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from: エリスさん
2013年06月13日 17時30分32秒
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白鳥伝説異聞・9
レーテーは黄泉平坂を通って、伊邪那美の神にも挨拶をしてから、オリュンポスの冥界へ戻ってきた。
久しぶりに会ったレーテーがすっかり倭人の姿をしているのを見て、ペルセポネーは微笑んだ。
「向こうでの生活が余程楽しいみたいね。変身を解くのを忘れていますよ」
「忘れていたのじゃありません。ペルセポネー様に見ていただきたくて......お察しの通り、とても楽しく過ごしています」
レーテーはそう言って、オトタチバナの姿から本来の姿に戻った。
「人間の娘と倭国行脚をしているそうね。伊邪那美殿から聞いているわ。その者とは本当に仲が良くて、見ていてあなたが女神であることを忘れてしまうと、おっしゃっていたわ」
「え!? 見ているんですか?」
レーテーは、それこそ神は人間たちのことを四六時中観察できるのだということを思い出して、毎夜のようにタケルと睦みあっていることも見られているのかと思って、頬を赤らめた。
「お仕事の合間に観察しているそうだけど......なにを恥ずかしがっているの?」
「だって......」
レーテーはその先を言うのを躊躇った。自分が恥ずかしいのは勿論なのだが、ペルセポネーは事情があって性交渉に関する一切の知識・記憶を封じられているのである。そのため、彼女にそれに係わることを話したり見せたりするのは、封じた記憶を開く切っ掛けになってしまい、ペルセポネーの精神が崩壊する。それは絶対に避けなくてはならない。
『あっ......ということは......』
今、ペルセポネーが普通にしているということは、伊邪那美もそのことを知っていて、彼女にはレーテーとタケルが夜に何をしているかなど、話していないということか。もしくは、初めから夜のことまでは伊邪那美も見ていないのか......。
「あの......タケルとキスしてるところも、見られちゃってるのかなって、思って......」
確か"キス"は大丈夫だったはず、と思ってレーテーが言うと、ペルセポネーはおかしそうに笑った。
「やっぱり、その娘とはそういう仲になっていたのね。伊邪那美殿も、もしかしたら、とおっしゃってたわ。あなた、やっぱりエリスに似たのね。同性を好きになるなんて」
「はい......そうみたいです......」
今の会話の内容で、ペルセポネーは勿論、伊邪那美もそこまで下世話な観察はしていないと分かり、レーテーはホッとした。
「それでは、ペルセポネー様。私、急いでアルゴス社殿に帰らなくてはならないので」
「そうだったわね。アルゴス社殿から迎えの馬が来ているわ。あなたも知っている馬だそうよ」
その通り、迎えに来ていたのはエリスの四女にしてレーテーの妹・ヒュスミーネーの愛馬であるファティマだった。
「お帰りなさいませ、レーテー様。さあ、私の背にお乗りください」
ファティマはエリスの愛馬・カリステーと、オリュンポス山の山頂に住む神馬シグマとの間に生まれた神馬で、人間の言葉を話せた。本当はレーテーの馬にしようとエリスが貰い受けてきたのだが、インドア派のレーテーが自分には必要ないからと、当時乗馬を覚えたばかりのヒュスミーネーに譲ったのだった。
「ありがとう、ファティマ。道すがら話を聞いてもいいかしら?」
「はい、承知いたしました」
そもそも、どうしてレーテーが帰ってこなくてはならなくなったかと言うと、ヘーラー王后からの手紙に、レーテーが以前助けてやった娘が、また辛い目にあってしまったから、助けてやってほしい、と書いてあったからだった。
「助けてやったって? 何があったんだい? その娘」
タケルが聞くので、レーテーは言いづらかったが教えた。
「男に乱暴されたのよ......」
「それで?」
「体に受けた傷は祖母が治してあげたんだけど......その、純潔の印も、元に戻してあげて......」
「神様はそんなこともできるのか......」
「うん......でも、心の方は治らなくて。だから、私が彼女の記憶から、男に襲われた記憶だけ消してあげたの。そうしたら、すっかり元通りになったんだけど......」
「そう言えば、レーテーは物忘れ(忘却)の神だったな。そうか、君の力はそういう風に使われるのだな」
「ええ。でも......その子がまた酷い目にあって、記憶が蘇ってしまったのか、気がふれてしまったって......」
「狂人になったのか?」
「私が失敗したんだわ。完璧にあの子の記憶を消してあげられなかったから、そんなことに......」
レーテーは、その娘のことを思い出して悲しくなった。まだ幼さの残る若さで、儚げな美少女だった。あの時も手のつけられぐらい狂乱したので、本当だったらヘーラーが記憶を消す役目を負うところだったのだが果たせず、エリスの一族なら相手を眠らせたままその者の記憶に入って行ける能力を持っているので、レーテーが代わって治療することになったのだった。
「あの子が、またあんな風になっているなんて......」
レーテーが気を落としていると、タケルは言った。
「君の所為じゃないよ、きっと」
「でも......」
「女が男に襲われるというのは、それだけ恐ろしいことなんだ。たとえ記憶を消されても、その恐怖心だけは残ってしまう、根強く、体の髄まで......わたしがそうだったよ」
「タケル......」
「まあ......わたしの場合は、"忘れた"と言っても、忘れたのだと言い聞かせているだけで、実際には忘れていないのだが......」
レーテーはタケルの記憶を垣間見てしまった時のことを思い出して、胸が痛くなるのを覚えた。
「早く行ってあげて、その子の所に」と、タケルは笑いかけた。「助けてあげなよ。君が必要なんだろ? わたしは、ここで待ってるから」
「うん、待てて。すぐに戻って来るから」
そうしてレーテーはオリュンポスに戻って来たのだった。
ファティマは天空を飛びながら、知っていることを詳しく話してくれた。
「その娘はその後、母親の伝手でアレース様の社殿の厨房(台所)で働いていたそうなのですが、そこでアレース様付きの従者に言い寄られたそうです」
「言い寄られた? どの程度の物なの?」
「デートに誘ったりとか、それほど強引なものではないと聞いておりますが、それでも娘はずっと拒否していたそうです。それで、とうとう強硬手段に出ようとしたのか、男が娘に抱きついてきたそうです」
「不躾な!」
「まったくです。でも、そこをたまたまディスコルディアとお付きの少年が通りかかってくれて」
「ディスコルディアが?」
ディスコルディアというのは、もともとはエリスの剣で、エリスの神力を浴びて人格化した少年である。アレースのもとで養育されていた。
「それで助けられて、大事には至っていないのですが......でも、もう泣き叫びながら暴れて、誰も近づけようとしないので、とりあえずヘーラー様が眠らせて、その後は眠りの神のヒュプノス様の力を借りて、絶対に目を覚まさないようにしております」
「眠り続けているのね......あまりいい状態とは言えないわね。急ぎましょう」
「はい、レーテー様」
レーテー達がアルゴス社殿に着くと、エイレイテュイアが待っていた。
レーテーは挨拶もそこそこに、エイレイテュイアに娘の居場所を聞いた。
「二階の空き部屋よ。案内するわ......」
エイレイテュイアは先に立って歩き出した。
部屋の前にはヘーラー王后と、ヒュスミーネーが待っていた。
「お待ちしてました、姉君」
ヒュスミーネーが言うので、
「ファティマを貸してくれて、ありがとう、ヒュスミーネー。おばあ様もお待たせいたしました。早速、始めさせていただきます」
「そうしておくれ」
ヘーラーがドアを開くと、中にはベッドに寝かされた娘と、その両脇に、娘の手を取りながら椅子に腰かけているレーテーの妹、エリスの次女のアルゴスと、三女のマケ―がいた。
「これは、どうゆう状況ですか?」
「この子に、神とはいえ男を近付かせることができなかった」と、ヘーラーは説明した。「だから、眠りの神ヒュプノスが、自分の姪にあたるアルゴスとマケーを媒体として、眠りの力を送り続けてくれているのだよ」
「なるほど......」
レーテーはアルゴスの方へ寄り、妹の肩に手を乗せた。
「ヒュプノス伯父君、もう大丈夫です。術を解いてください」
するとアルコスの口からヒュプノスの声が聞こえた。
「おお、レーテー。戻ったか。良かろう、わたしが術を解いてもしばらくは眠ったままになる。その間にそなたが処置を施してくれ」
「はい、お任せを」
その途端、アルゴスとマケーの中からヒュプノスの力が消えた。二人はそこでようやく姉がいることに気付いた。
「レーテー姉君......」
「姉君様!」
「二人とも、頑張ったわね。後は任せて」
皆が部屋から出て行き、ベッドの中の娘と二人だけになると、レーテーは改めて娘の顔を見下ろした。
「......エルアー......2年ぶりね」
初めてあった時よりは大人になっていたが、まだ儚げなところは変わっていなかった。
レーテーは彼女の額に自分の額を当てた。すると、彼女の記憶が見えてきた。
背の高い男に言い寄られて、懸命に逃げているのが分かった。そして、男に抱きつかれたとき、彼女は心から悲鳴をあげた。
「私に触らないで! 男の体なんて、硬くてごつごつしてて、気持ち悪い! 大嫌い!!」
レーテーはそこまで見ると、彼女から額を離した。
「本当ね。男の人の体って女と違って、筋肉で固くなってて、体格も大きいし、あなたにとっては恐怖の対象でしかないわよね」
レーテーは服を脱ぎ、裸になった。そして、娘――エルアーの服も脱がすと、彼女を抱き起した。
「すぐに、そんなおぞましい感触は忘れさせてあげるわ」
レーテーはエルアーのことを包み込むように抱きしめると、再び額を合わせるのだった。-
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