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from: あるさん
2007年02月27日 01時19分59秒
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独占欲
いつまでもしつこく私にこびりついてなかなか離れていかない独占欲があります。
それを分析します。
なぜ独占したいのか?
自分にとって、唯一永遠の喜びが、安らぎが、光が、自分に足りないものがそこにあると感じるから。
それを他人に奪われたら、もうそれを手に入れる術はないと感じるから。
そこにしか無いと感じるから。
自分を満足させることが最優先だから。
それが欲しいのは、自分にはそれが足りないと感じているから。
という結果でした。 -
from: あるさん
2007年02月25日 01時18分17秒
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心、行動
なぜ苦痛なのかなと、いつもとは少し違う視点から観察しました。
苦痛の原因は好き嫌いなどの自己限定にあります。
もっと突き詰めると、客観的に自分を見ていないです。
ここで言う客観視とは、自分を含めた宇宙全部を見ることです。
自分の周りには、自分を支えてくれているものが溢れています。
結局は宇宙全部から支えられていることがわかります。
その温もりを感じることができたのは、苦痛の原因を辿り、その原因は錯覚だと理解しようとしたからです。
宇宙は温もりに満ちているんだと気づかせるための苦痛…愛故の苦痛…
心は愛故に苦痛を選んでいたのです。
私に苦痛を感じさせた人達の心はもっと大きな愛を感じさせるために、その行動を選んだのです。 -
from: あるさん
2007年02月24日 02時27分58秒
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惑星と衛星
何かを手に入れるために状況を変えたいと思う時を惑星と衛星という関係に喩えると、衛星となって振り回される立場です。
その時目は対象に向き、対象のために動こうとします。
それを欲しい理由が自分の中の恐怖心だとしても、とにかく自分に目を向けることが重要なのかなと思いました。
そうすれば、振り回されることがなくなるのではないかと思いました。
衛星から見れば、惑星こそが自分の周りを回っている衛星に見えるからです。 -
from: あるさん
2007年02月23日 00時02分51秒
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from: あるさん
2007年02月22日 23時01分52秒
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from: あるさん
2007年02月21日 22時43分00秒
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また妄想
善悪という概念は幻想である…とは言っても、やはり、善悪判断する想念はやってきます。
どうしても善に到達したい。
悪も捉え方次第で善になるという。
その時、善に到達しようとしています。
善も捉え方次第で悪になるというが、最後には善にしようとします。
それは善にしがみつく姿を隠す罠です。
どうすれば偏らずにいられるでしょうか?
善悪どちらの想念も流して、嬉しい現実も苦しい現実も、あるがままに受け入れる姿勢が必要かなと思いました。
いかに想念観察に対する真剣さが足りないかを実感しました。 -
from: あるさん
2007年02月20日 02時52分53秒
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妄想
昨日紹介した文章を読んで、私は今日1日妄想にふけりました。
タイトル「道」
状況や見方が変われば、善悪は逆転する。
だから善悪という概念は幻想である。
好き嫌いという概念は幻想である。
右左という概念は幻想…だろうか?
私は今、道を歩いている。
交差点に差し掛かる。
右へ行くのと左へ行くのと直進するのとでは、別々の到達点がある。
別々の道から同じ到達点を設定することもできる。
どちらにしても自分はここにいて、前方はこちらの方向、と固定した時の見方である。
ある目的のために右へ行く。
到達したら、また新たな到達点を目指す。
なぜ到達したいのか?
それはエゴがそう望んでいるから。
正直、私にはそれ以上の理由はわからない。
その到達点を過ぎて振り返った時に、わかるかもしれないけど、わからないかもしれない。
どちらにしても、あらゆる到達点は過程に過ぎない。
左へ行けば別の過程を経験するだけ。
私は永遠に止まらないようにも思えるし、どこかで、もう止まろうと思うかもしれない。
止まろうと思う時が唯一の到達点だろう。
止まろうと決めた瞬間に、私は消滅する。
その瞬間まで、私は到達したとは言えない。
どうしてもその到達点を表現したいなら、私は通過したと言う方が適当だろう。
私は止まるだろうか?
それは私にはわからない…エゴが決めることだ。
今はただ、一番小さくて確かなエゴの欲求、“在る”を実行するだけ。 -
from: あるさん
2007年02月18日 23時09分57秒
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善悪
この文章を読んで私は心を病んでいることを、嬉しく思いました。
http://www.google.co.jp/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fwww.fujinihon.gr.jp%2F02%2Fzenaku1.htm&hl=ja&mrestrict=chtml&lr=&inlang=ja&q=%E6%83%B3%E5%BF%B5%E8%A6%B3%E5%AF%9F&output=imode&site=search -
from: あるさん
2007年02月17日 07時53分15秒
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from: あるさん
2007年02月16日 03時31分55秒
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傷
私の一番望んでいるものについて観察しました。
それは“癒やし”です。
なぜそれを望むのか?
それを望むということは私の心は傷だらけということです。
何かの衝動に駆られて今この文章を読んでいる人の中にも、私と同じ傷だらけの人がたくさんいるでしょう。
中にはこんな私を癒やそうとして下さる人もいますが…。
許せない、悲しい、寂しい、優越感、楽になりたい、強くなりたい…などなど、自他分離から生まれる自他比較、善悪判断、これらに夢中になっている人はみんな、心が傷だらけです。
ということで自分の心を癒やす方法を考えてみようと思います。