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from: あるさん
2009年09月26日 22時48分26秒
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執着を手放せの意味
よく、執着を手放せと言いますがその理由がわかった気がしました。
執着している間にはポジティブな想念とネガティブな想念の両方を保持することになります。
ポジティブな想念だけを保持できれば多分、願望は叶います。
ネガティブな想念への対処が出来ないでいるから、ポジティブな想念と打ち消し合ってしまうのではないかと思います。
だから執着を手放せと言うのかなと思いました。
つまり執着を手放せという表現の本当の意味は、執着そのものではなく執着から生まれるネガティブな想念に対処しなさいということなんじゃないのかなと思いました。 -
from: あるさん
2009年09月25日 21時33分32秒
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目標達成と不安について
不安について考えました。
やっぱりそれは記憶の波です。
その波に飲まれて苦しさを感じます。
わかっていても記憶が勝手に波を発します。
波が現実を引き寄せることがわかっているだけに余計怖くなります。
嫌だからこそ考えてしまって呼び寄せてしまうのではないか…と。
だからこそ不安を消そうとします。
でも何か変です。
それは、目の前に穴が無いのに穴に落ちるのを恐れるのと同じことです。
ちゃんと足下や目の前を見ていれば穴には落ちません。
このことを目標達成に置き換えたらどう表現するのか…
遠くの方に目標があったとします。
私はそこを目指して歩きます。
でも、目的地を念頭に置きつつもあくまでも目の前を見ていなければ障害物にぶつかります。
信号を無視して車に跳ねられ死ぬかもしれません。
時には立ち止まる必要がある場合もあります。
念頭に置きつつも目の前を見るとは執着を持ちながらもとらわれないという一見矛盾した感じです…。
目標を達成するなら執着はあった方がいいのかも…と思い始めました。
執着と言えば最近、執着からくる不安に振り回されていましたので、どうすればいいかと考えました。
軸が無い…というヒントを得ました。
あ〜そうか…私が振り回されていたのはお金や愛情や力など自体ではなく執着する気持ちからくる不安想念に振り回されていたのだった…。
不安が出てくるのはもうどうにもコントロール出来ません。
ただ自分は執着や不安そのものではなくそれを見ている立場だということをしっかりと自覚するのがいいかなと思いました。
それ以来不安想念が出てきたらそれに向かって宣言することにしました。
私はその不安そのものではない…と。 -
from: あるさん
2009年09月18日 16時08分10秒
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不安の正体
不安についての新しい考えが浮かびました。
不安とは肉体的反応です。
愛情面での不安という点に着目してみました。
実は肉体は超超超高性能マシンで、この宇宙のすべてを知り尽くしているかもしれない…
だから間違った考えに対しての反応として不安という信号を発して、知らせてくれているだけなのかもしれません。
愛情を失うという捉え方がそもそも勘違いしてますよ…論点がズレていますよ…という風にメッセージを送ってくれているのかも…
と思いました。 -
from: あるさん
2009年09月18日 15時52分57秒
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不安を消す
不安なことも引き寄せるか?について考えました。
愛情を気持ち良く感じて、もっと欲しくなるという現象とは言い換えたら執着です。
不安だから執着します。
失うのが不安だからもっと欲しくなります。
不安を見てみぬふりをしていれば、きっとその通りの現象を引き寄せます。
というわけで不安を心の中から無くす方法を考えました。
それは感謝するしかない、と出ました。
生かしきるということです。
不安がきっかけで学べることがあります。
徹底的に学んで感謝の気持ちが湧いたら、不安を排斥しようとは思えなくなります。
その時にはもう不安を不安とは感じなくなるのではないかと思います。 -
from: あるさん
2009年09月18日 15時27分40秒
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波の性質
人間の中には愛情が詰まっている…ということについて考えていたら、疑問が出てきました。
それを言うなら恐怖も詰まっているのでは?と。
恐怖と同じく愛情も、感情に過ぎない…肉体的反応…
私は何か勘違いしていたかもしれないと思いました。
愛情というものが何なのかがそもそもわかっていないのでは?
嬉しさ、優しさ、そういう振動を肉体が発してそれを気持ち良く感じて、もっと欲しくなり、外側をコントロールしようと思い始めます。
一体この現象は何なんでしょうか?
なぜ、もっと欲しくなるんでしょうか?
しばらく考えてみましたが答えは見つかりません。
というわけで別のことを考えました。
現象を引き寄せることについて。
先日の体験談ですが、仕事柄機械の修理などをするのですが、その時に非常に小さい部品を床に落としてしまい、探しても結局見つけられませんでした。
しかし数日後、ほんの少し離れた場所でふと何となく目が行って発見したり、まさかここじゃないだろ…と思ったけど一応見たら発見したり…ということが立て続けに起こりました。
そのことについて考えていました。
そういったことは本などでよく書かれています。
執着を手放した時に不意に叶うと。
確かにそのような仕組みになっているようだ…
でもなぜでしょうか?
多分それが波の性質です。
どこにあるか?という波を発したら、あとは頭の中を空っぽにしておかないと、答えの波が来ていても認識できないようです。
脳が発信と受信を同時にはできないということでしょうか。
だから、どうでもいいようなことや欲しいけど執着が湧かないことが起こってきやすいのだと思います。 -
from: あるさん
2009年09月13日 21時26分02秒
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from: あるさん
2009年09月10日 21時25分52秒
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記憶の波
肉体に刻まれた記憶が波を発しているということを先日書きましたが、それって意外と重要な発見なのでは?と思いました。
それは執着をいかにして手放すかを考えているときにそう思いました。
本当は私たちには何も足りないものはないです。
でも、あーでなくちゃ、こーでなくちゃ、と執着が湧き出てきます。
でもそれは、記憶の波という言葉を使えば説明がつくかなと思うのです。
わかっているのに出てくるのはそれこそ単純に、肉体に刻まれた反応パターンの記憶でしかないのです。
それは一時的でしかない、記憶の波が見せる花火のようなもの…
あるいは想念観察の本にも書いてありましたが、ドラマを観ているようなものです。
それも感情を体験できるドラマです。
その本の言葉の意味がようやくわかりました。
そしてこの“記憶の波”という言葉が気に入ってしまいました。 -
from: あるさん
2009年09月10日 20時47分59秒
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さ迷う愛情
どうすればモテモテになれるか?について、今までになく真剣に考えました。
そもそもこんなこと考えているうちは貧しい心の波を発しているので決してモテモテにはならないな‥とか色々考えているうちにあることに気づきました。
愛情は与えてもらうものではなく自分の中から湧き出てくるものだということに。
素敵な人が与えてくれるのではなく素敵な人が傍にいる時に自分の中から湧き出てくるものです。
人間の中では愛情が出口を求めてさまよっています。
それが解放されないと寂しさとなって感知されるのではないでしょうか。
本来は無条件で解放しても別に良いのだと思いますが、どういうわけか限られた条件のもとでしか解放されません。
愛情とは何か?をじっくりと学ぶためかもしれません。
それならある程度限定された方が学び易いです。
学生時代の勉強がそうだったように。
小学生には小学生の範囲があり、中学、高校と進むにつれて範囲が広がります。
そしてそれを学ぶごとに、少しずつ、条件が緩くなっていくのかもしれません。
そしてより広く愛情を学ぶという方針なのかもしれません。 -
from: あるさん
2009年09月08日 21時31分27秒
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from: あるさん
2009年09月08日 20時24分00秒
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出来事
出来事と物質についての考えが浮かびました。
今までは両者を分けて捉えていましたが、物質というのも一つの出来事と捉えても良いのではないかと思いました。
出来事について浮かぶイメージは、本体が見えず流動的に見える、一時的なものである…などです。
一方物質はずっと変わらずそこにあるイメージです。
人間も物質的なイメージがあります。
でも実は物質も人間も出来事の一つだと思います。
そんなことを考えていたら、ふとあることに気づきました。
想念も一つの出来事だということです。
よく、頭ではわかっているつもりなのに何故こんな想念が流れて来るんだろうと思うことがあります。
それは出来事として私自身が引き寄せたものに過ぎないのでした。
私自身がそういう波を発しているわけです。
頭ではわかっているつもりでも、肉体に刻まれた記憶がそういう波を発しているだけなのかもしれません。
あるいはその肉体の記憶が発している波を感じ取っているだけかもしれません。