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from: エリスさん
2013年03月15日 11時37分32秒
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白鳥伝説異聞・4
レーテーが地上に再び舞い降りた頃には、すっかり日も落ちて、それでも満月が美しくあたりを照らしていた。
そこは海岸だった。ヤマトオグナと会ったところからは少し離れていたが、恐らくあれから目的地に向かったのであれば、ここら辺にいるのではないかと高天原の神の一人が教えてくれたのである。
その神の言う通り、風に乗って薪が燃える匂いが漂ってきた。遠くに火も見える。
「うん、きっとあれだわ」
レーテーは倭言葉で言ってから、その火の方へ行ってみた。
想像通り、オグナが火の傍に居て、木の枝に橘を突き刺して火で炙っていた。
「何をしているの?」
レーテーがそう聞きながら近づくと、「誰だ!」とオグナが警戒するような声を出した。
「私よ、さっき会った......オトタチバナと、名前を付けてくれたでしょ?」
「オトタチバナ?......馬鹿な」
レーテーが近付くにつれ、焚火の明かりでオグナにもその姿が見えてくる。
「まったくの別人ではないか。先刻の娘は、茶色よりももっと明るい......この橘の色に似た髪の色をしていた。顎のあたりももっと細くて......」
オグナがレーテーの先刻の姿を思い出しながら言っていると、レーテーは指を鳴らして本当の姿に戻った。オグナは驚いていたが、すぐに微笑んで見せた。
「そういえば、面妖な術を使うのであったな、そなた。いったい何者だ? "人"ではあるまい」
「そうよ。私は神族なの。あなた方が天照大御神とか伊邪那美の神とか呼んでいる方々と同じ種族なの。ただ、他の国から来ただけ」
レーテーは説明を終えると、また指を鳴らして言之葉の命そっくりに変化(へんげ)した。
「隣に座ってもいい?」
「ああ、火に当たるといい。温まるぞ」
「じゃあ、失礼して」
レーテーは背中に背負っていた荷物を置いて、オグナの隣に座った。
「それより、言葉......喋れたのだな、そなた。さっきは声ではない声で会話をしていたから、声が出ないのかと思っていたのだが」
「喋れるわよ。さっきは、この国の言葉がまだ分からなかったから、心で会話したの。でもそれじゃ不便だから、高天原で教えてもらったの」
「そうか......神様は凄いな。一日やそこらで外国(とっくに)の言葉を覚えられるものなのか」
「教えてくれた人が有能だったからよ。普通は無理でしょうね」
「ふむ......ちょっと、喋ってみてくれないか?」
「なにを?」
「そなたの国の言葉だ」
「ああ! いいわよ」
レーテーはオグナの方へ向き直すと、ギリシア語で言った。「私の本当の名前はレーテーって言うのよ」
それを聞いて、オグナは目を白黒とさせた。
「本当に、変わった響きだな。まったく意味が分からない!......で、なんと言ったのだ?」
するとレーテーはクスクスッと笑って、今度は倭言葉で言った。「私の本当の名前はレーテーです......って、言ったの」
「れぇてぇ?」
「ええ。意味は忘却――物忘れね」
「ああ、だから最初にそなたの名前を聞いた時......」
「そう。あなたは名前の意味で感じ取ってしまって、私の名前をちゃんと理解してくれなかったのよ」
「レーテーか......覚えておこう」
「うん。でも、私がこの国にいるうちは"オトタチバナ"って呼んで。レーテーって名乗ってると、この国の人間じゃないって知られてしまうもの」
「うん、承知した」
「それで......何やってたの?」
「ああ、これか?」と、オグナは木に刺した橘を見せた。「焼くと、少し甘くなるんだ」
「美味しいの?」
「美味しくはないな。酸っぱさが柔らかくなるぐらいで......でも、生よりはマシだ」
「もしかしなくても、またお腹が空いてるわね? 私があげたお弁当、少な目だったものね」
「そうなんだ......あれ、美味かったよ。会ってお礼が言いたかったんだ、ありがとう」
「どういたしまして」
「しかし、あれは何という食べ物だったんだ?」
「サンドイッチよ。いずれ人間界にも広まるようになるけど、今はまだ神族だけが食べる食べ物ね」
「へえ......」
「そうだ! お腹空いてるなら、お魚釣ってあげるわ!」
「え?」
レーテーはいっぱいの荷物の中から、釣竿と釣り針を出した。
「高天原で海幸彦(うみさちひこ)さんが貸してくれたんだ。あとね、この弓矢は山幸彦(やまさちひこ)さんがあなたにって。あなた、持っていた弓矢を食べ物と交換してしまったんですって?」
「ああ、私は弓矢が苦手だから、持っていても意味がなくて......」
「私は結構得意なの。おばあ様の侍女に狩りが得意な人(シニアポネーのこと)がいて、彼女に以前習ってたから。明日からは私が狩りで獲物を採ってあげるね。とりあえず今は釣りね......あなたも来て!」
レーテーはオグナが持っていた橘を指した木の枝を地面に突き立たせて、オグナを崖の傍まで連れて行った。
そこから、釣り針に餌を付けて、釣り糸を海に向かって投げるのだった。
「釣りも得意なのか?」
と、オグナが聞くと、
「伯父が釣り好きなの(アレースのこと)。子供のころ、よく私たち兄弟を連れて行ってくれたわ」
「へえ......」
オグナはレーテーの隣に腰を下ろして、海を見下ろした。
「......どうして?」
と、オグナはボソリと言った。
「ん? なァに?」
「どうして、私に親切にしてくれる? 見ず知らずの......ましてや、そなたにとったら私は......そなたは、神なのであろう?」
「私ね、旅をしているの」
「うん、旅か......私も似たようなものだな」
「そうね。私、自分の国ではあまりやることがなくてね......怠惰な日々を過ごすだけだったから、私がお仕えすることになった王妃様が私に趣味を下さったの。それが"旅"――元は私の母の趣味なんだけど」
「母君の?」
「ええ。それで、見聞を広めて、女神として成長してきなさいって、優しく送り出してくれたの。それで私、王妃様の伝手を頼りにこうして外国に来てるんだけど......そしたら、あなたに会ってしまった」
「......なにか、お気に召したのか? 私が」
「ええ、とっても。あなたのこと、高天原のあなたのご先祖様から聞いたわ。母君を早くに亡くされて、父君からは女であることを否定されて、男として育てられたって。なのに弟が生まれたら、まるで厄介払いのように他国征伐に行かされてしまったって......」
「それの、どこがお気に召したんだ?」
「私の母に通じるところがあったの」
「そなたの母君に?」
「私の母は子供のころに、実の母親のもとを追い出されて一人暮らしを余儀なくされたの。今の母親――私がおばあ様と呼んでいる方は、母が大人になってから母を養女として引き取ってくれた方なのよ。そして母は、見た目が凛々しい男神のような方で、名前も男性の名である"エリス"と名付けられていたから、自分でも男性らしく振舞っていたの。そうすることで、一人で生きて行く強さを手に入れていたのね......でも、ちょっと気を抜いた時なんかにポロッと女言葉になったりすることがあったわ」
「なるほど......ちょっと、似てるかな」
「そうでしょ?......あっ!」
釣竿に当たりを感じて、レーテーはすぐに釣竿を引いた。
すぐには釣り上げられない――魚も頑張っているようだった。
「大きいわ!」と、レーテーは立ち上がった。「あなたも手伝って!」
「よし来た!」
オグナはレーテーの後ろに回って、一緒に釣竿を握った。
「いい? せェの! で引き上げるわよ!」
「承知!」
「それじゃ......」
レーテーは魚が一瞬ひるんだ隙を待った。
「せェの!」
二人が釣り上げたのは、とても大きな鯛だった。
「どう? 私は役に立つでしょ?」
釣り上げた鯛を両手に持って見せながら、レーテーは言った。「だから、私をあなたの旅に同行させて」
「それは......逆に問いたい。私と旅などして良いのか? そなたは本当は神で、ただ趣味である旅を楽しみに来ただけであろう?」
「ただ楽しむだけじゃ駄目なのよ。いろいろと学ばないと」と、レーテーは言った。「あなたの傍にいたら、いろいろと面白いことがありそうだわ。それに、怠惰な日々を送ってきた私が、初めて、誰かのために何かしたいと思えたの。あなたという人を知って」
「......分かった」
オグナは言うと、鯛を持ったままのレーテーの手を掴んだ。
「私も一人で行くには心細さを覚えていたところだ。そなたがここに来たのが、我が御祖(みおや)の神・天照大御神のお導きであるならば、私はそれに従うまで......共に参ろう。よろしく頼む」
「ええ、こちらこそ.........それじゃ、さっそくこの魚を料理しましょうか」
「ああ、頼む」
オグナが手を離すと、レーテーは焚火のところまで先立って行った。
その後を付いて行きながら、オグナは言った。
「ところで、私のことをご先祖様から聞いた、と言っていたが......さっきので全部か?」
「全部かって?」
「他には聞いていないのか?」
「他には......聞いていないわね」
「そうか......」
「なァに? 他にも何かあるの?」
「うん......まあ、おいおい話すよ。今はお腹が空いたから」
「そう?」
レーテーはそう言うと、それ以上追及はせずに、荷物の中から包丁を取り出すのだった。-
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