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  • from: 宮田さん

    2011年06月05日 20時21分23秒

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    原子力の利用をめぐる二つの不幸

     まず最初に、原子力発電で利用している核エネルギーとは何か。その“そもそも”論になりますが、人類が地球上に生まれて、火というものを発見したのは、大事件でした。それまで火というものを、人間は山火事で追われたりする時しか経験しなかったけれども、それを自分でつくって使いこなし、生活を豊かにする道具に変えた。これは、100万年以上も前のことですが、人類史上の大事件でした。

     ところが、1930年代に人間は核エネルギーを発見しました。これは、“第二の火の発見”と呼ばれたほどの人類史的な大事件でした。ものすごい巨大なエネルギーの発見でしたから。

     ただ、このエネルギーは巨大であると同時に、強烈な放射能がつきものでした。これに不用意に手をつけたら、強烈な放射能をどうするか、その手段・方法をきちんと見つけ出さない限り、このエネルギーが放射能を野放しにしたまま解き放たれたら巨大な災害が起きます。だからこのエネルギーを使いこなす、そして人間が人間の目的のために制御するには、たいへんな研究が必要でした。そのことは、最初からわかっていたのです。

    最初の実用化が核兵器だった

     ところが、不幸なことが二つありました。一つは第2次世界大戦です。ヒトラー・ドイツが、最初に核エネルギーを使って爆弾ができないかという研究を始めたのです。そのことを知ったまじめな科学者たち、ドイツからアメリカに亡命したアインシュタインもその一人でしたが、ドイツが先に開発したらたいへんなことになる、それに対抗するためにアメリカが先に開発する必要があると、ルーズベルト米大統領に進言し、アメリカが多くの科学者を結集して原子爆弾開発の研究を始めたのです。その途中で、ことの危険性に気づいて、開発の続行に反対した科学者も少なからずいました(アインシュタインも後で自己批判しました)。しかし、ことは進みました。

     一番危ないと思っていたドイツが、原爆の製造に成功しないまま敗北して、1945年5月、降伏しました。原爆製造の最初の動機は消滅したのです。ところが、アメリカは研究を続けて、1945年7月、最初の原爆実験に成功しました。

     そうなると、ヒトラー・ドイツはなくなったけれども、せっかくつくった核兵器です。世界にその威力を示さないまま、戦争が終わったのでは、戦後世界でアメリカの威力を発揮できない。そういう政治的な打算から、もう日本の敗北必至という情勢のなかで、その日本に原爆を落とすことを計画しました。つくった原爆は2種類ありましたから、まずウラン型を広島に落とし(8月6日)、次にプルトニウム型を長崎に落としたのです(8月9日)。

     アメリカは、広島・長崎への原爆投下は、戦争を終結させるために必要だったといっていますが、実は何よりも戦後政治のために必要なことだったのでした。その犠牲になったのが広島・長崎だということは、日本の国民として肝に銘じておく必要があります。

     ここに、人類の核エネルギーの利用の第一の不幸がありました。

    ある切れ者の話 その3

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