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from: エリスさん
2012年11月16日 11時31分33秒
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つないだその手を離さない・9
「何を言っているの? イオー」
と、レシーナーは言った。「そんな辛い記憶、消した方がいいでしょ? ましてや、前世の事なんだから」
するとイオーは首を振り、母親の目を見て言った。
「記憶は消さない方がいい……その方がみんなの為なの、お母様」
「何故!?」
「だってお母様、前世の私が記憶を失っていたから、苦しんだでしょ? 何も言えなくて」
前世のイオーはヘーラーに記憶を消してもらうことで、自分が妊娠していることなど知らずに過ごしていた。そのため、妊婦としてそれなりの量の食事を摂らなくてはいけないのに、そもそもが小食だったことも手伝って、お腹以外は痩せ細っていった。しかもイオーには、自分の体が普通に見えるように――お腹に子供がいるなど本人が気付かないように暗示がかけられていたため、ますます事態が悪い方に進んでしまったのだ。結果、前世のイオーは出産で体力を消耗し、衰弱死をしてしまったのである。
「あの時、私は記憶を失わず、妊婦であることを自覚していたら、周りの人たちに心配を掛けることもなかったのです。だから、私はこのままでいます」
「それで、大丈夫なのですか?」
そう言ったのはエイレイテュイアだった。「暴行された時の記憶を持ったまま、普通に生活していけるの? 男を恐れずに、生きていけますか?」
「それは……」
「では、試しに……ティートロース、こちらへ」
エイレイテュイアに言われて、ティートロースが進み出た。
「あなた、試しにイオーを抱きしめてみなさい」
「そんな、巫女殿に恐れ多い!」
「そもそも、あなたも半分は神なのですから、イオーに対してそんなに引け目を感じる必要はありません。さあ、やってご覧なさい。母を抱くように」
「母を……」
実際にティートロースはイオーの前世の息子である。今までも、そういう思いでイオーを見なかったことはない。それを敢えて抑えてきたのだったが……ティートロースはイオーの前に跪(ひざまず)くと、言った。
「失礼しても宜しいでしょうか?」
「はい、どうぞ……」
イオーがそう言うので、ティートロースはごわごわとイオーを抱き包んだ。すると……しばらくして、イオーの体が震えだした。
「もういいわ」と、エイレイテュイアはティートロースを引き離した。
引き離された後も、イオーの体はぶるぶると震えていた。男性に対する恐怖心が完全に残っている証拠である。
「ほら……親しい間柄のティートであっても、そのように怖がってしまうのだから、やはり恐怖の記憶は消した方がいいのです」
「ですが……記憶を消したからと言って、男性に対する恐怖がすべて消えるかどうか……」
「それは、多少は残ってしまうかもしれません。それでも……」
「いいえ、残ってしまうのなら――訳の分からない恐怖に怯えているぐらいなら、すべて事情を分かっていたうえで、私が乗り越えればいいのです。乗り越えなければいけないんです」
「そうは言っても……」
「それに、エイレイテュイア様。私はたまたま神に仕える巫女だったから、このように皆様に御救い頂けますが……そうではない、普通の女性が男性に謂れのない暴力を受けたら、誰が記憶を消してくれるのですか? 人間にそんな能力はありません。普通は、記憶を持ったまま自分で乗り越えていくしかないのです。だったら私も、そうしなければなりません。自分の立場に甘えたりせずに」
「イオー……」
潔い考え方である。確かにその通りだ。その通りだが……自分たち神に近しい間柄として身を置いているのだから、少しは自分を頼ってほしいとエイレイテュイアは思った。
「大丈夫です、エイレイテュイア様。私の不幸は、今この身に受けたものではございません。前世の私が受けたもの。今の私は、神に仕える巫女として恥ずかしくない純潔の体を保っている――そう、しっかりと意識することができます。ですから、もう大丈夫です。エイレイテュイア様、皆様……アーテー様。ご迷惑をおかけ致しました」
イオーがそう言って頭を下げるので、これ以上強く説得することはできなかった。
イオーがレシーナーと共に人間界へ帰って行くと、アーテーはエイレイテュイアに言った。
「ゼウスは……陛下はどこですか?」
「オリュンポス神殿に帰られたわ、お母様と一緒に」
「ヘーラー様も……そうですか」
アーテーはそう言い残すと、そのまま外へ出て行った。
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