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from: 桃の11さん
2008年11月18日 22時27分34秒
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味を数値で表す
18日の讀賣新聞に「あの味、データーで残す」という記事がありました。
味覚センサー機を使って、味を感知、電気信号に変えて、味をデーター化することが、可能ということです。
この機械を使えば「あっさり」「すっきり」などの、あいまいな主観的味の表現ではなく、客観的な数値になる、ということなそうです。
これは、「ベートーベンやバッハの楽曲が音符で残るように、食文化を記録する『食譜』を作ることが目的」と、開発した方が話しています。
確かに楽譜は残っています。が、それは料理でいえば「レシピ本」のようなもの。
実際には、その当時、作曲者が意図したのもは、楽譜だけでは伝えきれていないと思います。
同じ楽譜でも、演奏者と指揮者によって、ずいぶん違います。
速度も、今と当時ではかなりずれがあり、時代とともに、演奏時間が短くなってきているといわれています。
ちょっと前に、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団で、チャイコフスキーの「交響曲 第5番 」を聴きました。
今まで聞いたことなのいくらい、ゆっくりのテンポで始まりました。
しかも綺麗すぎて、ちょっと落ち着きません。もともと、きれいな演奏で有名なのですが、チャイコフスキーの時代、こんなきれいな演奏があったとは思えません。
日曜日には、ラフマニノフ作曲「パガニーニの主題による狂詩曲」をランランの演奏で聴いたのですが、パガニーニの主題に「グレゴリオ聖歌」の低音部が混ざり、複雑怪奇。聴いていると頭の中がごちゃごちゃになってしまいました。
演奏の仕方によっては、「グレゴリオ聖歌」が、邪魔をせず、静かに響かせられるはず。パガニーニも、こんなごちゃごちゃな音楽に仕上げて欲しくは、なかったと思います。
つまり、音符は、単なるレシピ本であって、生かすも殺すも、現代人の感覚ではないかと思うのです。
何でもかんでも数値化する。そしてそんな味の既製品であふれる。
これってどうなんでしょう。
そもそも、絶対音であるべき、音の高さだって、何ヘルツかは、ずれてきているそうです。
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