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from: あるさん
2009年02月25日 09時06分45秒
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from: ジャーニーさん
2009年02月24日 23時39分39秒
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よろしくお願いします。
みなさん、こんばんは。
このたび「自己観察日記」に参加することになった、
ジャーニーと申します。
よろしくお願いします。
今日、数ヶ月前から「赦せない」という感情を抱いていた職場の同僚に対し、挨拶をすることが出来ました。
「赦せない」という感情(想念)も、
実は「赦したいけど素直になれない」という想念であり、
無理やり「赦さない」と思い込んでいただけであって、
その同僚のことを本当に嫌いになったわけではなかったのです。
これからは「同僚のことが嫌いでなない。」という想念を選択していこうと思います。 -
from: あるさん
2009年02月10日 22時36分02秒
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淡々と
自分のイライラや不平不満の想念を見ていて思いました。
イライラや不平不満は必要なんだろうか?
そもそもこのイライラは例えば、朝の出勤の時に歩行者や路上駐車がいてスムーズに進まなかったり、仕事していて機械がエラーを連発してなかなか作業が進まなかったりする時にイライラし出します。
でも別に・・・ちょっと冷静に考えたらイライラする必要は無いんじゃないかなと思いました。
車での出勤にしても、歩行者の通り過ぎるのを淡々と待てば良いし、機械のエラーも淡々と解除すればいいじゃないかと強く思いました。
そしてこのことは目標を実現させるという行為そのものだと思いました。
失敗したとしても、それは一時中断したに過ぎず、淡々と進めば良いのではないか・・・と思いました。
成功するのが大前提です。
当たり前のように確信を持って。
その上で淡々と。
ここで運命という言葉が浮かびました。
人生は運命通りにしか生きられないのか、それとも自力で切り開けるのか?
私にはどちらでも良いと思えました。
努力の結果成功するのが運命だとしても別に問題ありませんし、成功できずに死ぬまで夢を追い続けるとしても、その過程で得るものもあるからです。
壁を指先で押して負荷をかけると自分にも同じ量の負荷がかかります。
そういう単純な法則が全てに例外なく適用されることを知った今となっては、運命などどうでも良いと心底思います。
運命通りの人生でも問題ありません。 -
from: あるさん
2009年02月03日 00時59分42秒
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意識の濁り
これまでは自我を低レベルなものとして認識していましたが考え方が変わりました。
ちょっと話が脇道に逸れるかもしれませんが。
うろ覚えですが・・・ある人が飼い犬に噛まれ血が止まらなくて病院へ行ったら早期の白血病か何かであることが判明し、一命を取り留めたというのです。
この話を聞いて考えました。
私なら飼い犬に噛まれればその事を悪だと判断するでしょう。
でもその悪のおかげで助かったなら、その悪に感謝するでしょう。
それを自我に置き換えて考えました。
本当に自我は低レベルなものだろうか?
その決め付けは常識に捕らわれた判断、見方です。
それが意識の濁りを発生させているのではないでしょうか。
そう思いました。