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from: エリスさん
2016年02月12日 11時55分11秒
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師匠になるために
それは、片桐枝実子がまだ10歳の少女だったころの事。
オリュンポス神界では、後に枝実子が入学することになる専門学校に、枝実子の監視役兼師匠となるべき人物を派遣しようという話し合いがなされていた。その人物として白羽の矢が立ったのが、枝実子の前世である女神エリスとは犬猿の仲とも言えるアポローンの次女・カナーニスだった。何といっても芸術の神アポローンの娘として彼女自身も芸術的能力に秀でていることが評価された。そしてアポローンからエリスの良くない話を聞いている上に、姉であり祖母でもあるシニアポネーからエリスの良い思い出も聞いているので、どちらの立場にも立って枝実子(エリス)を評価することが出来るのではないかと思われた。
カナーニスに内定したことを、神王ゼウスが自ら訪ねて行って当人に告げると、アポローンと、カナーニスの夫・ラリウスは大反対した。
「どうしてエリスなんかの為に、愛する我が娘をそんな異国の地に行かせなければならないのです!」
アポローンが抗議している間、ラリウスはしっかりと妻の体を抱き包んで、絶対に渡すまいとしていた。
だが、当のカナーニスは、異国に行ける! という嬉しさに目を輝かせていた。
「お父様、私、行きます! 行きたいです!」
「何を言うか、カナーニス!」
「行きたいんです! 私、オリュンポス以外の国に行ってみたい! それに、誰かがやらなきゃいけないのでしょ? だったら、私に行かせてください!」
カナーニスの言葉を聞いて、ゼウスは彼女の方に歩み寄った。
「観光気分でやれることではないぞ。エリスが死を迎えるまでの残り二十五年、そなたはずっと日本人として生きなければならないのだ。その間、やらねばならないことは山ほどある」
「構いません! やらせてください!」
そこへアポローンの妃であるコローニスが口を開いた。
「カナーニスの思う通りにやらせてあげてください、あなた」
「コローニス......」
母親ならば娘を異国にやるなど反対してくれるものと思っていたアポローンは、それまで黙っていた妻の言葉を聞いて戸惑った。
「今まであなたに逆らったことのなかったカナーニスが、これほどまでに行くことを望んでいるのです。願いを叶えてあげてください」
コローニスに諭されて、アポローンも認めてやることにしたのだった。
こうして日本へ行くことになったカナーニスは、先ず高天原へ行って、言之葉の命(コトノハノミコト)に日本語を教えてもらった。そして日本で暮らすうえで必要な一般常識も教えてもらい、日本人に見えるように姿かたちを研究して変化(へんげ)した。
「コトノハさんとそっくりになるのが一番やりやすいのだけど......」
と、カナーニスが言うと、
「それはすでにレーテーがやっているから、遠慮してもらえるとありがたいわ」
と、言之葉の命は言った。「大丈夫。ちゃんと日本人の大学生に見えるわよ」
カナーニスは、枝実子が専門学校に入学してくるまでに自分も日本文学を勉強し、教師としてだけではなく文学者としても枝実子を指導できる立場にならなくてはならなかった。その為、高天原の神々の協力で戸籍を作ってもらい、先ずは大学生として日本で学ぶことになったのである。
日高佳奈子(ひだか かなこ)と名乗るようになったカナーニスは、それから真剣に勉強に打ち込んだ。時には学友たちと遊びに出掛けたりもしたが、それもまたカナーニスにとっては勉強だった。
日本のことをよくよく学んだカナーニスは、在学中に執筆した小説を出版社主催の文学賞に応募し、見事グランプリを取って、小説家デビューした。
大学を卒業したカナーニスはすぐに売れっ子の小説家として活躍し始めた。あまりにも仕事量が増えたので、身の回りのことが出来ないことが多くなり、とうとう家政婦でも雇おうかということになった。
そこで、カナーニスが幼少時代に家庭教師として来てくれていたカッサンドラ―が、葛城蘭子(かつらぎ らんこ)と名乗る五十代の日本人女性に化けて、カナーニスのもとへ派遣されることになった。
「お父様、また怒ってなかった?」
アポローンにとっては、娘に続いて妻妾まで異国へ行ってしまったのである。なのでカナーニスが聞くと、カッサンドラ―は、
「もう諦めておいででしたよ、アポローン様は。でも、ラリウスが少し怒ってましたね。どうして自分を呼んでくれないのかって」
「それは駄目よ。片桐枝実子は生涯純潔を通して死ぬことになるのでしょ? だったら私も、彼女の心情を理解するためにも、日本にいる間は身を清くしていないとね」
「ご立派です、お嬢様」
「それほどでもないわ。これからよろしくお願いしますね、蘭子さん」
その翌年、カナーニスはお茶の水芸術専門学校から講師になってほしいとの依頼を受けた――その学校こそ、片桐枝実子が入学する運命にある学校だった。
カナーニスはすぐにその話を受け、それに当たり小説家としての仕事を減らした。
枝実子に文学を教えられるだけの教養は、しっかりと身に着けていた。後は彼女が入学してくるのを待つばかりである。
そして、とうとうカナーニスが日本に来て七年が過ぎた、一月のことだった。
たまたま事務室に書類を受け取りに来ていたカナーニスは、そこに入って来た学生服姿の女子に声を掛けられた。
「あの......願書の提出はこちらでよろしいでしょうか?」
長い三つ編みを腰まで伸ばしたその女子高生は、少し恥ずかしそうに言った。
「ええ、ここでいいのよ。この時期に来るってことは、推薦入学の願書ね?」
「はい、そうです」
「ちょっと待ってね。今、事務員を呼ぶから......」
と、カナーニスは事務室を見渡したが、ちょうど事務員の二人とも電話対応中だった。そのうちの一人が受話器を口元から離して、
「書類を受け取って、不備がないか見ておいてもらえますか? すぐ行きます」
「分かったわ」とカナーニスが言うと、すぐに事務員は受話器を耳に当て直した。
「願書を拝見しましょう」
カナーニスはカウンターの中に回ってから、書類を受け取った。そして、茶封筒から取り出した書類を見て驚いた。
"片桐 枝実子 17歳 修文館高校......"
カナーニスは改めて女子高生の顔を見た。そして、傍らにいる彼女の守護霊――赤毛の少女がカナーニスに向かって手を振っているのを見て、確信した。
不和女神エリスの転生体・片桐枝実子に間違いない!
「......文芸創作科を志望するのね?」
「はい」
「そう。受かるといいわね。そうしたら、私がゼミの顧問になるのよ」
「え!? もしかして、日高佳奈子先生ですか?」
「ええ。私のこと、ご存知?」
「もちろんです! 私、先生の作品を読んで深く感銘して、それで、この学校に入ろうって決めたんです。担任の先生は、ここよりも芸術学院を勧めてくれたんですけど、どうしても先生の授業が受けたくて!」
「そう、光栄ね。じゃあ、絶対に合格してね」
「はい、頑張ります!」
そこで事務員が電話対応を終わらせて来たので、カナーニスはバトンタッチした。
『担任教師がうちよりもレベルの高い芸術学院を勧めるぐらいだから、絶対に受かるでしょうね。そもそも、彼女がこの学校に入学するのは運命なのだから』
カナーニスが思う通り、枝実子は難なく受験を突破して、4月からこの学校に通い始めた。そしてカナーニスが講義をするすべての授業を受講したのである。
二人の師弟関係は枝実子が卒業してからも続き、それはもう師弟の壁を越えた友人ですらあったのである。
FINE-
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