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from: あるさん
2006/12/23 02:20:42
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from: あるさん
2006/12/21 05:14:21
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from: あるさん
2006/12/09 04:12:39
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共に生きる、波長を合わせる
細胞に関して考えさせられました。
一つ一つの細胞が様々に組織され手や足などの形に客観化されます。
なぜこんなことが可能なのか?
それぞれの細胞が意志を持ち、互いに協力して一つの形を形成しようと意志の疎通をしているとしか思えません。
このことは今自分が置かれている状況にも共通しているのではないかと思いました。
畳やテーブル、ソファー、ストーブ、ドア、などなど…。
それぞれを組織する元素同士からの意志疎通、組織されたもの同士が意志疎通してこの部屋を組織し…、このようにしてあらゆる環境が組織されている。
人同士も、意識的にせよ無意識的にせよ、何らかの目的へ向かって意志疎通して集まったり散ったりしている…。
…かもしれません…というより、そうだったら良いなぁと思います。
だから、意識の世界に繋がる、或いは自分が宇宙そのものであるという認識を強めるためには、目の前のあらゆるものに対し、共に生きるとか、波長を合わせるとか、感謝するとか、そういう姿勢を持つことが大切…だったら良いなぁと思いました。 -
from: あるさん
2006/12/07 17:29:09
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疑問と答え
疑問と答えは同時に生まれます。
なのになぜ、わからないことだらけなのか?について考えました。
心の中にある塊が見えた時、それを疑問として認識します。
しかしこの見え方は塊の一側面であり、別の側面を見てみれば、きっと答えとして認識できる部分があるに違いありません。
…という説と、別の説があります。
想念は電波と同じでそこら中を飛び回り行き来しています。
疑問想念を飛ばした瞬間、その想念は答えにぶつかり、答え想念として跳ね返って来ます。
本来なら疑問を発信した瞬間に答えを受信しているということです。
ですが、そのことに気付かないので、疑問を抱え込んだまま答えを探し回りその結果器が満杯の状態で、答えを受信するスペースが無いので受信が遅れます。
風呂やトイレでぼ〜っとしている時に答えに気づくのはそのためかもしれません。
しかも受信していても、その情報を正確に翻訳できているとは限りません。
したがって、色眼鏡を外した状態で想念を見ること、想念をあまり長い時間留めないことが、正確な情報を得る近道なのかもしれません。 -
from: あるさん
2006/12/02 04:40:40
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from: あるさん
2006/12/02 03:17:06
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原因の自分
原因の自分とはどんな性質か、考えていました。
それは意識の世界での自分
意識の世界では自他の境界は…無い?
あっても、全ての意識が連携している
しかしこのイメージだと、自我的である
自我はどこまで進化しても、あくまでも自我
それらの自我を連携させているのが原因の自分か?
すると別の人の原因の自分と、私の原因の自分との間でも互いに認め合い連携が起きている…
あ、じゃあこれも自我だ
意識の世界での自我同士にはやはり境界は無い
意識の世界での自我が原因の自分か?
すると、全ての自我と境界の無い状態で繋がっているのが原因の自分
じゃあ“自分”という程個人的なものではない…
原因とは意識の世界そのもの…
意識の世界とは意識の共有…宇宙に存在するのは私だけという感覚
目の前のトイレットペーパーも、別の肉体を持った私…
宇宙そのものが私
存在する全てが私
全てである私が、別々の自我と肉体を同時に使っている…
じゃあ全ての願いは叶っている?
全てである私にとってはそれは重要ではない
おそらく、ここにはこの肉体とこの自我、別のここにはこの肉体とこの自我という風に設定する
じゃあ自我を変えるとかは必要ない
変えようとしなくても変わるのが自然だし…わざわざ設定するんだから…
という結論です。
原因とは宇宙というか、あらゆるものの総和であり、私がそれであり、あなたがそれであり、存在する全てがそれ…です。
ただ宇宙がそのように動いた…それが唯一の原因です。