「でも、その方が良かったかしら」と、枝実子は言った。「完全に記憶の戻った私には、これ以上材料が揃わない方がいいかもしれない。私が完全復活してしまったら、その時、日本は……」
 今更ながらに思う。
 如月が自分を殺そうとしていることこそ、正義なのかもしれない、と。

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from: エリスさん

2012年06月15日 12時34分01秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・56」
 体温が異様なまでに下がっていた。
 今日まで、肉も魚も、熱量になるものは一切口にしていなかった枝実子である。それが滝に連日打たれていたのだ。体温がある方がおかしい。
 とにかく、濡れた白衣を脱がせないといけない。
 「ニャーオ……」
 景虎が念を押すように鳴く。
 「……分かってるよ。だけど、濡れた服のままじゃ温めてもやれないだろ。それよりタオルと着替え、引っ張って来てくれ」
 実際、必死になっていると、枝実子の裸体に見とれることなんかできない。章一は自分の方に寄りかからせながら、枝実子の下着を外し、景虎が引っ張ってきたタオルで体を拭いてやった。
 流石に景虎では下着は選んでこれないので、素肌の上に浴衣を着せる。
 枝実子は、何をされても全く反応がなく、ただ、眠り続けていた。
 長い、長い夢を見るために……。


 まだほんの少女だったころ、彼女は良く森で、仲が良さそうな人たちを見ると、無意識に不和の種を撒き散らして、喧嘩をさせてしまうことがあった。
 何故そんなことをしてしまうのか分からず、母であり夜の司・ニュクスに泣きついたものだった。
 しかし、母は彼女の望んでいる言葉を口にすることなく、自分を責めるばかりだった。
 「ごめんなさいね。母様がいけないの。母様に似てしまったばっかりに、おまえは……」
 そして、とうとう母は一つの決心をして、彼女を自身の社殿から追い出した。
 「私の大事な水晶を割るなんて、おまえなど私の娘ではありません!!」
 そうやって、彼女が母親を憎み、蔑み、母親のような女神にはならないと心に誓ってくれれば、彼女は全く違う生き方ができる……そう信じて、心を鬼にした母親の気持ちを気付かぬほど、彼女は愚かではなかった。
 母親の社殿を出た彼女は、その日のうちに、後に親友となる軍神アレースと出会う。
 彼と親しくするうちに、その母であり王后のヘーラーに目を掛けてもらえるようになり、ヘーラーの社殿・アルゴスにも出入り自由となった頃、彼女は運命の少女と出会う――それが、月桂樹から生まれた精霊・キオーネーだった。
 初めは友人として、やがて家族のように、そして逃れられない恋へと落ちていく。
 「どうしよう、母さん。私、エリス様を追い落としてしまう。あんなに気高い女神様を……」
 キオーネーが母親である樹にしがみついて泣いている頃、彼女も苦しんでいた。
 「母君、あなたは見ているはずだ。ずっと、私を追い出したあの日から! それなのに、どうして姿を見せては下さらぬ。今こそ、あなたの支えを欲している娘の前に、せめて優しい声を掛けては下さらぬ! 母君ィ!!」
 苦しみながらも二人は愛し合い、深く濃く、想いを紡いでいく……。
 キオーネーは彼女の剣・ディスコルディアを抱きしめながら、言ったものだった。
 「ディスコルディア様が羨ましいですわ。あなた様の別称を頂き、絶えずあなた様のお傍にいられるのですもの。私は……夜しか一緒にはいられない」
 だから、彼女も言ったものだった。
 「せめて、私かそなたが男であったならな……」
 そうして、二人の関係が表沙汰になってしまう。
 神々の裁判に連れ出された彼女は、堂々と神王・ゼウスに申し開いた。
 「大地の女神・ガイア様はご子息の天空の神・ウーラノス様と交わってクロノス様を儲け、そのクロノス様は姉のレイアー様を后とし、陛下を初めとする神々をこの世に誕生させた。陛下ご自身も姉君であるヘーラー様を正妃とし、同じく姉君であるデーメーテール様を側室となさっているではありませんか。それならば、近親婚の許されているこの神界に、新たな法――同性婚の法をお造り下さるならば、私とキオーネーは喜んでその始まりとなろうではありませんか。陛下、神界と人間界との間に、はっきりとした境界線を引くか、それとも双方ともに共通する法を定めるか、本来論じられるべきことは、この二つに一つなのではございませんか。願わくは、この神界に新たな法を!」
 「黙れ!!」
 激怒したゼウスは、息子たちを使って彼女たちを罰しようとする。
 先ず、太陽神・アポローンが刺客として向かう。
 だが、容易に倒される彼女ではない。
 アポローンは卑怯な真似をして、彼女を地に横たわらせた。
 彼女はそんなアポローンに言った。
 「キオーネーに手を出してみろ、おまえの女たちを一人残らず八つ裂きにしてやる。おまえがキオーネーを殺せば当然の報いだ……キオーネーは、私の妻だ」
 胸に深い切り傷を負った彼女は、それでもキオーネーを連れて国外へ逃亡しようとした。
 そんな時に現れたアレースは、本当に心強い味方だった……。
 キオーネーを寝かしつけた後、アレースは彼女にも神酒(ネクタル)を勧めた。
 「どうしてあんな子供を好きになったんだ?」
 アレースに聞かれて、彼女は、
 「子供じゃないよ。もう彼女は十五だ……確かに、自分でも以外だったよ。いくら男を愛せないからって、女とはね……でも、逃れられなかった。私は欲していたんだ。この体の総てを使い果たしても守りたい、誰か、何かを」
 「……わかるよ。だから俺も、弟の妃だったアプロディーテーを……」
 ……彼女が薬で眠らされている間、アレースは彼女だけを連れて隠れ家を後にした。
 馬車の揺れに胸の傷が響いて、目を覚ました彼女は、親友の策略に気付いて、彼を責めた。
 「キオーネーをどうした、答えろ!!」
 彼は顔をそむけたまま、答えた。
 「父上の……命令なんだ……」
 父親の呪縛から逃れられないアレースを嘲笑し、半身のまだ効かない彼女は、腕だけで地を這いながらキオーネーを助けに行こうとする。そんな彼女を助け起こしたアレースは、初めて彼女から罵倒された。
 「触るな、裏切者!! ……本当の……心からの親友だと、信じていたのに……」
 アレースを父親の呪縛から解放してくれたのは、そんな彼女の涙だった。
 アレースの馬車に再び乗せられた彼女は、一路キオーネーのもとへと向かう。
 だが、ゼウスはあまりにも無情な行いをした。
 彼女たちの目の前にキオーネーが眠っている隠れ家が見えた時、雷電を落として隠れ家ごとキオーネーを焼いてしまったのである。
 夜の空には彼女の悲鳴がこだまし、それを司る女神も人知れず涙にくれたのである。
 その日から、彼女は不思議な夢を見る。
 夢の中で、男とも女ともつかない声が、彼女に話しかけるのだ。
 「これは試練。そなたがより高処(たかみ)へ登り詰めるための……。そして、いつかわたしのもとへ辿り着きなさい」
 彼女の傷が癒えた頃、王后神・ヘーラーから、養女にならないか、という申し入れがあった。
 日頃、母親として憧れていた女神からのこの言葉は、彼女にとって救いだった。
 彼女はアルゴス社殿の姫御子の一人となった。
 しかし、ゼウスへの怒りは消えず、そんな彼女を哀れに思ったのか、ゼウスとヘーラーの長女・エイレイテュイアは彼女と親しくするようになった。
 やがて、エイレイテュイアの想いが愛へと変じ、彼女を苦しめ始めた。
 そのまま時が過ぎ……。
 キオーネーは浜辺に住む漁師夫婦の一人娘として転生していた。彼女はたびたびその浜辺を訪れ、キオーネーを垣間見る。そんな姿をヘーラーも遠くから見守っていた。
 エイレイテュイアを愛人にはしていても、完全に心を閉ざす養女を、心配するヘーラー。
 「エイリーは私の娘……そなたが敬愛してくれているこの私の娘だと、そうは思えぬのか? あの子は、そなたへの想いゆえに、エロースを生んだのだぞ!」
 「そのために、苦しんでいるのはエロースではありませんか」
 母親・ニュクスの能力を受け継いで、単身で懐妊・出産する能力を得ていた彼女。だがエイレイテュイアは産褥分娩の女神でありながら、その能力はない。エイレイテュイアは彼女への想いが高じて、彼女の子供が産みたいと願うようになっていた。そして、許されぬべき行為に出たのである。彼女の胎内に宿った胎児を、自分の胎内に移し、育てて、産んだのである。――それが、恋の神・エロースだった。彼は、この生まれゆえに十五歳になったら体の成長が止まるという悲劇に追い込まれる。
 「僕の本当の母親は誰なんですか、お母様。何故、僕はお母様に似ていないのですか……何故、叔母様の子供たちは僕にそっくりなんですか! 僕の名と叔母様の名が一字違いなのは何故なんです!!」
 息子に責められ、泣きくれるエイレイテュイアを、流石の彼女も可哀想に思えてくる。慰めようとするのは自然の理であるが、エイレイテュイアが彼女をなじるのも、また自然の理である。
 「何故、あなたは男ではないの……並の男神よりも男らしく、威厳に満ちたあなたが、何故、女なのよ! あなたがそんな人でなかったら……そして寂しがりな人でなかったらッ、私は身を任せようとは思いませんでした。それなのに、どうしてよ!! どうしてあなたは、女神として生まれてきたの!!」
 一番気にしていることを言われては、その場にはいられない。彼女が踵(きびす)を返して立ち去ろうとすると、背後からまたエイレイテュイアは叫んだ。
 「待って……待って!! 嘘よ。今、私が言ったことは皆、嘘です。だから見捨てないでッ。お願い。愛してるわ、――!!」
 どんなに自分の名を呼ばれても、振り向けない――敵の娘、というわだかまりと、キオーネーを愛していながら、エイレイテュイアにも傾きつつある自分の愚かさに。
 出来ることなら生まれ変わりたい。
 女神でなくていい、人生をやり直してみたい。
 この時からそんな思いが彼女を突き動かしていた。
 そして、あの夜……罪人でありながらヘーラーの庇護のもと平穏に暮らす彼女に、制裁を加えようと、ゼウスが彼女の寝室に忍び込んだ、その日、身を持って父親を制したエイレイテュイアに、彼女はようやく心を開いた。
 「私は、罰を受けようと思う」
 「自分の罪を認めるの? 私たちの愛を邪道だと言うの?」
 「そうじゃない、形だけ借りるのだ。私への罰は、人間界で人間として生き、多くの試練を受けることだと聞いている。ようやく私は目覚めたのだ。だから、人間界へ降りられるのなら、罰を受けるという形式だけ借りてもいいだろう? エイリー……戻ってきたら、私の正妻になってくれるか?」
 「……私で、いいの?」
 「私を目覚めさせてくれたのは、おまえだから」
 翌日、彼女は神王を初めとするオリュンポスの神々の前に進み出た。
 そこでゼウスと和解した彼女は、人間界での刑罰が終わった暁には、エイレイテュイアを正妻として与えるという約束をもらう。
 そうして、人間界に降りることになった彼女は、その前に浜辺を訪れた。――キオーネーの生まれ変わりに会うために。
 子犬と遊んでいたその子は、彼女に気付いて、じっと見上げていた。
 「その子(犬)が好き?」
 「うん」
 「お父さんとお母さんは?」
 「大好き……お姉さん? 私、お姉さんとどこかで会ったことあるみたい」
 「そう……ね」
 そこへ、娘の母親が現れる、娘の名を呼びながら………今のキオーネーの名は、彼女と同じ名前だった。
 「あなた様は、この子の本当のお母様ではありませんか?」
 「実の娘ではないのですか?」
 「はい……五年前です。男とも女ともつかない声の持ち主が私ども夫婦の夢枕に立たれて、この子を授けてくだされたのです」
 この声の主、それは……。
 そして、二人の母親との別離。
 敬愛する養母・ヘーラーのもとを訪ねた彼女は、紫水晶の指輪を賜った。
 「もう黒いキトンを身に着けるのはおやめ。これからは、これがそなたの色。吾子よ、ただ運命に流れるのではなく、時には運命に抗い、多くの物を勝ち取って生きよ。そなたには、それが出来るはずだ」
 実母・ニュクスの方は自分から訪ねてきてくれた。
 「感謝しております、母君。あの時、あなたが私を突き放してくれなかったら、今の私はありませんでした」
 「恨んで……いなかっ……」
 涙で声が詰まるニュクスを、彼女もまた涙ぐみながら抱きしめる。――そのまま、動けない。
 どんなに欲しても得られなかった、実母の温もりが、ようやく戻ってきたのだ。
 思えば、母親に恵まれていないと思っていた彼女の人生は、まったくの思い違いであった。こんなにも偉大な母が二人も、彼女を表から、裏から、支えてくれたのである。
 そうして、精進潔斎の日、辿り着いた宇宙……。
 「ようやく辿り着いたな」
 男とも女ともつかぬ声――宇宙の意志が、そこにいた。
 「あなただったのか? ずっと私に話しかけていたのも、キオーネーをあの漁師夫婦に授けたのも」
 「そう……そしてこれからも、わたしは御身を見守り続ける」
 彼女は、宇宙空間において身体の時間を戻され――大人から少女へ、幼女、赤子、そして細胞のひとかけらにまで戻り、魂だけの姿となった。
 彼女は地球へとゆっくりと流され落ちて行きながら、ずっと満天の星空を眺めていた。――そして、日本の東京において、片桐枝実子として産声を上げたのである。
 彼女の名は、不和女神・エリスと言った……。


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from: エリスさん

2012年06月08日 11時33分09秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・55」
 不思議なことと言おうか、当然と言うべきか、如月は眞紀子の傍にいる時が一番落ち着く。――体の中の一切の邪気が消えていくような気さえするのだ。
 『月影を融合させているのに、そんな筈はないのだが……』
 しかし、それだけ自分にとって眞紀子が大きな存在になっていることだけは事実である。
 そのせいか、近頃は眞紀子の家に泊まることが多くなった。
 「お家の方、心配しないの?」
 眞紀子が言うと、如月は苦笑いをしてから言った。
 「心配は心配でも、別の心配でしょうね……本当にあなたの家――女友達の家に泊まっているのか。もしかしたら男の所で、果ては“ふしだら”なことはしていないか、とか……」
 「ええ、まさか!? お家の人達の記憶って、エミリーさんが家にいた時の記憶をベースにしているのでしょう? だったら、そんな心配するはずがないじゃない。彼女、真田さんと交際していても本当に貞節で、身が固いのよ。それは……私にはあんなことしたけど、所詮ふしだらなこととは無縁の人だわ」
 「そう。あやつほど潔癖にしていた女はいないでしょう。言葉で人を蕩(とろ)かすことはしていましたが(主に章一に対して)。しかし、あやつの母親はそう見ないのです」
 如月は枝実子が今まで母親から受けていた侮蔑の数々を眞紀子に話した。
 そのせいで――いや、おかけで、枝実子は口にできない思いを文章で表現する術を身に着けたことも。
 「あやつの文章力は、母親への怒りから成長したのです」
 「……わかるわ」
 「え?」
 「私も同じよ」
 眞紀子の文章力も父親への侮蔑で始まった。
 正妻を泣かし、多くの愛人を持って、その中の一人に自分を生ませた、だらしのない父親への憎悪。
 自分は絶対にあんな人間になってはいけない。なるものか。
 だから……!!
 「私……もし生まれた時に本当の奥さんが死んでいなかったら、この家に時取られずに済んだかもしれないわ」
 「でも、もし引き取られていなかったら、今のような教養は身に付か……」
 「教養なんかいらない!! 安らぎが欲しいの!!」
 そう言い放った眞紀子の息が、荒く、熱く、如月を征服する。
 眞紀子の腕が如月の首筋に絡む。
 「……欲しているのは、安らぎだけよ……」
 「……眞紀子さん……」
 それは、如月の方こそだったかもしれない。


 日が暮れても枝実子が戻ってこない。
 様子を見に行こうと思って囲炉裏から離れた途端、大きな水飛沫がした。
 窓から見ると、枝実子が滝の下で倒れていた。急いで駆け付けようとしたが、戸がビクとも動かない。
 「どうなっているんだ!?」
 章一が頑張って開けようとすると、窓にしがみついていた景虎が鳴いて、呼んだ。
 光が差し込んできている。
 見ると、枝実子の上空に、光に包まれた女性――長い金髪、白い肌に紫のキトン、金色の腰帯、指には何種類もの指環をつけた、まさに女神――が、いた。
 『あの御方は!?』
 章一は、懐かしいその姿に、驚いた。
 その手に、諸刃の剣が握られている。
 「我が娘、エリスよ」
 その声に答えるように、枝実子が……いや、枝実子の体から浮き上がったその魂は、枝実子の姿をしていなかった。如月に良く似た、しかしそれ以上に高雅で威厳に満ちた表情、膝まで長い黒髪――前世の彼女が、紫のキトンに身を包んで、女神の傍まで飛び上がった。
 「お懐かしゅうございます、母君」
 「エリス、良くぞ、その身にまとわりついた邪気を払いのけました。これで、この剣を手渡すことができます」
 女神は両手で剣を手渡した。
 「これは試練です、エリス」と、女神は枝実子を抱きしめた。「必ず乗り越えて、帰ってきておくれ。エイレイテュイアも、そなたの子供たちも、そしてもう一人の母も、そなたの帰りを待っているのだから」
 「はい、必ず。母君――ヘーラー様」
 女神は、小屋の中の章一にも目を向けた。
 「私の侍女であった者よ、この者を守りなさい。いずれ、そなた達が結ばれることを許される、その日まで」
 女神の姿が光と共に消える。枝実子の魂も身体の中へ戻っていった。
 ギギッ、と戸が開いていく。
 章一と景虎は、咄嗟に駆けだしていた。
 浅い滝壺の中から、枝実子を抱き上げる。
 「エミリーッ!!」


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from: エリスさん

2012年06月01日 12時17分25秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・54」
 如月は、枝実子の部屋の箪笥の一番下から、白陽を取り出して、眺めていた。
 体内に融合した月影の力で、多少なりと反発するかと思えば、全くの無反応である。
 『そう言えば、エミリーにとっても全くのナマクラだったな』
 本来、白陽と月影は対を成しているはずである。それなのに、片桐家の歴史を振り返ってみると、何故か白陽の方が扱いにくいことが分かっている。
 月影は言わば邪剣。手にしたものを取り込み、闇へ引きずり込む可能性がある。だから、鏡姫は封印をしようと決意したのだ。
 だが白陽の方は、例え霊力が強くても、本当の力は発揮しない。歴代斎姫の中でも白陽を本当に扱えたのは僅か五人。その中でも霊よせの鈴を融合させていたのは二人だけである。また、斎姫どころか、分家の男児で扱えた者もいたらしい。
 月影よりも、白陽に選ばれる方が難しいのである。
 『霊力を鍛えても使えないのではな。……それでは、景虎は何故この刀を守っていたのだ? 私の魔力で穢れることを恐れたか……もしくは壊されては困るとでも思ったか』
 実際、如月はこの刀を目障りに思って、打ち砕いてしまおうとしたのだが、その途端に反発して発光し、却って自分が火傷を負いかねなかったこともあった。
 その時の発光からしても、この刀が相当な霊力を秘めていることは分かる。
 『どちらにしろ、近いうちにこの白陽が扱える人間が出て来るのかもしれぬ』
 如月は、白陽を元通りに仕舞って、考えた。
 『まあ、よかろう。エミリーにはもう、切り札はないのだから。……今頃、あの男が向かっているであろうな』


 その男は、夜の山道を歩いていた。
 東京からここまで、ただ歩いて来られるはずもないが、彼は「このまま行ってはいけない」という心の声に従って、電車を降りてしまった。
 それなのに、別の声が彼を尚も歩かせるのだ。
 「エミリーを……片桐枝実子を殺しなさい」
 そんなこと……と思うのに、声に逆らい切れない。
 「片桐枝実子を殺すのです、御身の手で。あやつは、このままでは諸悪にまみれて汚されていくであろう。そうなる前に……」
 『そんなこと……そんなこと出来ない!』
 初めて彼女と言葉を交わした時のことを覚えている。
 正直、嬉しくて上気していのは自分の方だったかもしれない。
 「みんなにエミリーって呼ばれてるんだね。俺もそう呼ぼうかな。それとも、枝実子って呼んでいい?」
 その男――真田の言葉に、どうぞお好きなように、と彼女は殊更(ことさら)丁寧に、それでも笑顔で答えてくれた。
 「そうかァ。嵐賀エミリーって君のことだったのか。良くゼミナールで読まれてるよね。凄くいいよ、君の作品。あ、俺の小説も聞いたことある? 俺さァ、オカルト物とか好きなんだよ。君は歴史とか神話とかが好きなんだね」
 夢中になってしゃべっている自分を、彼女はずっと見つめながら微笑んでいる。
 決して美人ではないのに、安心させてくれる笑顔。――真田はこれを求めていたのだ。
 なのに、彼女は言ってはならない一言を言った。
 「真田さん見てると、うちのお兄ちゃんを思い出すわ」
 だからこそ、あの日、父・誠司に告げられたことを、衝撃に押しつぶされながらも、受け止められたのかもしれない。
 「なんでだよ! なんで、彼女と付き合っちゃいけないのさ、父さん!」
 誠司は、一枚の写真を息子に差し出した。
 その写真に写っていたもの。それは……。
 「だからこそ、片桐枝実子を殺すのです」
 ――誰かが尚も追い打ちをかけるように、彼に囁く。
 「あやつが大罪を犯し、己の宿業に苛(さいな)まれる前に、あなたが楽にしてあげなければ……」
 そう……その方がいいのかもしれない。
 報われない想いに窒息しそうになりながら悶えているよりは、いっそのこと――それが彼女のためにもなるのなら……。
 『駄目だ! 絶対にそんなの!』
 足がよろけて、咄嗟に木に身を委ねる。
 だんだんと自分の意識が薄らいでいく。そして完全に失った時、この声に征服されてしまうだろうことを、真田こうしこは気付いていた。
 なんとしても、意識を失ってはいけない。
 殺してはならない、彼女を。何故なら……。
 「……枝実子……どうして、俺たち……」
 真田の意識は、そこで力尽きてしまった。


 ゴールデンウィークも中間に差し掛かり、明日からは三連休という、普通のとだったら楽しみで仕方ないその日も、枝実子は滝に打たれていた。
 こうして荒行を続けて行くうちに、心は洗われ、今まで見えなかったものが見えるようになってきた。
 片桐家宝刀の謎――如月も気にしていたそれを、枝実子も分かりかけてきた。
 「ニャーオ! ニャーオ!」
 岸辺で景虎が鳴いている。
お昼にしようよ、と言っているのだ。この頃、章一も自身の修行に明け暮れているため、時を告げるのは景虎の役目になっていた。
 景虎の声で山から下りてきた章一が食事の支度をしている間、枝実子は薪に火をつけていた(ちなみに野外で食事をするつもりだった)。
 二人で互いの仕事をしている間、枝実子は荒行の間に得た答えを章一に話した。
 「それじゃ、白陽は使い物にならないじゃないか」
 章一は包丁を持ったまま言った。
 「そういうことになるな」
 「それじゃ、なんで如月から守っていたんだ、景虎」
 いきなり包丁を向けられて、景虎はピュッと枝実子の後ろに逃げ込んだ。
 「ニャ〜ン」
 「あ、ごめんごめん」
 それを見て、枝実子はクスクスっ笑ってから、代わりに答えた。
 「恐らく、如月の魔力で白陽が穢れてしまうか、壊されることを恐れてたんじゃないかな、今思うと。さもなければ、いずれ現れる白陽の継承者のために守っていたか」
 「白陽の継承者?」
 「ああ……片桐の血筋なら、分家の人間でも構わないんだ。そもそも俺だって本家の人間とも言えない。親父は跡を継がなかったんだから」
 「それじゃ何かい? エミリーの飼い猫でありながら、他人のために働いてたのか、景虎は」
 「その言い方には語弊があるな。恐らく、白陽の継承者は俺と関係する人間なんだよ。だから、白陽の継承者のために働くってことは、私のためにもなるんだ」
 「ふうん」と言ってから、あれ? と章一は思った。
 「私には分かる……その人とは近いうちに会える。だんだん、その人の霊気がこっちに近づいてきていることが分かるのよ……どうかしたのか? ショウ」
 章一はやや目を点にしていた。
 「今さ……自分のこと“私”って言ったよね?」
 「え?」
 言われて見ると、声はそのままだが、言葉遣いが大分女らしくなってきた。以前は意識して使おうとしても、どうしても男言葉になっていたのに。
 如月の魔術が解け始めている。
 「もう少しだな……気合い入れないと」
 しかし、枝実子はまだ少しだけ不安だった。
 如月の魔術に打ち勝てたからといって、結局白陽は使えないし、月影が手に入るとは限らない(まだ二人は月影が如月の体内にあることを知らない)。
 しかし、正念場の時は近づきつつあった。

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from: エリスさん

2012年05月24日 17時10分06秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・53」
 章一が小屋へ戻った時、あたりはすでに真っ暗になっていた。
 滝の下に、枝実子はいない。
 枝実子は小屋の中で食事の支度をしていた。
 「お帰り。遅かったな」
 「……ああ、ちょっとな……」
 「景虎がお腹を空かせてるらしくて、ミーミー鳴いて俺のことを呼ぶからさ、早めに上がって来たんだよ。帰ってすぐで悪いけど、魚を焼いてくれないか。俺は潔斎中だから殺生はできないし」
 「ああ、うん。いいよ、後は俺がやるよ」
 野菜を選り分けていた彼女の傍へ行き、章一は彼女の作業を止めさせた。
 「その前に、囲炉裏に火を点けなきゃ」
 章一がそう言って、ライターと新聞紙を取りに行こうとすると、
 「待ってくれ」
 と、枝実子が制した。「見せたいものがあるんだ」
 枝実子は囲炉裏の前に座ると、左手だけを翳し、目を閉じた。
 「大気よ、光よ、我が手に集え……」
 枝実子の呼吸がゆったりと、か細くなっていく。
 そして、
 「いにしえ、神だけが使うことを許された力よ、今ここに我が問いかけに応え、汝の力を指し示せ!」
 “ボッ”と音を立てて、薪に火がついて、燃え上がった。
 章一は素直に感心した。
 「出来るようになったんだ」
 「少しずつだけど、前世らしきころの記憶が見え始めてるんだ。そこでは、俺は言霊(ことだま)を利用していろんなことをしていてさ。今のもその一つなんだ」
 「凄いなァ。俺なんか……」
 章一は左手を握って人差し指だけ立てて、それを額に近づけてから、傍にあったニンジンに振り下ろした。
 中央から真っ二つに裂ける。
 「これが精一杯なのに」
 二人でしばらく笑い合い、枝実子は食事の支度を章一に任せて、自分は舞台に使う衣装を縫うことにした。
 しばらく沈黙が続く。
 「……ねえ……」
 と、章一が口を開いた。
 「ん?」
 枝実子は手許から目を離すことなく答えた。
 「エミリーって、お母さんに似ているんだよね」
 枝実子は途端に嫌そうな顔をした。
 「思い出したくもないことを聞くなよ」
 「ごめん……ふと、そんなことを思ったからさ」
 「どうして?」
 「どうしてって……料理とか裁縫とか、上手だし」
 と、章一はごまかす。
 「ああ、これな。確かに仕込まれたんだけど……うちの母親、厳しいの通り越してるからさ、自分のためになるんだって分かってても、こういうの覚えさせられるの、嫌だったな」
 「でも、教えてくれてたんだ」
 「ああ。どうしてかな」
 「それは……やっぱり、君のことが可愛いからじゃないの?」
 すると、枝実子はおかしそうに――いや、不機嫌になるのをごまかすように大声で笑い出した。
 「俺のことが可愛いだって? そんなことあるもんか! 可愛いのなら、どうして俺に出生の経緯を教えたりなんかするのさ。普通なら教えないもんだね、せめて大人になるまで。しかも、俺のこと、もう処女なんかじゃないって言いやがるんだ。夜中に親父か、田舎へ行けば叔父たちが、おまえが眠ってる間に犯してるんだなんて、そんな出鱈目(でたらめ)な妄想で、俺を侮辱するんだぜッ。そんなありえないこと! いくら眠ってたって、何かされてれば俺自身が気付くはずだろ。第一、俺は処女でなければ継承されない霊(たま)よせの鈴と融合できたじゃないか!」
 「当たり前だ! 君は穢れてなんかいない。それは俺が一番良くわかってるし、きっとお母さんも分かってて言ってるんだよ」
 「分かってて言ってるゥ? ハンッ、だったらやっぱり、俺を嫌ってるんだよ。そうやって俺を言葉で傷物にしたいんだから」
 「違う! そうじゃない!! 君はお母さんの気持ちを考えようとしていない。いいかい? 君のお母さんは、女として受けてはならない屈辱を受けてしまった人なんだよ。もし、それが君だったらどうする? 君が母親になって、娘が生まれたら……」
 「そりゃあ、娘にはそんな目に会ってもらいたくないね。体中に貞操帯を付けてでも、操(みさお)を守ってほしいよ」
 「そうだろ? 君のお母さんだって同じだよ。君にそんな目に会ってもらいたくないから、必要以上に男に警戒心を持つような性格に育つように、あえて君が嫌悪することを言うんだよ」
 しばらくの沈黙があたりを包む。
 枝実子は……小さく苦笑いをした。
 「いったいどうしたのさ、ショウ。いきなりそんなこと言い出して」
 「いや……そうなんじゃないかと思っただけなんだけど……」
 「でも、まあ……」
 枝実子は針を針山に刺してから、言った。「そうだったら、嬉しいのに」
 誰だって、実の親から蔑まれ、嫌われて生きるのは悲しい……。
 ――夕食を終えて。
 電気などないから、暗くなったら眠る、という生活になったものの、枝実子は時折、ロウソクの火だけで原稿を書くことがあった。
 いつもならちゃんと眠れる章一だが、今夜ばかりは目が冴えてしまう。――章一はゆっくりと起きだして、枝実子の方へ行った。
 「進んでる?」
 「ショウ……悪い、起こしちゃったか?」
 「いや、目が冴えてて眠れないだけだ。……何か悩んでるみたいだけど」
 「うん……」
 以前から何度も述べているが、枝実子は卒業制作で近江大津朝(おうみおおつちょう)時代の物語を書いている。その中で、どうしても分からないキャラクターがあった。
 天智天皇の皇后・倭姫王(やまとひめのおうきみ)の心理――。
 「倭姫王って、確か生まれ年も死んだ年も分からない、謎の人物だよね」
 「うん。だけど、万葉集だけが、彼女が確かに存在したことを語っているんだ」
 「知ってる。天智天皇崩御(ほうぎょ)の折に詠んだ和歌だよな」
 倭姫王は万葉集の中で天智天皇を悼む和歌ばかり詠んでいる。それも、自分がどんなに夫を愛していたか、失って悲しいかを切実に訴えていた。
 「信じられないよな。父親も母親も、おそらく兄弟たちも、一族をことごとく天智に滅ぼされたっていうのに。絶対に憎んでも余りある相手を、あんなに切実に愛していたなんてさ」
 章一は枝実子の話を聞いて、しばらく考え込んだ。
 「倭姫の父親の古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)って、天智天皇の兄弟だよね」
 「そうだよ」
 「お兄さんだよね、当然」
 「ああ。異母兄弟だ。大兄って称号からも分かるだろうけど、天智天皇――葛城御子(かつらぎのみこ)よりも先に皇太子になっていたらしい。大兄というのは、その当時の皇族を代表する皇子を意味するんだ」
 「一番上のお兄さんって意味じゃないの?」
 「知らない人間はそう解釈する」
 「へぇ……そのお兄さんは、葛城皇子のお母さんが天皇だった時に皇太子になってたんだろ? それって、葛城がまだ幼かったから?」
 「いや。それほどでもなかったはずだ。恐らく古人が皇太子になれたのは蘇我氏の母親を持っていたおかげじゃないかって言われてるけど」
 「ああ、そうか。その頃は蘇我氏が天皇家よりも力を持ってたんだっけ……でも、最終的な決定権は天皇が持ってるんだよね」
 「?? 何が言いたいんだ? まさか、古人が皇太子になれたのは、葛城皇子の母親である皇極天皇(こうぎょくてんのう)の意志だとでも?」
 「ありえないかい? 天皇は国のために考えなきゃいけないんだよ。いくら蘇我氏が横槍を入れてくるからって、天皇に相応しくない人間を立太子(りったいし)させるわけがないじゃないか。古人皇子にその器があったから、跡継ぎにしたんじゃないの? そして、そんな立派な義理の息子を見ていれば、当然思うことがある」
 「実の息子――葛城に見習わせたい。……そうか、異母兄弟だから敵対していたんじゃないかって朧気に思ってたけど、もし二人が皇極天皇の橋渡しで昵懇(じっこん)にしていたんなら……」
 「古人の娘・倭姫とも顔見知りである可能性は高い。むしろ、古人の方が立派に成長した葛城に、娘を嫁がせたいと嘱望したんじゃないかな」
 そうなると、倭姫は葛城の許嫁(いいなずけ)として育てられた可能性がある。幼いころから将来の夫となる人に憧れを抱き、尊敬しながら育ったなら、当然大人になればその思いが恋に変わる。
 「そうか、先に愛情があったのか。その後で憎しみが訪れても……憎むに憎み切れない」
 「そういうこと。ちなみにね、俺が読んだ書物の中に、中大兄――葛城のことだけど、彼は軽王(かるおう)ってて人に操られていたんじゃないかって書かれてあったよ」
 「軽王って言えば……」
 皇極天皇の弟であり、彼女の後に天皇となった孝徳天皇(こうとくてんのう)のことである。確かに、日本書紀以外の書物では、聖徳太子の一族を殲滅させたのも、その他もろもろの政略は彼がやったことだと記録されている。
 日本書紀は勝者の歴史と言われるように、後に孝徳と敵対し勝利する葛城の都合のいいように書き直されているらしい。
 もし、他の書物に書き残されている通りだとすると、総ての黒幕は孝徳天皇……。(もちろん、証拠はないが)
 「ありがとう。流石はショウだ……」
 枝実子が小説を書く上で、いろいろな人にアドバイスはもらうものの、章一ほど的を得たアドバイスはそうそうない。
 『やっぱり、俺にはショウが必要なんだなァ』
 と、枝実子はつくづくそう思う。今だけでなく、如月に関する一切のことについても。
 「ショウ……さっきの話だけど」
 枝実子は傍に座っている章一にしなだれ掛けながら、話し出した。
 章一も枝実子の肩を支えてやる。
 「お母さんのこと?」
 「うん……正直に言うと、俺は母さんが嫌いじゃない。むしろ……昔は、いい女だったんじゃないかって思う。建(たける)兄ちゃんを見ていれば分かる。母さんが俺に意地悪している所を見ると、“枝実子に何するの、枝実子に謝ってて”って素直に怒ってみせる。母さん、いつもそんなお兄ちゃんを見て、複雑な表情をしてたよ。普通、意地悪な母親に育てられれば子供も意地悪になるものだろう? それなのに、お兄ちゃんは真っ直ぐな性格に育った。愛されて育ったんだ。あの母親に、愛されて育てられれば、お兄ちゃんみたいになれたんだ」
 「お兄さんのこと、羨ましいの?」
 「そうだな……でも、妬ましくはないな」
 家族で唯一、自分を庇ってくれる人である。恨んだりしたら罰が当たる。
 「それに、俺は母親似じゃないかって言ってただろ? それも当たってるな。顔なんか若いか老けてるかの違いだけだし……。母さんが俺について、ありもしないことでっち上げる、あの妄想癖も、精神状態がマトモだったら想像力につながっていただろうな。俺の文才は、母さんのそこから受け継いだんじゃないかな。まあ、片桐家はそもそもが芸術家の家系ではあるけど。……なにもかも、親父が悪いんだ。親父が母さんを手込めになんかするから、おかしくなっちまったんだ」
 「……そうかもしれないね。そりゃあ、お父さんにはお父さんの理屈があるだろうけど、犯罪は犯罪だもの。でも、わかってあげなくてはいけないよ。みんな、辛いんだよ。君の家族は、みんな傷ついてる。だから、誰かがその傷を癒してあげなくちゃいけない」
 「俺にはできない……塩を塗り込むようなものさ」
 「エミリー……」
 「だって、そうだろう? 俺はその傷の終結体だもの」
 「だったら……」
 章一は枝実子のことを抱きしめた。「あの家、出ちゃいなよ」
 意外な言葉に、声が出ない。
 「辛いだけだろう? 出ちゃいなよ、あんな家。それで俺のとこ来いよ。俺の家族なら、君を温かく迎えてくれるさ」
 枝実子はしばらく考えた後、首を横に振った。
 「おまえに迷惑はかけられない」
 「迷惑なんて!?」
 「掛けるよ、必ず。俺が家を出てお前の所に転がり込んだら、絶対にうちの母親が黙っちゃいない。どんなことされるか……」
 「そんなことッ」
 「気持ちは嬉しいよ、ありがとう」
 枝実子は章一の方へ向き直して、両腕を彼の首筋に絡めた。
 「だから……もう少し、頑張ってみる」
 「……そうか……」
 章一は、頑張る、と言いながら諦めきった目をする枝実子が、無性に悲しくて……愛しく……。



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from: エリスさん

2012年05月18日 09時51分18秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・52」
 連絡は一日に二度――午前10時と午後4時半(授業に差し障りのない時間)にすることになっていた。
 章一が寺で待たせてもらっていると、時間通りに瑞樹から電話が入った。
 「こっちは変わった様子はないわよ。エミリーは何してる? 相変わらず荒行?」
 瑞樹に言われて、
 「うん……今も滝に打たれてる」
 「いくら春でも、まだそっちは寒いのにねェ……根性あるわ」
 そうなのだ。いくら五月の初めとは言っても、こっちではまだ山の上に雪が残っている。先日も景虎と山菜を採りに行った時に気付いたのだが、枝実子が打たれている滝の上には大きな雪の岩石ともいうべきものがどっしりとあって、その雪解け水で出来た川が落ちていたのだ。
 あれではいつか枝実子の体が参ってしまう。
 それは彼女自身も分かっているだろう。だが、如月の魔術から解放される為には、敢えて我が身を痛めつけて、霊力を高めるしかない。
 「せめて体力つくようなもの食べさせてあげてね。それじゃ、また夕方ね」
 「あ!? ちょっと待って」
 「ん? なァに?」
 「あ……あのさ」
 ずっと気に掛かっていたことがあった――枝実子と真田のこと。
 きっといつか、枝実子自身が話してくれるものと思っていた。なのに、先日の告白の時も、眞紀子との不実のことは話したが、真田のことは一言も出て来なかった(と言うより、自分が振り切って小屋を出てしまったから、話が中断してしまったのだが)。その後も枝実子は荒行に真剣になっているせいか、全く話し出す気配はない。
 もしかしたら、彼女はすべて話した気でいるのかもしれない。真田のことについてはもう思い当たる節がないのだろう。
 しかし、それでは如月が言っていたことはどうなのだろうか。
 本人は気付いていなくても、他人の目――それも親友の瑞樹の目からなら、何か分かるかもしれない。
 章一は思い切って聞いてみることにした。
 「エミリーが真田さんにラブレター渡した時? そうだよ、人づてだった」
 「それって、眞紀子さん?」
 「ううん、麗子さん」
 「……へ!?」
 思っても見ない人物に、驚く。
 「麗子さんって、あの和服とか、自分で縫って服で登校してる人?」
 「そう。彼女がね、渡しづらいなら私が持って行ってあげるわ、って快く引き受けてあげたのよ」
 大分如月が言っていた事と違う。やっぱり章一は彼にからかわれたのだ。
 「それが切っ掛けでねェ、麗子さんが真田さんに気に入られちゃって。初めの三カ月ぐらいかな、真田さんったら全然、手紙をくれた主が誰なのか追及もしないで、麗子さんと付き合い始めちゃったのよ。麗子さん辛かったと思うよ、きっと。エミリーには打ち明けづらいし、でも自分も真田さんに引かれちゃったしね」
 「でも、麗子さんって確か、真田に振られてなかったっけ?」
 「そう。その振られた時の経緯もまた凄いのよ。麗子さんね、とうとう居たたまれなくなったらしくて、私たちの演劇サークルの夏季公演に真田さんを連れてきたのね。当然、パンフレット見るよね。そこで、エミリーの名前を見つけて、ちょっと興味を引いて見ていたらしいのね。……あの二人が別れたのって、それから三日と経ってないのよ」
 「え!? それってつまり……」
 真田が枝実子を気に入った?
 これまた随分と意外な展開である。真田は面食いかと思っていたのだが……。
 「そうなのよ。エミリーに声をかけて来たのって、真田さんの方なの。周りの人間で驚かなかった人はいなかったのよ。これはエミリーと麗子さんとの友情に亀裂が入るかなァって、皆で心配してたんだけどね、神様っているものねェ、羽柴さんっていう素敵な人が麗子さんを支えてくれて」
 「ああ、今付き合っている人?」
 「そうそう。それで一件落着になったのよ」
 「そうだったんだ」
 「でもね。だからってエミリーと真田さんが恋人になったかって言うと、そうじゃなかったのよ。まあ、仲は良かったけどね、確実に。あの頃、真田さんが私に言ったことがあったのよ。“彼女の輝きに魅了された”って。キザでしょう? 文学やってる人は」
 「へえ、そうなの……」
 章一はだんだん不機嫌になっていく自分に気付けなかった。
 「なのに、恋人にはならなかったの? あの人、やっぱりエミリーのこと、それほど気に入ってはいなかったんじゃないの?」
 「そんなことないって。ただ、ホラ、エミリーって貞操観念が固いじゃない。もうコッチコッチに。真田さんはその逆なのよ。来る者拒まず、目を付けたものは強引に……麗子さんもそれであの人から逃げられなくなった、って後になって言ってるしね。あの人の女好きは病的なものがあるのよね。なんか過去にあったんじゃないかとまで言われてるのよ」
 「なるほどねェ」
 そりゃエミリーとは合わないや、と章一はようやくホッとする。
 「だからあの二人の付き合いは、兄妹みたいな感じだったと思うな。まあ、エミリーはちょっと無理してでも彼女に昇格しようとしてたけど……原因は、言わなくとも分かってるよね、乃木君」
 「ああ、うん」
 それは痛いほど分かっている。
 「それじゃ、エミリーが真田に振られた理由は、やっぱり俺のことが原因なんだ」
 「ああ、それは違うと思う。あの人だって大人だよ。人間生きてれば、恋愛沙汰の一つや二つ、あって当たり前だって分かってる。乃木君のことは単なる口実だよ、きっと」
 「ええ!? じゃあどうして?」
 「……お父さんが原因じゃないかな、真田さんの」
 「へ!?」
 いきなり話が突拍子もない方向へ行ってしまった。
 「エミリー自身は恐らくそのことに気付いてないよ。振られたってことで気が動転してたと思うし、理由に乃木君のこと出されちゃったからね。でも、多分そうだよ。真田さんのお父さんが二人の仲にチャチャ入れたと思う。
 私たちが二年生の時の学院祭、乃木君も見に来てたよね。あの時、真田さんのお父さんも来てたの。エミリーに会わせようとして連れてきたらしいのね。それで、真田さんがエミリーを紹介した時、お父さんこう言ったのよ。“私は容姿はともかく、貞節でしっかり者の、なにより遣り繰りの上手い女性が好みで。これの母親もそんな女でした”って」
 「それって、エミリーそのまんまじゃない。だったら逆に気に入られたんじゃないの?」
 「問題はそこじゃないの。“これの母親もそんな女でした”ってところ。エミリーは真田さんのお母さんにそっくりすぎたんだよ」
 「ちょっと待った。真田さんの母親って……」
 「離婚してるの。真田さんが赤ん坊ぐらいの時に」
 「離婚!?」
 章一は今までの話と、枝実子から聞いたことを絡ませながら、まさか、という気持ちに襲われていた。
 そんな偶然があっていいのだろうか?
 章一は恐る恐る聞いてみた。
 「エミリーと真田って、いくつ違うの?」
 「歳? 二歳よ。真田さん、小さいときに大病に罹って、小学校に上がるの遅れたんですって」
 「二歳違い……」
 『まさか……そんなことがあっていいのか?』
 章一は、受話器を握る手が震えるのをどうすることもできなかった。


 体内に融合させているものが、負の力しか集めないということもあって、如月はバランスを整える意味もこめて、屋外の緑から霊気を分けてもらうために窓辺に座っていることがあった。
 しかし、都内では緑が少なすぎる。
 『やはり、あの公園へ行かないと駄目か』
 如月は今、都内の某所、しかもホテルの一室にいた。
 ベッドには、バスローブのままの真田が横たわって、眠っている。
 まだ夕暮れ時からホテルに誘うこの男の神経には呆れるものの、洗脳をするには打ってつけの場所でもあったので、如月は素直に付いてきたのである。
 今、彼は如月を抱く夢を見させられている(まさか本当に関係を持つわけにはいかないし)。
 『目が覚めるまで、まだもうしばらく掛かるだろうし、少し外を歩いて来ようか』
 そう思った時だった。
 真田が苦しそうに呻いた。
 そんなはずはない、と如月が立ち上がったまま様子を窺っていると、真田は「わァっ!」と悲鳴にも近い声を上げて起き上がった。
 本当に苦しいらしく、荒い息遣いをしている。――如月には気付いていないようだ。
 『夢の中で、わたしを――いや、“片桐枝実子”を拒絶した?』
 どういうことなのか分からず、立ち竦んでいると、真田はうめきとも呟きともとれる声で言った。
 「……枝実子……」
 『……まさか……』
 如月はスッと近付いて、真田の額に左手で触れた。
 途端、真田がまた意識を失って倒れる。
 如月は、驚愕していた。
 ほんのちょっと触れただけなのに、相手の気持ちが流れこんできた――記憶と一緒に。
 如月はよろめきながら後ずさり、ソファーにつまずいて、そのまま腰掛けた。
 涙がほとばしり出る。
 同情と怒りが交差しながら、如月の胸を掻(か)き毟(むし)っていく。
 「……エミリー……、おまえは……」
 肘掛けにもたれ、両手を握り合わせながら、震える。
 そして、純粋に枝実子への怒りだけが彼を叫ばせた。
 「おまえはまだ、本当の修羅を知らない!!」



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from: エリスさん

2012年05月10日 19時09分22秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・51」

 「正気で言っておられるのか、日霊女(ひるめ)!」
 ヘーラーはつい大声を出してしまった。
 「片桐家の血筋のために並みの人間以上に霊媒体質になっているあの子が、ディスコルディアを手にしてしまったら、あの子は前世に匹敵するほどの力を手に入れることになるのですよ」
 「しかし、ディスコルディアの魂は、別の人間の体内に封印してあると聞いております」
 と、日霊女は言う。「ならば、完全には復活できないはず」
 「確かにそうです。ですが、あの子はディスコルディアの魂を呼び寄せることができる。もし、万が一、偶然にもあの子の手にディスコルディアの魂が渡ってしまったら!」
 「不和のオーラが日本を呑み込むやもしれぬと?」
 二人の女神はしばらく黙ったまま、お互いを見つめていた。
 「覚悟の上、なのですね。日霊女」
 と、ヘーラーが言うと、
 「今は、片桐枝実子が生き残ることこそが先決。結果的にそれが、日本に災いを呼ぶことになろうとも、世紀末――世界の破滅だけは避けねばなりません」
 そして、鏡姫もヘーラーに頭を下げた。
 「我が一族の不始末ではありますが、なにとぞお願い申し上げます。枝実子が如月の呪縛に打ち勝てました暁には、どうぞその剣をお遣わしくださいますよう」
 ヘーラーは深いため息をついて……。
 「……わかりました」と答え、そして、苦笑いとも微笑みともつかない笑顔になった。
 「なにか?」と、日霊女が聞くと、
 「いえ、あの子はどこまで大きくなっていくのかと思って。前世、オリュンポスで生きていたせいか、ギリシアの神話には興味を引くようですし、生まれ変わった家が家だけに、神道系も仏教も知識の内にある。そして、そこから世界中の宗教に興味を持ち……あの子が今使っているタロットカードは、ギリシアとエジプトの2種類あるのですよ。そうやって、あの子の宗教観、哲学はどんどん膨らんでいく。あの子は、きっとこれからも大きくなっていくのでしょうね」
 「ええ、そうして、御身のもとへ戻るころには、宿命を果たすに相応しい者として成長していましょう」
 日霊女の言葉に、ヘーラーは素直にうなずいた。
 「ヘーラー殿。今後、日本国がどのような過酷な運命を負いましょうとも、ご懸念無く。我々が必ずやこの国を守ってご覧にいれます」
 そうして、ヘーラーはオリュンポスに帰って、枝実子が前世使っていた剣を手に入れるために画策することになったのである。
 それがどんな罪になるか、分かっていても。



      5


 お嬢様育ちに似合わず、眞紀子はよく徹夜をすることがある。
 何かに打ち込んでいないと、憤りが止まらない――彼女は時折、そう如月にこぼす。
 眞紀子の母親は事故死した父の正妻ということになっているが、実は父がどこかの水商売の女性に産ませた子供である。実の母親は子供を父親に押し付けて、姿をくらましてしまった――と、眞紀子は聞いていた。そして父親の方は放任主義を決め込んで、家には寄り付かず、眞紀子のことを見ようともしない。
 『辛いだろうな。エミリーも似たようなものだから、感覚はわかる』
 如月は眞紀子の寝顔を覗き込みながら思った。
 今、如月膝を枕にまどろむ眞紀子の顔は、とても穏やかである。
 『あやつが過ちを犯したのも、こんな気持ちでいた時だったのだろうな』
 枝実子に対して、してやりたくもない“同情”という思いが浮かんでくる。
 彼が声をかけてきたのは、そんな時だった。
 「絵になるな」
 見ると、ドアの所で真田が立っていた。
 「そろそろ時間なんだけど、無理そう?」
 如月は素早く気持ちを切り替えて、妖艶に微笑んだ。
 「まあ、私があなたとの約束を反故にするとでもおっしゃりたいの?」
 眞紀子は二人の会話で目を覚ました。
 「あっ……もう、そんな時間なの?? き……エミリーさん」
 「ええ、三時になりました。でも、まだ起き上がらないで」
 眞紀子の頬に如月の衣服の跡がついているのに気付いた彼は、自分の体で真田から見えないように保護した。そして、
 「外で待っていらして。女性が目を覚まされる場に立ち会うなど、失礼ではありませんか」
 と、真田に背を向けたまま言った。
 「それじゃ、アーチの下で待ってるよ」
 真田が立ち去り、遠ざかるのを待ってから、眞紀子はゆっくりと起き上がって、如月の首に両腕を絡ませるように縋り付いた。
 「あの人を利用するの?」
 と、眞紀子が聞くと、
 「使える者はなんでも使いますよ」
 と、如月は答えた。
 「そのために、あの人と……」
 「わたしが純潔を捨てる時があるとすれば、その相手はあなただ。第一、あの男は衆道(しゅどう)の気はないでしょう?」
 すると、眞紀子はくすくすっと笑いだした。
 「あなたが男だってこと、本当に誰も気付いていないのね。おもしろい」
 眞紀子は如月の頬に軽く口づけた。
 「安心して。キスマークは付いていないわ。ちょっとしたおまじない。……行ってらっしゃい」
 「はい。それでは今宵また」
 如月が行ってしまうまで、眞紀子はずっと彼のことを見つめていた。
 「如月さん……私のために生まれた、もう一人の……」



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from: エリスさん

2012年04月27日 10時42分54秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・51」
 そのころ天上では、誰もが考え付かないような二人が接見を行っていた。
 「ようこそ、オリュンポスの王后・ヘーラー殿」
 白の単衣の着物の上に、朱色の背子(せこ。今でいうベスト)、緋色の裳(巻きスカートのようなもの)を着て、両腕に白の領巾(ひれ。薄手の長いショールのようなもの)を絡めた、飛鳥時代の壁画に見られる古代の女性の格好をした姫神は、異国から来た鮮明な紫のキトン姿の女神――ヘーラー王后を部屋の中へ招き入れた。
 部屋もまた、古代の王族の私室――ちょっと中国っぽい面影を見せる作りになっている。
 「久しぶりですね、高天原(たかまがはら)の大御神(おおみかみ)・天照(あまてらす)殿」
 天照と呼ばれた姫神は、クスッと微笑むと、一人の侍女だけを残して、他の者たちを下がらせた。
 「私に急用とは? 天照殿」
 と、ヘーラーが言うと、
 「もう侍女たちはいませんから、日霊女(ひるめ)で結構です」
 と、天照――本名・天照るや日霊女の神(あまて るや ひるめ の かみ)は言った。
 「しかし、一人残っているようだが」
 「彼女はいいのです。私の一番の側近で、事情も分かっていますから」
 「ほう。では尋ねても宜しいか?……許婚(いいなずけ)殿はお元気か?」
 「兄上様ですか? 今ごろ魔界で若い者を育てていましょう」
 日霊女の許婚者・日霊児(ひるこ)の神(「古事記」では水蛭子(ひるこ)として登場する)は、世界創世の折、伊邪那岐(いざなぎ)の神の長男でありながら極端に体の弱い子として生まれたため、魔界に預けられていた。そしていつか丈夫な体になって戻って来るまで、妹であり許嫁となるために生まれてきた日霊女が、この高天原――日本神界を統治しているのである。
 「いつ戻ってきても良い体になったというのに、いつまで御身を待たせておく御つもりか」
 「兄上様は義理堅い御方。今までお世話になった魔界の皆様に、御恩も返さずに戻って来ることはありませぬ。……まあ、気長に待ちましょう」
 「健気ですね、御身は。我が夫に見習わせたい」
 日霊女はその言葉に、ホホホッと笑ってから、ヘーラーに杯を手渡した。
 「先ずは一献(いっこん)。……実は、用があるのは私ではなく、この者の方なのです」
 日霊女に言われて、侍女は前に進み出て、ヘーラーにお辞儀をした。
 「御前に出るのは初めてかと存じます。私は片桐鏡子と申します」
 「片桐? では、そなたが」
 枝実子の先祖にして、最後の斎姫・鏡姫は、昇天して天照大御神こと日霊女の侍女となっていたのである。
 「あの日高佳奈子と申される女性に、私の言葉が通じて良うございました。このようにヘーラー王后様に足を運んで頂けるとは」
 「話を聞いて驚きました。あの子に御身が言ったことは、真実なのですか?」
 「真実です」と、キッパリと鏡姫は言った。「月影は、私の墓の中にはありません」
 とりあえず、鏡姫も日霊女の隣に席をもらい、話を続けた。
 「私の代で斎姫を終えると、一族内で決定した時、私は一つの決意をしたのです。近江の刀匠が打った陰陽(いんよう)の二つの太刀のうち、陰(いん)の太刀――月影だけを我が身を持って封印すると。あれは、邪念を呼び、邪念を力と変える邪剣なのです。あれの力を抑え、操れる者は斎姫として選ばれた者のみ――一族の中でも霊力の高い者だけなのです。私には分かっていました。改宗をし、仏の慈悲を信じるようになった片桐家の者には、もう月影を抑えるだけの修羅を持つ者は生まれぬであろうことは」
 「そのように恐ろしい太刀を、人間ふぜいが打てるとは……。それで、封印のために御身の墓に埋葬されたものが、なぜ今はないのだ?」
 「奪われてしまいました」
 「奪われた? 墓を暴かれたのか?」
 「いいえ――正確に申しますと、継承者が現れたのです」
 「継承者とは?」
 「つまり、世が世であれば、斎姫となるべき者」
 「御身の予想外に、生まれてきてしまったと? いったいそれは?」
 「如月です」
 「なっ!?」
 ヘーラーは言葉を失った。
 あの如月が、片桐家に伝わる宝刀の継承者?
 「本当なら、それは片桐枝実子だったはずです」
 と、日霊女は言った。「もう察しておられましょうが、片桐家の者は霊媒体質なのです。特に選ばれた斎姫は、私が下賜した霊よせの鈴を体内に融合させますので、霊能力も倍増しています」
 すると、鏡姫は自身の胸の前に左手を翳して、何事か唱え始めた。
 次第に胸の奥から光が現れ、輪を描いて形となり、鏡姫が掴んだ時には「霊よせの鈴」に変化していた。
 「これがその鈴です。これを体内に融合できる者は、斎姫の中でも七人だけでした。大御神さまより祖先が賜りました鈴は八つ――枝実子の体内に融合されたのは最後の一つでした」
 「ああ、それで……」
 降霊術をやった後に鈴が消えたのは、枝実子の体の中に融合されてしまったからなのだ。そうなると、今の枝実子は霊力が強くなっているはずである。本人の自覚はともかくとして。
 「鏡より今まで、大層な月日が流れてしまいましたが、まさか最後の継承者があの“宿命の者”であろうとは、誰が予想できたでしょう。――そう、やがて月影も彼女が継承するはずでした。ところが……」
 如月が現れた――。
 如月は霊力を欲し、願ったために、池から這い上がったあの時、新潟行きの切符を手に入れたのである。
 彼は本能で鏡姫の墓を探し当て、月影を呼び寄せて、体内に融合させてしまったのだった。元は枝実子から発生した人間である。そんなことは容易なことだったのだろう。
 「これで、あの子に切り札はなくなってしまったのですね」
 ヘーラーの言葉に、いいえ、と日霊女は言った。
 「私からの急用というのは、そこなのです。御身にお願いがあります。彼女に、彼女が前世で用いていた“あの剣”を渡してやってくれませんか」


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from: エリスさん

2012年04月20日 12時30分27秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・50」
 気を失った枝実子を介抱している間、佳奈子は先程まで章一が舞っていた場所に立っていた。
 太陽の力を体内に吸収し、故郷へ向けて念を飛ばそうと試みる……だが。
 『駄目ね……ただでさえ遠い上に、あれ(水晶球)がないとね』
 一度東京に戻らないと、と思っていると、住職が下駄の音を鳴らしながら歩いてきた。
 「住職様。エミリー……枝実子さんの具合は?」
 「初めて霊よせをなされたのです。しかもお疲れも溜まっていたご様子。もうしばらく休ませてあげた方が宜しかろう」
 「そうですか」
 「……ところで、日高先生とおっしゃいましたな。あなた、鏡姫と最後に何を話された」
 「やはり、お気付きでしたか」
 「アッハッハッ。いや、驚きましたな。まさか……嬢の他にも、異国の方を守護霊にお持ちの御仁がいらっしゃったとは――あなたと、あの若者も」
 人間の気が見えるのだから、守護霊(背後霊)が見えても不思議はない。僧侶の中には放蕩に明け暮れる生臭も多いが、この住職は正に僧侶の鑑である。
 「嬢の守護霊は赤毛の小さな女の子なのですよ。無邪気で可愛らしい灰色の目をしておりましてな」
 「知っています。その子は前世、エミリーの末娘だったのです」
 「やはり前世に縁ある子でしたか。それではあの若者の、髪の毛も瞳も緑色の女性は?」
 「乃木君の前々世の母親です。ずっと月桂樹の精霊をしていたために、髪などが緑色になってしまったのです。……私の守護霊はどんな人ですか?」
 「ああ、ご自分では見えませんか。銀色の髪をした女性ですよ」
 「銀色? ホントに?」
 道理で王后様の社殿に通信を入れても、姿が見えないはずだ……と佳奈子は思った。まさか、自分の大好きな祖母が守護霊をやってくれているとは。
 「驚いたのはそれだけではありませんよ。嬢が連れてきたあの子猫。景虎と呼んでおられたかな。あれも、並の猫ではありませんな」
 「住職様」
 佳奈子は彼の言葉を制するように、言った。「エミリーは、まだ何も知らないのです」
 それを聞いて、住職は頷いた。
 「先程の質問に答えます。鏡姫は、確かに月影は自分と共に墓に入ったとおっしゃっていました」
 「やはり……」
 「実はそのことで、私は東京に戻らなければなりません。向田さんも、長く学校を休ませるわけにはいきませんので、連れて帰ります」
 「承知いたしました。後のことはお任せを」
 「お願い致します」
 一刻も早く知らせなければならない。
 枝実子は、絶対に月影を手にすることは出来ないのだから。


 その小屋のすぐ横には、滝があった。
 川の傍にある小屋――章一にはとても懐かしいものなのだが、枝実子は子供のころから良く来ていた場所だったせいか、あまり感動がないようだった。
 この場所に、昔、神宮があったらしいと言われており、それらしい柱跡なども見つかっている。
 「ここで禊(みそぎ)をし、精進なされるが宜しかろう」
 住職は枝実子に白衣(はくえ)を手渡しながら言った。「わしからのせめてもの心尽くし。着てくだされ、嬢」
 「頂戴いたします、御住職」
 「それから、乃木さんにも」
 住職は章一にも同じものをくれた。
 「俺にも?」
 「日高先生からの伝言です。嬢はもとより、乃木さんにも霊力は備わっているはずだと。この地で鍛錬されるが良い」
 佳奈子女史はその他にも必要になりそうなもの、現金などを置いていってくれた。それから、連絡方法として、一日に二回、瑞樹から光影寺に電話をすることになったことも伝えた。
 枝実子が気を失っていた間に、さまざまなものが用意されていたのである。
 住職が寺に戻ってしまってから、二人は小屋の中に入った。中央に囲炉裏のある山小屋。大分古そうではあるが、しっかりとした作りになっていて安心出来るところは、さすが雪国である。
 「さっそく禊にでも行くか」
 枝実子が着替えようと上着のボタンを外しかけた時だった。
 「待って」
 背後から章一が声を掛けた。――ピクッと指が止まってしまう。
 「あ……ああ、そうだな、おまえがいる前で着替えなんて………」
 「そんなことじゃない。分かってるはずだろう」
 章一は、鏡姫に憑依されたときに枝実子が言った言葉のことを言っているのだ。枝実子もそれは分かっている。
 「己の罪を告白し……」
 今までも、いつか言わなければならない、と思ってきたことだった。できることなら言わずに済ませたかった。
 言いたくない。
 けれど……。
 「言ってくれ、何があった。……眞紀子さんとの間に」
 枝実子はその場にペタンとへたり込むように座った。
 「眞紀子さんに、いけないことをしたんだ」
 紫陽花の花を好む枝実子と、花菖蒲を好む眞紀子にとって、水郷公園は絶好の散歩コースであり、創作意欲を沸かせてくれる泉でもあった。
 その日も、二人でそこへ来ていた。
 一回りして、疲れて、池の前のベンチに座り……。
 「眞紀子さん、良く俺の膝を枕に眠ってしまうことがあるんだ。お嬢様育ちなのに、徹夜なんかするから……でも、安心しきった寝顔を見せられると、ちょっと嬉しかったりしてさ。変な奴だよな、俺も」
 「前置きはいいって、前にも言ったろ」
 「ああ……どうしてあんなことしてしまったんだろうな。彼女の寝顔を見てたら、つい、引き込まれそうになって……それで……」
 唇で、彼女の唇に触れてしまった……。
 物語は《白雪姫》のようにはいかない。目を覚ました眞紀子は、枝実子をなじり、軽蔑し、憤って、彼女から離れていったのだ。
 「何度も謝ろうとしたんだ。でも、彼女はそれを聞いてもくれなくてッ……ただ、一言。全く別のあなたに生まれ変わらない限り、お逢いしません……って」
 「……もう、いいよ」
 章一は顔を背けて、スッと立ち上がった。
 「ちょっと、風にあたってくる」
 「ショウ……」
 小屋を出て行く彼を追おうとした。だがその時、景虎が鳴いて制した。
 じっと、枝実子を見上げている。
 そうしてから、景虎が後を追いかけた。
 小屋の裏にある銀杏の木に、章一は寄り掛かっていた。深く考え込んでいる――いや、嫉妬していたのだ。枝実子に関わってきた総ての女性に。
 『理解しようとはしていた。俺が死んでから、きっと彼女は寂しかったんだ。だから……』
 前世からそうだった。彼女は母親に充分に愛されなかったことから「愛されたがり」で「寂しがり屋」だった。そんな彼女の安らぎになりたい、と思った人達はきっと何人もいたに違いない。
 だから……。
 「だけど、君は――俺たちは、それを罰せられた者じゃないか!」
 前世を悔いて、人生をやり直すために転生を許されたのではなかったか?
 確かに、どんなに邪道な恋と蔑まれようと、恋をしたことに後悔はない。どころか、今も、これからも、この想いが果てることなどありえない。それは彼女も同じのはずなのに、何故。
 伝説を調べ、文献を繙(ひもと)いていくうちに、気付いた。前世の彼女と、同一視されている女性の存在を。
 全く別の人物であることは、社殿に仕えていた前世の章一なら、分からないはずもない。
 『なぜ彼女が、神王(しんおう)の姫御子(ひめみこ)と同一視されているんだ?』
 そして、その姫御子が産んだとされる男児の名と、前世の枝実子の名との恐るべき類似。
 『つまり、彼女は姫御子と、それぐらい深い関係にあった? 敵の娘であるあの方と!?』
 隠された伝説に気付いた時、どんなに章一は悔しかったことか。
 いくらその時、自分は死んでいたとは言っても、その自分を殺した男の娘を愛人にしていようとは。――その悔しさが、しばらく章一が枝実子から遠ざかっていた原因になっていた。
 「どうして……どうして……」
 また、章一の内側から、別の人格が現れた。
 「私以外の女となんか……我が君、エリス様ッ」
 その時、景虎が優しく声を掛けた。
 章一は無理にでも呼吸を整えようと、荒く深呼吸をした。
 「大丈夫……大丈夫だ、景虎」
 ようやく気持ちが落ち着き、景虎に笑顔を返す。
 「おまえ、不思議な猫だな」
 「ニャーオ」
 「へえ、返事してるみたいだ」
 章一は屈みこんで、景虎を抱き上げようとした。
 その時、気付いた。景虎の右耳の後ろに、三日月のような白い模様が入っているのに。
 「おまえ、そうか!!」
 景虎が黙ったまま、優しく見上げている。
 章一は、軽く抱きしめながら言った。
 「おまえも、主人を慕って転生していたんだな。カリステー」
 神獣の姿を捨てて……。
 ――その頃、枝実子は手の甲でクッと涙を拭いてから、すっくと立ち上がった。
 『これでもう、俺にやましさはない』
 服を脱ぎ、素肌の上から白衣(白い着物)を着る。
 『やってやる。分身である如月が、あそこまで霊力を操れるんだ。俺にだって出来るはずだ。あいつを生んだ俺ならッ』
 枝実子は新たな思いを胸に、小屋を出て行った。
 そして、歴代の斎姫がそうしてきたように滝の下に立ち、水流に身を打たせ始めたのである。


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from: エリスさん

2012年04月13日 11時05分41秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・49」


 寺の庭先で、枝実子は木の枝を使って地面に円陣を描いていた。
 「ショウはここに立ってくれ」
 枝実子が言うと、
 「それはいいんだけどさァ」と、自分の姿を見回しながら章一は言った。「なんで、女装しなくちゃならないんだい?」
 章一は住職の奥さんから白い着物を借りて着つけてもらい、長髪の鬘までかぶり、首には数珠をかけていた。
 「本当は女がやるものだからさ」
 「やるって、何を」
 「舞さ」
 「舞?……ここで踊るの?」
 「出来るだろ?」
 「そりゃ、昔取った杵柄だけど、いったい何を舞うのさ。道成寺? 藤娘?」
 「いや、気持ちの赴くままに動いてくれていい。俺の鈴の音に合わせて」
 「まさか!?」と、佳奈子はこの状況に気付いて言った。「ここで降霊術をやるつもりなの!?」
 「御住職が言う通り、俺に片桐家の長女としての霊力――斎姫になるだけの霊力があるのなら、出来るはずです。頼れる物がこの鈴しかない以上、試すしかないんですよ、先生。幸い、材料は揃ってる。霊よせの鈴と、木々に囲まれた平地、そして美しい舞い手。……ショウ、何があっても驚かずに、鈴の音が絶えるまで舞っていてくれ」
 章一が強く頷く。
 枝実子は鈴を奏で始めた。
 単調な鈴の音が、メロディーとなっていく。
 その音に誘われるように、章一も舞い始めた。
 幻想的な舞い……。
 皆、息を呑んでその光景を見つめていた。
 しばらくそうしていると、突然枝実子が上空を見上げた。
 『来た!』
 枝実子は素早く左手に鈴を持ち替えて、真上に放り投げた。
 すると、
 鈴めがけて稲妻が降り、左手をあげたままの枝実子の体へと突き抜けた。
 異変に気付いて、章一が振り向いた。
 「エミリー!」
 「来るな!」と、枝実子は叫んだ。「声を……聞いていてくれッ」
 その時、佳奈子は枝実子の上空に巫女装束を着た一人の女が浮かんでいるのが見えていた。住職にも見えているのだろうが、彼の方はいたって当然といった顔で落ち着いている。
 『もしや、あの人が……』
 片桐鏡子――鏡姫なのでは?
 枝実子が喋りだした――女の、本当の彼女の声で。
 「我が一族の血を引く者よ。そなたの望みを叶えたくば、己の罪を告白し、悔やみ、この地で禊(みそぎ)を行うが良い。いずれそなたの望む物は手に入れられるであろう」
 そう言い終わると、枝実子はふらっとよろけて、倒れそうになった。
 「エミリー!!」
 すぐさま章一が駆け寄り、抱き留める。
 瑞樹も駆け寄って行ったが、佳奈子はじっとその場にいた。いや、動けなかったのだ。枝実子の上空にいた巫女が、彼女にだけ分かるわうに声を掛けているからである。
 住職はその様子を黙って見ていた。
 章一に抱き留められたまま、枝実子は周りを見回していた。
 「……鈴……」
 「え?」
 また、男の声に戻っているのを少々残念に思いながら、章一が返事をする。
 「霊よせの鈴は、落ちているか?」
 「あっ、そういえば」
 駆け寄ってきた瑞樹も一緒になって探したが、鈴はどこにも落ちてはいなかった。
 「そうか……選ばれたんだな、俺……」
 枝実子はそのまま気を失ってしまった。



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from: エリスさん

2012年04月06日 11時35分25秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・48」
 一行(いっこう)はとりあえず宝物蔵へと行ってみた。
 住職も月影は鏡姫の墓に埋葬されたと聞いていたので、あまり期待できそうもないのだが、ここは枝実子の占いを信じるしかない。
 「中に入ってから、もう一度占ってみたい。さっきの占いじゃ目指すものが刀かどうかも分からなかったから」
 住職が扉の鍵を開けている間、枝実子はそう言った。
 「あるといいね、刀」
 「あまり期待はしない方がいいよ、瑞樹……でも、驚くなよ」
 「へ?」
 かくして、扉は開かれた。
 中には、いくつもの木箱が並び、壁には墨で何事か書かれた巨大な絵馬のようなものが掛けられてあった。よく見ると何人もの人が書いた和歌らしい。片桐姓が多いが、中には見たことも聞いたこともない姓があったり、そして瑞樹がちょっと気になった姓が二、三人あった。
 『草薙って……ここ新潟県だし、まさか……』
 「ついでに見て行かれますか、嬢」
 住職が枝実子に話しかけている。
 「そうだな。滅多に見せてもらえないから」
 「え? なになに?」
 瑞樹は彼女たちの方を振り返り、住職が棚から降ろした木箱から取り出した掛け軸を見て、びっくりした。
 「こ、こ、これ!」
 「……嘘……」
 章一も気付いて、それ以上言葉が出なかった。
 それは、美術館を経営している父を持つ瑞樹でなくても知っている画伯の作品だった。
 「草薙亀翠(くさなぎ きすい)じゃない!」
 日本画の大家の一人である。
 「左様、草薙亀翠――本名・草薙亀之介(かめのすけ)の作です。一番得意とされた題材の“鶏”の一つですな」
 「どうしてこれがここに!?」
 その質問に枝実子が答えた。
 「片桐家には代々受け継がれてきた親鸞聖人直筆のご本尊(ほんぞん)があったんだ。けど、戦中のごたごたにそれを盗み出そうとした輩がいたんで、草薙家に預かってもらったのさ。その代わりに、当時の当主・草薙亀之介さんがこの絵を下さったんだって聞いてる」
 「なんで? なんで草薙家に預けたの?」
 「草薙家は」と、住職は言った。「片桐家が桐部氏から分かれた時から仕えていた、忍の者の一族です。今は芸術一門として有名ですが、本来は武道家なのですよ」
 「この近くに草薙家の本家もあるんだ」
 片桐家と草薙家の因縁は、いずれ別の物語で語ることになろうから今は割愛するとして……枝実子は、手近な行李の上でタロット占いを始めた。
 次々にカードがめくられていく。
 「……古くからあるもの……楽器……」
 枝実子は二枚のカードを手にしたまま、しばらく考えた。
 「鈴! ここに“霊(たま)よせの鈴”があるのか!?」
 「なんと!? まことですか!?」
 枝実子と住職の驚きに、なんだい、それ? と章一は聞いた。
 「白陽・月影と共に伝えられた、斎姫が持つ鈴での。神々や精霊、果ては死者の声を聞くために使われる道具ですよ」
 「降霊術の道具、ですね」
 若い人向けに佳奈子が意訳する。
 「ショウ、景虎連れてきてくれ」
 「景虎を?」
 景虎は、猫だけに睡眠不足は体に悪いと、今まで車の中でお休みさせていた。章一が迎えに行った時も、助手席で丸くなって熟睡していたのである。
 章一が窓ガラスを降ろして抱き上げても、フニャ? と、声をあげて寝惚けていた。
 「景虎ッ、出番だ、起きろ!」
 枝実子が上へ下へぶんぶん揺らしてやると、
 「ニャア〜……」
 と、大きくあくびをして、景虎が目を覚ました。
 「毎日如月と戦ってきたんだろうから、きっと疲れてるだろうに」
 佳奈子が言うと、瑞樹も、
 「無理矢理起こすなんて、悪い飼い主ねェ」と言った。
 「分かってるけど、ここは景虎じゃないと駄目なんだよ」
 と枝実子は言って、景虎に顔を近づけた。
 「いいか、景虎。良く聞けよ」
 「ニャア」
 「今から探してもらいたい物があるんだ。この蔵の中を歩き回って、おまえのヒゲにピクピクッと来るものがあったら、鳴いて知らせろ。いいか?」
 「ニャーオ!」
 「良し行けッ」
 景虎はピョンッピョンッと跳ねるようにして駆けだして、行李や木箱の上を飛び乗ったり、降りたりし始めた。
 人間の言葉をちゃんと理解しているだけでも賢い猫だということは分かるが、果たして目当ての物を見つけられるだけの判断力はあるのだろうか。
 「大丈夫だよ。猫の霊感は並じゃないから、霊力のある物になら敏感に反応できる」
 「でも寝起きだよ」
 章一がもっともなことを言っていると、ニャー! という元気いっぱいの返事が戻ってきた。
 景虎は、一番上の棚の隅に、埃をかぶっている何かを手で探って、立たせて、首に引っかけて帰って来た。
 八つの鈴を、竹ひごでつないで輪にしてある――霊(たま)よせの鈴、と言われれば、それっぽかった。
 枝実子は埃を丁寧に落としてから、それを振ってみた。
 シャーン! と胸に響くような音がする――見かけからは想像もできないような音だ。
 「試してみては如何かな?」
 住所の言葉に、枝実子は頷いた。
 「御住職、貸していただきたい物があります」


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from: エリスさん

2012年03月30日 12時30分59秒

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「双面邪裂剣(ふたおもて やみを さく つき)・47」
 新潟県某村。そこに、浄土真宗の寺・光影寺(こうえいじ)はあった。
 片桐家の先祖たちが眠っている寺である。
 「ここに手掛かりが?」
 佳奈子女史が言うと、
 「俺の占いが当たっていれば」
 と枝実子は言って、門を潜って行った。皆も後に続いていく。
 本殿の横に、いくつもの蔵が並んでいる。この中のどこかに、もしかすると……という一同の期待が募っていく。
 枝実子は本殿の方に向かった。
 すると、回廊を誰かが歩いてくるのが見えた。高僧であることは身なりからも分かる。枝実子はその人に気付くと、彼が近づいてくるまで立ち止まっていた。
 高僧の方も枝実子に気付き、回廊を足早に歩いてきて、枝実子の前で止まった。
 枝実子は恐る恐る声を掛けた。
 「俺が分かるか、御住職(ごじゅうしょく)」
 おお、おおと相槌をうち、微笑みながら老齢の高僧は答えた。
 「片桐の嬢(じょう)でござろう。大きゅうなられて。幾つになられましたかな」
 「二十歳になりました。御住職は確か御歳七十を越えられたはず」
 「七十二になり申した。ささ、上がって下され。茶など差し上げましょうぞ」
 「……良かった」
 「ふむ?」
 「御住職ほどの尊き僧ならば、如月の術には掛かっていまいと、信じていました」
 「……長いお話になりそうですな」
 この住職・道昭和尚(どうしょう おしょう)は、片桐の分家・桐島家の人だった。
 そもそもこの寺は、片桐家と片桐家に仕えた一族の菩提寺とするために、代々片桐家から子息を出家させ、住職を務めていた。僧が妻を持つことを許されてからは、この道昭和尚の直系の先祖たちが継いでいる。
 「もう嬢から聞かれたかとは思いますが、片桐家はこの村では由緒正しき家柄なのです。近江守護職・佐々木家から先ず桐部氏が分かれ、そこから分家して越後に移り住んだのが片桐氏を名乗ったのです。そして上杉家の家臣・前田慶次郎に軍師(ぐんし)として仕え、今ではこの村の大地主として栄えているのです」
 「栄えてる……と言えるかどうか。上杉家が米沢藩に移る時、片桐家は武士を捨ててこの地に留まったんだ。なんでも、上杉家が米沢に行ってからも越後とのつながりを保っていられるように……という上からの意図があったかららしいんだけど。それからは片桐家は農家になって……今は俺の叔父が継いでいるんだけど、叔父には子供がいなくてね。分家から養子をもらおうかって話も出てる。でも、誰もなり手がいないんだ。なんせ、農家は人気無いから」
 枝実子が言うと、
 「なにを言われる」と、住職は笑った。
 「農家とは言っても、所有している土地は相当なもの。こちらでお預かりしている財宝も併せれば……」
 「いや、御住職。片桐の人間は誰もあの宝物(ほうもつ)を売ろうなどとは考えていない。だから金にはならない。所有している土地も農地だ。農地は農耕を目的としない人間には譲渡されないという法律もある――だから養子になりたがらないんだよ」
 と、枝実子は最後の方は瑞樹たちに言った。農作業を嫌う今の世代には、確かにこの村での生活は楽しくなさそうである。
 「それより、聞いてもらいたいのだが……」
 枝実子は今まで起こったことを住職に説明した。
 その為に月影を探さなければならないことも。
 話を聞き終わって、住職は「なるほど」と考え込んだ。
 「それで、嬢の美しい“気”の上を、この黒い気が覆っているのですか」
 「“気”が見えるのですか?」
 佳奈子が聞くと、
 「もちろんですとも。ちなみに、あなたは太陽の光のような橙色の気をしておりますな。こちらのお嬢さんはまるで晴天の青空のようじゃ。こちらの若者は新緑の森ですな」
 住職が言っていることが嘘ではないことは、佳奈子が一番良く理解できる(自分も見えるから)。確かに徳の高い僧である。
 佳奈子が感心しているのに気付いたのか、住職は高笑いをしてから、
 「老いたりと言えども、このわしは片桐家の血を引く者ですぞ。まあ、嬢より霊力はありませんがの」と言った。
 「またその話ですか、御住職。俺には自覚がないんですけど」
 「なに? どういうこと?」
 瑞樹が興味津々で聞くと、住職は答えた。
 「片桐の血を引く者の中には、時折とても霊力の強い者が生まれるのです。その者らがこの寺の住職――親鸞聖人に帰依する前ならば、神主や斎姫となって、一族を祈りで守ってきたのです。嬢はその素質を色濃く受け継いでおられるのですよ。まだ覚醒はしておられぬが、おそらくそれなりに修行をなされば、わし以上の霊能者になられましょう」
 「へえ……だから占いとかやらせると百発百中なのね、あんた」
 瑞樹はこんな風に簡単に考えてしまったが、枝実子の前世を知っている二人は、愕然としてしまった。
 『魂の霊力だけでも相当なものなのに、器――血筋の方も霊的に優れたものだったのか』
 だからこそ、如月という分身を生みながらも、枝実子の体力が衰えることがなかったのだ。
 佳奈子は、いったい自分が知らされていないことは後どれだけあるのか、と考えた。恐らくオリュンポスにいる彼女の祖父でさえ知らないことが、枝実子にはあるのだ。過酷な運命が……。

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